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「やってみせ、
言って聞かせて、させてみて、
ほめてやらねば、人(子ども)は動かぬ」

 この名言は、
たまたま読んだ「現代に生かす海軍名語録」(上村嵐・著)に載っていました。                                                                           
著者の上村さんは、戦時中は海軍、戦後は海上自衛隊に勤務しておられたそうです。
軍隊とは、洋の東西を問わず、上意下達、
「イエス、サー」
の世界だと思っていました。


尊敬する叔父から薦められました。最初は題名を見て、体育会系の暑苦しい本やろなぁ、と思いながら読んでみたのですが、驚きました。                                                                                         
上村さんの上官だった戦艦『長門』の山本五十六(いそろく)長官の教えが、この名言でした。
海軍のような上官命令には絶対服従の世界でも、本気で部下をやる気にさせることに、心を砕いていた長官がいたのです。
その人が山本五十六(いそろく)長官だったのです。
上村さんは著書の中で、山本長官の教えを、次のように解説していました。


『【やってみせ】
これは、「模範を示してやる」ということです。
しかし、指導者にそれだけの実力がなければ、
立派な模範を示すことはできません。
したがって、指導者は常日ごろから、
よく勉強して実力を身につけておく必要があります。
そうでないと、
「やってみせ」という具合にはいかないのです。


【言って】
これは「説明する」ことです。
しかし、説明すると言っても、
相手がわかってくれないと、なんにもなりません。
だから、指導者は、
何事もわかりやすく説明する必要があります。
昔から「人を見て法を説け」という言葉があります。
そのとおりで、
相手によくわかるように説明しなければならないのです。


【聞かせて】
これは「相手に納得させる」ということです。
そのためには、たった1回だけではなく、
指導者がくり返し説得する必要があります。
最近の若い人たちは納得すると実によく働くので、
これは非常に大切なことです。


【させてみて】
これは、「実際に体験させる」ということです。
頭ではわかっていても、
なかなか思うとおりにはいきません。
やはり、頭だけではなく、
自分の手足を使ってやってみることを、
体験させることが大切です。


【ほめてやらねば】
これは、やったことに対して
「善し悪しを評価してやる」ことです。
よくできた場合は、もちろんほめてやればよいし、
失敗した場合は、失敗の理由を説明して、
激励してやることが大切です。
やらせておいて、指導者が何も言ってやらないと、
張り合いがなくなるだけでなく、
やる気も消失させることになります。


【人(子)は動かぬ】
人が本気でやるぞという気持ちになるには、
手本と根気と納得と体験と評価、
つまり、「指導者の愛情」
が含まれていることを忘れてはなりません。』


以上です。
 これって、子育て・育児の基本やん、保育・教育も同じやんと思いました。                                                                                                           
覚えておきましょう。
「やってみせ、
言って聞かせて、させてみて、
ほめてやらねば、人(子)は動かぬ」


叔父上、ありがとうございます。山本五十六の語録は他にもありました。


「話し合い 耳を傾け 承認し、任せてやらねば 人は育たず」


「やっている 姿を感謝で 見守って、信頼せねば 人は実らず」

関連ページ
「パパママ育児⑥」お世話だけではヘリコプター・ペアレンツ1歩手間【自立へつながる4つの幸せ】キラッと子育て+親が子を見る【5つの目】+育児ママが共感する詩
http://sg2takaboo.exblog.jp/24898284/


by takaboo-54p125 | 2010-11-28 05:16 | 育児・子育て

洗濯物の多い子育て世代のみなさんにとって、洗濯物を手際よくベランダに干しても、乾きにくい季節になりましたね。                                                                    天気予報はきめ細かくなったのに、なぜかはずれることが多く、イマイチ信用できません。                                                                                                                                                                                                                                私も、毎日、洗濯物をいかに乾かすかで、空模様(風向き・雲の動き)とにらめっこです。                                                                          翌日になっても乾いていなかったら、それこそハンガーが足りなくなって、ヤバイ状況になります。


それで世の中の家事短テクニックの達人の方々には遠くおよびませんが、それなりに工夫はしています。                                                                                                                   どなたもしておられることで、わざわざ書くほどでもありませんが、時間が10分ほど空いたので、まあ書いてみます。


ジャージなど乾きが早いものと、綿など乾きにくいものを交互に干しています。


長いものと短いものも交互に干して、風を通りやすくしています。


ズボンで厚めの生地のものは、裏返してポケットの内側にも風があたるようにしています。


ごつい生地なら、すそを上にして、ズボンが筒状になるように干すこともあります。


うちは、シンプルな物干しざおですから、ヒモの輪を通して、それにハンガー(乾きにくいもの)をかけると、風でクルクル回って、より速く乾きます。


これは間に合わないという時は、子ども部屋の空気清浄機(真上に空気が出るタイプ)の上に干します。


便利グッズを知らないので、強風でハンガーが1か所に寄らないように、物干しざおの所々に、あり合わせのものでストッパーをつくってます。


ひっかける所がついてる物干しざおやら、お金を出せば便利に洗濯物干しができるグッズもいろいろあると聞いて、へえーっと感心しています。
                                                                                                          便利グッズを買うお金の余裕はありませんが、色物を濃い色から同色系ごとに順番に並べて干していただけで、ご近所から、                                                                                                                         「きれいに干してはるなぁ」                                                                               と、ちょっとだけ感心してもらって、喜んでいます。(単純です)


by takaboo-54p125 | 2010-11-25 12:49 | くらし

『地球がもし1mの球だったら』


3月11日を前日にして


今までの私たちの常識を覆す未曾有の日から、明日でちょうど1年たちます。今も避難生活を余儀なくされている方々の心労・過労を思うと、私など、ぜいたくは言えません。思うことは、みなさん、それぞれのお立場で、たくさんあることでしょう。2012年10月下旬の朝日新聞「天声人語」の冒頭には、以下の文がありました。


・・作家の椎名誠さんが7月の小紙に寄せていた。椎名さんは


地球がもし100cmの球だったら』という絵本を紹介しつつ、この惑星の有限性を述べている。直径(地球)1mに縮尺すれば大気の層はわずか1mmしかないのである、と。すべての水はビール大瓶1本分。海水を除いて人が飲める水はスプーン1杯の量しかない—など、目を開かされた例えをふと思い出した。・・」


2011年3月11日の巨大地震・巨大津波の衝撃は、甚大な被害をもたらしました。それに追い打ちをかけるように、局地的豪雨、大型台風、大洪水、記録的猛暑、豪雪など、数々の自然の脅威は、私たちの経験と予知をはるかに超える地球に変貌したのではないか、と痛感させられた1年間でもありました。さらに加えるなら、気温も降水量も、観測史上初があちこちで更新されたという事実は、オゾン層を温室効果ガスが破壊することによる気象変動の始まりかと、受けとめざるを得ないのでしょうか。同時に、安全だと聞かされて大丈夫だとみんなが信じきっていた原発の、絶句してしまうほどの、測り知れないリスクは・・・言葉になりません。


CMでは「エコナビ」とか言ってますが、最も大切なのは使う人の気持ちひとつです。「東北の復興なくして日本の再生はありえない」という言葉を(聞き流さず)かみしめると、節電も、節水も、自分のできることを期間限定ではなく、日本中の誰もが行動に移さなければならない時代が始まったのかも知れません。


とりわけ福島県のみなさんの耐え難いほどの心痛を思うと、原発なしで地球温暖化を防ぐ省エネ・低炭素社会の実現のために、被災地以外の誰もが「少しずつガマンする意識を共有せなあかん時代」のスタートだと、言いかえてもいいのではないでしょうか。国が莫大な借金を増やしながら、私たち国民が快適な暮らしだけを求め続けることの矛盾を指摘する人(つつましく暮らし始めた人)は、私の周囲でも徐々に増えてきました。


原発の怖さに気づくには、あまりにも大きすぎる犠牲でした。他の場合でも、例えば、国の政策で全国の造林公社が杉の植林に走った結果、スギ花粉症が猛威をふるうようになった現実を見ても、人間が開発だけを追求すれば、予測すらできないリスクも背負うことを、私たちは自覚しなければならないのでしょう。


2012年いただいた年賀状の冒頭の挨拶も、例年とはひと味ちがう文言が多かったと感じました。増えたのは「恭賀新年」でした。四字熟語では「迎春吉祥」「笑門来福」「招運来福」が目を引きました。


ひときわ心をひかれたのは、次の3つです。


「笑顔の花咲く一年に」「希望と潤いのある一年に」「安穏平和な一年で」


私自身、あまりたいしたことはできていません。ホットカーペットの下に断熱シートを敷いたり、石油ファンヒーターを石油ストーブに換えて、やかんを置いて湯を沸かしたり、LED照明(数箇所だけ)につけかえたり、夜間は電気ポットのコンセントを抜いたり、エアコンの必要な部屋では設定温度を冬は18℃にしたり・・・ぐらいです。ただ原発依存度の高かった(あえて過去形にしたい)関西に住んでいますので、清水の舞台から飛び降りるつもりで、太陽光パネル(4,41kw)を屋根に乗せました。でも、今度の夏も扇風機をメインにしつつ、エアコンが必要な部屋も夏の目標は29~30℃です。エコライフをしていると言えるまでには、まだまだ千里の道の1歩という段階ですけど、ハッと気づいた時は、自分なりにできることを、微々たることでも日々実行していきたいと、明日を前日にして改めて思いました。


地球がもし直径1mの球だと考えて・・・つつましく暮らす意識を共有するエコライフができたら・・・ちなみに、エコライフという言葉は、小学校:家庭科の教科書にも大事な単元の1つとして載っています。



釜石小学校校歌【ピアノ伴奏】従姉妹に弾いてもらいました


【歌詞】


いきいき生きる いきいき生きる


ひとりで立って まっすぐ生きる


困ったときは 目をあげて


星を目あてに まっすぐ生きる


息あるうちは いきいき生きる




はっきり話す はっきり話す


びくびくせずに はっきり話す


困ったときは あわてずに


人間について よく考える


考えたなら はっきり話す




しっかりつかむ しっかりつかむ


まことの知恵を しっかりつかむ


困ったときは 手を出して


ともだちの手を しっかりつかむ


手と手をつないで しっかり生きる



クラスでも集会でも歌える曲です。




【おじぎで気持ちをとどけよう】


卒業・卒園シーズンが近づいてきました。
卒業生・卒園生はもちろん、在校生・在園生も練習が始まります。
2月20日(日)の朝日新聞32面(生活面)に「おじぎで真心つたえる」という記事がのっていました。
ほとんど抜粋してワンポイントだけ紹介します。


『基本は5段階。


①相手に向かう
②相手を見てから上半身を腰から倒す
③下で止まる
④ゆっくり体を起こす
⑤もう一度相手を見る


美しい立ち姿は、おへその周りを伸ばす。


会釈は、時計の6:05の長針の角度。


礼は、6:10の長針の角度。


就活など、ていねいな「おじぎ」は6:12の長針の角度。・・』


なるほど、ですね。


しかし、こういう礼をするのは、実際にはなかなか難しいですよね。
礼をしている自分の姿が、自分には見えないからです。
礼のコツをどのような言葉で伝えると、子どもにわかりやすいでしょうか。頭だけ下を向く子、上半身を体は礼をしても顔だけ前を向いている子、さまざまです。いろいろ試してみました。
その結果、次の言葉が、子どもたちにイメージしてもらいやすかったです。


「礼をする時、頭を下げるというより、腰を後ろへスッと引くと、きれいに礼ができるよ」


いっぺん試してみてください。


【卒業式前日準備:5年生を全校の先生方で育てる日】


組織的な学校は、このチャンスを逃しません。小学校なら5年生が、体育館から玄関・廊下・教室、校舎外まで分担して準備します。全校の先生方が分担して、5年生と共に前日準備をします。最初、5年生を全員集めた時に先生が何を語るか、分担場所で各先生が何を語るか、そして終わった時に分担場所の各先生がどのような言葉で5年生のがんばりをねぎらうのか、最後に5年生を集めて先生が全体評価として、どのようにねぎらうのかを大事にします。5年生が「準備をがんばってよかったな!」明日から最高学年として「よーし、やるぞ」という気持ちになれるようなことを、どのように語るかで、明日からの5年生1人ひとりの動き(気持ち)が断然ちがってくるからです。                        


とりわけ、最後に評価をする先生を1人ではなく、多くの先生が評価の言葉を言う習慣になっている学校ほど、全員の先生で5年生を育てる大事な日という位置づけがなされています。 たくさんの先生からほめられた子どもたちのモチベーションは、当然アップするでしょう。


中学校でも同様です。「はい、終わった。ご苦労さん」だけでは、もったいない!1年間に何度かある絶好のチャンスを、見逃すか、見逃さない教師集団か、子どもたちは注目して観ています。  


保育士・教師のスモール・ステップ作戦(子どもとの向き合い方)
 らしんばん 3月号 ステップ1


まばたき0,1秒の決断→実行(返答)がいる瞬間


校舎3階の窓の外側にぶら下がりアピールする子
 その子は腹が立ってキレそうになると、自らスーッと教室を出て行き、担任や友達とトラブルになるのを避けようとする賢い子でした。荒れている子にも、さり気ない優しさで接してくれる子でもありました。
 でも、人に認めてほしいと思うのは大人も子どもも同じです。
担任は学年主任に認めてもらえるとうれしいし、学年主任は学校長に認めてもらえるとうれしいのが人情です。
モチベーションもあがります。
世間では今、インターネットで『自分で自分をほめるためのサイト』の人気が急上昇しているそうです。
 その子も鮮烈なアピールをしてくれました。
それは、校舎3階の窓の外側に、両腕だけでぶら下がって、
「先生、すごいやろ」
と笑顔でアピールするのです。たいした度胸です、と感心している場合ではありません。
現場に居合わせた教師は、背中に冷や汗がタラ~と流れてきます。
しかし、その状況では、
「こらー、危ないやろ、戻って来い」
とは、怒鳴れないのです。
もし、転落したら、と思うからです。
「すごい腕力やな。腕相撲の勝負がしたいし、こっちへ戻って来てくれるか」
と、頼むしかありませんでした。時々、こういうケースを耳にするようになりました。
こういう場面、さて、先生方なら、どう対処されますか?


卒業証書授与1人目、来賓保護者席から盛大な拍手が
 卒業証書授与1人目が校長先生から受け取った瞬間です。
来賓席から拍手が起こり、保護者席にも広がり、在校生(拍手はしない指導済み)もつられてしまい、盛大な拍手が起こりました。
 マイクの前で、呼名をしていた6年担任が、とっさに言いました。
心のこもった拍手、ありがとうございました。これから175名の卒業生の名前を次々と呼びます。
一人ひとりの「はい」という返事が、拍手で聞こえなくなってしまうので、拍手は心の中でしてやってください。
そして、最後の1人の時に、175人分の拍手を心をこめてしてやってくださるよう、お願いします。
では、呼名を続けます・・
シーンと静まりかえった中で、卒業証書授与は厳粛に進みました。
そして、175人目です。体育館中が、割れるような盛大な拍手で包まれました。
 どんなハプニングがおこるか予想できず、とっさの対応がいるのが卒業式・入学式です。
組織力のある学校では、全ての教職員がとっさに動けるように、目を光らせています。
養護学校の卒業式、卒業証書授与が始まりました。


保育士・教師のスモール・ステップ作戦(子どもとの向き合い方)
 らしんばん 3月号 ステップ2


校長先生のとっさの動きに感動させてもらいました。 
 小学部・中学部合同の卒業証書授与式。卒業生の入場も車椅子の子どもたちの歩む速さに合わせ、ゆったりと始まりました。
この温かい雰囲気は何だろう、なるほどと思いました。対面式の卒業式なのです。
車椅子の子どもたちはステージに上がるのに苦労するからでもあり、卒業生と在校生が向き合って座っていることで、在校生の子どもたちの集中力も高まっているのが伝わってきます。体育館に空間的余裕さえあれば、小学校でもやってみる値打ちがあると、感じさせられました。(私が勤務した大規模校も対面式で、感動的でしたよ)
 校歌斉唱も済み、いよいよ卒業証書授与。小6も中3も練習してきていますが、来賓や保護者(自分の家の人も)が、ずらりと座っている雰囲気が練習とは違います。どの子も、いつもと違う体育館の空気に、緊張気味に見えます。呼名された子から演壇の前へ進み、校長先生から卒業証書を受け取る瞬間、来賓席からも、保護者席からも、在校生や教職員からも、卒業生の顔が
       ステージ


           卒業生
            ↓
                   ←来賓


教職員→      演壇


                    ←保護者   
             ↑
           在校生


はっきりと見えることで、会場にいる全員が、その子の顔に「おめでとう」って語りかけているような、優しさに包まれながら、一人ひとりが卒業証書を受け取っていきました。
 一人の子が演壇に向かって歩き始めました。その子は歩きながら、保護者席の方をじっと見ていました。演壇の前に来ても保護者席に目を(体も)向けています。おうちの方を見ていたのでしょう。その瞬間、校長先生がスッと、その子の前まで歩み寄り、その子と保護者席の間に立って、卒業証書を読んで、その子に渡しました。なんの違和感もなく、自然体で、なんとも微笑ましい光景でした。その後、校長先生は車椅子の子には、演壇の前へ自ら歩み、中腰になって(車椅子の子と同じ目線になって)卒業証書を渡されました。それを見ているうちに、じわ~っと心の中に感動が広がっていく自分に気がつきました。感動の余韻が残る、ステキでぬくもりのある卒業式でした。


