はじめに


わが家にプロパンガスを供給してくださっている大丸エナウィン(株)の顧客向け冊子2011年11月1日発行の第83号に、「日本語の揺れと乱れ」に関して、とても興味深い記事がのっていました。


【ラ抜き言葉


1つめは、【ラ抜き言葉です。


あるアニメの主題歌の歌詞に


「タマネギ食べれる」


というのがあります。また、


「素直に生きれないの」


というJポップスの歌詞もあります。


プロ野球選手はインタビューで


「ここまでやって来れたのは、ファンの皆さんの声援のおかげです」                                                            


と話します。



「食べれる、生きれる、来れる」


は【ラ抜き】言葉です。


「~することができる」という可能を表す場合は


「食べられる、生きられる、来られる」


であるのに【ラ】が抜け落ちたのです。



【ラ抜き】言葉ができたのには理由があります。


「食べる」を例にしましょう。


「食べる」を尊敬表現にすると「食べられる」、また受け身表現も同じく「食べられる」です。


つまり「食べる」の可能・尊敬・受け身表現は全く同じ形になります。                                                                                                     


「出る」「着る」といった動詞も同様ですこれでは混乱します。


混乱を避けるためにできたのが【ラ抜き】言葉だというのです。                                                                                                    


たしかに


「タマネギ食べられる」


だと、化け物のようなタマネギに食われてしまうような気もします。                                      


「【ラ抜き】は日本語の『乱れ』というよりも、『揺れ』であり必然だから認めよう」                                                                                                


という学者もあります。



現在のところ【ラ抜き】は、話し言葉なら許され、書き言葉ではダメといったところ。                                              


真面目なテレビ番組は、出演者が


「来れる」


と話しても、字幕は


「来られる」


としています。


と、【ラ抜き言葉】について、柔軟に書いてありました。


確かに、私自身も若い人たちと話していると、次のような【ラ抜き言葉】を耳にすることはあります。居れる」「起きれる」「決めれる」「着れる」「出れる」「投げれる」「逃げれる」「寝れる」「見れる」「よけれる」あれっ?と感じる言葉もあれば、いつの間にか聞き慣れてしまった言葉もあるかな、といったところです。


【レ足す言葉


2つめは、【レ足す言葉】です。


次は【レ足す】言葉です。


「書く」という動詞の受け身・尊敬は「書かれる」。


日記に悪口を書かれる(受け身)、先生が字を書かれる(尊敬)となります。


「書く」を可能表現にするには特別な形「書ける」があります。                                                                    


このような例は他に「読む」(読める)などがあります。


可能を表す形があるのに


「書けれる」「読めれる」


と余計な【レ】を足してしまうのが、【レ足す】言葉。


何がおかしいなと、言った本人も気づくことが多いためか、あまり広まってはいません。


と、【レ足す言葉】について、あっさりと、まとめてありました。


私が耳にして、あれっ?と違和感を感じた言葉は、次のような【レ足す言葉】です。


私の周囲にいる若者たちではなく、ほとんどテレビ番組の出演者のみなさんでした。


「行けれる、行けれない」「出せれる、出せれない」「飲めれる、飲めれない」「読めれる、読めれない」仮にもテレビ番組に出演するプロのタレントならば、【レ足す言葉】は間違った使い方だと心得てもらいたいものです。ひょっとすると、本人は幼稚っぽさを演出しているつもりなのかも知れませんが・・。


【サ入れ言葉】


3つめは、【サ入れ言葉】について、です。


広まっているのは【サ入れ】言葉です。


会合などで司会者が


「次に移らさせていただきます」


と言うのをよく耳にします。


この場合は「移らせて」でよいのに、ていねいにと思ってか、余計な【サ】を入れてしまいます。


「帰らさせていただきます」


「歌わさせていただきます」


など、多くの人が間違いと気づかずに使っています。


と、【サ入れ言葉】について、ズバッと、指摘してありました。


この【サ入れ言葉】も、テレビ番組で、たびたび耳にすることがあります(困ったものです)。「移らせていただきます」「帰らせていただきます」「歌わせていただきます」が正しいのは、言うまでもありません。


