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昨年11月末、民放テレビ番組(毎日放送だったと記憶しています)で、兵庫県西宮市にある「アドバンス西宮」が、障害者と高齢者が共に働く場を実現しておられることを紹介していました。おっ!と思いました。


そこで、その中核を担っておられるであろう特定非営利活動法人「西宮障害者雇用支援センター協会」のホームページを拝見しました。ホームページでは、理念・沿革、支援プログラム、就労支援事業、事業所紹介、活動紹介、採用・サービス利用情報などが、わかりやすく載っていました。なるほど!と感服いたしました(今の国策が補助金対象事業所の数をこれ以上増やさず減らす方向にあることは、心配ではありますが・・)。


その特定非営利活動法人「西宮障害者雇用支援センター協会」さんのホームページを、直接ご覧になられることをオススメします。学ぶところが多いのではないでしょうか。

http://advance-g.jp/



by takaboo-54p125 | 2016-05-14 05:14 | 教材

今から半年前、2015年9月15日の朝日新聞2面の連載記事「ひと」に、「子どものストリートダンサーを輩出する教室を主宰 Gさん」というタイトルの記事が載っていました。その記事を切り抜いて、残しておきました。本文の抜粋は、以下のとおりです。


『福島市で子ども向けのストリートダンス教室「Dance Studio Vivid」を主催する。(中略)様々な大会の入賞者を生み出す国内有数の教室だ。


(中略)2008年、教室開設に踏み切った。自宅を売り、借金もした。(中略)


東京電力福島第一原発事故で、当時の生徒約80人のうち20人が避難してやめた。娘の被曝も心配だった。しかし「ここでダンスしたいから避難しない」と言う子どもたちのために歯をくいしばった。


(中略)生徒は現在200人。3割は県外から通う。来年は倍の広さの教室に移る。』


記事の全文は朝日新聞デジタルや図書館などでお読みください。Gさんがダンス教室を開いた、そもそものきっかけが、東京で娘さんのダンスを否定された悔しさですから、地方に住む私たちにも元気と勇気を与えてくださいます。


しかも、福島発のダンス教室で、全国有数と言われるレベルまで育てられ、200名の生徒の30%が福島県外から通っているという事実には、震災復興の1つの形と言う以上の何かしら生命力みたいなものを、つくづく実感しました。「Dance Studio Vivid」のみなさんの、益々のご活躍・ご発展を祈ります。


この5年間で、福島県のみなさまの多種多様なパワーの息吹をいっぱい感じさせてもらいました。ありがとうございます。

関連ページ

元気のもとは「支え合って、つながること」「学校の実働部隊応援団コミュニティ・スクール」「福島の韓国人留学生」・北海道・東京・愛知・京都・大阪・兵庫・沖縄・トルコ・和歌山など

http://sg2takaboo.exblog.jp/24898202/



by takaboo-54p125 | 2016-03-12 05:00 | 教材

どちらも新聞記事ですが、3、11を前にして、改めて紹介させてください。


まず、読売新聞2015年5月9日31面に「彦根東高新聞部 東日本大震災の特集を始めて5年目に入った。・・」という4段の大きな記事が載っていました。記事では、彦根東高新聞部は特集を続けることに迷い悩みながらも「先月末、4回目の震災復興支援特集号を発行した。」と書いてありました。また、「新聞の社説に当たる1面の部説には『無関心と無知は復興の最大の妨げとなる』と主張・・」と、特集を続ける主旨(現地取材で聞き取りをする中で見えてきたこと)も紹介していました。


次に、朝日新聞2015年5月9日2面の「ひと欄」では「原発事故被災地に移住した作家 柳美里さん」を紹介していました。記事には「先月・・福島県南相馬市の借家に運び込んだ。・・売れっ子の芥川賞作家がなぜここに?」とありました。そして、「祖国を捨てた祖父(弾圧を逃れて)、母の語った集落の喪失、帰郷できない原発事故被災者‥‥。在日3世の自分にとって、故郷とは何なのか。『通うのでなく暮らしながら考えたい』。鎌倉の家を売り、退路を断って。」と結んでました。


それぞれの立ち位置は違いますが、作家として、高校新聞部として、今できることを真剣に考えて実行されているという点では、一致するのではないでしょうか。偶然にも同じ日に、偶然にも2つの新聞記事を読んだだけの私にできることなどは、はるかにちっぽけで、お恥ずかしい限りですが、せめて紹介させていただけたら、と思いました。結果として置き去りにされている被災者の方々の現実に無関心・無知であってはならない、被災者の方々のお気持ちを決して忘れてはならないと、柳美里さんと彦根東高校新聞部さんから教えられました。


今、人々の暮らしの基盤を1日も早く何とかしなければならない福島県・宮城県・岩手県などでは、近い将来の人口減少というわが国全体の課題についても、先行する形で取り組んでおられ、私たちが具体的に学ぶことはとても多いと感じています。