【卒業式:ハプニングと御法度は違います】


卒園式・卒業式に、卒園式・卒業式に、ハプニングはつきものです。私の勤務した3校や、わが子たちの卒園・卒業した7校園の計10校園でも、他校園(保幼小中高養)の聞いた話でも、いろいろなハプニングがありました。


△ワイヤレス・マイクが本番途中でダメになりました。単純に電池切れです。予備のマイクで対応しましたが、前日に電池交換しておくべきでしょう。


△雪と低温のため、体育館入り口付近のコンクリート(床面)が凍っていました。角スコップで削れるだけ削って、子どもたち・保護者・来賓が滑って転ばないように、「みざら」を運んで置きました。いつもより早く出勤して点検するしかないでしょう。


△前日のリハーサルではあった、卒業生のイスが1つ足りませんでした。すぐにイスを持って走りました。前日の夕方、壁面の飾りの修正のため、そのイスを使った教職員が、元どおりにしておかなかったからです。当日の朝、数を最終点検するか、最初から、予備として1脚増やして並べておけばいいでしょう。


△計算どおりに並べたはずの保護者のイスが大量に足りない事態が起こったこともありました。あわてて、予備のイスを運びました。理由は、1人の卒業生に保護者が2人来られたからでした。体育館のスペースと、イスの数に応じた対策が必要でしょう。


△大規模校での卒業証書授与、最初の1人目の時、来賓が拍手したのにつられて、保護者や在校生まで拍手してしまいました。呼名をしていた担任がアドリブで、
「心のこもった拍手をありがとうございます。これから次々と卒業生の名前を呼びます。卒業生の返事『はい』が拍手で聞こえなくなりますので、心の中で拍手してください。そして、最後の卒業生の時に、175名への大きな拍手をお願いします。呼名を続けます」
と、お礼とお願いを述べて、厳粛な卒業証書授与を続けることができました。予期せぬことが起こっても、あわてずに、とっさの落ち着いた対応が肝心です。


△担任が呼名する時や、校長・園長が手渡す時に、名前を読み間違えることも、たまにあります。担任の場合は、思いに浸ってしまうからで、校長の場合は、その子の名前を覚えていないからでしょう。担任は、思いに浸らず呼名だけに徹し、校長は、読み仮名の短冊をはさんでおくのがいいでしょう。式の後、卒業生と保護者に心からお詫びするのも当然でしょう。担任の呼名は、姓と名の間を一瞬あけて読むのが、それを聴く卒業生が「はい」と返事しやすいし、保護者にも印象深い呼名となるでしょう


△卒業証書を2枚重ねて渡してしまい、次の卒業生の呼名と、卒業証書の名前が合わず、あわててしまうこともあります。予備の卒業証書を用意しておき、「おめでとう」と言って手渡す時に、「さっきの子に2枚渡してしまった。ごめんな」と小声で言うしかないでしょう。会場のみんなには、励ましの声をかけているように見えるでしょう。


△かんじんの卒業証書を校長室に置き忘れたことに誰も気づかず、式が始まってしまうことも、ないとは限りません。その場合は、マイクを握っている人の「とっさの気転」による場つなぎ(卒業証書が届くまでの間)のアドリブが、会場をざわつかせるかどうかの鍵を握ると言えるでしょう。


△卒業生が貧血で倒れたり、呼びかけのセリフを緊張で言えなくなってしまうこともありましたが、周囲の卒業生が、とっさに支えてくれました。これには、ちょっと感動です。


もちろん、卒園式・卒業式で、絶対にミスってはいけない鉄則もあります。それは、卒業生・保護者・来賓に不愉快な思いをさせてはならない、ということです。


●保護者受付で渡す紙(式次第・卒業生名・校歌・式歌)の卒業生の氏名、絶対に誤字があってはなりません。誤字の上にシールを貼って、一文字訂正するなんて、論外です。そんなことをする時間があるなら、印刷し直したら済むことです。卒業生氏名に誤字があるということは、担当者任せにして、複数の者がチェックしていない証拠です。名前の誤字チェックを、担当・担任・学年主任・教務主任・管理職が回覧している学校・園は、日常的に組織的な動きができていると言えるでしょう。                                                                  


●学校・園を普段から支えてくださっているのが、来賓のみなさんです。学校・園が招待しておいて、来賓受付での名簿もれは、絶対にあってはならない失礼極まりないことです。担当者1人のミスが、学校・園全体に対する地域の信頼を失ってしまうことになりますから、最低でも3人が目を通すチェック体制が必要不可欠でしょう。


●学校長・園長式辞ですが、これは校長・園長自らが、教頭などに、一度目を通してくれないか、と声をかけるべきです。校長たる者、代読という万一のことまで考えておく立場だと自覚してほしいし、内容に偏りがないか、教頭・教務に読ませる度量がほしいものです。卒業式の式辞とは、あくまでも卒業生全員に等しく、心から祝福と励ましを述べるものです。個人の活躍を讃えるのなら、始業式などで紹介し、全校みんなで拍手してあげたらいいでしょう。


●卒業文集には、卒業生1人ひとりのページがあります。ですから、その子が書きたいことを書けばいいのですが、卒業文集とは、全卒業生はもちろん、保護者も読みます。そして、気になる内容が書いてあれば、親同士・近所同士のうわさ話のネタになってしまいます。そんなことにならぬよう、担任にも大事な役割があります。それは、文集に書いたことで「△△君は、こんなことを書いてやる」と、大人たちが広めるうわさ話の主人公に、卒業生全員がならないよう、守ってあげることです。具体的には、各自の書いた文章に目を通し、誤字脱字を直してあげること、読んだ大人の誤解を招いて本人の評判が落ちる内容があれば、そのことを本人に教えてやり、気づかせ、本人が納得して書き直すようにさせてあげること、この2つです。担任は、これを放棄してはなりません。卒業生自身の名誉が傷つく文章を、見過ごして印刷してはなりません。卒業生1人ひとりのページに真正面から向き合うか、背を向けて逃げるか、そこで教師としての資格が問われていると言ってもいいでしょう。(普段からの姿勢で決まるでしょうけど)


●他府県の高校の卒業式で、式歌を歌う時に管理職がしていた「せこい」ことについて、作家の赤川次郎さんが新聞に投書されていたので驚きました。「教師の口元チェックをしながら、姿勢正しく心をこめて、歌えたはずがない・・生徒のためでのものであるはずの卒業式で、管理職が教師の口元を監視する。何と醜悪な光景だろう・・」と、一石を投じておられました。この赤川次郎さんの投書を読んで、卒業生のために模範となる姿勢で朗々と歌うお手本を、堂々たる態度で示すのが、本来、管理職のあるべき姿ではないかと、私も改めて思いました。


これらの過去の教訓は、入学式・入園式でも同様です。


入学生・入園生一覧を大きな模造紙に書いて、受付に貼り出すなら、名前の誤字は御法度です。残念ながら、私がかつて勤務した学校で1回だけありました。保護者は当然抗議されました。管理職・教務・学年主任・担任、総出で平謝りです。私たち職員全員が申し訳ない気持ちでいっぱいになった苦い教訓です。みなさん、どうか同じ轍を踏まないようにお願いします。(必ず複数の目でチェックを)


【高校の感動的な卒業式】


高校の卒業式(県内の高校は同じ日)、ステージ上に大きなスクリーンがあります。どの場面で活用しやはるのかなぁと思いました。在校生代表の送辞が終わって、いよいよ卒業生代表の答辞です。


オーッと思いました。各クラスの代表が1名ずつステージ上に並びました。体育祭・文化祭の団長をしてくれた卒業生だそうです。そして、順番に1人ずつ自分の言葉で語ってくれました。


1人目は後輩へ向けての言葉でした。涙をこらえながらの感動的なメッセージでした。先輩にこんなこと言ってもらえたら、後輩はうれしいやろなぁと思いました。私の隣に座っていたお父さんも泣いておられました。


2人目は友だちへ向けての言葉でした。これまた、しみじみと胸を打つメッセージでした。友だちとの別れを惜しむひと言ひと言でした。隣のお父さんはまた、もらい泣きしておられました。


3人目は親へ向けての言葉でした。ほんまに目の前の親に語りかけるような、感謝の言葉でした。心にズンと響きました。隣のお父さん大丈夫かな、と思っていた私までウルッときてしまいました。


4人目は先生方への言葉でした。先生に反抗したことも正直に語ってくれました。これを聞いたら、先生らも泣かはると思いました。もう感動のオンパレードで、これは参りました。


そして、5人目は未来への自分に向けての言葉でした。厳しい現実をしっかり見つめながら希望を語ってくれました。それは、さわやかな誓いの言葉でもありました。隣のお父さんは・・・やっぱり泣いておられました。


この5人の答辞の時、スクリーンには思い出の場面が次々と映されました。語りかける5人の卒業生の背景を、さり気なく演出してくれました。答辞が1人ではなく、5人が登壇しての答辞だったのは、最高によかったです。卒業生は女子も男子も卒業生呼名あたりから、涙々だったそうです。1時間10~15分の、本当にすばらしい卒業式でした。高校の適正規模はやっぱり学年4~6クラスがいいなあと実感しました。8クラスもあったら、在校生みんなが、この貴重な感動体験の場を共有できなくなるじゃないですか。他の高校でも、こういうクラス代表による答辞(複数の卒業生)をしておられるのでしょうか。フロンティア・スピリットのある中学校でも、ぜひともチャレンジしてほしいものです。


そして、卒業生退場、来賓退場の次が在校生退場でした。小学校・中学校では来賓の次が保護者退場で、保護者も3年の教室へ行きます。ですから、高校の卒業式が初めての保護者は、皆さん戸惑っておられました。そしたら、3年生の担任の先生方が保護者席の前に来られました。そこで、保護者代表の言葉と、学年主任の先生の言葉がありました。なるほど、と思いました。(あらかじめ知らせておいてほしかったですね)体育館で、お世話になった先生にお礼を述べて家路につきました。卒業生と担任だけで最後のLHRをするのが高校なんだと、初めて知りました。


ひとつだけ残念だったのは、一部の自己???な保護者のマナーです。前日から雨でした。「駐車場を予定していたグランドが大変ぬかるんでいるので、できるだけ公共交通機関でお越しください」という学校からのメール配信が前日にありました。グランドは、どの運動部にとっても大事な場です。明日から後輩たちが練習に使うグランドなのです。卒業生は「立つ鳥、跡を濁さず」で巣立って行きました。その親が学校からのお願いに協力しないで、どうするのですか。グランドを親のクルマのタイヤの跡だらけにして、恥ずかしくないのでしょうか。学校までクルマで来なければならない事情のある親があれほど多いとは思えません。幸い高校の正門を徒歩で入る保護者も多く、グランドのまん中は無事だったようです。しかし、「正直者はバカを見るなぁ」と言っておられる保護者も何人もおられました。私も一応、高校の近くの知り合いの所に頼んでクルマを置かせてもらって、徒歩で行きました。そう言えば入学式も、駅から歩いたのを思い出しました。来年度は、学校とPTAが一体となり「正直者がバカを見ない」卒業式にしてやってください。今回は、その正直者の保護者のおかげで、グランド中央が無事だったのですから。昨年度の入学式も同じような状況だったと聞きます。駅から徒歩で来た昨年度入学の保護者が憤慨しておられました。これでは正直者が減っていきます。


保育士・教師のスモール・ステップ作戦(子どもとの向き合い方)
 らしんばん 3月号 ステップ3


学級費を年度末になっても払ってもらえません。
一応たてかえた担任はどうすればいいのでしょう。
 6年生です。
学級費や卒業積み立て(卒業アルバム等)など毎月2500~3500円集金していますが、経済的な理由等で滞りがちでした。
担任も借金取りみたいに催促しに行くのは遠慮していました。
ある日の夕方、お母さんがパチンコ店から出て来るのを担任は目撃しました。
それからは、子どもが忘れて帰った物を届けに行ったついでに、
最近の子どものよい姿を必ず伝えてから、
「お母さん、○月分の学級集金、そろそろ業者に支払わなあかんので、お願いします」
と頼みました。
その「足を運ぶ」というやり方で、遅れ気味ではあっても、学級集金を支払ってくださるようになりました。
 ただし、その2年前にも、別の子でよく似た状況があった時は、卒業まで支払ってもらいそこねて、
「この子の出世払いにしとこ」と自分に言い聞かせた経験もしていました。
 同僚に聞くと、ベテランの女の先生のすご腕には、感心させられました。
子どものお母さんが家事が苦手なので、お母さんの信頼をつかんだ、その先生は、毎月、訪宅する度に、お母さんに、台所の片付けや、洗濯物の片付けなどを教えながら一緒にして、帰り際に、学級集金をもらって帰ったとのことです。「足を運ぶ」という点は同じですが、なかなか真似のできることではありません。
まずは、学年主任や管理職に相談しましょう。


給食費を払わずに子どもを卒業させる保護者が‥!
 合併するまでの話です。
給食会計は、学校ごとの独立採算制になっていました。
給食費を支払ってもらえなかったら、赤字です。
補填するお金なんか、母上から小遣いをもらうどこかの国の元首相とちがって、学校のどこを探してもありません。
 何ヶ月かの分を払えないまま、進級する子もいます。
でも、子どものせいではなくて、保護者の責任です。もちろん払えない状況の家庭もあります。でも、保護者によってですが、ベンツやレクサス(セルシオ)を乗っていて払えないということはないでしょう。
それでも、まさか払えないから、給食を食べさせないというわけにはいきません。
保護者には督促状が毎月いきますが、「なしのつぶて」という人もいました。
中には、6年間一度も払えずに、いや、払わずに、子どもが卒業していく家庭もありました。給食費は子ども1人あたり6年間で20万円を越えます。
 結局、転任して行かれたり、定年退職される校長先生が、ポケットマネーで補填してくださっていたのです。
頭の下がる思いですが、学校長が給食費未収金を個人的に補填せざるを得ないって、おかしいと思いました。
もちろん、知らん顔して転任して行かれた校長先生もおられました。
補填してくださった元校長先生方、誰に代わってと言えばいいのかわかりませんが、ありがとうございました。
金額を聞いたわけではないのですが、校長先生の給料ひと月分以上の年もあったようです。感謝状は誰が贈るのでしょう?


保育士・教師のスモール・ステップ作戦(子どもとの向き合い方)
 らしんばん 3月号 ステップ4


次年度検討委員会は腹をくくって行う会議です
バランスを最優先に検討する場なのです
 各学年の子どもの状況、先生方の状況(第1~3希望も含め)の、あらゆることのバランスを最優先に検討する会議です。
3学期末に校長は先生方から個別に希望の聞き取りをしておきます。
メンバーは、校長、教頭、教務部と特別支援部から1名、低学年部から1名、中学年部から1名、高学年部から1名の5名がベストです。
人数が多すぎると、まとまりません。
各部代表の1名は先生方の希望を聞いておきますが、それを実現するための代表ではありません。
腹をくくったメンバーなのです。
そのことは、後で書きます。
そして、4月1日に校長から発表されるまで、情報をもらさないのが鉄則です。
 あくまでも、学校全体のバランスを最優先に考えることの目的は、どの学年の子どもも大事にしたいという一点につきます。
組織力のある学校では、先生方の希望は参考資料ですから、考慮しつつも、全体のバランスを優先します。
教務主任、加配教員、7学年(特別支援学級部も含めて)の学年主任の確保ができるかどうかです。


検討委員は一番しんどい役を引き受ける覚悟がある!
 検討委員は、選ばれた段階で、みんなが引き受けたがらないポジションを自分が引き受ける覚悟をし、腹をくくって会議に臨みます。
そんな検討委員に、自分の希望をごり押しする先生は、組織力のある学校には1人もいません。
組織力のない学校では、3月中に情報の全容がもれることもあります。3月中にクラス編成名簿を勝手に見る(悪質なのは人間関係も充分考慮したクラス分けを無視して、差し替えを行う)自己???先生が出現しないように気をつけなければいけません。
クラス編成名簿の校内流出(春休みの3月中)を防ぐ「セキュリティー」が必要な学校は、要注意です。(早く新体制をとらなければならない非常事態の学校は別です。管理職以下、全教職員の合意なら、それも1つの組織力ということです)
原則として、転入の先生も含めて4月1日を「よーい、ドン」、新担任のスタートラインにしましょう。


保育士・教師のスモール・ステップ作戦(子どもとの向き合い方)
 らしんばん 3月号 ステップ5


人事異動は、新鮮な風を入れて学校・園の活性化を図るため


職員会議で発言する時「前の学校・園では・・」は禁句
 何もかも前年どおりで、すんなり決まっていく職員会議は、ひょっとしたらマンネリ化している現れかも知れません。
人事異動の、最大のメリットは、新鮮な風を入れて、職員会議の活性化を図ることにあるような気がします。
転入してきた先生でないと、気づかないことがあるはずです。
 だから、転入してきた先生も遠慮せず、率直に(かき回すような無遠慮・無神経は×)質問や意見を言った方がいいでしょう。
それで、先生方がハッとさせられる場合もあるからです。
 しかし、おかしいと感じたことにも黙ったまま1年間が過ぎると、悪い意味で慣れてしまって、おかしいと感じなくなってしまうでしょう。
これは学校の活性化を図るためには、もったいないことです。
 ただ、転入してきた先生が自ら戒めないといけないのは、
「前の学校・園では○○してきました」
と言ったら、どれだけよいアイデアであっても、先生方の反発を食らう結果に終わることが少なくないということです。
この言い方は、職場の人間関係を築くためにも、マイナスです。
むしろ、おかしいと感じたら、
「○○をしてみてはどうでしょう」
と、アイデアだけを発言することを、お奨めします。
絶対に、
「前の学校・園では・・」
とは言わないように気をつければよいだけです。
ほんのちょっとしたことですけど、転任した時には、心がけてみましょう。
決して損はしません。