「言わさせていただきます」は、「言わせていただきます」と、


「置かさせていただきます」は、「置かせていただきます」と、


「預からさせていただきます」は、「預からせていただきます」と、


「見させていただきます」は、「見せていただきます」と、


「急がさせてすみません」は、「急がせてすみません」と言ってください。


各民放テレビ局も、せめて【サ入れ言葉】については、正しい日本語(敬語)を教えてほしいものです。


まとめ


大丸エナウィン(株)の顧客向け冊子2011年11月1日発行の第83号では、次のようにしめくくっていました。


ここでは、【ラ抜き】は『揺れ』、【レ足す】【サ入れ】は『乱れ』としておきます。                                                                                                


『乱れ』は正し、『揺れ』は立ち止まって検討すべきでしょう。


言葉は、揺れ、乱れ、変化します。


高名な文学者の作品にも【ラ抜き】【サ入れ】が見られるのですから、


 〈言葉の専門家ではない一般人が間違えてもしかたがないかも知れません。                                                          


しかし、自分たちの言葉を大切にしたいと思うなら、言葉に敏感になるべきでしょう。                                               


「話し言葉でも【ラ抜き】など使わない」


というのは立派な個人の美意識。


さあ、揺れ、乱れ、変化する日本語に、当探偵局とともに向き合いましょう。


以上です。


おわりに


なるほど、【ラ抜き言葉が日本語の『揺れ』、【レ足す言葉】【サ入れ言葉は日本語の『乱れ』ということですか。【ラ抜き言葉】【レ足す言葉】【サ入れ言葉】には、なんとなく違和感を抱いていた私も、そこまで整理して考えたことがなかったので、この文章を読んで、なんだかスッキリした気分です。大丸エナウィン(株)顧客向け冊子の編集部さん、ありがとうございました。日本語の『乱れ』【レ足す言葉】【サ入れ言葉】は、大人(祖父母・大多数の親・教師)子どもに教えてあげなあかんのでしょうね。それに対して、日本語の『揺れ』【ラ抜き言葉】は、金田一春彦氏の見解のように、日本語の『進化』につながるかも知れないと考えるなら柔軟に見守っていけばいいのでしょうかねぇ自身は基本的に【ラ抜き言葉】を使わないのですが、「来れる」(可能)には違和感を感じなくなっているのも事実です。


う~ん、迷うところです。まだ、やわらか頭じゃない私には判断がつきかねると言うか、【ラ抜き言葉】に揺らいで^^います。

関連ページ
子どもと向き合う学級づくり⑤【8月の教室】+【2学期初日の発問】【森毅さん名言】【若い先生の挑戦】【ラ抜き・レ足す・サ入れ言葉】【緊急メール配信】
http://sg2takaboo.exblog.jp/24898141/


by takaboo-54p125 | 2011-11-26 05:18 | 社会全般

保育士・教師のスモール・ステップ作戦(子どもとの向き合い方)
 らしんばん 6月号 ステップ1
 
はみ出しそうな子は保育・授業に巻き込みましょう


はみ出しそうな子は、立ち歩く子、じっとしていられない子、文句の多い子、学習が苦手な子など、どのクラスでも少なくありません。変に目立つことでアピールする子もいますね。どの子も自分を一番かまってほしいのでしょうね。


例えば、小学校高学年の算数の時間、教科書の文章問題は内容が味気なくて、魅力的な文章が少ないので、子どもがあまり集中しません。そんな時は、その場で文章問題を即興で創作します。ようするに、ラーメン屋さんに行って・・とか、マクドに行って・・とか、トイザらスに行って・・とか、誕生パーティーをして・・とか、ディズニーランドに行って・・とか、ニューヨークに行って・・とか様々です。
そこに、いろんな食べ物など、はみ出しそうな子も含めて、子どもたちが瞳を輝かせそうなものをからませた内容の文章問題を、即興で創作して板書するのです。
そして、文章問題の登場人物が5人必要なら、クラス中から希望を募って黒板に書き込みます。はみ出しそうな子らは、ほぼ全員乗ってきます。本人たちもけっこう楽しそうで、
「次の問題〔誕生パーティーで・・〕の登場人物になりたい人、6人」
と担任が言うと、
はみ出しそうな子も挙手をしてくれて、バンバン指名して、黒板に名前を書いてあげると、大喜びしてくれますよ。邪道としかられるかも知れませんが、他に方法のない状況のクラスもあるのです。もちろん、いつもって言うわけにはいきませんが・・。


カリカリしている子は自分が責められてると感じやすい


トラブル発生、先生の第一声のトーンは高くなります。教室の緊張感が高まり、関係ない子も、びびります。
「こら、どうしたんや」「何やってんのや」「なんでやったんや」
いきなりこう言われると、火に油、プチッと切れてしまいます。大きなトラブルを起こした当事者の子は、まだカリカリ・プンプンしている状態ですから、なおさらです。
「ぼく(わたし)だけが責められている」「どうせ・・・」
と思い込んで、よけい心を閉ざしてしまうでしょう。だから、メッセージは短く伝えます。
「どうしたん?」「何かイヤなことがあったんか?」「誰にイヤなこと言われたんや?」
その子なりの言いぶんを言葉で語ってくれ始めたら、興奮の沸騰状態は、とりあえずストップできるといったところでしょうか。あとは、個別にじっくりと聞いてあげてください。


