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保護者の教育相談「はじめの4歩」を子どもの教育相談にも生かそう


1回ブログに書きましたが、もう1度、今度は子どもたちをイメージして書いてみますので、おつきあいください。                                                      保護者が教育相談に来られる時は、心にストンと落ちる回答を求めておられます。                                                                                                                                         相談するということは、不安でたまらずオロオロしておられるか、あせってイライラしておられるか、という気持ちのはずです。                                                         でも、保護者は、「どうしたらいいの?」という相談と同時に、もう1つ、


自分の子育て(現在進行形)の苦労をわかってほしい
自分の子育てを全否定しないで、認めてほしい


という、相談の裏側の本音もあるのではないかな、と受けとめることを、教育相談を受けるスタートにしたいものです。言いかえれば、どの相談にも、


私の子育ての、「いっぱいいっぱいの気持ち」に共感してほしい


という願いが込められているのを、私たち教師は忘れてはならないと思います。                                                                                      ですから、相談を受けた時の「最初のひと言」も、即返答ではダメですね。まず、


1,保護者が相談してくださったことにお礼を述べ、                                     (信頼度ゼロなら来られません)                                  
2,保護者のご苦労をねぎらい、                                                     (ウンと心をこめて)                                      
3,保護者の子育てのよい点を具体的にほめて、                                    (お世辞ではダメ)                                
4,保護者の気持ちに共感しながら、                                                   (言葉と表情とまなざしで)


こうして相談に応じていくのが、保護者の心と、手と手をつなぐ教育相談になるのではないでしょうか。                                                                                                                  スポンジみたいにいったん吸収してから、応えるという感覚で相手をすることで、保護者自身も子育ての苦労が報われた、相談してよかったな、自分の子育てにもいいとこはあったんや、という前向きな気持ちになり、プラスαのアドバイスをくれた先生への信頼感も増すはずです。


と言うことは、大人でもそうですから、「先生・・」と言ってくる子どもに対しても同様ですね。                                                                        世の中は、社会全体が監視カメラに囲まれています。                                                                                教師が、子どもと接する時には、「監視カメラ目線」(子どもは反発するか、萎縮するだけ)ではなく、「共感カメラ目線」(上から目線の反対)で、ふだんから応対してあげたいです。                                                                      この教師自身の姿勢こそ、「担任の基本中の基本の姿勢」だと言えるでしょう。                                                                                                      これを「子どもへの教育相談、始めの4歩」と呼んで、日々忘れないようにしたいものです。

関連ページ
教育相談「始めの4歩」で決まります【 保護者と信頼関係を築く初期対応】【相談を受ける時の原則】【いじめ防止八策】【引き継ぎの鉄則】
http://sg2takaboo.exblog.jp/24898108/


by takaboo-54p125 | 2010-08-29 04:44 | 保育・教育

9月1日(提出物が多い場合は2日になることが多いかも知れませんが)、夏休み明けの2学期スタートの日、幼稚園でも、小学校でも、子どもたちに問いかける「ひと言」が、担任の先生によって、大きく2つに分かれます。                                                                                                         これは、子ども1人ひとりにとっても、クラスづくりにとっても、先生自身にとっても、2学期の大きな分かれ道になる「ひと言」だと言えます。


(あっ、8月中に2学期が始まる学校もあることを、すっかり忘れていました。浦島太郎でした)


まず、何も考えなしというか、子ども1人ひとりの気持ちに、心を全く留めない先生は、
「夏休みの楽しかった思い出を順番に言ってもらいましょう」                                                               
と、お気楽なことを言います。


夏休みにおうちの人にどこかへ連れて行ってもらった子は大きな声で発表できます。でも、クラス全員がそうであるとは限らないことを、この先生は、何も考えていません。どこにも連れて行ってもらうことのなかった子にとって、この時間は苦痛であり、発表したくない時間であり、早く終わってほしい時間になります。                                                                                         そんな問いかけをするなら、何も聞かない方がまし、ということです。


いろんな家庭の事情があるわけですから、おうちの人が忙しかったり、病気だったり、不景気の影響だったり、様々な理由で、どこにも連れて行ってもらえなかった子だって、いるかも知れないと、予測して問いかける言葉を決められるかどうかで、担任の器(度量)が決まります。                                                                                                                     例えば、赤ちゃん(弟か妹)が生まれた子は、どこにも連れて行ってもらえない場合の方が多いかな、お手伝いをがんばったんやろな、と予測できるかどうか、ということです。


実際に、地蔵盆の準備の時、近所の小学生のお父さん・お母さんたちが、                                                                        「せめて1回は、どこかへ連れて行ってやらな、かわいそうやし、海水浴&安い民宿へ行ってきたで」                                                               「うちは割引付きのプールのある温泉に行ったわ」                                           と言ってはりました。                                                                                                             これらは、連れて行けたから言える親の言葉でもあるのです。                                                                                                                 うちは小学生はいないし、日帰り(しかも半日)のびわ湖でしたから、黙っていました。「うちの子も泊まりがけで行きたかったかな?」


さて、クラスの子ども全員がよい夏休みを過ごせたかなということに、本気で心を寄せる先生は、
「夏休みに、すごくがんばったことを、言いたい人から言ってもらいましょう」                                                                 
「夏休みに、一番いっしょうけんめいやったことを、聞かせてほしいな」                                                                                       などと、問いかけます。


どの子も、自分なりにがんばれたことは何かなぁと思い出しながら、友だちの発表を聞きながら、考えることができます。                                                            それは、つらいことではありません。                                                  苦痛な時間でもありません。                                                                                先生にほめられる時間、みんなから拍手をもらえる時間、2学期もがんばるぞ、という動機づけの時間になります。                                                               このクラスの一員でよかったなということを、どの子も再確認できる時間にもなります。                                                                                  つまり、2学期の学級づくりのスタートを、この時点で、もうすでに始めていることになるわけです。


さあ、担任の先生方、かなしい子をつくらないために、前者には絶対ならないでください。                                                                                                        このことに気づいた先生が学校・園に1人でもおられたら、全担任にこの話をしてあげてほしいと思います。                                                                                         もし、夏休みのことを聞くのなら、ぜひとも、後者の問いかけをクラスの子どもたちにしてあげてください、と。
1人ひとりの瞳が輝く2学期のスタートにするために!
それは、1人ひとりの子どもを、具体的に大事にできる「クラスづくり」「学校・園づくり」のためでもあるのです。

関連ページ
子どもと向き合う学級づくり⑤【8月の教室】+【2学期初日の発問】【森毅さん名言】【若い先生の挑戦】【ラ抜き・レ足す・サ入れ言葉】【緊急メール配信】
http://sg2takaboo.exblog.jp/24898141/


by takaboo-54p125 | 2010-08-27 05:01 | 保育・教育

先日、大学時代のゼミの後輩(名古屋の小学校に勤務)から暑中見舞いのハガキが来ました。そこには、今年も石井順治先生がリードする東海国語教育を学ぶ会の授業づくり・学校づくりセミナー(夏)に参加したと書いてありました。(ずうっと、がんばってはるんやなぁと頭の下がる思い)。私は石井先生とは年賀状の交換をするだけになっていましたが・・。


学生時代、現場(保幼小)の先生との出会いは貴重な財産になります。私が大学3年の冬(昭和57年2月7,8,9日)に、所属ゼミのJ先生のお誘いにより、東京から、三重県四日市市立泊山小学校を、J先生とゼミの学生8名で訪問しました。


その3日間、泊山小学校5年B組担任の石井順治先生のお世話になったことは、小学校教員として取り組みたいことの「最初の1歩」と、自分が歩むべきベクトルを決める幸運に恵まれたと言っても過言ではありません。私たち学生を石井先生に出会わせてくださった、J先生の眼力には敬服しつつ、今でも感謝しております。受け入れてくださった石井先生にも心底から感謝です。


当時(昭和57年)の日程(三重県四日市市立泊山小学校訪問)                                                               
2月7日(日)
夕食後、石井先生のご指導で詩教材「冬の夜道」の教材解釈・研究。   


2月8日(月)
2校時【1年B組】校内研(全体研)事前授業「たぬきの糸車」参観。                                      
3校時【5年B組】体育館で子どもたちと仲よくなるゲームをした後、合唱&表現「利根川」の参観・ビデオ撮り。                                               
4校時【5年B組】社会科で、私たち学生の郷土をそれぞれ紹介。                                         
5校時【5年B組】詩の授業「冬の夜道」の参観・ビデオ撮り。                                           
6校時【5年B組】詩の授業が少し延長。残りの時間で社会科続き。   


2月9日(火)
1校時【2年A組】学年研「かさこじぞう」の参観。
2校時【1年B組】全体研「たぬきの糸車」の参観。
3校時【3年C組】学年研「手ぶくろを買いに」の参観。 
4校時【5年B組】詩の授業「桃子」の参観・ビデオ撮り。                                               
午 後:校内研・全体協議会に参加。


「利根川」は、全身に鳥肌が立ちました。それほど感動しました。私は、子どもの合唱で、心も全身も震えたのは、この時が生まれて初めてでした(翌年、泊山小で再び体験しますが)。


詩「桃子」の授業は、子どもたちが「もう一度、自分たちの授業を見てほしい」と石井先生に訴えたことによる、子どもたちの自主的な集中力を肌で感じた、ぶっつけ本番授業でした。


昭和57年当時では珍しい「授業撮り」をさせてもらったビデオ機材は、今みたいに軽くはなく、テレビ局のカメラみたいに大きくて、ズッシリと肩に食い込む重さでしたが、交替でビデオを撮っている時も、重さを忘れてしまうほどの授業であり、合唱でした。


他学年(1年・2年・3年)の、どの授業も、実にやわらかな先生方の語りかけ(表情・まなざし)によって、低学年・下学年なのに、子どもたちの聴き合うつながりができているのに、驚かされました。


5Bでは、石井先生と子どもたちによって、授業が深まっていくさまを目の当たりにしました。石井先生はあれほど深く追究しておられた教材解釈を、授業が始まると惜しげもなく捨て去り、子どもの発言をつなぎ、子どもと教材をつなぎ、うまく言い表せませんが、子ども1人ひとりの存在そのものをまるごと、クラスのみんなにつなげていかれました。


(その土台には、子ども全員の日記に石井先生が毎日、夜なべで返事を書き、それを元にした学級通信【これを石井先生が書くのも夜なべで、日記中心の1枚文集。2枚、3枚の日もあり。学期ごとに1冊の学級文集に製本、年間3冊】を読み合うことの積み重ねがありました。話下手な私には、子どもとつながるためには日記・通信しかないと確信し、昭和59年から日記と学級通信を開始、担任をしない年は職員室だより?を発行、今は、教え子との手紙・Eメール・携帯メールと、このブログです)。それでは、石井先生の授業に戻ります。


「Aくんの言ったこと、だれか、もう一度言って」
「Bさんの言いたいことの続きを言える人いる?」
という、石井先生の、しなやかなつなぎによって、切り捨てられる意見は全くなく、そのことで、教室にはしっとりとした温かい空気・雰囲気が生まれていました。教師が飛びつきたくなるような発言ではなく、私なら、すっと流してしまいそうな発言を即座に、みんなにつなげていかれました。とりわけ、黙っているけど表情が一瞬フッと変わった子どもも見逃さず、                                                             
「何か言いたいことありそうやね」と石井先生が声をかけると、その子は、はにかみながら自分の考えをたどたどしく、でも、うれしそうに語るのでした。教室の中にさわやかな風が吹き抜ける瞬間でした。この事実をはじめとして、それはもう感動の連続でした。


このように、中身が原液のように濃い3日間でしたので、ゼミ論も原稿用紙(400字)で50枚を一気に書き上げることができました(そのゼミ論を読み返しながら、今、このブログを書いています)。


そして、翌年(昭和58年2月)、J先生と石井先生との合意で、大学4年の私たちは、J先生と共に、3年をともなって、再び泊山小学校を訪れました。今度は、事前に準備(教材研究)をして、私たち学生の代表が、石井先生の6年B組で詩の授業をさせてもらいました。


6年B組の子どもたちには、前年より深化した声と全身での表現「利根川」を見せてもらいました。さらに、6年A組のオペレッタ「手ぶくろを買いに」、6年C組のオペレッタ「子どもの四季」、6年全体の合唱「荒城の月」など3曲を見せて(聞かせて)もらいました。いずれも、ズズーンと圧倒されました。


私は6年C組の岩脇先生に「荒城の月」で、合唱指揮の基本のレッスンをしてもらいました。歌詞のイメージを全身で表現するかのような岩脇先生の指揮法、私は実力も伴わないにもかかわらず、すっかりあこがれてしまいました(そして、昭和59年から、自分でも合唱指揮?を始めました、試行錯誤しながら)。


さらに、その翌年、私が臨時講師(採用試験に不合格だったから)の冬、『国語教育を学ぶ会』の研究会(1泊2日:三重県湯ノ山温泉)に参加しました。たいていは同じ職場のグループ参加の先生方がほとんどでした。


一人ぼっちで参加の私は、ラッキーなことに、石井先生と、佐藤学先生(当時は三重大学勤務、今は東京大学教授で「学びの共同体」の推進力)と、中村先生(名古屋の小学校の先生で、この方も尊敬する先生のお一人です)と同部屋にしてもらいました。その夜、厚かましくも、部屋に戻った佐藤学先生・中村先生・石井先生と4人で、最初で最後の熱い議論をさせてもらえました。新米の臨時講師であるにもかかわらず、私のクラスの子どもの話に3人とも本気で耳を傾けてくださり、佐藤先生から子どもを尊重するコメントもいただいて、うれしく思いました。これこそ、私にとって、まさに「一期一会」でした。


さらに、その後の『国語教育を学ぶ会』の全国研究会(夏)では、佐藤学先生や、稲垣忠彦先生や、演出家の竹内俊晴さんや、詩人の谷川俊太郎さんなど、講義・演習の講師からも、毎年、学ぶところ満載の研究会でした(自費で参加した価値は充分ありました)。その後、名古屋の中村先生が勤務しておられる小学校の公開授業研にも参加させてもらいました。中村先生のクラスの子らも(もちろん授業も)、ステキな子どもたちでした。


こうして、ゼミのJ先生の粋なはからいで、学生時代にカルチャーショックのような貴重な体験をさせてもらったおかげで、一応「引き出しが多いね」と言ってもらえるようになれました。私の最初の勤務校には「国語教育を学ぶ会」「仮説実験授業の会」「作文の会」「学校体育研究同志会」など様々なサークルに入っている若手教師が多かったこともあり、授業研以外にも、互いの授業を見せ合っていました。昭和の終わり頃、そんな進取の気風があふれていました。


石井先生ご自身が若い頃、群馬県の島小学校・境小学校の校長をされていた斉藤喜博先生を囲む月例会に、参加されていたと聞きました。新幹線のない時代です。そこには、神戸や滋賀の教師も参加していたそうです。その後、三重の石井先生や、神戸や滋賀の教師たちが「教授学研究の会」を土台に「国語教育を学ぶ会」へと発展させ、それが、今の「学びの共同体:協同的な学び」に脈々と受け継がれているのではないでしょうか。


さあ、いろんな直接体験をして、いろんな人に出会い、人間の幅と奥行きを広げ、人間としての「引き出し」を増やしていきましょう。


私は、当時としては、ちょこっとだけ入り口を学んだ端くれだったのでしょうが、今でも、それを自分の拠り所にしていたら、浦島太郎になってしまいます。ですから、「協同的な学び」について、今から少しでも学んでみたいと思っています。


石井順治先生が長年、学び合うフィールドにしてこられた東海学びの会のHPを見ると、「学びのたより」のバックナンバーをいくつも読むことができます。タイトルを見て、読みたいのを選べるから、私も時々、閲覧させてもらっています。アドレスは以下のとおりです。
http://www.ne.jp/asahi/manabukai/tokai-kokugo/tayori/tayori-1.htm


私が石井先生や佐藤先生から学んだことも含めて、あちこちの記事で紹介した具体策(じゃあ明日、来週、来学期、いったい何から始めたらいいのか)を、


イジメが起きないクラスの空気をつくる【担任のしなやかな役割4月~3月】

http://sg2takaboo.exblog.jp/24898387/


イジメをなくす教室の雰囲気づくり【安心感あふれる教室に変える具体的な手立て①②③④】

http://sg2takaboo.exblog.jp/24898386/


の2つにまとめました。よかったらご覧ください。あちこち重複してますが、これらを採り入れている先生方が、確かな手応えを感じておられる具体策(子どもへの語りかけ方など)を集めました。


by takaboo-54p125 | 2010-08-26 05:16 | 親・保育士・教師の研修・講習

 夏休みももうすぐ終わりという8月下旬の初め頃、子どもたちの夏休みのラスト・イベント「地蔵盆」が各地域で行われます。


 と言っても、日本全国ではありません。地蔵盆とは,子どもたちのすこやかな成長を願う集いとして、お地蔵さん本体を洗い、新しい前垂れを着せ、地蔵堂を提灯などできれいにかざり、地域の人々がお供え物をし、お地蔵さんに感謝しつつ、子どもたちを守ってくださるようにお願いをする行事です。毎年8月23~24日に行われますが、その前の土日開催の所も増えてきました。


 子どもの守り神&守り仏のような感覚なので、お正月の「初詣」に対して、夏の「地蔵盆」という感じでしょうか。そういう意味では、きわめて日本的な行事です。でも、地蔵盆の方が、子どもたちが主体的に活躍します。


 私の住む地域は、昔から中学生が地蔵盆の準備から後始末までの一切の責任を持って行う習慣があります。この習慣のある集落は、近隣でも、ありませんでした。昭和40年代までは、親も一切、手も口も出さず、中学生だけで、お地蔵さんの周囲に麦わらの壁をつくって四方を囲み、お地蔵さんも洗い、かざりつけもして、向かい側には、杭と縄と板とムシロを使って、2階建ての掘っ立て小屋を作りました。はしごで2階に3,4人上っても、びくともしませんでした。23日の夜、お参りが終わると、お地蔵さんを見守りながら24日の朝まで、中学生は掘っ立て小屋で、夜を徹してがんばります。


 小学生以下の子どもたちには花火やスイカを配り、お供えをしてくださった家には、24日に、中学生がお供えをばらして、袋詰めして、おさがりとして配って歩きました。 


 今はさすがに、少子化もあって、小中学生が一緒になって、小中PTAの役員さんも手伝って、23日前の土日にやっています。おかげで、小中学生の仲が、とてもよいです。地域の子どもたち小中学生の、縦のつながりが受け継がれているのです。村の子どもたちは、今も神社の境内で、三角ベースをするし、その横にある小川ではザリガニつかみをします。


 さて、私は「地蔵盆」は関西だけの固有の行事だと思い込んでいました。ですから、昔話でも全国的に有名なお話は「かさこじぞう」「田植えじぞう」「おこりじぞう」など、子どもだけに限定しないお話が多いなぁと思っていたのです。


 ところが、詳しい方がたくさんおられることがわかりました。以下の通りです。


 『もともと地蔵盆は京都生まれでしょうか。京都、滋賀、大阪など関西では伝統行事として古くから地域ごとに行われてきました。福井県若狭など北陸地方や新潟県、長野県では長野市周辺でも行われているそうですが、関東地方などには、ないようです。


 地蔵とは、サンスクリット語のクシティガルバの意訳で、クシティは「大地」、ガルバとは「胎蔵」のことであり、合わせて「地蔵」と訳されました。


 お地蔵さんは民間の信仰の神様ですが、仏教に属する地蔵菩薩です。平安時代以降に阿弥陀信仰と結びつき、地蔵信仰が民間に広がり地蔵菩薩の縁日である8月23・24日を中心に行われる地蔵尊をまつる行事として今日まで伝わってきました。


 数珠繰り(じゅずくり)や数珠回し、といって玉が大きくて長い数珠を子どもたちみんなで回す所も多いです。その時に大人(お年寄り)もその輪の中に入り、自分たちも経験した思い出を胸に子どもたちと一緒に数珠を回します。


 大阪では地蔵盆には地車が出たり、神戸では子どもたちがお地蔵さんめぐりをして、町内の人からお菓子を頂きます(お接待と言います)。また数珠繰りはしない所もあります。(中略)少子化社会、失われつつ地域社会の行事を守っていくためにもこの「地蔵盆」、大切に受け継がれていってほしい習慣です。』


と書いてありました。なんと博学やなぁと、すっかり感心してしまいました。


 さぁ、関西の賃貸マンション・アパートにお住まいの、小さい子どもさん(幼児)がおられる親子のみなさん、21日の夕暮れ時or23日の夕暮れ時のどちらか(地域によって違いますが、大人や子ども(小学生)がたくさん集まっていたら、おそらく、その日)に、近所の、お地蔵さんが派手にかざってある「地蔵盆」の所へ、親子で行ってみませんか。きっと、歓迎してくださると思いますよ。遠慮はいりませんよ。子どもたちのための「地蔵盆」なのです。


それをきっかけに、近所の人たちとも、しゃべれるようになれたら、つきあいの幅が広がるチャンスです。あいさつを交わせる人が近所にできると、いざという時に何かと心強いですよ。いずれ、小学校へは、近所の子どもらといっしょに通うことになるのですから。


by takaboo-54p125 | 2010-08-21 05:01 | 育児・子育て

かたい話になります。ごめんなさい。 


8月17日(火)朝日新聞の27面(滋賀版)に、「昨年度、年間30日以上欠席した児童数は1,000人あたり4,7人(全国平均3,2人)だったと、文部科学省の調査でわかった」と書いてありました。                                                                            欠席の理由が、「親子関係をめぐる問題」が37,0%(全国平均19,3%)「家庭の生活環境の急激な変化」が17,5%(全国平均10,6%)というのは、気がかりな点です。


滋賀県は首都圏に次いで愛知県や沖縄県と共に、人口増加率が高い県です。                                                                                                                                                分譲マンションや、分譲地の新興住宅がここ10年以上ずっと増え続けています。                                          しかも、ここ数年だけでも、新築の賃貸マンション・アパートがどんどん増えていると感じます。                                                                ローンを抱えておられる方も多いと思います。                                            そこへ、突然リーマン・ショックがきました。                                                            したがって、「家庭の生活環境の急激な変化」が全国平均を上回っているのも、不自然ではありません。


それよりも、「親子関係をめぐる問題」が37,0%(全国平均19,3%)という結果に驚いています。                                                              なぜ滋賀県が多いのか、はっきりとした理由が私には見えてきません。                                                                                                                                                        県教委でも、今はまだわからないと、新聞には書いてありました。