何日で「うちの学校・園」と言えるようになれますか? 
 転任してきた先生がすぐ言ってしまう言葉の№1は
「ここの学校・園では・・」
というセリフです。
このセリフを口にしているうちは、まだまだ、よそ者ですね。
まだ、前任校の職員気分が抜けていません。
いつまでたっても、このセリフを職員会議の度に言っていると、先生方の信用も失ってしまいます。
1日でも早く、
「うちの学校・園では・・」
と言えるようになれるよう、意識してみるとよいのではないでしょうか。
初日の会議で、
「うちの学校・園で・・」
と発言する先生は、ごくまれにいますが、もう本校・本園の職員になりきっておられます。


転任してきた教師が感じた職員室の違和感】


私がかつて勤務していた大規模校に、転任して来た1人の先生が、当時、時々「この学校には、教師の空気に違和感を感じる」ような意味のことを、ちらっとこぼしておられました。私は同校に10年近く勤務していたので、鈍感になっていたのか、転任して来られた方の気になる「ひと言」をもっと大事に聴く謙虚な姿勢が、自分になかったことを、今、恥ずかしく思います。人事異動によって、新鮮な風を入れてくださったのを、無駄にしてしまいました。ごめんなさい。


と言いますのも、過日、その先生と出会った時、数年ぶりに当時の頃を話題にしました。そして、私が、「先生は、あの頃、何に違和感を感じていたのですか?」と聞くと、その先生はズバリ、「たとえば、放課後の職員室」と言われました。毎日、放課後、職員室の電話(大規模校なので2,3台)は、保護者に電話連絡している担任だらけで、おまけに、出会って話すべき内容も少なくなかったそうです。(あ然・・)


たしか、私はその頃は生徒指導担当をしていて、「電話では誤解が伝わります。足を運べば誠意が伝わります。微妙な内容なら、必ず訪宅して保護者と出会って話してください」みたいなことは、職場のみんなに言っていた(書いていた)つもりでしたが、担任の先生方の心には届いていなかったことに気づかされました。私も放課後は、外回りや保護者対応に追われていたというのは、言い訳でしかありません。生徒指導は組織の力で!なんて、偉そうなことを口では言いながら、私自身が個人技の生徒指導しかできていなかったということです。(それも後追い指導ばかりでした)


それに比べて、ウェブページでも紹介しております、公開授業を観せていただいた6校(小中高)では、積極的な生徒指導を日々の授業の中で展開しておられました。しかも、学校ぐるみで組織的にしておられることは、各学年各クラスの子どもたちの表情を見れば、一目瞭然でした。(当ブログのページ「学びの共同体」【授業づくりのキーワード】・・【小学校のチャレンジ】・・等々を参照)


もう数年前のことですが、大変ほろ苦い気持ちです。当時、各学年部へ本当の意味でのフォローができず、申し訳ありませんでした。自分にできていなかったことを言うのも厚かましいのですが、職場の空気(電話で済まさないなど)をつくるって、改めて、学校ではとても大切にせなあかんと痛切に感じています(後の祭りやけど、反省です)。それを実現している学校を参観しただけに、余計にズシンとこたえます。



関連ページ


子どもと向き合う学級づくり①【4月の教室】+【入学式前日準備】【出退勤で大事なこと】【連絡帳の秘訣】【3ヶ月続けたい言葉がけ】【画びょうの使い方】

http://sg2takaboo.exblog.jp/24898094/


子どもと信頼関係をつくる、子どもとの「信頼関係」を取り戻す

http://sg2takaboo.exblog.jp/24898595/




by takaboo-54p125 | 2010-11-23 03:26 | 保育・教育

月です


おうちの方へ(1)


朝食は、1日の生活のリズムをつくり出す大切な食事です。朝食を食べて胃腸が働き出すと、今日1日の活動が始まったことを体全体が認識するのです。                                                                          その朝食を抜いてしまうと…集中力が保てなくなります。
 人間は食事を体内で糖分に変え、エネルギー源にして活動しています。朝食を抜くと、午前中の活動に必要な糖分が入ってきません。特に脳は糖分をため込めないため、食事の間隔があきすぎると活動が鈍り、集中力も保てなくなります。くり返しになりますが、脳のエネルギー源になるのがブドウ糖です。だから朝食でご飯やパンを食べることは、大切だということです。


それが朝食抜きでは、午前中は脳がエネルギー切れのまま活動することになってしまい、これでは集中力もなくなり、学校や園での学習などに身が入らなくなってしまうのです。他にも睡眠中に低下した体温を上昇させ、身体活動を活発化させる効果が朝食にはあります。
どうか、お子さんには朝食を食べる習慣を身につけさせてやってください。お願いします。


おうちの方へ(2)


お子さんがクラスの中で、どのような位置にいるかによって、おうちの方の感じ方も大きく変わってきます。ですから、全保護者と先生方で基本的に一致すべき点だけ書きます。


まず、クラスの中に、悲しく、つらい思いをする子を1人もつくらないこと、そして、クラスの中に「わるもの」を1人もつくらないこと、この2つでしょうか。この2つに関して、すべての親と教師が目標として団結できたら、クラスは必ずよい方向へ向かいます。


おうちの方へ(3)


お子さんが、いやなことをされたり、言われたりしたのなら、前にも書きましたが、「おまえはね、友だちからバカにされるような子では絶対ないよ」と言ってあげてほしいと思います。お子さんが、いやなことをしたり、言ったりしたのなら「おまえは・・」と怒鳴るのは逆効果、友だちに八つ当たりをするので、「こういうことをしたり、言ったりするのが、いけないわけはね・・」と言ってあげてほしいと思います。どちらも、ベースの基本ラインだけですが。


おうちの方へ(4)


クラスが落ち着かないと、おうちの方も心配で不安になられるのは当然だと思います。そういう時こそ、お子さんが、おうちで安心感や満足感がたっぷり味わえるようにしてあげてほしいと思います。それが、お子さんの見えない「ちから」になるからです。


しからなあかん時はしかります。それは、いのちに関わる時と、人の心を傷つけた時です。 でも、どなるのではありません。「どうして、したの」と、気持ちを受けとめてあげます。必ずそれなりの理由はあるはずです。「だって、○○ちゃんがいやなこと言ったんだもん」と、子どもは、いいわけをすることもあります。親は「くやしかったんだね」と、相づちをうってから、  「じゃあ、こんなことをしてもいいの」子「わるい」親「じゃあ、なんでしたの」子「だって・・・」と、すねます。ふくれます。親「じゃあ、あなたがそんなことしてもいいの」というやりとりをくり返します。そのうち、子どもが甘えるような泣き方を始めるまで続けます。甘え泣きが出たら、わが子を抱きしめ「悪かったなって思っているんだね。えらいね。わかってくれてうれしいな。もう泣かなくていいよ。意地悪なことをするのは、もうやめようね」と、ほめながら、やさしく語りかけてあげましょう。


しかるのは、最後にほめるためだと、親はいつも自分に言い聞かせたいものですね。


おうちの方へ(5)


保幼はお迎えの時間や通園バスなど、わかりやすいのですが、小中でも曜日によって、下校時刻が決まっています。 一覧表も、小学校なら毎週の週予定、月予定、年間予定など、中学校なら毎週の週予定、部活の月予定、完全下校時刻(日没何分前というのが目安)の年間表など、つくっているはずです。それらは全保護者に配布されていると思います。それによって、寄り道をしない限りは何時何分ごろ帰宅するか、わかるようになっているはずです。ご不明の点は、学校や園に問い合わせてください。


おうちの方へ(6)


わが子の「エーッ」という姿に、思わずイラッときてしまうことは、私もよくあります。その時の私の言葉や態度に、わが子もイラッときてしまいます。こうなると、お互い悪循環に陥ってしまいます。そうならないためにも、親の基本は「ちゃんとしなさい」「しっかりしなさい」「いい子でいなさい」のような、あいまいな表現を使わないことです。例えば、子どもが朝食の時、みそ汁をこぼした場合です。「何やってんのよ」「この忙しい時に」のように、子どもの失敗をとがめても、親も子も後味の悪い結果にしかなりません。まず「やけどはしなかった?」と心配すべきでしょう。そして、大丈夫なら、「さあ、どうしたい?」と、後始末をどうするか、子どもに投げかけます。子どもの失敗ですから、子どもに考えさせることが大切なのです。「テーブルの上はフキンでふく。下は雑巾でふく。お母さん、手伝って」と言ってくれたら、「かしこいね。いっしょに片付けようね」と、子どもをほめることができるのです。いろんな状況があるますので、失敗した時のキーワードは「どうしたい?」になるのでしょうか。


2月です


おうちの方へ(1)


文句を言うのは簡単です。批判をするのも簡単です。でも、「じゃあ、どうしたいのか?そのためには、どうすればよいのか?」を考え、相談し、実行するのは、簡単なことではありません。今回の子どもたちへの提案(修学旅行のお小遣い)は、子どもたちに、その道筋を体験してほしかったのです。各クラスのみんなに意見を出してもらい、まとめるだけでも、なかなかたいへんなことです。それをやって、6年教師集団と話し合い、お互いに歩み寄りながら、みんなの願いを実現するために、知恵をしぼり、ねばり強く交渉する体験です。途中であきらめないこと、投げ出さないこと、説得できる中身を吟味することの体験でもあります。そして、100点満点の80点であったとしても、やりとげた成就感を味わうことを、ぜひ実感してほしかったのです。


おうちの中でも、子どもが不平不満を言った中身によって、子ども自身に考えさせるのにピッタリのことがあるかも知れません。まずは、1人でできないこと(親がしてあげていること)の中で一緒にしようと誘うことがスタートでしょうか。子どもが「1人でやる」と言ったら、基本的にはチャンスです。お風呂上がりのパジャマなどを用意するとか、洗濯物をたたんで自分の物をしまうとか、いっぱいあります。親と一緒にやっているうちに、1人でできたら、ほめながら、子どもが自分で「ジャンプ」したいと思える機会をつくってあげてみませんか。


おうちの方へ(2)


大人も子どもも、山あり谷あり、いつも、うまくいくとは限りません。結果が失敗に終わることだってあります。失敗しないように歩んでいける方法って、たぶんないと思います。それよりも、失敗から学びながら歩んでいくのが、人生だと思います。


ですから、失敗した時が大切です。くじけずに立ち直れるか、くじけてしまって自信を失うか、その分かれ道になるのが、自分に自信を持っているか、自分を信じられるか、自分を好きかといったことになるのでしょうか。親の言うとおりにして、うまくいっても、自信とまではいかないでしょう。やはり、子どもが自分で考えて、迷って、悩んで、決めて、試してみて、最後までやりとげて、初めて自信となるのです。


親がしてやれることは、子どもが1人でチャレンジしている時は、手を出したり、口をはさんだりしないで、見守ってあげることです。その結果、失敗したとします。その時こそ、わが子がチャレンジしていたことの、どこがよかったのか教えてあげながら、そこをほめてあげてください。その積み重ねをすることで、子どもは自分に自信を持ち、自分を信じ、自分を好きになれるのではないでしょうか。わが子を信じ、わが子を好きでいてあげるのが親の役割です。


おうちの方へ(3)


新聞記事の紹介です。


朝日新聞10月27日(水)36面に「ミルクアレルギー赤ちゃん増・特殊ミルクで治療可」という記事がのっていました。次のような記事です。


『体に合わないミルクを飲むことで、赤ちゃんが血便や嘔吐などの症状を起こす「新生児・乳児消化管アレルギー」が増加し、少なくとも毎年500人に1人、全国で2000人以上が発症している可能性のあることが、厚生労働省研究班の調査で分かった。まれに重症になる危険はあるが、アレルギー用の市販ミルクで治療できる。研究班は診療指針を作って公開、異常があれば、医師への受診を呼びかけている。


このアレルギーの半数は生後1~7日で起こる。症状は嘔吐や下痢、血便が中心で、多くはミルクの中のタンパク質に反応して起こるようだ。原因は、牛乳から作ったミルクが4割、母乳との混合栄養も4割、母乳だけでも1割以上あった。


食後すぐに発症する食物アレルギーと違い、食後数時間で症状が出るのが特徴だ。体重が増えなくなることが多い。ミルクアレルギー用として市販されている、アレルギーを引き起こすタンパク質を分解したミルクなどに切り替えれば、7~8割が回復。このミルクで治らない赤ちゃんには、タンパク質をさらに細かくした特殊なミルクを使えば、大半は治療できるという。


‥発症率は0,21%‥医師は「診断を受け、適切に治療をすれば大丈夫なので、まずは医師に相談して欲しい」と話す。


赤ちゃんの消化管アレルギー診断の手順(厚生労働省研究班の診療指針から)


ステップ1:嘔吐、下痢、血便などの消化管の症状や体重増加の不良


ステップ2:血液検査、便の検査などで他の病気の可能性を排除


ステップ3:アレルギーを起こしにくいミルクを与えてみる


ステップ4:1ヶ月ごとに症状がないことや体重増加が順調か確認


ステップ5:よくなってから、原因と見られる食事を与えてみて確定診断』


後半は抜粋しましたが、以上です。落ち着いて、小児科で受診すれば大丈夫なようです


3月です


おうちの方へ(1)


子どもだって、さまざまな理由で、イライラしたり、何かに八つ当たりしたくなったり、満たされない気持ちをぶつけたりしたくなる時もあるんじゃないでしょうか。


子どもの表情を見ていれば、あれっ、いつもと違うということがあると思います。笑顔がなかったり、無表情だったり、無口だったり、目つきが気になったり、トゲトゲした言葉を返してきたり、いろいろです。


理由を言ってくれたら、話は早いのですが、気持ちを聞いてあげたくても、できない時もあります。そんな時、効果があるとは言いきれませんが、人は、「腹をかかえて笑うこと」「涙を流して泣くこと」「ぐっすりと眠ること」によって、心がスッキリすることだってあるかも、と思い出してみてください。


本に書いてあったのですが、人間の脳波には、リラックスしている時に出るアルファ波、集中して考えたり緊張している時に出るベータ波、脳の機能が低下している時に現れるデルタ波、シータ波があるそうです。それで、たとえば落語を聞いて笑うと、アルファ波とベータ波が増え、デルタ波とシータ波が減ると書いてありました。笑うことは、人間にとって、家族にとって、親子にとって、心(頭)のプラス効果があるということを科学的に説明してありました。納得!


おうちの方へ(2)


前回の笑うことの続きです。以前、兵庫県の友人から聞いた話です。


大阪駅というのはJRの駅名ですが、私鉄の阪急電鉄や阪神電鉄、地下鉄は梅田駅と言います。それはいいのですが、阪急電鉄の梅田行き電車に乗っていた車内での出来事です。 次のような話です。


『梅田駅のひとつ手前の駅が近づいて来た時、車掌さんが車内アナウンスをしました。


「次は、うめだ~。次は、うめだ~」


車内のお客さんさんたちはみんな、「車掌さん、間違ってはる」と思ったそうです。そのまま、その駅に到着しました。車掌さんから間違い訂正のアナウンスはなかったそうです。次が本当の梅田駅です。電車が出発しました。車掌さんが車内アナウンスをしました。


「次も、うめだ~。次も、うめだ~」


車内のお客さん、その瞬間、一気に大爆笑の渦につつまれたそうです。』


さすがは大阪、ユーモアたっぷりの車掌さんもいるのですねぇ。自分の言い間違いを自分でフォローするって、なかなかできることではありません。その場の乗客のみなさんの様子が浮かんできます。友人はラジオで、その話を聞いたそうです。私も、その電車に乗り合わせたかったなぁと思いました。同時に、自分もそんな気転のきいた「ひと言」が言えたらなぁとも思いました。


おうちの方へ(3)


卒業式の朝は、水分ひかえめにすることが一番大切でしょう。式の途中で、トイレに行きたくなるかも知れないからです。それと、式では卒業生も在校生もジャンパーを着用しませんので、足もとや背中が冷えないように、温かい服装(靴下も含めて)を重ね着せてあげてほしいと思います。


さて、笑うことの続きですが、これも大阪で、何かの応募で選ばれた作品だそうです。


『中学生の娘が笑いながら国語のテストを見せてくれました。先生のコメントが最初に目に入りました。赤ペンで「職員室中、笑い転げました。涙を流す者もいました」と。ユニークな娘ですが、いったいなんで?テストの問題は「【憤り】にフリガナを」、正解は【いきどおり】。それを娘は【ふんづまり】と書いているではありませんか。笑いがこみ上げてくると同時に、恥ずかしいやら、みっともないやらで、みんなで大笑い。娘は今、保育士さん。』


このお母さんも、先生も、娘さんのことを決してバカにして笑ったのではありません。思わず笑ってしまったのでしょう。【憤】の音読みは、たしかに【憤慨する】の【ふん】なのですから。娘さん本人が笑いながら、お母さんにそのテストを見せるというのが、まぁステキな親子だなぁとつくづく思いました。


おうちの方へ(4)


