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保護者の教育相談「はじめの4歩」を子どもの教育相談にも生かそう


1回ブログに書きましたが、もう1度、今度は子どもたちをイメージして書いてみますので、おつきあいください。                                                      保護者が教育相談に来られる時は、心にストンと落ちる回答を求めておられます。                                                                                                                                         相談するということは、不安でたまらずオロオロしておられるか、あせってイライラしておられるか、という気持ちのはずです。                                                         でも、保護者は、「どうしたらいいの?」という相談と同時に、もう1つ、


自分の子育て(現在進行形)の苦労をわかってほしい
自分の子育てを全否定しないで、認めてほしい


という、相談の裏側の本音もあるのではないかな、と受けとめることを、教育相談を受けるスタートにしたいものです。言いかえれば、どの相談にも、


私の子育ての、「いっぱいいっぱいの気持ち」に共感してほしい


という願いが込められているのを、私たち教師は忘れてはならないと思います。                                                                                      ですから、相談を受けた時の「最初のひと言」も、即返答ではダメですね。まず、


1,保護者が相談してくださったことにお礼を述べ、                                     (信頼度ゼロなら来られません)                                  
2,保護者のご苦労をねぎらい、                                                     (ウンと心をこめて)                                      
3,保護者の子育てのよい点を具体的にほめて、                                    (お世辞ではダメ)                                
4,保護者の気持ちに共感しながら、                                                   (言葉と表情とまなざしで)


こうして相談に応じていくのが、保護者の心と、手と手をつなぐ教育相談になるのではないでしょうか。                                                                                                                  スポンジみたいにいったん吸収してから、応えるという感覚で相手をすることで、保護者自身も子育ての苦労が報われた、相談してよかったな、自分の子育てにもいいとこはあったんや、という前向きな気持ちになり、プラスαのアドバイスをくれた先生への信頼感も増すはずです。


と言うことは、大人でもそうですから、「先生・・」と言ってくる子どもに対しても同様ですね。                                                                        世の中は、社会全体が監視カメラに囲まれています。                                                                                教師が、子どもと接する時には、「監視カメラ目線」(子どもは反発するか、萎縮するだけ)ではなく、「共感カメラ目線」(上から目線の反対)で、ふだんから応対してあげたいです。                                                                      この教師自身の姿勢こそ、「担任の基本中の基本の姿勢」だと言えるでしょう。                                                                                                      これを「子どもへの教育相談、始めの4歩」と呼んで、日々忘れないようにしたいものです。

関連ページ
教育相談「始めの4歩」で決まります【 保護者と信頼関係を築く初期対応】【相談を受ける時の原則】【いじめ防止八策】【引き継ぎの鉄則】
http://sg2takaboo.exblog.jp/24898108/


by takaboo-54p125 | 2010-08-29 04:44 | 保育・教育

「見捨てられ感」への文言修正の検討を!


親子の愛着は形成するものです。                                                        それができないと(形成しにくい赤ちゃんだったり、親の何らかの事情で育児に困難な状況が続いた時)、愛着未形成・不安定な愛着・無愛着になります。


ところが、児童虐待問題の背景として「児童虐待」と並べて「不適切な養育」→「愛着障害」という臨床心理用語が、講演・資料にも登場するようになりました。                                                                                                               「ちょっと待った!異議あり」です。                                                    先生方、学生のみなさん、そして保護者のみなさん、この「愛着障害」という言葉だけは、そのまま鵜呑みにせず、はたして「愛着」に「障害」という概念を持ち込んでもよいのかを考えてほしいと思います。                                                   その理由として、紹介したい海外と国内の2つの文章は、長いのでウェブページに掲載します。


虐待や養育放棄を受けた子どもたちと向き合う最前線の国際児童支援組織(NGO)SOSキンダードルフ(子どもの村)の愛着理論は、親子の「安定した愛着」に対して、「不安定な愛着」や「無愛着」があるというとらえ方です。                                             ですから、「不適切な養育の困ったタイプ(過保護・過干渉・過期待・過許可)→愛着障害」という言葉の使い方には、「愛着」を正しく理解しておられるのか?(翻訳の段階かも知れませんが)という疑問を感じます。                                         口頭では「見捨てられ感」と言っておられるのですから、その「見捨てられ感」という言葉を、文章表現としても直接使われた方が、いらぬ誤解を招かないのではないでしょうか。


親子の愛着については、磐城学園「子ども発達支援ホームいわしろ」HPには、45年間の療育の実践に裏打ちされた、愛着のとらえ方が、とてもわかりやすく表現されています。                                                                 これこそ、本当の意味で、地道な臨床に基づいた考え方ではないか、とも言える内容です。                                                                      以上、愛着は形成されるものであり、愛着は再形成をする必要があるものであるという考え方の紹介は、くり返しになりますが、長いので、ウェブページをご覧ください。


この国内外の2つの文章は、親子の愛着というものには、愛着障害という概念はなじまないし、そぐわないという根拠でもあると、私は考えます。                                              ですから、安易に「不適切な養育→愛着障害」とPRしてほしくありません。                                                                                                                                   必死に育児をしている若い親たちをネガティブな気持ちに追い込む可能性のある文章表現は、使用しないでほしいという切なる願いです。                                    結果として、誤解を招き、不安を与える言葉には敏感にならざるを得ない、障害がある子の親の1人として、臨床心理に携わる方々には、改めて「愛着障害」から「見捨てられ感」への文言修正の検討をお願いします。(一歩さがって提案です)


少し調べてみました。                                                       RAD【Reactive(反応的な)Attachment(愛着)Disorder(混乱・無秩序)】で「反応性愛着障害」と翻訳してありました。                                                      これをReactiveだけ省略して「愛着障害」と呼ぶこと自体、少々雑というか乱暴な訳し方ではないでしょうか?                                                                   それ以前に、発達障害もCDD【Child(子ども)Development(発達・成長・発育)Disorder(混乱・無秩序)】というように、同じDisorderを使っていることに、素人ながら疑問を感じました。


(「障害」か「障がい」ということ以上に、「障害を持つ子」という表現にも、親としては強い違和感を感じますけどね。                                                                          それと、養護学校へ入学する時に提出する文書名は「○○調査書」ではなく、「○○調書」(法律に書いてあるとの返答でした)と書かれていることにも、驚き、あきれ果ててしまいました。                                                                                                     「調書」と言えば、スピード違反や交通事故の時に警察官が書くイメージと、あとは、裁判所とか、税務署関係の文書が浮かぶのが一般的だと思います。                                      小中高への入学にはなくて、養護学校入学になると「○○調書」って、「入学させてやるという、お上からのお達しに上申せよ」と古い法律に命令されてるみたいな、何か変な感じはしませんか?                                                         まあ、どちらも当事者でないと、わからない感覚かも知れませんが)


これだけ批判したのですから、私なりに建設的な提案の1つや2つは、しなければいけませんよね。                                                                ということで、クリスマスまでには、「今の子どもたち共通のハンディキャップ」に関して考えていることをまとめて、なんとか、ブログ記事&ウェブページ公開できるよう、ない知恵をしぼって出せるようにするつもりです。




by takaboo-54p125 | 2010-08-27 05:18 | 育児・子育て

9月1日(提出物が多い場合は2日になることが多いかも知れませんが)、夏休み明けの2学期スタートの日、幼稚園でも、小学校でも、子どもたちに問いかける「ひと言」が、担任の先生によって、大きく2つに分かれます。                                                                                                         これは、子ども1人ひとりにとっても、クラスづくりにとっても、先生自身にとっても、2学期の大きな分かれ道になる「ひと言」だと言えます。


(あっ、8月中に2学期が始まる学校もあることを、すっかり忘れていました。浦島太郎でした)


まず、何も考えなしというか、子ども1人ひとりの気持ちに、心を全く留めない先生は、
「夏休みの楽しかった思い出を順番に言ってもらいましょう」                                                               
と、お気楽なことを言います。


夏休みにおうちの人にどこかへ連れて行ってもらった子は大きな声で発表できます。でも、クラス全員がそうであるとは限らないことを、この先生は、何も考えていません。どこにも連れて行ってもらうことのなかった子にとって、この時間は苦痛であり、発表したくない時間であり、早く終わってほしい時間になります。                                                                                         そんな問いかけをするなら、何も聞かない方がまし、ということです。


いろんな家庭の事情があるわけですから、おうちの人が忙しかったり、病気だったり、不景気の影響だったり、様々な理由で、どこにも連れて行ってもらえなかった子だって、いるかも知れないと、予測して問いかける言葉を決められるかどうかで、担任の器(度量)が決まります。                                                                                                                     例えば、赤ちゃん(弟か妹)が生まれた子は、どこにも連れて行ってもらえない場合の方が多いかな、お手伝いをがんばったんやろな、と予測できるかどうか、ということです。


実際に、地蔵盆の準備の時、近所の小学生のお父さん・お母さんたちが、                                                                        「せめて1回は、どこかへ連れて行ってやらな、かわいそうやし、海水浴&安い民宿へ行ってきたで」                                                               「うちは割引付きのプールのある温泉に行ったわ」                                           と言ってはりました。                                                                                                             これらは、連れて行けたから言える親の言葉でもあるのです。                                                                                                                 うちは小学生はいないし、日帰り(しかも半日)のびわ湖でしたから、黙っていました。「うちの子も泊まりがけで行きたかったかな?」


さて、クラスの子ども全員がよい夏休みを過ごせたかなということに、本気で心を寄せる先生は、
「夏休みに、すごくがんばったことを、言いたい人から言ってもらいましょう」                                                                 
「夏休みに、一番いっしょうけんめいやったことを、聞かせてほしいな」                                                                                       などと、問いかけます。


どの子も、自分なりにがんばれたことは何かなぁと思い出しながら、友だちの発表を聞きながら、考えることができます。                                                            それは、つらいことではありません。                                                  苦痛な時間でもありません。                                                                                先生にほめられる時間、みんなから拍手をもらえる時間、2学期もがんばるぞ、という動機づけの時間になります。                                                               このクラスの一員でよかったなということを、どの子も再確認できる時間にもなります。                                                                                  つまり、2学期の学級づくりのスタートを、この時点で、もうすでに始めていることになるわけです。


さあ、担任の先生方、かなしい子をつくらないために、前者には絶対ならないでください。                                                                                                        このことに気づいた先生が学校・園に1人でもおられたら、全担任にこの話をしてあげてほしいと思います。                                                                                         もし、夏休みのことを聞くのなら、ぜひとも、後者の問いかけをクラスの子どもたちにしてあげてください、と。
1人ひとりの瞳が輝く2学期のスタートにするために!
それは、1人ひとりの子どもを、具体的に大事にできる「クラスづくり」「学校・園づくり」のためでもあるのです。

関連ページ
子どもと向き合う学級づくり⑤【8月の教室】+【2学期初日の発問】【森毅さん名言】【若い先生の挑戦】【ラ抜き・レ足す・サ入れ言葉】【緊急メール配信】
http://sg2takaboo.exblog.jp/24898141/


by takaboo-54p125 | 2010-08-27 05:01 | 保育・教育

先日、大学時代のゼミの後輩(名古屋の小学校に勤務)から暑中見舞いのハガキが来ました。そこには、今年も石井順治先生がリードする東海国語教育を学ぶ会の授業づくり・学校づくりセミナー(夏)に参加したと書いてありました。(ずうっと、がんばってはるんやなぁと頭の下がる思い)。私は石井先生とは年賀状の交換をするだけになっていましたが・・。


学生時代、現場(保幼小)の先生との出会いは貴重な財産になります。私が大学3年の冬(昭和57年2月7,8,9日)に、所属ゼミのJ先生のお誘いにより、東京から、三重県四日市市立泊山小学校を、J先生とゼミの学生8名で訪問しました。


その3日間、泊山小学校5年B組担任の石井順治先生のお世話になったことは、小学校教員として取り組みたいことの「最初の1歩」と、自分が歩むべきベクトルを決める幸運に恵まれたと言っても過言ではありません。私たち学生を石井先生に出会わせてくださった、J先生の眼力には敬服しつつ、今でも感謝しております。受け入れてくださった石井先生にも心底から感謝です。


当時(昭和57年)の日程(三重県四日市市立泊山小学校訪問)                                                               
2月7日(日)
夕食後、石井先生のご指導で詩教材「冬の夜道」の教材解釈・研究。   


