カテゴリ:教材( 23 )

日記・作文の授業:学習指導案(全1時間)】


テーマ:日記・作文の中の「いいヤツと、わるいやつ」


ねらい:五感を働かせて書く楽しさを体験することで、日記・作文は五感を働かせて書くと、自分の思いを豊かに表現できることに気づくとともに、書きたいな!という意欲を高める。


本時の展開


時間      5分

                                        

学習の流れ 


◎導入を聞く                                    



教師の支援 


・児童の作業の前に、補足にある×と○のちがいを板書して説明する。(大きな紙に書いたものを貼ってもよい)                    



補足 


×したこと(手足)


○見たこと(目)○聞いたこと(耳) ○さわった感じ(肌)○におい(鼻)○味(舌)○話したこと(口)○思ったこと(心)○考えたこと(頭)を板書


時間     10分                                         



学習の流れ 


◎2つの日記の中のⅠ文1文を、「したこと」 「五感を働かせたこと」に分ける(個人で)。したことには×、五感を働かせたことには○をつける。    



教師の支援


 ・ワークシートを配る。


 ・作業は、1行ずつ、みんなで確認しながら、一緒にしていく。        



補足     


 ・板書の○×を確認しながら、全員がまちがわないように気をつける。


 ・特に五感については、簡潔に説明し、理解させる。



時間     15分


学習の流れ 


◎五感を働かせることを意識して、短い作文を書く。題材「箱の中身」   



教師の支援 


・担任が箱を開けながら、児童が集中できるように、パフォーマンスをしつつ、担任の1動作ずつ(1文ずつ)、書かせていく。              



補足     


 ・板書の○の文を示しながら、五感を働かせて書いてみることを促す。


 ・箱を開ける作業を1コマずつ児童に手伝ってもらってもよい(交代で)。(段ボール箱の中にちょっと小さい箱を入れ、その中に、さらに小さい箱を入れ、それをくり返して、最後の一番小さな箱に下のイラストを人数分、入れておく。小2なら、大胆にザリガニを入れておいて、生活につなげるのもおもしろい)



時間     10分


                                         

学習の流れ 


◎書いた作文を、できる範囲で交流する。                   



教師の支援 


・発表したくなるように、うながすが、あんまり無理はしない。(挙手した子だけでよい)                             



補足     


 ・発表する児童の1文1文を板書の○×と、照らし合わせる。


 ・きっと○の文が多くなるはずである。


 ・全部○より×も少しあるほうが味のある文になる。


(×だけじゃなく○もある文が豊かな文になることに気づかせたい)




時間      5分

                                         


学習の流れ 


◎箱の中のイラストを日記帳に貼る。                      



教師の支援 


・イラストを配り、日記帳の表紙の裏にのりで貼らせる。           



補足     


・次回から、日記を書く時は、このイラストをヒントにしようと話す。




【日記の中の「いいヤツと、わるいヤツ」ワークシート】


×したこと(手足)


○見たこと(目)・・・・・・・○は五感


○聞いたこと(耳)


○さわった感じ(肌)  


○におい(鼻)


○味(舌)


○話したこと(口)


○思ったこと(心)


○考えたこと(頭)



