2013年4月20日(土)は村の春祭りでした。隣村と一緒にします。神輿は二基です。前日19日(金)の夜は宵宮で、太鼓渡りをしました。その後、社務所で、村の若い衆20数名が祭り歌「伊勢音頭」の練習をしました。私たちOBも一緒に歌います(こういう文化は伝承ですから毎年恒例)。祭り当日は、出身の方々も帰省し、御輿かきに参加してくださり、担ぎ手だけで40~50名は集まります。おかげで、まだ台車もつけずに、なんとか持ちこたえています(最後は隣村の若い衆も手伝ってくれますので、感謝です)。鐘と太鼓のたたき方(息の合わせ方)は、今年の宵宮でも高校生が中学生に教えてくれている姿が見られました。


さて、滋賀県湖東地方の「伊勢音頭」は、本家である三重県のふし回し(歌い方)とは、ずいぶん違います。兵庫県神戸市の御影だんじり祭のふし回しとは、少し似ています(「合いの手①②③は、わりと似ていて、感動です)。近隣の堅井の大宮:春祭りの「伊勢音頭」は、私たちの祭りで歌う「伊勢音頭」とほぼ同じふし回しです。どうやら、府県・地域によって、同じ「伊勢音頭」でも、さまざまなふし回しがあるようです。


滋賀県発祥(昔、滋賀県は近江国とか江州と呼ばれていました。そして、踊り発祥の地の地元には毎年、運動会のフィナーレで踊る伝統を受け継いでいる小学校あり)の「江州音頭」を、大阪府北部地域(北摂)でも毎年、あちこちの市の盆踊りで踊っておられると聞き、うれしくなりました。また、滋賀県で行われる盆踊り「江州音頭」の締めくくりは、なんと「伊勢音頭」の「ソーリャーヤートコセー エーヨーイヤナー アーアレワイサー コレワイサーエ ソーリャー ヨーイトセー」でお開きになりますことにも、不思議なつながりを感じます。


話がそれたので戻します。うちの村の祭歌好きな長老たちでも、ふし回しが1人ひとり微妙に異なるところが、違和感のない個性的なええリズムになっています。以前は、新築の棟上げに「伊勢音頭」は必須だったそうです。そんな、うちの村の若い衆でよく歌われているのは、次の6つでしょうか。


◎サァヨーオオ オーイサーエー


 今日は若い衆のイナ


  ①ヨイヨイ


  みこしーかーき


  ②ソラ、ヨーイセー、トーコセー


  うとてナーエー


 この場のソーレッサイ


 いさむように


  ③ソーリャーヤートコセー、エーヨーイヤナー


    アー、アレワイサー、コレワイサーエ


    ソーリャー、ヨーイトセー


◎サァヨーオオ オーイサーエー


  目出た目出たのイナ    ①


  若松様は           ②


  枝もナーエー


  栄えてソーレッサイ


  葉も繁る            ③


◎サァヨーオオ オーイサーエー


  伊勢は津で持つイナ    ①


  津は伊勢で持つ       ②


  尾張ナーエー


  名古屋はソーレッサイ


  城で持つ           ③


◎サァヨーオオ オーイサーエー


  さした杯はイナ       ①


  なか見てあがれ      ②


  なかはナーエー


 つるかめソーレッサイ


  五葉(ごよう)の松     


◎サァヨーオオ オーイサーエー


  伊勢の豊久野イナ     ①


  銭(ぜに)かけ松は     


  今はナーエー


  枯れてもソーレッサイ


  名は残る          


◎サァヨーオオ オーイサーエー


  高い山からイナ      ①


  谷底見れば         ②


  ウリやナーエー


  ナスビのソーレッサイ


  花ざかり          ③


今年は、警護に専念したので歌えませんでしたが、若い衆たち(新しい団地の方々も)が歌い継いでくれていたので、とてもうれしく思いました。そろそろ、のぼり倒しの時間です。二本のハシゴと、三本のロープを巧みに操りながら、みんなの団結力で、ゆっくりと倒します。それでは、私もOBの1人として、今から手伝いに行ってきます。