2月8日(月)
2校時【1年B組】校内研(全体研)事前授業「たぬきの糸車」参観。                                      
3校時【5年B組】体育館で子どもたちと仲よくなるゲームをした後、合唱&表現「利根川」の参観・ビデオ撮り。                                               
4校時【5年B組】社会科で、私たち学生の郷土をそれぞれ紹介。                                         
5校時【5年B組】詩の授業「冬の夜道」の参観・ビデオ撮り。                                           
6校時【5年B組】詩の授業が少し延長。残りの時間で社会科続き。   


2月9日(火)
1校時【2年A組】学年研「かさこじぞう」の参観。
2校時【1年B組】全体研「たぬきの糸車」の参観。
3校時【3年C組】学年研「手ぶくろを買いに」の参観。 
4校時【5年B組】詩の授業「桃子」の参観・ビデオ撮り。                                               
午 後:校内研・全体協議会に参加。


「利根川」は、全身に鳥肌が立ちました。それほど感動しました。私は、子どもの合唱で、心も全身も震えたのは、この時が生まれて初めてでした(翌年、泊山小で再び体験しますが)。


詩「桃子」の授業は、子どもたちが「もう一度、自分たちの授業を見てほしい」と石井先生に訴えたことによる、子どもたちの自主的な集中力を肌で感じた、ぶっつけ本番授業でした。


昭和57年当時では珍しい「授業撮り」をさせてもらったビデオ機材は、今みたいに軽くはなく、テレビ局のカメラみたいに大きくて、ズッシリと肩に食い込む重さでしたが、交替でビデオを撮っている時も、重さを忘れてしまうほどの授業であり、合唱でした。


他学年(1年・2年・3年)の、どの授業も、実にやわらかな先生方の語りかけ(表情・まなざし)によって、低学年・下学年なのに、子どもたちの聴き合うつながりができているのに、驚かされました。


5Bでは、石井先生と子どもたちによって、授業が深まっていくさまを目の当たりにしました。石井先生はあれほど深く追究しておられた教材解釈を、授業が始まると惜しげもなく捨て去り、子どもの発言をつなぎ、子どもと教材をつなぎ、うまく言い表せませんが、子ども1人ひとりの存在そのものをまるごと、クラスのみんなにつなげていかれました。


(その土台には、子ども全員の日記に石井先生が毎日、夜なべで返事を書き、それを元にした学級通信【これを石井先生が書くのも夜なべで、日記中心の1枚文集。2枚、3枚の日もあり。学期ごとに1冊の学級文集に製本、年間3冊】を読み合うことの積み重ねがありました。話下手な私には、子どもとつながるためには日記・通信しかないと確信し、昭和59年から日記と学級通信を開始、担任をしない年は職員室だより?を発行、今は、教え子との手紙・Eメール・携帯メールと、このブログです)。それでは、石井先生の授業に戻ります。


「Aくんの言ったこと、だれか、もう一度言って」
「Bさんの言いたいことの続きを言える人いる?」
という、石井先生の、しなやかなつなぎによって、切り捨てられる意見は全くなく、そのことで、教室にはしっとりとした温かい空気・雰囲気が生まれていました。教師が飛びつきたくなるような発言ではなく、私なら、すっと流してしまいそうな発言を即座に、みんなにつなげていかれました。とりわけ、黙っているけど表情が一瞬フッと変わった子どもも見逃さず、                                                             
「何か言いたいことありそうやね」と石井先生が声をかけると、その子は、はにかみながら自分の考えをたどたどしく、でも、うれしそうに語るのでした。教室の中にさわやかな風が吹き抜ける瞬間でした。この事実をはじめとして、それはもう感動の連続でした。


このように、中身が原液のように濃い3日間でしたので、ゼミ論も原稿用紙(400字)で50枚を一気に書き上げることができました(そのゼミ論を読み返しながら、今、このブログを書いています)。


そして、翌年(昭和58年2月)、J先生と石井先生との合意で、大学4年の私たちは、J先生と共に、3年をともなって、再び泊山小学校を訪れました。今度は、事前に準備(教材研究)をして、私たち学生の代表が、石井先生の6年B組で詩の授業をさせてもらいました。


6年B組の子どもたちには、前年より深化した声と全身での表現「利根川」を見せてもらいました。さらに、6年A組のオペレッタ「手ぶくろを買いに」、6年C組のオペレッタ「子どもの四季」、6年全体の合唱「荒城の月」など3曲を見せて(聞かせて)もらいました。いずれも、ズズーンと圧倒されました。


私は6年C組の岩脇先生に「荒城の月」で、合唱指揮の基本のレッスンをしてもらいました。歌詞のイメージを全身で表現するかのような岩脇先生の指揮法、私は実力も伴わないにもかかわらず、すっかりあこがれてしまいました(そして、昭和59年から、自分でも合唱指揮?を始めました、試行錯誤しながら)。


さらに、その翌年、私が臨時講師(採用試験に不合格だったから)の冬、『国語教育を学ぶ会』の研究会(1泊2日:三重県湯ノ山温泉)に参加しました。たいていは同じ職場のグループ参加の先生方がほとんどでした。


一人ぼっちで参加の私は、ラッキーなことに、石井先生と、佐藤学先生(当時は三重大学勤務、今は東京大学教授で「学びの共同体」の推進力)と、中村先生(名古屋の小学校の先生で、この方も尊敬する先生のお一人です)と同部屋にしてもらいました。その夜、厚かましくも、部屋に戻った佐藤学先生・中村先生・石井先生と4人で、最初で最後の熱い議論をさせてもらえました。新米の臨時講師であるにもかかわらず、私のクラスの子どもの話に3人とも本気で耳を傾けてくださり、佐藤先生から子どもを尊重するコメントもいただいて、うれしく思いました。これこそ、私にとって、まさに「一期一会」でした。


さらに、その後の『国語教育を学ぶ会』の全国研究会(夏)では、佐藤学先生や、稲垣忠彦先生や、演出家の竹内俊晴さんや、詩人の谷川俊太郎さんなど、講義・演習の講師からも、毎年、学ぶところ満載の研究会でした(自費で参加した価値は充分ありました)。その後、名古屋の中村先生が勤務しておられる小学校の公開授業研にも参加させてもらいました。中村先生のクラスの子らも(もちろん授業も)、ステキな子どもたちでした。


こうして、ゼミのJ先生の粋なはからいで、学生時代にカルチャーショックのような貴重な体験をさせてもらったおかげで、一応「引き出しが多いね」と言ってもらえるようになれました。私の最初の勤務校には「国語教育を学ぶ会」「仮説実験授業の会」「作文の会」「学校体育研究同志会」など様々なサークルに入っている若手教師が多かったこともあり、授業研以外にも、互いの授業を見せ合っていました。昭和の終わり頃、そんな進取の気風があふれていました。


石井先生ご自身が若い頃、群馬県の島小学校・境小学校の校長をされていた斉藤喜博先生を囲む月例会に、参加されていたと聞きました。新幹線のない時代です。そこには、神戸や滋賀の教師も参加していたそうです。その後、三重の石井先生や、神戸や滋賀の教師たちが「教授学研究の会」を土台に「国語教育を学ぶ会」へと発展させ、それが、今の「学びの共同体:協同的な学び」に脈々と受け継がれているのではないでしょうか。


さあ、いろんな直接体験をして、いろんな人に出会い、人間の幅と奥行きを広げ、人間としての「引き出し」を増やしていきましょう。


私は、当時としては、ちょこっとだけ入り口を学んだ端くれだったのでしょうが、今でも、それを自分の拠り所にしていたら、浦島太郎になってしまいます。ですから、「協同的な学び」について、今から少しでも学んでみたいと思っています。


石井順治先生が長年、学び合うフィールドにしてこられた東海学びの会のHPを見ると、「学びのたより」のバックナンバーをいくつも読むことができます。タイトルを見て、読みたいのを選べるから、私も時々、閲覧させてもらっています。アドレスは以下のとおりです。
http://www.ne.jp/asahi/manabukai/tokai-kokugo/tayori/tayori-1.htm


私が石井先生や佐藤先生から学んだことも含めて、あちこちの記事で紹介した具体策(じゃあ明日、来週、来学期、いったい何から始めたらいいのか)を、


イジメが起きないクラスの空気をつくる【担任のしなやかな役割4月~3月】

http://sg2takaboo.exblog.jp/24898387/


イジメをなくす教室の雰囲気づくり【安心感あふれる教室に変える具体的な手立て①②③④】

http://sg2takaboo.exblog.jp/24898386/


の2つにまとめました。よかったらご覧ください。あちこち重複してますが、これらを採り入れている先生方が、確かな手応えを感じておられる具体策(子どもへの語りかけ方など)を集めました。


by takaboo-54p125 | 2010-08-26 05:16 | 親・保育士・教師の研修・講習

以前4年ほど前、書店で興味をひかれて「子育てハッピーアドバイス」①~③明橋大二著800円台~900円台(一万年堂出版)を買いました。ずうっと見あたらないので、どこへ行ったのかなぁぐらいに思っていて、長い間、すっかり忘れていました。


そしたら、先日、末っ子が滅多に買わない「本」を買ってきたので、思わず「へぇ、めずらし!」とつぶやいてしまいました。その翌日、テーブルの上に読みっぱなしの本がありました。何の本かなぁと思って、ペラペラッとめくってみて、びっくりぎょうてん!                                                           
「子育てハッピーアドバイス【大好き!が伝わるほめ方・叱り方】」明橋大二著900円台(一万年堂出版)でした。なんと、明橋大二さんの著書の今年バージョンではありませんか!


「もしかして」と思い、末っ子の机の前に行くと、なんと4年前、私が買った3冊が机上の棚に、ちゃっかりと並んでいるのです(まさか、こんな所にあったとは)。この3冊を気に入ってくれたことは、うれしいことではあります。しかし、親が買ってきた子育ての本を、わが子が自分の本棚に並べて、さらに4冊目を自分で買ってきたということは、どう受けとめたらいいのだろう???と思ってしまいます。それでいて、親として、その本のことを話題にする勇気?もないんですよね。人様には、ふだん「子育ては・・」とえらそうなことを言っておきながら・・。トホホ。


さて、せっかくですから、親子で?気に入っている明橋大二さんの4冊をちょっとだけ紹介してみます。明橋大二さんは、お医者さんでスクールカウンセラーでもあります。


まず、4年前(平成18年)に買った「子育てハッピーアドバイス」①には、目次で言えば、次の項目に、私は注目してしまいました。
・抱っこしないことが続くと、赤ちゃんは、ある時から泣かなくなる。・・・・心のトラブルの始まりです。
・「がんばれ」より、「がんばってるね」と認めるほうがいい。                                                 
・甘えない人が自立するのではなく、甘えていい時にじゅうぶん甘えた人が自立するのです。


同じく4年前に買った「子育てハッピーアドバイス」②には、目次で言えば、次の項目に、私は注目してしまいました。
・子どものしつけは、いつから始めればいいのでしょうか?                                                                             (発達段階に合わせたしつけのアドバイス)
・「しかってはいけない」でも、子どもを前にすると、しかってしまいます。                                                                                                                   どうすれば?
・ゲームを長時間、なかなかやめようとしません。                                                どのように声をかけたらいいの?


