国語の物語文教材において、登場人物の心情を問うことは少なくないと思います。ところが、私は最初の転任後、ほとんど心情を問うことをしなくなりました。その代わり、登場人物の表情・言動の変化、登場人物の仕草の細やかな様子、それに関わる情景描写を問うことが、私の授業スタイルになっていました(まあ、ひねくれ者でした)。


2013年6月19日(水)朝日新聞20(教育)面に「ごんの気持ち 伝わった」という記事が載っていました。びっくりしました。記事のサブタイトルは次のとおりです。


〈南吉オリジナル版テキスト作成〉


〈(前略)オリジナル原稿に光を当てようと、私立立命館小学校(京都市)の岩下修教諭が、絵入りのテキストをつくった。〉


という一文が記事の前文の後半にありました。記事の本文も一部紹介します。教科書の「ごんぎつね」が「赤い鳥」版だということは、私も知りませんでした。


〈(前略)子どもたちが「赤い鳥」版の長所に挙げるのは、「ごんが撃たれながら『うれしくなりました』という自筆原稿だと、兵十にごんの思いが伝わらない。うなずきましたの方がいい」、「難しい言葉や漢字がなく、わかりやすい」自筆原稿の方は、「気持ちが届いて『うれしくなりました』とはっきり書いてあり、私もうれしくなる」「兵十の『おや—————— 』はすごい。驚きや後悔などいろいろな気持ちがこもっている」教科書だけを読んだ授業では「罪を償うことの大切さが主題」と受けとる子が目立った。自筆原稿の文を示すと「ごんが自分と同じように孤独な兵十につながりを求め続けた思い」を感じ取る子が増えたという。(後略)〉


「赤い鳥」掲載の「ごん狐」と、自筆原稿の「権狐」の、ラストシーンも載っていました。どちらも【旧仮名遣い】のままというのが、なんかいいですよね。記事で紹介されていた、両方の原稿は、以下のとおりです。


〈「ごん狐」(「赤い鳥」に掲載された作品)〉


〈ごんは、ばたりとたほれました。兵十はかけよつて来ました。家の中を見ると土間に栗が、かためておいてあるのが目につきました。「おや。」と兵十は、びつくりしてごんに目を落しました。「ごん、お前だつたのか。いつも栗をくれたのは。」ごんは、ぐつたりと目をつぶつたまま、うなずきました。兵十は、火縄銃をばたりと、とり落しました。青い煙が、まだ筒口から細く出てゐました。〉


〈「権狐」(新美南吉の自筆原稿)〉


〈権狐は、ばったり倒れました。兵十はかけよつて来ました。所が兵十は、背戸口に、栗の実が、いつもの様に、かためて置いてあるのに目をとめました。「おや——————。」兵十は権狐に目を落しました。「権、お前だつたのか・・・・・・。いつも栗をくれたのは———。」権は、ぐつたりなつたまま、うれしくなりました。兵十は、火縄銃をばつたり落しました。まだ、青い煙が、銃口から細く出てゐました。〉


びっくり仰天の〈新聞記事〉の紹介(抜粋)は、以上です。


ごんの心情を、最も問いたい場面


この記事を読んだ時、私は石井順治先生の講演(昨年冬2013年2月15日)を思い出しました。石井先生が言いたかったことを、ノートのメモ書きを頼りに、私なりにふり返ってみます。


『ごんぎつね【三の場面】


『兵十が、赤い井戸のところで、麦をといでいました。兵十は今まで、おっ母と二人ふたりきりで、貧しいくらしをしていたもので、おっ母が死んでしまっては、もう一人ぼっちでした。「おれと同じ一人ぼっちの兵十か」こちらの物置ものおきの後うしろから見ていたごんは、そう思いました。』


ここのところは、ごんの思いをしっかりと、子どもたちに聞くのが大切です。「どこから、そう思うの?」と、「おっ母と二人ふたりきりで」「貧しいくらし」「おっ母が死んで」「もう一人ぼっちでした」といった言葉にふれながら、「おれと同じ一人ぼっちの兵十か」とつぶやくごんの本当の思い・・・それに、子どもが気づくのをいざなうのが、教師の役割ではないでしょうか。


そこで、ごんの真意を受けとめた子どもたちは、次の行(教科書の7行目)


『ごんは物置のそばをはなれて、向うへいきかけますと、どこかで、いわしを売る声がします。「いわしのやすうりだアい。いきのいいいわしだアい」ごんは、その、いせいのいい声のする方へ走っていきました。・・・』