ただ、昨年度(平成21年度)の小学生と言えば、平成9年度生まれ~平成14年度生まれの子どもたちです。                                                           お母さんのおなかの中にいたのは、平成8年度~平成13年度になります。
その頃の、母子を取り巻く身近な状況を思い出してみると、平成7年に携帯電話がデジタル化され、それ以降、毎年のように次々と、着メロ、メッセージサービス、携帯インターネット接続、着うた、携帯ゲームが普及していった時期と重なります。                                   これは日本全国の状況です。


もう一つは、平成8年にウォークマンの出荷台数が累計1,5億台を突破し、平成15年には3億台突破、すごい伸びですよね。                                                                                        しかも、平成13年には、NetMD対応型が発売され、平成16年にはHiMD(1GB:CD20枚)、平成17年にはHDD内蔵メモリ(40GB:CD800枚)という画期的な進化をウォークマンは遂げています。                                                                          これも日本全国の状況です。


ですから、今の日本の子どもたちを取り巻く状況について、私見を述べてみます。


ここからは、あくまでも私の推論です。                                                かつては、お母さんの心音と、お母さんの声と、お母さんが台所で野菜を切る包丁のトントントントンという音を聞いて、赤ちゃんはお母さんのおなかの中で育っていました。                                                                             私は、その中で最も大切なのは、お母さんの声だと考えます。

ところが、今の子どもたちがお母さんのおなかの中にいた280日間は、全く違った多種多様な音に囲まれて育つ環境になってしまいました。つまり、お母さんのおなかの中にいる赤ちゃんは、お母さんの耳のイヤホン・ヘッドホンから流れるウォークマン等の音楽や、お母さんが首からぶら下げている携帯の着メロ・着うた・着信音も、共鳴音として聞こえるようになりました。                                    

この環境の激変(プラス車の振動音)の中で、まさかとは思いますが、ひょっとすると、お母さんの声を聴き分けにくくなってしまっているのではないかということは、可能性として考えられないでしょうか。                                                             

このことが、年間30日以上の欠席日数の理由で、一番多かった「親子関係をめぐる問題」の、根っこになっていないことを、願います。


関連ページ
「愛着形成」②その元をじゃまする原因から母も子も守る【2つの提案】+ママの「おなかの中の赤ちゃんパワー」はすごい!
http://sg2takaboo.exblog.jp/24898179/

以上、仮説にもならない段階の推論ですので、念のための提案は2つだけです。



1つめ、妊婦さんは、自宅では携帯を身につけないでテーブルの上にでも置いておきましょう。                                                           身につけるなら、マナーモードにしておきましょう。                                                                         お母さんの声が体内に共鳴して、おなかの中の赤ちゃんに届く時、お母さんの声よりも刺激的な着メロ・着うた・着信音を、お母さんの体内に共鳴させないためです。



2つめ、妊婦さんは、Jポップなどの音楽を聴く時は、イヤホン・ヘッドホンを使わずに、他の機器で聞きましょう。                                                             これも、お母さんの声が体内に共鳴して、おなかの中の赤ちゃんに届く時、お母さんの声よりも刺激的なイヤホン・ヘッドホンのJポップ・ロック・ラップなどを、お母さんの体内に共鳴させないためです。



戦後の混乱期は赤ちゃんの栄養不足、粉ミルク不足、オムツ不足など、物の不足する時代でした。                                                              今は情報過多で、物のあふれる時代です。                                              赤ちゃんを取り巻く環境の急激な変化の中、今回、話題にしている「お母さんのおなかの中で280日過ごす間に、赤ちゃんへ届いてほしくない音」が過剰すぎるのではないか、と思ってしまうのは、私の「思い過ごし」「気にし過ぎ」なのでしょうか?


by takaboo-54p125 | 2010-08-20 05:05 | 育児・子育て

わが子をいざない「心を育てて」くださった先生方の取り組みから学んだことを、紹介させてください。特別支援教育における本来あるべき「子どもへの関わり方=向き合い方」がわかる、とても貴重な事例です。


「人」っておもしろい!!— 小学部Tくんの育ち —         養護学校小学部(中学年)                                                      


1.はじめに
私はTくんが新1年生として入学したときの担任になりました。多動と言われていたTくんは集団に入ることが苦手で外を走り回る活発な男の子でした。自分の思いが通らないと激しく抵抗することも多くありました。できる力はあるのに自分の気持ちがついていかず、学習に参加できないTくん。どうしたらいろいろな活動に取り組み、楽しめるようになるのだろうと悩んでいました。納得いく答えが見つけられないまま私が産休に入ったため、1学期間だけでTくんとお別れすることになりました。
そんなTくんが3年生になったとき、再度担任する機会に恵まれました。このレポートはTくんが3年生・4年生のときの実践をまとめたものです。「自分がしたいこと」と「しなければならないこと」との狭間で揺れ動きながら、自分で決断して行動していく姿、人の思いを受け入れるだけでなく、毎日の生活で他者と一緒に楽しめることが増えてきた最近のTくんの様子。
このようなTくんの育ちを振り返ることで、人との関わりが苦手とされる子どもにどのような指導が大切かということを考えていきたいと思います。


2.就学前の様子 
障害名     広汎性発達障害(療育教室で多動、自閉的傾向、知的障害と言われる。)
年齢      9歳~10歳(小学部3年生~4年生)
発達検査結果  新版K式発達検査(CA:8歳11ヶ月)
姿勢・運動 3:6以上/認知・適応3:1/言語・社会2:5/全領域2:9
保育園     年少より3年間加配の先生が一対一でつく。
療育教室   保育園入園の半年後より療育教室にも通うようになる。
就学前の様子(引き継ぎ資料より抜粋)
・ブランコが好きで自分の気がすむまで長時間楽しむ。
・高いところを好み、木や高い遊具、たんす、カーテンレールなどに登る。
・オウム返しでいろいろな単語が出る。「いたい」「やめて」などの感情を表すことばは状況に合わせて使うことができる。
・本児のペースに合わせての生活で、集団の中にはなかなか入れずに好きな遊びをする。食事、おやつなどのときはみんなと過ごすことができる。
・自分のしたい行動を阻止されるとパニック状態になる。外へ飛び出したこともあり、1時間 後、800m離れた車の前で見つかったこともある。
・ドラえもんのテレビの影響で動いている車の前で通せんぼをすることがあり、とても危険。


3.小学部低学年(1、2年生)の様子(記録より抜粋)
運動
・運動機能面ついては特に問題はない。
・ブランコや自転車に興味を持つ。
操作・認識
・連絡帳、タオルなどは決められた場所に置くことができる。給食時に箸やストローを各お膳に置くことができ、一対一対応ができる。
・クラスの友だちが休みのときにその友だちの名前を言ったり、教師の名前を呼んで遊んでほしいことを伝えたりする。
・パズルや絵本が好き。カプラという薄い積み木のようなもので遊ぶ。しかし、自分が納得いくまで遊び、次の行動に移れない。
言語・対人・社会性
・「ちょうだい」「代わって」「ありがとう」など状況に合わせたことばを発する。
・自分の思い通りにならないと気持ちを崩し、次の行動に切り替えることが難しい。教室を飛び出し、外へ出て行ったり、訓練室の高いところに登っていたりする。また、癇癪を起こしたときは、大きな声を出して泣く、服や靴を脱いで投げる、自分の腕を噛むなどの行動もみられた。
・プールが好きで入りたくなると衣類を脱ぎ、教師の制止をきかずに飛び出してプールに飛び込むことがあった。服を脱ぐためにわざとお茶をこぼしたり、水で濡らすこともあった。
・大きな集団での活動が苦手で1年生のときは体育館に入ろうとしなかったが、2年生ではクラスだけの小さな集団で入っての練習を積み、体育館での運動会にも参加することができた。
・教師との追いかけっこを好み、わざと教師の足を踏んで追いかけられるのを喜んだ。
生活面
・入学時は給食で苦手な物(あえ物や野菜類)を食べるように言われると机の下にもぐりこんで拒否し、ずっと椅子に座るということができなかったが、徐々に受け入れ、椅子に座って苦手な物も食べられるようになってきた。
・着替えは一人でできるが、自分のペースでさっさとしてしまい、無造作に着替え袋に服をしまう。


4.3年生のときの様子
4月、新しいクラス
低学年クラスから高学年クラスということで新しい教室、クラスの友だち、担任、日課と大きな変化がありましたが、比較的スムーズに受け入れることができました。また、大きな集団での活動は苦手ということで最初の入学式・始業式の様子を心配していましたが、体育館にみんなと一緒に入り、前列に座りました。全校のみんなが揃うまで体育館内を歩き、高いところに登ることがありましたが、名前を呼ぶと戻ってきて座りました。小学部集会も同様でした。みんながいっぱいいる雰囲気が抵抗にならないように早めに会場に行くという配慮はしましたが、こちらの心配をよそに落ち着いたスタートのTくんでした。
一日の流れはわかっているものの、その中でマイペースに自分のしたいことを楽しむTくん。登校後自分のすべきこと(連絡帳出し、タオルかけなど)を終えるとすぐに外へ出て行き、教室の様子を気にすることなく遊んでいました。朝の会が始まるので教室に帰らせようとTくんの傍まで行って呼んでいましたが、なかなか帰ろうとしません。教師が来たら違うところへ行くこともあり、追いかけっこを楽しんでいるようでした。そんな様子のTくんに付いて回っていてはTくんのペースに振り回されるばかりでした。
彼は周りの様子を気にしていないように見えるけれども実はよく見ているのでは?
彼自身が今しなければいけないことに気付き、戻って来られるようにしよう!
と担任間で話し合い、教師は時間になったら遠くから「Tくん、朝の会」と短かいことばかけだけをして待つことにしました。その結果、朝の会をめざして一人で帰ってくるTくん。時間にちょうどのこともあれば、間に合わずに途中から参加ということもありましたが、彼自身の判断で帰ってきているのは確かでした。朝の会に限らず、Tくんに求めたい姿です。


自分から考えて判断しながら行動できるようになってほしい。
みんなと一緒に活動できるようになってほしい。
         


このような姿を引き出すために私たち教師はどうしたらよいかですが、
「今するべきこと」をわかりやすく、そして時には強い意志で伝える。
   ・ことばは短めに。
   ・Tくんの拒否の叫びや行動に教師が動じない。
→教師が中途半端な態度で接するとTくんの思いを通すばかりになり、すべきことも曖昧になって伝わらないのではないか、という仮説を立てました。


◆「からだあそび」はやっぱり苦手!?
「からだあそび」という学習があります。Tくんが苦手とする学習です。体を動かすことや自分勝手に動くことは好きですが、この学習でねらいとしている一緒にする、みんなの動きに合せてするということが受け入れられないようでした。
4月、学習室に入ることはできたものの、教室の周りを歩いたり、カーテンにくるまったりと授業中ほとんど椅子に座っていませんでした。名前を呼ぶと自分の番にだけ一緒に活動する教師のところに行き、ふざけた様子でしていました。最も苦手なみんなと手をつないで輪になる活動は寝転がって拒みました。
そこで、うろうろしているTくんを教師が側についてしっかり自分の椅子に座らせました。激しく泣き、大きな声を出すだけではなく、靴や靴下を放り投げ、自分の腕を噛むことまでして必死に抵抗しました。しかし、「今は~する」ということと、教師の強い思いを伝えました。この日は、このまま学習が終わってしまいましたが、1週間後の「からだあそび」の時間は、教師からの促しはあるものの、椅子に座り、授業に始めから終わりまで参加することができました。輪になる活動でも楽しそうに笑う様子が見られ、Tくんの大きな変化にこちらが驚きました。
もちろん、この日を境にして順調に「からだあそび」に取り組めるようになったというわけではありません。「いやだ」「やらない」と再び抵抗する日も訪れました。ただ、徐々に自分はしないと決めていた「からだあそび」にしなければいけないという思いを持つようになり、自分の中で葛藤しているように思える姿が増えました。
ある日、学習参観日ということで母親が参観に来ました。しかし、Tくんは「からだあそび」の学習に参加できませんでした。みんなより遅れて教室を出たものの、やはり学習室に入ることはできなかったのです。教師の気を引こうと学習室の様子が見える中庭で水遊びをしたり、自転車置き場に並べてある自転車を倒したりしながらもチラチラと視線を送ってくることから、みんなの様子をかなり気にしている様子がうかがえました。行動だけに注目すると勝手気ままに遊んでいたように見える場面でしたが、Tくんの心の中の葛藤がよく見えた出来事でした。このことはお母さんにもお話して理解していただけました。
「いやだ」と言って抵抗していても、実はその内容が嫌いというのではなく、自分がやったことのない知らない世界だから入り込めなかったと考えるほうが適切だったように思います。「とにかくやってみようよ」と教師が誘いかけてみることで新しい世界に少しずつ入り込み、「やってみたら意外とおもしろかったな」という思いが少しずつ積み上げられてきているのだと思います。
「イヤ」は本当にイヤ!? 教師と一緒に新しい世界に飛びこもうよ!


6月、教育実習生が担当に
教育実習の先生が一週間Tくんを担当したいと希望しました。活発でことばがあり、その頃は落ち着いて活動できていたのでTくんが最もわかりやすいと思われたのかもしれません。
しかし、Tくんはまるで別人のように以前のTくんに戻ってしまいました。Tくんに意図を持って積極的に関わるのではなく、教育実習の先生は彼のすることを一緒にしようとするあまり、結果的に後追いするだけになってしまいがちでした。その結果、Tくんは教室に帰って来ない、呼んでも戻って来ない、苦手な「からだあそび」の授業には行かない、そのTくんを追って走り回る教育実習の先生・・・というように教育実習の先生の指示を全く受け入れないだけでなく、一緒に活動することも出来ませんでした。
このようにして教育実習の先生に任せた1週間から見えてくることがありました。


Tくんの後追いをするだけではでは彼のペースに振り回されるだけで、こちらの働きかけに全く気を向けてくれなくなる。


10月、学習発表会に向けて
身近な生活道具を楽器代わりに使う音楽パフォーマンスに挑戦しました。
まず、学習の導入ということで中心指導の教師がバチで床をたたく様子を見せました。一緒に前へ出てしようということで名前を呼ばれましたが、「いやだ、やらない」と言い、自分の席から動こうとしませんでした。翌日同じような状況で名前を呼んでみると、抵抗なく前へ出てきてバチで床をたたきました。
この後は特に問題はなく練習が続いていましたが、ラスト1週間になり、教室で衣装に着替え、ステージ練習をすることになりました。衣装を見て「いやだー」と言ったのも最初だけで、すんなり着替えて体育館に向かうことができました。
前々日、だんだん本番が近づいてきて緊張が高まってきたのか、ステージ練習でバチとビールケースを放り投げてしまいました。
そして前日、ステージ練習のために好きな活動である「山登り」がないことに納得いかないTくん。衣装を着て体育館には入ったものの、これから舞台練習という時に怒って衣装を脱いでシャツとパンツ姿になってしまいました。出番待ちの間、衣装を着させようと教師は何度も迫りましたが、受け入れてくれませんでした。本人が判断して着てほしいという思いから、衣装は彼の目の前において置きました。「着ない」と言って何度も投げていましたが・・・。結局衣装を着ないままでしたが、そのままステージ練習をしました。ステージに上げたことでTくんは覚悟を決めたようでシャツとパンツ姿のまま演奏をすることができました。しかし、帰りの会で「明日は学習発表会」と聞くと、「いやだ、学習発表会ない!」と大きな声で言い返していました。
そして当日です。朝の会で「今日は学習発表会」と言っても黙って聞いていました。昨日はあれだけ嫌がっていた衣装もすんなり着ました。ステージ上では何もしないで立っていることもありましたが皆と一緒に最後まで落ち着いて発表することができました。


「しなければいけないこと」「したくないこと」という気持ちの中で葛藤するTくん。
その様子を見守りつつ教師は今するべきことを発信し続け、本人が判断して行動することが大切である。


大人と遊ぶ?それとも大人が遊ばれる?
Tくんは大人との遊びが好きです。追いかけっこを楽しんだり、わざと違うことを言って「ピンポーン」「ブブーッ」と言う大人の反応を喜んだり、ビデオを見ていておもしろい場面が近づいてくると一緒に楽しもうよと言わんばかりに教師の膝に乗ってきたりとかわいい一面があります。
この大人との遊びが課題に向かうきっかけを作った例は多いです。粘土で何かを作ることは好きですが、自分のペースであり、大人がこうしようという誘いかけに素直に応じることは少なかったです。しかし、紙に描いた線上に粘土を置くという内容では、線からはみ出たら「ブブーッ」と横で大人が言うと、そのやりとりがおもしろくなり、自分から粘土を置くようになり、最終的には課題そのものにのってきて大人の支えがなくても集中して取り組む様子が見られました。午後遊びのパズルでも、ただ提示するだけでなく、タイマーを使って制限時間などを設けると楽しんで取り組めました。時間オーバーしたときの大人の反応も楽しみのひとつのようでした。
そしてほぼ毎日、大人とTくんとの攻防があるのが「帰りのスクールバス」でした。帰りの会が終わった後、バス乗り場まで向かうまではよいのですが、すんなりバスに乗らず、外の蓮池の水を触って遊ぶということを1学期末ごろから楽しんでいました。バスに乗るように大人が呼びかけても聞く耳持たずで、Tくん自身いつまで遊べるかという時間の感覚が周りの様子やバスのエンジン音などでわかっており、ぎりぎりまで遊んで乗るようになりました。2学期もその様子は続いていたのですが、更にエスカレートして、帰りの会に来ないで皆が教室を出た頃に帰ってきて帰り仕度をし、ぎりぎりでバスに乗ることもありました。バスを校門まで出発させ、乗り遅れたという経験をさせれば翌日から気をつけるようになるのではと試したこともあるのですが、出発しても乗せてくれるということがわかり、効果はなく、Tくんのほうが大人より上手でした。そこで、すぐに外靴に履き替えさせないで、しばらく椅子に座って一緒に待つようにしていたのですが、バスに乗る直前まで大人の顔を見て、追いかけて来ないか期待していました。


大人とのやりとりを楽しむTくん。
彼の遊びに振り回されるか、遊びを活かすかは教師の腕の見せどころ???


5. 4年生のときの様子
自分が楽しみなことを期待する姿
教室に張ってあるカレンダーを指さして教師に何かを訴えようとするTくん。それは3年生の3学期から見られることでした。よく言っていたのは3月?日を指さし、「体育館、おめでとう」。 担任の私たちは意味がわかりません。日が近づいてきてわかってきたのですが、どうやら体育館で終了式が行われ、学校が春休みになることを楽しみにしていたのです。「おめでとう」は卒業式と混同してのことばでした。4年生になったときも、4月早々に7月?日を指さして早くも夏休みを期待していました。家庭でも夏休みにサマーホリデーが始まる日や家族で海に行く日を期待してカレンダーをよく見ていたとのことでした。自分の楽しみなことを期待しつつ、カレンダーを頼りに待つことができるTくんの姿がそこにはありました。また、教師や家族など大人に共感してもらうことでその事実を確認し、「僕はこのことを楽しみにしているんだ」という自分の気持ちをわかってほしいという思いが感じられるのでした。


自分の思いを伝えるために—ことば・文字
Tくんは生活の中で数字やひらがなに興味を持つようになりました。カレンダーの中に「こうがいがくしゅう」「しょうがくぶしゅうかい」「たいじゅうそくてい」と行事内容を書き込むと、自分で文字を読み、予定を受け止めるようになりました。また、絵本の文字もゆっくり読んで、楽しむようになりました。
ある日、家庭からの連絡帳にこんなことが書かれていました。
昨日、夕食でサラダを小皿にとってほしい様子。小皿を指さして何やら表現。「何?」と聞くと「あじみ」と表現。「エッ?」と聞き返すと再び「あじみ」。数回繰り返した後、今度は指で机の上に「あじみ」と書いて見せていました。まだまだ充分ではないのですが一応意味がわかる程度でしたので「味見しよう!」と小皿に分けてとってやるとホッと一安心していました。
昨日の大発見。(親バカですね)。「3人」と夕方から何度か言うので、「3人やね、○○とお兄ちゃんとTやろ」と何度か返事するとしつこく「3人、マリオストーリー2」となんだか自分の言いたいことと違ったようで怒った口調。「エッ、マリオストーリーで3人?」と聞き返すと突然赤ペンを持ち、カレンダーの前へ。12月24日のところでペンで何か書きたそうに手に持つが書けず困った様子。そこでやっと私にも「3人」とは「サンタクロース」とわかった。そこで、「サンタクロース、クリスマスやね」とことばにしてやるとホッとしたようで「サンタクロース、クリスマス」と言うと、まだカレンダーに何か書けと手をひくT。「あっ、クリスマスやね」と手を取ってやるとなんとか書いてOKと納得しました。相手に何かを伝えようとする気持ちはとっても大きなエネルギーだと感じました。                                     
夕食を作っている母親の傍に行き、味見したいことを訴えるTくん。ことばで言って通じないなら文字でとなんとかわかってもらいたいという強い思いが見て取れました。翌朝、Tくんに「『あじみ』書いて」と言うと黒板に書いてくれました。また、数字の「『8』や『つくえ』を書いて」というリクエストにも応えてくれました。


「ことばが育つということは、単に語彙量が増え、通じ合いのスキルが育つと言うことではありません。なによりも生活世界にいきいきした意味が溢れだすことであり、他者との気持ちの通じ合いが育つことであり、イメージが育ち、未来を楽しみにでき、我慢ができる力が育つことでもあります。」(文献①)このことを実感したエピソードでした。


ハプニングだらけの校外学習
秋の校外学習。カヌーに乗ろうという計画で琵琶湖へ出かけました。雨が降らなくてよかったと安心して現地に着いたのですが、かなりの強風だったのです。波が高く、カヌーは危険なので「中止」と係の人に言われ、「えーっ!」でした。雨なら中止ということがわかりやすいですが、晴れていても中止ということがあるなんてと戸惑いの私たちとTくんでした。桟橋をうろうろしながらも教師の呼びかけに応じてみんなの待っているところに戻ってくるTくん。池の鯉にエサをやって少し楽しんだ後、予定を変更して「子どもセンター」で遊ぶことにしました。外の遊具で遊ぶことを期待して向かったのですが、到着したとたんに大雨。仕方がないので室内で遊び、お弁当を食べて過ごしました。
そして、帰る時間になり玄関を出ると、「すべり台」と言ってしゃがみ込み、外で遊びたかった様子。みんながバスに乗ってもまだ来ませんでしたが、バスが出発すると急いで走ってきて乗ることができました。自分のつもりが連続して崩れるという1日でしたが、自分の気持ちをコントロールしてみんなと一緒に行動することができたのは貴重な体験でした。