これも同じく、4年前に買った「子育てハッピーアドバイス」③には、目次で言えば、次の項目に、私は注目してしまいました。
・反抗は自立のサイン。イタズラは、自発性が育ってきた証拠。                                                              
・親が肩の力をぬくと、親が楽になります。                                                    親が楽になると、子どもも楽になります。
・わがままな子が、不登校や心身症、拒食症になるのではありません。


 さて、真打ち登場、末っ子が自分で買ってきた興味津々の「子育てハッピーアドバイス【大好き!が伝わるほめ方・叱り方】」は、ちらっと、「はじめに」だけ読んでみました。こんなことを明橋大二さんは書いておられました。


「『ほめる』とは、子どもを評価することではありません。                                          子どものがんばり、成長を見つけて、その喜びを伝えていくことです。」
「『しかる』とは、子どもに腹を立てることではありません。                                                     子どもが、自分も他人も大切にできるように、1つずつ教えていくことです。」


なるほど、納得です。それで、目次を見たら、メッチャ興味深い項目の連続で、思わず末っ子に
「ちょっと、この本貸して」
と言いそうになりました。でも、せっかく読みたいと思って、末っ子が買ってきた本ですから、それはちょっとガマンして、勇気?を出して、たずねてみました。                                                                                           
「なんで、この本を買ってきたの?」
末っ子は答えてくれました。
「① ②③を読んで、なんとなく気に入ったから」
ですって。自分の親の子育てをどう思っているのかは???。以下は私の独り言です。                                                                                                  「まあ、いっか。早く、末っ子が読み終えてくれへんかな」                                                       「夏休みの宿題が全部終わるまでは、待たなあかんやろな」                                                     「ということは、9月にならんと、読めへんやん。図書館にないやろか」                                                                        でも、今年の6月に第1刷が出て、7月に第23刷と書いてありました。


(私は裏表紙の内側の何刷目かを必ず見ます。よく売れると刷数が増えるからです。ちなみに受験参考書は、刷数が多いのを買う方がいいと思います。よく売れているということは内容がいいからです。育児書では「育児の百科」松田道雄著(岩波書店)を上回る本(親が安心できる本)はないですね。写真・イラストが多くて、「こうしなくちゃいけないのかしら」と親が不安になる本がやたらと多いです。「育児の百科」は、誕生から1週、1週から半月、半月から1か月、1か月から2か月、2か月から3か・・・・5才から6才というぐあいに、「この時期の赤ちゃん」「育て方」「環境」「かわったこと(病気も)」「「集団保育」について、小児科医の目で詳しく書いてあり、親が安心をもらえる本ですね。私は「出産祝い」にも何回か贈りました。これ1冊あれば、あとはいらないくらい、詳しいからです。ということは当時で3000円ぐらいでしたか。あっ、脱線してしました。ごめんなさい。話を元へ戻します)


末っ子の買った子育て本って、メッチャ売れてる本っていうことですよね。早く読みたいです。


と、のんきなことを言っている場合ではないことに、今、気がつきました。よく考えてみたら、「子育てハッピーアドバイス【大好き!が伝わるほめ方・叱り方】」の本に載っている「奥の手」は、末っ子にはバレバレですので、「本に書いてたことやろ」って切り返されてしまうということなのです。まさか、宿題の読書感想文に書くのでは?と、いらぬ心配をしてはいけませんよね。スッピンの自然体でいくしかない・・・。


というわけで、この夏、「おこだでませんように」に続く2冊目の「おすすめの本」の紹介でした。本書も含めて、明橋さんの著書はどれも、直接読まれることをオススメします。



by takaboo-54p125 | 2010-08-24 05:04 |

 夏休みももうすぐ終わりという8月下旬の初め頃、子どもたちの夏休みのラスト・イベント「地蔵盆」が各地域で行われます。


 と言っても、日本全国ではありません。地蔵盆とは,子どもたちのすこやかな成長を願う集いとして、お地蔵さん本体を洗い、新しい前垂れを着せ、地蔵堂を提灯などできれいにかざり、地域の人々がお供え物をし、お地蔵さんに感謝しつつ、子どもたちを守ってくださるようにお願いをする行事です。毎年8月23~24日に行われますが、その前の土日開催の所も増えてきました。


 子どもの守り神&守り仏のような感覚なので、お正月の「初詣」に対して、夏の「地蔵盆」という感じでしょうか。そういう意味では、きわめて日本的な行事です。でも、地蔵盆の方が、子どもたちが主体的に活躍します。


 私の住む地域は、昔から中学生が地蔵盆の準備から後始末までの一切の責任を持って行う習慣があります。この習慣のある集落は、近隣でも、ありませんでした。昭和40年代までは、親も一切、手も口も出さず、中学生だけで、お地蔵さんの周囲に麦わらの壁をつくって四方を囲み、お地蔵さんも洗い、かざりつけもして、向かい側には、杭と縄と板とムシロを使って、2階建ての掘っ立て小屋を作りました。はしごで2階に3,4人上っても、びくともしませんでした。23日の夜、お参りが終わると、お地蔵さんを見守りながら24日の朝まで、中学生は掘っ立て小屋で、夜を徹してがんばります。


 小学生以下の子どもたちには花火やスイカを配り、お供えをしてくださった家には、24日に、中学生がお供えをばらして、袋詰めして、おさがりとして配って歩きました。 


 今はさすがに、少子化もあって、小中学生が一緒になって、小中PTAの役員さんも手伝って、23日前の土日にやっています。おかげで、小中学生の仲が、とてもよいです。地域の子どもたち小中学生の、縦のつながりが受け継がれているのです。村の子どもたちは、今も神社の境内で、三角ベースをするし、その横にある小川ではザリガニつかみをします。


 さて、私は「地蔵盆」は関西だけの固有の行事だと思い込んでいました。ですから、昔話でも全国的に有名なお話は「かさこじぞう」「田植えじぞう」「おこりじぞう」など、子どもだけに限定しないお話が多いなぁと思っていたのです。


 ところが、詳しい方がたくさんおられることがわかりました。以下の通りです。


 『もともと地蔵盆は京都生まれでしょうか。京都、滋賀、大阪など関西では伝統行事として古くから地域ごとに行われてきました。福井県若狭など北陸地方や新潟県、長野県では長野市周辺でも行われているそうですが、関東地方などには、ないようです。


 地蔵とは、サンスクリット語のクシティガルバの意訳で、クシティは「大地」、ガルバとは「胎蔵」のことであり、合わせて「地蔵」と訳されました。


 お地蔵さんは民間の信仰の神様ですが、仏教に属する地蔵菩薩です。平安時代以降に阿弥陀信仰と結びつき、地蔵信仰が民間に広がり地蔵菩薩の縁日である8月23・24日を中心に行われる地蔵尊をまつる行事として今日まで伝わってきました。


 数珠繰り(じゅずくり)や数珠回し、といって玉が大きくて長い数珠を子どもたちみんなで回す所も多いです。その時に大人(お年寄り)もその輪の中に入り、自分たちも経験した思い出を胸に子どもたちと一緒に数珠を回します。


 大阪では地蔵盆には地車が出たり、神戸では子どもたちがお地蔵さんめぐりをして、町内の人からお菓子を頂きます(お接待と言います)。また数珠繰りはしない所もあります。(中略)少子化社会、失われつつ地域社会の行事を守っていくためにもこの「地蔵盆」、大切に受け継がれていってほしい習慣です。』


と書いてありました。なんと博学やなぁと、すっかり感心してしまいました。


 さぁ、関西の賃貸マンション・アパートにお住まいの、小さい子どもさん(幼児)がおられる親子のみなさん、21日の夕暮れ時or23日の夕暮れ時のどちらか(地域によって違いますが、大人や子ども(小学生)がたくさん集まっていたら、おそらく、その日)に、近所の、お地蔵さんが派手にかざってある「地蔵盆」の所へ、親子で行ってみませんか。きっと、歓迎してくださると思いますよ。遠慮はいりませんよ。子どもたちのための「地蔵盆」なのです。


それをきっかけに、近所の人たちとも、しゃべれるようになれたら、つきあいの幅が広がるチャンスです。あいさつを交わせる人が近所にできると、いざという時に何かと心強いですよ。いずれ、小学校へは、近所の子どもらといっしょに通うことになるのですから。


by takaboo-54p125 | 2010-08-21 05:01 | 育児・子育て

かたい話になります。ごめんなさい。 


8月17日(火)朝日新聞の27面(滋賀版)に、「昨年度、年間30日以上欠席した児童数は1,000人あたり4,7人(全国平均3,2人)だったと、文部科学省の調査でわかった」と書いてありました。                                                                            欠席の理由が、「親子関係をめぐる問題」が37,0%(全国平均19,3%)「家庭の生活環境の急激な変化」が17,5%(全国平均10,6%)というのは、気がかりな点です。


滋賀県は首都圏に次いで愛知県や沖縄県と共に、人口増加率が高い県です。                                                                                                                                                分譲マンションや、分譲地の新興住宅がここ10年以上ずっと増え続けています。                                          しかも、ここ数年だけでも、新築の賃貸マンション・アパートがどんどん増えていると感じます。                                                                ローンを抱えておられる方も多いと思います。                                            そこへ、突然リーマン・ショックがきました。                                                            したがって、「家庭の生活環境の急激な変化」が全国平均を上回っているのも、不自然ではありません。


それよりも、「親子関係をめぐる問題」が37,0%(全国平均19,3%)という結果に驚いています。                                                              なぜ滋賀県が多いのか、はっきりとした理由が私には見えてきません。                                                                                                                                                        県教委でも、今はまだわからないと、新聞には書いてありました。


ただ、昨年度(平成21年度)の小学生と言えば、平成9年度生まれ~平成14年度生まれの子どもたちです。                                                           お母さんのおなかの中にいたのは、平成8年度~平成13年度になります。
その頃の、母子を取り巻く身近な状況を思い出してみると、平成7年に携帯電話がデジタル化され、それ以降、毎年のように次々と、着メロ、メッセージサービス、携帯インターネット接続、着うた、携帯ゲームが普及していった時期と重なります。                                   これは日本全国の状況です。


もう一つは、平成8年にウォークマンの出荷台数が累計1,5億台を突破し、平成15年には3億台突破、すごい伸びですよね。                                                                                        しかも、平成13年には、NetMD対応型が発売され、平成16年にはHiMD(1GB:CD20枚)、平成17年にはHDD内蔵メモリ(40GB:CD800枚)という画期的な進化をウォークマンは遂げています。                                                                          これも日本全国の状況です。


ですから、今の日本の子どもたちを取り巻く状況について、私見を述べてみます。


ここからは、あくまでも私の推論です。                                                かつては、お母さんの心音と、お母さんの声と、お母さんが台所で野菜を切る包丁のトントントントンという音を聞いて、赤ちゃんはお母さんのおなかの中で育っていました。                                                                             私は、その中で最も大切なのは、お母さんの声だと考えます。

ところが、今の子どもたちがお母さんのおなかの中にいた280日間は、全く違った多種多様な音に囲まれて育つ環境になってしまいました。つまり、お母さんのおなかの中にいる赤ちゃんは、お母さんの耳のイヤホン・ヘッドホンから流れるウォークマン等の音楽や、お母さんが首からぶら下げている携帯の着メロ・着うた・着信音も、共鳴音として聞こえるようになりました。                                    

この環境の激変(プラス車の振動音)の中で、まさかとは思いますが、ひょっとすると、お母さんの声を聴き分けにくくなってしまっているのではないかということは、可能性として考えられないでしょうか。                                                             

このことが、年間30日以上の欠席日数の理由で、一番多かった「親子関係をめぐる問題」の、根っこになっていないことを、願います。


関連ページ
「愛着形成」②その元をじゃまする原因から母も子も守る【2つの提案】+ママの「おなかの中の赤ちゃんパワー」はすごい!
http://sg2takaboo.exblog.jp/24898179/

以上、仮説にもならない段階の推論ですので、念のための提案は2つだけです。



1つめ、妊婦さんは、自宅では携帯を身につけないでテーブルの上にでも置いておきましょう。                                                           身につけるなら、マナーモードにしておきましょう。                                                                         お母さんの声が体内に共鳴して、おなかの中の赤ちゃんに届く時、お母さんの声よりも刺激的な着メロ・着うた・着信音を、お母さんの体内に共鳴させないためです。



2つめ、妊婦さんは、Jポップなどの音楽を聴く時は、イヤホン・ヘッドホンを使わずに、他の機器で聞きましょう。                                                             これも、お母さんの声が体内に共鳴して、おなかの中の赤ちゃんに届く時、お母さんの声よりも刺激的なイヤホン・ヘッドホンのJポップ・ロック・ラップなどを、お母さんの体内に共鳴させないためです。



戦後の混乱期は赤ちゃんの栄養不足、粉ミルク不足、オムツ不足など、物の不足する時代でした。                                                              今は情報過多で、物のあふれる時代です。                                              赤ちゃんを取り巻く環境の急激な変化の中、今回、話題にしている「お母さんのおなかの中で280日過ごす間に、赤ちゃんへ届いてほしくない音」が過剰すぎるのではないか、と思ってしまうのは、私の「思い過ごし」「気にし過ぎ」なのでしょうか?