また、以前、当ブログでも紹介した、チェルノブイリ原発事故で医療支援をされていたお医者さん鎌田實さんの、絵本「ほうれんそうは ないています」(ポプラ社)が、2015年3月の第20回絵本賞(主催 全国学校図書館協議会・毎日新聞社)で、読者賞2位に入ったことを、1年後の今頃になって知りました。

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by takaboo-54p125 | 2016-03-05 05:02 | 教材

「世界でいちばん貧しい大統領のスピーチ」という絵本と文庫本を買って読みました。いつもながら不勉強な私ですので、昨年12月に人から教えてもらって初めて知りました。教えてくださったお心遣いに、心より感謝します。ウルグアイのホセ・ムヒカ前大統領(第40代大統領:2010年3月1日~2015年2月末)のことでした。


2015年12月は「国連気候変動枠組み条約 第21回締結国会議(COP21)」があり、196カ国・地域が協調して温室効果ガス削減に取り組む「パリ協定」が、1997年の「国連気象変動枠組条約 第3回締約国会議(COP3)」での「京都議定書」から、なんと18年ぶりに採択(1995年から毎年開催されるCOP:初めて全参加国に目標義務化)されました。その間、さまざまな地球温暖化対策の国際会議はありましたが、各国の利害が絡むので実効性のある具体策は、合意できていませんでした。ですから、2012年6月、「国連持続可能な開発会議(リオ+20)」がリオデジャネイロで開催された時の、ホセ・ムヒカ大統領の演説が会場の各国代表から拍手喝采を浴び、いち早く世界中に伝わり、絵本にまでなったのかなと思います。そのホセ・ムヒカ大統領のスピーチの、ごく一部だけですが、紹介させてください。


『(前半略)私たちは発展するために、生まれてきたのではありません。この地球で、幸せになるために生まれてきたのです。(中略)


古代の賢人エピクロス(古代ギリシャの哲学者 精神的快楽主義の祖)やセネカ(=小セネカ ローマ帝国の哲学者 皇帝ネロの家庭教師)、そしてアイマラ民族(南米アンデス地域の先住民族)は、次のように言いました。


貧乏とは、少ししか持っていないことではなく、限りなく欲があり、いくらあっても満足しないことである


この言葉は、人間にとって何が大切かを教えています。(中略)


知らなくてはなりません。水不足や環境の悪化が、今ある危機の原因ではないのです。本当の原因は、私たちがめざしてきた「幸せの中身」にあるのです。見直さなくてはならないのは、私たち自身の生き方なのです。(後半略)』


ホセ・ムヒカ大統領は、大統領公邸には住まずに首都モンテビデオ郊外の質素な農場で暮らしながら、大統領の給与の約9割を寄付し、月千ドルあまりで生計を立てておられたそうです。また、旅客機に乗る時は、エコノミークラスを利用されていたそうです。さらに、公用車を使わず、当選祝に友人から贈られた1987年製(中古の)フォルクスワーゲン・ビートルに乗り、その愛車を大富豪が大金で買い取りたいという申し出も断られたそうです。こうした数々のエピソードから、「世界でいちばん貧しい大統領」と呼ばれるようになったと聞きました。しかし、ホセ・ムヒカ大統領の言葉を借りるなら「貧乏とは、少ししか持っていないことではなく、限りなく欲があり、いくらあっても満足しないこと」ですから、ホセ・ムヒカ大統領の「貧しさの基準」は、「物」ではなく「心」に置いておられることがわかりました。


なお、ホセ・ムヒカ前大統領とは違う意味で、タバレ・バスケス現大統領(第41代大統領)も尊敬されるウルグアイ大統領であることもつけ加えておきます。医師でもあるタバレ・バスケス大統領は、旅客機に搭乗中、旅客機内の急患に対応(応急処置)されたことが、少なくとも3回あるそうです。ウルグアイは、何かしら人として魅力あふれる大統領を続けて輩出している国ですね。


さて、ホセ・ムヒカ氏が演説で警告されたとおり、2016年1月29日(金)朝日新聞10面に「イラン 進む大気汚染」という記事が載っていました。記事の冒頭には「中国、インドだけではない。中東イランも深刻な大気汚染に苦しむ。汚染の主な原因は車の排ガスだ。(以下略)」とのことです。他人事では済ませられないと感じます。


まずは、絵本「世界でいちばん貧しい大統領のスピーチ」(15万部突破)、文庫本「世界を動かすことば 世界でいちばん貧しい大統領のスピーチ」〈角川つばさ文庫〉、単行本「世界でいちばん貧しい大統領からきみへ」(日本へのメッセージ)などを直接読まれることをオススメします。絵本の前書きには、『ムヒカ大統領を、ウルグアイの人々は親しみをこめて「ぺぺ」とよんでいます。』と書いてありました。


余談になりますが、ウルグアイと私の接点は1度だけ、サッカーのクラブ世界一を決める第1回トヨタカップ、南米代表のナシオナル・モンテビデオの応援団席で、はるばるウルグアイから来られた方々と一緒に応援したことです。