◎いっしょに下校したA君とB君の日記を比べよう。


一行ずつ、( )の中に、○と×をつけてみよう。



「今日」              A男


( )今日、家に帰ってカップめんを食べた。


( )そして、PSPをした。


( )そして、Wiiをした。


( )そして、B君にメールをした。


( )自転車でコンビニへ行った。


( )B君と遊んだ。



「クレーン車」           B男


( )「ウィーン」という音、A君が「何やろ」と聞いた。


( )ぼくは「クレーン車や」と言った。


( )クレーン車はビルの上まで、鉄板を持ち上げていた。


( )あんな高い所まで上げられるんかなと思った。


( )人間なら、何人ぐらい、ぶら下がれるのかな。


( )A君と二人で、クレーン車のまねをしながら帰った。


※まだ習っていない漢字は平仮名で書くか、ふりがなをつける。



【授業記録を見たい時は】



実際にされた授業記録を読みたい場合、児童文学「兎の眼(うさぎのめ)」灰谷健次郎・作(理論社)の、8章「わるいやつ」で足立先生のクラスが、この指導案の前半部分の授業をしている場面があります。21章「ぼくは心がずんとした」で小谷先生のクラスが、この指導案の後半部分の授業をしている場面があります。オススメの本です。図書館にあるはずです。つまり、この指導案は、この本に出てくる2クラスの授業を1つに合体させた、というのが、まあ、タネ明かし、ということです。でも、小2,小3,小4,小5,小6で、この授業をしました。中学校の先生方には、「生活の記録」を取り組むための模擬授業をしました。



【日記に貼るイラスト】



e0360778_16264110.jpg



【「万引きをしたらダメ」と感じてほしい作文(教材)】


チューインガムひとつ   3年 村井安子



せんせい おこらんとって


せんせい おこらんとってね


わたし ものすごくわるいことをした



わたし おみせやさんの


チューインガムとってん


一年生の子とふたりで


チューインガムとってしもてん


すぐ みつかってしもた


きっと かみさんが


おばさんにしらせたんや


わたし ものもいわれへん


からだが おもちゃみたいに


カタカタふるえるねん


わたしが一年生の子に


「とり」いうてん


一年生の子が


「あんたもとり」いうたけど


わたしはみつかったらいややから


いややいうた



一年生の子がとった



でも わたしがわるい


その子の百ばいも千ばいもわるい


わるい


わるい


わるい


わたしがわるい


おかあちゃんに


みつからへんとおもとったのに


やっぱり すぐ みつかった


あんなこわいおかあちゃんのかお


見たことない


あんなかなしそうなおかあちゃんのかお


見たことない


しぬくらいたたかれて


「こんな子 うちの子とちがう 出ていき」


おかあちゃんはなきながら


そないいうねん



わたし ひとりで出ていってん


いつもいくこうえんにいったら


よその国へいったみたいな気がしたよ せんせい


どこかへ いってしまお とおもた


でも なんぼあるいても


どこへもいくところあらへん


なんぼ かんがえても


あしばっかりふるえて


なんにも かんがえられへん


おそうに うちへかえって


さかなみたいにおかあちゃんにあやまってん


けど おかあちゃんは


わたしのかおを見て ないてばかりいる


わたしは どうして


あんなわるいことしてんやろ



もう二日もたっているのに


おかあちゃんは


まだ さみしそうにないている


せんせい どないしよう


(「灰谷健次郎 子どもに教わったこと」角川文庫より)



【「おもらし」した友だちをフォローした子の話(教材)】



『授業中だった。


元気者の女の子が急に立ち上がり、窓際へ行き、水の入った花瓶を持って、                                     


「先生、水を替えてきます」


と言って歩き出した。


それから、自分の席の前に来た時、突然つまずいた。                                         


そして、座席に座っていた大人しい女の子のスカートに、花瓶の水を全部こぼしてしまった。



水をこぼした元気者の彼女は、その子に必死に謝った。                                      


花瓶の水をかけられた大人しい女の子は、黙って泣いていた。                                


だが、その子は水をかけられて泣いていたのではなかった。                                


その子はトイレをガマンしきれず、おしっこをもらしたので泣いていたのだ。                             


でも、みんなは知らなかった。



そのことに1人だけ気づいた後ろの席の彼女は、すぐ行動にうつした。                             


その子のスカートに、実は花瓶の水をわざとかけたのだった。                                  


おしっこをもらしたことを周りのみんなに気づかれないようにするためだ。                         


元気者の彼女は自分を悪者にしてまで、その子をかばったのである。                              


周りのみんなからは



「授業中に何やってんだよ」



などと非難の声を浴びたが、ひと言もその事実を語らなかった。                                


先生も後になってから、おしっこをもらした子から、その話を聞いたそうだ。』



【お手伝いについて考えるための教材】


  家族の役割                   神奈川県Yさん(15歳)


