黙って出勤して、黙って退勤する人のことが話題になるようになりました。


以前と比べて、会社でも、工場でも、役所でも、職場に、出勤した時にも黙ったままいつの間にか来て、退勤する時にも黙ったままいつの間にか帰って行く若者が目立つようになってきたと、40代、50代の人たちからグチを聞くようになりました。出退勤入力をしながら言えばいいだけなんですけどね。じゃあ、学校はどうかと思い、聞いてみました。なんとびっくり、規模の大きい学校ほど、そういう傾向はあるようです。風のように、すうっと去って行くのは、いかにも味気ないですよね。


子どもたちに教える立場の人が、これではちょっと困ります。コミュニケーション力「伝え合う力」が重視される職場ですから、なおさらです。朝、職員室に入った時に、「おはようございます」を言えない人が、あいさつすることの大切さを子どもたちに教えられるはずがありません。そういう先生の建前のお説教なんか、子どもたちに一発で見抜かれてしまいます。同じ職場の仲間なのですから、自分の方から先にあいさつできる先生でありたいものです。


「おはよう」は人間関係をつなぐ大事な「始めの1歩」だと思います。帰りは、同僚より先に帰るなら、「お先に失礼します」とひと言だけ言えばいいのです。先に帰る同僚から声をかけられたら、「お疲れ様でした」と応えたらいいのです。これだけで、職場の潤滑油になるのですけどねぇ。それだけのことでも、気をつかわないと言えない段階にいるのなら、条件反射的に言えるようになるまでは、人生の修行だと思って実行しましょう。きっと、あいさつって気持ちよくできるものなんだなあ、と実感できるようになりますよ。


ついでですから、出張に行く時も、「クラスのこと、よろしくお願いします」と言う担任は多い(それでも全員ではありません)のですが、出張の翌朝、「昨日は、クラスのこと、お世話になり、ありがとうございました」と言う担任は、さらに、その半数ぐらいでしたね。もちろん、それを言ってもらうために、自習を見に行っているのではありません。子どもたちのために行っているのです。でも、これって気持ちですよね。担任不在の翌朝、そういうあいさつをすると、必ずよいことがあります。子どもの固有名詞も出てきて、ほめる材料を先生方からもらえることが多々あるからです。お礼を言うことで、昨日のクラスのよかった点を、言ってもらえるのです。お礼のひと言も、決して損はしません。さっそく朝の会で、子どもらに昨日のことをほめてあげられるじゃないですか。


by takaboo-54p125 | 2011-05-30 05:01 | 社会全般

どの学級担任も毎日心がけること


◎子どもに担任の指示が入る(信頼関係をつくる)ための言葉のキャッチボールに、工夫「直球」か「変化球」か、「速い球」か「ゆるい球」か)をします。
声の大きさも、小さいめの方が効果的です。
考えさせたいところでは、意識的に間(ま)をとります。


◎話を聞く子どもに育てたいなら、子どもが聞いてほしい時、担任にしゃべりかけてきたら、ノートの丸つけの手を止めて「言いに来てくれてありがとね」が基本です。                                    
目と目を合わせるのが大事です。


◎とりわけ1~3年の子どもの話を聴いてあげる時は、ひざをついて、目線を子どもと同じ高さにします。
4~6年も同じですけど。


子どもらが授業に集中できるため意識すること


◎クラスの子どもたちが授業に集中できない原因を子どもに求めると、悪循環になります。
「だんどり」と柔軟な「とっさの対応」を教師間で日々、情報交換して共有します。


◎子どもの気持ちを受けとめるだけではダメで、スモールステップを与えて、お手伝いや掃除などを一緒にやって、「ありがとな」「たすかったで」とほめることの積み上げを日 々積み重ねます。


◎作業(朝自習も含めて)の課題が早くできた子が、次に何をしたらいいかの指示を、明確に板書しておくことも大切です。
どの子も黒板を見れば、わかるからです。
例えば、①②できた人は③か④。
出張の時の自習計画を見たら、担任がそういう配慮をふだんからしているかどうかが、 教務部にはバレバレです。


学年教師集団(学年部)で意図的に取り組むこと


◎朝の会、休み時間、給食準備、掃除の時間などに、学年の教師が自分のクラスへ行く時ちょこっと他の教室をのぞいて、声かけ(ほめること)をし合います。                                                                                         
学年の子どもたちを、学年の教師みんなで育てるためです。


◎もちろん出張・年休で、担任が不在のクラスの自習も補教に入る教務部まかせにせず、自分の教室へ行く時、ちょこっとだけ担任不在の教室をのぞいて、具体的にほめます。それをメモして担任の机上に置いておきます。
それで翌日、出勤してきた担任が再度クラスの子どもたちをほめることができます。                                                      
それが、学年部のチームワークにもなっていくのです。


◎学年集会等で学年主任が語っている時の、他の担任の位置とリアクションが、学年の教師集団に対する、子どもたちの信頼感のバロメーターになります。もちろん、しゃべる役は、事前に学年の担任全員で役割分担し、学年主任1人で全部しゃべらないのが原則です。
若い先生にも、どこかで学年全員の前に立ち、しゃべるチャンスをつくります。                                                 
子どもたちにとって、担任の先生が学年集会等で前に立ってしゃべるのは、誇らしい姿だからです。


【明日から、週明けからできる「信頼関係づくり」】


あちこちのページで紹介した具体策「クラスを何とかしたい」(じゃあ明日から、週明けから、いったい何から始めたらいいのか)を、


イジメをなくす教室の雰囲気づくり【安心感あふれる教室に変える手立て①②③④】

http://sg2takaboo.exblog.jp/24898386/


イジメが起きないクラスの空気づくり(しなやかな担任の役割4月~3月)

http://sg2takaboo.exblog.jp/24898387/


に集めて、まとめてみました。よかったら、ご覧ください。


by takaboo-54p125 | 2011-05-29 05:08 | 保育・教育

「モンスター・ペアレンツ」の次は、「ヘリコプター・ペアレンツ」ですか。ネーミングが上手ですね。コピーライター顔負けです。でも、親と学校・園は、子どものためには手を結ぶのがどれほど大事かということを思うと、「モンスター・・・・・」という呼び方を、学校・園の先生方は安易に使わない方がいいです。その理由は先入観言葉と言うか、親と先生の溝を深める差別的な言葉だからです。私は使いたくありません。