保育士・教師のスモール・ステップ作戦(子どもとの向き合い方)
 らしんばん 6月号 ステップ2


教室で飼っている生き物との別れは、『いのちの学習』


小学校2年生の生活科、教室でザリガニを飼っていました。長い間飼っていると、こまめに世話をしていても、死ぬザリガニが出てきます。その度にお墓をつくってあげました。そのうちに、子どもたちから、
「かわいそうやで、川へ逃がしたろ」
という声が出て、ザリガニを川へ返すか、返さないかで話し合いました。最後まで、ザリガニを川へ逃がすことに反対していたのは、一番熱心に世話をしていたA男とB子でした。二人は、なかなか「うん」と言いません。そこで、先生は、
「ザリガニも自分の住んでた川で、すきに泳ぎたいと思ってるんとちゃうか」                                    
「A男もとB子も、自分の家が一番ええやろ。ザリガニかて、いっしょやで」                            
と二人を説得し、やっと二人が納得してくれて、川へ逃がしてやった日の日記です。


『前いえで1ぴきのメスのザリガニをとった。2しゅうかんしたらタマゴをうんでいた小さいタマゴをうんでいた。ほんで、あさ6じごろにおきていつも見ていた。うんだらどんな赤ちゃんがうまれるかなと、よるねるときも、ゆめの中でもいつも赤ちゃんのゆめを見ます。1しゅうかんたったとき、やっと赤ちゃんがうまれた。お母さんザリガニもニコニコしたように見えました。よかったと思いました。そしてB子ちゃんとザリガニとあそんだ。ぼくがつかんだとき、しっぽをパタパタとしました。水がかおにかかって2人でわらった。たのしかった。きょうザリガニをはなすとき、かなしかったからはなせなかった。とてもかなしかった。2回目バケツからとるとき、とれなかった。すごくかなしかった。なみだがでそうでも、はをくいしばって、なかなかったです。 A男』


A男は、入院生活の長かった子です。ザリガニを心から愛しんでくれました。


『きのうA男くんとザリガニとあそんだよ。ザリガニの水かえをA男くんとしたよ。たのしかったよ。A男くんといっしょにザリガニといっしょにあそんだよ。A男くんがザリガニのもちかたをおしえてくれたよ。A男くんとC子ちゃんでいっしょに、ひるやすみも水かえをしたんだよ。A男くんがザリガニのもちかたをおしえてくれたとき「ちっちゃいザリガニはやさしくもつんだよ」といってくれたよ。「大きいザリガニはせなかをもつんだよ」といってくれたよ。やさしくいってくれたよ。うれしかったよ。A男くんといっしょにザリガニとあそんだよ。ザリガニのおうちもかえてあげたよ。A男くんはザリガニをやさしくもってあげてたよ。A男くんは「ザリガニがすき 」といったよ。A男くんは大きいザリガニもやさしくもってあげてたよ。A男くんはすごくザリガニがすきだったんだよ。A男くんはだっぴをしてるザリガニはさわっていなかったよ。A男くんはやさしくやさしくしていたよ。たのしかったよ。いちばんたのしかったよ。A男くんはいいひとだったよ。うれしかったよ。  B子』


B子は、口数の少ない目立たない子です。A男の優しさを教えてくれました。


保育士・教師のスモール・ステップ作戦(子どもとの向き合い方)
 らしんばん 6月号 ステップ3
 
徒党を組んで、のし歩くグループができた時は


6年生男子の中に、学級を超えて(4学級)徒党を組んで、のし歩くグループができてしまいました。約10名で、なかなか手強いメンバーがそろっていました。全校の子どもたちもびびっていました。徒党を組む時の目つきも、日に日に険しくなっていきました。
「これは、なんとかしなければ」と、学年部の教師集団で話し合い、職員会議でもOKをもらって、『8513プロジェクト』というものを発足させたのです。つまり語呂合わせで、「はんごうすいさん」→「8513」という暗号です。グループのメンバーと学年の教師だけの秘密で、そのプロジェクトは進んでいったのです。6月のことでした。
  
このグループを飯ごう炊さんのリーダーに育てるぞ


まず、6年生全体160名で飯ごう炊さんをしたいが、どう思うか、メンバーの子らに昼休みに聞きました。中心メンバーの子らが
「暇やし、おもしろそうやで、やってもいいで」と乗ってくれました。さらに、
「きみたちに各クラスのリーダーになってほしいんや」と頼みました。すると、
「俺らでええのなら、やったるで。でも、やり方、知らんし・・・」と答えてくれました。
そこで、昼休みを使って、3週間ほどの取り組みを『8513プロジェクト』メンバーで準備することにしました。しばらくの間は秘密作戦ということで合意しました。
作戦会議をして、火起こし等飯ごう炊さんのノウハウを、教師がメンバーに伝授する。
→飯ごう炊さんの練習(2回おにぎり)で、メンバーはほぼマスターして自信をつける。
→学年集会で『8513プロジェクト』の提案をメンバーがする(学年のみんなも賛成)。
→メンバーが各学級で6年生全員に「プロジェクトだより」を配布しながら説明(6回)。