たよりになるTくん
Tくんは3年生のときから毎朝、教室の椅子を並べること、健康観察にみんなの出席を記入すること、給食の配膳のお手伝いを係の仕事として取り組んでいました。また、4年生になってからは、決められたことだけでなく、教師から用事を頼まれることも多くありました。
5月・・・運動会の練習で体育館にいたときのことです。クラスの友だちの指が少し出血したので、Tくんに「保健室・バンドエイド・ちょうだい」と伝えました。すぐに体育館から出て行きましたが、何も持たないで帰ってきました。同じことを4回も繰り返したので、バンドエイドがわからないのかと思い、友だちの指の傷にバンドエイドを巻く仕草を見せるとまた保健室に向かいました。しばらくたってから保健の先生と一緒に体育館に戻って来ました。保健の先生の話によると、「Tくんが『バンドエイド』と何回も言うので『どこが痛いの?』と聞き返していた」とのことでした。自分ではなく友だちの分であることは伝えられなかったようですが、バンドエイドをもらってこようと必死になっていたTくんに「えらいね~」と感慨深い担任団でした。この日以降、「保健室に行ってバンドエイドもらってきて」と言えばしっかりもらってきてくれるTくんでした。
10月・・・ランチルームで食器の片づけをした後、水で服の袖が濡れました。「びしょびしょ」と言って袖を見せるので、「教室に行って着替えて服干しといて」と指示しました。着替えることはできても服を干すことは難しいかなと内心思っていました。数分後、服を着替え、涼しい顔をしてランチルームに戻ってきました。そこで、教室に見に行くと、濡れた服は窓の手すりにしっかり干してありました。自分で干すという経験はこれまでなかったのですが、他の子どもの服を教師が干す様子は何度か目にしていたので、ことばの意味を理解し、実行することができたのだと思います。
11月・・・朝、教室に入り鞄の整理を終えた後、朝の会ができるようにみんなの椅子を並べるのがTくんの仕事です。1学期は教師が「椅子、10」などの指示をすることで並べ始めることができました。今月に入ってからは何も言わなくても自分から椅子を並べ始めるようになり、並べ終わったことを教室に入ってきた教師に「椅子、10」というように報告してうれしそうな笑みを浮かべていました。


今回の学習発表会は?
3年生のときはハラハラドキドキでしたが、今回は安心して本番が迎えられました。内容は、バーを跳び越える「遊具あそび・カエル」と四つ這いになっている大人を押し倒す「からだあそび・馬倒し」です。
ステージ練習の初日だけは体育館に行く前から気が進まない様子だったこともあり、体育館では床に寝転がって「しいひん」と抵抗していました。クラスのみんなはステージに上がり、練習を始めました。                                             ちょうどTくんの出番は1番目。名前を呼ばれると急いで走ってきてステージに上がり、演技に参加しました。ささやかな抵抗があったのはこのときだけでした。
その後の練習は至ってスムーズでした。以前は衣装を着るのも一苦労でしたが、今回は自分の衣装を持ってきた日、担任に見せてうれしそうでした。道具の後片付けも手伝い、教室に戻れば「30」(学習発表会は10月30日)と言ってカレンダーを見て期待していました。家庭でも「30」とよく言って楽しみにしている様子が見られ、こんなに行事を期待しているのは初めてとのことだと母親が言っていました。
本番も練習どおりの、いや練習以上の力を発揮することができました。


もっとやりたい!—学習での姿
3年生のときの様子と比べて感じるのは、学習に向かう態度、表情がずいぶん異なります。学習教室に移動するのは一番最後かみんなより遅れてということも多く、最初からのり気なことはあまりありませんでした。大人が課題にのせて行くことでだんだん活動に集中して取り組めるようになってきました。また、課題となっていることを淡々とこなし、自分の番が終わったら「おしまい」ということも多くありました。
その様子と比べ4年生は(正確には3年生の3学期頃から)、みんなの先頭を切って学習教室に向かい、大人に指示される前に学習で使う道具の準備をしていたこともありました。活動をいきいきした様子で楽しみ、「もっと」と意欲的です。
バーを跳び越える「遊具あそび・カエル」では自分からもっと高くにバーを設定することを要求してきました。「1」から「10」までの目盛りが横に書いてあるのですが、「10」と希望したのです。その高さは真剣に跳ばないと跳べない高さということもあり、成功したときは満足した笑みを浮かべ、「かっこいい」「すごいね」と教師に褒められて更にうれしそうでした。また失敗したときでも「Tくん、バツ~」「エ~ン、エ~ン(泣きまね)」と教師が反応する様子を見て笑うことができました。
ところが、何度挑戦してもバーを落としてしまうことがありました。このときはいったん自分の席に戻りましたが、失敗したということが納得できなかったようで、プレイルームから飛び出してしまいました。思わず飛び出したものの校内を歩くことで自分が落ち着く時間となったようです。そんなTくんであることを信じていたので教師は後を追いませんでしたが、15分ほどで戻ってきました。「もう1回やりたい人」と言う教師の呼びかけに応じて再度挑戦し、跳んだのですが、また失敗。どうやら踏み切り位置が近すぎるのが原因のようでしたが、本人は気付いていませんでした。そこで教師が横でバーと距離をあけて跳んでみました。Tくんも一緒に跳んでやっと成功!!納得いく終わりで、晴れ晴れした表情になりました。


大人と遊びたい!
4年生になってからは教室にいることが増えました。正確には大人の傍にいることが多いです。学習、給食など次の活動を期待してということもありますが、大人と一緒にいることが楽しいようです。大人は自分がおもしろいと思うことに共感してくれる存在、そして自分を楽しませてくれる存在になっているようでした。 
この年は台風が多く上陸しましたが、台風もTくんの関心事です。「台風」「風ビューン」と大人が言うとおもしろそうに笑います。「もっと言って」という様子で「雨」と自分から言い出すので「ザーザー」とTくんの上で降るように頭を触るとケラケラ笑っていました。
また、直接的に体を触っての遊びも好みます。例えば「でこぱっちん」などの遊びも好み、以前は大人にしてもらって喜んでいました。もっとして欲しそうにおでこを近付け、「でこぱっちん」と言って大人の手を取る姿も見られました。最近は自分から大人のおでこに「でこぱっちん」するようになり、自分からしかけてくるようになりました。大人との遊びも「受け身」から「能動」へと変わってきています。


子どもとの関係
大人との関係が中心のTくんですが、子どもと関わる姿もちらほら見られるようになってきました。
以前は嫌がっていたらしいですが、兄弟が夜に布団の上でじゃれ合うようになったと母親が連絡帳に書いてきてくれました。ある日、弟がカマキリをいじめて遊んでいたら「かわいそう」「やめてー」などと自分の使えることばを駆使して弟の行動をやめさせたということもありました。また、母親が夕飯の仕度をしていたら味見をしたそうにうろうろ。でも出来上がるまで待っていなければならないということもわかっているから味見ができないTくん。そこへ弟がやってきてさっと味見をすると、自分も真似して待望の味見ということもありました。Tくんにとって弟はモデルであり、ライバルであり、良き存在のようです。
クラスの友だちとの関わりにおいては、人との関わりが難しい子どもたちの集団ということもあって少ないですが、「Tくん、帰っておいで~」というAくんの呼びかけに応じて教室に帰ってきたり、保健室に行ったまま帰ってこないBさんを呼んできてと教師に頼まれ、なかなか動こうとしないBさんを必死に教室に連れて行こうとしたりすることもありました。
また、最近お気に入りの玩具をCさんと取り合いをすることもありました。「返して」と何回も自分の思いをぶつけますが、なかなか聞き入れてもらえず困った様子でした。とりあえず少しだけ奪い取り、自分の好きなものを作っていました。隣のクラスから遊びに来ていたDくんやEくんのときは全く譲ってくれませんでした。どんなに言ってもダメで、怒りのピークに達したTくんは玩具を教室中に投げつけてばらまいてしまいましたが、その後自分の気持ちを落ち着けるかのように自分から後片付けをする姿がそこにはありました。
またある日、乗り物のビデオを見ているYくんの横に行き、自分が見たいディズニーのビデオに変えようとしましたが、Fくんが認めてくれず、ディズニーのビデオを持ち、傍をうろうろということもありました。以前のTくんなら相手の出方を気にせず、自分の思いを押し通すか、受け入れられないことに怒ってどこかへ行ってしまったと思います。今のTくんは相手を意識し、その意図も受け入れようとするので、自分の思いとの板ばさみになっているようでした。


久しぶりの大爆発だけど・・・
11月、最近お気に入りのディズニービデオが見たいTくん。午後あそびの前半は絵本を読み、後半はビデオを見ることにしました。いよいよその時になったので、うれしそうにビデオを見始めるTくん。私は終わりの時間を約束するために時計を指さし、「3(14:15分まで)、終わり」と数回言ってその場を去りました。しかし、約束の時間を過ぎてもTくんは教室に帰って来ません。そこで私はTくんのところに行って「ビデオ、終わり」と伝えましたが、終わろうとする様子がないのでスイッチを切りました。すると「3、なし」「ナイトメアー」と言って怒り出すTくん。ディズニービデオの中でも「ナイトメアー・ビフォア・クリスマス」が一番のお気に入りなのですが、早送りが上手くできず見ることができなかったということが、このときにわかりました。しかし時間もかなり過ぎていたし、一旦終わりと指示したのに再び見ることはよくないと思ったので私が強引にビデオテープを持ち帰りました。
しかしTくんは、そのことが受け入れられず、泣き叫び、終わりの時間を示した時計にこだわって、何度も時計を触ろうとしました。ビデオを奪った私に対してはかなり怒れたようで、頬をたたく、蹴る、腕をかむ、オシッコをもらすという行為も見られました。 
結局、帰りの会が終わるまで引きずり、泣きながらも帰りの用意をするTくんでしたが、そのときたまたま教室に入ってきた○○先生に「11」(ナイトメアーの順番)と言いながら抱きつきました。このような姿は初めてでした。私は「敵」だったのですが、他の担任はTくんにとっては助けて欲しい存在、頼って自分の思いを受け止めて欲しい「味方」だったようです。 
そして、すっきりしない気持ちのまま家に帰ったのですが、帰るなり、「くやしい」と祖母に訴え、夜にも母親に「くやしい、がまん」と何度も言っていたとのことです。
自分の思いが通らないと今でも激しく怒る姿は見られ、全くなくなったわけではありません。しかし、以前に比べ、何に対して怒っているかということがはっきりしていて、誰も入り込めない状態ではなく、人を頼りにしているというところが大きく変わってきたということを確認できる出来事でした。


5. おわりに
Tくんは子どもらしいということばがぴったりの子どもです。水遊びやブランコに夢中になる姿もそうですが、人と一緒に遊んでいておかしくてたまらないという笑い方がとても愛らしいです。それは一緒にいるその人に向けられた笑顔だからかもしれません。
かつては、新しいことやいつもと異なること、あるいは自分がしないと決めたことには「いやだー」と拒否することが多く、みんなの流れにのせようとする教師を困らせてくれました。そのような場面は毎日のようにあり、Tくんにとって激しく抵抗することは他者の思いを拒み、新しい世界から逃げる手段になっていました。こんなとき、「する」「しない」ということばだけのやり取りに教師が入り込まず、枠組みに目を向けさせて周りが見える態勢にし、彼自身に判断させる機会を作っていくことで、Tくんは自分から活動に向かうことが増えていきました。


「まわりを見た上で、自分で(プールに)入るかどうか決断する自分なりの思いを持つようになったのです。自分が入る思いを高めきれないときに大人に強引に誘われたら『マダボクガキメテナイノニ・・・』と反発したくなります。(文献②)」


とあるように「いやだー」ということばの裏で葛藤する心を見守ることが大切だと思います。
また、Tくんは他者の意図と自分の意図とのぶつかり合いを経験する中で、他者の存在に気付き、働きかけを受け止め、自分は意味がないと思っていた世界を意味ある世界にいざなってくれる存在、そして自分の思いに共感してくれる存在として他者を求めていきました。


「ただ課題が『できる』というだけでなく『自分からやってみようと思ってできる』ことで達成感を感じられる。『ヤッタ!』という思いを意識化し、『自分の思い』としてつくりあげるためには達成感を共感し伝え返してくれる他者の存在とかかわりが必要(文献②)」


とあるように他者の存在は「できる」ことを増やすのではなく、「やってみようと思ってできる」ことを一緒に増やしていく、そんな存在になっているのではないでしょうか。
Tくんは今、新しいことに挑戦し、やり遂げることができる新しい自分に自分自身が出会えるようになっていると思えるのです。


*引用・参考文献
①「ひととひとをつなぐもの」 山上雅子・浜田寿美男 ミネルヴァ書房 2003
②「障害児の内面世界をさぐる」 別府 哲 全障研出版部 1997


助言者のコメント
「ずれ」の解消 —Tくんにとっての「人」の変化
Tくんは、周りの状況にはお構いなく、自分の思い通りにふるまおうとしているように見えます。しかし、実際には、周囲のことをとてもよく見ており、自分がしなければならないこともきちんとわかっています。ただ、Tくんは、今自分に求められていることが自分の思いとずれている時には、どうしても自分の思いを通そうとしがちでした。特に、求められていることが、Tくんにとって、未知のものである時、それが顕著に表れていました。
そのような場面で、担任の先生たちは、自分たちがTくんに妥協するのではなく、あくまでも、今やらなければならないことを強い意志を持って、伝えようとしました。ただし、
「人の思いを受け入れるだけでなく」という、報告の中の言葉にも表れているように、教師は、Tくんを自分たちのほうに歩み寄らせ、Tくんの行動を変えようとしたのではないと思います。 教師はまず、Tくんの
「しなければならないことはわかっているけど・・・・」よいう葛藤を理解しようとしました。おそらくTくんにも、教師の断固とした態度の底にある
「Tくんを理解したい」「一緒に何かをしたい」という願いは伝わっていたでしょう。先生たちが目標としたのは、Tくんが、今の自分の思いを通すよりも、みんなと一緒に何かに取り組むことを、自分から選び取ってくれることでした。そうした教師側の見守り、支える姿勢のもとで、Tくんは次第に人と共にいるほうを選んでいったということではないでしょうか。
たとえ、最初はいやがって激しく抵抗しても、やってみると案外おもしろかったという経験をくり返しすることで、Tくんにとって先生は
「おもしろいことを経験させてくれる人」になりました。なぜ、昨日できなかったことが突然できるようになったのか、それはよくわかりません。ともあれ、先生は、
「やりたいことをじゃまする人」から
「楽しみを共有したい相手」に変わったのです。
こうしたTくんの変化を生み出したのは、何よりもまず、人との関わりを求めるTくんの気持ちだったのではないでしょうか。
人と関わりたいという気持ち—「人」っておもしろい
本報告を読むかぎり、Aくんは、人との関わりが苦手な子どもであるようには思われません。2年間のまとめを見ると、先生たちのTくんへの関わりは大成功であり、Tくんの変化は起こるべくして起こったことのように思われます。しかし、その背後には、報告には含まれていないTくんと教師や家族との関係の歴史(ときには苦闘もあったかもしれません)の積み重ねがあるのでしょう。そのことをどこか頭の片隅におきながら、本報告を読む必要があるのではないかと思います。
「『人』っておもしろい!!」というタイトルは、Tくんの視点に立った言葉だそうです。人にあまり関心がない様子だったTくんは、2年間を通して、教師をはじめとする周りの人は実はおもしろい存在なのだということに気づいていきました。私たちは、周囲のことなど気にする様子もなく自分1人の世界に没頭しているような子どもを見ると、もっと他の人と関わってほしいと願います。しかし、そのように子どもの興味の方向を転換させることは容易ではありません。また、本当にそれがその子にとってよいことなのかと疑問に思ったり、制止することに対して心苦しさを感じたりすることもあります。しかし、教師や家族との関わりを通して、Tくんの中に人と関わりたいという気持ちが着実に大きくなっていっているのを見ると、私たちの願いはそれほど間違ったものではないのだと思います。
4年生になって、新たにTくんに見られるようになった2つの力、すなわち、未来の展望と書きことばも、人との関わりの中で、人と関わるために、培われたように思われます。カレンダーを見ながらお休みや行事を楽しみにすることについても、そうした気持ちを大人に共有してもらいたいというTくんの姿があります。ことばの使い方は少し独特ではありますが、伝えたいという気持ちのほうがはるかに優っています。
Tくんは、子どもの発達にとって、人との関係がいかに大切かを、あらためて気づかせてくれました。そして、一見、関わることが苦手な子どもも実はそうではないこと、また、子どもを単に受容するのではなく、人と関わりたいという気持ちをしっかりと汲みとりながら新しい世界を子どもに示そうとする、大人の側の姿勢が重要であると感じました。以上、研究会:助言者のコメントでした。


Tの保護者よりひと言


先生方、わが子の「こころ」を、
「人っておもしろいな」「人とかかわるのも、イヤなことじゃないな」
と本人が思えるところまで育ててくださり、ありがとうございました。
心からお礼申し上げます。その感謝の気持ちをこめて、先生方のレポートをお借りし、このような形で掲載させていただきます。同じような子どもの悩みを持つ方々の参考になれば、幸いです。以上、保護者のひと言でした。


関連ページ


子どもと信頼関係をつくる、子どもとの「信頼関係」を取り戻す【子どもの心に届く担任の言葉①~⑤】
http://sg2takaboo.exblog.jp/24898595/

特別支援学校卒業後に向けて:共同作業所へ通う18才前の【計画相談】&国民年金【障害基礎年金】を請求する20才までの事前準備&諸手続き

http://sg2takaboo.exblog.jp/24898511/




by takaboo-54p125 | 2010-08-19 05:21 | 保育・教育

結論を先に書きます。


保護者から相談を受けた時の、保育士・教師・養護教諭が対応する「最初のひと言」は、即返答したくても(即返答できても)、してはいけません。


まず、
保護者が相談してくださったことにお礼を述べ、(信頼度ゼロなら来られません)
保護者のご苦労をねぎらい、(心をこめて)
保護者の子育てのよい点を具体的にほめて、(お世辞はダメ)
保護者の気持ちに共感しながら、(言葉と表情で)

相談に応じていくのが、保護者の心と、手と手をつなぐ子育て相談(教育相談)になり、保護者から信頼してもらえる存在になれるのではないでしょうか。


その理由を書きます。


相談している時点の保護者の気持ちは、どんな状態かということに心を配れていたかということです。相談すると言うことは、不安でたまらずオロオロしておられるか、あせってイライラしておられるか、という気持ちなはずです。それを見落として、相談内容にに対する返答にだけ集中していませんか?


つまり、相談を受けてみて、もうひとつ大事なことに気づきました。保護者はどうしたらいいの?というヘルプを出しながら、同時に、
自分の育児(現在進行形)の苦労をわかってほしい、
自分の育児が基本的にどうなのかを(全否定しないで)認めてほしい

という、文章の裏側にあるヘルプも出しておられるのではないか、ということです。
言いかえれば、どの質問・相談にも、
私の育児の苦労と努力に共感してほしい
という願いが込められていることに、気がつきました。保育園・幼稚園・学校で、保護者から相談を受けた時の、保育士・教師・養護教諭が対応する「最初のひと言」は、即返答ではダメだということです。


最初の結論を、再度くり返しますが、
保護者が相談してくださったことにお礼を述べ、(信頼度ゼロなら来られません)
保護者のご苦労をねぎらい、(心をこめて)
保護者の子育てのよい点を具体的にほめて、(お世辞はダメ)
保護者の気持ちに共感しながら、(言葉と表情で)

相談に応じていくこと、これが保護者対応(初期対応)の鉄則と言えます。


スポンジみたいにいったん吸収してから、応えるという感覚で相手をすることで、保護者自身も子育ての苦労が報われた、相談してよかった、自分の子育てにもいいとこはあったんや、という前向きな気持ちになり、プラスαのアドバイスをくれた先生への信頼感も増すはずです。


と言うことは、大人でもそうですから、「先生・・」と言ってくる子どもに対しても同様ですね。世の中は、社会全体が監視カメラに囲まれています。せめて、子どもと接する時(親から相談を受けた時・同僚から相談を受けた時も)は、共感カメラ目線(上から目線の反対)で応対してあげることが、今の時代の「基本中の基本の姿勢」だと言えるでしょう。


保護者の方々の反応から、育児相談(子育て相談)があった時の、受け手(相談員や先生)の「心得(心構え)」、「保護者への向き合い方(心のよせかた)」みたいなものが、少しわかりました。




【転任してきた教師が感じた職員室の違和感】


私がかつて勤務していた大規模校に、転任して来た1人の先生が、当時、時々「この学校には、教師の空気に違和感を感じる」ような意味のことを、ちらっとこぼしておられました。私は同校に10年近く勤務していたので、鈍感になっていたのか、転任して来られた方の気になる「ひと言」をもっと大事に聴く謙虚な姿勢が、自分になかったことを、今、恥ずかしく思います。人事異動によって、新鮮な風を入れてくださったのを、無駄にしてしまいました。ごめんなさい。


と言いますのも、過日、その先生と出会った時、数年ぶりに当時の頃を話題にしました。そして、私が、「先生は、あの頃、何に違和感を感じていたのですか?」と聞くと、その先生はズバリ、「たとえば、放課後の職員室」と言われました。毎日、放課後、職員室の電話(大規模校なので2,3台)は、保護者に電話連絡している担任だらけで、おまけに、出会って話すべき内容も少なくなかったそうです。(あ然・・)


たしか、私はその頃は生徒指導担当をしていて、「電話では誤解が伝わります。足を運べば誠意が伝わります。微妙な内容なら、必ず訪宅して保護者と出会って話してください」みたいなことは、職場のみんなに言っていた(書いていた)つもりでしたが、担任の先生方の心には届いていなかったことに気づかされました。私も放課後は、外回りや保護者対応に追われていたというのは、言い訳でしかありません。生徒指導は組織の力で!なんて、偉そうなことを口では言いながら、私自身が個人技の生徒指導しかできていなかったということです。(それも後追い指導ばかりでした)