関連ページ
教材:国際理解教育[アメリカ・インディアン、エスキモーを大切に][ネイティブ・アメリカン、イヌイットを正しく][日韓交流:尊重し合い認め合う]福島にとどまる留学生、湖人、KAZUへ、大統領の言葉
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by takaboo-54p125 | 2016-03-01 05:11 | 教材

今から7ヶ月前になりますが、目にとまった新聞記事を切り抜いて残しておきました。先日、棚の上を整理していたら、その切り抜き記事が見つかりました(私自身、元々整理整頓が苦手で、しかも、年々忘れっぽくなっているからです)。2015年2月12日(木)朝日新聞朝刊4面(経済)の大きな記事でした。その冒頭部分だけ紹介させてください。


内視鏡 匠が磨く オリンパス、福島で世界シェア7割


胃腸の検査でおなじみの消化器内視鏡。約4千億円とされる世界市場のおよそ7割が、福島県にあるオリンパスの工場でつくられているという。最小レンズの直径は、シャープペンシルの芯の太さの半分ほど。そんな繊細なレンズ加工は、受け継がれてきた「匠」の技が支えている。 地域発 企業発(以下略)』


と、はじめに書いてありました。さらに興味深い記事は続きますが、取材をされた新聞記者さんに申し訳ないので、省略します(詳細は図書館や朝日新聞デジタルで、お読みください)。


記事の最後に、2012年から始まった「ふくしま産業復興企業立地補助金」で交付指定を受けた、沖データ、コマツ、パナソニックなどの企業が、福島県内に設備投資を進めていると書いてありました。補助金では、投資額に応じて地元からの新規採用を義務づけているそうです。


5月23日のブログ記事で紹介しました中学校の「合唱や管弦楽や声楽アンサンブル」に加えて、今回、紹介いたしました、脈々と受け継がれている「磨き抜かれた匠のわざ」・・さまざまな形で福島県のみなさんから「元気」を分けてもらっているのは、私たちのほうだと実感しております。

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元気の力「絆の形」【こんな日本人も】ハイチ・ベラルーシ・イスラエル・パレスチナ・中東・リトアニア・極東・ミャンマー,鳥取・京都・岩手・福岡・福井・大阪・島根【こんな日本・中国・韓国の人も】東京・大阪
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by takaboo-54p125 | 2015-09-12 05:07 | 教材

国語の物語文教材において、登場人物の心情を問うことは少なくないと思います。ところが、私は最初の転任後、ほとんど心情を問うことをしなくなりました。その代わり、登場人物の表情・言動の変化、登場人物の仕草の細やかな様子、それに関わる情景描写を問うことが、私の授業スタイルになっていました(まあ、ひねくれ者でした)。


2013年6月19日(水)朝日新聞20(教育)面に「ごんの気持ち 伝わった」という記事が載っていました。びっくりしました。記事のサブタイトルは次のとおりです。


〈南吉オリジナル版テキスト作成〉


〈(前略)オリジナル原稿に光を当てようと、私立立命館小学校(京都市)の岩下修教諭が、絵入りのテキストをつくった。〉


という一文が記事の前文の後半にありました。記事の本文も一部紹介します。教科書の「ごんぎつね」が「赤い鳥」版だということは、私も知りませんでした。


〈(前略)子どもたちが「赤い鳥」版の長所に挙げるのは、「ごんが撃たれながら『うれしくなりました』という自筆原稿だと、兵十にごんの思いが伝わらない。うなずきましたの方がいい」、「難しい言葉や漢字がなく、わかりやすい」自筆原稿の方は、「気持ちが届いて『うれしくなりました』とはっきり書いてあり、私もうれしくなる」「兵十の『おや—————— 』はすごい。驚きや後悔などいろいろな気持ちがこもっている」教科書だけを読んだ授業では「罪を償うことの大切さが主題」と受けとる子が目立った。自筆原稿の文を示すと「ごんが自分と同じように孤独な兵十につながりを求め続けた思い」を感じ取る子が増えたという。(後略)〉


「赤い鳥」掲載の「ごん狐」と、自筆原稿の「権狐」の、ラストシーンも載っていました。どちらも【旧仮名遣い】のままというのが、なんかいいですよね。記事で紹介されていた、両方の原稿は、以下のとおりです。


〈「ごん狐」(「赤い鳥」に掲載された作品)〉


〈ごんは、ばたりとたほれました。兵十はかけよつて来ました。家の中を見ると土間に栗が、かためておいてあるのが目につきました。「おや。」と兵十は、びつくりしてごんに目を落しました。「ごん、お前だつたのか。いつも栗をくれたのは。」ごんは、ぐつたりと目をつぶつたまま、うなずきました。兵十は、火縄銃をばたりと、とり落しました。青い煙が、まだ筒口から細く出てゐました。〉