では、「ヘリコプター・ペアレンツ」とは、どんな親なのでしょう。ヤフー辞書には次のような説明がしてありました。


『略称は「ヘリペア」。アメリカで生まれたことばで、大学進学で実家を離れた子と頻繁に連絡を取り合い、我が子に不利益が生じれば大学へ乗り込んでクレームをつけ、就職試験にも付き添うなど、子離れできていない、過保護、過干渉の親をさす。


まるでヘリコプターに乗って上空を旋回しながらいつも子供を見守り、何かあると急降下して子供を救おうとするような様子から、この名がついた。日本におけるモンスター親と似ているが、モンスター親はおもに幼稚園や小学校などの初等教育の場に多い。


これまでアメリカでは大学生にもなれば家を出て自活し、学費もアルバイトをして自分で払うのが一般的だったが、ベビーブーム世代の親は我が子との関係が濃密で、子が大人になってもその関係を変えることができず、大学生活や就職活動にまで口をはさんでしまうようだ。』


以上です。グー・ニュースには次のような説明がしてありました。


『「いってらっしゃい。今日は忘れ物ない?ハンカチとティッシュと携帯電話とランチ代、そうね、あとこれ後期の履修登録票。午前締め切りの論文もやっておいたから、単位は大丈夫よ。あら、今日はバイトなの?じゃあしょうがないわねえ、お母さん大学行って届けてくるわ。ついでに就職活動の説明会も行ってくるから」


何かおかしいようだけれど、これ、いつもの朝の風景。お母さんはお子さんの代理で、連日大忙し。なのに、肝心のお子さんときたら、バイト・遊びに夢中で学業はほったらかし。決して安くない学費、ああ、一体誰のために払っているんだろう・・・。


モンスターペアレント、という言葉が少し前に話題になりましたが、今回は過保護な親、ヘリコプターペアレントのお話。ヘリコプターが頭上を旋回するようかのように、子どもの世話をあれこれ焼きたがる親をさす言葉で、アメリカで社会問題化しているのだとか。それも、いい加減自立して良い年頃の子を持つ親のこと。


この問題、冒頭にある通り、どうやらアメリカに限った話ではなさそうです。何か問題が起こっても、横からすぐに助け舟。お小遣いが底をついた、卒業単位が取れない、就職できないかもしれない・・・そんなときのドラえもんならぬ、お母さん。未来の道具はなくとも、あらゆる手段で危機を回避。僕の人生、前途洋々、頼りになるお母さんが旋回している限り。


そんなお子さんも、やがては就職し、自立しなければならないときを迎えるはず。そうなったらもう、全てが自己責任。職場でのトラブルにまで、お母さんが助け舟を出すわけには行きませんから。とは言ってもなお、手を出したくなる親心。
 「今日も遅刻なの?しようのない子ね、車で送っていくから」
 「すみません、うちの子熱がありまして・・・」
甘いですよ。お子さんが会社で「シュガー社員」なんて呼ばれないように、今のうちから脱ヘリコプターペアレント生活、始めましょう。』


以上です。産経ニュースには、さらに詳しく、次のような説明とコメントが載っていました。


『米国で「ヘリコプター・ペアレント」と呼ばれる過保護な親たちが、社会問題化している。もう大人にならなければいけない年頃の大学生の子供に、頭上を旋回するヘリコプターのように寄り添い、トラブルが起きたら“介入”してくる親のことだが、実はこうした保護者は日本でも珍しくない。モンスターペアレントを超える「ヘリコプター・ペアレント」の“出現”に、専門家は「大学生が自分で考え、決断する力が衰えるなど、悪影響が出ている」と警鐘を鳴らしている。


「ヘリコプター・ペアレント」という言葉は1990年、米国人医師のフォスター・クライン氏が、教育書「愛情とロジックのペアレンティング−子供に責任を教える」の中で使ったのが最初といわれる。


教育問題に詳しい大阪大学大学院の小野田正利教授によると、米国では、子供の大学の講義の内容に抗議させる親のケースなど、さまざまな問題行動が報告されているという。


「日本では、ヘリコプター・ペアレントという視点で行われた統計や調査は見あたらないが、日本の大学にも“出現”している」小野田教授はこう指摘する。


講義を休んだ子供に代わって、大学生のふりをして補講を行うようファクスで依頼する保護者。第2外国語で選択するべき言語を子供に代わって問い合わせる母親。いずれも、日本の大学で確認された実例だ。風邪をひいた学生に教員になるための教育実習を休ませると、保護者が大学に「子供の将来をつぶす気か」と電話してくるケースもあるという。


小野田教授は「はっきりとはいえないが、ヘリコプター・ペアレントの子供は親への依存心が強くなり、自分で判断することをあまりしなくなる」と、その弊害を分析する。


実際に、大学生の親に対する依存心の高さを示す調査結果も出ている。ベネッセ教育研究開発センターが約4000人を対象に実施した平成20年10月の「大学生の学習・生活実態調査」では、「困ったことがあると、保護者が助けてくれる」と思っている大学生は、全体の42%に上った。


厳しい“受験戦争”を勝ち抜き難関大学に入学した学生の親たちに、息子や娘の大学生活への思い入れは、顕著にみてとれる。


最近の有名大学の入学式では、保護者の出席者数が多すぎて、会場に収容できず入場制限するケースが続発している。都内の難関有名私立大では、保護者席を学生の3・5倍分用意したり、式を2日間にわたって実施して対応したりしたケースもある。父親が手にしたビデオカメラで子供を撮影し、さながら小学校の運動会のようなシーンもよくみられる。東京大では平成20年度の入学式で、祝辞に立った建築家で特別栄誉教授の安藤忠雄さんが「自立した個人をつくるため親は子供を切り、子は親から離れてほしい」と双方に自立を促す一幕もあった。


ただ、こうした親たちの行動は、子供にしっかりと勉強してほしいという切実な思いの表れでもある。多額の授業料や仕送りなどの生活費を負担しているのも、多くの場合は親。一括(ひとくく)りに「過保護」と決めつけるわけにはいかない。小野田教授は「子供を大切にしたいという親の気持ちは悪くない。しかし、学ぶのは学生。保護者はアドバイスをするだけというシンプルな考えに立ち返る必要がある」と訴える。』


以上です。親が成人するわが子にしてやれる役割を勘違いしたくないものです。「ヘリコプター・・・・・」とは、子育てではなく、お世話をしてきた結果の姿です。幼児の頃から、ずっとお世話だけしていると、こうなるのでしょうか。わが子を一生、お世話できるはずがありません。  だって、順番から言って、先にお迎えが来るのは、親なのですから。というとこは、お世話だけしている親は、わが子に対して無責任な関わりをしていることになるとも、言えるでしょう。