お金のことですから、子どもを飛ばして、親と先生で直接しゃべる方がいいでしょうね。


経済的にきびしい時に、あるおうちでは、次のようなことをされていて、感心させられました。


子どもたちに、今月の家の収入はこれで全部だと見せたのです。それで、電気・水道・ガス・電話・クルマの維持費・家賃・税金・集金などの月平均額を見せはりました。子どもらの前で電卓でひき算をして、残ったお金が食費・生活費になることを教えはったのです。子どもたちは、節約に心がけるようになり、家の手伝いも以前より積極的にするようになったと、おうちの方は、うれしそうに話してくださいました。


きびしい現実に親子で共に立ち向かおうという心意気のある、おうちの紹介でした。


おうちの方へ(5)


3月ですから、卒業や卒園など、どの子も1年間のしめくくりの月です。


親の目から見ると、気になることも多々あるかと思いますが、それよりも、修了式(3学期の終業式のこと)・卒業式・卒園式の日までに、具体的にほめてあげたい点を10個見つける3月にしてみませんか。


これを実際に実行なさった親御さんもおられました。わが子のよいところを10個言える親って、日本一の、最高にステキなお父さん・お母さんに思えるというのが、私が聞いてみた子どもたちの意見でした。


ネタがきれてしまいました。すみません。ここからは、ウェブページ「パパ・ママがすぐ始められる【とっておきの育児ポイント10」を分割しながら、のせます。


おうちの方へ(6) 


さて、子育てで一番大切なのは、親子の愛着の心を育てることです。
具体的には、まずだっこです。
だっこされて体を硬くする(いやがる)子がペターと体を預けてひっついてくるようになるまでやりたいですね。
親子の愛着感をはだで感じて確かめることって、赤ちゃんを卒業したら、忘れがちです。
だっこをしても体の力がぬけない子には、抱きぐせは小学生でもOKだと思いましょう。
 次も単純な方法です。
それは、くすぐりっこです。
コチョコチョとくすぐって、キャッキャッと笑うのを親子でしたり、されたりするのです。
思いっきり笑うことで、一瞬でも心が解放されます。
家庭の中で笑い声がへってきたと感じる時はぜひぜひしてみましょう。
 次はちょっと体力がいります。
ということは、親子の関係づくりのキーポイントになる遊びだと言えます。
それは、おしあいっこです。
親子で押しずもうをとるのです。
力のかぎりグイグイ押せる子は、自分の気持ちを体で表現できているのですから、自分の気持ちを言葉で表現する土台が育っているわけです。
気持ちを体で表現できない子は、言葉でもはっきり表現できない子が多いです。
 親子のおしあいっこをいやがる段階
→ちょっと押せる段階
→だいぶ押せる段階
→とことん押しきれる段階
→「もっとやろう」とせがむ段階
をめざしてチャレンジしてみましょう。
子どもがせがんで、親がうれしい悲鳴をあげるところまできたら、しめたものです。
 最後は、夜、ふとんをひいた時の、じゃれあいっこです。
親子いっしょにふとんの上で転げ回ったり、
ふとんにまるまったり、ふとんにもぐりこんだりしながら、
ワーワー言い合って親も子どもといっしょに楽しんじゃいます。
プロレスごっこのように両肩を押さえて「ワンツースリー」ってやるのもいいですね。
 子どもの心の中の不安感(たとえば昨日保育園や幼稚園であったイヤなこと)をふき飛ばすためにも、この四つのことをこまめにしてあげて下さい。
わずか数分でできますよ。


おうちの方へ(7)


 一つめのイチ押しは、その場その場でお手伝いを頼むことです。
子ども自身にやりがいを感じさせるためです。
「あれやって、これやって、助けて」
と頼み、ちょっとでもやろうとしてくれたら
「ありがとう、助かるよ」
と言ってあげます。
ちゃんとやってくれたら、その手伝いが技術的にできたことをほめるのではなく、「○○をやってくれたあなたの心がうれしいよ」
と喜びながら、ぎゅっと抱きしめてあげます。
 お手伝いをしたら10円あげるというパターンは、まだ使わない方がいいです。
お手伝いは見返りや報酬のためではなく、お母さんが喜んでくれる、お母さんが認めてくれる、お母さんのためにしてあげて、なんだかうれしい気持ちだな、心地いいなと感じさせるためにした時、親子の愛着の心が育ち、親子の絆が深まるのです。
お手伝いを喜んでしてくれるようになったら、わざと子どもがテレビを見ている時に頼みます。
そうして、好きなこと(テレビなど)をしている時に、いやなこと(お手伝い)を頼まれても、お母さんの頼みならしてあげようという心に育てたいのです。
これが、学校や園で先生の言うことを聞いてがんばれる力の元になります。
 二つめのイチ押しは、子どもが勝手気ままにやりたい放題するのを、子どもの気持ちを尊重するという理由で見逃したりなんかせず、                                                                                   「したらダメ」
と言うことです。
そして、やさしく、さとします。
もちろん、「ダメ」と言うのは、その後ほめるためです。
親に「ダメ」をされて、思いどおりにできなかったイヤな気分も、親の言うとおりにして親が心から「うれしい」と言ってくれたり
「えらいね」
とほめてもらえた喜びに包み込まれて、満ち足りた気持ちになる体験をさせたいからです。
 これを繰り返すことで、人の言うことを受け入れていくことが苦にならない感性が育ちます。
それが、人を受け入れていく力になっていくのだろうと思います。


おうちの方へ(8)


ふだんから、子どもの心とつきあうことの意味
子どもがだだをこねた時、子どもの要求をのむかのまないかで子どもの相手をすると、親子の言い合いで終わります。
ただし、子どもがその要求を出した気持ちには、ちゃんとつきあってあげます。
「話はじっくり聞くからね」
と言ってもらって、気持ちを受けとめてもらえると、子どもの心の中に
「自分の気持ちは分かってくれはった」
という安心感が広がります。
 本来、親と子それぞれの要求は常にすれちがっているものだと思いましょう。
だから、お互いの要求が一致した時こそ、共によろこびたいものです。
 わが子が親を怒らすようなことばかりくり返す時、
「どうせぼくなんかダメな子や」
「どうせ私の気持ちなんかわかってくれへん」
という投げやりな哀しい気持ちになっているんやなと思ってあげて下さい。
こういう時は親もカッときて感情的にどなってしまいたくなりますが、これをやると、親自身もどっと疲れます。
深呼吸でも一つしてから
「今、どんな気持ちやったん」
と聞いてあげます。
すると、子どもも親の言葉にだんだん耳を傾けるようになっていきます。
 親ができる初めの一歩は、子どもの心をへこます言葉は言わないことです。
「まだか」
「はよしい」
「できてへんやん」
「なにしてんの」
「だめやな」
「こんなこともできひんの」
「おそい、あほ」
「ほんまにしたんか」
「めずらしいこともあるもんや」
「(きょうだい)とは、えらいちがいや」
「あんたはアカンな」
のような、子どもの元気・やる気・笑顔をつみ取る親の言葉をズバッと減らしてみましょう。
せめて三分の一、半分以下に減らしてみませんか。
 さらに、自分の気持ちを言葉で伝えた方が、相手にわかってもらえるんだという経験をつませることです。
子どもがイライラしたり、ムシャクシャして、物に当たった時がチャンスです。
ひざの上にだっこしてあげて、たとえば、「今、すごくくやしかったんだね」「何が一番くやしかったのか教えて」「何におこっていたのか教えて」「何に困っていたのか教えて」
と聞いてあげます。
ポツリポツリ言ってくれたら、
「よく言ってくれたね。ちゃんと言えて、えらいな」
と、自分の思いが言えたことをほめてあげて、気持ちをわかってもらえたなと実感させてあげてほしいものです。


親を怒らすようなことを、子どもがくり返す時は
子どもがこういう状況の時、親がすぐにできることをいくつか紹介します。
 朝、なかなか起きてこないわが子が、やっと起きてきた時、つい「早く」
「遅い」
と言いたいところですが、
「起きたね、おはよう」
と笑顔で言ってあげます。
みそ汁を全部飲んだ時は、
「全部飲んじゃったんだ。えらいね。うれしいな」
と言ってあげます。
 親の思い通りに動いてくれない時は、
「なにしてんの」
「だめやろ」
「こうしなさい。ああしなさい」
と言いたくなりますが、
「お母さんはこうしたいので、力をかしてくれる?」
「お母さんはピンチやで、助けてくれる?」

と、わが子の心をゆさぶってあげます。
 きょうだいがいても、きょうだいひっくるめてじゃなくて、一人ひとりと親子の人間関係を作ります。
そのために、
「お兄ちゃん(お姉ちゃん)はちゃんとできるのに、あんたは・・・」
「弟(妹)が泣いているから、今はだめ。後で」
のように、きょうだいのことを理由に比べたり、断ったりしないことです。
こうしたわが子の勇気をくじく言葉を言わないことです。
そうしてやると子どもは
「何となく自分はOKだ」
「自分もなかなか捨てたモンじゃないなあ」
と思えるようになり、親に尊重されていると自覚できるようになります。
 つまり、子どもの心とつきあうわけです。
子どもの心とつきあわずに、お世話だけしていると、子どもは自立できず、自分に自信が持てなくなります。
最初の一歩は、毎朝の笑顔の
「おはよう」
ですよ。
けっきょく、集団の中(学校や園)で自分を出せるのには慣れが必要です。
家庭で自分の気持ちが満たされてくると、学校や園でものびのびとパフォーマンスできるようになります。
満たされるというのは、あくまでも親と子1対1の関係だと忘れたくないですね。


おうちの方へ(9)


しつけをするにはタイミングがある
しつけについては、怒ってしつけても絶対身につきません。
チャンスをのがさず、今、この子には、これが必要だからしつけようとすると徐々に身についていきます。
もちろん、しつけもほめながらです。
例えば、お金の使い方です。
お金は必要なものを買うために使うものだと教えます。
おごったり、貸したり、借りたりするために使うと、後々の友だち関係にも、ゆがみが出てくると教えます。
また、友だちの家へ遊びに行く時は、行った先のおうちのルールに従うことを教えておくと、友だちと行き来することが長続きします。


しかる時は甘え泣きが出てくるまで、それはほめるため
しからなあかん時はしかります。
それは、いのちに関わる時と、人の心を傷つけた時です。
でも、どなるのではありません。
手や足を出すのでもありません。
暴言や暴力は、子どもをおびえさせ、トラウマをつくってしまうだけだからです。
だから、
「どうして、したのかな?」
と、まず、気持ちを受けとめてあげます。
必ずそれなりの理由はあるはずです。
「だって、○○ちゃんがいやなこと言ったんだもん」
と、子どもは、いいわけをすることもあります。
親は
「くやしかったんだね。その気持ち、わかるよ」
と、相づちをうってから、
「じゃあ、こんなことをしてもいいの」
子「わるい」
「じゃあ、なんでしたの」
子「だって・・・」
と、すねます。ふくれます。
「じゃあ、あなたがそんなことしてもいいの」
というやりとりをくり返します。
そのうち、子どもが甘えるような泣き方を始めるまで続けます。
甘え泣きが出たら、わが子を抱きしめ
「悪かったなって思っているんだね。えらいね。わかってくれてうれしいな。もう泣かなくていいよ。意地悪なことをするのは、もうやめようね」
と、ほめながら、やさしく語りかけてあげましょう。
しかるのは、最後にほめるためだと、親はいつも自分に言い聞かせたいものですね。


おまけ「にらめっこ」も「くすぐりっこ」も「人間関係」がつくれてないとできません(親密度のバロメーター)


4月、新しいクラスになってすぐ、教室で「となりの人と、にらめっこをしてみましょう」と言っても、サッとできる子は多くはありません。(そんなことをさせる先生もいません)たまたま去年も同じクラスだった子同士なら、なんとかできます。(試さないでください)でも、初対面では、「にらめっこ」のヘンな顔はできないものです。どうも「にらめっこ」という遊びには、お互いの気心が知れた関係の子ども同士が、「この子を笑かしてやるぞ」「この子と笑い合いたいな」という気持ちにならないと、楽しくできないところがあるようです。ですから、3月なら、たいていのクラスでできると思います。それだけ、子どもたちの人間関係がつくれてきたしるしです。つまり、「にらめっこ」はクラスの子らの人間関係と比例して、楽しくなる遊びだと言えます。そして、「にらめっこ」をする2人の親密度で、大笑いできるかどうかが決まるとも言えるでしょう。


「くすぐりっこ」も同じです。そもそも知らない人にくすぐられて、うれしいと思う人はいません。 女性なら、イヤどころか大問題になります。と言うことは、くすぐられるということは、本来的に不愉快なことかも知れません。ところが、親子とか、きょうだいとか、親友同士なら、「くすぐりっこ」が楽しくなります。どうやら、よい人間関係には不愉快なことも楽しい気分に変える不思議な力があるようです。親子で「くすぐりっこ」ができるということは、よい親子関係が築けているということです。


親子で「くすぐりっこ」をするのが、ぎこちなかったら、どうすればいいでしょうか?大笑いできるまで、毎晩、寝る前に布団の上で、親子で「くすぐりっこ」を続けてみましょう。親子の「くすぐりっこ」を好きな子になってほしいからです。


0才児か1才児あたりで、親がアレッ?と思うことですが、「抱っこ」をイヤがる子には、毎日「抱っこ」をしながら笑顔でしゃべりかけましょう。これは、親も、体力がいります。親に「抱っこ」をしてもらうのが、好きな子になってほしいからです。「目と目を合わせる」のが苦手な子には、毎日「目と目を合わせて」笑顔で語りかけましょう。これは、親も、根気がいります。「目と目を合わせる」のが、イヤじゃないよ、という子になってほしいからです。そして、「押し合いっこ」も同様に続けてみましょう。「押し合いっこ」を喜ぶようになることで、自分の気持ちも言葉で表現できる子になってほしいからです。


関連ページ


学級通信:わが子が学校・園へ元気に通えるため①【イチ押し親のひと言4・5月】【無料通信アプリには危険がいっぱい:スマホ18の約束】

http://sg2takaboo.exblog.jp/24898129/



by takaboo-54p125 | 2010-11-23 02:59 | 育児・子育て

先月、かなり大きなイベントで、模擬店のお手伝いをさせてもらいました。みなさん、てきぱきと手際よく自然に役割分担しておられました。初心者は私だけ、できそうなことは「呼び込み」ぐらいかなぁと思い、ほとんどの時間を「呼び込み」に徹することにしました。模擬店は子どもがお客さんに来てくれないと始まらない内容です。全部で3つのコーナーがあり、その1つは昔なつかしい「射的」コーナーでした。「呼び込み」なんかしなくても、繁盛していました。


そして、今月、わが子がお世話になったボランティア・サークルの模擬店(大学祭)へ、「焼き鳥」を買いに行ってきました。わが家の晩ご飯のおかずです。学生さんたち、なかなか上手にやっていて、感心しました。初日でしたので、あとは、「呼び込み」をうまいことやったら完璧やなぁと思いました。


それでは、今回やってみた「射的」の「呼び込み」のコツをお教えします。(素人レベルです)


いくつも模擬店が並んでいますから、子どもたちに、まず注目してもらい、足を止めてもらうことが基本です。そして、迷っている子に「やってみようかな」と思ってもらうことが大切です。あとは、男の子たちが来た時、女の子たちが来た時、親子連れが来た時、店にお客さんがいない時、それぞれに応じた「呼び込み」をしていけばいいわけです。


大事なのは、子どもたちのプライドをくすぐり、「チャレンジしようかな」という気持ちになってもらうこと、グループならリーダー(動物的勘で見ぬく)と目を合わせて声をかけること、そして、残念賞もちゃんと用意してあるのを伝えて、安心感のある雰囲気をつくることでしょうか。何よりも、恥ずかしいという気持ちを捨てて、笑顔で明るく「呼び込み」をする心意気が土台になります。そして、決してウソをつかないことです。模擬店も、信頼が一番だからです。


さて、具体的な「射的」における「呼び込み」の声かけの例をいくつか紹介します。


さあ、いらっしゃい、いらっしゃい、100円で3発打てるでぇー」(基本です)


コアラのマーチをたおしてやぁー」(足を止めて、目玉商品に注目してもらいます)


チョコボールをたおしてやぁー」(倒しやすい的の商品に注目して、意欲を喚起します)


小学生はどんどん挑戦してるでぇー」(本当です。さらに小学生を呼び込むためです)


中学生もチャレンジしてるでぇー」(本当です。さらに中学生を呼び込むためです)


さっきは男の子がコアラのマーチをたおしたでぇー」(その子は倒れやすい場所のを見事にゲットしました)


さっきは女の子がチョコボールたおしたでぇー」(スーパーガールは2個ゲットしました)


女の子のほうが、メッチャあててるでぇー」(女の子たちが来ました。射的の命中率も男女差のある時代ではありません)


保育園や幼稚園の子もやってるでぇー」(おねだりする子に、親や祖父母が「やってみぃー」と後押ししてくださいました)


野球少年、うでだめししてやぁー」(プライドをくすぐられた少年野球の球児たちもやってくれました。腕もさすがです)


えーっ、チョコボール2個もあてたんかいなぁー、商売あがったりやぁー」(ほめます)


また来てやぁ—、待ってるでぇー」(リピーターになってもらうためです)


おっ、さっきのスーパーボーイ。よう2個もあてたなぁ。チャンピオンやぁー」(覚えているのを本人に伝え、他の子らにも聞かせます)


さっきまで混んでたけど、今、すいてきたし、チャンスやでぇー」(お客さんがいない時です。客のいない店は近寄りにくいからです)