1学期最大の学年の取り組みとして、市内の近場のキャンプ場まで6年生160名が自転車で移動し、保護者の有志の皆さんや、教務部の先生方の協力も得て、なんとか無事に「飯ごう炊さんカレーライスづくり」は成功しました。(ホッ)
取り組みが進むのと比例して、『8513プロジェクト』メンバーの表情が和らいでいきました。この子たちはエネルギーを持て余していたのかも知れません。飯ごう炊さんのコツを各クラスの各班で説明する時の、彼らの顔は自信に満ちあふれ誇らしそうでした。
おまけは、メンバーの一人が「松ぼっくり」を拾ってきて釜戸に放り込んだことです。松ヤニの油で火起こしがスムーズにいきました。即、全メンバーに伝達、バッチリでした。
その後、あのグループ化は、何だったんだろうというぐらい、落ち着いていきました。


その数年後、6年生4学級のうち、1学級しんどい状況になった時は、この作戦を今度は1学級でチャレンジしてもらいました。気にしていた子らが輝く時間はつくれました。


保育士・教師のスモール・ステップ作戦(子どもとの向き合い方)
 らしんばん 6月号 ステップ4
 
学校・園のトイレでウンチをできる子がいないぞ!


学校・園のトイレでウンチをした子が冷やかされました
H君(2年)が昼休み、学校のトイレでウンチをしたら、同級生が3人いました。
「やーい、H君、ウンチしてた。ウンチ、ウンチ~」
と冷やかしました。
知らせを聞いた担任の先生が、3人を指導しました。でも、H君の心は晴れません。
5時間目、担任の先生は教室で、
「ウンチしない人はいない。ウンチをしなかったら・・。キムタクも・・・ウンチするで。」
と、ウンチをすることの大切さを話しました。そして、二つの日記を読みました。


『 がまん(2年男子)


学校の帰りにあるいていたら、ウンコがしたくなった。がまんしてはやあるきで帰った。おならもしたくなって、おならだけした。ウンコはしなかっ た。でも、ウンコがもれそうになった。ぼくはいそいで、はしって帰ったよ。いえに ついて、うんこをしたらすっきりした。』


『 ウンコ(6年男子)


給食のあと、ウンコがしたくなった。学校がおわるまで待ってよ と思った。待っていた。したかった。帰る時、「ウンコしたい」と、I君に言った。走って帰ろと思った。I君も走ってきた。にげたら、こけた。走ったら、よけいウンコがしたくなった。こけた所もいたいし、ウンコもしたかったので、たまらなかった。家についた。やっとできると思って、便所のドアをあけた。すぐウンコのかまえをした。でも「ブリッ」と、おならの音がしたら、ウンコがしたくならないようになった。おならやったら、学校でしたらよかった。』


学校・園でウンチをする子がいないのは、冷やかされることと、家のトイレが洋式で和式トイレがイヤだという、二つの理由があるようです。


2年生4学級では朝の会で【おはスタ】『デカいの体操』をしました。どのクラスも、ビデオを見ながら楽しくできました。
「デカいの体操、和式トイレをこわがるな~」
「ドアあけて ドアしめて 便器またいで ねらいをさだめろ ロックオン」
「いくぞ~」「ぬいで~」→「ぬいで~」「しゃがんで~」→「しゃがんで~」
「ブリッと~」→「ブリッと~」「ふいて~」→「ふいて~」 
「はく~」→「はく~」「しっかりながして~」「しっかりながして~」
「バイバイコーン」→「バイバイコーン」
「手を洗うのも忘れるなよ」
「それじゃ いくぞ~ せえの」→「学校でデカいのしてわるいか~」


子どもの言いぶん「先生、そんな言い方しないで」


図書館で『先生、そんな言い方しないでください』という本に、目がとまりました。小4~中学生~高2の子どもたちの生の声と実体験を集約されたようです。一部、紹介します。


・いつもの授業を大切にして!(授業参観や研究授業と同じレベルの授業は?)


・遅刻した生徒には、まず「何かあったか?」と気づかって!(いきなり頭ごなし?)


・前にいた学校(学年)の成績と比べて、ぼくらをけなさないで!(へこませたいの?)


・一部の生徒にウケるからって、生徒(特定の子)をからかわないで!(泣いてるかも?)


・生徒が用事を引き受けてくれたら「ありがとう」ぐらい言おう!(役に立ったの?)


・採点ミスを生徒が言ってきたら、気持ちよく対応して!(見るより先に疑いの言葉?)


・「いじめられてる」と訴える生徒には、とにかく話を聞いてあげて!(「後で」なの?)


・部活の試合で負けても、生徒に感情をぶつけないで!(一番くやしいのは、先生なの?)


・生徒の呼び方には、差をつけないで!(嫌われてる?ひいき?誤解の元になるのでは?)


・「おまえのせいで」とは、どんな時でも言わないで!(ぼくってクラスの邪魔者?)


・上級生やこわい先生をダシにして、しからないで!(おどしているの?)


・「この問題は、できて当たり前」と、軽く流さないで!(できて喜べた子の気持ちは?)


・授業に遅れて来たら、まず理由を説明して!(そのひと言がなくて、尊敬できますか?)


・保健室に行きたいという生徒を疑わないで!(体や心がつらいのに、信用できないの?)


・生徒の質問に答えられなかったら、いつ答えるか約束して!(他の話でごまかすの?)