〈「権狐」(新美南吉の自筆原稿)〉


〈権狐は、ばったり倒れました。兵十はかけよつて来ました。所が兵十は、背戸口に、栗の実が、いつもの様に、かためて置いてあるのに目をとめました。「おや——————。」兵十は権狐に目を落しました。「権、お前だつたのか・・・・・・。いつも栗をくれたのは———。」権は、ぐつたりなつたまま、うれしくなりました。兵十は、火縄銃をばつたり落しました。まだ、青い煙が、銃口から細く出てゐました。〉


びっくり仰天の〈新聞記事〉の紹介(抜粋)は、以上です。


ごんの心情を、最も問いたい場面


この記事を読んだ時、私は石井順治先生の講演(昨年冬2013年2月15日)を思い出しました。石井先生が言いたかったことを、ノートのメモ書きを頼りに、私なりにふり返ってみます。


『ごんぎつね【三の場面】


『兵十が、赤い井戸のところで、麦をといでいました。兵十は今まで、おっ母と二人ふたりきりで、貧しいくらしをしていたもので、おっ母が死んでしまっては、もう一人ぼっちでした。「おれと同じ一人ぼっちの兵十か」こちらの物置ものおきの後うしろから見ていたごんは、そう思いました。』


ここのところは、ごんの思いをしっかりと、子どもたちに聞くのが大切です。「どこから、そう思うの?」と、「おっ母と二人ふたりきりで」「貧しいくらし」「おっ母が死んで」「もう一人ぼっちでした」といった言葉にふれながら、「おれと同じ一人ぼっちの兵十か」とつぶやくごんの本当の思い・・・それに、子どもが気づくのをいざなうのが、教師の役割ではないでしょうか。


そこで、ごんの真意を受けとめた子どもたちは、次の行(教科書の7行目)


『ごんは物置のそばをはなれて、向うへいきかけますと、どこかで、いわしを売る声がします。「いわしのやすうりだアい。いきのいいいわしだアい」ごんは、その、いせいのいい声のする方へ走っていきました。・・・』


からは、ごんの気持ちを追求するのではなく、ごんの姿を描き合う場面になります。子どもたちが、兵十へのどんな思いを受けとめたかによって、その後の、ごんの行動の受けとめ方も大きく変わってくるでしょう。』


以上、三重県伊賀市立河合小学校:公開授業研で石井先生が講演された時に、少しふれてくださった部分の紹介です。私のいい加減なメモと、さらにあやふやな記憶を元にしておりますので、石井先生の意図とずれていたら、すみません。ただ、ほとんど物語文教材で登場人物の心情を問わなかった私が、この場面では、ごんの心情(兵十への思い)を、今、子どもたちに問いたくなりました。


せつないごんの思い・姿を、読み味わいましょう


子どもたちが、全文をていねいに読んで、個人学習で、気になる箇所に線を引いてから、この【三の場面】を読み取ると、ごんは、うなぎの償いのためだけに、ひたすら運んだわけではないことに気づいてくれる子が、少数ですが、必ずいてくれます。そういう子の考えに、うまく光をあてることができたとしたら、「償い」だけと思っていた子どもたちの視野を、グンと広げてくれる可能性が出てくるでしょう。


そもそも、何の見返りも求めない「償い」って、1,2回はできても、そうそう長続きするものではありません。それは、兵十と加助の会話を聞いたごんが


「へえ、こいつはつまらないな」「おれは引き合わないなあ」


と思うところで、子どもたちも、どうやら「償い」だけではないことに気づきます。子どもたちは


「わかってほしかった」「認めてほしかった」


と言うかも知れません。その場合、石井先生のように


「どこの文から、そう思うの?」


と問い返してみることで、


「なるほど、その文から、そう読むこともできるのか」と、クラスみんなで、自分と違う意見も認め合い、共有し合える時間にしたいものです。みんなで意見を出し合って読み味わう場合に、最も大切にしたいことのひとつですよね。


じゃあ、「償い」以外の何なのかを考えるための発問例を少し挙げてみます。


「うなぎの時のごんと、いわしの時のごん、では、どんなことが違うかな」


「兵十に次々と物を届ける、ごんの届け方には、どんな違いが出てくるかな」


「お念仏がすむまで井戸のそばでしゃがんで待って、二人のあとをついて行ったごんは、どんな話を聞きたかったのかな」


子どもたちが、ごんの求めている願いを、少しでも感じ取ってくれたら、と思って、以上の発問を、ない知恵をしぼって、ひねり出してみました。


ごんの


「つぐない=おれのせいで・・兵十のために・・してあげたい」


が、いつの間に


「つながり=兵十のために・・兵十を求めて・・認めてほしい」


に変わったのか、それとも【三の場面】から両方の思いがあったのか、教師の解釈を子どもに押しつけるわけにはいきません。ただ、【三の場面】において、石井先生が大事にしたいと言っておられた