さっきは行列できてたけど、今やったら並ばんと、できるでぇー」(内心あせってますが、笑顔、笑顔)


惜しくも全部はずれても、残念賞のお菓子を選べるで、どんなんか見といてやぁー」(残念賞にもいろいろあると、安心感がアップします)


待ってる間に、どれをねらうか、よう見ときやぁー」(後ろの方のお客さんにも、お目当ての商品をさがしてもらいます)


テントの中のおっちゃんに100円渡して、玉を3発もらったら、前の人の撃ち方を見ててや」(やり方がわかる=やる気が出ます)


玉をもらって5列に並んで、場所があいたら、ようねろうて、うってやぁ—」(順番抜かしを防ぎ、公平感を保つためです)


みんな、上手やなぁ。チョコボール、なくならんうちに、やらな損やでぇー」(とにかく大事なのは、ほめることです。ほめられると、私でもその気になります。ほめられて、うれしくない子はいません。大人も、です)


おしかったなぁー。もうちょいやったなぁー。残念賞をちゃんと選んで、もらってなぁー」(はずれた子にも、惜しかったことを伝え、なぐさめることまでして、初めて「呼び込み」の仕事をやりとげたことになります。残念賞もいろいろ選べるようになっています)


だいたい以上です。あとは応用です。臨機応変です。要は、自分が楽しむことです。そして、お客さんに感謝の気持ちを持つことです。このことは、「たねや」八日市店スタッフの皆さんの上質な接客態度から学んだつもりですが、いざ自分がやってみると、「フーテンの寅さん」には程遠い、笑顔だけが売りの、乗りのよいオッちゃんになってしまいました。


知り合いが「本職みたいやでぇ」と声をかけてきました。彼の出張が多いのは知っていたので、本当は「行った先々で入り浸っているんとちゃうか」と突っ込みたいのをガマンして、「おおきに、大人も子どもも遊び心は大事です。ええとこ見せたってください」と言って、しっかり「射的」をしてもらいました。


コアラのマーチって値が張るし、残念賞のお菓子の種類もいろいろ用意されていて、仕入れを奮発したそうです。それで支出が多くて、収益は少なかったようですが、障害者の就労と余暇を考えるさまざまな活動に活用していかれることと思います。ボランティアと言うよりも、ただのにぎやかしで、あまりお役には立てませんでしたが、ありがとうございました。


ずうっと昔、たこ焼き屋と総菜屋でアルバイトをした経験と、東京銀座の数寄屋橋交差点ソニービル前で東宝映画「ドラえもん・のび太の海底鬼岩城」のチラシ配りのアルバイト(朝10時~夜10時:3週間)をした経験が、30年近くたってから生かせるということもあるんやぁと、しみじみ自己満足しています。と、1人で勝手に思い込んでいるだけです。


by takaboo-54p125 | 2010-11-21 21:58 | 日記・その他

保育士・教師のスモール・ステップ作戦(子どもとの向き合い方)
 らしんばん 2月号 ステップ1

修学旅行の「お小遣い0円」提案をした6年教師集団
4クラスの子どもたちの反応は・・・
 5月下旬実施予定の修学旅行でしたので、春休みに検討してチャレンジしてみました。
各担任が各クラスで朝の会、一斉に発表しました。
「先生たちは修学旅行を学習の場と考え、修学旅行のお小遣いは0円にしたいと思う」
「えーっ」「そんなん」「おかしいわぁ」
子どもたちからは、ブーイングの嵐です。そこで、各担任は言いました。
「きみらの気持ちはわかった。修学旅行実行委員会の子らがみんなの意見をまとめてや」
「まとめたら、小遣い持って行ってもええんか」
「先生らが納得できる理由を出してくれたらちゃんと考える。時間は3日間あげるさかい」
子どもたちの目つきが真剣になりました。
 実は、修学旅行実行委員会の子どもたちは、どのクラスも、お小遣いを率先してオーバーしそうなメンバーがそろっていたのです。先生たちは「チャンスだ」と思いました。
修学旅行実行委員会の子どもたちが・・・ 
 さっそく修学旅行実行委員の子らは、朝の自習など先生たちのいない時間をねらって、クラス全員で相談を始めました。修学旅行には小遣いが必要な理由についてです。そして、3日後、いよいよ第○回修学旅行実行委員会です。
「一生の思い出になるものを買いたい」
「修学旅行やで、家族にお土産を買いたいし、おばあちゃんにも絶対買ってきてあげたい」
「お姉ちゃんの時は、お土産を買ってきてくれはった」
「弟にお土産を買うてやりたいし、弟も楽しみにしてる」
なかなかよい意見を持ち寄ってくれました。先生は言いました。
「きみらの気持ちは充分わかった。家族思いで、やさしいやん。でもな、違反する子は?」
修学旅行実行委員の子らは、口をそろえて言いました。
「先生、ぼくらが自分のクラスで違反はせえへんぞって言うで、信じてえなぁ」
「よっしゃ、きみらを信じるでぇ。任せたで」
修学旅行実行委員の子らは自分のクラスで演説をしました。
「ぼくらも守るさかい、みんなも全員が決めた金額を守って修学旅行に行こうな」
金額についても、同様の手順で、子どもと先生で合意して決めました。当然、前年の金額を参考にして、翌年の子らのことも考えて決めました。結果としては前年どおりでした。
 そして、修学旅行当日です。修学旅行実行委員の子らは胸を張って言いきりました。                                                 
「ぼくらが小遣いを守ってるんやで、全員守ってるで、先生、心配いらんで」
子どもらの目は、決してウソをついてない、きれいな目をしていました。
そして、どの実行委員の子の顔も、ちょっぴり、誇らしげでした。


保育士・教師のスモール・ステップ作戦(子どもとの向き合い方)
 らしんばん 2月号 ステップ2


かつて服装の通達が出た理由(危機管理対策)を知らない先生がいました。
先生の服装で、大事なのは何でしょう?
 A,ジーパンとTシャツorネクタイとスーツ
 B,サンダル・スリッパor運動靴
 C,スカートとピアスorジャージ上下と毛染め
A,B,C,のうち、先生の服装では、どれを意識するのが、一番大切だと思いますか?
答えは、見ないでA,B,C,から選んでください。
隣の人と相談してもいいです。
答えを見ない人には、答えの書いてある場所を教えます。
・・・答えはこのページの一番下に書いてあるので見ないでくださいね。(約束ですよ)


着飾って授業をするのは、オシャレなのかなぁ
入園式・入学式や卒園式・卒業式は、儀式的行事ですから、スーツ姿がふさわしいですね。
普段の授業は、体育ならジャージ上下、水泳なら水着(露出度の低い水着がいいでしょう)、調理実習ならエプロン・マスク・三角巾、毛筆や版画なら、汚れてもよい服装。
めったにないのですが、着飾って来る先生も、たまにおられます。
1年坊主に汚い手でさわられたり、鼻水をつけられそうになると、いやな顔をされました。子どもとつながるために、この仕事をしているはずなのに、ファッションショーのモデルと勘違いしておられるのではないか?とびっくりしました。
来週、人事主事が来るから、ちゃんとした服装にしておこうという考えも、どうかと思います。
プロの保育士・教師なら、場にふさわしい服装を、子どもたちに後ろ姿で教えるのも、先生の仕事だと心得てほしいなと感じました。ごく一部の人ですけど。


答えはBの運動靴です。地震が起こった時、火事が起こった時、トラブって子どもが教室を飛び出した時、不審者対応する時、子ども同士のとっくみあいを止める時、てきぱきと掃除をする時、昼休みに子どもと遊ぶ時、職員作業をする時、いずれも、運動靴でなかったら、とっさに素早く動けません。
いざという時、サンダルやスリッパでは役立たずなのに、気づいていない(気づいていても知らん顔の)先生が、少なからずおられます。
聞くと、
「裸足で走ります。」
とおっしゃいましたが、靴下では廊下でスッテンコロリン、足手まといにしかなりません。                                              
運動靴というのを、ダサイと思わず、必需品と考えてほしいと思います。


保育士・教師のスモール・ステップ作戦(子どもとの向き合い方)
 らしんばん 2月号 ステップ3


ステキな先生は星☆☆☆の差がちがう
 「ほしのさ」の「ほ」は、「ほがらかさ」
「し」は、「しなやかさ」
「の」は、「のびやかさ」
「さ」は、「さわやかさ」というところでしょうか。
保育士・教師にとって、その中で、最も大事な資質は、「しなやかさ」でしょうね。


 先日、数学者の森毅(つよし)さんが82才で亡くなられました。朝日新聞の天声人語(H22年7月27日版)で、次のような紹介がされていました。


先生の言葉に「しなやかさ」があるか、ないか、
子どものやる気を↑↓させる分かれ目です


 『さまざまな逸話や、社会問題へのユニークな発言で
「最後の名物教授」と親しまれた森さんが亡くなった。退官後は自ら
「老人フリーター」や
「言論芸能人」と称していた。自分にも他人にも、自由と放任を貫いた人だった。
 発言はしなやかで、飄々(ひょうひょう)、ときには過激でもあった。
だが、姿勢は一貫していた。
「新しいことを始めるには優等生だけではだめ。
突拍子もないことを言い出すのは、たいていはスカタンですわ」
はみ出しがちな人への愛情が言葉の端々ににじんだ。
「エエカゲンがおもしろい」
「まあ、ええやないか」
「ぼちぼちいこか」
肩の力をぬいた著書名の数々は、人生の達人からのエールでもあったろう。
「元気になれ、がんばれというメッセージが多すぎる」
と案じてもいた。(中略)
「予定通りの人生なんて、そうあるもんやないよ」
享年82才。あの柔らかい関西弁がどこからか聞こえるような気がする。』


森さんのひと言、ひと言の言葉から、私たちは、いくつのことを学びとることができるでしょうか。今、保育・教育現場では、それが問われているような気がしませんか?


卒業式に向けて思うこと


今朝の朝日新聞2011年1月25日(火)33面に、「『あおげば尊し』原曲、米国に 19世紀『卒業の歌』同じ旋律」という記事が載っていました。


『かつては卒業式でよく歌われ、アイドルグループ「AKB48」のヒット曲「10年桜」でもメロディーの一部が使われた唱歌「あおげば尊し」の原曲とみられる歌が見つかった。作者不詳で研究者の間では「小学唱歌集の最大の謎」とされてきたが、米国で19世紀後半に初めて世に出た「卒業の歌」の旋律が同じであることを、一橋大学名誉教授(英語学・英米民謡)の桜井雅人さん(67)が突き止めた。


桜井さんは10年ほど前から小学唱歌集の原曲を独自に研究。欧米の古い音楽教科書や賛美歌を集め、照合する調査を続けている。


「仰げば尊し」の原曲とみられる歌は「SONG FOR THE CLOSE OF SCHOOL」(卒業の歌)。4部合唱で、メロディーはまったく同じ。歌詞は卒業で友と別れるのを惜しむ内容だった。1871年に米国で出版された本「THE SONG ECHO」に収録されているのを、ネット上で見つけた。


作詞はT・H・ブロスナン、作曲者はH・N・Dとあったが、どのような人物かはっきりしないという。一橋大学名誉教授調査』


以上です。「仰げば尊し」は、少なくとも私たちの世代以上は、小学校の卒業式で卒業生が歌いました。そして、全校みんなで、「ほたるの光」を歌いました。いずれも、当時は歌詞の内容を理解して歌っていたわけではなかったと思います。毎年、卒業式で歌う定番の曲だったので、5回聞いて1回歌ったことになります。ですから、歌詞が難解でも、なつかしい曲に思えるのでしょう。そして、中学校で卒業生は「巣立ちの歌」を歌いました。その「巣立ちの歌」は、いつの頃からか小学校で卒業生が歌うようになりました。


今は、学校によって、また年によって、さまざまな歌が歌われています。基本線は、卒業生が1曲、在校生が1曲、全校で1曲という配分が妥当です。しかし、学校によっては、卒業生に2曲歌わせたい6年担任と、式の時間が長くなりすぎないようにしたい6年以外の先生方の間で意見が分かれ、けっきょく卒業学年の意見が優先されて、長い式になるという場合もあるようです。もちろん卒業生が主役ですが、長すぎる式は、低学年にとって、つらいものがあります。低学年のことも考えて、全体のバランスを考慮してほしいと思いました。まず、式の時間を決めて、その時間にほぼおさまる内容を工夫すべきではないでしょうか。私が印象に残っている歌は、卒業生の歌ではなく、数年間、全校で歌い続けた曲です。全校や在校生が同じ歌を歌い継ぐと、いつまでも心に残るものなのですね。


 「さようなら」


すばらしいときは やがてさりゆき  今はわかれを おしみながら   ともにうたった よろこびを  いつまでもいつまでも わすれずに


たのしいときは やがてさりゆき  今はなごりを おしみながら  ともにすごした よろこびを  いつまでもいつまでも わすれずに


こころのなかに ゆめをいだいて  あすのひかりを ねがいながら  きょうのおもいで わすれずに  いつかまたいつかまた あえるひまで


次の記事は6月末に書いたものですが、もうすぐ年度末、登校班長の交代の季節ですから、親にも教師にも意識してほしい時期は今かなぁ、と思って、のせました。


登校班長さんをもっとほめてあげてください(集団登校・集団下校)


ふとしたきっかけで、住んでいる地域の小学生の集団登校に、学校まで付き添っています。 長年、ひと班だったのですが、人数が増えて2班体制になったからです。たまたま4月が、中学生の登校を交差点で見守る当番が当たっていたということもあります。うちの村は地蔵盆も含めて、小中PTA合同で一緒に子ども会として活動していて、登下校を見守ろうということになっているのも、ひとつの理由です。頼まれたわけでもなく、委嘱されたわけでもなく、時間もあるし勝手にやっているだけです。そんなこんなで4月から付き添いを始めて、もうすぐ3ヶ月になります。学校まで約1、5kmほどあり、片道20分そこそこで着きます。自転車を引いているので、8時頃には帰宅して、用事にもなんとか間に合います。


4月の初めに比べると、登校班にもまとまりができてきました。それでも、歩道脇の側溝に片足をふみはずして、こけて泣く子もいます。途中で雨が降ってきて、ランリュックに雨よけカバーをつけるのが一苦労の子もいます。つまずいて、田んぼに落ちそうになる子もいます。その度に、上級生が下級生に声をかけて面倒を見ながら、みんなで学校をめざします。頼もしい登校班長さんの6年生です。4月によく言い合いをしていた子も、6月には仲よく楽しそうにしゃべっています。保護者同士のつき合いがあまりない子同士も、ごく自然に会話が成立しています。女の子と男の子の会話が、はずむこともあります。1年生同士が手をつないでスキップすることもあります。こういうところが、子どもたちのええところです。大人には、なかなか真似できませんねぇ。時々、付き添いのオッちゃん(私)も会話の仲間入りをさせてくれます。ごくたまに間違えて「なあ、先生」と言われることもあります。言った子は、照れくさそうに笑います。


私が声をかけるのは、1年生が、歩道と田んぼの間の土の所にフラフラッと行った時です。(歩道の幅がせまいから)他の子が、それに気づかずにぶつかってしまったら、はずみで1m下の田んぼに落ちてしまう危険性があるからです。わが子が小1の時も、それで、泥まみれになって帰って来たことが何度もありました。低学年は、歩道をまっすぐ歩くことが、まだまだ上手とは言えないということでしょう。運動会の50m走で、自分のコースをまっすぐ走れない子が少なくないのも1年生です。そんな1年生に登校班長さんが気を配ってくれています。横断歩道も同様に、クルマを見張ってくれます。登校班長さん、本当によくやってくれていると思います。ですから、登校班の後ろのほうの子らが、ちゃんと着いて来てるかまで、確認する余裕はないと思ってあげてください。ですから、一番後ろの5年生(副班長と呼ぶ学校も多いです)が、登校の列がばらけそうになると、「前につめて」と下級生たちに指示を出します。先頭の6年生と、最後尾の5年生、さすがは高学年です。両者の役割分担によって、班がひとかたまりで登校できるのです。


村から学校までの間に、大きな道路の横断歩道を渡る所が3か所あります。そのうち信号があるのは、学校前だけです。残念ながら、走っているクルマのマナーは、決してよいとは言えません。信号が黄色になっても、そのまま通過するクルマもあります。(ヒヤッとします)どう見ても、時速80kmという猛スピードのクルマもあります。(飛ばしすぎです)飛ばしているクルマは、若い男性だけとは限りません。年配の飛ばし屋の軽トラもあれば、若い女の子や、おばちゃんの飛ばし屋もいます。携帯電話でしゃべりながら乗っている人もいます。(中にはメールも!ありえへん)携帯やタバコの「ながら運転」をしている男女の比率は五分五分といったところでしょうか。(クルマの運転でも、授業参観でも、女性のマナー低下が著しい)子どもたちと一緒に歩いてみて、やっぱりこわいと感じるのは、クルマでした。横断歩道は、最も気をつかう場所です。


うれしいことも、たくさんありました。村の小学生のPTAの役員さんは初めの1週間、毎日出てくださいました。(お迎えも)その後は、他の保護者のみなさんが、集合場所に見送りに来てくださることも多いです。車で仕事へ行く途中に、わざわざ通学路を通って、手を振って行く保護者も増えました。ほとんどの保護者が会釈をしてくださるか、声をかけてくださいます。自転車を押して、通学の付き添いを一緒にしてくださる親も、1人や2人ではありません。何度もありました。私の都合がつかない日に、私の代わりに付き添うのを申し出てくださる保護者もおられます。あざ担任の先生が自転車で来てくださることもあります。