by takaboo-54p125 | 2010-08-20 05:05 | 育児・子育て

わが子をいざない「心を育てて」くださった先生方の取り組みから学んだことを、紹介させてください。特別支援教育における本来あるべき「子どもへの関わり方=向き合い方」がわかる、とても貴重な事例です。


「人」っておもしろい!!— 小学部Tくんの育ち —         養護学校小学部(中学年)                                                      


1.はじめに
私はTくんが新1年生として入学したときの担任になりました。多動と言われていたTくんは集団に入ることが苦手で外を走り回る活発な男の子でした。自分の思いが通らないと激しく抵抗することも多くありました。できる力はあるのに自分の気持ちがついていかず、学習に参加できないTくん。どうしたらいろいろな活動に取り組み、楽しめるようになるのだろうと悩んでいました。納得いく答えが見つけられないまま私が産休に入ったため、1学期間だけでTくんとお別れすることになりました。
そんなTくんが3年生になったとき、再度担任する機会に恵まれました。このレポートはTくんが3年生・4年生のときの実践をまとめたものです。「自分がしたいこと」と「しなければならないこと」との狭間で揺れ動きながら、自分で決断して行動していく姿、人の思いを受け入れるだけでなく、毎日の生活で他者と一緒に楽しめることが増えてきた最近のTくんの様子。
このようなTくんの育ちを振り返ることで、人との関わりが苦手とされる子どもにどのような指導が大切かということを考えていきたいと思います。


2.就学前の様子 
障害名     広汎性発達障害(療育教室で多動、自閉的傾向、知的障害と言われる。)
年齢      9歳~10歳(小学部3年生~4年生)
発達検査結果  新版K式発達検査(CA:8歳11ヶ月)
姿勢・運動 3:6以上/認知・適応3:1/言語・社会2:5/全領域2:9
保育園     年少より3年間加配の先生が一対一でつく。
療育教室   保育園入園の半年後より療育教室にも通うようになる。
就学前の様子(引き継ぎ資料より抜粋)
・ブランコが好きで自分の気がすむまで長時間楽しむ。
・高いところを好み、木や高い遊具、たんす、カーテンレールなどに登る。
・オウム返しでいろいろな単語が出る。「いたい」「やめて」などの感情を表すことばは状況に合わせて使うことができる。
・本児のペースに合わせての生活で、集団の中にはなかなか入れずに好きな遊びをする。食事、おやつなどのときはみんなと過ごすことができる。
・自分のしたい行動を阻止されるとパニック状態になる。外へ飛び出したこともあり、1時間 後、800m離れた車の前で見つかったこともある。
・ドラえもんのテレビの影響で動いている車の前で通せんぼをすることがあり、とても危険。


3.小学部低学年(1、2年生)の様子(記録より抜粋)
運動
・運動機能面ついては特に問題はない。
・ブランコや自転車に興味を持つ。
操作・認識
・連絡帳、タオルなどは決められた場所に置くことができる。給食時に箸やストローを各お膳に置くことができ、一対一対応ができる。
・クラスの友だちが休みのときにその友だちの名前を言ったり、教師の名前を呼んで遊んでほしいことを伝えたりする。
・パズルや絵本が好き。カプラという薄い積み木のようなもので遊ぶ。しかし、自分が納得いくまで遊び、次の行動に移れない。
言語・対人・社会性
・「ちょうだい」「代わって」「ありがとう」など状況に合わせたことばを発する。
・自分の思い通りにならないと気持ちを崩し、次の行動に切り替えることが難しい。教室を飛び出し、外へ出て行ったり、訓練室の高いところに登っていたりする。また、癇癪を起こしたときは、大きな声を出して泣く、服や靴を脱いで投げる、自分の腕を噛むなどの行動もみられた。
・プールが好きで入りたくなると衣類を脱ぎ、教師の制止をきかずに飛び出してプールに飛び込むことがあった。服を脱ぐためにわざとお茶をこぼしたり、水で濡らすこともあった。
・大きな集団での活動が苦手で1年生のときは体育館に入ろうとしなかったが、2年生ではクラスだけの小さな集団で入っての練習を積み、体育館での運動会にも参加することができた。
・教師との追いかけっこを好み、わざと教師の足を踏んで追いかけられるのを喜んだ。
生活面
・入学時は給食で苦手な物(あえ物や野菜類)を食べるように言われると机の下にもぐりこんで拒否し、ずっと椅子に座るということができなかったが、徐々に受け入れ、椅子に座って苦手な物も食べられるようになってきた。
・着替えは一人でできるが、自分のペースでさっさとしてしまい、無造作に着替え袋に服をしまう。


4.3年生のときの様子
4月、新しいクラス
低学年クラスから高学年クラスということで新しい教室、クラスの友だち、担任、日課と大きな変化がありましたが、比較的スムーズに受け入れることができました。また、大きな集団での活動は苦手ということで最初の入学式・始業式の様子を心配していましたが、体育館にみんなと一緒に入り、前列に座りました。全校のみんなが揃うまで体育館内を歩き、高いところに登ることがありましたが、名前を呼ぶと戻ってきて座りました。小学部集会も同様でした。みんながいっぱいいる雰囲気が抵抗にならないように早めに会場に行くという配慮はしましたが、こちらの心配をよそに落ち着いたスタートのTくんでした。
一日の流れはわかっているものの、その中でマイペースに自分のしたいことを楽しむTくん。登校後自分のすべきこと(連絡帳出し、タオルかけなど)を終えるとすぐに外へ出て行き、教室の様子を気にすることなく遊んでいました。朝の会が始まるので教室に帰らせようとTくんの傍まで行って呼んでいましたが、なかなか帰ろうとしません。教師が来たら違うところへ行くこともあり、追いかけっこを楽しんでいるようでした。そんな様子のTくんに付いて回っていてはTくんのペースに振り回されるばかりでした。
彼は周りの様子を気にしていないように見えるけれども実はよく見ているのでは?
彼自身が今しなければいけないことに気付き、戻って来られるようにしよう!
と担任間で話し合い、教師は時間になったら遠くから「Tくん、朝の会」と短かいことばかけだけをして待つことにしました。その結果、朝の会をめざして一人で帰ってくるTくん。時間にちょうどのこともあれば、間に合わずに途中から参加ということもありましたが、彼自身の判断で帰ってきているのは確かでした。朝の会に限らず、Tくんに求めたい姿です。


自分から考えて判断しながら行動できるようになってほしい。
みんなと一緒に活動できるようになってほしい。
         


このような姿を引き出すために私たち教師はどうしたらよいかですが、
「今するべきこと」をわかりやすく、そして時には強い意志で伝える。
   ・ことばは短めに。
   ・Tくんの拒否の叫びや行動に教師が動じない。
→教師が中途半端な態度で接するとTくんの思いを通すばかりになり、すべきことも曖昧になって伝わらないのではないか、という仮説を立てました。


◆「からだあそび」はやっぱり苦手!?
「からだあそび」という学習があります。Tくんが苦手とする学習です。体を動かすことや自分勝手に動くことは好きですが、この学習でねらいとしている一緒にする、みんなの動きに合せてするということが受け入れられないようでした。
4月、学習室に入ることはできたものの、教室の周りを歩いたり、カーテンにくるまったりと授業中ほとんど椅子に座っていませんでした。名前を呼ぶと自分の番にだけ一緒に活動する教師のところに行き、ふざけた様子でしていました。最も苦手なみんなと手をつないで輪になる活動は寝転がって拒みました。
そこで、うろうろしているTくんを教師が側についてしっかり自分の椅子に座らせました。激しく泣き、大きな声を出すだけではなく、靴や靴下を放り投げ、自分の腕を噛むことまでして必死に抵抗しました。しかし、「今は~する」ということと、教師の強い思いを伝えました。この日は、このまま学習が終わってしまいましたが、1週間後の「からだあそび」の時間は、教師からの促しはあるものの、椅子に座り、授業に始めから終わりまで参加することができました。輪になる活動でも楽しそうに笑う様子が見られ、Tくんの大きな変化にこちらが驚きました。
もちろん、この日を境にして順調に「からだあそび」に取り組めるようになったというわけではありません。「いやだ」「やらない」と再び抵抗する日も訪れました。ただ、徐々に自分はしないと決めていた「からだあそび」にしなければいけないという思いを持つようになり、自分の中で葛藤しているように思える姿が増えました。
ある日、学習参観日ということで母親が参観に来ました。しかし、Tくんは「からだあそび」の学習に参加できませんでした。みんなより遅れて教室を出たものの、やはり学習室に入ることはできなかったのです。教師の気を引こうと学習室の様子が見える中庭で水遊びをしたり、自転車置き場に並べてある自転車を倒したりしながらもチラチラと視線を送ってくることから、みんなの様子をかなり気にしている様子がうかがえました。行動だけに注目すると勝手気ままに遊んでいたように見える場面でしたが、Tくんの心の中の葛藤がよく見えた出来事でした。このことはお母さんにもお話して理解していただけました。
「いやだ」と言って抵抗していても、実はその内容が嫌いというのではなく、自分がやったことのない知らない世界だから入り込めなかったと考えるほうが適切だったように思います。「とにかくやってみようよ」と教師が誘いかけてみることで新しい世界に少しずつ入り込み、「やってみたら意外とおもしろかったな」という思いが少しずつ積み上げられてきているのだと思います。
「イヤ」は本当にイヤ!? 教師と一緒に新しい世界に飛びこもうよ!


6月、教育実習生が担当に
教育実習の先生が一週間Tくんを担当したいと希望しました。活発でことばがあり、その頃は落ち着いて活動できていたのでTくんが最もわかりやすいと思われたのかもしれません。
しかし、Tくんはまるで別人のように以前のTくんに戻ってしまいました。Tくんに意図を持って積極的に関わるのではなく、教育実習の先生は彼のすることを一緒にしようとするあまり、結果的に後追いするだけになってしまいがちでした。その結果、Tくんは教室に帰って来ない、呼んでも戻って来ない、苦手な「からだあそび」の授業には行かない、そのTくんを追って走り回る教育実習の先生・・・というように教育実習の先生の指示を全く受け入れないだけでなく、一緒に活動することも出来ませんでした。
このようにして教育実習の先生に任せた1週間から見えてくることがありました。


Tくんの後追いをするだけではでは彼のペースに振り回されるだけで、こちらの働きかけに全く気を向けてくれなくなる。


10月、学習発表会に向けて
身近な生活道具を楽器代わりに使う音楽パフォーマンスに挑戦しました。
まず、学習の導入ということで中心指導の教師がバチで床をたたく様子を見せました。一緒に前へ出てしようということで名前を呼ばれましたが、「いやだ、やらない」と言い、自分の席から動こうとしませんでした。翌日同じような状況で名前を呼んでみると、抵抗なく前へ出てきてバチで床をたたきました。
この後は特に問題はなく練習が続いていましたが、ラスト1週間になり、教室で衣装に着替え、ステージ練習をすることになりました。衣装を見て「いやだー」と言ったのも最初だけで、すんなり着替えて体育館に向かうことができました。
前々日、だんだん本番が近づいてきて緊張が高まってきたのか、ステージ練習でバチとビールケースを放り投げてしまいました。
そして前日、ステージ練習のために好きな活動である「山登り」がないことに納得いかないTくん。衣装を着て体育館には入ったものの、これから舞台練習という時に怒って衣装を脱いでシャツとパンツ姿になってしまいました。出番待ちの間、衣装を着させようと教師は何度も迫りましたが、受け入れてくれませんでした。本人が判断して着てほしいという思いから、衣装は彼の目の前において置きました。「着ない」と言って何度も投げていましたが・・・。結局衣装を着ないままでしたが、そのままステージ練習をしました。ステージに上げたことでTくんは覚悟を決めたようでシャツとパンツ姿のまま演奏をすることができました。しかし、帰りの会で「明日は学習発表会」と聞くと、「いやだ、学習発表会ない!」と大きな声で言い返していました。
そして当日です。朝の会で「今日は学習発表会」と言っても黙って聞いていました。昨日はあれだけ嫌がっていた衣装もすんなり着ました。ステージ上では何もしないで立っていることもありましたが皆と一緒に最後まで落ち着いて発表することができました。


「しなければいけないこと」「したくないこと」という気持ちの中で葛藤するTくん。
その様子を見守りつつ教師は今するべきことを発信し続け、本人が判断して行動することが大切である。