「おれと同じ一人ぼっちの兵十か」とつぶやく、孤独なごんの胸中、


岩下先生が指摘されている「自分と同じように孤独な兵十につながりを求め続けた思い」に少しでもふれながら、子どもたちが【三の場面】を読み味わうことができたら、ごんがせっせと続ける行動の微妙な変化をも、より豊かにイメージできるのではないでしょうか。そういう意味でも、この「オリジナル版テキスト」には価値があると、私も思います。


人と人とのつながりが希薄になってきた現代社会だからこそ、兵十に伝えたい思いを不器用にしか行動できないごん、そんなごんの、思いをうまく伝えられないもどかしさ、これらに、ぜひ、子どもたちがふれてほしい(気づいてほしい)と願います。人と人が「伝え合う」ことの大切さを実感するためにもです。


なお、記事の最後には、その南吉オリジナル版テキストを、立命館小学HPのNEWS一覧からダウンロードできることも書いてありました。さっそく拝見いたしました(以下のURLです)。


http://www.ritsumei.ac.jp/file.jsp?id=95805


本文も挿絵も、実に見事なテキストで、敬意を表します。「ごんぎつね」に対して慣れっこになっていた私の心の油断を、新鮮に揺さぶってくださった石井先生には、感謝いたします。そう言えば、石井先生の年賀状には、新美南吉記念館がご自宅から近いと書いてありました。そして、貴重なオリジナル教材を発掘されて実践に生かしておられる岩下先生には、頭が下がります。こうして今、私は改めて「ごんぎつね」の奥深さを感じております。


(この記事は、EDUPEDIAへ2013年7月5日に投稿した内容です)

関連ページ
教材【日記の授業:指導案】【万引き・おもらし・お手伝い】【聞かせたい5話】【詩・冬の夜道:指導案・発問】【中学・職場体験授業:指導案】【発声練習:朝の会】【ごんぎつね:発問】
http://sg2takaboo.exblog.jp/24898472/


