2014年9月5日(金)朝刊1面の「天声人語」前半は絵本の紹介でした。( )は私の補足です。


『しのぶ君はお父さんの仕事をかっこ悪いと思っていた。食肉センターで牛を「解き」、肉にする仕事だ。解くとは、殺すこと。小学校の社会科の授業で家の仕事を聞かれ(今は、親の仕事を授業で子どもに聞く学校はないはず)「普通の肉屋です」と答えた。


帰り際、しのぶ君を呼び止めて担任の先生は諭した。おまえ(しのぶ君)のお父さんが仕事をしないと、先生もおまえ(しのぶ君)も校長先生も会社の社長さんも、みんな肉を食べられないんだ。「すごか仕事ぞ」


食肉解体作業員だった熊本県の坂本義喜さんは、牛と目が合うのがつらくて、いつかやめようと思っていた(坂本さんはずっと葛藤し続けてこられたことが伝わってきます)。しかし、しのぶ君が「お父さんの仕事はすごかとやね」と報告するのを聞いて、やはり続けようと思った。


坂本さんのこうした話(牛を思う坂本さんの優しさと、牛のいのちをいただく有り難さ)に心動かされた福岡県の助産師、内田美智子さんが文章にし、5年前に「いのちをいただく」という絵本になった。私たちの命は肉や魚や野菜の命によって生かされている。当たり前なのに忘れがちなことを、感謝とともに思い出させてくれる作品だ。・・後略』


記事前半の紹介は、以上です。実は、私も、この「いのちをいただく」の紙芝居を2年ほど前に購入して持っています。「弁当の日」の小中学校の実践をあれこれ聞く中で知ったからです。絵本も売っていましたが、私は紙芝居を買いました。しかし、講義や子育て講演などで、他の絵本は読んだことはあるものの、紙芝居「いのちをいただく」は読んだことがありませんでした。しかし、チャンスがあれば私も読み聞かせをしたいという気持ちが、今、人権週間を前にして沸々と湧いてきました。


紙芝居「いのちをいただく」内田美智子:文、魚戸おさむ:絵、坂本義喜:原作(西日本新聞社)は、29枚の紙芝居です。みなさんも、機会があれば、絵本でも紙芝居でも、一度読んでみてください。坂本さんの体験・・葛藤・・決意に助産師さんが心をズシンと動かされ、そして、生まれた絵本と紙芝居・・なんともかとも、ええお話です。


このブログ記事は、以下のページにも載せました。


関連ページ
教材【弁当の日】【雪とパイナップル】【アハメドくんのいのちのリレー】「人のあったかさの連鎖」「~にもかかわらず」【いのちをいただく】【おばあさんの手紙】
http://sg2takaboo.exblog.jp/24898442/



by takaboo-54p125 | 2014-11-29 05:00 | 教材

以前と比べて気になるのは、「子どもたちの声がうるさい」と、保育園や市役所(設置管理者)に苦情を言う人が存在するという現実を、テレビや新聞で見聞きするようになったことです。先に保育園・幼稚園があった周囲(田園)に、後から出来た新興住宅街でも、少なからずあると聞きます。そういう苦情を言う人にも、必ず「子ども時代」はあったはずです。自分の子どもの頃(やんちゃ・おてんば等々)は棚に上げて、今の子どもたち(幼児)のにぎやかな声を「騒音」だと訴えるのは、如何なものでしょうか。子どもたちの声がにぎやかなのは、その地域が活気のある証拠だと思うのですが、それを「うるさい=騒音」とは・・ちょっとびっくりしました。


しかも、民事訴訟までおきているようです。訴訟に至る個々のやむを得ない経緯はあるのでしょうが、慰謝料を保育園に求めるとは・・う~ん。新聞で、少子高齢化で「寛容度」が下がった、と書いてあるのを読んだこともあります。でも、本来は、高齢者から子どもまで共存・共生している所が地域社会であるはずなのですが・・民事で争わなければならないほど譲り合えない世の中になってしまったのでしょうか。


とりわけ、電車の中で、赤ちゃんが泣き始めたら、お母さん自身も周囲から険しい視線を感じることが少なくないのが、情けないけど今の日本の姿らしいです。誰だって、自分も赤ちゃんの頃はオギャーオギャーと泣いて育ってきたはずなのに、それを思い出せない人がいるようです。どうやら、赤ちゃんが泣くのは、人類なら万国共通だということも忘れてしまった人がいるようです。排他的な人は少数でしょうが、困りましたねぇ。ずいぶん前の天声人語に、こんな短い話が載っていました。


満員電車で、赤ん坊が泣き出した。険しい視線が母親に集まる。と、年配の女性が母親に話しかけた。「眠いのかしらねえ」。母親は「うるさくてごめんなさい」と謝る。女性は続けた。「何を言ってるの。一番大変なのは、あなたじゃない。お母さんが一番つらいのよね」


(ずっと前の【天声人語】「短い話をいくつか」に載っていました・・その5つのエピソードのひとつです)


もしも、自分の住んでいる地域で、子どもの声が聞こえなかったら、逆に「大丈夫かな」と心配になります。すなわち、子どもの声の全く消えた地域って、地域社会そのものが消滅する危機の1歩手前だと危惧するのですが・・。若い世代がつながっていってくれなかったら、年金はもちろん、介護・福祉・医療・ライフラインなど、日本の社会形態そのもの(もちろん自分の生活も)が維持できなくなることが、はたして視野に入っているのでしょうか。待機児童が多いので保育園を増やすのは結構なことだと賛成しながら、自宅の近くには、保育園をつくらせたくない・・と、総論賛成・各論反対の主張をする人が少なからずいることを知り、なんか、さびしくなりました。保育園や幼稚園から聞こえる子どもの声は、その地域のタカラモノだと思うからです。地域に気を遣って配慮する園側の苦心を、時代の流れだと安易に片付けたくないですねぇ。

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by takaboo-54p125 | 2014-11-22 05:14 | 社会全般