大人と遊ぶ?それとも大人が遊ばれる?
Tくんは大人との遊びが好きです。追いかけっこを楽しんだり、わざと違うことを言って「ピンポーン」「ブブーッ」と言う大人の反応を喜んだり、ビデオを見ていておもしろい場面が近づいてくると一緒に楽しもうよと言わんばかりに教師の膝に乗ってきたりとかわいい一面があります。
この大人との遊びが課題に向かうきっかけを作った例は多いです。粘土で何かを作ることは好きですが、自分のペースであり、大人がこうしようという誘いかけに素直に応じることは少なかったです。しかし、紙に描いた線上に粘土を置くという内容では、線からはみ出たら「ブブーッ」と横で大人が言うと、そのやりとりがおもしろくなり、自分から粘土を置くようになり、最終的には課題そのものにのってきて大人の支えがなくても集中して取り組む様子が見られました。午後遊びのパズルでも、ただ提示するだけでなく、タイマーを使って制限時間などを設けると楽しんで取り組めました。時間オーバーしたときの大人の反応も楽しみのひとつのようでした。
そしてほぼ毎日、大人とTくんとの攻防があるのが「帰りのスクールバス」でした。帰りの会が終わった後、バス乗り場まで向かうまではよいのですが、すんなりバスに乗らず、外の蓮池の水を触って遊ぶということを1学期末ごろから楽しんでいました。バスに乗るように大人が呼びかけても聞く耳持たずで、Tくん自身いつまで遊べるかという時間の感覚が周りの様子やバスのエンジン音などでわかっており、ぎりぎりまで遊んで乗るようになりました。2学期もその様子は続いていたのですが、更にエスカレートして、帰りの会に来ないで皆が教室を出た頃に帰ってきて帰り仕度をし、ぎりぎりでバスに乗ることもありました。バスを校門まで出発させ、乗り遅れたという経験をさせれば翌日から気をつけるようになるのではと試したこともあるのですが、出発しても乗せてくれるということがわかり、効果はなく、Tくんのほうが大人より上手でした。そこで、すぐに外靴に履き替えさせないで、しばらく椅子に座って一緒に待つようにしていたのですが、バスに乗る直前まで大人の顔を見て、追いかけて来ないか期待していました。


大人とのやりとりを楽しむTくん。
彼の遊びに振り回されるか、遊びを活かすかは教師の腕の見せどころ???


5. 4年生のときの様子
自分が楽しみなことを期待する姿
教室に張ってあるカレンダーを指さして教師に何かを訴えようとするTくん。それは3年生の3学期から見られることでした。よく言っていたのは3月?日を指さし、「体育館、おめでとう」。 担任の私たちは意味がわかりません。日が近づいてきてわかってきたのですが、どうやら体育館で終了式が行われ、学校が春休みになることを楽しみにしていたのです。「おめでとう」は卒業式と混同してのことばでした。4年生になったときも、4月早々に7月?日を指さして早くも夏休みを期待していました。家庭でも夏休みにサマーホリデーが始まる日や家族で海に行く日を期待してカレンダーをよく見ていたとのことでした。自分の楽しみなことを期待しつつ、カレンダーを頼りに待つことができるTくんの姿がそこにはありました。また、教師や家族など大人に共感してもらうことでその事実を確認し、「僕はこのことを楽しみにしているんだ」という自分の気持ちをわかってほしいという思いが感じられるのでした。


自分の思いを伝えるために—ことば・文字
Tくんは生活の中で数字やひらがなに興味を持つようになりました。カレンダーの中に「こうがいがくしゅう」「しょうがくぶしゅうかい」「たいじゅうそくてい」と行事内容を書き込むと、自分で文字を読み、予定を受け止めるようになりました。また、絵本の文字もゆっくり読んで、楽しむようになりました。
ある日、家庭からの連絡帳にこんなことが書かれていました。
昨日、夕食でサラダを小皿にとってほしい様子。小皿を指さして何やら表現。「何?」と聞くと「あじみ」と表現。「エッ?」と聞き返すと再び「あじみ」。数回繰り返した後、今度は指で机の上に「あじみ」と書いて見せていました。まだまだ充分ではないのですが一応意味がわかる程度でしたので「味見しよう!」と小皿に分けてとってやるとホッと一安心していました。
昨日の大発見。(親バカですね)。「3人」と夕方から何度か言うので、「3人やね、○○とお兄ちゃんとTやろ」と何度か返事するとしつこく「3人、マリオストーリー2」となんだか自分の言いたいことと違ったようで怒った口調。「エッ、マリオストーリーで3人?」と聞き返すと突然赤ペンを持ち、カレンダーの前へ。12月24日のところでペンで何か書きたそうに手に持つが書けず困った様子。そこでやっと私にも「3人」とは「サンタクロース」とわかった。そこで、「サンタクロース、クリスマスやね」とことばにしてやるとホッとしたようで「サンタクロース、クリスマス」と言うと、まだカレンダーに何か書けと手をひくT。「あっ、クリスマスやね」と手を取ってやるとなんとか書いてOKと納得しました。相手に何かを伝えようとする気持ちはとっても大きなエネルギーだと感じました。                                     
夕食を作っている母親の傍に行き、味見したいことを訴えるTくん。ことばで言って通じないなら文字でとなんとかわかってもらいたいという強い思いが見て取れました。翌朝、Tくんに「『あじみ』書いて」と言うと黒板に書いてくれました。また、数字の「『8』や『つくえ』を書いて」というリクエストにも応えてくれました。


「ことばが育つということは、単に語彙量が増え、通じ合いのスキルが育つと言うことではありません。なによりも生活世界にいきいきした意味が溢れだすことであり、他者との気持ちの通じ合いが育つことであり、イメージが育ち、未来を楽しみにでき、我慢ができる力が育つことでもあります。」(文献①)このことを実感したエピソードでした。


ハプニングだらけの校外学習
秋の校外学習。カヌーに乗ろうという計画で琵琶湖へ出かけました。雨が降らなくてよかったと安心して現地に着いたのですが、かなりの強風だったのです。波が高く、カヌーは危険なので「中止」と係の人に言われ、「えーっ!」でした。雨なら中止ということがわかりやすいですが、晴れていても中止ということがあるなんてと戸惑いの私たちとTくんでした。桟橋をうろうろしながらも教師の呼びかけに応じてみんなの待っているところに戻ってくるTくん。池の鯉にエサをやって少し楽しんだ後、予定を変更して「子どもセンター」で遊ぶことにしました。外の遊具で遊ぶことを期待して向かったのですが、到着したとたんに大雨。仕方がないので室内で遊び、お弁当を食べて過ごしました。
そして、帰る時間になり玄関を出ると、「すべり台」と言ってしゃがみ込み、外で遊びたかった様子。みんながバスに乗ってもまだ来ませんでしたが、バスが出発すると急いで走ってきて乗ることができました。自分のつもりが連続して崩れるという1日でしたが、自分の気持ちをコントロールしてみんなと一緒に行動することができたのは貴重な体験でした。


たよりになるTくん
Tくんは3年生のときから毎朝、教室の椅子を並べること、健康観察にみんなの出席を記入すること、給食の配膳のお手伝いを係の仕事として取り組んでいました。また、4年生になってからは、決められたことだけでなく、教師から用事を頼まれることも多くありました。
5月・・・運動会の練習で体育館にいたときのことです。クラスの友だちの指が少し出血したので、Tくんに「保健室・バンドエイド・ちょうだい」と伝えました。すぐに体育館から出て行きましたが、何も持たないで帰ってきました。同じことを4回も繰り返したので、バンドエイドがわからないのかと思い、友だちの指の傷にバンドエイドを巻く仕草を見せるとまた保健室に向かいました。しばらくたってから保健の先生と一緒に体育館に戻って来ました。保健の先生の話によると、「Tくんが『バンドエイド』と何回も言うので『どこが痛いの?』と聞き返していた」とのことでした。自分ではなく友だちの分であることは伝えられなかったようですが、バンドエイドをもらってこようと必死になっていたTくんに「えらいね~」と感慨深い担任団でした。この日以降、「保健室に行ってバンドエイドもらってきて」と言えばしっかりもらってきてくれるTくんでした。
10月・・・ランチルームで食器の片づけをした後、水で服の袖が濡れました。「びしょびしょ」と言って袖を見せるので、「教室に行って着替えて服干しといて」と指示しました。着替えることはできても服を干すことは難しいかなと内心思っていました。数分後、服を着替え、涼しい顔をしてランチルームに戻ってきました。そこで、教室に見に行くと、濡れた服は窓の手すりにしっかり干してありました。自分で干すという経験はこれまでなかったのですが、他の子どもの服を教師が干す様子は何度か目にしていたので、ことばの意味を理解し、実行することができたのだと思います。
11月・・・朝、教室に入り鞄の整理を終えた後、朝の会ができるようにみんなの椅子を並べるのがTくんの仕事です。1学期は教師が「椅子、10」などの指示をすることで並べ始めることができました。今月に入ってからは何も言わなくても自分から椅子を並べ始めるようになり、並べ終わったことを教室に入ってきた教師に「椅子、10」というように報告してうれしそうな笑みを浮かべていました。


今回の学習発表会は?
3年生のときはハラハラドキドキでしたが、今回は安心して本番が迎えられました。内容は、バーを跳び越える「遊具あそび・カエル」と四つ這いになっている大人を押し倒す「からだあそび・馬倒し」です。
ステージ練習の初日だけは体育館に行く前から気が進まない様子だったこともあり、体育館では床に寝転がって「しいひん」と抵抗していました。クラスのみんなはステージに上がり、練習を始めました。                                             ちょうどTくんの出番は1番目。名前を呼ばれると急いで走ってきてステージに上がり、演技に参加しました。ささやかな抵抗があったのはこのときだけでした。
その後の練習は至ってスムーズでした。以前は衣装を着るのも一苦労でしたが、今回は自分の衣装を持ってきた日、担任に見せてうれしそうでした。道具の後片付けも手伝い、教室に戻れば「30」(学習発表会は10月30日)と言ってカレンダーを見て期待していました。家庭でも「30」とよく言って楽しみにしている様子が見られ、こんなに行事を期待しているのは初めてとのことだと母親が言っていました。
本番も練習どおりの、いや練習以上の力を発揮することができました。


もっとやりたい!—学習での姿
3年生のときの様子と比べて感じるのは、学習に向かう態度、表情がずいぶん異なります。学習教室に移動するのは一番最後かみんなより遅れてということも多く、最初からのり気なことはあまりありませんでした。大人が課題にのせて行くことでだんだん活動に集中して取り組めるようになってきました。また、課題となっていることを淡々とこなし、自分の番が終わったら「おしまい」ということも多くありました。
その様子と比べ4年生は(正確には3年生の3学期頃から)、みんなの先頭を切って学習教室に向かい、大人に指示される前に学習で使う道具の準備をしていたこともありました。活動をいきいきした様子で楽しみ、「もっと」と意欲的です。
バーを跳び越える「遊具あそび・カエル」では自分からもっと高くにバーを設定することを要求してきました。「1」から「10」までの目盛りが横に書いてあるのですが、「10」と希望したのです。その高さは真剣に跳ばないと跳べない高さということもあり、成功したときは満足した笑みを浮かべ、「かっこいい」「すごいね」と教師に褒められて更にうれしそうでした。また失敗したときでも「Tくん、バツ~」「エ~ン、エ~ン(泣きまね)」と教師が反応する様子を見て笑うことができました。
ところが、何度挑戦してもバーを落としてしまうことがありました。このときはいったん自分の席に戻りましたが、失敗したということが納得できなかったようで、プレイルームから飛び出してしまいました。思わず飛び出したものの校内を歩くことで自分が落ち着く時間となったようです。そんなTくんであることを信じていたので教師は後を追いませんでしたが、15分ほどで戻ってきました。「もう1回やりたい人」と言う教師の呼びかけに応じて再度挑戦し、跳んだのですが、また失敗。どうやら踏み切り位置が近すぎるのが原因のようでしたが、本人は気付いていませんでした。そこで教師が横でバーと距離をあけて跳んでみました。Tくんも一緒に跳んでやっと成功!!納得いく終わりで、晴れ晴れした表情になりました。