by takaboo-54p125 | 2015-07-25 05:14 | 教材

文部省唱歌「桃太郎」は、たしか次のような歌詞でした。


1.桃太郎さん桃太郎さん、お腰につけたきび団子、1つわたしにくださいな。


2.やりましょうやりましょう、これから鬼の征伐について行くならやりましょう。


3.行きましょう行きましょう、貴方についてどこまでも家来になって行きましょう。


この歌詞をセリフに使って、昔話「桃太郎」を思い出してみました。


『むかしむかし、あるところに、おじいさんとおばあさんが住んでいました。


おじいさんは山へしばかりに、おばあさんは川へせんたくに行きました。


おばあさんが川でせんたくをしていると、大きな桃がドンブラコ、ドンブラコと流れてきました。


おばあさんは、その大きな桃を家に持って帰りました。


桃を切ってみると、桃の中から元気な男の赤ちゃんが出てきました。


子どものいなかい、おじいさんとおばあさんは大喜びです。


桃から生まれた男の子を、桃太郎と名付けました。


桃太郎はよく食べて、よく育ち、それはそれは強い男の子になりました。


その桃太郎が言いました。


「おじいさん、おばあさん、これから鬼ヶ島へ行って、わるい鬼を退治してきます」


おじいさんは「日本一」と書いた旗を作り、おばあさんはきび団子を作りました。


桃太郎はそれをもらうと、鬼ヶ島へ出発しました。


まず、イヌに出会いました。


「桃太郎さん桃太郎さん、お腰につけたきび団子、1つわたしにくださいな」


「やりましょうやりましょう、これから鬼の征伐について行くならやりましょう」


「行きましょう行きましょう、貴方についてどこまでも家来になって行きましょう」


イヌはきび団子をもらい、桃太郎の家来になりました。


次は、サルに出会いました。


「桃太郎さん桃太郎さん、お腰につけたきび団子、1つわたしにくださいな」


「やりましょうやりましょう、これから鬼の征伐に、ついて行くならやりましょう」


「行きましょう行きましょう、貴方についてどこまでも家来になって行きましょう」


サルはきび団子をもらい、桃太郎の家来になりました。


そして、キジに出会いました。


「桃太郎さん桃太郎さん、お腰につけたきび団子、1つわたしにくださいな」


「やりましょうやりましょう、これから鬼の征伐について行くならやりましょう」


「行きましょう行きましょう、貴方についてどこまでも家来になって行きましょう」


キジはきび団子をもらい、桃太郎の家来になりました。


桃太郎はイヌ・サル・キジといっしょに、鬼ヶ島へ着きました。


イヌは鬼にかみつき、サルは鬼をひっかき、キジは鬼をつつきました。


そして桃太郎も、鬼たちをこらしめました。


とうとう、鬼の大将が、


「桃太郎さん、まいりました。宝物を渡すので助けてください」


と、宝物を出しました。


桃太郎とイヌとサルとキジは、鬼から取り上げた宝物を積んで家に持ち帰りました。


おじいさんとおばあさんは、大喜びです。


こうして、3人と3匹は、宝物のおかげでしあわせにくらしました。』


概略はこんなお話だったでしょうか。私も、桃太郎という正義の味方が、鬼という悪いやつらを懲らしめるお話・・ぐらいに思っていました。


最近の絵本では、宝物を村人たちにも分けてあげた(返してあげた)という終わり方にしている絵本もあるようです。


ところで、福沢諭吉は明治初期、自分の息子2人のために書いた「ひゞのをしへ」(日々の教え)の中で、この昔話「桃太郎」について、次のように解釈しています。 


「もゝたろふが、おにがしまにゆきしは、たからをとりにゆくといへり。


けしからぬことならずや。


たからは、おにのだいじにして、しまいおきしものにて、たからのぬしはおになり。


ぬしあるたからを、わけもなく、とりにゆくとは、もゝたろふは、ぬすびとゝもいふべき、わるものなり。


もしまたそのおにが、いつたいわろきものにて、よのなかのさまたげをなせしことあらば、


もゝたろふのゆうきにて、これをこらしむるは、はなはだよきことなれども、


たからをとりてうちにかへり、おぢいさんとおばゝさんにあげたとは、


たゞよくのためのしごとにて、ひれつせんばんなり。」


昔話「桃太郎」の行動の是非を、どう解釈するかは、お話を読んだ個人に委ねられています。ですから、1つの価値観を押しつけるのではなく、是か非かも含めて、あれこれ論議するための教材として、この福沢諭吉の文章(古い文体)を小中学校や高校で採り上げるなら、何年生で扱うといいかなと、ふと思いました。なぜこんな話題を採り上げたかと言うと、先入観から自分たちの言動を一方的に正当化しようとする子どもたちが少なからずいる、というのが気になったからです。大人も、です。

関連ページ
教材『続・かさこじぞう』など【成人の日はお祝いの祝日、敬老の日は感謝の祝日】【地球が1mの球だったら】【釜石小学校校歌】【旅立ちの日に】【被災地を忘れない人】
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by takaboo-54p125 | 2015-06-27 05:03 | 教材

「ねこふんじゃった」  阪田寛夫:作詞


1,


ねこふんじゃった ねこふんじゃった


ねこふんづけちゃったら ひっかいた


ねこひっかいた ねこひっかいた


ねこびっくりして ひっかいた



わるいねこめ つめをきれ


やねをおりて ひげをそれ


ねこニャーゴ ニャーゴ ねこかぶり


ねこなでごえで あまえてる



ねこごめんなさい ねこごめんなさい


ねこおどかしちゃって ごめんなさい


ねこよっといで ねこよっといで


ねこ かつぶしやるから よっといで


2,


ねこふんじゃった ねこふんじゃった


ねこふんづけちゃったら とんでった


ねことんじゃった ねことんじゃった


ねこ おそらへ とんじゃった



あおいそらに かささして


ふわり ふわり くものうえ


ごろ ニャーゴ ニャーゴ ないている


ごろ ニャーゴ ニャーゴ とおめがね



ねことんじゃった ねことんじゃった


ねこすっとんじゃって もうみえない


ねこグッバイバイ ねこグッバイバイ


ねこ あしたのあさ おりといで



この「ねこふんじゃった」が阪田寛夫さんの作詞だと知って、驚きました。「ねこふんじゃった」は、ピアノを習っていない男の子たちが「ぼく、弾けるで」「ぼくも弾けるで」と口々に言って、交代しながらピアノで弾いてくれたのにも驚かされたことを覚えています。私にとって、「ねこふんじゃった」は、これで2度も驚かされた曲になりました。そんなこんなで、楽譜作成ソフト「ミューズスコア」で、一音一音入力してみました。ブログを引っ越すので、楽譜は省略いたします。


この「ねこふんじゃった」は作曲者不詳とのことです。阪田寛夫さんと言えば、童謡「サッちゃん」「おなかのへるうた」「ともだち賛歌」をはじめ、当ブログでもイチオシの「夕日がせなかをおしてくる」「びりのきもち」「練習問題」「年めぐり」「わかれのことば」「アンケートⅡおかあさんをなんとよびますか?」「そうだ村の村長さん」「きまりことば」など、数々のステキな詩を世に送り出してくださった詩人です。まさか、「ねこふんじゃった」も、阪田さんの作品だったとは知りませんでした。不勉強でした。改めて、今まで紹介させていただいた、阪田寛夫さんの詩8編をふり返ってみたいと思います。