日本理化学工業・会長さんの言葉「4つの幸せ」


日本理化学工業と言えば、チョークを作っている工場で、知的障害者を積極的に雇用している会社だということは、以前、テレビで見た記憶はありました。
今日、養護学校高等部の進路説明会で、最初に校長先生のあいさつがありました。
校長先生は、知的障害者雇用を導入された日本理化学工業の大山泰弘会長の著書を持っておられました。
そして、次のような話をしてくださいました。
「大山泰弘さんは、ある時、禅寺の住職に質問をして、人の幸せは物やお金ではないことを教えられたそうです。
大山さんは、その教えを、会社の敷地内に立てた「働く幸せの像」に刻まれました。                                         
『導師は 人間の究極の幸せは、
 人に愛されること、
 人にほめられること、
 人の役に立つこと、
 人から必要とされること、

 の四つと言われました。
 働くことによって愛以外の三つの幸せは得られるのだ。
 私は、その愛までも得られると思う。   大山泰弘』


これがクラスなら、
 担任に愛されること、
 担任にほめられること、
 担任の役に立つこと、
 担任から必要とされること、

が、子どもたちの幸せです。これが、担任+友だちなら、チョー幸せです。                                                           
どうか、クラスの子1人ひとりを頼りにし、スモールステップを与え、ほめてやってください。


これが家庭なら、
 親に愛されること、
 親にほめられること、
 親の役に立つこと、
 親から必要とされること、

が、わが子の幸せです。これが、親+家族なら、チョー幸せです。                                                            
どうか、わが子を頼りにして、家事を一緒にして、ほめてやってください。炊事・洗濯・掃除などが、子どもの自立・段取り力・感謝の心を育てます。それは、親自身がヘリコプター・ペアレンツになることを防ぎます。



「木久蔵流:がんばらない子育て」(教育評論社)より


『林家木久扇師匠の「キラッと子育て」見~つけた!』 その1


『大事なことはからだで覚えてほしいんだ‥息子が小さいとき、僕はしょっちょうお腹をなでてあげました。なんでそうしたかって?思い込みなんでしょうけど、お腹をなでてやると腸がよく動いて、気持ちよくて子どもも安心するだろうし、そういうことで心がつながるんじゃないかと思ってたんですね。水ぼうそうにかかったときも、いつものようにナデナデしてもっと痛がらせちゃったりして、そのときは「悪いことをしたなあ」と思いましたけど。さわってあげること。ふれてあげること。ちょっと肩をたたいたり、腕にふれたり‥そういうことで親から伝わるものがあるし、それを体で覚えてくれるだろうと考えたんです。                                     これは、息子が中学生くらいになっても続けていました。とくに子どもから大人への過渡期っていうのは、情緒不安定になりがちです。そんなときにも、親の手でからだにふれられることで安心して、ふっと落ち着けたらいいなと思っていました。‥』


以上です。木久扇師匠は、わが子の頭もお腹も「なでなで」しながら子育てをしたのですね。


「木久蔵流:がんばらない子育て」(教育評論社)より


『林家木久扇師匠の「キラッと子育て」見~つけた!』 その2


『悩んでいるお母さん、子どもの観察日記をつけてみたら?最近は、育児ノイローゼになるお母さんが増えているそうです。僕はそういう方にお会いしたことがないので、正直いってよくわからないんですが、ひとつ思うのは、もしかして、子どもを自分のモノ的に思っているところはありませんか? ていうことです。思ったように育ってくれないからと落ち込んだりイライラしたり、子どもとの生活に楽しみが見つからないっていうのは、その子をひとりの人間として見ることを忘れているせいじゃないかと思うんですね。                                                         子どもは人形でもオモチャでもないんですから、自分の思い通りにならなくたって当たり前です。子どもには命があります。1日1日、成長していきます。僕自身がそうでしたが、ひとつの命として好奇心を持って見つめると、こんなに面白い存在はないと思います。                                                        昨日できなかったことが、今日はできるようになってたりする。どんなときに、どう反応するか、昨日と比べて違うところは?いっそ文章の好きな人なら観察記録をつくったり、絵の好きな人なら克明にスケッチしたりすると、すごく楽しめると思います。僕は観察を通り越して、一緒になって遊んじゃうほうでしたけど。しかも、子どもにびっくりさせられるより、自分で子どもをびっくりさせて、その反応を楽しんでましたけど。唯一気をつけたのは、子どもには「怒らないようにしよう」ってことでした。‥子どもとのつきあい方で悩んだら、たぶんそれは、自分の生き方を考えてみるチャンスをもらったってことなんじゃないでしょうか。』


以上です。育児ブログを楽しむことも、木久扇師匠の「お墨付き」と言えます。ただし、赤ちゃんのきげんのよい顔を覚えてください。つまり、赤ちゃんの表情を見ることは、さぼらないでください。(その理由は2011年4月4日頃のブログ記事にのせます)


ところで、林家木久扇師匠が子育てをしていた時に、わが子を見るまなざしは、以下の文章に書かれている「共感カメラ的な目線」ではないだろうかと思い、紹介します。


昨年12月18日ブログ記事で


「家庭のなかのカウンセリング・マインド親と子の『共育学』」(小田豊著:北大路書房)にふれました。小田先生の次の文章に、木久扇師匠の子育て目線がぴったり合わさってきました。


親には子どもを見る5つの目がある・・


‥子どもがそこにいると、人は、5つの見方をするそうです。ちょっとたとえ話をしてみましょう。そこに、子どもがひとり、絵を描いているとします。時間は、そうですね。お昼少し前としましょう。そこをひとりの大人が通りかかります。この人は、「ああ、絵を描いているんだな」と思った—行動主義的な見方をしているわけです。2人めの人はどうか。子どもが絵を描いているのをチラッとのぞきこんで、「ウン、上手だな」とか「ヘタクソだな」と見た—これは能力主義です。3人めの人は、通りかかったとき、ふと立ちどまって、「ン、今11時40分だ。なのに、この子はこんなところで絵を描いてていいんだろうか」—道徳的な人。道徳主義ですね。4番めの人は、通りすぎて、「フンフン、なるほど、この子は絵を描いているんだな。この子の絵には、なにか訴えるものがある」—これが了解主義。最後の見方が共感主義です。絵を描いている子のそばを通りすぎて、ふと立ちどまり、「やあ、熱心に描いているなあ、この子、絵を描くのがほんとうに好きなんだなあ」と思う。つまり、描いている子の気持ちに共感してしまう。これが共感主義的な見方なのです。