以上、ぱっと目にとまった言葉を抜き出してみました。小学校4年生から高校生までと書いてありましたが、上記の15個のお願いのうち、13個は中学生からのお願いでした。他山の石として、お互いに、わが身をふり返ってみましょう。そして、ハッと気づくことができた先生は、教師として成長していけるはずです。安心感と信頼感のある教師として。


技術で持つのは最初の10分だけ


以前、三谷幸喜さんが新聞の連載で、女優の吹石一恵さんについて、次のような文章を書いておられました。


『‥本番でもセリフは飛ばすわ、出番を間違えるわ、自由自在。初舞台だから大半のことは大目に見るつもりではいるが、初日のカーテンコールの時、決められた方向と逆に、1人だけ平然と去って行った時は、さすがに頭を抱えた。だがその度に、楽屋に戻ってきて落ち込む彼女は、とてもチャーミングだ。


舞台上で必死に演じる彼女を見ていたら、


役者が技術でなんとかなるのは最初の10分だけ


という、つかこうへいさんの言葉を思い出した。結局、観客は俳優の人間性を見るのである。その人がどんな風に生きてきたか、舞台で物を言うのは、そこなのである。舞台女優としての吹石一恵さんは、経験もないし、芝居だってまだまだ粗っぽい。それでも彼女は光り輝いている。「演じる」ことにひたむきな彼女の姿が、観る者の心をつかむのだろう。


池袋の芸術劇場での千秋楽。3週間近い公演を終えた彼女は、さすがに慣れてきた様子だった。お客さんの前で深々とお辞儀をする姿には、長年舞台をやってきたような風格さえ漂っていた。と思ったら、袖に戻る時、ぞうりが脱げてしまうという、あり得ないハプニング。やはりあくまで吹石一恵は「新人大女優」なのです。』


私は、舞台が教室、本番・「演じる」が保育・授業、楽屋が職員室、吹石一恵さんが新米先生、俳優・女優が教職員、観客(観る者)・お客さんは子どもたち、などなど、ついつい学校・園に置き換えて、読んでしまいました。


水泳(平泳ぎ・クロール)教師の助言


遠泳の指定校もそうですが、例えば、小学6年生の子どもたちを全員、この夏で1000m泳げるようにするには、やはりクロールよりも平泳ぎだなと、改めて思います。新任の小学校が、そういう取り組みをしていたからかも知れません。水泳の基本は、脱力できるかどうかで決まります。うまく脱力できない子にはバタ足・クロールよりも、平泳ぎの方が楽しく習得できると、私は思います。むろんクロールも、郡市の水泳記録会の200mリレー優勝を、ひそかにねらう高学年部教師集団でした。ちなみに、自分自身も週末に1000m泳ぐのを続けると、週明けも体が軽く感じました。


さて、子どもたちの平泳ぎです。まず、「蹴伸び」で、首の力を抜いて、フワーッと「伏し浮き」ができるようになれたら、第1関門突破です。
首の脱力ができたら、体のこわばりがなくなり、うまく浮けるようになるからです。水に浮いているという感覚が楽しくなります。
次は、「ひとかき・ひとけり」のワンストローク、ワンキックのリズムを体で覚えるまで、くり返し練習します。(1回だけです)そのまま「ひとかき・ひとけり」「伏し浮き」を1回して数m進めたら、第2関門突破です。水に浮いて進んでいる感覚が楽しくなります。
ここまで来たら、第3関門は「息つぎ」です。
手で水を押さえながら、そうっとゆっくり顔を水面ぎりぎりに上げて「息つぎ」をするのが、足が沈まないコツ(体が沈まないコツ)です。はやく息つぎがしたくて、勢いよく顔を水面から上げると失敗します。体が立って、上半身がブレーキになるし、足も沈んでしまいます。こうして、ゆったりした「息つぎ」「ひとかき・ひとけり」の後、フワ~と「蹴伸び・伏し浮き」をして数m進んで、2回目の「息つぎ」をするイメージで、落ち着いて、すーっと立ちます。あせらず、これをマスターすることが大切です。
この「息つぎ」と「ひとかき・ひとけり」のタイミングがわかってくると、プールの横が泳げるようになり、25mも泳げるようになります。水に浮いて泳いでいる感覚が楽しくなります。
息つぎ」「ひとかき・ひとけり」の後の「伸び」の姿勢がゆったりとできるようになれば、無駄な「りきみ」が消え、さらにターンして、50m、100m、200mぐらいまで泳げるようになります。泳げる距離が伸びるのが楽しくなります。                              
あの頃は、できれば全員が5年生で、ここらへんまで到達するのが目標でした。これも、低学年から学年ごとの目標を積み上げる学校ぐるみの取り組みがあればこそ、だと思います。低学年・中学年で、脱力した「蹴伸び・伏し浮き」をしておいてくださったことに、感謝です。