それに比べて、ウェブページでも紹介しております、公開授業を観せていただいた6校(小中高)では、積極的な生徒指導を日々の授業の中で展開しておられました。しかも、学校ぐるみで組織的にしておられることは、各学年各クラスの子どもたちの表情を見れば、一目瞭然でした。(当ブログ左下のウェブページ「学びの共同体」【授業づくりのキーワード】・・【小学校のチャレンジ】・・等々を参照)


もう数年前のことですが、大変ほろ苦い気持ちです。当時、各学年部へ本当の意味でのフォローができず、申し訳ありませんでした。自分にできていなかったことを言うのも厚かましいのですが、職場の空気(電話で済まさないなど)をつくるって、改めて、学校ではとても大切にせなあかんと痛切に感じています(後の祭りやけど、反省です)。それを実現している学校を参観しただけに、余計にズシンとこたえます。


スモールステップを3つばかり☆☆☆


☆子どもにお手伝いを頼んで、「ありがとう」「助かったよ」と言うこと。子どもと、目と目を合わせて、笑顔で話を聞いてあげたり、話したりすること。お手伝いで、教師にほめられ、クラスの役に立ち、みんなに必要とされる体験をしてほしいから。いかがでしょうか。どうか、その子を、今まで以上に、頼りにしてやってください。


☆また、子どもと、何か(給食・掃除・遊びなど)をいっしょにしながら、世間話もしつつ、さり気なく「あなたが、うちのクラスの子どもであることがうれしいよ」というメッセージを伝えること。この先生は、相談しやすいなと、どの子にも(特に、気になる子が)感じてほしいからです。


☆「あれっ?いつもと違う」と気づいたら、「どうしたの?」と声をかけます。泣かされたり、意地悪されてきた時は、「あなたはね、友だちからバカにされるような子どもじゃないよ。あなたはね、決してダメな子じゃないからね。先生の自慢の子だよ」と、抱きしめてやること(女の先生だけ)(男の先生は、男の子を抱きしめてあげるのはOKですが、誤解を招くので女の子にはしないでください)。その子の目を見て「先生が絶対に守ってあげるから」という宣言をして、その子の気持ちが落ち着いてきたら、その子のペースに合わせて事情を聞いてあげます。


そして、最後は問いかけます「どうしたいの?」


「大丈夫?」と、子どもの思いに寄り添い、事情や気持ちをあれこれ聞いてあげて、子どもが「ぼく・私の思いを先生はわかってくれた」と感じた(心が落ち着いた)ところで、問いかける言葉はひとつです。


「どうしたいの?」(自己決定を促す言葉)


このひと言があることで、子ども自身が考え、気づき、次のスモールステップ(自立への第1歩)へ踏み出せるのではないでしょうか。どうするのかを、教師が決めてあげるのは、お節介になってしまうかも知れません。子どもが、どうしたいのかを決めて、行動に移す子どもの不安を支えてあげるのが親切な支援です。



「いじめが起こりにくい環境の整備」8つのステップ


☆スモールステップをあたえて、ほめること(できて当然のことでも)


私たち教師は、よく「しっかりしなさい」「ちゃんとしなさい」と言いますが、子どもには、イメージしにくい、どうしていいかわからない、あいまいな言葉だと言えます。ですから、大声で


「しっかりして」「ちゃんとして」「うるさい」「まだか」と、どなるより、


「みんな、すわろうね・・おっ、早くすわれたね。すごいなぁ」(笑顔で)


「A君、先生の方を向いて」→「うれしいな。向いててね」(ほめながら)


「Bさん、本とノート出して」→「すばやいな。えら~い」(ほめながら)


「C君、感想を書くんやで」→「できてるやん。さすがは△年やね」(ほめながら)


「シーッ!お話するのをやめようね・・だんだん静かになったね。うれしいな」(笑顔で)


「先生のお話を聞いてね・・聞いてくれてありがとうね」(笑顔で)


と、場面に応じた、子どもがイメージしやすい具体的な言い方をしてあげるほうが、子どもの心に届きやすいでしょうね。


☆『失敗は成功のもと』体験の共有


立ち直りへの支援が、子どもの自立を促すことになります。挙手した意欲を「えらいね」と認め、言えなかったことは「緊張するもんなぁ」と支え、「なあ、みんな」と周囲のみんなにも共有させ、気を取り直して、挙手したA君を再度指名し、自立を促してあげましょう。そんな教師の姿(どの子に対しても)を、周囲の子どもたちもしっかりと見ているので、教室全体に安心感が広がります。


☆トラブルはその子とつながるチャンス


「つらかったんやね」「そら、ムカつくわなぁ」「くやしかったんやもんなぁ」と代弁してあげましょう。その子なりの理由を、その子にも、周囲の子らにも気づかせます(自分らの言動がどうだったか、見て見ぬふりをしていなかったか)。それは、教室に悪者(レッテル貼り)を1人もつくらないためなのです。


「△△君、あなたが大切だから、ていねいに言うし、最後まで聞いててね」


「△△君1人に言ってるのとちがう。クラスのみんなに言っているんだよ」


と見回して、他人事という雰囲気(1人だけしかられているという空気)を絶対につくりません。


☆「今するべきこと」をわかりやすく、そして時には強い意志で


・指示することばは短めに。(だらだら長い話は、お説教になります)


・その子の拒否の叫びや行動に、教師が動じない。(売り言葉に買い言葉は×)


・断固たる決意で、その子と真正面から向き合う感覚で、決してゆずらない。


・そして、少しでも、しようとしたら、ほめる。教師自身も心から喜ぶ。


・その子が本当にしたら、おもいっきりほめて、共に喜びを分かち合う。


子どもが受けとめてくれたら、必ず具体的にほめることも忘れないことです。


この5つをねばり強くくり返しておいると、じょじょにではありますが、しかる(注意する)回数が減ってきます(不思議なくらい)。


☆教師集団が組織的に連動して動くこと


例えば、子どもたちに対して、例えば、学校に持って来てはいけない物など、特に生徒指導面では、


「どの先生も、同じ思いで、同じこと、言わはる」


と思わせるように、毎日のミーティングを短時間でも必ずとりましょう。また、


「どの先生も、チャイムが鳴った時には、教室に来てやはる」


と思わせるように、授業始まりのチャイムを教室で聞く教師集団になりましょう。



そして毎日、「キラッと見つけ」作戦を、全職員で展開することを続けることでしょうか。昼休みや掃除の時間など、担任以外の職員が見つけた子どものステキな姿をメモした紙を、職員室の担任の机上にセロテープで留めます。担任は、それを帰りの会などで紹介してほめます。例えば、トイレ掃除で、校長先生からほめられ、それを帰りの会で担任からもほめられるという、ダブル効果をねらうわけです。


☆空気を伝えること・つくること


先生が笑顔でいると『楽しい空気』が伝わり、子どもの心にも響きます。また、


「ダメ!」「やめい!」「こらっ!」「何してんの!」「さっき言ったやろ」などと言う否定的な指示語も、緊急時(イジメ・ケガ・危険)以外は、やさしく、ゆったり、


「どうしたの?」→会話(事情を聞く)→「どうしたい?」→支援


「こういう時は、△△すると、うまくいくよ」「今度は、先に△△してみようね」


というふうに、言いぶんも聞いてあげて、ダメの中身を、具体的に伝えることで、子どもも、気持ちをわかってくれた教師の言葉は素直に受け入れられます。



☆できたら減らしたい言葉、増やしたい言葉


△できるだけ減らしたい先生の言葉(大声、どなり声、早口で命令する声)


「こらっ!」「静かに!」「わかった人?」「できた人?」「他にない?」



◎できるだけ増やしたい先生の言葉(柔らかく、大きくないゆっくりした声)


「絵本が見えてない子はいないかな?」(読み聞かせを始める時は必ず)


「困っていることはないか?」(こう言われると、子どもはうれしいのです)


「先生にも聴かせてほしいな」(子どもが発言しやすい聞き方です)


「みんなに聴いてほしいこと、ないか?」(子どもも言いたくなる聞き方です)


「隣の人としゃべってみて、気づいたこと、聴かせて」(つぶやきも聞く)


「わからない所があったら、言ってね」(「教えて」と言える子に育てたい)


「わかりにくかったら、隣の人に聞いてみて」(親切に教えてあげる空気も)


「○○さんの言いたいのは、こうかなと言える人?」(モゴモゴ発言に)


「○○君の言いたいことの続きがうかんだ人、いるかな?」(ボソボソ発言に)


子どものどんな発言も切り捨てず、子どもと子どもの発言をつなげていくことを大事にしていると、自己チューの「ハイハイ発言」や、「ちぇっ、先に言われた」「言おうと思ってたのに」と言う「しらけた発言」が減っていきます。



☆子どもの声を聴く教師の元でしか、聴く子どもは育たない


子どもの目を見て聴くこと、目を見て話すこと(必ず最後まで)を心がけましょう。


板書しながら、丸付けをしながらの「ながら聞き」ではなく、子どもと同じ目線の高さで、子どもの目から視線をはずさず、子どもの話を聴き、子どもに語る、そんな教師の姿勢が、子どもの満足感・安心感・信頼感、そして意欲につながります。


次の発問・板書などのプランを考えながら、子どもの発言を聞くのではなく、


自分の意図する(言ってほしい)子どもの発言にすぐに飛びつくのではなく、


「ここ、何と読むの」「ここ、どうするの?」「ここ、わからないから教えて」


と遠慮なく言える雰囲気の教師とクラスの仲間、そして、安心して「わからへん」と言える自分を温かく受け入れてくれる空気の教室にすることが、結果として、「イジメが起こりにくい環境の整備」になるのではないでしょうか。


子どもは自分を信じて(待って)くれる教師を信じます(話も聴きます)。教師が自分を好きでいてくれる(目を見て語りかけてくれる)から、子どもは教師も自分自身も好きになれます。そして、教師が自分を大切に思ってくれている(顔を見て聴いてくれる)と実感した子どもは、自分を大切にできるようになり、他人(クラスのみんな、弱い立場の子)も大切にできるようになっていきます。


おわりに(始めの1歩)


「いじめ防止対策推進法第10条:未然防止」における、クラスで「いじめが起こりにくい環境の整備」とは、これらのような具体的実践(8ステップ)を、こつこつ根気強く毎日毎日積み重ねていくことしかありません。言わば、子どもたちとの根比べになります。全部でなくても、職場の同僚とも相談しながら、自分(全校教職員で一致できればベストですが、せめて学年教師集団で)できそうなことから「始めの1歩」を踏み出してみましょう。アプローチの仕方を意図的に180°チェンジできるのは、教室の中ではただ1人、教師しかいないのですから!子どもたちが常に「ガラスの人間関係」を抱える今の時代ですから、明日からの学級担任が放つあったかい空気(笑顔・聴く耳・待つ姿勢・受けとめる心・やわらかな語りかけ)は、きっと子どもたちの心にしみわたり、必ずや教室の空気をあったかくしていきます。私は、そう信じます。


進学先・進級先との「引き継ぎ」で忘れてはならないこと


年度末が近づいてきますと、卒園式・卒業式の準備であわただしくなりますが、進学先の小学校や中学校との「引き継ぎ」の準備もしなければなりません。とりわけ配慮を要する子どもに関しては、具体的にしっかりと引き継ぐ必要があります。


年度末の忙しい合間を縫っての「引き継ぎ」になりますので、後から「確かに伝えたはず」「そんなの聞いてない」の押し問答(校園種間)にならないためのポイントを挙げてみます。


まず、こちら側も、進学先も、「引き継ぎ」の会議に出席する職員が、年度末の人事異動で転任する可能性もあるので、原則として、どちらも複数人数で「引き継ぎ」会議に臨むことが大切になります。事前に相手側と日時を決める時に、複数人数の出席を申し合わせるのがよいでしょう。当日、1名しか出てこなかったら、「複数同士で引き継ぎする約束だったはずですが・・」と申し出ましょう。校園種間で確実に「引き継ぎ」を実行するためですから、強くお願いしてよいと考えます(人数が少ない場合など特例もあり)。


さらに、進学先の学校からの引き継ぎ会議出席者は、卒園児・卒業生を次年度に担任する確率は低いと心得ておく必要があるでしょう。つまり、進学先の学校内における、新入生個々に関して「配慮を要する事項」の伝達が、しっかりできるかできないかに、全てが委ねられることになるわけです。そうなると、「引き継ぎ」会議出席者は、お互いの氏名を自己紹介することが必須になるでしょう。もし、相手側が名乗らなかったら、その場で出席者の氏名を尋ねて、何月何日、誰と誰に(誰と誰から)、どんな内容を引き継いだのか、メモをしっかり残しておくことが重要になります。


肝心の引き継ぎ内容ですが、この子にはどういう課題があるのか、ということ以上に、この子にはこういう対応を心がけた、という具体的な対応(成功した対応&失敗した対応)を伝えることが、進学先の学校にとっても、何より子ども自身にとっても、プラスとして働く「引き継ぎ」になることを忘れないようにしましょう。そして、2年前には・・、1年前には・・、今年はここまでできたと、その子の具体的な成長の姿を伝えることが、子どもを大事に思う「引き継ぎ」ではないでしょうか。


そして、保幼小連携・小中連携を大事にされている校区では、新年度になって少し落ち着いてから(5~6月頃)、旧担任が進学先の学校を訪問して、新入生のクラスの授業参観をし、放課後に「保幼小連絡会・小中連絡会」をします。そこで、「引き継ぎ」事項に関わって、旧担任と新担任がお互いに意見交換をし、「引き継ぎ」内容に「ずれ」がないかを確認することになります。ここまでやって、「引き継ぎ」が無事できた、と言えます。お互いに忙しいのは承知していますが、あえて言わせてください。形だけの「引き継ぎ」で済まさない校区では、ここまで徹底しておられます。そうしておかないと、子どもにしわ寄せがいったり、保護者との連携がスムーズにいかないケースが必ず出てくるからです。要は「手間」を省かないことです。


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by takaboo-54p125 | 2010-08-18 17:44 | 保育・教育

私は石井先生の次の文章に共感しました。


「学びの共同体」研究を推進しておられる石井順治先生の文章より


1.聴き合うつながりが学びのいしずえ
すべての子どもが安心して学ぶことのできる教室にしたい、それぞれの考えやよさはもちろん、分からなさや悩みも抵抗なく出せる教室にしたい、それは、新年度の始まりに教師ならだれもが抱く思いです。
しかし、その実現はさほど簡単なことではないようです。
学校は、子どもたちにとって知識を獲得し技能を磨き、いわゆる学力を高めるところだとだれもが考えます。
それはそれで間違いではないのですが、そう考えるあまり、とにかく正しいこと、わかること・できることを強く求めすぎるきらいがあります。
教師がそうだと当然子どももそういう意識になります。
こうして、子どもたちは、正しいことを言わなければ、早くできるようにならなければと考えるようになり、間違いを恐れ、出来ないことを恥じるようになります。
ある大学の附属中学校を訪問したときのことです。
附属学校の校長はたいてい大学の教授ですが、その大学教授の校長からなるほどと思う話をうかがうことができました。
数学が専門のその校長に私は
「どういうときに数学の面白さを感じるのですか?」
と尋ねました。すると、迷うことなく
「簡単に解けない問題に挑んでいるときです」
と答えられたのです。その答えにあえて私は畳み掛けました、
「それよりも解けたときではないのですか?」
と。すると、
「解けてしまうと、もう数学の面白さはなくなります。解けない困難な問題に自分の知識と智恵を総動員して挑むのが楽しいのです」
という答えが返ってきました。
そのお話をうかがって合点がいきました。
「学ぶ」ということは「わかる」という結果ではなく、そこに行き着く道筋のああでもないこうでもないという探求にあるのだということを。
だとすると、早くわかるということはそれほどよいことだとは言えなくなります。
むしろ、わからなさや間違いにこそ学びのみなもとが存在していて、そのわからなさや間違いから熟考の森に分け入ることが大切だと言えるように思います。けれども、自戒もこめて言いますが、学校という所は、どうしても
「わかる・できる」にこだわり、しかも急いでそれを実現しようとしてしまうのです。
そういう学校文化の中で育ってきた子どもたちです。
おのずと、
「早くわかること・出来ること」
がもっともよいことだという価値観を持つようになります。
それは裏返せば、わかるまでに時間がかかる、素早く出来ないということは劣っている・能力がないということになります。
こうして、子どもたちは、わからなさから出発する本物の学びの醍醐味を味わえないまま、歪んだ学び感を持ち続けてしまうのです。
こうした学校文化を克服し、学ぶおもしろさを味わえるようにするにはどうすればよいのでしょうか。
それは、こよなく「わからなさ・間違い」を大切にする授業をすることです。「学び」に対する考え方を教師から変えなければ子どもの意識は変わりません。
そこで大切になるのが「学び合い」です。
これまでの学校文化で育ってきた子どもたちは、
「わからないことは恥ずべきこと」
という意識を抱いています。
そして、学年が上がれば上がるほど、それを知られないようにふるまいまい、そうして子どもはますますわからなくなっていくのです。
ところが、
「わからないこと、困っていることは宝物。それをみんなで考えよう」
と持ちかける教師がいて、
「ここがわからないんだね」「こういうふうに考えたんだね」
と、わからなさに寄り添ってともに考えてくれる仲間がいればどうでしょうか。どれだけ安心して学べるでしょうか。

そして、わからなさを契機とする学びの森の面白さをどれだけ実感できるでしょうか。
つまり、豊かな学びは、わからなさと間違いを大切にする教師と、仲間のわからなさ・間違いに寄り添って考えようとする学び合える仲間がいて可能になるのです(「学びのたより」2009.1月号参照)。
そう考えると、
「間違いでもいいから発表しよう。わからないことがあったら『わからない』と言いましょう」
どと子どもに促すことよりも、どんな考えでもその子どもの考えに寄り添って聴ける子どもの耳を育てることのほうがずっと大切です。
つまり、聴ける子ども、聴き合える子どもたちにすることが、もっとも大切なことなのです。
それが、学びのいしずえなのですから。

2.聴く空気感を生み出す

当たり前のことですが、子どもたちの中に
「聴きたい」「聴かなければ」
という空気感が生まれたらもう大丈夫です。
では、どうすればその空気感が生まれるかということですが、それは、どれだけ口すっぱく子どもたちに言い聞かせてもおそらくだめでしょう。
教師に言われたからそういう格好だけするということになる危険性があります。そうではなく、わたしが言う空気感は、子どもの内から出てくるものでなければなりません。
それができるのは子どもの心を動かせる教師なのでしょう。
子どもが
「聴きたい」「聴かなければ」
という思いを抱くようになるには、まず、自分が聴くより前に、自分の言葉をていねいに温かく聴いてもらえたという体験が必要になります。
聴いてもらってうれしかったという喜びが子どもの心を動かし、聴くことに対する価値観が生まれるからです。

だとすると、教師の聴き方がとても重要になります。
子どもに「聴きなさい」とお説教がましく注意はするが、子どもの話は本気できいていないというのでは、聴く価値観など子どもに伝えられるはずがありません。
教師がどれだけ子どもの声を聴こうとしているか、そこに最大のポイントがあるのです。
聴くという行為は、自分の思惑、自分の考え方に合わせるということよりも、相手の言いたいことを尊重して受け取るということです。
教師はこれがなかなかできません。子どもの側に立って、子どもの土俵に乗って聴くのではなく、こう指導しなくては、こうわからせなければとつい考えてしまうからです。
もちろん人間的に許せない間違った考えもすべて鵜呑みにする聴き方をしていてよいと言っているのではありません。
けれども、子どもの訴えたいことを汲み取る聴き方は欠かせないことです。
しかし、そういう聴き方は、心がけてさえいればできるというものでもありません。
音声化され耳に入ってくる言葉は、その子どもの言いたいことのすべてをわかりやすく表しているわけではないからです。
いえ、むしろ音声化されないものの中にその子の言いたいことが潜んでいることのほうが多いのです。
だとすると、聴こえる声の向こうにあるものを聴こうとする類推力・察知力が必要になります。
大人でもそうですが、自分がもっとも訴えたいこと、知ってもらいたいことを聴いてもらえるということほどうれしいことはありません。
そういう教師の子どもたちへの対応が繰り返し実行されると、自然と子どもの心は安定しおだやかになります。
安心感が生まれるからです。
もちろん教師に対する信頼感もはぐくまれます。
するとそのうち子どもたちは気がつきます。
聴いてもらってうれしいのは自分だけでないことを。
つまり、教室中のどの子どもの言葉もみんなそのように聴いてもらっているということへの気づきです。

そう気づいた子どもたちは、仲間たちの話を真剣に聴く教師の邪魔になるようなことはしないものです。
それは、どの子どもの話もみんな等しく大切なのだとわかっていて、どの子どもの話も尊重して受けとめなければならないという価値観が育つからです。
もちろん、もし、おしゃべりしている子どもがいたらそれをたしなめ、聴こうとしていない子どもがいたらその傍らに行っていっしょに聴くようにしなければなりません。
そこでは教師のぶれない態度がとても大切です。
ある意味、厳格でなければなりません。
「○○さんのお話、この教室のみんなで聴かなきゃ。」
「○○さんが言いたいこと、どういうことなのか、先生もみんなもしっかり受けとめようよ。」
「友達の話をよく聴くと、いろんなことがわかってくるね。」
「先生にもみんなにも、こんなにしっかり聴いてもらうと、うれしいね。」

などという言葉を積極的に投げかけることも必要かもしれません。
教室中のみんなでどの子どもの話も大切に聴くというすがたをなんとしてもつくり出さなければいけないからです。
ただ、その際忘れてはならないのは、それは、ただおとなしく聴いていればよいという形式的なことを要求してはならないということです。
それには、教師が率先して一人ひとりの話を大切に受けとめることです。
一人ひとりの考えのよさや特長を聴き取り授業で生きるようにしたり、困惑する子どものわからなさやつまずきに温かく対応したりすることです。