台風の暴風警報が解除されて、強風注意報になった日の朝は、予想以上に大変でした。集合場所へ、大きいクルマで来て、「子どもらを全員乗せて行きましょうか」と親切に申し出てくださる保護者もおられました。お気持ち(ご厚意)だけ、ありがたく頂戴しました。しかし、こういう天候の登校も大事な体験や!という私の見通しは、甘かったのでした。出発してすぐ田んぼ道に出ると、すさまじい強風と横なぐりの雨でした。その猛烈な風に一度でもあおられたら、子どもの傘はおシャカになりました。今の傘の骨は「きゃしゃ」ですから、2人の子の傘を応急修理しました。そんな所に、クルマで見に来てくださった保護者がおられました。「この班の子どもら、学校まで乗せて行きましょうか」「この班は2人、傘をやられているので、お願いします」助かりました。私は、1人も傘をやられていない、もう1つの班に付き添って、無事に学校へ着きました。他の村の登校班も、傘がこわれている子が少なくありませんでした。


こうして、子どもらの登下校を見守ろうという親のみなさんの意識が高まってきました。そんな前向きな親たちの姿を見て、子どもたちの安心感もアップした気がします。私自身はありがたいことに、運動不足解消になっています。


昭和の時代と比べて、登校班長さんの指示を聞けない低学年が全国的に増えてきました。異年令集団で群れて遊ぶことを、上級生から下級生に教える体験が、消えたからです。以前より登校班長さんの負担が大きくなっていることを、親も知ってほしいと思います。おそらく負担感は、昔の2倍以上あるでしょう。


3学期の終わり頃、5年生が同じ登校班の新1年生の子の家へ行く学校もあります。「集団登校のおさそいの手紙」(集合場所・集合時間、登校班長名など)を渡します。それは地域の親同士のつながりが希薄になってきたからです。そこまでしてもらったら、新1年生の親は、わが子を連れて、登校班長さんの家へ、「4月から集団登校、よろしくお願いします」と顔合わせに行くのが礼儀(常識)だと思います。それなのに、中には、当然の権利だと受けとめる困った親もいます。そういう親に限って、文句だけは一人前以上です。見守ることに一度も協力しないのに、登校班長に苦情だけ言う困った親もいると聞きます。


本来、最低限の親の責任は、毎朝、「登校班長さんの言うことをちゃんと聞くんだよ」と、わが子を送り出すことだと思うのですがねぇ。親たちも先生たちも、「6年生だから当然」だと思わず、登校班長さんの「苦労をねぎらってあげることが大事な時代になっていること」を自覚しなければいけません。学校に集団登校の苦情が来るのはいいのです。登校班長に直接クレームを言う親が、万が一いたら、すぐ学校に報告しましょう。そして、登校班長さんを守ってあげてほしいと思います。今は、昔と違って、バックアップの必要な・・そういう時代なのです。以上、子どもたちの集団登校に毎日付き添って気づいたうれしいことに、プラス、以前に勤務した学校で実際にあったトラブルを思い出したので、つけ加えてみました。


子どもたちが待っている先生のその「ひと言」


明朗で、豊かな人間性と社会性を持っている先生として


「○○くん、おはよう」「○○さん、おはよう」(笑顔で)
→「先生、うれしいで」(笑顔で)


×「こら」(監視目線から入るのは×)(私はよくやっていました×)   
◎「どうしたん?」(共感目線から入るのは◎)
◎「何かいやなことあったん?」
          →「つらかったんやね
          →「がまんしてたんやな
          →「くやしかったんやもんなぁ
(子どもの心を育てようとする先生は◎)                                         (即答できない時は)   
◎「困ったねぇ
◎「ちょっと考えさせて」(ほうれんそう)
                (報告・連絡・相談)


園児・児童・生徒への教育的愛情を持っている先生として


(問いかけるのが先生、答えを出すのは子ども、という先生は◎)
◎「○○くんの言いたいことの続き、うかんだ人?」
◎「○○さんの言いたいことが、言える人?」


(子どもの力を頼りにしてあげる)


◎「手伝って」「力かして」「助けて →「ありがとう、助かったわぁ」「上手やな」「うれしかったで


保育・教育者としての使命感と情熱を持っている先生として


(スモール・ステップを、3日・1週間・1ヶ月・3ヶ月まで、ねばり強く続ける先生は◎尊敬◎です)                           
◎「こっち向いてや」→「うれしいな、向いててや
◎「本出してや」「○ページ開けてや」→「すばやいな、えらいぞ
◎「書くんやで」「書いてみぃ」→「できたやん、すごいな


柔軟性と創造性をそなえ専門的指導力を持っている先生として


(しなやかな先生も◎&段取り力のある先生も◎)
×「できた人?」(私はいつも、このパターンでした×)   
×「わかった人?」 (私はいつも、このパターンでした×)             
◎「困ってることないか?」→「よく言ってくれたねよいつまずきやね」「大事な失敗やね」                                          


×「がんばれよ」(ありきたりです)                                                               
◎「(いっしょに)がんばろな」→「すごいやん、さすがや」「かしこいなぁ


(子どもに謝ることができる先生も◎)
◎「ごめんな、先生がわるかったわぁ」「言い過ぎて、ごめん」(お手本になります)


そして、たとえば、小学校5年生の子どもたちには卒業式の後片付けの時や、入学式の前日準備の時こそ、上記のような「ひと言」を先生方が口にできる最大のチャンスなのです。そのチャンスを生かす学校の5年生は、マジで最高学年になるんだという自覚を自ら持ってくれるでしょう。5年生を担任がほめ、学年主任がほめ、教務主任がほめ、管理職がほめる日にする学校は、次年度へ向けて、よいスタートをきったと言えるでしょう。この2回は、5年生(新6年生)をほめて育てる日だと教師集団が意思統一したいものです。こういう日こそ、節目の日です。毎月、そんな節目の日があるはずです。



関連ページ


子どもと向き合う学級づくり⑫【3月の教室】+【3、11を前日にして】【式練習:礼のコツ、前日準備、ハプニングと御法度の違い】

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子どもと信頼関係をつくる、子どもとの「信頼関係」を取り戻す

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by takaboo-54p125 | 2010-11-14 10:09 | 保育・教育

保育士・教師のスモール・ステップ作戦(子どもとの向き合い方)
 らしんばん 1月号 ステップ1


朝から体調がすぐれず、授業中もフニャ~と元気のない子に聞くと「晩ご飯も、朝ご飯も食べてへんの・・」
 
2年生の担任の先生は、「これはあかん」と思い、中休みだったので、職員室へ連れて行きました。
そして、甘い砂糖湯を飲ましました。
他にも、朝ご飯が食べさせてもらえない子におにぎりを握ってきて、相談室で朝こっそり食べさせている1年生の先生もいたので、とっさにこういう行動をとったのです。
担任の先生は、その日の夜、家庭訪問をして、保護者の方に、日頃のその子のよい所を伝えて、日頃の保護者のご苦労をねぎらってから、
「何も食べてないと力が出なくて、勉強をするどころか、倒れてしまいます」
とお願いしました。
保護者も経済的に厳しい状況ですが、なんとかご飯だけでも食べさせることを約束してくださいました。
このように学校で砂糖湯を飲ましたり、おにぎりを食べさせることには、賛否両論あります。
ぜひ、じゃあどうするのかも含めて論議してください。
朝ご飯を食べてこない子の数は決して少なくないという現実が目の前にあります。


「これはどう考えても親の虐待やぞ」と感じた時は
 担任の家に夜中の12時、電話がありました。クラスの子からです。電話の向こうで
「家から閉め出されたので・・」
と泣いています。担任は、場所を聞いて飛んで行きました。担任は自分より親への影響力が強い、その子の親戚の家を知っていました。そちらへ深夜の電話を詫びながら事情を話すと、そのお宅に「連れて来なさい」ということになりました。その親戚の方から親へ連絡を取り、すぐ迎えに来させて、話もしてもらい、その子を家へ連れて帰らせました。
 1週間ほどすると、朝、その子が登校してきません。すぐに、担任は電話をしました。すると、お母さんが、
「お父さんが部屋に閉じ込めて、鍵をかけた」
と、おっしゃいました。担任は、教務主任にクラスをお願いして、すぐに数種類の工具を持って家に行きました。そして、お母さんの了解を取って、ドライバーで鍵そのものを取り外して、その子を学校へ連れて行きました。その日の夜、お父さんには、部屋に閉じ込めないことを約束してもらいました。このやり方にも賛否両論あると思います。
 そして、通告しました。通告するタイミングが遅すぎたと、担任は反省しました。校内のケース検討会は、もっと早くからしていましたが、「いざ鎌倉」の行動(これも単独行動で望ましくない)より先に、民生委員さんや、福祉行政や、こども家庭相談センターと連動しなければならないケースでした。


保育士・教師のスモール・ステップ作戦(子どもとの向き合い方)
 らしんばん 1月号 ステップ2


担任からのSOS「授業が成立しません!」
 これは、要因・状況がケース・バイ・ケースですから、原則だけ、全教職員の心がまえだけにしぼって、紹介したいと思います。
今回は、小学校の中規模校で3年生以下の1学級からSOSという想定にします。                                    
5年生以上では、応援に入る教師が学級の子どもたちとの人間関係を築いてからでないと、担任も含めて教師への信頼回復への道筋がつけにくいからです。4年生がどちらなのかは微妙なところです。


授業の応援に入ってもらう担任の心得
 担任は、応援に入ってもらう目的を、教室の空気を新鮮にしようと試みる担任への支援だと受けとめます。
応援は「困った子」のお守り役だと勘違いすると、教室のザワザワは消えません。担任は応援教師と共に「掛け合い漫才」をするつもりで、授業を進めます。応援教師がボケ役、担任がツッコミ役です。打ち合わせはなし、ぶっつけ本番です。ア・ウンの呼吸です。
発問して、応援教師をわざと指名したりもします。応援教師はわざと間違えます。これがボケ役の大事なところです。子どもたちを「ちがーう」と学習に集中させるためです。
また、担任の位置からは見えない「子どものキラッと輝く姿」を発見した応援教師は、担任に合図を送ります。そくざに担任はどしどしほめます。
そこで、担任の笑顔が増えてくると、子どもたちは徐々に安心感につつまれていきます。                                        
そうなると、授業の邪魔をする子はだんだんと減っていきます。
つまり、授業を柔軟かつどっしりと進めるため、応援教師の存在を生かすということです。                                               
ベテラン担任は「We Can Change」、
今までの学級づくり&授業スタイルの変革に取り組む勇気を持ち、プライドを捨てることです。私も38才の時です。1度プライドを捨てました。目に見えることでは、係活動の常識を打ち破ることから180度変えました。今の私なら「できた人?」「わかった人?」という問いかけをやめます。そして、「困っている人は言って」という言葉がけを中心に授業を進めるスタイルに転換することに、チャレンジしてみたいと思います。担任から見て「困った子」が、「その子自身が困ってやる子」なんや、と思えるようになり、その子がかわいく思えてきたら、自分自身の向き合い方が「I Can Change」できた証拠です。私も1年かけて39才の時に、そう思えることがなんとかできました。多くの先生方に支えられて。


授業の応援に入る教師の心得
 応援に入る目的は、担任の授業に集中する子を増やすためです。
「困った子」を怒鳴るために入ると、永遠のもぐらたたきから抜け出せなくなります。                                                   
見張り役だと勘違いすると、担任の手助けにはなりません。
担任の発問に「はい」と挙手して「○○です」と間違った答えをわざと言うのもいいでしょう。                                                
子どもたちは「ちがうで~」と反応し、挙手する子が増えます。
こんな形で応援に入るのです。
 そして、普段は何もしようとしない子が、教科書を開いたり、ノートを書いたりした瞬間、担任に合図を送ります。
その子を担任にほめてもらい、その子と担任の関係を再構築するためです。
ですから、あくまでも黒子に徹しながらも、教室に明るい子が1人増えたパフォーマンスの役割を応援教師は担います。
集中していない子のそばに行って、そっとスモールステップを与えて、やらせて、そっとほめます。
そして担任には合図を送って、「担任がその場で笑顔と大きな声でほめる」ように促すアシスタント・ディレクター役になりきるのです。
担任と子どもがいい関係になるお手伝い、それが応援なのではないでしょうか。


授業の応援に入ることができない教師たちの心得
 自分の教室へ行く時、その教室の中も「おはよう」と、通り抜けます。                                                            
ほめる材料が見つかればラッキーです。
その場でほめて、後で担任にも「ほめたってください」とお願いします。
フリーの教師は朝自習の時、その教室へ交替で行き、スモールステップ作戦をして、担任に 「ほめたって」と伝えます。
放課後は交替で、担任と一緒に教室の掃き掃除をします。
授業の成立しない学級は、教室がゴミも机の配置も雑然となるものです。それを担任1人でしていると、孤独感を感じます。担任1人で背負わない学校でいてください。「助けてください」と言いましょう。


保育士・教師のスモール・ステップ作戦(子どもとの向き合い方)
 らしんばん 1月号 ステップ3


緊急事態!群れてやりたい放題(担任の指導が入らん)


 もう限界を超えました。
一刻の猶予もありません。
いじめ多発警報も発令状態です。
大規模校以外は、短期間に他学年・全校に影響が出てくるので、中規模校の小学校を想定してみます。
即、対策会議を開きます。
ここまでは、すべての学校がします。組織力のある学校は、ここからが違います。                                               
 管理職を中心に動きのとれる教師すべて(教務主任、教務助任生徒指導、少人数加配教員、養護教諭など)総動員です。
(他学年の担任まで加わった例もありますが)やりたい放題集団の子一人ひとりの個別(虐待など家庭の状況も含む)の課題と、その集団の中の力学関係の構図(やりたい放題集団と言っても、ガラスの人間関係です)を正確に把握します。
その上で、教師とその子らとの相性も考慮して、どの教師がどの子に関わるかという担当を決めます。
その子と信頼関係を構築して指導を入れていく担当です。
例えば、
A君にはB教頭、C君にはD教務主任、
E君にはF教務助任、G君にはH少人数加配、
Iさん(女子)にはJ養護教諭という感じです。
J養護教諭は保健室を離れられないので、手紙の交換をJさんと続けます。
K校長は、L担任がギリギリの所で踏ん張っている教室で、学級全体の支援をします。                                                         
A君には保護者との連携(手をつなぐ)も必要なので、B教頭が家庭訪問もします。                                        
関わる教師は、学級の子どもとの信頼関係を築くために、教科ごとで分担して入ります。当然、他学級・他学年の、通常の出授業・入り授業はすべて一時停止します。
毎日、情報を交換・共有しながら、集団指導体制をとるわけです。
どの教師も、子どもにスモールステップを与えて、やりきらせて、ほめることもします。
 
ここで、組織力のある学校と、組織力のない学校の差がはっきりと出ます。
それは、通常の出授業・入り授業の一時停止に対する他学年の教師の反応です。                                    
 組織力のある学校では、大変な時は、全教職員が少しずつ融通し合うことが通例になっているので、どの担任も空き時間がなくなることは、自分のできる協力の形だと受けとめます。全教職員も、その学級の子らのよい所を見かけたら、メモを担任の机上に置きます。
 ところが、組織力のない学校では、入り授業の一時停止によって、自分の空き時間がなくなることに対して、他の学年の主任から注文がつきます。
誰か代わりに入り授業をしてほしいと言うのです。
学校が緊急事態なのに、自己中心的な主張を、当然の権利のごとく要求してこられます。そういう学年に限って、たいてい教師集団はバラバラでした。それは、全校集団下校の時に、いつも全校の足を引っ張るという形で、よーくわかります。
中学校では、どの教師も空き時間の方が大変だということを、同じ教師なのに、小学校の教師は知らないのでしょうか。
 組織力というのは、校長、教頭、教務、加配、各学年主任などの結束力で決まります。
たった一人の学年主任でも「自己???」だと、組織力は保てないのです。


保育士・教師のスモール・ステップ作戦(子どもとの向き合い方)
 らしんばん 1月号 ステップ4


組織力◎の小学校は、どの学級も集団下校時刻を守れる
 小学校では、不審者対応で、自由下校がなくなって何年もたちます。
対応に学校間格差が出てきました。
学校規模によって、学年下校にしている小学校と、複数学年下校にしている小学校とに分かれます。
集合から出発までの時間が短くて済む学校には、共通することがあります。
こういう小学校は、
教室出発時刻を統一していること(早くても遅くてもいけない)
学校出発時刻にどの学級も遅れないように、全担任が意識できていること
帰りの準備に手間取る学級は最終校時を早めに切り上げ、間に合うようにしていること時間を守るということが、学校全体に浸透していること(担任が子どもより早く動く)

以上のことができているだけなのです。
原則として、すべての担任も、すべての学級も、このルールを守ろうと意識しているのです。
たいしたものです。
これこそ、教職員の意識レベルの高い、組織力のある小学校です。
当然、危機管理能力も、学年づくりも、学級づくりも、困った時のヘルプの動きも迅速です。
下校時刻を統一して守りきらせる、これをやりきる教師集団は、必ず柔軟で協力体制のある学校組織になっています。
ぜひ、下校時刻を守る工夫を試みてみましょう。