大人と遊びたい!
4年生になってからは教室にいることが増えました。正確には大人の傍にいることが多いです。学習、給食など次の活動を期待してということもありますが、大人と一緒にいることが楽しいようです。大人は自分がおもしろいと思うことに共感してくれる存在、そして自分を楽しませてくれる存在になっているようでした。 
この年は台風が多く上陸しましたが、台風もTくんの関心事です。「台風」「風ビューン」と大人が言うとおもしろそうに笑います。「もっと言って」という様子で「雨」と自分から言い出すので「ザーザー」とTくんの上で降るように頭を触るとケラケラ笑っていました。
また、直接的に体を触っての遊びも好みます。例えば「でこぱっちん」などの遊びも好み、以前は大人にしてもらって喜んでいました。もっとして欲しそうにおでこを近付け、「でこぱっちん」と言って大人の手を取る姿も見られました。最近は自分から大人のおでこに「でこぱっちん」するようになり、自分からしかけてくるようになりました。大人との遊びも「受け身」から「能動」へと変わってきています。


子どもとの関係
大人との関係が中心のTくんですが、子どもと関わる姿もちらほら見られるようになってきました。
以前は嫌がっていたらしいですが、兄弟が夜に布団の上でじゃれ合うようになったと母親が連絡帳に書いてきてくれました。ある日、弟がカマキリをいじめて遊んでいたら「かわいそう」「やめてー」などと自分の使えることばを駆使して弟の行動をやめさせたということもありました。また、母親が夕飯の仕度をしていたら味見をしたそうにうろうろ。でも出来上がるまで待っていなければならないということもわかっているから味見ができないTくん。そこへ弟がやってきてさっと味見をすると、自分も真似して待望の味見ということもありました。Tくんにとって弟はモデルであり、ライバルであり、良き存在のようです。
クラスの友だちとの関わりにおいては、人との関わりが難しい子どもたちの集団ということもあって少ないですが、「Tくん、帰っておいで~」というAくんの呼びかけに応じて教室に帰ってきたり、保健室に行ったまま帰ってこないBさんを呼んできてと教師に頼まれ、なかなか動こうとしないBさんを必死に教室に連れて行こうとしたりすることもありました。
また、最近お気に入りの玩具をCさんと取り合いをすることもありました。「返して」と何回も自分の思いをぶつけますが、なかなか聞き入れてもらえず困った様子でした。とりあえず少しだけ奪い取り、自分の好きなものを作っていました。隣のクラスから遊びに来ていたDくんやEくんのときは全く譲ってくれませんでした。どんなに言ってもダメで、怒りのピークに達したTくんは玩具を教室中に投げつけてばらまいてしまいましたが、その後自分の気持ちを落ち着けるかのように自分から後片付けをする姿がそこにはありました。
またある日、乗り物のビデオを見ているYくんの横に行き、自分が見たいディズニーのビデオに変えようとしましたが、Fくんが認めてくれず、ディズニーのビデオを持ち、傍をうろうろということもありました。以前のTくんなら相手の出方を気にせず、自分の思いを押し通すか、受け入れられないことに怒ってどこかへ行ってしまったと思います。今のTくんは相手を意識し、その意図も受け入れようとするので、自分の思いとの板ばさみになっているようでした。


久しぶりの大爆発だけど・・・
11月、最近お気に入りのディズニービデオが見たいTくん。午後あそびの前半は絵本を読み、後半はビデオを見ることにしました。いよいよその時になったので、うれしそうにビデオを見始めるTくん。私は終わりの時間を約束するために時計を指さし、「3(14:15分まで)、終わり」と数回言ってその場を去りました。しかし、約束の時間を過ぎてもTくんは教室に帰って来ません。そこで私はTくんのところに行って「ビデオ、終わり」と伝えましたが、終わろうとする様子がないのでスイッチを切りました。すると「3、なし」「ナイトメアー」と言って怒り出すTくん。ディズニービデオの中でも「ナイトメアー・ビフォア・クリスマス」が一番のお気に入りなのですが、早送りが上手くできず見ることができなかったということが、このときにわかりました。しかし時間もかなり過ぎていたし、一旦終わりと指示したのに再び見ることはよくないと思ったので私が強引にビデオテープを持ち帰りました。
しかしTくんは、そのことが受け入れられず、泣き叫び、終わりの時間を示した時計にこだわって、何度も時計を触ろうとしました。ビデオを奪った私に対してはかなり怒れたようで、頬をたたく、蹴る、腕をかむ、オシッコをもらすという行為も見られました。 
結局、帰りの会が終わるまで引きずり、泣きながらも帰りの用意をするTくんでしたが、そのときたまたま教室に入ってきた○○先生に「11」(ナイトメアーの順番)と言いながら抱きつきました。このような姿は初めてでした。私は「敵」だったのですが、他の担任はTくんにとっては助けて欲しい存在、頼って自分の思いを受け止めて欲しい「味方」だったようです。 
そして、すっきりしない気持ちのまま家に帰ったのですが、帰るなり、「くやしい」と祖母に訴え、夜にも母親に「くやしい、がまん」と何度も言っていたとのことです。
自分の思いが通らないと今でも激しく怒る姿は見られ、全くなくなったわけではありません。しかし、以前に比べ、何に対して怒っているかということがはっきりしていて、誰も入り込めない状態ではなく、人を頼りにしているというところが大きく変わってきたということを確認できる出来事でした。


5. おわりに
Tくんは子どもらしいということばがぴったりの子どもです。水遊びやブランコに夢中になる姿もそうですが、人と一緒に遊んでいておかしくてたまらないという笑い方がとても愛らしいです。それは一緒にいるその人に向けられた笑顔だからかもしれません。
かつては、新しいことやいつもと異なること、あるいは自分がしないと決めたことには「いやだー」と拒否することが多く、みんなの流れにのせようとする教師を困らせてくれました。そのような場面は毎日のようにあり、Tくんにとって激しく抵抗することは他者の思いを拒み、新しい世界から逃げる手段になっていました。こんなとき、「する」「しない」ということばだけのやり取りに教師が入り込まず、枠組みに目を向けさせて周りが見える態勢にし、彼自身に判断させる機会を作っていくことで、Tくんは自分から活動に向かうことが増えていきました。


「まわりを見た上で、自分で(プールに)入るかどうか決断する自分なりの思いを持つようになったのです。自分が入る思いを高めきれないときに大人に強引に誘われたら『マダボクガキメテナイノニ・・・』と反発したくなります。(文献②)」


とあるように「いやだー」ということばの裏で葛藤する心を見守ることが大切だと思います。
また、Tくんは他者の意図と自分の意図とのぶつかり合いを経験する中で、他者の存在に気付き、働きかけを受け止め、自分は意味がないと思っていた世界を意味ある世界にいざなってくれる存在、そして自分の思いに共感してくれる存在として他者を求めていきました。


「ただ課題が『できる』というだけでなく『自分からやってみようと思ってできる』ことで達成感を感じられる。『ヤッタ!』という思いを意識化し、『自分の思い』としてつくりあげるためには達成感を共感し伝え返してくれる他者の存在とかかわりが必要(文献②)」


とあるように他者の存在は「できる」ことを増やすのではなく、「やってみようと思ってできる」ことを一緒に増やしていく、そんな存在になっているのではないでしょうか。
Tくんは今、新しいことに挑戦し、やり遂げることができる新しい自分に自分自身が出会えるようになっていると思えるのです。


*引用・参考文献
①「ひととひとをつなぐもの」 山上雅子・浜田寿美男 ミネルヴァ書房 2003
②「障害児の内面世界をさぐる」 別府 哲 全障研出版部 1997


助言者のコメント
「ずれ」の解消 —Tくんにとっての「人」の変化
Tくんは、周りの状況にはお構いなく、自分の思い通りにふるまおうとしているように見えます。しかし、実際には、周囲のことをとてもよく見ており、自分がしなければならないこともきちんとわかっています。ただ、Tくんは、今自分に求められていることが自分の思いとずれている時には、どうしても自分の思いを通そうとしがちでした。特に、求められていることが、Tくんにとって、未知のものである時、それが顕著に表れていました。
そのような場面で、担任の先生たちは、自分たちがTくんに妥協するのではなく、あくまでも、今やらなければならないことを強い意志を持って、伝えようとしました。ただし、
「人の思いを受け入れるだけでなく」という、報告の中の言葉にも表れているように、教師は、Tくんを自分たちのほうに歩み寄らせ、Tくんの行動を変えようとしたのではないと思います。 教師はまず、Tくんの
「しなければならないことはわかっているけど・・・・」よいう葛藤を理解しようとしました。おそらくTくんにも、教師の断固とした態度の底にある
「Tくんを理解したい」「一緒に何かをしたい」という願いは伝わっていたでしょう。先生たちが目標としたのは、Tくんが、今の自分の思いを通すよりも、みんなと一緒に何かに取り組むことを、自分から選び取ってくれることでした。そうした教師側の見守り、支える姿勢のもとで、Tくんは次第に人と共にいるほうを選んでいったということではないでしょうか。
たとえ、最初はいやがって激しく抵抗しても、やってみると案外おもしろかったという経験をくり返しすることで、Tくんにとって先生は
「おもしろいことを経験させてくれる人」になりました。なぜ、昨日できなかったことが突然できるようになったのか、それはよくわかりません。ともあれ、先生は、
「やりたいことをじゃまする人」から
「楽しみを共有したい相手」に変わったのです。
こうしたTくんの変化を生み出したのは、何よりもまず、人との関わりを求めるTくんの気持ちだったのではないでしょうか。
人と関わりたいという気持ち—「人」っておもしろい
本報告を読むかぎり、Aくんは、人との関わりが苦手な子どもであるようには思われません。2年間のまとめを見ると、先生たちのTくんへの関わりは大成功であり、Tくんの変化は起こるべくして起こったことのように思われます。しかし、その背後には、報告には含まれていないTくんと教師や家族との関係の歴史(ときには苦闘もあったかもしれません)の積み重ねがあるのでしょう。そのことをどこか頭の片隅におきながら、本報告を読む必要があるのではないかと思います。
「『人』っておもしろい!!」というタイトルは、Tくんの視点に立った言葉だそうです。人にあまり関心がない様子だったTくんは、2年間を通して、教師をはじめとする周りの人は実はおもしろい存在なのだということに気づいていきました。私たちは、周囲のことなど気にする様子もなく自分1人の世界に没頭しているような子どもを見ると、もっと他の人と関わってほしいと願います。しかし、そのように子どもの興味の方向を転換させることは容易ではありません。また、本当にそれがその子にとってよいことなのかと疑問に思ったり、制止することに対して心苦しさを感じたりすることもあります。しかし、教師や家族との関わりを通して、Tくんの中に人と関わりたいという気持ちが着実に大きくなっていっているのを見ると、私たちの願いはそれほど間違ったものではないのだと思います。
4年生になって、新たにTくんに見られるようになった2つの力、すなわち、未来の展望と書きことばも、人との関わりの中で、人と関わるために、培われたように思われます。カレンダーを見ながらお休みや行事を楽しみにすることについても、そうした気持ちを大人に共有してもらいたいというTくんの姿があります。ことばの使い方は少し独特ではありますが、伝えたいという気持ちのほうがはるかに優っています。
Tくんは、子どもの発達にとって、人との関係がいかに大切かを、あらためて気づかせてくれました。そして、一見、関わることが苦手な子どもも実はそうではないこと、また、子どもを単に受容するのではなく、人と関わりたいという気持ちをしっかりと汲みとりながら新しい世界を子どもに示そうとする、大人の側の姿勢が重要であると感じました。以上、研究会:助言者のコメントでした。


Tの保護者よりひと言


先生方、わが子の「こころ」を、
「人っておもしろいな」「人とかかわるのも、イヤなことじゃないな」
と本人が思えるところまで育ててくださり、ありがとうございました。
心からお礼申し上げます。その感謝の気持ちをこめて、先生方のレポートをお借りし、このような形で掲載させていただきます。同じような子どもの悩みを持つ方々の参考になれば、幸いです。以上、保護者のひと言でした。


関連ページ


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by takaboo-54p125 | 2010-08-19 05:21 | 保育・教育

結論を先に書きます。


保護者から相談を受けた時の、保育士・教師・養護教諭が対応する「最初のひと言」は、即返答したくても(即返答できても)、してはいけません。


まず、
保護者が相談してくださったことにお礼を述べ、(信頼度ゼロなら来られません)
保護者のご苦労をねぎらい、(心をこめて)
保護者の子育てのよい点を具体的にほめて、(お世辞はダメ)
保護者の気持ちに共感しながら、(言葉と表情で)

相談に応じていくのが、保護者の心と、手と手をつなぐ子育て相談(教育相談)になり、保護者から信頼してもらえる存在になれるのではないでしょうか。


その理由を書きます。


相談している時点の保護者の気持ちは、どんな状態かということに心を配れていたかということです。相談すると言うことは、不安でたまらずオロオロしておられるか、あせってイライラしておられるか、という気持ちなはずです。それを見落として、相談内容にに対する返答にだけ集中していませんか?