3.つながりをつくる

子どもが発言すると、その一つひとつに何らかの言葉を発したくなるのが教師です。
そのほとんどは子どもの発言の繰り返しですが、そこに共感的な感情が入っていると、発言した子どもはうれしくなるし、その発言内容が他の子どもによりしっかりと伝わるということがあります。
話す力は聴いてもらうことで育つのですから、この共感的な受けとめは大切です。
けれども、いつまでも子どもの発言の繰り返し(リボイス)を続けることは避けたほうがいいです。
それは、子どもの考えと考えの「つながり」をつくりだしたいからです。
教師がいちいち子どもの発言に口を挟んでいたのでは、直接的な子どものつながりは生まれません。
それどころか、つながりを切ってしまうことにもなりかねません。
では、どういう対応がよいのでしょうか。
多くの子どもに発言しようという機運がようやくにして生まれてきたとしたら、それまでの教師のリボイスを少しずつ控え、
「今の考え、もう一度だれか言ってくれる」
「その考え、どう思う?」
「同じように考えた人がいたら、その考えきかせてほしいな」
「そこのところで、ちょっとちがうこと考えた人がいたら、それはどんな考えかきかせてほしいな」

などと、他の子どもの発言を求める対応を増やすのです。
もちろんこれは非効率的になる可能性があります。
教師の反応によって進める場合は、学ばせたいことにあわせてうまく取捨選択したり焦点の当て方を工夫したりできますが、子どもの反応を引き出しそのかかわりから学びの方向をさぐるとなると、複雑になり、思うようにいかなくなる可能性があるからです。
しかし、それを避けていたのでは、子どもたちの学び合いの力は育ちませんし、ひいては、探求する学び方を身に付けることもできません。
最初は、あっちに行ったりこっちに行ったりするかもしれませんが、それは教師のかかわりで乗り切り、子どもと子どもがつなげる対応をていねいにすることがどうしても必要なのです。
こうしてお互いの話を「聴く」という態度が根付いてくると、子どもたちの中に友達の考えに対するなんらかの反応が見られるようになります。
だれかの言うことににこっとしたり、ふっと考えこんだり、思わずつぶやいたり、続けて言いたいことが浮かんで挙手してきたりと、反応の仕方は様々ですが、そういう態度が見られるようになるのです。
そうなってきたら、その子どもの反応を受けとめ、みんなで聴くのです。
ひょっとすると、その反応に対する反応もまた出てくるでしょう。
こうして、子どもの考えは次々とつながり、そこに考えの連鎖による学び合いの面白さが姿を現します。
そのとき、子どもたちは、つながる愉しさを実感し、教師は一問一答式授業から脱却できるのです。
これまで「聞くこと」の指導というと、
「話し手の顔を見て聞きなさい」
「黙って聞きなさい」
「手を膝の上に置いて聞きなさい」
などという外見的なことになっていたきらいがあります。
机の並べ方をコの字にするのもそれだけだとそれは外見的なものでしかありません。
「自分の考えと比べて聞きなさい」
という内容に触れたものもありましたが、それもスローガン的なものでした。
わたしは、こういう指導が無意味だとは思いません。
けれども、「聴きたい」「聴かなければ」という思いがないカタチだけのものでは、「聴く」面白さは実感できませんし、聴いたことに対する反応がないのでは、「聴き合い」も「学び合い」も生まれません。
そう考えると、ここまでに述べてきたような教師の対応がどれだけ大切か理解できるでしょう。
繰り返しましょう。
教師の聴く耳とつなぐかかわりこそが子どもの「聴き合い学び合う」姿を生み出すのです。
新しい学級が動き出す四月の一ヶ月が、それを左右します。
先生方、それを自覚して新しい年度をスタートさせてください。


以上ですが、私はさらに石井先生の次の文章にも共感しました。


学び合いは、よい発言の取り上げより
    意外な考えへの寄り添いから
石井順治氏の文章より


ある学校で、子どもと子どもが学び合う素敵な算数の授業を参観した。一つの文章題の解法をめぐって、子どもたちが入れ替わり立ち替わりして考えを出し合う、それは、学び合う学びにふさわしい授業だった。
教師が提示した問題は、次のようなものだった。 先生が手を伸ばしたときの
高さは270cmで、ひろし君の身長の3倍です。ひろし君の身長は、ゆかちゃんの
身長の2倍です。ゆかちゃんの身長は何cmですか。
ひとり学びとそれを受けてのペアの時間を終えて、クラス全員で考え合う場面になった。
一人の子どもが、270÷3=90 90÷2=45 という解き方を、前に出てきて明快に説明したかと思うと、先生、ひろし君、ゆかちゃんの3本の線分図を描いて説明する子どももいて、それをすべての子どもが熱心に見つめるという、内容といい雰囲気といい素晴らしいものであった。
そのときだった。ある子どもが、次のような式を黒板に書いたのである。
270÷(3+2)=45
これは、明らかに間違いである。しかし、この瞬間、私はこの授業に本当の「学び合う学び」が生まれると直感した。算数の授業では、この種の間違いが出たときこそ学びを深める学び合いが誕生することをこれまで何度も目にしていたからである。


4年ほど前のことである。6年生の子どもが次のような問題に挑戦していた。
2ℓのジュースを6人で13/8ℓのみました。その後、正子さんが1/6ℓのみました。
残りのジュースは何ℓですか。
この問題には4つの数字が出てきて残ったジュースの量を尋ねているのだが、それを求めるのに、1つの数字、「6人」の「6」が使わない数字となっている。この必要のない数字が算数の苦手な子どもを惑わせる。
一人の子どもが次のようなことを言い出した。
「間違っているかもしれないけど、2×6で、その答えが出て、2かける6をしたその答えから、13/8ℓ+1/6ℓ を引く」
この子どもが実行した2×6を間違いとして正しい考えに水を向けるのは簡単なことである。しかし、教師はそうはしなかった。「Aさんは『間違っているかもしれないけど』と言っていましたね。・・・どう考えたらいい?」
子どもたちが、語り始める。
「Aちゃんは、2×6と言ったんだけど、2ℓのジュースを6人で飲んだんだから、6をかけるというのは・・・一人ひとりが13/8ℓ飲んだことになるから・・・それだと、一人ずつということになっちゃう。Aちゃんは、『ずつ』と考えたから2×6にしたので、それだと12ℓになるから・・・」
「僕も、最初にジュースを6人で2ℓずつ飲んだというのが2×6だと思う」
子どもたちは、×6にするということは2ℓのジュースを6本飲むことになると言っているのである。もっともなことである。しかし、A子は怪訝な顔をしているだけである。
ここで教師が口を開いた。「Aさんの頭の中にはペットボトルが何本あるの」と。A子は躊躇なく答える。「6本」と。そのとき、一人の子どもがこう語ったのである。
「Aさんは、2ℓのジュースを、1人が2ℓ飲んで、6人で合わせて12ℓと思っていて、うちらは、2ℓのペットボトルが1本だけあって、それを6人で分けた」
すると、それを受けて別の子どもが、黒板にペットボトルの絵を描いて、6本ペットボトルがある場合と1本しかない場合の違いを説明したのだ。すると、それをじっと聴いていたA子が突然「分かった!」と叫んだのである。
ここで繰り広げられてるのは、一人の子どもの「分からなさ」を大切に、それにクラスのみんなで対応しているすがたで最初子どもたちはA子の考えが間違っていることを気づかせようとしている。しかしそれはA子に伝わらない。A子にとってはそれが正しいと思って考えたことだから、いきなりそうじゃないと矢継ぎ早に言われてもついていけないのだ。それで、教師は、2×6の間違いに気づかせようとするよりも、2×6と考えたA子の考え方はどういうものなのか明らかにして、その上で考えを深めようとしたのである 。


つまり、A子の考えに寄り添おうとしているのである。私は、ここにこそ「学び合う学び」の真のすがたがあると思っている。それは、学び合いには、正しさに導くことの前に、間違いへの寄り添いがなければならないと思うからである。
一般に、「学び合い」というと、よい考えを出し合って、その連続からどう学びを深めるかと考えがちである。しかし、それでは、クラス全員の学びを実現することは難しい。たいていの場合、そうすればそうするほど、一部の子どもの発言で進められていく傾向が強くなるからである。つまり、2×6のような考えは子どもの中に埋没し、そのようにしか考えられなかった子どもはみんなの学び合いについていけなくなるのである。


もう一つの事例。それは、2年生の教室で偶然目にしたものである。
私が教室に入ると、黒板に45∸18という問題が書かれていた。一人 の子どもが教師の指名を受けて前に出ると、黒板に下のような筆算 を書き、
「十の位の4から1を引いて3でしょ。一の位の8から5引いて3でしょ。だから、答えは33」  と説明した。引く数、引かれる数の関係なく、大きい数から小さい数を引くというこの子のやり方は、繰り下がりを学習していない子どもが陥りやすい間違いである。
こういうときに、教えることを急ぐ教師だとあわててその間違いを正そうとするのだが、この教師の対応はまったく異なるものだった。「どう?」と他の子どもたちに問いかけたからである。すると、複数の子どもから「いいです」という返事が返ってきた。同じ間違いをした子どもがほかにもいるのである。それでもこの教師はあわてない。「もう一人、Bさんがタイルを使って考えていたので、どうやって考えたのかBさんにお話してもらいましょう」と別の子どもを指名したのである。ところが、この子どもも答えを33にしてしまう。最初に置いた十の棒タイル4本から1本取った後、1の位に置いたバラタイル5個から2個だけ取って残りのバラタイルを3個にしたからである。どうやら答えの33先にありきという感じである。事態はますますよくない方向に向かっているのだがそれでも教師はあわてない。おだやかな表情で子どもたちをながめている。
すると、後ろの席の子どもから「先生! Bさん、18引いていないんじゃない?」という声が出たのである。教師は驚いたような表情で次のように反応する。「へえーっ、そうかなぁ。Bさん、手の中のタイルをみんなに見せてあげて、18引いてあるかどうか」こうして、Bさんの手のひらにあるタイルが十の棒タイル1本と一のバラタイル2個だったことが確認される。その途端、何人もの子どもの声が溢れ出した。「じゃあ、答えの33は間違っている!」と。
それではというわけで、教師は、子どもたち全員にタイルを置いて考えるように指示する。そして、バラタイル5個からはどうしても8引けないという現実に直面させたのである。結末は感動的である。一人の子どもが十の棒タイル1本を頭の上にあげて、「先生! この棒タイル、両替してください」と叫び、学級中の子どもたちが「私も」「私も」と言い出したのである。それは、子どもたちが繰り下がりの原理を発見した瞬間であった。
ここでも、「学び合う学び」は、よい考えの取り上げからではなく、意外な考えへの寄り添いから誕生するということが実現している。いや、間違いをすぐに正そうとせず、間違いに寄り添ったからこそ学びが深まったと言える。子どもたちは、引く数から引かれる数を引いてはならないことも、引けない時はその上の位から繰り下げて(子どもの言葉で言えば「両替して」)引くのだということも、教えられたからではなく、自ら発見したのである。その契機は一つの「間違い」だったということが大切である。


さて、270÷(3+2)=45という考えが出た授業に戻ることにしよう。
この考えは、多くの子どもにとっては意外なものだったようである。しかし、それは間違いであるとか、その考えに反対だといった声がすぐに出ないのがこのクラスのよさである。一人の子どもが、「B君。それ、計算してみたら」と、その考えを出した子どもに語りかけた。それは、そうすれば「45」という答えにはならず、間違いにB君自身で気づくことができるだろうという配慮のように感じられた。しかし、他の子どもたちはB君がその計算をするのを待てなかった。別の子どもが「足すんじゃなくて、3と2を掛けるの」と言ってしまったからである。分かっている子どもは、どうしても「正しさ」のほうに走ろうとする。「間違い」が出ると、その間違いを正そうとする。一生懸命になればなるほどそうなってしまう。それはある程度仕方のないことである。けれども、その流れで授業を進めてしまうと、「間違い」をした子どもの間違いの真実が見えなくなってしまう。実は、そこにこそ「学び合う学び」の真髄があるというのに。それは、私が目にした二つの授業の事実が示している通りである。


だとすると、教師は、正しさに走ろうとする子どもたちにストップをかけ、その「間違い」に寄り添うことによって「学び合い」を生み出さなくてはいけない。270÷(3+2)とした子どもがどう考えて3+2としたのかからまず考えてみようというように。                                                                 
ひろし君の3倍がお父さん、ゆかちゃんの2倍がひろし君。そしたら、ゆかちゃんからするとお父さんはその倍数を合わせた大きさになる。だから、3倍と2倍を合わせよう(足そう)と考えたのではないだろうか。そう考えると、話の辻褄は一応合う。つまり、これは子どもたちがよく陥る間違いなのである。ひょっとすると、同じ間違いをしていた子どもがほかにもいた可能性もある。
ここで、教師に、何倍かしたものをさらに何倍かするということがどういうことなのか、子どもたちにじっくり考えさせようという発想があるかどうかである。つまり、はやく正解に行き着かせることよりも、時間はかかっても学びを深めることを尊重する心境に立つことができるかどうかである。
この授業の授業者には特にそういうことはなかったけれど、一般に、教師はいっときもはやく理解させよう、出来るようにしようと考えがちである。その気持ちは、私も授業者であっただけに痛いほど分かる。しかし、学ぼうとする子ども、学び合おうとする子どもを育てるためには、また、分かることよりもそこに至る過程を大切にしたいのなら、理解させることよりも、学びを生み出すことのほうが重要である。それには、いわゆる正解、正しいと思われる考えばかりを取り上げるよりも、意外な考えや間違いに寄り添うことのほうが大切である。そうでないと、いつの間にか、正解正解のオンパレードで、少しも学びがない退屈な授業になってしまうからである。
間違いに寄り添うということは、学力の低い子どもの学びを大切にするということもあるけれど、それは決してそういった子どもだけのためではない。この3つの事例をよく吟味してもらえば分かると思うが、それは、すべての子どもの学びを深めるために必要なことなのである。すべての子どもの「学び合い」を生み出すために必要なことなのである。                                                              
授業後、私は、その授業がどれだけよかったかを熱っぽく授業者に語った。その上で、270÷(3+2)の考えの扱いについて私の考えを伝えたのだった。授業者の教師は、その私の考えをじっくりと聴いてくれて、最後にきっぱりと、「明日、石井先生のおっしゃったように、270÷(3+2)という考えをもう一度取り上げて、その考えに寄り添ってみんなで考えてみます」 と、言ってくれたのだった。その瞬間、私の胸の中にさわやかな一陣の風が吹いたような気がしたのだった。


以上、私が共感した石井先生の文章でした。その石井先生が「東海国語教育を学ぶ会」HPの「学びのたより」2012年10月6日号の7ページから10ページにかけて、【「ケア」の心が授業づくりの基盤】を、わかりやすく書いておられます。これなくしては、「協同的な学び」の「グループ学習」も「ジャンプのある課題」も「つなぐ・交わる・戻す」も形だけに終わり、失敗に帰することが、よーくわかります。私もそうですが、授業づくり・学級づくりがなかなか思うように深まらない理由を知りたい先生方は、直接「学びのたより」10月号(P7~10)を読まれること、オススメします。


「学びの共同体」の源流:石井順治先生との出会い


先日、ゼミの後輩(名古屋の小学校に勤務)から暑中見舞いのハガキが来ました。そこには、今年も石井順治先生がリードする東海国語教育を学ぶ会の授業づくり・学校づくりセミナー(夏)に参加したと書いてありました。(ずうっと、がんばってはるんやなぁと頭の下がる思い)。私は石井先生とは年賀状の交換をするだけになっていましたが。


学生時代、現場(保幼小)の先生との出会いは貴重な財産になります。私が大学3年の冬(昭和57年2月7,8,9日)に、所属ゼミのJ先生のお誘いにより、三重県四日市市立泊山小学校を、J先生と学生8名で訪問しました。


その3日間、泊山小学校5年B組担任の石井順治先生のお世話になったことは、小学校教員として取り組みたいことの「最初の1歩」と、自分が歩むべきベクトルを決める幸運に恵まれたと言っても過言ではありません。私たち学生を石井先生に出会わせてくださった、J先生の眼力には敬服しつつ、今でも感謝しております。受け入れてくださった石井先生にも感謝です。


当時(昭和57年)の日程(三重県四日市市立泊山小学校訪問)                                                             
2月7日(日)
夕食後、石井先生と詩教材「冬の夜道」の教材解釈と指導研究。                


2月8日(月)
2校時【1年B組】校内研(全体研)の事前授業「たぬきの糸車」参観。                                                       
3校時【5年B組】体育館で子どもたちと仲よくなるゲームをした後、合唱&表現「利根川」の参観・ビデオ撮り。                                           
4校時【5年B組】社会科で、私たち学生の郷土をそれぞれ紹介。
5校時【5年B組】詩の授業「冬の夜道」の参観・ビデオ撮り。
6校時【5年B組】詩の授業が少し延長。残りの時間で社会科の続き。


2月9日(火)
1校時【2年A組】学年研「かさこじぞう」の参観。
2校時【1年B組】全体研「たぬきの糸車」の参観。
3校時【3年C組】学年研「手ぶくろを買いに」の参観。 
4校時【5年B組】詩の授業「桃子」の参観・ビデオ撮り。
午 後:校内研・全体協議会に参加。


「利根川」は、全身に鳥肌が立ちました。それほど感動しました。私は、子どもの合唱で、心も全身も震えたのは、この時が生まれて初めてでした。(翌年、泊山小で再び体験しますが)


詩「桃子」の授業は、子どもたちが「もう一度、自分たちの授業を見てほしい」と石井先生に訴えたことによる、子どもたちの自主的な集中力を肌で感じた、ぶっつけ本番授業でした。


昭和57年当時では珍しい「授業撮り」をさせてもらったビデオ機材は、今みたいに軽くはなく、テレビ局のカメラみたいに大きくて、ズッシリと肩に食い込む重さでしたが、交替でビデオを撮っている時も、重さを忘れてしまうほどの授業であり、合唱でした。


他学年(1年・2年・3年)の、どの授業も、実にやわらかな先生方の語りかけ(表情・まなざし)によって、低学年・下学年なのに、子どもたちの聴き合うつながりができているのに、驚かされました。


5Bでは、石井先生と子どもたちによって、授業が深まっていくさまを目の当たりにしました。石井先生はあれほど深く追究しておられた教材解釈を、授業が始まると惜しげもなく捨て去り、子どもの発言をつなぎ、子どもと教材をつなぎ、うまく言い表せませんが、子ども1人ひとりの存在そのものをまるごと、クラスのみんなにつなげていかれました。


(その土台には、子ども全員の日記に石井先生が毎日、夜なべで返事を書き、それを元にした学級通信【これを石井先生が書くのも夜なべで、日記中心の1枚文集。2枚、3枚の日もあり。学期ごとに1冊の学級文集に製本、年間3冊】を読み合うことの積み重ねがありました。話下手な私には、子どもとつながるためには日記・通信しかないと確信し、昭和59年から日記と学級通信を開始、担任をしない年は職員室だより?を発行、今は、教え子との手紙・Eメール・携帯メールと、このブログ&ウェブページです)。それでは、石井先生の授業に戻ります。


「Aくんの言ったこと、だれか、もう一度言って」
「Bさんの言いたいことの続きを言える人いる?」
という、石井先生の、しなやかなつなぎによって、切り捨てられる意見は全くなく、そのことで、教室にはしっとりとした温かい空気・雰囲気が生まれていました。教師が飛びつきたくなるような発言ではなく、私なら、すっと流してしまいそうな発言を即座に、みんなにつなげていかれました。とりわけ、黙っているけど表情が一瞬フッと変わった子どもも見逃さず、
「何か言いたいことありそうやね」と石井先生が声をかけると、その子は、はにかみながら自分の考えをたどたどしく、でも、うれしそうに語るのでした。


教室の中にさわやかな風が吹き抜ける瞬間でした。この事実をはじめとして、まさに感動の連続でした。


このように、中身が原液のように濃い3日間でしたので、ゼミ論も原稿用紙(400字)で50枚を一気に書き上げることができました。(そのゼミ論を読み返しながら、今、このブログを書いています)


そして、翌年(昭和58年2月)、J先生と石井先生との合意で、大学4年の私たちは、J先生と共に、3年をともなって、再び泊山小学校を訪れました。今度は、事前に準備(教材研究)をして、私たち学生の代表が、石井先生の6年B組で詩の授業をさせてもらいました。


6年B組の子どもたちには、前年より深化した声と全身での表現「利根川」を見せてもらいました。さらに、6年A組のオペレッタ「手ぶくろを買いに」、6年C組のオペレッタ「子どもの四季」、6年全体の合唱「荒城の月」など3曲を見せて(聞かせて)もらいました。いずれも、ズズーンと圧倒されました。「子どもの四季」の詳しい内容は、2013年4~5月頃のブログ記事で紹介したいと思っています。


私は6年C組の岩脇先生に「荒城の月」で、合唱指揮の基本のレッスンをしてもらいました。 歌詞のイメージを全身で表現するかのような岩脇先生の指揮法、私は実力も伴わないにもかかわらず、すっかりあこがれてしまいました。(そして、昭和59年から、自分でも合唱指揮?を始めました、よたよたとしながら)


さらに、その翌年、私が臨時講師(採用試験に不合格)の冬、『国語教育を学ぶ会』の研究会(1泊2日:三重県湯ノ山温泉)に自費で参加しました。たいていは同じ職場のグループ参加の先生方がほとんどでした。


1人ぼっちで参加の私は、ラッキーなことに、石井先生と、佐藤学先生(当時は三重大学助手、今は東京大学教授で「学びの共同体」の推進力)と、中村先生(名古屋の小学校の先生で、この方も尊敬する先生のお一人です)と同部屋にしてもらいました。その夜、厚かましくも、部屋に戻った佐藤学先生・中村先生・石井先生と4人で、最初で最後の熱い議論をさせてもらえました。新米の臨時講師であるにもかかわらず、私のクラスの子どもの話に3人とも本気で耳を傾けてくださり、佐藤先生から子どもを尊重するコメントもいただいて、うれしく思いました。これこそ、私にとって、まさに「一期一会」でした。


さらに、その後の『国語教育を学ぶ会』の全国研究会(夏)では、佐藤学先生や、稲垣忠彦先生や、演出家の竹内俊晴さんや、詩人の谷川俊太郎さんなど、講義・演習の講師からも、毎年、学ぶところ満載の研究会でした(自費で参加した価値は充分ありました)。その後、名古屋の中村先生が勤務しておられる小学校の公開授業研にも参加させてもらいました。中村先生のクラスの子らも(もちろん授業も)、ステキな子どもたちでした。


こうして、ゼミのJ先生の粋なはからいで、学生時代にカルチャーショックのような貴重な体験をさせてもらったおかげで、一応「引き出しが多いね」と言ってもらえるようになれました。私の最初の勤務校には「国語教育を学ぶ会」「仮説実験授業の会」「作文の会」「学校体育研究同志会」など様々なサークルに入っている若手教師が多かったこともあり、授業研以外にも、互いの授業を見せ合っていました。昭和の終わり頃、そんな進取の気風があふれていました。