せっかくですので紹介させていただきます。神戸市の御影だんじり祭における「伊勢音頭」は、次のYouTubeで聴かせてもらいました。聴きほれてしまう歌いっぷり・・・感服いたしました。


御影だんじり祭 東之町 伊勢音頭

http://www.youtube.com/watch?v=m4CjpFbdmDo



by takaboo-54p125 | 2013-04-21 16:27 | 文化・スポーツ

2012年4月7日(土)朝日新聞21面に「新しいクラスでも大丈夫だよ」という記事・・2学期が始まる「仕切り直し」として紹介したのを、再度、紹介させてください。


『まず1対1 たずねあおう


知らない人の中に入るのは、誰だって不安だ。新しいクラスですぐにグループに入れなかったり、グループ内で浮いたように感じたりしても、心配いらない。大勢でいる時にうまく話せなくても、1対1になった時、相手との関係を築いていけばいい。


僕(哲学者:西研さん)は「たずね合う」ことを教え子たちに勧めてきた。たずねるとは、相手の気持ちや状況を受けとめ、ちゃんと関係を築こうとする行為だ。受けとめることができれば、相手も心を開いてくれる。


誰かの意見や気持ちを聞いて、「そんなわけない」と反発したくなる時も、まずたずねる。「ここをもう少し教えて」と聞いたり、「あなたが言いたいのはこういうこと?」と自分の言葉に置き換えたりしてみよう。このやりとりでは自分の意見を言うことも必要だから、必然的に「たずね合い」になる。くり返すうちに、人に思いをわかってもらうための伝え方がうまくなっていく。僕たちは、人に「好感を持たれていないこと」に弱いけれど、全員とたずね合える関係になる必要はない。クラスや部活に、1人でもそうなれる友だちができるといい。(以下省略)



それでもイヤな気持ちの時は・・・伝える5つのポイント


相手を攻撃せずに「イヤだ」という気持ちを伝えるには、どうしたらいいのか。・・NPO法人「アサーティブ・ジャパン」・・


例えば、体形がふっくらしているからか、イヤなのに「まる子」というあだ名で呼ばれている時。まず、悔しい、腹立たしいという感情がわいてきたら、それは自然なことだと知ってほしい。「今、クヨクヨしてるな」と認めよう。「クヨクヨするなんてダメだ」と感情にふたをすると、余計にしんどくなる。


自分のコミュニケーションのパターンを知っておくと、相手に気持ちを伝える時に役立つ。「ドッカン」「オロロ」「ネッチー」の3つから自分のパターンを知ろう。


「ドッカン」は攻撃的。「なんだよ!」と食ってかかる。「オロロ」は受け身的。ふみにじられても、黙ったり照れた風をよそおったりして、イヤだという思いが伝わらない。「ネッチー」は作為的で、イヤミな態度。不平不満を遠回しに、行動や言葉で示す。


3つのパターンは、伝え方を学ぶことで変えられる。相手にイヤだと言うと決めたら、5つのポイント(下の①②③④⑤)を押さえよう。1つだけ使ってもいいし、5つ全部使ってもいい。


相手に直接言えない場合もある。そんな時は「まる子ってあだ名で呼ばれるの、すごくイヤなんだ」と、安心できる友だちや親に話すだけでもいい。ちょっと楽になります。



自分も相手も責めない伝え方(5つのポイント)


①どうしてほしいか伝える。自分の気持ちも言ってみる。


「まる子っていつも呼ぶよね。あれ、本当はイヤなんだよね。他の子みたいに名前で呼んで」


②言いにくい宣言をする


「めっちゃ言いにくいんだけどさ、まる子って呼ぶのやめて」


③悲しい時や腹が立っている時は、笑いながら話さない。


④理由や状況も聞いてみる


「なんでまる子って言うの?」


⑤伝わっていないと感じたら、くり返してみる。【アサーティブ・ジャパンによる】』


記事の紹介は以上です。

関連ページ
子どもと向き合う学級づくり①【4月の教室】+【前日準備】【出退勤】【連絡帳の秘訣】【3ヶ月続けたい言葉がけ】【画びょう】
http://sg2takaboo.exblog.jp/24898094/