つまり、相談を受けてみて、もうひとつ大事なことに気づきました。保護者はどうしたらいいの?というヘルプを出しながら、同時に、
自分の育児(現在進行形)の苦労をわかってほしい、
自分の育児が基本的にどうなのかを(全否定しないで)認めてほしい

という、文章の裏側にあるヘルプも出しておられるのではないか、ということです。
言いかえれば、どの質問・相談にも、
私の育児の苦労と努力に共感してほしい
という願いが込められていることに、気がつきました。保育園・幼稚園・学校で、保護者から相談を受けた時の、保育士・教師・養護教諭が対応する「最初のひと言」は、即返答ではダメだということです。


最初の結論を、再度くり返しますが、
保護者が相談してくださったことにお礼を述べ、(信頼度ゼロなら来られません)
保護者のご苦労をねぎらい、(心をこめて)
保護者の子育てのよい点を具体的にほめて、(お世辞はダメ)
保護者の気持ちに共感しながら、(言葉と表情で)

相談に応じていくこと、これが保護者対応(初期対応)の鉄則と言えます。


スポンジみたいにいったん吸収してから、応えるという感覚で相手をすることで、保護者自身も子育ての苦労が報われた、相談してよかった、自分の子育てにもいいとこはあったんや、という前向きな気持ちになり、プラスαのアドバイスをくれた先生への信頼感も増すはずです。


と言うことは、大人でもそうですから、「先生・・」と言ってくる子どもに対しても同様ですね。世の中は、社会全体が監視カメラに囲まれています。せめて、子どもと接する時(親から相談を受けた時・同僚から相談を受けた時も)は、共感カメラ目線(上から目線の反対)で応対してあげることが、今の時代の「基本中の基本の姿勢」だと言えるでしょう。


保護者の方々の反応から、育児相談(子育て相談)があった時の、受け手(相談員や先生)の「心得(心構え)」、「保護者への向き合い方(心のよせかた)」みたいなものが、少しわかりました。




【転任してきた教師が感じた職員室の違和感】


私がかつて勤務していた大規模校に、転任して来た1人の先生が、当時、時々「この学校には、教師の空気に違和感を感じる」ような意味のことを、ちらっとこぼしておられました。私は同校に10年近く勤務していたので、鈍感になっていたのか、転任して来られた方の気になる「ひと言」をもっと大事に聴く謙虚な姿勢が、自分になかったことを、今、恥ずかしく思います。人事異動によって、新鮮な風を入れてくださったのを、無駄にしてしまいました。ごめんなさい。


と言いますのも、過日、その先生と出会った時、数年ぶりに当時の頃を話題にしました。そして、私が、「先生は、あの頃、何に違和感を感じていたのですか?」と聞くと、その先生はズバリ、「たとえば、放課後の職員室」と言われました。毎日、放課後、職員室の電話(大規模校なので2,3台)は、保護者に電話連絡している担任だらけで、おまけに、出会って話すべき内容も少なくなかったそうです。(あ然・・)


たしか、私はその頃は生徒指導担当をしていて、「電話では誤解が伝わります。足を運べば誠意が伝わります。微妙な内容なら、必ず訪宅して保護者と出会って話してください」みたいなことは、職場のみんなに言っていた(書いていた)つもりでしたが、担任の先生方の心には届いていなかったことに気づかされました。私も放課後は、外回りや保護者対応に追われていたというのは、言い訳でしかありません。生徒指導は組織の力で!なんて、偉そうなことを口では言いながら、私自身が個人技の生徒指導しかできていなかったということです。(それも後追い指導ばかりでした)


それに比べて、ウェブページでも紹介しております、公開授業を観せていただいた6校(小中高)では、積極的な生徒指導を日々の授業の中で展開しておられました。しかも、学校ぐるみで組織的にしておられることは、各学年各クラスの子どもたちの表情を見れば、一目瞭然でした。(当ブログ左下のウェブページ「学びの共同体」【授業づくりのキーワード】・・【小学校のチャレンジ】・・等々を参照)


もう数年前のことですが、大変ほろ苦い気持ちです。当時、各学年部へ本当の意味でのフォローができず、申し訳ありませんでした。自分にできていなかったことを言うのも厚かましいのですが、職場の空気(電話で済まさないなど)をつくるって、改めて、学校ではとても大切にせなあかんと痛切に感じています(後の祭りやけど、反省です)。それを実現している学校を参観しただけに、余計にズシンとこたえます。




子ども&保護者からの教育相談で大事にしたいこと


「やさしく学べる保育カウンセリング」大竹直子・著(金子書房)を読んで、「これは保育教育現場でどの先生にも欠かせない」と感じたことを、抜粋して紹介させてください。本当は、本書を直接読まれることをオススメします。


基本


ルールの枠を守る→ほどよい距離感、安心感(週1回30分、長くて50分。相談室のみ)


教師のペースではなく、相手のペースを大切に進めよう。(今、できることを見つけたい)


解決を急がない態度、あるがままを分かろうとする態度で。(分析・評価するのではなく)


どんな言葉も気持ちの一部分。あるがままを認める。(「今、ここで」の気づきを大切に)


相手を変容させたくなったら、自らの気持ちに耳を傾けよう。(なぜ変容させたいか自問)


子どもと


「子どもを尊重し、一緒に行動し、話を聴き、会話を笑顔で終える」のが、教師の役割。


子どもの気持ちを代弁しよう。(言葉を補い、言葉を選んで。冗談はひかえましょう)


肯定的な視点で子どもを見る習慣をつけて、伝えよう。(~したらと思うけど、どうや?)


具体的な表現を心がけて、お互いの理解を深めよう。(~だから、安心して大丈夫やで)


叱るより説明を。「どうしたらよいのか」を教えよう。(正直に話してくれてありがとう)


子どもの世界を理解する。認めて、ほめて、子どもの心を育もう。(何に困っているか)


認めることをいっぱいした上でほめよう。ほめるより、一緒に喜ぼう。(心が満たされる)


言葉は、投げるのではなく、そっと手渡そう。(言葉を大切に=自分も相手も大切にする)


保護者と


保護者は、子どもや自分を大切にしてくれる教師を信頼する。(心のこもったあいさつ)


親は、親である自分を教師に認めてもらうことで、「親」として成長していける。


面談は始まりが肝心。あいさつ、ねぎらい、プラス情報の3ステップから入ろう。


今の気持ち、今できること、うまくいっていることを伝えよう。(次回につなげるひと言)


親の気持ちを確かめながら話を進めよう。(あいまいな返答をされても追求しないこと)


言うべきことは、お願い口調で言おう。(提案して、自己決定・選択をしてもらうため)


親ができることを助言し「いかがでしょうか」と言おう。(元気を取り戻してもらうため)


難しい保護者にはプラス1。終わりの時間も告げる。(4時から5時まで時間があります)


保護者の感情に対しては、正論で向き合わず感情を受けとめよう。(事情説明=言い訳)


先生と協力関係をつくるとよいことがある!を保護者に経験してもらおう。


相談→心をこめて聴いて(わかって)もらえたら→「今日、相談してよかった」と思える。


職員間で


抱え込まずに職場の誰かに頼ろう。外部の専門家も含めて、適切な人にもつなごう。


忙しい時だからこそ、うまくいっている時こそ、同僚と話し合おう。(指示・依頼の理由も)


助けを求める能力を身につけよう。弱音を吐ける相手を、職場内で見つけよう。


3つのコミュニケーションを大切に。「お願いします」「ありがとう」「ごめんなさい」


自分自身の「~するべきだ」を「~できたらいいな」に言い換えて、やってみよう。


引き継ぎは、状況より対応を、具体的に引き継ごう。そして、子どもの成長を伝えよう。


ふり返り


対応や解決を急がず、まず相手を受けとめる=相手を大切に思いながら関係づくりをする。


相談者と教師の関係性が、相談者をいやす。(心にエネルギーが満たされ、勇気がわく)


→相談者が次の1歩を踏み出せる気持ちになるため、最も大事なことではないでしょうか。



スモールステップを3つばかり☆☆☆


☆子どもにお手伝いを頼んで、「ありがとう」「助かったよ」と言うこと。子どもと、目と目を合わせて、笑顔で話を聞いてあげたり、話したりすること。お手伝いで、教師にほめられ、クラスの役に立ち、みんなに必要とされる体験をしてほしいから。いかがでしょうか。どうか、その子を、今まで以上に、頼りにしてやってください。


☆また、子どもと、何か(給食・掃除・遊びなど)をいっしょにしながら、世間話もしつつ、さり気なく「あなたが、うちのクラスの子どもであることがうれしいよ」というメッセージを伝えること。この先生は、相談しやすいなと、どの子にも(特に、気になる子が)感じてほしいからです。


☆「あれっ?いつもと違う」と気づいたら、「どうしたの?」と声をかけます。泣かされたり、意地悪されてきた時は、「あなたはね、友だちからバカにされるような子どもじゃないよ。あなたはね、決してダメな子じゃないからね。先生の自慢の子だよ」と、抱きしめてやること(女の先生だけ)(男の先生は、男の子を抱きしめてあげるのはOKですが、誤解を招くので女の子にはしないでください)。その子の目を見て「先生が絶対に守ってあげるから」という宣言をして、その子の気持ちが落ち着いてきたら、その子のペースに合わせて事情を聞いてあげます。


そして、最後は問いかけます「どうしたいの?」


「大丈夫?」と、子どもの思いに寄り添い、事情や気持ちをあれこれ聞いてあげて、子どもが「ぼく・私の思いを先生はわかってくれた」と感じた(心が落ち着いた)ところで、問いかける言葉はひとつです。


「どうしたいの?」(自己決定を促す言葉)


このひと言があることで、子ども自身が考え、気づき、次のスモールステップ(自立への第1歩)へ踏み出せるのではないでしょうか。どうするのかを、教師が決めてあげるのは、お節介になってしまうかも知れません。子どもが、どうしたいのかを決めて、行動に移す子どもの不安を支えてあげるのが親切な支援です。



「いじめが起こりにくい環境の整備」8つのステップ


☆スモールステップをあたえて、ほめること(できて当然のことでも)


私たち教師は、よく「しっかりしなさい」「ちゃんとしなさい」と言いますが、子どもには、イメージしにくい、どうしていいかわからない、あいまいな言葉だと言えます。ですから、大声で


「しっかりして」「ちゃんとして」「うるさい」「まだか」と、どなるより、


「みんな、すわろうね・・おっ、早くすわれたね。すごいなぁ」(笑顔で)


「A君、先生の方を向いて」→「うれしいな。向いててね」(ほめながら)


「Bさん、本とノート出して」→「すばやいな。えら~い」(ほめながら)


「C君、感想を書くんやで」→「できてるやん。さすがは△年やね」(ほめながら)


「シーッ!お話するのをやめようね・・だんだん静かになったね。うれしいな」(笑顔で)


「先生のお話を聞いてね・・聞いてくれてありがとうね」(笑顔で)


と、場面に応じた、子どもがイメージしやすい具体的な言い方をしてあげるほうが、子どもの心に届きやすいでしょうね。


☆『失敗は成功のもと』体験の共有


立ち直りへの支援が、子どもの自立を促すことになります。挙手した意欲を「えらいね」と認め、言えなかったことは「緊張するもんなぁ」と支え、「なあ、みんな」と周囲のみんなにも共有させ、気を取り直して、挙手したA君を再度指名し、自立を促してあげましょう。そんな教師の姿(どの子に対しても)を、周囲の子どもたちもしっかりと見ているので、教室全体に安心感が広がります。