行動主義というのは、客観的な見方です。能力主義は、常にものごとを測定したがります。 とにかく測ってみる。この子はよくできるのか、できないのかと。測定的見方ともいえるでしょう。道徳主義の人—この人は、その姿勢の正しさはとてもいいことなのだけれども、どうしても、子どもを批判的に見てしまいます。了解主義の人は、子どもをただやみくもに解釈しようとする傾向があります。共感主義というのは、どんなときにも、子どもをありのまま肯定的にとらえようという見方です。「ウン、ウン」と肯定してやる。でも、これがむずかしいのです。あるがままに見て受け入れることから一歩先へ踏みこむわけですから。子どもをそのまま肯定する、その子が生きていることを肯定することは、なかなか容易ではないのです。


「共感カメラ目線」を持とう


子どもはいろんな行動をします。そのなかのひとつの行動をとっても、それに対して大人の側からは5つの見方があることがわかってきました。客観的に見る人、測定的に見る人、批判的に見る人、解釈的に見る人、そして共感的に見る人と、たしかにこの5つのどれもが、子どもの成長を見守るものとして大切です。けれど、さきの4つの見方は多いのに、子どものどんな行動に対しても、「とにかく肯定し、そこに共感してみる」という見方は、極端に少ない。少ないけれど、実はこの共感的理解こそが—絵を描いている子を見て、「ほんとうに絵を描くのが好きなんだなあ」と見ることこそが、子ども理解にとっては特に重要な見方と言えるのです。


なぜなら、客観も測定も批判も解釈も、子どもを理解するのに大切なことはたしかですが、 4つともさきに2章でふれた「見える教育」(知識的な側面)につながってしまっているのです。共感だけが、少しちがう「見えない教育」(感動するこころを育てること)と連動しています。共感的理解とは、子どものためにというのでなく、「子どもとともに」という考え方です。この子のために、私は一生懸命働いている、この子のために何かをしてやっている、この子のために努力をしているという考え方では、子どもに共感はできません。なによりも、子どもたちも大人に共感できはしないのです。』


以上です。さて、親や先生は、わが子を、自分のクラスの子を、どの目で見ているのでしょうね。私も、わが身をふり返ってみたいと思います。子どものために、ということは、子どものお世話をすることに直結してしまいます。それでは、子どものこころは育ちません。子どもは、おひなさま・おだいりさまではありません。子どもの声なき声に耳をすます大人に対してしか、子どもは耳を傾けません。自分のこころ(気持ち)を受けとめてくれた大人にだけ、子どもはこころを開きます。目の前の子どもの言動を「共感カメラ目線」で受けとめ、子どもと共に(同じ歩調で)歩み始めた時、子どもも親・先生も、共に育ち始めるのです。これこそが、「お世話」ではなくて、「子育て」であり、「教育」と言うよりは「共育」なんだよ、と小田先生は言いたいのではないでしょうか。


育児ママたちが共感する詩


口コミやネットで広がり、絵本にもなった、育児ママたちが共感する詩「Today」の日本語訳詩「今日」を、紹介させてください。


 今日       伊藤比呂美:訳     


今日、わたしはお皿を洗わなかった


ベッドはぐちゃぐちゃ


浸(つ)けといたおむつは


だんだんくさくなってきた


きのうこぼした食べかすが


床の上からわたしを見ている


窓ガラスはよごれすぎてアートみたい


雨が降るまでこのままだと思う


人に見られたらなんて言われるか


ひどいねえとか、だらしないとか


今日一日、何をしていたの?とか


わたしは、この子が眠るまで、おっぱいをやっていた


わたしは、この子が泣きやむまで、ずっと抱っこしていた


わたしは、この子とかくれんぼした


わたしは、この子のためにおもちゃを鳴らした、それはきゅうっと鳴った


わたしは、ぶらんこをゆすり、歌をうたった


わたしは、この子に、していいこととわるいことを、教えた


ほんとにいったい一日何をしていたのかな


たいしたことはしなかったね、たぶん、それはほんと


でもこう考えれば、いいんじゃない?


今日一日、わたしは


澄(す)んだ目をした、髪のふわふわな、この子のために


すごく大切なことをしていたんだって


そしてもし、そっちのほうがほんとなら、


わたしはちゃーんとやったわけだ


育児・子育て真っ最中のママさんたちは、この最後の1行「わたしはちゃーんとやったわけだ」まで読み終えた時、「これって、私のこと言ってくれてる」と感じた方がとても多かったのでしょうね。育児ストレスや孤独感を感じたり、お姑さんやご近所さんの目に厳しい視線を感じたり、中には、ママ友さんや保健センター:スタッフさんの何気ない言葉から、過剰にトゲトゲしたものを感じてしまうママさんほど、この詩に出会えてよかったと思われたのではないでしょうか。ということで、詩とは、読む人それぞれが読み味わうものですので、私の解釈は余計なお世話でした。


関連ページ


「パパママ育児⑦」【スマホを乳幼児にさわらせるのは○か×か】「過ぎたるは、なお及ばざるがごとし」6例【やり抜く力と自制心を育てる】

http://sg2takaboo.exblog.jp/24898597/



by takaboo-54p125 | 2011-05-26 05:17 | 育児・子育て

明日の用意:小学1年生


入学して間もない1年生が、明日の時間割をしていました。
そして、突然
「図工の教科書が1つしかない」
と泣き出してしまいました。
その泣き声でお母さんが来ました。
お母さんが時間割を見ました。
「国語、算数、図工、図工」
と書いてありました。
図工が2時間あるのに、教科書は1冊しかありません。
これは、入学したての1年生にとっては、大事件だったのです。


忘れ物(大物):小学5年生


朝です。子どもたちがどんどん登校してきました。
「先生、おはよう」
「Hくん、おはよう。あれっ、カバンは?」
「エッ?」
背中にあるはずのランリュックがありません。
「Hくん、どこかに置き忘れたの?」
「先生、あの~、家に忘れてきました」


「…」
忘れ物としては、25年に1人の大物でした。


忘れ者?(超大物):小学6年生


4月8日、新学期です。
新6年生の教室、Mくん1人だけがいません。
そう言えば、昨日(春休み4月7日)の前日準備にもいませんでした。                                           
担任は家に電話をかけました。
「もしもし、Mくん?からだの具合、わるいの?」
「先生、元気やで。なんかあったん?」
「Mくん、今日から1学期やで」
「えーっ、先生、去年の始業式は4月9日やったで~」


