月7日、入学式の前日準備が終わると、担任は自分の教室の準備をします。てきぱきやっても、大忙しです。でも、次のことをしておくと、新学期が始まってから、担任自身にとって助かることがあります。


まず、4月1~6日の間で、事前にしておくことがあります。学級担任が決まってからです。保健室へ行き養護教諭の先生に、担任する子どもたちの身長をメモさせてもらいます。それで、背の高い子と、背の低い子をチェックしておきます。


そして、いよいよ忙しい自分の教室準備です。児童机・椅子を教室の後ろへ集めて、「背の高い子用」、「背の低い子用」を数えます。出席順に机と椅子を並べていきます。出席番号1番の子が大きいなら「背が高い用の机・椅子」、出席番号2番の子が小さい子なら「背が低い子用の椅子・机」を並べるだけです。多少の手間はいりますが、やっただけの「見返り」はあります。


新学期が始まり、どの子も「ボクの机」「私の机」と思って使います。もし、自分の背の高さに合っていなかったら、「先生、机と椅子の高さをかえて」と言います。ただでさえ忙しい新学期です。机・椅子を工具で調整する時間も、バカにできません。1人が言うと、「ボクも」「私も」になるからです。おまけに多忙で後回しにすると、保護者から催促されることもあります。信頼関係は、一事が万事です。面倒な手間のように見えますが、どの子も自分の机と椅子の高さを気に入ってくれます。先手必勝なのです。

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子どもと向き合う学級づくり①【4月の教室】+【入学式前日準備】【出退勤で大事なこと】【連絡帳の秘訣】【3ヶ月続けたい言葉がけ】【画びょうの使い方】
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by takaboo-54p125 | 2011-03-31 05:15 | 保育・教育

中学校によって、下靴は「白色の運動靴」(色の入ったものは不可)になっています。ミズノやアシックスも、白一色の運動靴を手頃な値段である売ってあるから、ふだんはそれで困りませんが、雨や雪の場合、学校に着いた時には、予備の靴下と履き替えなければなりません。もちろん、ぬれた靴下を入れるビニール袋も必要です。靴下を履き替えるのが1日2回(登校後と下校後)、1日に靴下3足も洗濯することになります。下靴もぐしょ濡れですから、帰宅したら、下靴をすぐ乾かします。庶民には、昔ながらの方法(新聞紙を詰めるのを2,3回くり返すと、翌朝にはほとんど乾きます)しかありません。でも、翌日までに乾ききらない場合もないとは言えないので、履き替え用の下靴も要るでしょう。足のサイズがぐんぐん大きくなる時期です。もったいないので、子どものお古を親が履くことになります。


先生方は、いつも必ず、「雪の日の長靴はOKと言ってます」とおっしゃいますが、そのOKは思春期の子らの耳を素通りしているようです。せめて、昇降口の下駄箱周辺に、臨時の長靴置き場を設置してやろうという発想は、先生方にはないようです(「どうせ履いてこないだろう」と思っておられるでしょうし、実際にその通りなのです)。私が勤務していた学校で、雪の日の臨時:長靴置き場(ブルーシート)が当たり前の発想だったのは、小学校だったからということなのでしょうね。長靴をはいて自転車通学する中学生を、私は見たことがありません。臨時の長靴置き場を用意してない学校へは、雪でも長靴で登校しようという気にならないだろうと思いつつ、思春期の中学生自身が、大雪でも降らない限りは長靴を履きたがらないのも、これまた現実なのです。


防水素材の白色運動靴を、スポーツ・デポまで探しに行きました。防水の白色運動靴には、各メーカーとも、ワンポイントだけ色(会社のマーク)が入っているからです。ミズノやアシックスはもちろん、アディダスやプーマ、ダンロップやアキレスやムーンスターまで、すべてです。店の人に聞いて、カタログで探してもらいました。1社だけ、ありました。ナイキの運動靴でした。たしかに真っ白です。ナイキのマークまで白色です。これなら「校則違反」になりません。ナイキですから当然、目玉が飛び出そうな価格でした。普通の運動靴の3倍はします。そんなのを買う家計の余裕は、残念ながらありません。


それで、思いついたのは、荷造り用の透明テープ(幅5cm)です。ホームセンターで安く売ってます。雨や雪の日は、下靴の周囲を、その透明テープでガードして登校させています。カッパを着て自転車で学校に着いたら即、透明テープをとっているようです。もちろん恥ずかしいからでしょう(思春期ですから)。そこをガマンしてもらっているので、予備の靴下に履き替える必要はなくなりました。下靴を乾かす回数も減りました(下校時に雪や雨天の日)。さすがに、大雪の日は、しぶしぶ長靴で行ってくれました。


他のおうちが、どのように工夫されているのかは知りません。先生方は、雨や雪の日のこういう生徒の苦労を知っておられるのでしょうか?校則では、靴下は「白ソックスでワンポイント可」にしておられるのですから、せめて雨雪対策で「防水の白色運動靴はワンポイント可」に変更する柔軟さぐらいは最低限ほしいところです(頭かたすぎ!靴の流通事情を知らなさすぎ!知っているなら心つめたすぎ!)。指示・命令中心で、問いかけ・気づきの体験が少ないと、生徒の自治的能力は育ちませんよ。校則とは、全校生徒がよりよい学校生活を送れるよう、柔軟な改正(現状維持でも改悪でもない合意)をするために存在すると思うのですが・・・。そうしたら、通学靴の色を白色に限定しておられない中学校がたくさんあることも知りました。