そして、6年生の目標は全員1000mです。
200mを越えると、途中で体が重く感じたり、息が苦しくなったりします。                                   
でも、それを乗り越えると、体が軽く感じるようになります。
そうすると、不思議ですが、息も楽になるのです。
その一番の力になるのが、クラスの仲間たちの声援です。
プールの両側にある飛び込み台の所で
「もう何百mまで来たでー」
「あと何百mやでー」
と数えてくれる子が、それぞれ待ち構えています。そして、プールサイドを伴走というか歩きながら、
「あと何mでターンやでー」
「あきらめたらあかーん」
「応援してるで、がんばりー」
と、ひたすら声をかけ続ける子らがいます。そして、ラスト25mは、カウント・ダウンの大合唱です。
そして、男女関係なく、1人が1000mをゴールする度に、みんな自分のことのように喜んでプールに飛びこみます。
こうして、クラスの仲間の声援に後押しされて、全員が1000m泳ぎきることができました。そこに到達するまでの2年間の道程を書いてくれた教え子の日記は、今の私にとって、大事な大事なタカラモノになっています。(子どもの可能性は無限大だと実感!子どもの内に秘めた可能性を信じてよかった!)
ただし、時数なんか関係なしで水泳をしていた、昭和の終わり頃の出来事です。                                  
もちろん、全員が最後までプールサイドで応援できたわけではありません。                                          
3・4時間目の時は終わりのチャイムが鳴ると、給食当番だけは準備に教室へ戻りました。そして、教室の窓から声援してくれていました。
級友の1000mゴールの場面にいられなかったことについて、うれしい文句も言われました。
今は、時数カウントが厳しいので、残念ながら、こういう取り組みはできなくなりました。


ほとんど過去形ですが、アンダーラインを引いた6か所は、今も昔も同じではないでしょうか。


それらをまとめて、「平泳ぎのポイント」①~⑥(教師の助言)


①「壁をけって、伏し浮きのように十分のびをとろう」


「首、肩、手首、ひざ、足首の力をぬくと(脱力すると)、体がプカ~と浮いてくるよ」


②「プカ~と浮いてきたら、腕をななめ下へ丸く、水を押さえるようにゆっくりかきながら、静かにあごを突き出してみよう」


「そうっと顔をあげていき、水面ぎりぎりに、口を出すんだよ。勢いよく顔を水面に出さないのがコツです。そして、息つぎは、強く、短く、一気にしよう」


③「その時、脱力したまま、両足のかかと同士を近づけるように、ひざをまげよう。つま先は外側に向けて、かかとをお尻の近くにもってくるんだよ」


「これが、あおり足(ドルフィンキック)にならないコツです。しかも、ひざを曲げすぎないためのコツなんだよ」


④「手足のタイミングは、腕をかき始めるのが先で、それから足をまげ始めよう」


「息つぎは、腕をかき始めた時にするんだよ。丸くかいた両腕を胸の前(真下)にそろえた時に、足もひきつけていたらOKで、息つぎが終わる時だよ」


⑤「足をける時は、かかとから押し出すように、足の裏で水を後ろへけろう」


「力強くけりながら顔をおでこから水につける感じで、腕も顔の前(真下)で前方へ伸ばそう。手のひらを合わせながら、という感じだよ」


⑥「手を前方へ伸ばす時が足を後方へける時だよ。両足で水をはさむ感じで、両ひざをグッと閉じて、足首を伸ばそう」


「前方の手から後方の足まで、体が一直線(首の力をぬいて)になるとグイッと進みます。そして、体が浮いてきた時が、次の息つぎをするタイミングになるんだよ」


平泳ぎはクロール以上に、キックが推進力の中心になるのが特徴です。


水泳は、いかに脱力できるかが浮力につながりますから、自分の泳ぎ方をイメージできるようにしてあげることです。クロールを泳ぐためにも、まず大事なのは、け伸び&伏し浮きにおける脱力です。そのことは、平泳ぎのところで書きましたから省略します。


クロール:うでの動作のポイント(教師の助言)


「親指から水に入れよう。4本の指は軽くつけて、親指は離してもいいよ」


「遠くの水をつかんで、おなかの下まで引っぱってきて、太ももの方へ速く押すイメージで。前半は、あわ(空気)をかかないように、後半は速く、力強く」


「体(顔~胸)の下の水を、うで全体で後ろへ押すイメージで、かこう」


「前の方の遠くから、後ろの方の遠くまでを、しっかりとかく、大きな泳ぎをしよう」


「水着の下の太ももの外側に、親指がさわるぐらいまで、かき切ってから、手をぬこう。かき終わった時、手のひらは上を向いていて、手のひらと、ひじを、いっしょに水からぬこう」


「うでを前へ運ぶ時は、ひじを高く上げて、ひじから先は力をぬこう。そうすると、指先は水面近くでダラ~ンとなり、手のひらは後ろを向いていて疲れないよ」


クロール:息つぎのポイント(教師の助言)