「…」(しまった。昨日の前日準備の後、電話しておけばよかった)                                                             
たしかに去年の4月8日は日曜日でした。
Mくん、バツグンの記憶力です。
と言うか、25年間にたった1人しか出会わなかった超大物です。

関連ページ
元気印のユーモアはクラス全員の潤滑油になる笑いを(非常識な「受け」ねらいは信用をなくします)
http://sg2takaboo.exblog.jp/24898222/


by takaboo-54p125 | 2011-05-24 05:03 | 保育・教育

かつて、滋賀大学教育学部には幼児教育のO教授がおられました。


私は滋賀大学卒業ではありませんが、教員になってから、お知り合いになりました。


そのO先生が推薦してくださった育児書は、たった1冊だけでした。


理由は、乳幼児のいる母親が安心できる育児書だからでした。


カラフルな育児書は、母親があせったり、不安になったりしやすいからです。


その推薦の育児書は「育児の百科」松田道雄・著(岩波書店)です。


京都大学医学部を卒業された小児科のドクターが書いた育児書でした。


4cmの厚みのある800ページ以上もある育児書です。


育児の百科事典(病気への対応を含めて)みたいでした。


今から20年前で、3300円しました。(値は張ります)


私が買ったのは第6刷ですから、ロングセラーと言ってよいでしょう。


実際に読んでみて、なるほどと思いました。


ですから、私は知人の長子の出産祝いに何度も贈りました。


図書館にもあるといいですね。


目次を紹介します。


・誕生まで


・誕生から1週まで


・1週から半月まで


・半月から1ヶ月まで


・1ヶ月から2ヶ月まで


・2ヶ月から3ヶ月まで


・3ヶ月から4ヶ月まで


・4ヶ月から5ヶ月まで


・5ヶ月から6ヶ月まで


・6ヶ月から7ヶ月まで


・7ヶ月から8ヶ月まで


・8ヶ月から9ヶ月まで


・9ヶ月から10ヶ月まで


・10ヶ月から11ヶ月まで


・11ヶ月から満1才まで


・1才から1才6ヶ月まで


・1才6ヶ月から2才まで


・2才から3才まで


・3才から4才まで


・4才から5才まで


・5才から6才まで


・学校へ行く子ども


・子どもの病気


以上です。


それぞれの年令ごとに、                                                             「この月の赤ちゃん」                                                           「そだてかた」                                                               「環境」                                                                 「かわったこと」                                                            「集団保育」                                                          について、くわしく書かれています。


著者である小児科医の松田道雄さんの人柄でしょうか。


お母さん方が不安にならないような、安心して育児ができるような、そんな書きぶりです。                                                                                                                         私は今も手元に離さず、置いています。



by takaboo-54p125 | 2011-05-06 05:00 | 育児・子育て

浜松市の「あすなろ幼稚園」から学んだことを紹介します。


『親はなくとも子は育つ…か?
    5月の園だよりより
−子ども達の発達に必要な環境とは?−


いまも教育関係者の中で「『親はなくとも子は育つ』という言葉もあるように子どもは自分で育つ力がありますから、親が子どもに手をかけすぎないようにしてください」という方がいらっしゃいます。なるほど、親の子どもへの過干渉やお世話をしすぎてその子自身が、自らの体験から学んでいくというを摘んでしまうことへの警鐘としては、その通りだと思います。                           
しかし、元々のこの意味は、戦前の子育てを表しているものです。まだ日本がそんなに経済的に豊かではなく、子だくさんの時代…親の平均寿命も短かったのです。そのため、末っ子で生まれてきた子どもの幼少期に、親が亡くなってしまうことが多くありました。その時に、上の兄姉が下の子の経済的な面倒もみることができるくらいに大きくなっているので「親はなくとも子は育つ」ということになったようです。
 そして、拡大解釈をすれば、3世代以上の同居という家族状況は、親が忙しくしていても、おじいさんおばあさん、おじさんおばさん、兄弟たちに囲まれていた大家族の時代には、誰かが子どもと関わって、いろんな体験を子どもにさせました。だから、親がなくとも子はいろんなことを身につけ、学び育っていったのではないでしょうか。


全部で…ってどうすること?


下のように四角いマスにおもちゃのコインを置いてみます。


□□□□   □□□□


そして、「全 部で○はいくつかな?」 と5歳になる子どもに尋ねてみます。多くの5歳になる子ども達は、「いち、に、さん、し」 と左の紙の○を数え、つづけて 「ご、ろく、ひち、はち」 と右の紙の○を数えて 「8ある」 と答えてくれます。ところが、中に 「いち、に、さん、し」 と左の紙の○を数え、また 「いち、に、さん、し」 と左の紙の○を数えてしまう子もいます。
「ぜんぶで、いくつになるのかなぁ…もう一 度数えてみようか」 と、やりますが何回聞いてもそうなってしまいます。しかし、その子は、もうすぐ5才になる子ですから、2つの集合を合わせるということが『全部』ということばのイメージがなかなかつかめないようです。(中略)                                                
 じつは、こういった子の中には、お家では、おじいちゃん、おばあちゃん、お母さんにお父さんという大人に囲まれて生活をしている子も少なくありません。ところが、この子がやるべきことをの多くを、まわりの大人がやってきてしまっています。ですから、お母さんといっしょにお菓子の数を数えたり、洗濯物をたたんだり、掃除をしたり、配膳をしたり…そんな体験がないのです。
 また、4才で10までの数詞が言えないという子もいます。4才で 「10までの数が数えられるようにならなければならない」 ということではありません。お母さんやお父さんが、わが子がいろいろなことを覚えたり理解したできるように、いろいろと教えてあげようという意識があれば、親とのあそびやお手伝い、関わりの中で、子どもに身につくはずのことなのです。
 このように、その年齢でそろそろできて当然なことが、できていない子ども達の背景には、親が子どものお世話をすべてしてしまい、その子が本来体験しなければならないことが、体験できなくなっているという背景があります。また、社会的に、親がわが子ができるようになるまで教えようという意識が、薄くなってきていることも確かです。


しつけの意味


 そういった子ども達のお母さんに話を聞くと、
「何度言っても言うことを聞いてくれないので…」
「食べるように言うのですが、食べないので…」
「すぐに『だっこ』って言って、歩こうとしないので…」