からは、ごんの気持ちを追求するのではなく、ごんの姿を描き合う場面になります。子どもたちが、兵十へのどんな思いを受けとめたかによって、その後の、ごんの行動の受けとめ方も大きく変わってくるでしょう。』


以上、三重県伊賀市立河合小学校:公開授業研で石井先生が講演された時に、少しふれてくださった部分の紹介です。私のいい加減なメモと、さらにあやふやな記憶を元にしておりますので、石井先生の意図とずれていたら、すみません。ただ、ほとんど物語文教材で登場人物の心情を問わなかった私が、この場面では、ごんの心情(兵十への思い)を、今、子どもたちに問いたくなりました。


せつないごんの思い・姿を、読み味わいましょう


子どもたちが、全文をていねいに読んで、個人学習で、気になる箇所に線を引いてから、この【三の場面】を読み取ると、ごんは、うなぎの償いのためだけに、ひたすら運んだわけではないことに気づいてくれる子が、少数ですが、必ずいてくれます。そういう子の考えに、うまく光をあてることができたとしたら、「償い」だけと思っていた子どもたちの視野を、グンと広げてくれる可能性が出てくるでしょう。


そもそも、何の見返りも求めない「償い」って、1,2回はできても、そうそう長続きするものではありません。それは、兵十と加助の会話を聞いたごんが


「へえ、こいつはつまらないな」「おれは引き合わないなあ」


と思うところで、子どもたちも、どうやら「償い」だけではないことに気づきます。子どもたちは


「わかってほしかった」「認めてほしかった」


と言うかも知れません。その場合、石井先生のように


「どこの文から、そう思うの?」


と問い返してみることで、


「なるほど、その文から、そう読むこともできるのか」と、クラスみんなで、自分と違う意見も認め合い、共有し合える時間にしたいものです。みんなで意見を出し合って読み味わう場合に、最も大切にしたいことのひとつですよね。


じゃあ、「償い」以外の何なのかを考えるための発問例を少し挙げてみます。


「うなぎの時のごんと、いわしの時のごん、では、どんなことが違うかな」


「兵十に次々と物を届ける、ごんの届け方には、どんな違いが出てくるかな」


「お念仏がすむまで井戸のそばでしゃがんで待って、二人のあとをついて行ったごんは、どんな話を聞きたかったのかな」


子どもたちが、ごんの求めている願いを、少しでも感じ取ってくれたら、と思って、以上の発問を、ない知恵をしぼって、ひねり出してみました。


ごんの


「つぐない=おれのせいで・・兵十のために・・してあげたい」


が、いつの間に


「つながり=兵十のために・・兵十を求めて・・認めてほしい」


に変わったのか、それとも【三の場面】から両方の思いがあったのか、教師の解釈を子どもに押しつけるわけにはいきません。ただ、【三の場面】において、石井先生が大事にしたいと言っておられた


「おれと同じ一人ぼっちの兵十か」とつぶやく、孤独なごんの胸中、


岩下先生が指摘されている「自分と同じように孤独な兵十につながりを求め続けた思い」に少しでもふれながら、子どもたちが【三の場面】を読み味わうことができたら、ごんがせっせと続ける行動の微妙な変化をも、より豊かにイメージできるのではないでしょうか。そういう意味でも、この「オリジナル版テキスト」には価値があると、私も思います。


人と人とのつながりが希薄になってきた現代社会だからこそ、兵十に伝えたい思いを不器用にしか行動できないごん、そんなごんの、思いをうまく伝えられないもどかしさ、これらに、ぜひ、子どもたちがふれてほしい(気づいてほしい)と願います。人と人が「伝え合う」ことの大切さを実感するためにもです。


なお、記事の最後には、その南吉オリジナル版テキストを、立命館小学HPのNEWS一覧からダウンロードできることも書いてありました。さっそく拝見いたしました(以下のURLです)。


http://www.ritsumei.ac.jp/file.jsp?id=95805


本文も挿絵も、実に見事なテキストで、敬意を表します。「ごんぎつね」に対して慣れっこになっていた私の心の油断を、新鮮に揺さぶってくださった石井先生には、感謝いたします。そう言えば、石井先生の年賀状には、新美南吉記念館がご自宅から近いと書いてありました。そして、貴重なオリジナル教材を発掘されて実践に生かしておられる岩下先生には、頭が下がります。こうして今、私は改めて「ごんぎつね」の奥深さを感じております。