「うでをかき終わって、手のひらと、ひじを、水からぬいた時に、肩が上がります。その瞬間に、顔も斜め後ろを向いて、息つぎを、素早く、力強くしよう」


「肩が上がる動きと同時に頭(顔)も回したら、あごを引く息つぎができるよ。そうすると、足がしずみません。息つぎをするのが一瞬遅れると、あごが上がって、足がしずみ、体が立ってしまうよ」


「息つぎの瞬間、自分の顔より後ろのほうに、ひじが見えたらOK。息つぎで、ひじが顔の上(横)に見えたら、息つぎのタイミングがワンテンポ遅すぎるんだよ。このタイミングが遅すぎると、誰でも、あごが上がってしまいます」


クロール:足の動作のポイント(教師の助言:長い距離)


「バタ足は、自然に動く程度で、足首で水を打つつもりでやろう」


「ひざをピーンと伸ばしたままだと、すぐ疲れます。ひざを曲げすぎると、空気をけって進みません。足のかかとが、わずかに水面に出るぐらいでいいよ」


「太ももも動かしながら、ひざをやわらかく使うイメージです。両足の親指同士がこすれるか、こすれないか、という感じでキックしよう」


あとは、忘れました。手の動き、足の動き、手と息つぎのタイミングなどを、陸上(プールサイド)でイメージさせて、やらせてみるのも効果的です。



関連ページ


子どもと向き合う学級づくり④【7月の教室】+【格言5つ】【安心感あふれる教師のひと言】【水分補給依頼文】

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子どもと信頼関係をつくる、子どもとの「信頼関係」を取り戻す

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by takaboo-54p125 | 2011-11-07 11:36 | 保育・教育

この夏に大津プリンスホテルを会場として開催された「学びの共同体(協同的な学び合い・聴き合う学び)」の授業セミナーに参加した先生が、「全国からの参加者は多いのに、地元滋賀県の参加者が少なかった」とこぼしておられました。(実践校が他府県より少ないから仕方ないのです)。それなら、滋賀県の小学校教育の歴史を、部分的にですがふり返ってみます。


昭和の頃、滋賀県の小学校の教師たちは、さまざまな教育研究サークルで、実践を自主的に交流して切磋琢磨していました。どのサークルも土曜日午後(午前は課業日)などに集まり、子どもたちのために自分の実践力を磨こうと、一所懸命な教師(先輩)たちがたくさんいました。私は、2つのサークルをかけ持ちしていて、「二兎を追う者は一兎をも得ず」でした。


その1つに、群馬県の小学校長であった斉藤喜博氏から学ぶ「教授学研究の会」の流れを汲む「国語教育を学ぶ会」がありました。


斉藤喜博氏は著書の中で、教師がドキッとする指摘をよくされていました。例えば


『教師がわかりきったことを問う。子どもたちが「ハイハイ」と挙手する。そして誰かが指名されると「あの子まちがえばよいのに」と思ってしまう。教室正面には、「みんななかよく」などと掲げながら、実際にはそれと反対の「教育」を、こういう授業によってやっている』


「国語教育を学ぶ会」では、三重県の石井順治氏が会長の時、たしか副会長は滋賀県の先生だったような気がします。(間違っていたら、すみません)


そして、当時としては、画期的な取り組みだったと思いますが、昭和60年前後に豊郷小学校が自主的な公開授業研究会(全学年)を、数回されました。まさに、そこでは、どの学年・学級でも、聞き合い、響き合う子どもたちの姿がありました。同様に、そんな子どもの発言・つぶやきを切り捨てないで、つないでいく教師たちの姿がありました。その結果として、声のものさし、ハンドサイン、聞く姿勢などの形式的なルールを必要としないで、生き生きと授業に向かう学級の姿がありました。研究会には、「国語教育を学ぶ会」の盛んな兵庫県の氷上正氏、田村省三氏、同じく盛んな三重県の石井順治氏が実践家の立場で、三重大学の佐藤学氏が研究者の立場で、助言者として参加しておられました。


そんな昭和60年前後から、「国語教育を学ぶ会」の土曜日の月例会でも、


子どもたちの疲れや悲鳴のようなヘルプ・サインを教師が受けとめるならば、授業のあり方も考え直す必要がある・・


そんな子どもたちが心も体も安心して学べるために、授業の根幹を変えることを、私たちは挑戦しなければならない・・


といったような主旨のことを、実際の授業記録を元に、論議・模索されていたような記憶があります。


そして、何度も、東京大学の稲垣忠彦氏、宮城教育大学&演出家の竹内俊晴氏、詩人の谷川俊太郎氏などを講師として招きながら、「国語教育を学ぶ会」は時代時代の子どもの姿の変容と共に、進化(深化)していったのではないでしょうか。


佐藤学氏は三重大学教育学部で学生に教えながら、小学校現場における授業で、国語でも音楽でも体育でも斉藤喜博氏が到達された領域まで自らの実践を極めて、その後、東京大学へ転任し、稲垣忠彦氏と共に授業研究をさらに深められました。                         


その稲垣忠彦氏は、学校現場の教師たちに寄り添うためであろうと私は推測しますが、滋賀大学教育学部に自らの希望で転任して来られ、滋賀県の学校現場の教師たちの授業を支援することに力を注がれました。