そういった返事が返ってきます。それ以上、わが子にぶつかろうとしない姿がそこにあります。たぶん、自分の親にもそういうことでぶかってもらえたことがないのだと思います。自分の親からしてもらえなかったことは、自分の子に出来ない…ということが子育ての原則ですから仕方のないことです。が、仕方ないではすまされないこともまた事実です。
 たとえばこんなことがあります。Aちゃんは、遊び食べを家でずっとしていました。ちょっと口に食べ物を入れて、少しおなかが良くなるとイスから離れてあそび始めてしまいます。幼稚園でお弁当が始まった時も、そんな家での姿になってしまいます。


 そのたびに担任の先生は 「Aちゃん、食べ終わるまで椅子に座って食べるんだよ」 と優しくさとすのですが、フンとむくれて食べなくなったり、ある日は、ギャーギャーと遊び食べをしたいことが通らない状況にパニック泣きをする始末です。そして、2週間も過ぎた頃、保育活動には楽しく率先して入ってくるAちゃんの姿になったときのお弁当の時間でした。いつものように遊び食べが始まったAちゃん。Aちゃんが、イスから腰を浮かせるたびに先生が 「ダメだよ」 と注意してその5回目に、先生はとうとう別の部屋に連れて行って、いままでにない強い口調でAちゃんを叱りました。はじめは、ただ自分の思い通りにならないいらだちからギャーギャー泣いていたAちゃんでしたが、それでも、先生が 「ダメ!」 を入れて、本人がそれを受け入れるまでぶつかっていきました。すると、ギャーギャー泣きが徐々にシクシク泣きになりました。こうなるとAちゃんは 「先生の注意を受け入れた」=「先生を受け入れた」 ということになります。


 その後、部屋に戻るとAちゃんはいままでにない速さでお弁当を平らげると、ニコニコ顔で先生にお弁当箱を見せに来ました。
「たべちゃったよー!」
「Aちゃん、ステキ!頑張ってえらかったね。Aちゃんお弁当終わるまでイスに座ってたね。先生、見てたよ。Aちゃん偉かった」 と、これまたニコニコ顔でAちゃんをぎっと抱きしめる先生も本当に嬉しそうでした。                                                             
 すると、不思議なことに、いままでしなかったお片付けも、ノソノソやっていたお帰りのしたくも、パッパッとやり終えて先生のところへニコニコ顔で走っていきます。つまり、Aちゃんは、自分がしたいようにする(たとえば「あそびたべ」)を先生に受け入れてもらえる喜びよりも、自分が先生を受け入れる(先生の言うことを聞く)ことの喜びの方が大きくなった瞬間です。
 こういった 『自分勝手をする−ぶつかられる−和解する−相手を受け入れる−自分勝手をする…』 を繰り返しながら、子どもは良好な人間関係をつくっていきます。


親子関係の意味


 じつは、そういった良好な人間関係を「愛着関係」と言います。この愛着とは、相手と一緒にいることを望み、一緒にいることで大きな安心感、満足感を感じられる関係、を言います。
 そして、この関係が主たる養育者であり第一愛着者である母親(多くの場合は…)と結ぶことは、子どもにとって大きな意味を持ちます。なぜなら、たとえばAちゃんが小学校に行ったときに、Aちゃんを支え受け入れてAちゃんの心の安定が保たれるように、この担任が小学校までついて行くわけにはいかないのですから。そして、何よりも 「母子で成立していることは、どんな相手でも成立する」 という法則があるからです。たとえば、子どもの嫌いなニンジンをお母さんが関わってニンジンを食べられるようになれば、おばあちゃんの家だろうがどこでも成立しますが、担任が食べられるようにさせても、家では食べないのです。良くも悪くもそれが現実なのです。さて、お母さんはどうしますか?』


以上です。

関連ページ
「愛着形成」①親子ではぐくむ絆づくり【ママを受け入れられる子になる愛着の感性の育て方】+ママの思いを代弁する詩・0~3才児の育児
http://sg2takaboo.exblog.jp/24898093/


by takaboo-54p125 | 2011-05-05 05:01 | 育児・子育て

子ども1人ひとりの安心感が深まる時間と空間にするため、担任が大事にしたいこと


(1)子ども一人ひとりの、その時その時の気持ちをまず受けとめることから関わることを、基本としましょう。「○○がくやしかったんやね」「○○がつらかったんやね」と担任が代弁してくれ、自分の気持ちをわかってもらえたと感じた時、子どもは担任の語りかけにも耳を傾けるようになります。


(2)子ども一人ひとりの自尊感情を高める関わり方を大切にしましょう。「あなたがこの教室にいてくれてうれしいよ」「きみが今日来てくれたことがうれしいで」をベースにして、日々、子どもが自分は大事な存在だと思ってもらっているんだと感じられるようなメッセージを伝えることを、くり返します。


(3)スモールステップを与えて、ほめることを、授業中も掃除中も、いつも意識的に取り組みましょう。「○を手伝って」「○をしてごらん」「○をがんばって」→やりきらせる→「よくやったね」「すごいやん」「助かったわぁ」の積み重ねによって、子どもの中に自信と意欲がじわじわと生まれてきます。


(4)子どもたちの瞳が輝くような、活動の導入をひと工夫しましょう。「今日はね、こんなことをやるよ」1人ひとりの目を見ながら、表情豊かに柔らかな口調で語りかけます。「○○君、教科書とノート開けてね」→「かしこいやん」、「○○さん、こっち見てね」→「うれしいな」、「書いてごらん」→「すばやいなあ」などと、できて当然のことと思わずに、ほめ言葉をかけながらです。


(5)自分を大切にするための最小限のルールは、その都度伝えましょう。「ここまではOK」「これ以上はダメ」という、どっしりと、ぶれない姿勢を示します。その子には、「あなたが大好きだから言うよ」、みんなには「○○君一人に言っているんじゃない。きみたち全員に言っているんだよ」と言い添えながら伝えることで、教室の仲間意識(クラスの一体感)を高めます。 


(6)何故この子はこんな言動をするのだろう、何がこの子をそうさせるのだろうということを語り合い、今のこの子をどう観るのかを教師集団で共有しながら関わりましょう。子どもの課題を、担任一人で抱え込まないことです。もちろん、その子がステキな面を見せてくれたら、「こんなことしてくれたんですよ」「こんなこと言ってくれました」と教師集団で喜びも分かち合います。


(7)家庭との連携については、まず、保護者に「うちの子のことを大事に思ってくれてはる」と感じてもらえるような信頼関係をつくりましょう。「○○さんはこんなええとこありますよ」「○○君はメッチャやんちゃやけど、大好きですねん」「○○君はおとなしい目立たない子に見えますけど、大好きですねん」などという『ひと言』を伝えることなしに、課題や要望だけを伝えても、保護者との距離は縮まりません。もちろん、その『ひと言』が本音じゃなければ、保護者の心には響きません。