次の詩は、小学校3年生の教科書(光村図書)にのっていた詩です。


夕日がせなかをおしてくる      さかた ひろお


夕日がせなかを おしてくる


まっかなうでで おしてくる


あるくぼくらの うしろから


でっかい声で よびかける


さよなら さよなら


さよなら きみたち


ばんごはんが まってるぞ


あしたの朝 ねすごすな


夕日がせなかを おしてくる


そんなにおすな あわてるな


ぐるりふりむき たいように


ぼくらもまけず どなるんだ


さよなら さよなら


さよなら たいよう


ばんごはんが まってるぞ


あしたの朝 ねすごすな



次の詩は、運動会シーズンの始まりに、ぜひ音読したい詩です。


びりのきもち            さかた ひろお



次の詩は、ほんまに率直な力強い詩です。


練習問題              さかた ひろお



次の詩には、法則が3つも、かくされています。


年めぐり              さかた ひろお



次の詩は、イマジネーションがメッチャ柔軟です。


わかれのことば           さかた ひろお


以上、「教室で読みたい詩12ヶ月」水内喜久雄・編著(民衆社)より この本には、たくさんの詩がのっています。3巻あります。おすすめの本です。



アンケートⅡ


おかあさんをなんとよびますか?   阪田寛夫


「みえる詩あそぶ詩きこえる詩」はせみつこ編(富山房)より


本書には、子どもと読みたい61編のいろんな詩人の詩が集められています。直接読まれることをオススメします。



そうだ村の村長さん         阪田寛夫


きまりことば            阪田寛夫


「しゃべる詩あそぶ詩きこえる詩」はせみつこ編(富山房)より


本書には、子どもと読みたい57編のいろんな詩人の詩が集められています。直接読まれることをオススメします。


以上です。

関連ページ
詩「教室で子どもたちと音読したい詩」小学生と読みたい109編&中学生と読みたい19編
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by takaboo-54p125 | 2015-04-11 05:11 | 教材

かつて、小学校の高学年を担任すると、必ず「冬の夜道」を子どもたちと読み味わいました。この詩の授業を、7回はしたでしょうか。それは、子どもたちに、将来、大人になった時の自分の「家族」を豊かにイメージするきっかけにしてほしかったからです。


 冬の夜道                  津村信夫


冬の夜道を 一人の男が帰ってゆく


はげしい仕事をする人だ


その疲れきった足どりが そっくり それを表している


月夜であった


小砂利をふんで やがて 一軒の家の前に 立ちどまった


それから ゆっくり格子戸を開けた


「お帰りなさい」


土間に灯がもれて 女の人の声がした


すると それに続いて


どこか 部屋のすみから


一つの小さな声が言った


また一つ


また一つ別の小さな声がさけんだ


「お帰りなさい」



冬の夜道は 月が出て ずいぶんと明るかった


それにもまして


ゆきずりの私の心には


明るい一本のろうそくが 燃えていた



まず、音読をしたら、意味のわからない言葉をどうにかします。「足どり」「小砂利」「「格子戸」「土間」「灯」「ゆきずり」などを、子どもたちは言うでしょう。どうにか意味がわかったところで、音読を入れます。


最初に問いたいのは、1人の男の行動の裏側にあるものです。


この男の人は、疲れていたから、ゆっくり開けたのかなあ?」と聞いてみたいです。子どもたちが「はげしい仕事」「疲れきった足どり」「そっくり」「やがて」「立ちどまった」「それから ゆっくり」などから、男の人の姿・状況を思い浮かべつつ、男の人の家族への温かさにまで思いをはせてくれたらいいなあ・・と思います。ある年には、「家族に、疲れきった顔を見せると心配させるので、一度立ちどまってから、深呼吸して、ゆっくり開けた」と語る子もいました。


次に問いたいのが、男の人を迎える家族の姿です。


この家は何人家族なのかなあ?」と聞いてみたいです。「女の人」「1つの小さな声」「言った」「また1つ また1つ」「別の小さな声」「さけんだ」などから、迎えたのは、3人か4人か意見が分かれるでしょう。その中で、迎えた時の家の中の様子や、男の人にかけた言葉も出てくればいいなあ・・と思います。別の年には、「小さな声が言ったのは低学年ぐらいの子で、小さな声がさけんだのは、3才ぐらいの双子で、3人の子どもがお父さんの帰りがうれしくて飛びついた」と語る子もいました。


最後に問いたいのは、ゆきずりの作者の姿です。


ゆきずりの私には、家で誰が待っているのかなあ?」と聞いてみたいです。「それにもまして」「ゆきずり」「私の心」「明るい」「1本のろうそく」「燃えていた」などから、思い思いに、作者も男と同じような家族がいる、作者は家族のいない1人暮らし、などを語ってくれたらいいなあ・・と思います。また別の年には、「『月の明るさ』と『ろうそくの明るさ』の違い(冷たい・温かい)から、1人ぼっちの作者だから心に灯った『ぬくもり』を、北風で消したくないほど大切にしたかった」と語る子もいました。


そして、もう1度音読しながら、この温かい家族と、心を温められた作者の情景をイメージしてくれたらいいなあ・・と思います。自分も大人になったら、こんな家族をつくりたいなという、子どもたちが描けるモデルの1つに、この詩がなってくれたらなあ・・と心から願いつつ・・。


実際には、こちらの思うようには、なかなか、子どもたちは描いてくれないものですが・・。どこと、どこで、グループ学習を取り入れたらいかは、迷うところです。今の時代の、ほとんどの子どもたちは「土間」も「格子戸」も知りませんから、1校時45分でやり終える自信も、ちょっとありません。でも、ステキな詩であることは確かです。