組織力◎の中学校は、どの部活も完全下校時刻を守れる
 中学校では、部活があります。
学校規模に関係なく、部活終了時刻と完全下校時刻を生徒に守りきらせる教師集団の中学校は、生徒指導も組織的です。
たった一つの部活でも、終了時刻を守らない部があれば、同僚から即、指摘を受けます。練習時間をオーバーする部活はありません。
そして、全教師が一丸となって下校指導を一斉に進めています。
 時間がルーズになっている中学校では、たった一人の、ちょっとぐらいという顧問の意識の低さが、生徒たちに時間を守らなくてもよいという見本になっています。                                               
そのことに気づいておられません。
顧問が終了時刻を守れなくて、どうして生徒に
「時間を守れ」と言えるでしょうか。
生徒たちが、そんな口先だけの教師の言葉など聞くはずもありません。
信用も失います。
そして、生徒が崩れ始めます。
生徒の信頼を得るには、教師が率先して学校生活のルールを守る手本を示すことです。
県内の中学校の中には、
授業の始まりのチャイムは、どの教師も、今から授業をする教室の中で聞く。                                    
完全下校時刻を守らなかった部活は翌日の練習にペナルティーを課す。
下校指導には原則として全顧問が出る。
どの部活にも毎日、学校長か教頭か教務主任など、ローテーションで、見回る(どの部の生徒も必ずほめるため)。

以上のことを実践している中学校もあります。
積極的な生徒指導としてです。
 自分の学校で、できそうな、もしくは、やらなければならない、積極的な生徒指導について、もし1つでもこれ!と思ってくださるのがあれば、ぜひ論議して、取り組んでみてください。
つぶれてしまう教師を一人も出さないためでもあるのです。


【給食「好きな者同士」に違和感を感じませんか?】


ズバリ、担任の指導が入りにくくなってくると、子どもたちは「好きな者同士」で机を寄せ合う形の食べ方を要求してきます。そして、一部の子どもたちの声に押しきられて、月に1回だったのが週に1回と増やすことを担任がしぶしぶOKしてしまったら、必ずと言ってよいほど、教室の空気は好ましくない雰囲気が助長されていきます。上学年になるほど、起こりやすい現象とも言えます。もし、隣のクラスが週1回をやっていたら、担任はOKせざるを得なくなります。


こうなってからでは、管理職や教務が学年主任に指示を出すのも、時すでに遅し、という状況です。そうなる前に、学校に1クラスでも指導が入りにくいクラスがあるなら、少なくても学年部単位以上で、できれば職員会議で、給食の「好きな者同士」という形をとらない方向の論議が必要だと思います。自分のクラスさえよかったらよいという発想は、大人の教師なら捨てましょう。逆に言えば、大人になりきれていない教師は、その発想を捨てられないでしょう。ですから、「好きな者同士」をしてもよいのは、一人ぼっちになる子が本校には1人もいないと確信できる時だけだということを、抵抗する先生には問いかけてみてはどうですか。


指導が入りにくくなればなるほど、きっと担任の先生は「好きな者同士」という形をとりたくないはずです。それを1人で悩んでおられるかも知れないと思ってあげてください。クラスが安定しないと、この形は、ポツンと1人になる子が必ず出ます。かなしい子をつくってしまいます。それを防ぐのは、担任1人の指導では無理です。「全クラス、好きな者同士はしないんだよ」という教師集団の結束が、困っている担任の先生を応援することになると、私は思います。


給食を毎日しあわせな気分で食べる権利は、一部の子だけではなく、クラス全員の子に保障するのが大原則です。「どの先生も同じ思いで、同じことを言わはる」ということができるか、できないかなんて、たかが給食でそんなおおげさな、と軽く見ないほうがいいでしょう。給食は生活班が机を寄せ合って、そこに担任の先生もローテーションで一緒に食べるという形をくずさないことが、すごく大切なクラスもあるからです。そういうクラスが多いはずです。


実際、子どもが「好きな者同士」を要求し始めたら、不満の初期かなと受けとめて、係活動の発想を「すっごく楽しい係活動」に切り替えた取り組みをしたと、複数の小学校の先生からも聞きました。こういうのを柔軟な学級づくりと言うのでしょうね。


よけいな差し出口ですが、すごく困っているクラスには、給食(準備も含めて)を食べる教師を複数体制にしておられる小学校がほとんどだと聞きましたけど、先生方の小学校ではどうなさっていますか。


【詩「冬の夜道」学習指導案(略案)】


次の詩は、私が小学校高学年の頃(S45~46年)に小学校で習った詩です。たしか教科書にのっていた記憶があります。今でも暗唱できます。


 冬の夜道                  津村信夫


冬の夜道を 一人の男が帰ってゆく


はげしい仕事をする人だ


その疲れきった足どりが そっくり それを表している


月夜であった


小砂利をふんで やがて 一軒の家の前に 立ちどまった


それから ゆっくり格子戸を開けた


「お帰りなさい」


土間に灯がもれて 女の人の声がした


すると それに続いて


どこか 部屋のすみから


一つの小さな声が言った


また一つ


また一つ別の小さな声がさけんだ


「お帰りなさい」




冬の夜道は 月が出て ずいぶんと明るかった


それにもまして


ゆきずりの私の心には


明るい一本のろうそくが 燃えていた



かつて、小学校の高学年を担任すると、必ず「冬の夜道」を子どもたちと読み味わいました。この詩の授業を、7回はしたでしょうか。それは、子どもたちに、将来、大人になった時の自分の「家族」を豊かにイメージするきっかけにしてほしかったからです。


まず、音読をしたら、意味のわからない言葉をどうにかします。「足どり」「小砂利」「「格子戸」「土間」「灯」「ゆきずり」などを、子どもたちは言うでしょう。どうにか意味がわかったところで、音読を入れます。


最初に問いたいのは、1人の男の行動の裏側にあるものです。


この男の人は、疲れていたから、ゆっくり開けたのかなあ?」


と聞いてみたいです。子どもたちが「はげしい仕事」「疲れきった足どり」「そっくり」「やがて」「立ちどまった」「それから ゆっくり」などから、男の人の姿・状況を思い浮かべつつ、男の人の家族への温かさにまで思いをはせてくれたらいいなあ・・と思います。ある年には、「家族に、疲れきった顔を見せると心配させるので、一度立ちどまってから、深呼吸して、ゆっくり開けた」と語る子もいました。


次に問いたいのが、男の人を迎える家族の姿です。


この家は何人家族なのかなあ?」


と聞いてみたいです。「女の人」「1つの小さな声」「言った」「また1つ また1つ」「別の小さな声」「さけんだ」などから、迎えたのは、3人か4人か意見が分かれるでしょう。その中で、迎えた時の家の中の様子や、男の人にかけた言葉も出てくればいいなあ・・と思います。別の年には、「小さな声が言ったのは低学年ぐらいの子で、小さな声がさけんだのは、3才ぐらいの双子で、3人の子どもがお父さんの帰りがうれしくて飛びついた」と語る子もいました。


最後に問いたいのは、ゆきずりの作者の姿です。


ゆきずりの私には、家で誰が待っているのかなあ?」


と聞いてみたいです。「それにもまして」「ゆきずり」「私の心」「明るい」「1本のろうそく」「燃えていた」などから、思い思いに、作者も男と同じような家族がいる、作者は家族のいない1人暮らし、などを語ってくれたらいいなあ・・と思います。また別の年には、「『月の明るさ』と『ろうそくの明るさ』の違い(冷たい・温かい)から、1人ぼっちの作者だから心に灯った『ぬくもり』を、北風で消したくないほど大切にしたかった」と語る子もいました。


そして、もう1度音読しながら、この温かい家族と、心を温められた作者の情景をイメージしてくれたらいいなあ・・と思います。自分も大人になったら、こんな家族をつくりたいなという、子どもたちが描けるモデルの1つに、この詩がなってくれたらなあ・・と心から願いつつ・・。


実際には、こちらの思うようには、なかなか、子どもたちは描いてくれないものですが・・。どこと、どこで、グループ学習を取り入れたらいかは、迷うところです。今の時代の、ほとんどの子どもたちは「土間」も「格子戸」も知りませんから、1校時45分でやり終える自信も、ちょっとありません。でも、ステキな詩であることは確かです。


とにかく情景を思い浮かべてほしいので「男の人はどうして立ちどまったの?」「男の人はなぜ、ゆっくり開けたの?」「この家族を見た作者の気持ちは?」「明るい1本のろうそくって、作者が言いたかったことは何?」というような問いかけは、したくありませんでした。詩という文学作品を読み味わうとは、そういうことではないと思うからです。あくまでも情景をより豊かに思い描き、イメージすることを主にした授業を展開したいと考えるからです。そうする中で子どもたちが自ら、自然体で心情にもふれてくれるのではないでしょうか。



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子どもと向き合う学級づくり⑪【2月の教室】+【集団登校班長さんをほめる】【子どもが待っている先生の「ひと言」】

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by takaboo-54p125 | 2010-11-11 04:08 | 保育・教育

給食「好きな者同士」に違和感を感じませんか?


ズバリ、担任の指導が入りにくくなってくると、子どもたちは「好きな者同士」で机を寄せ合う形の食べ方を要求してきます。                                                                              そして、一部の子どもたちの声に押しきられて、月に1回だったのが週に1回と増やすことを担任がしぶしぶOKしてしまったら、必ずと言ってよいほど、教室の空気は好ましくない雰囲気が助長されていきます。                                                           上学年になるほど、起こりやすい現象とも言えます。                                                                      もし、隣のクラスが週1回をやっていたら、担任はOKせざるを得なくなります。


こうなってからでは、管理職や教務が学年主任に指示を出すのも、時すでに遅し、という状況です。                                                                                                                        そうなる前に、学校に1クラスでも指導が入りにくいクラスがあるなら、少なくても学年部単位以上で、できれば職員会議で、給食の「好きな者同士」という形をとらない方向の論議が必要だと思います。                                                                               自分のクラスさえよかったらよいという発想は、大人の教師なら捨てましょう。                                                                             逆に言えば、大人になりきれていない教師は、その発想を捨てられないでしょう。                                                                                                           ですから、「好きな者同士」をしてもよいのは、一人ぼっちになる子が本校には1人もいないと確信できる時だけだということを、抵抗する先生には問いかけてみてはどうですか。


指導が入りにくくなればなるほど、きっと担任の先生は「好きな者同士」という形をとりたくないはずです。                                                                                                                それを1人で悩んでおられるかも知れないと思ってあげてください。                                                                              クラスが安定しないと、この形は、ポツンと1人になる子が必ず出ます。                                                             かなしい子をつくってしまいます。                                                         それを防ぐのは、担任1人の指導では無理です。                                                                                「全クラス、好きな者同士はしないんだよ」という教師集団の結束が、困っている担任の先生を応援することになると、私は思います。


給食を毎日しあわせな気分で食べる権利は、一部の子だけではなく、クラス全員の子に保障するのが大原則です。                                                                                                                                                                              「どの先生も同じ思いで、同じことを言わはる」ということができるか、できないかなんて、たかが給食でそんなおおげさな、と軽く見ないほうがいいでしょう。                                                                                                                                                  給食は生活班が机を寄せ合って、そこに担任の先生もローテーションで一緒に食べるという形をくずさないことが、すごく大切なクラスもあるからです。                                                                                       そういうクラスが多いはずです。


実際、子どもが「好きな者同士」を要求し始めたら、不満の初期かなと受けとめて、係活動の発想を「すっごく楽しい係活動」に切り替えた取り組みをしたと、複数の小学校の先生からも聞きました。                                                                                                                                                         こういうのを柔軟な学級づくりと言うのでしょうね。


よけいな差し出口ですが、すごく困っているクラスには、給食(準備も含めて)を食べる教師を複数体制にしておられる小学校がほとんどだと聞きましたけど、先生方の小学校ではどうなさっていますか。

関連ページ
子どもと向き合う学級づくり⑩【1月の教室】+【給食:好きな者同士をやめよう】【国語:詩「冬の夜道」指導案】
http://sg2takaboo.exblog.jp/24898149/


by takaboo-54p125 | 2010-11-10 10:04 | 保育・教育

私は佐藤学先生が東京大学教授だから尊敬しているのではなく、佐藤氏の次の5つの言葉に感銘を受けたからです。                                                                                               ですから、佐藤さんの推進する学校づくり・授業改革に賛同・支持します。



『私の教育学が彼ら(教師)の悩みや教室の事実に対して無力であることを痛感させられた』



『私は「すぐれた授業」「すごい授業」ばかりを追い求めていた自分の浅薄さを反省した』



『研究者としての私が追うべき責任は、‥日々、混乱と困惑の中で苦闘している圧倒的多数の教師たちの実践への協力である』



『私自身、恥ずかしいことだが、このことに気づくのに10年近くを費やしてしまった。                                               その間に接した教師は数万人にのぼる。「花」を追い求め、傲慢であった私の関わりに、深くお詫びしたい』



『私は根本において間違っていた。「すごい教師」を探し求めるのではなく、日頃接している1人ひとりの教師の「花」を探り当て、その「種」に学ぶべきだったのである』



それで、改めて佐藤先生がこの夏に講義をされた概略の文章に共感したので、今までに紹介した文章と重複する箇所もありますが、ウェブページ「佐藤学先生の失敗からの再出発」に追加する形で紹介します。                                                                                               関心のある方は、そちらをご覧ください。                                                        佐藤先生の言葉を借りれば、                                                      「日々、混乱と困惑の中で苦闘している圧倒的多数の先生方」                                             へエールを送りたいからです。



滋賀県の小学校でも、中学校でも、高校でも「学びの共同体」を取り入れようとチャレンジする学校が出てきています。                                                          現状をなんとかしたいという先生方の願いからです。



なぜなら、コミュニケーションの苦手な子の増加、子ども同士のガラスの人間関係、小1プロブレム、中1ギャップ、いじめ、不登校、発達障害、親子関係の問題、虐待、携帯依存、ゲーム依存、ネット依存など、子どもたちの課題はどんどん増えてきました。



それらを背負った子どもたちを引き受けることから学校教育は始まるからです。                                     ですから、よりしなやかに受けとめられる新たな学校づくりを、今せざるを得ない状況になっていることは、学校現場でふんばっておられる先生方こそ感じておられるのではないでしょうか。



学校が脱皮しなければならない時期は、しんどい状況の今だと痛感している先生が多いと感じます。                                                                           同時に、日々の教育・対応にめいっぱいで余裕など全くないのが実情でしょう。                                       しかし、このままでは先が見えません。                                                            つぶれる子や、つぶれる先生をこれ以上1人も出さないためにも、今こそ、思い切った学校ぐるみの改革(先生方の負担軽減も含めた改革)にチャレンジしてみましょう。                            それが「学びの共同体」なのだと思います。


by takaboo-54p125 | 2010-11-08 05:55 | 日記・その他

保育士・教師のスモール・ステップ作戦(子どもとの向き合い方)
 らしんばん 12月号ステップ1


釜石小学校校歌【ピアノ伴奏】従姉妹に弾いてもらいました


【歌詞】


いきいき生きる いきいき生きる


ひとりで立って まっすぐ生きる


困ったときは 目をあげて


星を目あてに まっすぐ生きる


息あるうちは いきいき生きる




はっきり話す はっきり話す


びくびくせずに はっきり話す


困ったときは あわてずに


人間について よく考える


考えたなら はっきり話す




しっかりつかむ しっかりつかむ


まことの知恵を しっかりつかむ


困ったときは 手を出して


ともだちの手を しっかりつかむ


手と手をつないで しっかり生きる




クラスでも集会でも歌える曲です。


子どもの変容を願うなら、まず先生自身が変わること
クラスに、何度言っても、学習に集中できない子、友だちにちょっかいを出す子が複数いるとします。この指導が入りにくい段階から抜け出すにはT(先生)とC(子ども)一人ひとりの関係づくりから出直すことによってのみ、改善への第一歩が踏み出せます。Tの関わり方が変わらなければ、Cは変われません。『トラブル→しかる』くり返しの悪循環から抜け出すチャンスは、Tが意図的につくるしかありません。
Tの姿勢が変わらなければ、どれだけ熱心に指導しているつもりでも、Cの心はどんどん離れていきます。Cには、『びびる時もあるけど、信頼できる先生』ではなく、ただの『こわいおっさん』『口うるさいおばさん』にしか見えなくなってしまうのです。


チャンスは、1日の中で、こんなにあるのです
朝が最大のチャンスです。
おはよう。元気か
と声をかけて教室で迎えて、頭をなでであげたりします。
低学年はスキンシップも大切で、女の先生なら、抱っこしてあげたり、ひざの上に乗せてあげたりします。                          
男の先生は、ハイタッチがいいでしょうね。
今朝も君に会えてうれしいよ
というメッセージが子どもの心に届くように、あれこれやるわけです。


給食も、チャンスです。
各班で机を向かい合わせて食べるクラスがほとんどですから、今日は1班、明日は2班、明後日は3班・・・というふうに、先生も子どもたちのそばで食べることを続けます。
好きな食べ物や、きらいな食べ物など、気楽なおしゃべりをしながら食べていると、子どもとの距離がじわじわとお互いに縮まります。


昼休みも、よいチャンスです。
どれだけ忙しくても、せめて週1回は子どもの遊びの輪に入ってやってほしいなと思います。
子どもたちも、それを願ってます。
その願いがかなわないことがわかると、子どもたちはあきらめます。
あきらめると、子どもたちは先生に期待しなくなります。
期待しなくなると、子どもたちは先生の言うことも聞かなくなります。


毎日でなくてもいいし、せめて昼休みの半分・3分の1・4分の1(年令・体力に応じて)だけでも、なんとか時間をやりくりするのは、自分と子どもたちの関係づくりのためだと思いましょう。