(8)その子が本来持っている力を出したくなる人的環境づくりをしましょう。                                       
・朝の出会いを大切に。笑顔ですてきな「おはよう」を。
・子どもと掃除・給食・遊びを共にしながら、気軽な世間話を。                  

・担任の失敗談・ズッコケ経験話を明るく語ってあげよう。
・子どもと共に野菜や花を育てる活動を、毎日少しずつでいいから楽しもう。                               
・気になる子にこそ、何かを頼んで、「ありがとう」をその都度言おう。                                     
・帰りの会、日記の返事、連絡帳、電話、退勤時のちょこっと訪宅などで、その日に、自分では気づいてない、その子のキラリと光る姿を、具体的に伝える労力を惜しまない。

関連ページ

子どもと信頼関係をつくる、子どもとの「信頼関係」を取り戻す

http://sg2takaboo.exblog.jp/24898595/



by takaboo-54p125 | 2011-05-04 05:08 | 保育・教育

東近江市内の小学校ホームページの「校長室だより」にのっているのを見つけました。なるほど!と感じ入りました。「コツ」と言う書き方がしてありますが、うすっぺらな対応マニュアルではありません。どれも、子どもとどう向き合うのか、という基本・原則ばかりだからです。紹介させてください。


「ほめ方のコツ10か条、しかり方のコツ10か条


 【ほめ方のコツ】
  1、行為を見よ、結果だけを見るな。
  2、見返りを求めるな、打算を戒めよ。
  3、自分が何をどう評価しているか、明確にせよ。
  4、どう受け取られるかを考えよ。
  5、子どもの気持ちを受け入れること。
  6、他の子どもの反応も考えよ。
  7、第三者に話して、間接的にほめる。
  8、平素からプラスの声かけをしよう。
  9、教師自身の正直な感じを、率直に語れ。
 10、称賛には愛と英知がいると知れ。


 【しかり方のコツ】
  1、短くしかれ。
  2、最高のしかり方は、子どもが自分で自分をしかること。
  3、追いつめるな・・・・・・言いわけを聞け。
  4、指示、命令よりも、自分の感じを。
  5、感情的になるな、固執するな。
  6、なじるな、ぐちるな、むし返すな。
  7、自分を見つめる自分をはぐくむよう留意せよ。
  8、しかり方の基本は個別指導。
  9、自分には落ち度がないなどと錯覚するな。
 10、小言は大切、だが小言だけではうるさがられるだけと心得よ。」


以上、親も、教師も、自ら戒めたいことの紹介でした。(私自身も)


子どもを『しかる』ということは、子どもに腹を立てるということではありません。子どもが、自分も他人も大切にできるように、1つずつ、教えていくということです。同時に、子どもを『ほめる』ということは、子どもを評価するということではありません。子どものがんばり、成長を見つけて、教師の喜びを伝えていくということです。


ですから、
「ダメ!」「やめい!」「あかん!」「何してんの!」「さっき言ったやろ!」などと言ってしまう、否定的な指示語も、緊急を要する時以外は、まず、「どうしたん?」「こういう時は、△△すると、うまくいくよ」「そういう時は、先に△△してみようね」というふうに、ダメの中身を、具体的に伝えるほうが、子どもも素直に受け入れやすい言葉がけです。


子ども一人ひとりの、その時その時の気持ちを、まず受けとめることから、かかわることが、基本的な向き合い方だと言えるでしょう。「○○がくやしかったんやね」「○○がつらかったんやね」と保育士・教師が代わりに言ってくれ、自分の気持ちをわかってもらえたと感じた時、子どもは、そんな保育士・教師の語りかけには、耳をかたむけるようになります。思いを聞いてくれない先生の話を、子どもが聞くはずありません。


自分も人も大切にするための最小限のルールは、そのつど、伝えましょう。「ここまではOK」「これ以上はダメ」という、ぶれない姿勢を、その子には、「きみが大切だから言うよ」「自分を大事にしてほしいから言うよ」と言い、「△△君一人に言っているんじゃない。きみたち全員に言っているんだよ」と、周囲のみんなにも、言いそえながら伝えて、他人事で自分は関係ないという空気をなくし、教室の仲間意識を高めたいものです。


【どの子も安心して生活できる担任の姿勢13項目】


・先生が、にこにこ笑顔で「おはよう」と言うことで、子どもも元気が出ます。
・先生が、楽しそうに歌う声を聞かせることで、子どもも歌うのが楽しくなります。
・先生が、遊ぶのを楽しむことで、子どもも体を動かして遊ぶのが楽しくなります。
・先生が、子どもの話に「うんうん」とうなずくことで、子どもは満足します。
・先生が、子どもの気持ちをわかってあげることで、子どもは先生を信頼できます。
・先生が、「こら」ではなく、「どうしたの」と声をかけると、子どももしゃべります。
・先生が、子どもをほめることで、子どももだんだんやる気が出てきます。
・先生が、「大丈夫だよ」と支えてあげることで、子どもは自信を取り戻せます。
・先生が、子どもといっしょに喜ぶことで、子どもの喜びは2倍になります。
・先生が、ゆったり、のんびり、どっしりしていると、子どもも安心できます。
・先生が、目と目を合わせてあげると、子どもは大事にされているのを感じます。
・先生が、「うれしいよ」と言ってあげることが、子どもをほめるということです。
・先生が、子どもをしかるのは、最後に子どもをほめてあげるためです。


【明日から、学期始めからできる「信頼関係づくり」】


あちこちのページで紹介した具体策「クラスを何とかしたい」(じゃあ明日から、学期始めから、いったい何から始めたらいいのか)を、


イジメをなくす教室の雰囲気づくり【安心感あふれる教室に変える手立て①②③④】

http://sg2takaboo.exblog.jp/24898386/


イジメが起きないクラスの空気づくり(しなやかな担任の役割4月~3月)

http://sg2takaboo.exblog.jp/24898387/


に集めて、まとめてみました。よかったら、ご覧ください。


by takaboo-54p125 | 2011-05-03 05:10 | 保育・教育

私は、祭り見物が好きです。5月3日の綿向神社「日野祭り」は、もう何回も見に行きました。「大津祭り」や「長浜曳山祭り」などの雅やかな伝統の祭りもあります。   


なのに、なぜ「日野祭り」なのか、と言うと、理由があります。滋賀県指定無形民俗文化財の「日野祭ばやし」が聞きたいからです。大太鼓、小太鼓、篠笛(横笛)、摺鉦(すりがね)と言う打楽器などで演奏します。そのお囃子(おはやし)のリズムが、他の祭りのお囃子よりダントツで速いのです。思わず体でリズムを取ってしまいたくなる速さです。「水口祭り」のお囃子も、「日野祭り」のお囃子のリズムに近いものがあります。「水口祭り」も滋賀県指定無形民俗文化財で、お囃子も見事なものです。それでも、私の心を惹きつけるのは「日野祭り」のスピード感あふれるお囃子なのです。それが10基以上の曳山から聞こえてくるのですから、たまりません。徳島の「阿波踊り」のお囃子の速さに匹敵するのではないかと思います。私はたいてい宮入りした曳山のそばで、ひたすら、お囃子に聴き入っています。