(この記事は、EDUPEDIAへ2013年7月5日に投稿した内容です)

関連ページ
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http://sg2takaboo.exblog.jp/24898472/


by takaboo-54p125 | 2015-07-25 05:14 | 教材

3ヶ月少し前の2015年3月20日(金)朝日新聞朝刊2面の「ひと」という欄で、心に留まる人を紹介する記事がありました。タイトルは【沖縄の渡名喜島で「美容室」を開く福田隆俊さん(55)】です。取材をされた記者さんは【文・写真 池田良】と書いてありました。池田さん、よい記事をありがとうございます。記事の本文を紹介させてください。


『沖縄本島から北西へ60キロ、周囲12、5キロの小島「渡名喜島」。島民400人の約4割は65歳以上。観光名所もない、のどかな島だ。この島に7年前から通い、月に10日間だけ「美容院」を開いては、70人あまりの髪を整える。


茨城県内で美容室4店舗を切り盛りするやり手の美容師だった。50歳を前に多忙な生活を見つめ直そうと、1人で島巡りした。「一緒に遊ぼうよ」。フェリーで島の少年に声をかけられ、日が暮れるまで遊んだ。少年の髪の毛は伸びきっていた。島に散髪屋はなく、那覇まで片道2時間半かけていたと聞いた。


島の虜になり、ハサミを持って再訪、屋外で新聞を広げて少年たちの髪を切った。喜んでくれる姿を見て、美容室をつくろうとしたところ、「内地者には貸さない」と門前払いに。何度か通い、やっと古民家を借りることができた。


翌年、6畳2間にシャンプー台と椅子1台の「島の美よう室」を建てた。今では店内を子どもがはしゃぎ回り、お年寄りは踊っている。茨城の店は2人の美容師の娘に託して毎月、島へ通う。娘は「顔が黒くなった」と笑う。


島では「お帰り」と声をかけられる。サービス料は本土の半額以下で、交通費を考えると「大赤字」。でも、悪天候で通えないと不安になる。「パーマがすぐにほどけてしまう。おばぁが待っている」』


記事は以上です。私は、この記事を読んで、人から人への「あったかさ」を分けてもらった気持ちになりました。福田隆俊さんが「島の美よう室」を7年間も続けておられること、そんな型破りな内地者を受け入れられた「渡名喜島」のみなさんの懐深さ、今では「島の美よう室」が子どもやお年寄りの交流の場になっていること、そうして「渡名喜島」に毎月通うことが福田隆俊さんにとって、かけがえのない生き甲斐になっていること、それを池田良さんが記事にされたこと・・『「あったかさ」は人から人へつながる』という鎌田實ドクターの言葉を思い出しました。


福田隆俊さんは、どうやら私と同年齢のようですが、私の7年前と言えば、脳梗塞のリハビリをしていた頃でしょうか。福田隆俊さんの行動力を思うと、自分がちっちゃく感じますが、自分の甲斐性でできることを地道にやっていこうと、改めて再確認する機会になりました。ありがとうございます。

【後日談・旅】2018年5月18~20日に初めて沖縄本島へ、神戸~那覇間のソラシド・エアで行き、3日間連続で世界遺産(今帰仁城跡~斎場御嶽)を巡りました。北部の古宇利島では海水にさわりました。南部の知念岬では久高島を眺めました。ジャッキーステーキハウスで、「沖縄では締めはステーキ」だと教えてもらいました。沖縄料理店ぬちぐすいで定食を頼んだら、山盛りのゴーヤチャンプルーに驚きました。居酒屋・鰓(えら)呼吸で頼んだグルクンの唐揚げは、頭も骨もカリカリで丸ごと食べました。地元の常連さんが多いカラオケスナックDEAIでは、ウチナーグチの歌と指笛を聞かせてもらえました。そして、エイサーには感動しました。

【後日談・安室奈美恵さんが引退されることを聞いて】たしか1994年頃だったと思うのですが、フジテレビの子ども向け番組「ポンキッキーズ」で、着ぐるみ姿の安室さんが、鈴木欄々さんと2人で童謡を歌いながら、かっこよく踊っておられたのを、幼かったわが子といっしょにテレビで見ていたことを思い出しました。


by takaboo-54p125 | 2015-07-11 01:10 | 日記・その他