その頃、豊郷小では、「国語教育を学ぶ会」の自主的な公開授業研がありました。石井先生や、佐藤学先生は、助言者として来ておられました。私も隣の小学校にいましたから、参加しました。東京大学の稲垣忠彦先生も、自ら滋賀大学に転任してこられました。滋賀県には、そういう「学びの共同体」の源流があるのです。


私は、当時としては、ちょこっとだけ入り口を学んだ端くれだったのでしょうが、今でも、それを自分の拠り所にしていたら、浦島太郎になってしまいます。ですから、聴き合うことの喜びを大事にすることで、伝え合うことの喜びも分かち合う「協同的な学び」「聴き合う学び」について、今から少しでも学んでみたいと思っています。石井順治先生も、佐藤学先生も、スーパーバイザーとして全国の学校へ行っておられます。


石井先生ご自身が若い頃、群馬県の島小学校・境小学校の校長をされていた斉藤喜博先生を囲む月例会に、参加されていたと聞きました。新幹線のない時代です。そこには、神戸や滋賀の教師も参加していたそうです。その後、三重の石井先生や、神戸や滋賀の教師たちが「教授学研究の会」を土台に「国語教育を学ぶ会」へと発展させ、それが、今の「学びの共同体:協同的な学び」に脈々と受け継がれているのではないでしょうか。


関連ページ


「協同的な学び合い(聴き合う学び)」⑤『教師の話し方・聴き方:ことばが届く、つながりが生まれる』(石井順治氏の基本「ケア」の心)

http://sg2takaboo.exblog.jp/24898388/




by takaboo-54p125 | 2010-08-02 13:24 | 保育・教育

私は石井先生の次の文章に共感しました。


授業研究は事前計画重視型か反省的実践型か
               石井順治氏の文章より

1.授業研究の一般的なスタイル
皆さんは、授業を公開し合う授業研究をどのように実施しておられますか。
学校内で校内研修として行う場合は、学校全体の研修計画に基づき、学年部内で、いつ、だれが、どの教科で行うかを決めるのが通例でしょう。各教師は、その計画にのっとって、では、教材としてどのようなものを取り上げようかと考えることになります。いわゆる教材選びです。教材が決まれば、その教材の内容をとらえるため普段以上の教材研究をすることとなります。
教材選びおよび教材研究は重要です。そこでは、専門的な知識がものをいうとともに、クラスの子どもたちをどうとらえているか、自らの授業者としての課題をどう認識しているかも問われることになります。


教材が決まると、当然、どのような手順でどのような方法で授業を進行させるかを考えることになります。そこでは、その教材で授業する全時間の授業案を先行させながら、1時間1時間の進め方も考えることになります。もちろんここでも、教材研究で得たもの、子どもたちのこと、授業者としての課題が大きく影響してきます。こうして学習指導案が出来上がっていきます。
そして、いよいよその教材による授業に入ります。子どもたちに対するいわゆる指導が始まるわけです。すると、実際にその教材に向き合った子どもたちの反応が出てきますから、それまでに考えていたものがどうだったかという見直しが可能になります。こうしたことを考慮に入れて、研究授業の本時案が固まっていくことになります。


以上が、公開する研究授業までに行う活動です。私たち教師は、これらの活動に結構な日数と時間をかけているのではないでしょうか。そして、授業研究に熱心な学校ほどこの営みでの共同の取り組みが活発です。教材選びでそれぞれが選びたいものを出し合ったり、決定した教材について何度も部会を開いて語り合ったり、授業のやり方について検討したり、時には、子どもに取り組ませる学習活動や教師が繰り出す発問についても話し合います。                                                              その経過において、同学年の他の学級で一度やってみるという「先行授業」なるものが実施されることもあるようです。こうして公開授業を迎えるということになります。


もちろん授業研究はこれで終わりではありません。通常、参観した教師たちによる授業検討の協議会が公開授業後に開かれます。そこで、授業前に考えていたことがどうだったか、授業者の授業の進め方、子どもへの対応がどうだったか、それらが子細に検討されることになります。もちろん協議の内容・密度は、その学校または研究会によって異なることは言わずもがなです。こうして、協議会は授業を実施したその日のうちに行われ、一連の授業研究は幕を閉じることになります。


これが、私たちが行っている一般的な授業研究のスタイルなのではないでしょうか。おそらく、細かいところでは様々な違いがあるでしょうし、ここで説明した以外の事柄が入ることもあるでしょうが、わが国の学校で行っている授業研究なるものは大体このようなことだと思います。わが国の教師は、このような授業研究によって、教師としての専門性、力量を養おうとしてきたと言えます。


2.事前計画重視型授業研究の持つ危険性
こうして考えてみると、私たちの授業研究は、公開する授業の事前に行うもののほうが、量的にも中身的にも圧倒的に手厚くなっているということがわかります。実際の授業をどうするかがもっとも大切なのですから、それは当然と言えば当然なのかもしれません。だれもが万全の準備と研究をして授業を実施したいのです。ですから、ほとんどの教師は、こうした取り組みのスタイルに疑問を抱いたことはなかったでしょう。けれども、大なり小なり、こうして実施された研究授業がそれほど子どもたちの生き生きと学ぶ授業にならなかったという事例を、皆さん自身経験されたり目にされたりしてきたのではないでしょうか。それはどうしてでしょうか。事前研究が足りなかったのでしょうか。そういうこともあるかもしれませんが、どうもそれだけではなさそうです。そこには、事前計画重視型授業研究の危険性が潜んでいるのです。


なぜ私たちは、事前にそれほどまでの時間とエネルギーをかけるのでしょうか。そこには、「よい授業をしたい」という思いが大きく存在しているように思われます。授業には教師の力量が否応なく表れるわけですから、教師であればだれでも「よい授業をしたい」と思うに決まっています。その気持ちを否定することはできません。


けれども、そこに大きな落とし穴があるのです。事前にエネルギーを注げば注ぐほど、研究すればするほど、学ぶのは子ども、考えるのは子ども、発見するのは子どもという大原則を忘れがちになるからです。


もちろん指導案を作成する時に、子どもの動きや考えを予想するでしょう。けれども、それはあくまで予想であって、実際に授業をすれば思いがけない子どもの考えが出てきたり、すっとわかると思っていたことがそうでなかったりといったことは日常茶飯事なのではないでしょうか。そのとき目の前にいる子どもの事実に応じて、その場で学びを探り生み出していってこそ、子どもの学びを深めることができるのですが、事前計画に縛られている教師にそういう対応はできっこありません。こうして、教師は、子どもを置き去りにして、自分が計画した道筋に無理に子どもを押し込め、それについてくることのできる子どもを頼りになんとかかんとか進めていくということになるのです。そういう授業はなんとも後味の悪いものになりますが、事前計画を念入りに行ったときにそのようなことになったという経験がかなり多いのではないでしょうか。こんなこともありました。その日、経験の浅い一人の教師の授業がその学校の研究会として実施されました。授業後の協議会で、その授業のある部分が話題になりました。


同僚の教師たちから、そこで子どもの興味が失われたのではないか、そのときの子どもの考えを無視してそれとは異なる方向に無理に教師が舵を切ってしまったのではないかといった発言が相次ぎました。それはかなり直截な指摘でした。それを聞く授業者の教師はどんな気持ちだろうとそっとそちらに目をやると、意外にも平然としているのです。ところが、授業者の横に座っている同学年の年配の教師の顔色がみるみる険しくなっていったのです。わたしは、それを見て察知しました。この部分をこのように進めてはと教えたのはこの教師であり、経験の浅い授業者はそのアドバイスに言われるままに従ったのだと。


同僚の教師たちが若い教師の授業づくりを支えようとするのはよいことにちがいありません。けれども、それは決してこういうことではないのです。授業は子どもの学びを子どもの状況や考えに応じてはぐくむもので、その子どもに向き合わない別の教師のプランに嵌めこむものではないのです。子どもの事実に向き合えないこういう悪弊を若い教師に伝えてはなりません。
それでは別のクラスで授業をしてみる先行授業は、子どもの状況を確かめるわけですから、よい事前研究だと考えてよいでしょうか。私の答えはノーです。子どもの状況とは言ってもそれは別のクラスの子どもです。そのクラスの子どもの反応が、該当のクラスの子どもの反応と同じになるという証は何もないのです。私の知る限り、別のクラスで先行授業をしたばかりに、その結果に縛られて、自分のクラスの子どもの状況に柔軟に対応できなかったという事例が結構あるのです。


つまり事前の研究が、授業という営みを固定的な型に嵌めてしまっているのです。これでは、授業その時間の子どもの事実を受け止め、その事実の中から学びを生み出すことなどできるわけがありません。にもかかわらず、私たちはどうしてこんなにも事前計画に熱心なのかというと、それは先にも述べたように「よい授業」を実現したいにほかならないのです。しかしそれではどうやら、子どもにではなく教師にとって「よい授業」になりがちだということに気が付くでしょう。これは事前計画重視型授業研究のもっとも危険なところなのです。


誤解のないようにここで申し上げておきますが、わたしは、事前に研究することがすべてよくないと言っているのではないのです。やるべきことは当然しなければならないのです。特に、テキストに関する研究は限りなく大切です。けれども、学びは子どもの事実に応じて子どもとともに生み出すものですから、それは事前計画でいくら力を入れて時間をかけても学ぶことができないのです。そこから、事前計画重視型ではない反省的実践型授業研究の大切さが浮かびあがってきます。


3.反省的実践型授業研究の意義
私は、教師としての専門性にはいくつも大切なものがあるけれど、中でも重要なのは、「応答性・関係性」であると考えています。それは、授業とは教師の思惑だけで一方的にできるものではないからです。もっと言えば、学びとは、テキストや課題に対する子どもの考えをもとに、子ども相互の学び合いによる追求と発見によって行うものだと考えていますから、それには、子どもと子どもの応答性・関係性を育てることはもちろん、 その子どもにかかわる教師には子ども以上の応答性・関係性が求められます。子どもがどう考えているのか、その考えにどういう学びが潜んでいるのか、テキストとどうつながっているのか、子どもと子どものつながりはどうなのか、どの考えと考えからどのような発展が可能なのか、そういう関係性をとらえ、子どもやテキストと応答していくことが限りなく大切だからです。


そう考えていますから、私たち教師の授業研究は、その「応答性・関係性」を磨くためのものでありたいのです。そういう力をはぐくむことで、子どもの学びを深め発展させ、子どもたちに学ぶ喜びをもたらすことになると思うからです。それには、授業研究のあり方をどう変えればよいのでしょうか。それは、事前計画重視型から反省的実践型に変えることです。


授業における「応答性・関係性」は、授業という実際の場で発揮されなければなりません。しかも、そのほとんどは子どもの出方次第です。予測はしていても、そのとき子どもがどう出てくるか、どんな状況になるか、どのような考えを生み出すか、それは、リアルタイムのそのときでなければわからないことです。私たちは、そういったものを瞬間的にとらえ、とっさに対応していかなければならないのです。そうして子どもと子どもの関係を築き、テキストとつなぎ、その場で子どもとともに学びを生み出していかなければなりません。それこそが教師の専門性の最たるものだと思います。


その力は、どれだけ事前に研究を積み重ねても、どれだけ文献を読んでも、どれだけ他の教師の授業を参観しても、それだけでは生まれないものです。必要なのは、自分の授業を振り返ることです。自分の授業のどこに子どもの学びが生まれているか、どこに子どもと子どものつながりがあるか、どこで学びが滞っているか、自分のどういうかかわりが子どものつながりを切っているか、そういう具体的な事実をきちっと見直すことです。そういう経験を何度も何度も積み重ねることです。それが「反省的実践型」です。


そう考えると、大切なのは、事前ではなく事後にあるということがはっきりしてきます。授業のあとで、どれだけの時間とエネルギーをかけて授業を振り返り、そこからどれだけのことを導き出すか、教師の専門性の開発はその内容と密度の濃さに大きく左右されるのです。


そのとき大切になるのが、事後の協議会です。自分の授業を自分で見直すということはよいことですが、見れども見えずということもあります。ですから、多くの人の目で多くの人の見方を交流するのです。そうすれば、自分では気づかなかったことが見え、そこから応答性・関係性の大切さに気づき、その感覚が磨かれるのです。協議会の後、さらにビデオを見直したり、授業記録として文字化して気づいたことを文章にしたりすることで、さらにその効果は大きくなります。


よい授業をしたいという教師の願いをわたしは否定しません。しかしそれは、よい授業にするためのやり方を探す事前計画重視型からは生まれないのです。やり方にとらわれているうちは、それは教師にとって都合のよい「よい授業」でしかないのです。子どもの学びに目を向け、子どもの学びに対応する授業にしていくためには事後を大切にする反省的実践型に転換するしかないのです。


急いでよい授業を求めるのではなく、何度も何度も自分の授業を振り返る経験を積み重ねる反省的実践を、教師としての日々に定着させていこうではありませんか。


石井先生の文章は以上です。その石井先生が「東海国語教育を学ぶ会」HPの「学びのたより」2012年10月6日号の7ページから10ページにかけて、【「ケア」の心が授業づくりの基盤】を、わかりやすく書いておられます。
これなくしては、「協同的な学び」の「グループ学習」も「ジャンプのある課題」も「つなぐ・交わる・戻す」も形だけに終わり、失敗に帰することが、よくわかります。

公開授業研究会
:平成22年度(2010年度)も各地の学校で行われました。


「百聞は一見にしかず」です。学びの共同体」学校・授業づくり実践の推進校の公開授業研究会への参加をおすすめします。ただ、助言者が佐藤学先生だと参加者が多すぎて、体育館で指定授業をせざるを得ない場合もあります。初参加者には訳のわからないうちに終わってしまうこともあるので、全クラス授業公開のある学校か、規模の大きすぎない公開研がおすすめです。
今年も滋賀県の小学校の先生方が神奈川県茅ヶ崎市立浜之郷小学校の月例授業研へ10名以上参加しておられるようです。大阪府の中学校の公開授業研に参加される滋賀県の中学校の先生方も複数おられました。


なお、浜之郷小学校では月例授業研究会を毎月しておられます(定員60名)。滋賀県から参加しておられるのは月例授業研です。あっという間に定員いっぱいになるそうです。


ちなみに、佐藤学先生の著書には、大阪で「学びの共同体」の学校づくりに取り組んでいる東大阪市立小阪小学校の、授業での教師と子どものやりとりの様子や、「子どもと学習するための時間」を保障するために、校務分掌を「1人1役制」にして会議を減らすことで教師の負担軽減していることについて書いてありました。


兵庫県高砂市は市教委ぐるみで、市内の小学校の多くが「学びの共同体」の学校づくりに取り組んでおられる市だと佐藤学先生の著書には書いてありました。拠点校は高砂市立北浜小学校です。


長野県佐久市に合併する前の旧北佐久郡望月町では町ぐるみで小中高が取り組んでおられたそうです。


大阪府茨木市立豊川中学校区では幼小中で挑戦されたそうです。中学校区研での取り組みということが、興味深いところで注目したいです。


「学びの共同体」の特長は、市区町村の教育長をはじめ指導主事など地元の教育委員会が一緒になって応援してくださることです。研究指定校でもないのに、です。これは、学校の子どもたちが半年、1年単位で変容していく姿を、目の当たりにする感動体験を共有してくださるからではないでしょうか。


さまざまな壁にぶつかって、たとえ改革が中途半端になる場合もあるかもしれませんが、自分たちにできる形を模索・精選しながらチャレンジしてみることが、子どもの荒れや学級崩壊から、子どもたちを守り育て、教師自身も守り合い育ち合うことにつながることを実感させてくれる、それが「学びの共同体」の取り組みだと言えるでしょう。


しんどい学校の現状をなんとかしたいという学校現場の先生方の思いから、この「学びの共同体」の実践が全国へ静かに広がってきているのだなと感じました。しんどい状況を、一時的なつっかえ棒(力わざ)でしのいでも、弱い立場の子どもを支援する体制まではとれないという現実、そして教師がどんどん疲弊してしまっていることへの危機感が、この「うねり」を生んでいるのでしょう。


月例授業研に行ってきた人の話では、何か目立つような濃い特色があるのではなく、全クラス公開を見て回ると、さり気なく、しっとりと落ち着いて授業が進んでいる印象で、大声でわめいている子どもが見あたらなかったとのことです。教師も子どもも大声を出す必要がなくなってくるということでしょうか。それって、すごいことですよね。


【その源流の1つであった滋賀県の「種」と「花」】


2011年夏に大津プリンスホテルを会場として開催された「学びの共同体」の授業セミナーに参加した先生が、「全国からの参加者は多いのに、地元滋賀県の参加者が少なかった」とこぼしておられました(実践校が他府県より少ないから仕方ないのです)。それなら、滋賀県の小学校教育の歴史を、部分的にですがふり返ってみます。


昭和の頃、滋賀県の小学校の教師たちは、さまざまな教育研究サークルで、実践を自主的に交流して切磋琢磨していました。どのサークルも土曜日午後(午前は課業日)などに集まり、子どもたちのために自分の実践力を磨こうと、一所懸命な教師(先輩)たちがたくさんいました。私は、2つのサークルをかけ持ちしていて、「二兎を追う者は一兎をも得ず」でした。


その1つに、群馬県の小学校長であった斉藤喜博氏から学ぶ「教授学研究の会」の流れを汲む「国語教育を学ぶ会」がありました。斉藤喜博氏は著書の中で、教師がドキッとする指摘をよくされていました。例えば


『教師がわかりきったことを問う。子どもたちが「ハイハイ」と挙手する。そして誰かが指名されると「あの子まちがえばよいのに」と思ってしまう。教室正面には、「みんななかよく」などと掲げながら、実際にはそれと反対の「教育」を、こういう授業によってやっている』


「国語教育を学ぶ会」では、三重県の石井順治氏が会長の時、たしか副会長は滋賀県の先生だったような気がします。(間違っていたら、すみません)。そして、当時としては、画期的な取り組みだったと思いますが、昭和60年前後に豊郷小学校が自主的な公開授業研究会(全学年)を、数回されました。まさに、そこでは、どの学年・学級でも、聞き合い、響き合う子どもたちの姿がありました。同様に、そんな子どもの発言・つぶやきを切り捨てないで、つないでいく教師たちの姿がありました。その結果として、声のものさし、ハンドサイン、聞く姿勢などの形式的なルールを必要としないで、生き生きと授業に向かう学級の姿がありました。研究会には、「国語教育を学ぶ会」の盛んな兵庫県の氷上正氏・田村省三氏、同じく盛んな三重県の石井順治氏が実践家の立場で、三重大学の佐藤学氏が研究者の立場で、助言者として参加しておられました。


そんな昭和60年前後から、「国語教育を学ぶ会」の土曜日の月例会でも、「子どもたちの疲れや悲鳴のようなヘルプ・サインを教師が受けとめるならば、授業のあり方も考え直す必要がある・・」「そんな子どもたちが心も体も安心して学べるために、授業の根幹を変えることを、私たちは挑戦しなければならない・・」といったような主旨のことを、実際の授業記録を元に、論議・模索されていたような記憶があります。


そして、何度も、東京大学の稲垣忠彦氏、宮城教育大学&演出家の竹内俊晴氏、詩人の谷川俊太郎氏などを講師として招きながら、「国語教育を学ぶ会」は時代時代の子どもの姿の変容と共に、進化(深化)していったのではないでしょうか。


佐藤学氏は三重大学教育学部で学生に教えながら、小学校現場における授業で、国語でも音楽でも体育でも斉藤喜博氏が到達された領域まで自らの実践を極めて、その後、東京大学へ転任し、稲垣忠彦氏と共に授業研究をさらに深められました。      


その稲垣忠彦氏は、学校現場の教師たちに寄り添い、共に歩むためであろうと私は推測しますが、滋賀大学教育学部に自らの希望で転任して来られ、滋賀県の学校現場の教師たちの授業を支援することに力を注がれました。


佐藤学氏も後日、著書の中で次のように述懐されています。


『私は「すぐれた授業」「すごい授業」ばかりを追い求めていた(中略)。研究者としての私が追うべき責任は、授業実践の頂点に立つ教師たちの後追いではなく、日々、混乱と困惑の中で苦闘している 圧倒的多数の教師たちの実践への協力である。(中略)私は根本において間違っていた。「すごい教師」を探し求めるのではなく、日頃接している1人ひとりの教師の「花」を探り当て、その「種」に学ぶべきだったのである。』


こうして佐藤学氏は、共に手を携えてきた石井順治氏らの実践家の方々と「学びの共同体」を提唱し、子どもも教師も疲労している学校現場こそを、授業改革という視点から支援してこられたと、言えるでしょう。それを同じ東京大学の秋田喜代美氏が幼小連携でも共鳴されるなど、「教え合い」から「聴き合い」「学び合い」への転換をしようとする学校が、全国で今、網の目のように広がっています。これは、一時的なブームというより、現在進行形の、新たな学校改革(授業改革)の潮流と言ってもいいのではないでしょうか。


そういう流れを見ると、滋賀県の教師たちが取り組んできた学校現場には、「学びの共同体」の源流のひとつがあった、と言っても過言ではないと思います。それは、どんな授業改革も、1人ではなく学校ぐるみで取り組むことで、初めて成果が出るという事実を、全国の教師に見てもらったことでありました。それは、学級づくりが先にあるのではなく、授業づくりこそが学び合う仲間と、学級をつくっていくという事実を、全国の教師に見てもらったことでもありました。以上、その場に参観者として居合わせた者の、断片的な記憶です。


【愛知県・三重県での公開授業研を参観して】


2012年10月19日に、授業参観させていただいた三重県伊賀市立河合小学校から、3学期の公開授業研究会の案内(第1次案内)が届きました。研究主題は「聴き合い 学びあい なかまとともに高まり合う子どもの育成」です。同校では、「ケアのある心」で「聴き合う学び」を追究しながら、生活綴り方も大事にしておられます。


「聴き合う学び」に取り組まれて3年目(2012年)の河合小学校:各学年の授業(琴線に触れるような、ケアの心がある教室、ケアの心がある学校)は、とても参考になると思います。甲賀市(旧の甲南町)にある野尻:信号(交差点)から甲南第三小学校前、道の駅あやま前を経て12km(30分弱)の所にあります。次年度に向けて、「なんとかしたい」と切実に思う先生方、「ケア」の心がある「聴き合い、学び合う」授業をめざして、今、まさに発展途上(現在進行形)の伊賀市立河合小学校:公開授業を参観して、ホントによかったと思いました。


滋賀県の小規模校(小学校)の先生方にも、年度末:校内研まとめの一環として、次年度の学校づくり・学級づくりへの方向性を示唆してくれる、一押しの公開授業研と言えます。とりわけ現在「なんとかしたい」状況にある小規模校の先生方、参加して決して損はないと太鼓判を押します。「なんとかしたい」状況から、3年間でこれだけ落ち着いた状況に変容することを、全クラス授業公開で示してくださるからです。具体的には、全学年の授業を観て回ると、学年に応じて担任の先生方から学びたい姿がたくさん見つかるからです。例えば、子どもに語りかける担任の言葉のやわらかさ、子どもの発言を聴く時の担任の受けとめる姿勢、子どもと同じ目線でやりとりするための担任の工夫など、百聞は一見にしかず、です。


それに加えて、指導・助言者の石井順治先生の講演は、大事な点だけメモをとろうと思っていたら、ずっとメモをとりっぱなし状態になってしまうほど、きわめて具体的な話が聞けるからです。私も、ノートを1冊準備して参加しました。


大規模校では、愛知県小牧市立米野小学校の全学年全クラス授業公開(教科もいろいろ)は、参観して学ぶところが数多くありました。一押しのオススメです。中規模校でチャンスがあればぜひとも行きたいのは、三重県四日市市立浜田小学校(2学期)です。中学校では、一度、愛知県小牧市立味岡中学校(2学期)にも行ってみたいと思っています。いずれも、石井順治先生がスーパーバイザーをなさっている小中学校です。2013年秋、念願の四日市市立浜田小学校:公開授業を参観することができました。


関連ページ


「協同的な学び合い(聴き合う学び)」④【聴き合うつながり・聴く空気感】【意外な考えへの寄り添い】石井順治先生との出会い

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by takaboo-54p125 | 2010-08-02 13:20 | 保育・教育

子どもは読み聞かせが大好き!素話(語り聞かせ)はもっと大好き!