by takaboo-54p125 | 2013-04-20 05:25 | 保育・教育

学級活動では、日常的な当番活動も交代で(公平に)しますが、係活動も進めます。係のメンバーで相談しつつ協力したり工夫したりすることを体験してほしいからです。意見が割れた時にも折り合う社会性を学んでほしいからでもあります。4年生以上では、より創造的な係活動に発展していけるように、担任が助言します。係のグループは、生活班を活用しても、各生活班から1名ずつ集まって係集団を形成するのもOKでしょう。いずれにせよ、子ども同士の関わりが、より豊かになっていってほしいという、担任の願いがあってこそ、です。担任の仕事の下請けをさせるのが係活動である・・なんて堂々と演説する誤ったとらえ方をしている担任がいたら、周囲の教師たちが教えてあげる必要はあるでしょう。


その係活動に「1人1役」を採り入れる場合もあります。ただし、日頃、目立たなかったり、ほめられることが少なかったり、スポットライトを浴びることが少ない子どもたちにも、担任にほめられたり、クラスのみんなからも認められるチャンスにするため、という意識を担任と子どもたちで共有できた時、初めて、「1人1役」を採り入れた効果が表れる、と言っていいでしょう。あくまでも、どの子にも、クラスの役に立ち、クラスで必要とされ、クラスでほめられる場面をつくることを、目的にしなければ、「1人1役」というやり方は、子ども1人ひとりにとっても、学級づくりにとっても、せっかくの取り組みがマイナスになります。


例えば「自分はその役ではないから関係ない」「あの子は自分の役をさぼっている」という発言が出てきたら、助け合おうという意識が、子どもたちの中で薄れてきていると、受けとめた方がいいでしょう。「1人1役」の意味を、子どもたちが間違って理解しているわけですから、すかさず、仕切り直しをします。ところが、学級づくりを早く軌道に乗せたいからと、担任があせって、あなたはこの係、あなたはその係・・・と割り振ってしまうと、1人1役をやりきれていない子を批判する子どもが出始め、子どもたちは個人主義的になって、仲が悪くなり、クラスもバラバラになります。その結果、学級運営そのものが失敗に終わったケースを、少なからず見てきました。初発のミス(全員参加型の下請け活動を円滑にするための「1人1役」という認識)や、子どもたちのイヤな空気(ヘンな雰囲気)に気づいたら(気づける担任はエライ)、できるだけ早い段階で軌道修正してみませんか。係活動本来の、1人ひとりが、キラッと輝く場面を見つける(生み出す・支援する・認める)ための「1人1役」、子どもと担任の信頼関係、子どもと子どもの仲間意識を構築するための「1人1役」に


関連ページ
子どもと向き合う学級づくり⑦【10月の教室】+【学校ぐるみの工夫】【親に気づいてほしいこと】【係活動チェ~ンジ】
http://sg2takaboo.exblog.jp/24898134/


by takaboo-54p125 | 2013-04-13 10:11 | 保育・教育

土曜日の朝日新聞には、beという別冊がついています。3月30日の場合、1つは、ページがb1~b12まである冊子で、もう1つは、ページがe1~e8まである冊子でした。そのe1とe2の2ページに「旅立ちの日に」の『歌が生まれた経緯』と『全国の中学校へ広まった経緯』が、詳しくのっていました。せっかくですので、記事の前半の『歌が生まれた経緯』だけでも紹介させてください。


『1988年春、グラウンドのかなたに山並みを望む埼玉県秩父市の市立影森中学校に2人の教員が赴任した。ひとりは、坂本浩美さん。当時26歳。音楽の教諭だ。もうひとりは、小嶋登さん。当時57歳。影森中は3度目の勤務で校長として着任した。「よお、ひろみちゃ~ん」学生の面影を残す小柄な坂本さんは赴任早々、そう生徒に呼びかけられた。3年生か。(中略)