4月に自分の地元の祭り前は、地元の祭り歌のCD(自作)がクルマの音楽です。その後は、クルマのCDは「日野祭りばやし」を、エンドレスで聞き続けます。(4月下旬は毎日)日野祭の三岡社囃子保存会のCDは全10曲です。(水口祭りばやしのCDは全12曲です)その中で、私の1番のお気に入りは、何と言っても「ばか囃子」です。(水口祭りばやしにもあります)小中学校の踊り(応援・組み立て体操・団アピール)の曲としてもバッチリいけますよ。興味のある人は、5月3日当日、境内の日野町観光協会テントで安く買えると思います。運動会にBGMとして使いたい方は、CDの販売について、日野町役場に問い合わせてみるといいと思います。私の場合、日野祭りばやしCDは祭り当日に買いましたが、水口祭りばやしCDは、水口町役場(当時)で買いました。おぼろげながら、かすかな記憶では、商店街に日野町観光協会の建物があったような、なかったような・・・。


ということで、私は「日野祭り」のリピーターになってしまいました。宮入りが早くて、午前中には総ての曳山が神社に入っています。私は10時までには、日野町役場の駐車場にクルマを止めて、徒歩で神社まで行きます。ひと足ありますがハイキング気分です。それでも、曳山は半数以上が宮入りしていました。午後になると、祭り見物に行くクルマで渋滞します。(駐車場が満車になるから)「日野祭り」は、やっぱり午前中がオススメです。


国道307号線の松尾北の交差点を鈴鹿山脈方面に1kmほど行きます。日野消防署を過ぎると、右手に日野町役場があります。そこに駐車し、南へ300m歩いて左折します。(警備の方がおられます)そこから昔からの日野の街並みです。約2kmの道程ですが、さまざまな見どころもあります。また、行きたくなってきました。


日野祭囃子は、綿向神社の祭りですが、多賀大社(滋賀県で最も初詣客が多く、正月3日間で県人口の3分の1近くという人出)の万灯祭で、日野祭お囃子衆が披露しておられるYouTubeが次のアドレスです。演奏の前半が「ばか囃子」、後半が「屋台ばやし」のような気がします。万灯祭のは、ベテランの皆さんの見事な演奏です。5月3日の日野祭では、若者たち(女子も男子も)も加わって、曳き山10基以上でパワフルな祭囃子を聴かせてくれますよ。


http://www.youtube.com/watch?v=4bOB5bVRM9E





by takaboo-54p125 | 2011-05-02 05:11 | お出かけ・旅

ある小学校のHP(校長室だより)に、若い講師の先生の、子どもたちとの「向き合い方のチェンジ・チャレンジ」が載っていたので紹介いたします。


『子どもの「今」から出発し、小さな成功を喜ぶ教師でありたい。
4月、新しい学級を受け持ってみると、いろんな子どもの姿が見えてきます。「いい子らやなあ。」と思える場合もあるでしょうが、多くの場合、マイナスの姿の方が目についてしまいます。でも、そのありのままの姿でOKとして、そこから歩みを始める教師でありたいと思います。
(中略)「子どもと一緒に歩き、ちっちゃな成功を喜び合う」という教師の姿勢は子どもとの関係づくり、学級作りに決定的に重要だと思う事例をもう一つ挙げます。


同じ職場で一年間一緒に仕事をしたある若い講師の先生の話です。その講師の先生は2年生を担任されました。


この学年は1年の時、小1プロブレムという言葉どおりのすざまじい学年でした。(中略)4月5月は大変でした。授業している先生にぶら下がる、黒板に落書きする、机に足を乗せてふんぞりかえっている、そんな子があちこちにいるという状況でした。さすがにベテランの先生で一応はおさまっていったのですが、2年生になってまたはじけてしまいました。


教室の中の雑然とした雰囲気が廊下の外にまで響いているという状況が毎日続き、1学期の終わりには疲れ果て、「もう、2学期からは出てこれないかもしれません」と言われてしまいました。                 
ずいぶん心配していたのですが、2学期、その先生は何とか出てきました。そして、2ヶ月ほどした11月頃のある昼休み、ふと外を見たらその先生の学級の子どもたち全員と先生が楽しそうに「だるまさんが転んだ」をやっている姿を見かけました。あれ?1学期と違う、と思いました。そして、しばらくしてその学級のかさこじぞうの研究授業がありました。その授業を見てびっくりしてしまいました。1学期、教科書も開けず友達にちょっかい出しに行っていた子が一生懸命音読しているし、友達の発表なんて聞きもしなかった子どもたちが穏やかに聴き合っているのです。
その先生に「どんなことをしてきたの?」と尋ねたら、こんなふうに言われました。


2学期の始め、もういちどゼロからやり直してみよう。そして、どんなにちっぽけでもいいから、子どもたちとできたことを喜び合えることを創ろうと思いました。全員で一つのお話を最後まで斉読できた、たったそれだけのことを喜びました。授業からはみ出ている子には「あんたと一緒に勉強したいんや」と自分の気持ちを思い切りその子にぶつけました。そしたらそこから変わってきたんです。」と。』


以上です。脱帽です。教師の態度が変わると、教室の空気まで変わる・・子どもたちからトゲトゲした態度がだんだん減り、クラスに柔らかくて温かい雰囲気が徐々に生まれてくるから、なんとも不思議ですよね(正しいこと=説教は子どもに伝わらない。教師がかもし出す空気・雰囲気は子どもに少しずつだけど必ず伝わる、ということでしょうか)。

関連ページ

子どもと信頼関係をつくる、子どもとの「信頼関係」を取り戻す

http://sg2takaboo.exblog.jp/24898595/



by takaboo-54p125 | 2011-05-01 06:54 | 保育・教育