子どもは読み聞かせが好きです。素話はもっと好きです。素話というのは、大人が覚えているお話を子どもにしてあげることです。本は手元にありません。子どもが寝る前にしてあげた方もおられるのではないでしょうか。みなさんも、「ももたろう」「花さかじいさん」「おむすびころりん」「さるかに合戦」「大きなかぶ」「三匹の子ブタ」「ブレーメンの音楽隊」などのお話なら、どれかを思い出しながら、お子さんにしてあげたことが、あるのではないですか。これらは、どのお話も2回、3回と同じパターンのくり返しがあるのが、お話の共通点です。幼児が親の素話を好むのは、このくり返しこそ、次が予想できておもしろいからなのです。ぜひ、どんな話でもいいので、寝る前、布団に並んでねころがって、素話をしてあげてほしいと思います。先生方、自分が覚えられない話は、読み聞かせでもいいと思いますよ。


次の話は、大阪の河部先生が素話として滋賀の子どもたちにしてくださったお話です。セリフが多いお話です。


【やぎさんふとってデンガラドンのドン】


 あるところに、3びきのやぎの子どもがいました。
それはそれは、仲のいい、とってもかしこい兄弟でした。

 一番下の弟やぎは、やっと角(つの)が出たばかり。

ひづめもまだ小さくて歩くたびに、
コチコチトン、コチコチトン。
だから名前も、コチコチトン。

 真ん中のやぎの角は、かわいい三日月さま。

ひづめの音は少し大きくて、歩くたびに、
カタカタトン、カタカタトン。
だから名前も、カタカタトン。

 一番上の兄さんやぎは体も大きくてすごいもの。

二本の角はヌッとはえ、
先はするどくとんがっていて、まるでやりのよう。
足のひづめも大きく、かたくて石のよう。
歩くたびに、
ダーヂヅーデドーン、ダーヂヅーデドーン。
だから名前も、ダーヂヅーデドーン。

 ある日のことです。

コチ「兄ちゃん兄ちゃん、
   ぼく、うんとうんと太って、
   大きなやぎになりたいな」
カタ「兄ちゃん、ぼくもうんとうんと
   太って兄ちゃんみたいな
   大きなやぎになりたいよ。
   何かいい方法はないかなあ?」
ダヂ「あるともあるとも。あそこを見てごらん。
   向こうの山の青いこと。
   おいしい草がたくさん生えたんだよ。
   あの山へ行って
   おなかいっぱい食べたら大きくなるよ。
   コチコチトンもカタカタトンも、
   兄さんみたいに歩くたびにダヂヅデドンさ」
 そこで、3匹のやぎは山へ出かけて行きました。
コチコチトン、コチコチトン。
カタカタトン、カタカタトン。
ダーヂヅーデドーン、ダーヂヅーデドーン。
ところが、山へ行く途中に谷がありました。
谷には橋がかかっていました。
ダヂ「この橋の下には
   トロルという鬼が住んでいるんだよ。
   そのトロルの怖いこと怖いこと。
   目玉はギロギロ光って皿のように大きく、
   口はカバより大きくて、
   するどい牙(きば)は刀(かたな)のよう。
   いつも橋の下で待っていて、橋を通る
   生き物をつかまえて食べてしまうんだよ」
コチ「えー。兄ちゃん、怖いよ。どうしよう」
カタ「トロルに食べられたら、困るねぇ」
ダヂ「そうだね。食べられないようにするには、
   どうしたらいいかなあ」
3匹のやぎは、角を合わせて相談しました。
ダヂ「そうだ、いいことを考えた。
   トロルは食いしん坊で、いばりん坊だから、
   コチコチトンは、
   『トロルさん、
    ぼくみたいな
    弱虫で小さいやぎはおいしくないよ。
    あとからもっとおいしくて強い
    カタカタトンが来るよ』
    と言えば、きっとトロルは
   『なに?おまえより
    おいしくて強いやぎが来るんだって?
    よし、それならおまえのような
    まずくて弱虫のやぎは
    さっさと行ってしまえ』と言ってくれるよ。
   カタカタトンも同じように、
   『トロルさん、
    ぼくみたいな小さなやぎはおいしくないよ。
    あとからもっとおいしくて強い
    ダヂヅデドンが来るよ』
    と言えば、きっとトロルは
   『なに?おまえより
    おいしくて強いやぎが来るんだって?
    よし、それならおまえのような
    まずくて小さなやぎは
    さっさと行ってしまえ』と言ってくれるよ。」

まず、初めに橋を渡るのはコチコチトンです。

コチ:コチコチトン・・(様子をうかがって)コチコチトン・・。
トロル「だあれだぁ!
    おれ様の橋をコチコチトンと渡るやつはぁ!」
コチ「ぼ、ぼくだよ。小さな小さなやぎのコチコチトンだよ。
   あんまり小さいから、向こうの山へ行って、
   うんと太ってくるんだよ」
トロル「えーい、つべこべ言うな。
    おまえをパクリとひとのみにしてやる」
コチ「トロルさん、
   ぼくみたいな小さいやぎはおいしくないよ。
   あとからぼくよりおいしくて強い
   カタカタトンが来るよ」
トロル「なに?おまえより
    おいしくて強いやぎが来るんだって?
    よし、それならおまえのような
    まずくて弱虫のやぎは
    さっさと行ってしまえ」
コチ:コチコチトン、コチコチトン。
   コチコチトン、コチコチトン。

次に橋を渡るのは真ん中のやぎのカタカタトンです。

カタ:カタカタトン・・(様子をうかがって)カタカタトン・・
トロル「だあれだぁ!
    おれ様の橋をカタカタトンと渡るやつはぁ!」
カタ「ぼ、ぼくです。
   ぼくは真ん中のやぎのカタカタトンです。
   まだまだ小さいから、向こうの山へ行って、
   うんと太ってくるんです」
トロル「えーい、つべこべ言うな。
    おまえをパクリとひとのみにしてやる」
カタ「トロルさん、
   ぼくみたいな小さいやぎはおいしくないよ。
   あとからもっとおいしくて強い
   ダヂヅデドンが来るよ」
トロル「なに?おまえより
    おいしくて強いやぎが来るんだって?
    よし、それならおまえのような
    まずくて弱虫のやぎは
    さっさと行ってしまえ」
カタ:カタカタトン、カタカタトン。
   カタカタトン、カタカタトン。

さあ、最後に橋を渡るのは、

一番大きいダヂヅデドンです。
ダヂ:ダーヂヅーデドーン、
   ダーヂヅーデドーン。
トロル「おっ、こいつはでかくて強そうだ。
    これなら食べがいがあるぞ」
   「だあれだぁ!
    おれ様の橋をダヂヅデドンと渡るやつはぁ!」
ダヂ「おお、トロルか。おれだおれだ。
   一番大きなやぎのダヂヅデドンだ」
トロル「おう、待っていたぞ。
    おまえをひとのみにしてやる」
ダヂ「ようし、かかってこい。
   おれの2本のでっかい角で
   おまえの目玉をグサーッとさし、
   石よりかたい4つのひづめで
   おまえの骨をダーヂヅーデドドドーンと
   こなごなにふみつぶしてやる」
トロル「なんだとー」
ダヂ「えーいっ!グサッ」
トロル「ギャー、目がー」
ダヂ「それっ、ダーヂ、ヅーデ、ドドドドドドーン」
トロル:ドッボーン。
コチとカタ「やったあ。兄ちゃん、すごい」

 こうしてダヂヅデドンはトロルをやっつけて、

谷へ放り込んでしまいました。
コチコチトン、コチコチトン。
カタカタトン、カタカタトン。
ダーヂヅーデドーン、ダーヂヅーデドーン。
3匹は無事に山へ登って行きました。
コチ「兄ちゃん、この草、おいしいね。モグモグ」
カタ「おいしいね。こんなにいっぱい食べちゃったよ」
ダヂ「コチコチトンもカタカタトンも、
   いっぱい食べたなあ」

 3びきのやぎは、

おいしい草をたくさんたくさん食べたので、
よく太ってころころになり、帰って行きました。
あんまり大きく太ったので、
橋を渡って帰る時のひづめの音もすごいもの。
ゴヂゴヂドン、ゴヂゴヂドン。
ガダガダドン、ガダガダドン。
デンガラドンガラダヂヅデドン。
はい、これで
山へ行って太ってきたやぎさんのお話は、
おしまいです。



次のお話は、幼児には少しむずかしいかも知れません。小学校の1~2年生が好むお話です。


【あめだま      にいみなんきち】


はるの あたたかい ひのこと、わたしぶねに


ふたりの ちいさな こどもを つれた


おんなの たびびとが のりました。



 ふねが でようと すると、


「おうい、ちょっと まってくれ」


と、どての むこうから てを ふりながら


さむらいが ひとり はしってきて、


ふねに とびこみました。


ふねは でました。


さむらいは ふねの まんなかに、


どっかと すわっていました。


ぽかぽか あたたかいので、


そのうちにいねむりを はじめました。



 くろい ひげを はやして、


つよそうな さむらいが、


こっくりこっくり するので


こどもたちは、おかしくて 


ふふふと わらいました。


おかあさんは、くちに ゆびを あてて、


「だまっておいで。」


と いいました。


さむらいが おこっては たいへん だからです。


こどもたちは だまりました。



 しばらく すると、ひとりの こどもが、


「かあちゃん、あめだま ちょうだい。」


と、てを さしだしました。



 すると、もう ひとりの こどもも、


「かあちゃん、あたしにも。」


と いいました。



 おかあさんは、ふところから


かみの ふくろをとりだしました。


ところが、あめだまは もう ひとつしか


ありませんでした。


「あたしに ちょうだい。」


「あたしに ちょうだい。」



 ふたりの こどもは、


りょうほうから せがみました。


あめだまは ひとつしかないので、


おかあさんはこまって しまいました。


「いいこ だから まって おいで。


むこうへ ついたら かって あげるからね。」  


といってきかせても、


こどもたちは


「ちょうだいよう」


と だだを こねました。


いねむりを していたはずの さむらいは、


ぱっちり めを あけて、


こどもたちが せがむのを みていました。


おかあさんは おどろきました。


いねむりの じゃまを されたので、


この さむらいは おこって いるのに


ちがいないと おもいました。


「おとなしく しておいで」と


おかあさんは こどもたちを なだめました。


けれど、こどもたちは ききませんでした。


すると、さむらいが、


すらりと かたなを ぬいて、


おかあさんと こどもたちの まえに


やって きました。


おかあさんは まっさおに なって、


こどもたちを かばいました。


いねむりの じゃまを した こどもたちを、


さむらいが きりころすと おもったのです。


「あめだまを だせ。」


と、さむらいは いいました。


おかあさんは、おそるおそる


あめだまを さしだしました。



 さむらいは、それを ふねの へりに のせ、


かたなでぽちんと ふたつに わりました。



 そして、


「そうれ。」


と、ふたりの こどもにわけて やりました。


それから、また もとのところに かえって、


こっくりこっくり ねむりはじめました。



次は短い民話です。小学校高学年の授業にも使える、心にじんわりとしみ込むお話です。


【あとかくしの雪       木下順二】


 あるところに、なんともかとも貧乏な百姓がひとり、


住んでおった。



 ある冬の日のもう暗くなったころに、ひとりの旅びとが、


とぼりとぼり雪の上をあゆんできて、


「どうだろうか、おらをひとばん、とめてくれるわけには いくまいか。」


というた。



 百姓は、じぶんの食べるもんも ろくにないぐらいのもんだったが、


「ああ、ええとも。おらとこは貧乏でなんにもないが、まあ、とまってくれ。」


というと、旅びとは、


「そうか、それはありがたい。おら、なんにもいらんぞ。」


 

 けれども、この百姓は、なにしろなんともかとも貧乏で、


何ひとつ旅びとに、もてなしてやるもんがない。


それで、しかたがない、晩になってから、となりの大きないえの、


大根をかこうてあるところから大根を一本ぬすんできて、


大根やきをして旅びとに食わしてやった。



 旅びとは、なにしろ寒い晩だったから、うまいうまいと


しんからうまそうにしながら、その大根やきを食うた。



 その晩さらさらと雪はふってきて、百姓が大根をぬすんできた足あとは、


あゆむあとからのように、すうっと みんな消えてしもうたと。



 この日は旧の十一月二十三日で、今でもこのへんでは、


この日には大根やきをして食うし、この日に雪がふれば、


おこわをたくもんもある。



次のお話は、子どもたちが最初から最後まで、高齢のお医者と出会わないまま、思い浮かべていくストーリーのお話です。


【白い足あと    神戸淳吉(こうべじゅんきち)】


ゆうべ、また雪がふりました。畑も道も雪でうずもれてしまいました。

「道だか、あざだか、わかんないや。気をつけないと、ころぶぞ。」



 年夫は、まだ、だれも通った人のない雪の道を、一歩一歩ふみこみながら、


うしろの正吉に言いました。


弟の正吉は、こんな深い雪の中を歩くのがうれしいのでしょう。


わざとまっ白になって、雪をけちらしています。



 二人はこれから、雪の積もったゆうべのままの道を、学校へ行くところでした。


「あれっ、この足あと、二郎ちゃんだな。もう学校へ行ったんか。早いなあ。」


お地蔵さまのある曲がり角まできた時、正吉は白い足あとを見つけて言いました。


わらぐつで歩いたらしい白い足あとが、二郎の家の方からついていたからです。


「こんな二郎ちゃんがあるかい。二郎ちゃんのおじさんだろ、きっと。」



 年夫はそう言いながら、足あとを見て行くうちに、急に笑い出しました。


その足あとの人が、雪に足をとられたらしく、ころんだあとがあるからです。


けれど、ころんでからも、なかなか起き上がれないらしく、


雪の上に手のあとや、おしりのあとが、いくつも 残っていました。



 正吉もそれを見て、年夫といっしょになって、笑い出しました。



 ちょうどそこへ、二郎が急いで追いかけて来ました。


そして、二人の顔を見るなり、すぐにこう言いました。


「ゆうべ、おらんちのとなりの、山田のおばあさんが、肺炎になりかかったんだ。


 そいで、おらんちのお父さんが、急いで先生を呼びに行ったりして、


 夜通し大さわぎだったんだぞ。」


「へええ・・・肺炎って、死ぬのか。あのおばあさん死んだのか。」



 年夫は、目をまるくして、聞きました。


「もう少しで死ぬ所だって。


 でも、雪の中を、先生が来てくれて助かったんだ。


 何本も注射したぞ。おら、見てた。」


二郎は、じまんそうに話しました。


「ふうん、・・・そうか・・・それでわかった。



 さっき、お地蔵さまの所でころんだ人、先生だよ。


 正吉、先生がころんだんだ。」


 年夫はふと、なぞがとけたように笑いながら言いました。


「ああ、あのしりもちは、先生んだね。」


 正吉も、そう言いながら、うなずきました。


「うん、お地蔵さまんとこの、あれだろう。先生のだよ。


 雪がやんでから、一人で帰って行ったから、とちゅうでころんだんだよ。」


 二郎も、いかにも初めから見ていたように言いました。



 その先生は、年夫たちの村の、たった一人のお医者さんでした。


戦争中、東京から、この山の中の村へうつ移り住んで


もう十七、八年、今では七十近くなっていました。



 それでも先生は、どんなにおそくても、必ず病人をみてくれました。


いつもむっつりとして、おせじを言わない先生でしたが、


この村の大人も子どもも、みんな、


先生のお世話にならない者は、いませんでした。



 年夫たちは、先生の、おこったような顔を思いうかべ、


また雪の中を歩いて行きました。


しばらく行くと、二郎がひぇーっと、すっとんきょうな声をあげました。


雪のふきだまりに、また大きく人のころんだあとがあったからです。


「先生、よくころぶなあ。」


「ころんでばかりいるな。」


二郎も年夫も正吉も、先生のころんだあとを見て、涙が出るほど笑いました。


けれど笑っているうちに、だんだん先生がかわいそうになってきました。



 深い雪の夜道を、何度もころびながら、


あのおじいさんの先生は、ちゃんと家へ帰れたでしょうか。



 年夫たちは、急にだまりこくってしまいました。


そして、先生の残していった白い足あとを、たどりたどり、


学校の方へ歩いて行きました。


元々、静岡県浜松市にある「あすなろ幼稚園」坂本園長先生から紹介してもらった、大阪府八尾市の河部先生をお招きして、素話を八日市市の子どもたちにしていただきました。その時の、子どもたちの輝く表情に驚かされ、その後、見よう見まねでしてみましたが、とうてい、河部先生のレベルまでは到達できていません。それでも、私が素話をする時に、最も気に入っている(子どもたちの反応が楽しいから)昔話を紹介させてください。


【「たべられた やまんば」   松谷みよ子・文】


むかしむかし。さびしい山のお寺に、おしょうさんと こんぞ(小僧さんのこと)がいたそうな。ふたりっきりで いつも くらしていたそうな。


ある日のこと、こんぞは山へ くりひろいに出かけた。行けば行くほど、でかい くりが落ちているもので、もう1つ、もう1つと ひろっているうちに、こんぞは、いつのまにか山のおくへ来てしまったって。


すると、ひとりの ばあさまが、にかっと わらって 立っていた。
「こんぞ、こんぞ。おれはな、おまえの おとうの あねさんの よめに行った先の おっかさんの いもうとだ。つまり、おまえの おばさんだぞい。こんや、くりを いっぺ にておくから、あそびに来いよ」


こんぞは とんで帰って、おしょうさんに話したけれど、
「こんぞ、そりゃ うそだ。その ばあさまは やまんばに ちがいね。行くな、行くな」                                          
おしょうさんは首をふったって。でも、こんぞは行きたくて 行きたくて、                                         
「それでも、おらの おばさんだって言ったもの。行きたい、行きたい」                                 
と言うものだから、おしょうさんは しかたなく 3まいの おふだを くれてねえ、                                                                  
「あぶない時には おふだに たのめ」
そう言って ゆるしてくれたって。


こんぞが山へ行くと、山には ドードー 風がふいていた。でも、こんぞは うれしくて とんで行ったって。
「ばあさま、こんぞが くりっこ くいに来たよ」
「おう、来たか、こんぞ。よく来たな、こんぞ。はいれ、はいれ」                                                        
「さあ、こんぞ、くりこ いっぺ にてあるぞ。くえや」
こんぞは、くった、くった。はらいっぱい くったもので ねむくなってねえ。ころりと ねてしまったそうな。


よなか、こんぞが ふと目をさますと、雨の音がする。その音が、                                      
 こんぞこ あぶねや てんてんてん
 こんぞこ あぶねや てんてんてん
聞いているうちに、こんぞは きみわるくなって、そうっと となりのへやを のぞいてみると、ばあさまが かみを ふりみだし、
 こんぞぁ ねたか にっかにか
 こんぞぁ ねたか にっかにか
と言いながら、ほうちょうを といでいた。


「や、や、やまんばだぁ」
こんぞは がたがた ふるえだしたが、そうだ、と 思ってねえ、                                                                   
「おら、しょうべんしてえ」
と言って、外に出ようとすると、
「なに、しょうべんだあ?こんぞ、にげる気だな」
やまんばは、おびで こんぞを つなぐと、
「さあ、行ってこう!」
おびの はしを持って、ドンと せなかを つきとばしたって。


こんぞは おびを ひきずって べんじょに行くと、大いそぎで おびを ほどき、べんじょの はしらに ゆわえつけてねえ。その上に、おしょうさんにもらった おふだを はって、
「おふだ、おふだ、おらの みがわりに なってけろ」
と言うなり、どんどと にげだしたって。


やまんばは こんぞが おそいので、
「出たか、こんぞ」
と、おびを ぐっと ひっぱったって。すると おふだが、
「まあだ、まあだ」
と こたえたって。
やまんばは、また ほうちょうを とぎはじめたが、どうも おそい。                                        
「出たか、こんぞ」
「まあだ、まあだ」
「出たか、こんぞ」
「まあだ、まあだ」


いつになっても、まあだ まあだと言うものだから、やまんばは おこり出し、                                   
「こんぞ、早く来い!」
と、ちからいっぱい おびを ひっぱったから たまらない。                                            
べんじょの はしらが すぽっと ぬけて、
「まあだ、まあだ」
と言いながら、ふっとんで来た。
「いてててて。こんぞう、にげたな」