一方、校長の小嶋さんはある信条を持って着任していた。「歌は心を健康にする」だ。前任校で合唱指導に力を入れ、成果を得たのだ。影森中でも「歌声の響く学校」を目標の1つに決めた。「(校舎の)あちこちには『歌声の響く学校にしよう』のスローガンが張られた」(坂本さん)。この小嶋さんの方針は、「音楽教諭」である坂本さんには重荷だった。現実は厳しかった。(中略)


1学期の半ば、合唱部を初めてコンクールに出場させようと考えた。坂本さん自身が中学時代に合唱部で経験した「みんなで1つのものをつくる喜び」を生徒らにも体感させたかった。合唱部員は女子ばかり、わずか16人。部員以外の男子の応援を募り、混声にすることにした。


狙いは運動部を「引退」する3年生。しかし、それは「ひろみちゃ~ん」たちだ。「勇気がいりました。震えていたのを覚えています。でも私は本気でやりたいんだ、と訴えました」


昼休み、音楽室で待っていると17人の男子がやってきた。まったく期待していなかった顔もいた。「本当に本気か?」と思わず念を押した。「あの瞬間が、歌のルーツかな」。かつて運動部で活躍した3年生の男子が合唱の練習をしていることが知れ渡り、「歌うことって、かっこいい」という空気が校内に生まれた。


坂本さんが影森中に来てもうすぐ3年となる91年2月。放課後の職員室でストーブに手をかざしていた坂本さんは、通りがかった小嶋さんに切り出した。「卒業生に歌を作って贈りたいんですけど、詞を書いていただけませんか?」答えはつれなかった。坂本さんの記憶によると「自分は英語の教員だし、そんなセンスないよ」だった。


ところが、翌朝出勤してみると、坂本さんの机の上に、きちょうめんな文字で書かれた詞がのっていた。「旅立ちの日に」。小嶋さんの字だった。「すごくいい!」。音楽室に駆け込み、ピアノに向かった。「勇気を翼にこめて・・・・・・・」の旋律がまず浮かんだ。15分ほどで全体にメロディーをつけた。


自分で弾き歌った録音テープを教職員に配り、生徒に内緒で練習した。そして、3月中旬の「3年生を送る会」で披露。1番は小嶋さんが独唱した。この時で「旅立ちの日に」は役目を終えたはずだった。(後略)』


3年間、影森中で奮闘した先生方と、それに答えて変容し成長した生徒たちと、坂本先生の熱意を、全部丸ごと受けとめた小嶋校長の思いが詰まっている「旅立ちの日に」・・・その深みのある歌詞には、生徒たちへの小嶋校長の温かさを感じました。全国の中学校で歌い継がれている理由の一端を垣間見た気がします。この歌は、影森中で3年間かけて学校づくりを進めていかれた中で作られた歌だと言ってもいいのではないでしぃうか。


記事の後半には、2004年にフジテレビで「卒業ソング」を特集したディレクター、同曲を混声3部に編曲した先生、同曲の楽譜を載せた専門誌の編集長、中1の時、送る会で「旅立ちの日に」を聴いた影森中OBのバリトン歌手、2011年に亡くなられた小嶋校長の息子さんの話などが載っていました。また、秩父市内の公園には「旅立ちの丘」ができたこと・・・武甲山を背景に「旅立ちの丘」で記念撮影する若者たちの写真も掲載されていました。


私が秩父を訪れたのは、1981~82年頃でした。88年に小嶋校長先生と教員4年目だった坂本先生(私より少しお若い世代の教員)が、その3年後に教え子たちへ贈る歌として作詞作曲された「旅立ちの日に」・・頭が下がります。


今回、このような記事を書いたのは、2013年2月2日に、以下のブログ記事を書いたからです。


卒業式で「旅立ちの日に」を歌い継ぐと、歌の苦手な子も歌えるようになります
http://sg2takaboo.exblog.jp/24898450/


関連ページ

教材『続・かさこじぞう』など【成人の日はお祝いの祝日、敬老の日は感謝の祝日】【地球が1mの球だったら】【釜石小学校校歌】【旅立ちの日に】【被災地を忘れない人】
http://sg2takaboo.exblog.jp/24898180/



by takaboo-54p125 | 2013-04-06 05:14 | 保育・教育