とにかく情景を思い浮かべてほしいので「男の人はどうして立ちどまったの?」「男の人はなぜ、ゆっくり開けたの?」「この家族を見た作者の気持ちは?」「明るい1本のろうそくって、作者が言いたかったことは何?」というような問いかけは、したくありませんでした。詩という文学作品を読み味わうとは、そういうことではないと思うからです。あくまでも情景をより豊かに思い描き、イメージすることを主にした授業を展開したいと考えるからです。そうする中で子どもたちが自ら、自然体で心情にもふれてくれるのではないでしょうか。

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by takaboo-54p125 | 2014-12-19 05:13 | 教材

たしか10月中旬頃の朝刊1面下の天声人語に載っていました。と書いた理由は、その記事を切り取って残しておいたので、今も手元にあるのですが、じつは日付をメモするのを忘れていたからです。


岩國哲人(いわくにてつんど)さんの著書を図書館で読んだことがあります。大阪生まれの島根育ちで、たいへん苦学されたそうです。日米の大手証券会社で活躍され、島根県出雲市長になられて取り組んだことを書かれた自叙伝「男が決断する時」だったような気がします。その後、衆議院議員もされて、米中韓の各大学客員教授などもなさったようです。国際金融界から出雲市長を経て政界まで渡り歩く大胆な人生を歩まれた方、という印象があります。しかし、この「おばあさんの新聞」というエピソードは、初耳でした。次のような記事(少年てっちゃん=岩國哲人氏)です。


『早くに父が亡くなり、家には新聞を購読する余裕がなくなった。好きなのでなんとか読み続けたい。少年は新聞配達を志願した。配った先の家を後で訪問し、読ませてもらおうと考えたのだ。


元島根県出雲市長で衆院議員を務めた岩國哲人さん(78)の思い出だ。日本新聞協会の新聞配達エッセーコンテストの大学生・社会人部門で今年、最優秀賞になった。題して「おばあさんの新聞」


小学5年の時から毎朝40軒に配った。読み終わった新聞を見せてくれるおじいさんがいた。その死後も、残されたおばあさんが読ませてくれた。中3の時、彼女も亡くなり、葬儀に出て実は彼女は字が読めなかったと知る。「てっちゃん」が毎日来るのがうれしくて(おばあさんは新聞を)とり続けていたのだ、と。涙が止まらなくなった……


岩國さんはこれまで新聞配達の経験を語ってこなかった。高校の同級生で長年連れ添った夫人にも。しかし、今回、おばあさんへの感謝の気持ちを表す好機と思い、応募した。「やっとお礼が言えて、喜んでいます」。きのう電話口で岩國さんはそう話した。(以下略)』


岩國哲人さんは、人生で忘れられない「おばあさんの新聞」の体験を、市長時代にも、衆議院議員時代にも、一切だれにも語らず、心の中にそっとしまっておられました。それだけで尊敬してしまいます。第一線から退いた今、エッセーに綴ることで、おばあさんへの感謝の気持ちを伝えられたのでしょう。60年以上、ずっと心の中で大事に大事にあたためておられた・・なんとも言えず心がじんわりと温まり、読み手までもらい泣きしそうなエピソードだと、感銘を受けました。



おばあさんの新聞  岩國 哲人(78歳)東京都(敬称略)


 一九四二年に父が亡くなり、大阪が大空襲を受けるという情報が飛び交う中で、母は私と妹を先に故郷の島根県出雲市の祖父母の元へ疎開させました。その後、母と二歳の弟はなんとか無事でしたが、家は空襲で全焼しました。


 小学五年生の時から、朝は牛乳配達に加えて新聞配達もさせてもらいました。日本海の風が吹きつける海浜の村で、毎朝四十軒の家への配達はつらい仕事でしたが、戦争の後の日本では、みんながつらい思いをしました。


 学校が終われば母と畑仕事。そして私の家では新聞を購読する余裕などありませんでしたから、自分が朝配達した家へ行って、縁側でおじいさんが読み終わった新聞を読ませていただきました。おじいさんが亡くなっても、その家への配達は続き、おばあさんがいつも優しくお茶まで出して、「てっちゃん、べんきょうして、えらい子になれよ」と、まだ読んでいない新聞を私に読ませてくれました。


 そのおばあさんが、三年後に亡くなられ、中学三年の私も葬儀に伺いました。隣の席のおじさんが、「てつんど、おまえは知っとったか?おばあさんはお前が毎日来るのがうれしくて、読めないのに新聞をとっておられたんだよ」と。


 もうお礼を言うこともできないおばあさんの新聞・・・。涙が止まりませんでした。


以上です。岩国哲人さんの、この貴重なエピソードは、以下のページにも載せさせていただきます。


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by takaboo-54p125 | 2014-12-13 05:00 | 教材