やまんばは とびあがり、
「こんぞう、まてえぇ」
と 追いかけた。
やまんばだもの、早い、早い。
「まてえぇ」
「こんぞ、まてえぇ」


こんぞが ふりむくと、やまんばが もう そこまで 来ている。こんぞは、走りながら、おふだを なげて さけんだ。
「ここさ、大きな川 出はれぇ」
そのとたん、ゴーッ。大きな川が みるみる あらわれて、音をたてて 流れ出したって。


やまんばは ザンブと とびこんで、
 なんだ川 こったら川
 なんだ川 こったら川
しゃがしゃが およぎわたると、きしに とびあがり、
「こんぞ、まてえぇ」
かみ ふりみだし おいかけた。
「まてえぇ、こんぞ、まてえぇ」


こんぞは もう ひっしで、三まいめの おふだを ちからいっぱい なげて、さけんだ。
「ここさ、大きな すな山 出はれぇ」
すると、そのとたん・・・・・・。
ドドーン。
みるみる 大きな すな山が つったった。


やまんばは 足をふみならし、
 なんだ山 こったら山
 なんだ山 こったら山
と、はいあがっては くずれおち、また はいあがっては くずれおち したけれど、それでも やまんばの ことだども、
 なんだ山 こったら山ッ!
と、とうとう よじのぼって来たって。


そのまに こんぞは、ようやく おてらに ついて、ドンドンドン。                                            
「おしょうさん、おしょうさん、あけてけれ。やまんばが おいかけて来たぁ」                               
ところが、おしょうさん、ぐっすり ねむっているのか、目をさまさない。                                  
「あけてけれ、あけてけれ。やまんばだあ、あ、あ、声がするうぅ」                                     
ドンドンドン。中では おしょうさんが、ようやく 目がさめた ようすで・・・・・・、                                                 
「なんだあ、やまんばだぁ?ああーっ」
「早く 早く、あけてけれ」
「まて まて、ふんどし しめて」
「早くだ。あれ、やまんばが 見えたが」
「まて まて、きもの きて」
「早くう、早く。ああっ、来たぁ」
「まて まて、おび しめて」


「それ、とだなに かくれろ」


こんぞが かくれたとたん、風のように やまんばが かけこんで来た。                                                                  
「おしょう、こんぞぁ、どう した」
「こんぞ?しらねなあ。それより、もちでも くわんか」                                                  
おしょうさんは、ゆるゆると もちを あぶりはじめたって。そうして、やまんばに もちを やりながら 言ったと。


「ばんば、やまんばは なんにでも ばけられると いうが、ほんとうか」                                                            
「おうさ、ばけられるとも」
「大にゅうどうに なれるかのう」
「おう、見てれ。みんごと ばけて みしょう」
 たかずく たかずく たかずくよ
 たかずく たかずく たかずくよ
やまんばは となえながら、みるみる 大きくなって、ぐわあっと まっかな 口をあけ、じりじり おしょう めがけて おりて来た。


「いや、みごと みごと。だがな、ばんば、なっとうまめには ばけられまいて」                                    
「なんだぁ、なっとうまめだ。ようし」
 ひくずく ひくずく ひくずくよ
 ひくずく ひくずく ひくずくよ
やまんばの からだは、みるみる 小さくなって、なっとうに なった。


「ほ、まめに なったわ、なったわ。よう ばけたな、ばんば。えらいぞ、ばんば」                                        
おしょうさんは、そう言うと、その なっとうを もちに くるんで、ぺろり たべてしまったとさ。はい、ごちそうさま。(めでたし めでたし)


以上です。青森県の昔話だと聞きました。


【定ちゃんの手紙    千葉省三・作】        「千葉省三童話全集」(岩崎書店)より


はいけい


あにさんさ、手紙だすべと思って、こんで三度目です。三度目の正直っちから、こんどはまちがいなく出します。


一度は、おっかちゃんが、はやり風邪ひいた時、出すべと思ったんです。そん時は、おっかちゃんに「心配かけっからだすな」ってとめられました。二度目は、あにさんの大好きな、背戸の霜降り柿が甘くなったから、食べに来なと出すべと思ったんです。こん時は、あにさんがずいぶんいそがしいっちから、言ってやったって、むだだんべと思ってやめました。新田の勝造に五つくれて、ブンブンごまと取っかえました。あとは、おれひとりで食っちまいました。


ブンブンごまは、とてもよくうなったんですが、どぶん中さ落っことしてから、うなんなくなりました。あにさんが来たら、直してもらうべと思って、しまっておきます。


あにさんは、東京でも、おっきな呉服屋にいるんだっちから、ずいぶんお金ももうかんべ、ね。おれんちは、だんだん貧乏んなっちまう。おれも、早くおっきくなって、あにさんみたいにはたらきたいと思うんです。


おっかちゃんは、からだが弱って、寝てばっかりいます。おとっちゃんは、仕事がひまだもんだから、炉ばたで、たばこすっちゃ、ガチンガチン、炉ぶちをひっぱたいています。おとっちゃんは、この頃、とても怒りっぽくなったんです。おれも、おっかちゃんも、よく怒られます。おら、怒られると、金ちゃんちの崖の下さ逃げてって、ひなたぼっこしてます。あすこへ行ぐと、あにさんと目白取りしたこと思い出します。今じゃ、崖の上の竹やぶが切られて、目白も来なくなっちゃいました。あすこにゃ、あにさんが赤土さ彫りつけた、陸軍大将の絵が、今でも残っています。おれがそのわきさ、兵隊さん二人くっつけました。おれんのも、ずいぶんうまくできたつもりだけれど、よく見ると、まだ、あにさんにゃ、かなわねよな気がします。


おら、おとっちゃんが怒りっぽくなったのも、むりじゃねと思うんです。


あにさんは知んめが、今年の夏っから、となりに自動車屋ができたんです。そんで、車賃もやすくって速いもんだから、おとっちゃんの車さ乗る人がないんです。


おれんちに使われていた吉公。あれが、自動車の運転手になっているんです。毛糸のハイカラ洋服きて、鳥打ちなんどかぶって、いばっているんです。道で、おとっちゃんの車にあうと、あとから追っこして、きっとふりかえって見るんだって言います。ひまな時は、おれんちの前、行ったり来たりしながら、おとっちゃんに口ひとつかけねんです。よっぱら世話んなって、そんな話ってねえと思うんです。


こないだ、大風が吹いた朝、おれが学校さ出かけべと思うと、外の垣根んとこで、どなり声がするので、急いで出てみたら、おとっちゃんと、吉公が、とっ組みあって大げんかしてるんです。おら、たまげちゃって、どうしていいかわかんなかった。おとっちゃんは、年寄りだもんだから、吉公にかなわねえで、つっとばされて、ころんじゃった。その上さ、吉公がまたがって、ゴツンゴツンなぐるんです。おら、ワアワア泣きながら、吉公の帯つかまえてひっぱったけれど、とてもはなれないんです。そんで、太い薪たんぼひらって、吉公の足、ぶんなぐったんです。そしたら、ポキンと音がして、吉公は、キャアといって、ひっくり返りました。


おれは、急いで家ん中さ逃げこみました。


外じゃ、近所の人が集まって来て、ワイワイ騒いでいました。そのうちに、おとっちゃんが、青い顔して入って来て、おれにはなんにも言わねで、ごろんと炉ばたへ寝ころんでしまいました。


あとで聞いたら、吉公の足の骨がくじけたんだって、警察さ訴えるなんて、大さわぎしたそうです。おら、ずいぶん心配しました。駐在所のよっちゃんが仲よしだから、行って、かんべんしてくれるように頼んでもらうべかとよっぽど思いました。


次の日んなって、源作おじさんが来て、おとっちゃんが、足の療治代出して、仲なおりすることになりました。


おら、おとっちゃんには、貧乏だのに金つかわせて、わりいことしたと思います。そんでも、吉公には、ちっともわりいなんて思えねんです。源作おじさんだって、ずいぶんえこひいきだと思うんです。吉公は足の骨折ったかしんねが、おとっちゃんだって腰ぶって、十日も仕事に出らんなかったんです。おら、あんときのこと考えると、今でもくやしいと思います。


そんでもおとっちゃんは、無事にすんでよかったって、みんなにお礼を言いました。そして、おれにも、


「安心しろ、おれが悪かったんだ。はあ、あんなことしねえかんな。」


と言いました。


このさわぎで、おれは三日も学校を休みました。近藤先生が、心配して来てくれました。おとっちゃんが、そん時の話をくわしくしますと、近藤先生はおれの頭なぜて、


「よしよし、しからないから、明日から学校へ出てくんだぞ。」


と言って帰りました。


次の日、学校へ行ぐと、みんなおれのまわりさ寄って来ました。高等科の生徒まで、集まってきました。そして、


「おめえ、どんな薪たんぼでぶったんだ。」だの


「両方の手でふりあげたんけ、片手でけ。」だの


「いくつぶんなぐった。」だのって聞きます。おれが、そん時の話すると、みんな腹たてて、


「吉公のやろ、ほんとになまいきなんだぞ。こんだ自動車来たら、とおせんぼしてやれ。」


なんて言っていました。


あと二月たつと、おれも尋常科卒業します。みんあ中学さ行ったり、高等科さあがったりしますが、おら、行がれそもないから、そしたら何すべかと考えています。あにさんも考えてください。おれは、商人(あきんど)になるべかと思うんです。紙だの、えんぴつだの、学校道具のいいのは、みんな町から持ってくんだから、こういうの、しょって歩いたら売れると思うんです。近藤先生にも、相談してみべと思っています。


こないだ、学芸練習会がありました。こんでもう、練習会もおしまいなんです。そん時、となり村だの、町からだの、大ぜいえらい人が来ました。


おれは、六年生の級長なんで、出てあいさつさせられました。あいさつがすんで、壇をおりてきがけに、窓のほう見たら、おとっちゃんが、外からジッとのぞいていました。おれは、胸がドキンとしました。おとっちゃんは、誰か今日のお客様のせて、学校へ来てたんです。


練習会がすんで、おれがいちばんしまいになって、学校から帰りかけると、門のとこに、おとっちゃんが、から車ひっぱって立っていました。


「だれか待ってんの。」って聞くと、


「ううん、おめえ待ってたんだ。」って言います。


「そうけ、んじゃ、けえんべ。」


「ああ。」


二人でならんで、帰ってきました。


そうすると、おとっちゃんが、


「おめえ、車さ乗んな。」って言います。


「やだ、おとっちゃんの車さ、乗れっけ」


って、おれがことわっても、どうしても乗れってきかねんです。


しかたがねえから、おれが乗ると、おとっちゃんは、お客様みてえにていねいに毛布(けっと)かけて、ニコニコしてひきだしました。


「おら、わりいようだな。やだなあ。」


って言うと、よけいおとっちゃんは元気だして、


「ハイヨ、ハイヨ。」なんてかけて行ぐんです。みんなが見てんのもかまわねで、おれを乗せたまんま、とうとう、うちまで来ちゃって、


「ヘイ、おかえり。」


って言うんで、おれはまっ赤んなって、わらいながらとびおりました。あとで、


「あんなことしちゃ、やだなあ。」って言うと、


「おめえ、今日のあいさつ、うまかったなあ。おら、何かごほうびやりてえんだが、なんにもねえから、車さ乗せてやったんだ。」


とわらいわらい言いました。


おら、ほんとにいいおとっちゃんだと思いました。


もう日光山はまっ白です。街道は、枯れっ葉が毎日おっかけっこしています。むかいに、おまんじゅう屋の新店(しんみせ)ができました。ひとつ二銭で、とてもおっきなおまんじゅうです。おっかちゃんは、東京にもあんめと言っています。こんだ、あにさんが帰ったらごちそうします。さいなら。


                           木村定吉(さだきち)


東京の兄(あに)さんへ



以上です。6年生の後半に読み聞かせたいお話でしょうか。



 【たぬきの糸車】   岸なみ・作  (光村図書:小学1年国語教科書:下巻より)


 むかし、ある 山おくに、きこりの ふうふが すんで いました。山おくの 一けんやなので、まいばんのように たぬきが やってきて、いたずらを しました。そこで、きこりは わなを しかけました。



 ある 月の きれいな ばんの こと、おかみさんは、糸車を まわして、糸を つむいで いました。


 キーカラカラ キーカラカラ


 キークルクル キークルクル


 ふと 気が つくと、やぶれしょうじの あなから、二つの くりくりした 目だまが、こちらを のぞいて いました。


 糸車が キークルクルと まわるに つれて、二つの 目だまも、くるりくるりと まわりました。そして、月の あかるい しょうじに、糸車を まわす まねを する たぬきの かげが うつりました。


 おかみさんは、おもわず ふきだしそうに なりましたが、だまって 糸車を まわして いました。


 それからと いうもの、たぬきは、まいばん まいばん やって きて、糸車を まわす まねを くりかえしました。


「いたずらもんだが、かわいいな。」



 ある ばん、こやの うらで、キャーと いう さけびごえが しました。おかみさんが こわごわ いって みると、いつもの たぬきが、わなに かかって いました。


「かわいそうに。わなになんか かかるんじゃ ないよ。たぬきじるに されて しまうで。」


 おかみさんは、そう いって、たぬきを にがして やりました。


 やがて、山の 木の はが おちて ふゆが やって きました。ゆきが ふりはじめると、きこりの ふうふは、村へ おりて いきました。



 はるに なって、また きこりの ふうふは、山おくの こやに もどって きました。


 とを あけた とき、おかみさんは あっと おどろきました。


 いたの間(ま)に、白い 糸の たばが、山のように つんで あったのです。その うえ、ほこりだらけの はずの 糸車には、まきかけた 糸まで かかって います。


「はあて、ふしぎな。どうした こっちゃ。」


 おかみさんは、そう おもいながら、土間で ごはんを たきはじめました。すると、


 キーカラカラ キーカラカラ


 キークルクル キークルクル


と、糸車の まわる 音が、きこえて きました。びっくりして ふりむくと、いたどの かげから、ちゃいろの しっぽが ちらりと 見えました。


 そっと のぞくと、いつかの たぬきが、じょうずな 手つきで、糸を つむいで いるのでした。たぬきは、つむぎおわると、こんどは、いつも おかみさんが して いた とおりに、たばねて わきに つみかさねました。


 たぬきは、ふと、おかみさんが のぞいて いるのに 気が つきました。


 たぬきは、ぴょこんと そとに とびおりました。そして、さも うれしくて たまらないと いうように、ぴょんぴょこ おどりながら かえって いきましたとさ。



光村図書:小学1年国語教科書:下巻には、むらかみ ゆたかさんの、ほのぼのとした挿絵がありました。ただ、光村図書の国語教科書で学習している1年生の子どもたちには、学校での「たぬきの糸車」の学習が終わってから、読み聞かせをするという配慮だけは必要です。興味深かったのは、歴史民俗(歴史文化)資料館で、本物の糸車が動くのを見た子どもは、


「キーカラカラー キーカラカラー」


「キークルクルー キークルクルー」


と、語尾を伸ばして、いかにも糸が回っているかのように音読していたことです。みんなも、それを真似して、とても楽しい音読になりました。



【スイミー】レオ=レオニ・作・絵 たにかわしゅんたろう・訳(光村図書:小学2年国語教科書:上巻より)


広い 海の どこかに、


小さな 魚の きょうだいたちが、楽しく くらしていた。


みんな 赤いのに、一ぴきだけは、からす貝よりも まっ黒。


およぐのは、だれよりも はやかった。


名まえは スイミー。


ある 日、おそろしい まぐろが、おなかを すかせて、


すごい はやさで ミサイルみたいに つっこんで きた。


一口で、まぐろは、小さな 赤い 魚たちを、


一ぴき のこらず のみこんだ。


にげたのは スイミーだけ。


スイミーは およいだ、くらい 海の そこを。


こわかった。さびしかった。とても かなしかった。


けれど、海には、すばらしい ものが いっぱい あった。


おもしろい ものを 見る たびに、スイミーは、


だんだん 元気を とりもどした。


にじ色の ゼリーのような くらげ。


水中ブルドーザーみたいな いせえび。


見た ことも ない 魚たち。


見えない 糸で 引っぱられて いる。


ドロップみたいな 岩から 生えている、


こんぶや わかめの 林。


うなぎ。顔を 見る ころには、


しっぽを わすれているほど ながい。


そして、風に ゆれる


もも色の やしの木みたいな いそぎんちゃく。


その とき、岩かげに スイミーは 見つけた、


スイミーのと そっくりの、小さな 魚の きょうだいたちを。


スイミーは 言った。


「出て こいよ。みんなで あそぼう。


おもしろい ものが いっぱいだよ。」


小さな 赤い 魚たちは 答えた。


「だめだよ。大きな 魚に たべられてしまうよ。」


「だけど、いつまでも そこに


じっと している わけには いかないよ。


なんとか 考えなくちゃ。」


スイミーは 考えた。


いろいろ 考えた。うんと 考えた。


それから、とつぜん、スイミーは さけんだ。


「そうだ。みんな いっしょに およぐんだ。


海で いちばん 大きな 魚の ふりを して。」


スイミーは 教えた。


けっして、はなればなれに ならないこと。


みんな、もち場を まもること。


みんなが、一ぴきの 大きな 魚みたいに


およげるように なった とき、


スイミーは 言った。


「ぼくが、目に なろう。」


朝の つめたい 水の 中を、


ひるの かがやく 光の 中を、


みんなは およぎ、大きな 魚を おい出した。


光村図書:小学2年国語教科書:上巻には、レオ=レオニさんの、イメージ豊かな挿絵がありました。谷川俊太郎さんの訳も、リズム感があって、いい感じです。ただ、光村図書の国語教科書で学習している2年生の子どもたちには、学校での「スイミー」の学習が終わってから、読み聞かせをするという配慮だけは必要でしょう。その学校の1年生も同様です。



韓国の民話【三年とうげ】 リ・クムオギ(李綿玉)作    (光村図書:小学3年国語教科書:下巻より)


ある所に、三年とうげとよばれるとうげがありました。あまり高くない、なだらかなとうげでした。


春には、すみれ、たんぽぽ、ふでりんどう。とうげからふもとまでさきみだれました。れんげつつじのさくころには、だれだってため息の出るほど、よいながめでした。


秋には、かえで、がまずみ、ぬるでの葉。とうげからふもとまで美しく色づきました。白いすすきの光るころは、だれだってため息の出るほど、よいながめでした。


三年とうげには、昔から、こんな言いつたえがありました。


「三年とうげで 転ぶでない。


三年とうげで 転んだならば、


三年きりしか 生きられぬ。


長生きしたけりゃ、


転ぶでないぞ。


三年とうげで 転んだならば、


長生きしたくも、生きられぬ。」


ですから、みんな、転ばないように、おそるおそる歩きました。



ある秋の日のことでした。一人のおじいさんが、となり村へ、反物(たんもの)を売りに行きました。そして、帰り道、三年とうげにさしかかりました。白いすすきの光るころでした。おじいさんは、こしを下ろしてひと息入れながら、美しいながめにうっとりしていました。しばらくして、


「こうしちゃおれぬ。日がくれる。」


おじいさんは、あわてて立ち上がると、


「三年とうげで 転ぶでない。


三年とうげで 転んだならば、


三年きりしか 生きられぬ。」


と、足を急がせました。


お日さまが西にかたむき、夕やけ空がだんだん暗くなりました。


ところがたいへん、あんなに気をつけて歩いていたのに、おじいさんは、石につまずいて転んでしまいました。おじいさんは真っ青になり、がたがたふるえました。


家にすっとんでいき、おばあさんにしがみつき、おいおいなきました。


「ああ、どうしよう、どうしよう。わしのじゅみょうは、あと三年じゃ。三年しか生きられぬのじゃあ。」


その日から、おじいさんは、ごはんも食べずに、ふとんにもぐりこみ、とうとう病気になってしまいました。お医者をよぶやら、薬を飲ませるやら、おばあさんはつきっきりでかん病しました。けれども、おじいさんの病気はどんどん重くなるばかり。村の人たちもみんな心配しました。


そんなある日のこと、水車屋のトルトリが、見まいに来ました。


「おいらの言うとおりにすれば、おじいさんの病気はきっとなおるよ。」


「どうすればなおるんじゃ。」


おじいさんは、ふとんから顔を出しました。


「なおるとも。三年とうげで、もう一度転ぶんだよ。」


「ばかな。わしに、もっと早く死ねと言うのか。」


「そうじゃないんだよ。一度転ぶと、三年生きるんだろ。二度転べば六年、三度転べば九年、四度転べば十二年。このように、何度も転べば、ううんと長生きできるはずだよ。」


おじいさんは、しばらく考えていましたが、うなずきました。


「うん、なるほど、なるほど。」


そして、ふとんからはね起きると、三年とうげに行き、わざとひっくり返り、転びました。


このときです。ぬるでの木のかげから、おもしろい歌が聞こえてきました。


「えいやら えいやら えいやらや。


一ぺん転べば 三年で、


十ぺん転べば、三十年。


百ぺん転べば、三百年。


こけて 転んで ひざついて、


しりもちついて でんぐり返り、


長生きするとは、こりゃ めでたい。」


おじいさんは、すっかりうれしくなりました。


ころりん、ころりん、すってんころり、ぺったんころりん、ひょいころ、ころりんと、転びました。


あんまりうれしくなったので、しまいに、とうげからふもとまで、ころころころりんと、転がり落ちてしまいました。


そして、けろけろけろっとした顔をして、


「もう、わしの病気はなおった。百年も、二百年も、長生きができるわい。」


と、にこにこわらいました。


こうして、おじいさんは、すっかり元気になり、おばあさんと二人なかよく、幸せに、長生きしたということです。


ところで、三年とうげのぬるでの木かげで、


「えいやら えいやら えいやらや。


一ぺん転べば 三年で、


十ぺん転べば、三十年。


百ぺん転べば、三百年。


こけて 転んで ひざついて、


しりもちついて でんぐり返り、


長生きするとは、こりゃ めでたい。」


と歌ったのは、だれだったのでしょうね。



光村図書:小学3年国語教科書:下巻には、パク・ミニ(朴民宜)さんの、ほのぼのとした挿絵がありました。文章もリズミカルで、いい感じです。ただ、光村図書の国語教科書で学習している3年生の子どもたちには、学校での「三年とうげ」の学習が終わってから、読み聞かせをするという配慮だけは必要です。低学年も、です。



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by takaboo-54p125 | 2010-08-02 13:08 | お話・リズム遊び・室内ゲーム