佐藤学氏も、後日、著書の中で、次のように述懐されています。


『私は「すぐれた授業」「すごい授業」ばかりを追い求めていた(中略)研究者としての私が追うべき責任は、授業実践の頂点に立つ教師たちの後追いではなく、日々、混乱と困惑の中で苦闘している 圧倒的多数の教師たちの実践への協力である。(中略)私は根本において間違っていた。「すごい教師」を探し求めるのではなく、日頃接している1人ひとりの教師の「花」を探り当て、その「種」に学ぶべきだったのである。』


こうして佐藤学氏は、共に手を携えてきた石井順治氏らの実践家の方々と「学びの共同体(協同的な学び合い・聴き合う学び)」を提唱し、子どもも教師も疲労している学校現場こそを、授業改革という視点から支援してこられたと、言えるでしょう。それを同じ東京大学の秋田喜代美氏が幼小連携でも共鳴されるなど、「教え合い」から「協同的な学び合い」「聴き合う学び」への転換をしようとする学校が、全国で今、網の目のように広がっています。これは、一時的なブームというより、現在進行形の、新たな学校改革(授業改革)の潮流と言ってもいいのではないでしょうか。


そういう流れを見ると、滋賀県の教師たちが取り組んできた学校現場には、「学びの共同体(協同的な学び合い・聴き合う学び)」の源流のひとつがあった、と言っても過言ではないと思います。それは、どんな授業改革も、1人ではなく学校ぐるみで取り組むことで、初めて成果が出るという事実を、全国の教師に見てもらったことでありました。それは、学級づくりが先にあるのではなく、授業づくりこそが学び合う仲間と、学級をつくっていくという事実を、全国の教師に見てもらったことでもありました。以上、その場に参観者として居合わせた者の、断片的な記憶です。


余談


なお(余談です)、「学びの共同体(協同的な学び合い・聴き合う学び)」とは全く関係はありませんが、よく似た名前をつけた『・・・・スタートブック』という本は、いわゆる、手引き書・マニュアル本・ハウツー本などと呼ばれる類の本でした。偏見だといけないので、詳細に読んでもらった5名の教師で一致した見解です。


念のため、ひととおり読んでみたところ、「学びの共同体(協同的な学び合い・聴き合う学び)」に関わってきた研究者・実践家の人数や、長年、全国の実践校で試行錯誤して積み上げてきた内容と比べて、質・量ともに比較にならないほど、うすっぺらいものでした。「学びの共同体(協同的な学び合い・聴き合う学び)」の実践校では、「教え合い」をやめて「協同的な学び合い」「聴き合う学び」への転換することを、学校ぐるみで実情に合わせながらあれこれ創意工夫し、同僚がお互いに学び合って実践されているのが、共通した特長です。


しかし、この本では、「学び合い」と言いつつ、「教え合い」を推奨しています。また、クラスの成績が上がる、特別支援の必要な子が気にならない、教師がラク?になる等、効果?が出ることを、明言しています。小中学校の指導案が15例のっていましたが、いずれも、手立ては同じで、「みんなで相談しながら、やってみよう」となります、と書いてありました。


子どもたちの様々な課題と向き合いつつ、授業に取り組んでおられる現場の先生方の日々のご苦労が、こんなワン・パターンな手法で、解決できるとは思えません。中でも、評価規準を子どもに知らせる、全員がわかることを徹底的に求める、立ち歩いて友だちに聞くこと・教えることを奨励する、グループづくりは子どもに任せる、などが授業のコツだと書いてありますが、はなはだ疑問を感じます。かえって、担任も子どもも混乱させてしまうだけで終わる・・・と思いつつ、読みながら率直に感じたままを言います(買うんじゃなかった)。


この手引き書は役に立つとは思えませんが、全国の公立校でも、国立大学附属の7校でも、アジア各国の学校でも、積極的に取り入れている「学びの共同体(協同的な学び合い・聴き合う学び)」の入門書なのか?と、勘違いしないように、くれぐれも気をつけましょう(美辞麗句の宣伝文句には要注意!)。


今秋


さて、昨年秋、5クラスの授業を参観させてもらった彦根西高校には、今年の11月(公開授業研究会)も、授業を観せてもらいに行きたいと思っています。もし昨年と同じ日程になるなら、金曜日の午後になるのではないでしょうか。昨年は確か、全クラス授業公開の後、研究授業、授業研という流れでした。私は都合で、全クラス授業公開(5校時)だけの参加でした。


開催日が決まったようです。11月18日(金)午後です。私も、さっそくEメールで申し込むとしましょう。

関連ページ
「協同的な学び合い(聴き合う学び)」⑤『教師の話し方・聴き方:ことばが届く、つながりが生まれる』(石井順治氏の基本「ケア」の心)
http://sg2takaboo.exblog.jp/24898388/                              


by takaboo-54p125 | 2011-11-05 05:59 | 保育・教育