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学級通信:わが子が学校・園へ元気に通えるため④【イチ押し親のひと言11・12月】【自由と自分勝手のかんちがい】
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by takaboo-54p125 | 2011-03-11 05:23 | 育児・子育て

さて、先日のブログ記事で「家庭のなかのカウンセリング・マインド親と子の『共育学』」(小田豊著:北大路書房)の文章を紹介しました。今日は、その後半を紹介します。


共感する目を持とう


子どもはいろんな行動をします。そのなかのひとつの行動をとっても、それに対して大人の側からは5つの見方があることがわかってきました。客観的に見る人、測定的に見る人、批判的に見る人、解釈的に見る人、そして共感的に見る人と、たしかにこの5つのどれもが、子どもの成長を見守るものとして大切です。けれど、さきの4つの見方は多いのに、子どものどんな行動に対しても、「とにかく肯定し、そこに共感してみる」という見方は、極端に少ない。少ないけれど、実はこの共感的理解こそが—絵を描いている子を見て、「ほんとうに絵を描くのが好きなんだなあ」と見ることこそが、子ども理解にとっては特に重要な見方と言えるのです。


なぜなら、客観も測定も批判も解釈も、子どもを理解するのに大切なことはたしかですが、4つともさきに2章でふれた「見える教育」(知識的な側面)につながってしまっているのです。共感だけが、少しちがう「見えない教育」(感動するこころを育てること)と連動しています。


共感的理解とは、子どものためにというのでなく、「子どもとともに」という考え方です。この子のために、私は一生懸命働いている、この子のために何かをしてやっている、この子のために努力をしているという考え方では、子どもに共感はできません。なによりも、子どもたちも大人に共感できはしないのです。』


以上です。子どものために、ということは、子どものお世話をすることに直結してしまいます。それでは、子どものこころは育ちません。子どもは、おひなさま・おだいりさまではありません。子どもの声なき声に耳をすます大人に対してしか、子どもは耳を傾けません。自分のこころ(気持ち)を受けとめてくれた大人にだけ、子どもはこころを開きます。目の前の子どもの言動を「共感カメラ目線」で受けとめ、子どもと共に(同じ歩調で)歩み始めた時、子どもも親・先生も、共に育ち始めるのです。これこそが、「お世話」ではなくて、「子育て」であり、「教育」と言うよりは「共育」なんだよ、と小田先生は言いたいのではないでしょうか。

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「パパママ育児①」今すぐ始められる【子育てのポイント1~10】ミニプチステップ

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by takaboo-54p125 | 2011-03-08 05:02 | 育児・子育て

昨年、ブログ記事で「家庭のなかのカウンセリング・マインド親と子の『共育学』」(小田豊著:北大路書房)の文章を紹介しました。他にも、印象に残っている文章がありますので紹介します。


子どもを見る5つの目


‥子どもがそこにいると、人は、5つの見方をするそうです。ちょっとたとえ話をしてみましょう。そこに、子どもがひとり、絵を描いているとします。時間は、そうですね。お昼少し前としましょう。そこをひとりの大人が通りかかります。この人は、「ああ、絵を描いているんだな」と思った—行動主義的な見方をしているわけです。2人めの人はどうか。子どもが絵を描いているのをチラッとのぞきこんで、「ウン、上手だな」とか「ヘタクソだな」と見た—これは能力主義です。3人めの人は、通りかかったとき、ふと立ちどまって、「ン、今11時40分だ。なのに、この子はこんなところで絵を描いてていいんだろうか」—道徳的な人。道徳主義ですね。4番めの人は、通りすぎて、「フンフン、なるほど、この子は絵を描いているんだな。この子の絵には、なにか訴えるものがある」—これが了解主義。最後の見方が共感主義です。絵を描いている子のそばを通りすぎて、ふと立ちどまり、「やあ、熱心に描いているなあ、この子、絵を描くのがほんとうに好きなんだなあ」と思う。つまり、描いている子の気持ちに共感してしまう。これが共感主義的な見方なのです。


行動主義というのは、客観的な見方です。能力主義は、常にものごとを測定したがります。とにかく測ってみる。この子はよくできるのか、できないのかと。測定的見方ともいえるでしょう。道徳主義の人—この人は、その姿勢の正しさはとてもいいことなのだけれども、どうしても、子どもを批判的に見てしまいます。了解主義の人は、子どもをただやみくもに解釈しようとする傾向があります。共感主義というのは、どんなときにも、子どもをありのまま肯定的にとらえようという見方です。「ウン、ウン」と肯定してやる。でも、これがむずかしいのです。あるがままに見て受け入れることから一歩先へ踏みこむわけですから。子どもをそのまま肯定する、その子が生きていることを肯定することは、なかなか容易ではないのです。』


以上です。さて、親や先生は、わが子を、自分のクラスの子を、どの目で見ているのでしょうね。私も、わが身をふり返ってみたいと思います。

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子どもと信頼関係をつくる、子どもとの「信頼関係」を取り戻す

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by takaboo-54p125 | 2011-03-06 05:01 | 育児・子育て