プロ・スポーツでも、野球のイチロー選手やサッカー日本代表選手も、初心に戻って、基本を大切にします。
先生の初心は子どもを好きになること、先生の基本は子どもと遊ぶこと(授業を成立させる土台の関係づくり)だということ、忘れたくないですね。
子どもとの距離が一気に縮まります。


掃除の時間も、絶好のチャンスです。
さぼっている子がいたら、ビッグチャンスです。
「何してんの!今、何の時間や思てるの!」
では、モグラたたきをしているだけです。
今こそ『スモールステップを与えて、やりきらせて、ほめる』材料がいっぱいです。                                                  
「A君、いっしょに机を運ぼ!いっせーのーで」→「ありがとな。」


「Bさん、ここ、ほうきではいてくれる!」→「上手やな」


「C君、Dさん、E君、雑巾がけ頼むわ!」→「さすがは△年生」


「F君、バケツの水かえてきて」→「先生、うれしいわぁ」


「さあ、みんなで机を運ぼう」→「みんなのおかげ、大助かりや」                                                    
という感じで、たった15分でほめてもらえる子は20人以上になります。                                
こういう苦労は、花の水やり感覚です。


保幼や低学年における連絡帳の返事書きを、チャンスにしている先生もいます。                                                   
その日の、子どものステキな姿をこまめに連絡帳に書いておられました。
この子どもはきっと家でもおうちの方からほめられ、親子で先生のステキなところの話もしているのだろうなと思います。
先生が子どもをかわいく思え、好きになると、子どもも先生を好きになっていきます。                                                
これを意図的に意識してしようとするのが、保育や教育の基本中の基本ではないでしょうか。


保育士・教師のスモール・ステップ作戦(子どもとの向き合い方)
 らしんばん 12月号ステップ2

問題行動を起こした「その子」を救うのが先生です


 問題行動が起こったら、その子の「失敗」ととらえ、その子が失敗から立ち直るために、その子が失敗で失った信頼を取り戻すために、その子がしたこと、言ったことを聞きます。何をしたのが失敗だったか、なぜしちゃいけなかったかに、その子が気づき、反省はしてほしい、相手がいるなら心からわびてほしい、しかし、大きな心の傷として残らぬよう、その子を支え、助けるために聞くのです。その子を追いつめるのではありません。


例えば、
「きのう家へ帰る時のことを教えてね」→(やりとりがあって)→
「その時、ちょっとまずかったなと思うことはないか?」
圧迫感のある対面座りより、並んで座る方がしゃべりやすいでしょうね。
なかなか言えない時は、こちらの情報を少しずつ出して、事実かどうかを確認しながら、言いやすくしてあげます。ほぼ事実を言ってくれたら、
「どこが悪かったと思う?」「今、どんな気持ち?」
「先生は、君が正直に言ってくれたことがうれしいで。ありがとうな」
でも、したことは、「すごく残念で、かなしいな」と、しかります。ただし、


「悪い子やな」「君はダメやな」「はずかしくないのか」                                                      
と、なじったり、とがめたりするのではありません。
「この失敗をどう取り返すか、いっしょに考えような」
その子がわびること(相手の子の気持ち)の気づいたら、
「どうしたい?」「一人でできるか?」「先生にも助けてほしいか?」
と、雪解け水のごとく、子どもの歩みに寄り添って、あとはケース・バイ・ケースです。


子どもと担任のパイプが切れてしまったら・・(私の場合)
 担任と一人の子とのパイプが切れてしまい、お手上げ状態になってしまいました。そばを通るだけで避けられ、声をかけても、無視されることが多く、
「さあ」「べつに」「むかつく」
というひと言が返ってきたら、まだましというレベルです。


 担任は、自力では糸のような細いパイプすら作れないので、たくさんの先生方に、その子に声をかけてもらうよう頼みました。同じ学年の先生、去年担任していた先生、フリーの先生方、養護教諭の先生、過去にその子と関わった先生など、約10名にヘルプを求めたのです。
 いろんな場でいろんな形で、いろんな先生が、その子に声をかけてくださり、ほめてくださったおかげで、卒業の頃には、担任とも細い細い糸のようなパイプですが、避けられることもなくなり、単語だけど、会話もできるところまで、関係が回復しました。もちろん、「キラッと見つけ」を先生方に書いてもらったメモは、毎日、帰りの会で読みました。日記も、書いてくれない子の日記にも、その子のその日のがんばりを、2年間ずっと書き続けました。


 今、思うと、
あっけらかんと、反応なんか気にせず、
声をかけたらよかったかな。
「また、さけられたなあ」
「今日は元気そうやなあ」
「今、先生にむかついているんか?困ったなあ」
「えっ、おこってへんのか?うれしいなあ」
なんてね。
これは、2年間を先生方に支えられて乗り切ることができた結果論ですけど。


保育士・教師のスモール・ステップ作戦(子どもとの向き合い方)
 らしんばん 12月号ステップ3


とっさに出せるか「そのひと言」私の選ぶベスト15


耳の不自由な(当然しゃべるのも不自由な)筆談ホステスとして、東京の銀座のクラブで働いておられた斉藤里恵さんは「そのひと言」の達人だと思いました。ご本人の著書から、いくつか紹介させてください。


「『辛い』のは『幸せ』になる途中ですよ」(辛+—=幸だと、斉藤さんのひらめきです)


この言葉は「筆談ホステス 」(ご自身の半生記)斉藤里恵著(光文社)で紹介]


「隣に誰か(人)がいるだけで『憂い』は『優しさ』に変わります」
(憂いを持っている人には、そばに人〔にんべん〕がいてあげることが何よりの優しさだと斉藤さんの解釈)


「難題の無い人生は『無難』な人生。難題のある人生は『有難い』人生」


「相手の心を想う。『思う』のではなく、相手の心を『想って』あげてください」


「こちらも心が大切ですよ。聞くのではなく、心をこめて聴いてください」


「過去と他人は変えられませんよ。でも未来と自分は変えられます」


「失うことで人は大きくなる」(失=人+大だと斉藤さんは、漢字を分解しました)


「『人』に『言う』で『信じる』。「信じているなら、はっきり言葉に出して伝えてあげて」                              
「外見だけで、一生の家を買う人はいない」
(斉藤さんも10代の頃はルックス命でした)


お風呂で転んだからといって、二度とお風呂に入らない人はいませんよ」


「『涙』を止めれば、また笑顔に『戻れ』ます。


『泣く』のを止めれば、『立ち』あがって 前に進めます」(どちらの漢字も、さんずいの部分を取り除けば・・と斉藤さんの説明)


「小さいことを積み重ねることが、とんでもないところへ行く、ただひとつの道」
(イチロー選手の言葉だそうです。彼が言うと納得です)


「『負けたことがある』というのが、いつか大きな財産になる」
(マンガ「スラムダンク」で、負けたチームの監督が生徒にかけた言葉。私も好きです)                                                          
「花は、そのすべてを失って、果実を見いだす」(インドの詩人タゴールの言葉)


「弓は使う時には引きしぼるが、使わぬ時にはゆるめておくもの」
(古代ギリシャの歴史家ヘロドトスの「歴史」の一節。斉藤さん、陰で努力する人なんですね)


[以上「筆談ホステス 67の愛言葉」斉藤里恵著(光文社)より抜粋]


どのひと言も、お客様の悩み・グチに対して、心を込めて筆談しながら、斉藤さんがとっさにメモを書いて渡された文です。斉藤さんって、人の気持ちを一瞬で感じ取り、その人のために精魂込めて、瞬時に、自分の「愛言葉の引き出し」から、相手がハッとする言葉を出せる人ですね。お客様への「おもてなし」のほんまもんのプロの真髄とは、並大抵のことでは到達できないことを思い知らされました。そんな斉藤里恵さんの陰での人一倍の努力(人には言えないご苦労)と、人に寄り添い本気で支えようとするお姿(ハンディを感じさせないこと)に、感動させられました。


子ども1人ひとりへの保育士・教師の「そのひと言」も、子どもが元気玉になるひと言、子どもの気持ちをネガティブ→ポジティブに変換できるひと言でありたいですね。



保育士・教師のスモール・ステップ作戦(子どもとの向き合い方)
  らしんばん 12月号ステップ4

 
この詩を自分にあてはめてみましょう ⑥


  子は親の鏡


けなされて育つと、子どもは、人をけなすようになる
とげとげした家庭で育つと、子どもは、乱暴になる
不安な気持ちで育てると、子どもも不安になる
「かわいそうな子だ」と言って育てると、子どもは、みじめな気持ちになる
子どもをバカにすると、引っ込みじあんな子になる
親が他人をうらやんでばかりいると、子どもも人をうらやむようになる
しかりつけてばかりいると、子どもは「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう


はげましてあげれば、子どもは、自信を持つようになる
広い心で接すれば、キレる子にはならない
ほめてあげれば、子どもは、明るい子に育つ
愛してあげれば、子どもは、人を愛することを学ぶ
認めてあげれば、子どもは、自分が好きになる
見つめてあげれば、子どもは、がんばり屋になる
分かち合うことを教えれば、子どもは、思いやりを学ぶ
親が正直であれば、子どもは、正直であることの大切さを知る
子どもに公平であれば、子どもは、正義感のある子に育つ
やさしく、思いやりを持って育てれば、子どもは、やさしい子に育つ
守ってあげれば、子どもは、強い子に育つ


和気あいあいとした家庭で育てば、
 子どもは、この世はいいところだと思えるようになる


ドロシー・ロー・ノルト「子どもが育つ魔法の言葉」(PHP研究所)より


家庭を学校・園に置き換え、親を先生に置き換えて、もう一度読み返してみましょう。



「自分勝手」と「自由」を勘違いしないこと


子育ては「山あり谷あり」です。
あせらず、ぼちぼち、という気持ちが大切です。
目の前のわが子の姿がスタート・ラインです。
そんな、わが子の心を育てるポイントがあります。
親自身が子どもと共に育とうと意識することです。
子どもの姿から学び、親自身も育つことができた時、
子どもの心はグーンと成長します。
さて、
将来、わが子が「自分勝手な大人」にならないために、
今、親がすべきことをいくつか・・。


◎自分の子どもさえよかったら、他の子のことはどうでもよいと思わないこと。


◎自分の子は、回りの子らの集団の中で日々、社会性を身につけている事実を知ること。


◎「無理・できない・ダメ」を連発するマイナス思考の親に、決してならないこと。


◎特定の個人の人柄のせいにしないこと。(何でも人のせいにする子どもに育ちますよ)


◎特定の個人に責任を押しつけないこと。(自分のことを棚に上げる無責任な態度ですよ)


◎今いる親の集団みんなで、少しずつ苦労を分かち合うこと。(できる範囲でいいので)


これが学校なら、


◎自分のクラスさえよかったら、他のクラス・学年はどうでもよいと思わないこと。


◎自分のクラスの子はどの子も、学級集団、学年集団、全校集団の中で、そして教師集団に見守られながら日々、社会性を身につけている事実を知ること。


◎「無理、ダメ、できない」を連発するマイナス思考の教師に、決してならないこと。


◎特定の子ども1人のせいにしないこと。


◎特定の教師1人に責任を押しつけないこと。


◎今いる教師集団みんなで、少しずつ苦労を分かち合うこと。


大切なこと(勘違いしてはいけないこと)は同じですね。


子どものストレッサーになる教師のパターン


ある「校長室だより」には、なるほど!と納得すること、ハッとさせられること、わが身を思わずふり返ってしまうことが載っていました。私も、自分自身の襟を正す機会になりました。紹介させてください。6月7日の記事です。


『  「子どもを追い込む教師のパターン


仙台市立松陵西小学校の鈴木整次先生が日頃の先生方の姿を見られて、次のように述べておられます。

子どもをいつの間にか追い込んでいないだろうか。子どもたちをストレスづけにしていないだろうか。
子どもと接する時間は、家族より多い。教師はいかに子どもたちと接していけばよいのだろうか。あなたは、こんな教師になっていませんか。
子どもをストレスの世界に追い込む教師のパターンを紹介します。

1.ピリピリ型
 先生は忙しそうで、いつもピリピリしています。何か報告や相談したくても、もういいやって感じになってしまいます。
2.機関銃型
 先生に何かひとこと言うと、ダッダッダッと反応が返ってきます。何かせきたてられ追い立てられるような気がします。
3.比較型
 先生に何か言うと、すぐ「君たちは○○だけど、隣のクラスは××だよ」とか、「A君は○○だよ」といった他のクラスや特定の友たちとの比較を始めます。
4.洗いざらい型
 先生に何かを報告すると、すぐに「ここはどうなの」「あそこはどうなの」という感じの追求が始まります。自分たちを信用してくれないのか、しつこくて嫌になります。
5.アメとムチ型
 先生とは、どうも波長が合いません。優しくしてほしいと思っている時にご機嫌ななめなことが多く、ハッパをかけてほしいときには、逆に自分たちの機嫌をとったり、何だか疲れてきます。
6.早のみ込み型
 先生に何か言うと、「結局こうなんだろう」と話の途中で勝手な結論を出します。それもピントはずれなことが多いんです。本当は結論よりも自分たちの話をじっくり聞いてほしいのに・・・。
7.囲い込み型
 先生はいつも「ああ、そう、わかった。わかった。」と言いながら、少しも自分のことをわかってくれない。いつも口先だけで信用できません。
8.コチコチ型
 僕のクラスの先生は、冗談やユーモアが少しも通じない。話すとかえって誤解されたり、怒られたり頭がコチコチでつきあいきれません。
9.過剰期待型
 先生が自分に期待して声をかけてくれるのはよくわかるのですが、時々負担に感じて辛くなってきます。できたら、そっとしておいてほしいと思う時があります。
10.主権侵略型
 先生の中には、ここまで立ち入ってほしくないところまで踏み込んでくる人がいて、やりきれない思いをしています。プライベートな世界にまで土足で踏み込んでくるようなことは、やめてほしい。

さあ、あなたにあてはまる型はありませんでしたか。自分を客観的に見てみましょう。私は、これを読んで青ざめてしまいましたよ・・・。』


以上ですが、いかがですか。学べること、気づかされることに、数多く出会いたいものです。



卒業式「旅立ちの日に」


白い光の中に 山並みは萌えて


はるかな空の果てまでも 君は飛び立つ


限りなく青い空に 心ふるわせ


自由をかける鳥よ 振り返ることもせず




勇気を翼に込めて 希望の風に乗り


この広い大空に 夢を託して


懐かしい友の声 ふとよみがえる


意味もないいさかいに 泣いたあの時




心通った嬉しさに 抱き合った日よ


みんな過ぎたけれど 思い出強くだいて




勇気を翼に込めて 希望の風に乗り


この広い大空に 夢を託して




今 別れの時 飛び立とう 未来信じて


はずむ 若い力 信じて


この広い この広い 大空に




今 別れの時 飛び立とう 未来信じて


はずむ 若い力 信じて


この広い この広い 大空に




もうすぐ、養護学校(小学部・中学部・高等部)に12年間通った二男が卒業します。昨日の連絡帳に、こう書いてありました。


「朝の会で『旅立ちの日に』を歌っていたら、N君(二男)が歌詞をどこからか見つけ出してきて、それを見て歌っていました。・・」


今まで、人と一緒に歌うことなど、全くしようとしなかった二男が・・・信じられないくらい嬉しい出来事でした。いったいどんな歌かなと、YouTubeで聞いてみました。そのYouTubeには、この歌の由来が解説してありました。


「旅立ちの日に」は、1991年に埼玉県秩父市立影森中学校の小嶋登校長が作詞、音楽担当の坂本浩美教諭が作曲した合唱曲だと、わかりました。


「歌声の響く学校」の集大成として、「中学校を卒業する生徒たちのために、何か記念になる、世界にひとつしかないものを残したい」との思いから作詞作曲された歌だったそうです。1998年頃には各地の学校で歌われるようになり、現在では、卒業式歌として、全国の学校で広く歌われていることがわかりました。


その曲を、二男が朝の会で、友だちや先生と毎日歌っている・・涙も流しながら・・感無量です。この歌を作ってくださった方にも、歌い始めてくれた影森中学校のみなさんにも、全国各地で歌い広めてくれたみなさんにも、感謝します。二男のように、人と一緒に歌うことをなかなかしようとしない子にとって、毎年、この曲を卒業式で歌い継がれていることには、とても大きな意味があることがわかりました。どうか、毎年ちがう卒業式歌に替えるのではなく、歌の苦手な子が歌えるためにも、同じ歌を何年も歌い続けてやってほしいと、つくづく思いました。この曲の歌詞の内容は、中学校以上で歌われる内容ですが、二男には12年間で何かしら感じ、心にしみこんだ歌になっているのでしょう。


ところで、小学校では卒業生の歌を毎年替える学校がありますが、1年生から5年間聞いて、自分も6年生になったら、この歌を歌うんやな、と思える・・そんな卒業ソングのある学校になってほしいなあとも思いました。中には、卒業生が2曲も歌う学校もあるようですが、最低でも1曲は毎年歌う定番ソングであるべきです。なぜなら、卒業生の歌は、歌う6年生のためだけにあるのではなく、共に聞く在校生の(自分も6年生になったら、この歌を歌いたいと気持ちを新たにできる)ためでもあるからです。とりわけ、歌の苦手な子どもにとっては特に・・です。ここでも、学校の組織力のベクトルが問われています。


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by takaboo-54p125 | 2010-11-06 05:10 | 保育・教育