☆トラブルはその子とつながるチャンス


「つらかったんやね」「そら、ムカつくわなぁ」「くやしかったんやもんなぁ」と代弁してあげましょう。その子なりの理由を、その子にも、周囲の子らにも気づかせます(自分らの言動がどうだったか、見て見ぬふりをしていなかったか)。それは、教室に悪者(レッテル貼り)を1人もつくらないためなのです。


「△△君、あなたが大切だから、ていねいに言うし、最後まで聞いててね」


「△△君1人に言ってるのとちがう。クラスのみんなに言っているんだよ」


と見回して、他人事という雰囲気(1人だけしかられているという空気)を絶対につくりません。


☆「今するべきこと」をわかりやすく、そして時には強い意志で


・指示することばは短めに。(だらだら長い話は、お説教になります)


・その子の拒否の叫びや行動に、教師が動じない。(売り言葉に買い言葉は×)


・断固たる決意で、その子と真正面から向き合う感覚で、決してゆずらない。


・そして、少しでも、しようとしたら、ほめる。教師自身も心から喜ぶ。


・その子が本当にしたら、おもいっきりほめて、共に喜びを分かち合う。


子どもが受けとめてくれたら、必ず具体的にほめることも忘れないことです。


この5つをねばり強くくり返しておいると、じょじょにではありますが、しかる(注意する)回数が減ってきます(不思議なくらい)。


☆教師集団が組織的に連動して動くこと


例えば、子どもたちに対して、例えば、学校に持って来てはいけない物など、特に生徒指導面では、


「どの先生も、同じ思いで、同じこと、言わはる」


と思わせるように、毎日のミーティングを短時間でも必ずとりましょう。また、


「どの先生も、チャイムが鳴った時には、教室に来てやはる」


と思わせるように、授業始まりのチャイムを教室で聞く教師集団になりましょう。



そして毎日、「キラッと見つけ」作戦を、全職員で展開することを続けることでしょうか。昼休みや掃除の時間など、担任以外の職員が見つけた子どものステキな姿をメモした紙を、職員室の担任の机上にセロテープで留めます。担任は、それを帰りの会などで紹介してほめます。例えば、トイレ掃除で、校長先生からほめられ、それを帰りの会で担任からもほめられるという、ダブル効果をねらうわけです。


☆空気を伝えること・つくること


先生が笑顔でいると『楽しい空気』が伝わり、子どもの心にも響きます。また、


「ダメ!」「やめい!」「こらっ!」「何してんの!」「さっき言ったやろ」などと言う否定的な指示語も、緊急時(イジメ・ケガ・危険)以外は、やさしく、ゆったり、


「どうしたの?」→会話(事情を聞く)→「どうしたい?」→支援


「こういう時は、△△すると、うまくいくよ」「今度は、先に△△してみようね」


というふうに、言いぶんも聞いてあげて、ダメの中身を、具体的に伝えることで、子どもも、気持ちをわかってくれた教師の言葉は素直に受け入れられます。



☆できたら減らしたい言葉、増やしたい言葉


△できるだけ減らしたい先生の言葉(大声、どなり声、早口で命令する声)


「こらっ!」「静かに!」「わかった人?」「できた人?」「他にない?」



◎できるだけ増やしたい先生の言葉(柔らかく、大きくないゆっくりした声)


「絵本が見えてない子はいないかな?」(読み聞かせを始める時は必ず)


「困っていることはないか?」(こう言われると、子どもはうれしいのです)


「先生にも聴かせてほしいな」(子どもが発言しやすい聞き方です)


「みんなに聴いてほしいこと、ないか?」(子どもも言いたくなる聞き方です)


「隣の人としゃべってみて、気づいたこと、聴かせて」(つぶやきも聞く)


「わからない所があったら、言ってね」(「教えて」と言える子に育てたい)


「わかりにくかったら、隣の人に聞いてみて」(親切に教えてあげる空気も)


「○○さんの言いたいのは、こうかなと言える人?」(モゴモゴ発言に)


「○○君の言いたいことの続きがうかんだ人、いるかな?」(ボソボソ発言に)


子どものどんな発言も切り捨てず、子どもと子どもの発言をつなげていくことを大事にしていると、自己チューの「ハイハイ発言」や、「ちぇっ、先に言われた」「言おうと思ってたのに」と言う「しらけた発言」が減っていきます。



☆子どもの声を聴く教師の元でしか、聴く子どもは育たない


子どもの目を見て聴くこと、目を見て話すこと(必ず最後まで)を心がけましょう。


板書しながら、丸付けをしながらの「ながら聞き」ではなく、子どもと同じ目線の高さで、子どもの目から視線をはずさず、子どもの話を聴き、子どもに語る、そんな教師の姿勢が、子どもの満足感・安心感・信頼感、そして意欲につながります。


次の発問・板書などのプランを考えながら、子どもの発言を聞くのではなく、


自分の意図する(言ってほしい)子どもの発言にすぐに飛びつくのではなく、


「ここ、何と読むの」「ここ、どうするの?」「ここ、わからないから教えて」


と遠慮なく言える雰囲気の教師とクラスの仲間、そして、安心して「わからへん」と言える自分を温かく受け入れてくれる空気の教室にすることが、結果として、「イジメが起こりにくい環境の整備」になるのではないでしょうか。


子どもは自分を信じて(待って)くれる教師を信じます(話も聴きます)。教師が自分を好きでいてくれる(目を見て語りかけてくれる)から、子どもは教師も自分自身も好きになれます。そして、教師が自分を大切に思ってくれている(顔を見て聴いてくれる)と実感した子どもは、自分を大切にできるようになり、他人(クラスのみんな、弱い立場の子)も大切にできるようになっていきます。


おわりに(始めの1歩)


「いじめ防止対策推進法第10条:未然防止」における、クラスで「いじめが起こりにくい環境の整備」とは、これらのような具体的実践(8ステップ)を、こつこつ根気強く毎日毎日積み重ねていくことしかありません。言わば、子どもたちとの根比べになります。全部でなくても、職場の同僚とも相談しながら、自分(全校教職員で一致できればベストですが、せめて学年教師集団で)できそうなことから「始めの1歩」を踏み出してみましょう。アプローチの仕方を意図的に180°チェンジできるのは、教室の中ではただ1人、教師しかいないのですから!子どもたちが常に「ガラスの人間関係」を抱える今の時代ですから、明日からの学級担任が放つあったかい空気(笑顔・聴く耳・待つ姿勢・受けとめる心・やわらかな語りかけ)は、きっと子どもたちの心にしみわたり、必ずや教室の空気をあったかくしていきます。私は、そう信じます。


進学先・進級先との「引き継ぎ」で忘れてはならないこと


年度末が近づいてきますと、卒園式・卒業式の準備であわただしくなりますが、進学先の小学校や中学校との「引き継ぎ」の準備もしなければなりません。とりわけ配慮を要する子どもに関しては、具体的にしっかりと引き継ぐ必要があります。


年度末の忙しい合間を縫っての「引き継ぎ」になりますので、後から「確かに伝えたはず」「そんなの聞いてない」の押し問答(校園種間)にならないためのポイントを挙げてみます。


まず、こちら側も、進学先も、「引き継ぎ」の会議に出席する職員が、年度末の人事異動で転任する可能性もあるので、原則として、どちらも複数人数で「引き継ぎ」会議に臨むことが大切になります。事前に相手側と日時を決める時に、複数人数の出席を申し合わせるのがよいでしょう。当日、1名しか出てこなかったら、「複数同士で引き継ぎする約束だったはずですが・・」と申し出ましょう。校園種間で確実に「引き継ぎ」を実行するためですから、強くお願いしてよいと考えます(人数が少ない場合など特例もあり)。


さらに、進学先の学校からの引き継ぎ会議出席者は、卒園児・卒業生を次年度に担任する確率は低いと心得ておく必要があるでしょう。つまり、進学先の学校内における、新入生個々に関して「配慮を要する事項」の伝達が、しっかりできるかできないかに、全てが委ねられることになるわけです。そうなると、「引き継ぎ」会議出席者は、お互いの氏名を自己紹介することが必須になるでしょう。もし、相手側が名乗らなかったら、その場で出席者の氏名を尋ねて、何月何日、誰と誰に(誰と誰から)、どんな内容を引き継いだのか、メモをしっかり残しておくことが重要になります。


肝心の引き継ぎ内容ですが、この子にはどういう課題があるのか、ということ以上に、この子にはこういう対応を心がけた、という具体的な対応(成功した対応&失敗した対応)を伝えることが、進学先の学校にとっても、何より子ども自身にとっても、プラスとして働く「引き継ぎ」になることを忘れないようにしましょう。そして、2年前には・・、1年前には・・、今年はここまでできたと、その子の具体的な成長の姿を伝えることが、子どもを大事に思う「引き継ぎ」ではないでしょうか。


そして、保幼小連携・小中連携を大事にされている校区では、新年度になって少し落ち着いてから(5~6月頃)、旧担任が進学先の学校を訪問して、新入生のクラスの授業参観をし、放課後に「保幼小連絡会・小中連絡会」をします。そこで、「引き継ぎ」事項に関わって、旧担任と新担任がお互いに意見交換をし、「引き継ぎ」内容に「ずれ」がないかを確認することになります。ここまでやって、「引き継ぎ」が無事できた、と言えます。お互いに忙しいのは承知していますが、あえて言わせてください。形だけの「引き継ぎ」で済まさない校区では、ここまで徹底しておられます。そうしておかないと、子どもにしわ寄せがいったり、保護者との連携がスムーズにいかないケースが必ず出てくるからです。要は「手間」を省かないことです。


関連ページ


学校・園で【自分を出したがる子&自分を出せない子】の共通点→たった一つの約束「大丈夫?」自己決定を促す「どうしたい?」+困った子は困っている子+存在感のある教師

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by takaboo-54p125 | 2010-08-18 17:44 | 保育・教育

絵本『おこだでませんように』


先日、子どもが読むよりも、親が読んでほしい、という絵本を教えてもらったので、さっそく、図書館へ借りに行きました。                                               なんか、すぐに読みたくなって、図書館のある建物のロビーで、読んでみました。                                                                                                一気に読みました。                                                            そして、涙がボロボロこぼれました。                                                すぐれた児童文学の本で、泣けてきた経験はありますが、まさか、私が絵本で泣いてしまうとは・・・子育て中の全ての保護者のみなさんに、ぜひ読んでほしい、ステキな親子でいるために、と思い、紹介します。


題名 「おこだでませんように」                                                                      (「ま」という字は鏡文字になっていました)
作者 くすのき しげのり
発行 小学館
定価 1,500円


作者の、くすのきしげのりさんの「あとがき」だけ紹介します。


「『おこだでませんように』そう書かれた小さな短冊(たなばた)を見た時、私は涙が出そうになりました。


短冊を書いた男の子は、いつも怒られているのでしょう。                                        この子が、楽しいと思ってしたことや、いいと思ってしたことも、やりすぎてしまったり、その場にそぐわなかったり、あるいは大人の都合に合わないからと、結果として怒られることになってしまうのかも知れません。
でも、この子は、だれよりもよくわかっているのです。                                       自分は怒られてばかりいるということを。                                                      そして、思っているのです。                                                        自分が怒られるようなことをしなければ、そこには、きっとお母さんの笑顔があり、ほめてくれる先生や、仲間に入れてくれる友だちがいるのだと。


そんな思いを持ちながら、それをお母さんや先生や友だちに言うのではなく、七夕さまの短冊に、1文字1文字けんめいに書いた『おこだでませんように』。                                      この子にとって、それは、まさに天に向けての祈りの言葉なのです。
子どもたち一人ひとりに、その時々でゆれうごく心があります。                                   そして、どの子の心の中にも、このお話の「ぼく」のような思いがあるのです。                                                                                                                             どうか私たち大人こそが、とらわれのない素直なまなざしを持ち、子どもたちの心の中にある祈りのような思いに気づくことができますように。』


以上、作者の、くすのきしげのりさんの「あとがき」でした。
みなさんも、ぜひ一度、図書館へ行って、絵本『おこだでませんように』を手にとって読んでみてください。                                                                                     読み終えた瞬間から、お子さんを見る目が、                                         「曇りなき眼(まなこ)」で見つめられるステキな親になれますよ。

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「パパママ育児①」今すぐ始められる【子育てのポイント110】ミニプチステップ

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by takaboo-54p125 | 2010-08-15 05:35 | 育児・子育て