私の両親は、二人とも働いています。それで家では家事を家族みんなで分担しています。お父さんもお母さんも、私も妹も、みんなそれぞれ家族の中での自分の役割をもっています。


私の今の役割は、朝ごはん・夕ごはんの洗い物と、週に1回は洗濯物です。小学生の頃からずっと続いています。私はいつもいやだなあと思っていました。中学に入ってからは部活もあるし、塾もあるし、そのうえ家事までやらなくてはいけないので毎日毎日とっても大変でイヤでした。やりたくないと言いながらも、やらなくてはいけないことだと頭ではわかっていたので、余計にイライラしてしまうのです。しかも、やりたくないことを全て後まわしにしてしまうので泣きながらお皿を洗っていた覚えがあります。


ずっと前のことですが、強く印象に残った出来事があります。私の当番だった洗い物を父がやってくれていたとき、私は


「ありがとう」


と言いました。テストで良い点を取っても、賞状をもらっても、あまりほめてくれなかった父が、たったそれだけのことをすごくほめてくれたのです。私はなぜだか不思議に思って、それが強く印象に残ったのです。


この前、母に


「どうして私や妹に家事をやらせるの?」


とたずねてみました。すると母は


「忙しいから手伝ってもらいたい、仕事を覚えてもらいたい、というのもあるけど、家事をやっている人じゃないとわからないことがたくさんあるからだよ」


と言いました。ご飯を作ってもらって、洗濯も掃除も洗い物もやってもらって、それが普通だと思ってはいけないと。洗い物をやってくれた人に、洗濯をしてくれる人に、


「ありがとう」


と言いました。人がお弁当を


「まずい」


と言って残したのを見て、作るのは大変なのに、と思いました。ご飯を食べて


「おいしい」


と言えるようになりました。もしも私が何の手伝いもしていなかったならば、あたりまえのこととして、一つひとつの物事に感謝できなかったと思います。その話を聞いた時、父がほめてくれた意味がやっとわかったような気がしました。


「家族」という社会集団の中で、私たちはいろいろな役割をもっています。その役割をはたすことが、家族の力にも自分の成長にもつながっているんだなと思いました。そして、あらためて家族というものが自分にとって大切なものなんだと感じました。



(やさしさ・ふれあい:啓発資料2013,2[JAグループ滋賀]思わず心があったまる話 第8集作品より)



これは、中3か高1の女子生徒の書いた作文です。JAから定期的にわが家へも配られる啓発冊子に載っていました。



この作文を教材として扱うとしたら、子どもたちに問うてみたいことがあります。それは、お父さんの「ほめ言葉」が書いていないからです。



「お父さんは私に何と言ってほめてくれたのかな?」



もう一つ聞いてみたいのは、



「家のお手伝いを続けると、どんないいことがあるのかな?」



今、思いつくのは、この2つですが、先生方なら、どんな発問をされますか?


【子どもたちに聞かせたい短い話(5つ)】



どの話に心をひかれますか?(子どもに聞かせたいなぁ)                                              


ずっと前の朝日新聞【天声人語】に「短い話をいくつか」というのが載っていました。



◎電車に乗っている小学校低学年の男の子とその父親。お年寄りが一人、乗ってきた。


座っていた父親が、すぐに席をゆずった。


「お父さんの知っている人?」


と男の子。


父親は答えた。


「人生の大先輩だよ」



◎彼女は学校でいじめにあっていた。 


周囲はみな傍観している。  


ある日、机の中に手紙があった。


「独りだと思わないで。みんな言葉にできないだけだから」。


「ファイト」


のメモも。


「わかってくれている人がいる」 


との思いが、彼女を支えた。



◎満員電車で、赤ん坊が泣き出した。


険しい視線が母親に集まる。


と、年配の女性が母親に話しかけた。


「眠いのかしらねえ」。


母親は


「うるさくてごめんなさい」


と謝る。


女性は続けた。


「何を言ってるの。一番大変なのは、あなたじゃない。お母さんが一番つらいのよね」


◎北海道の広い道。


おばあさんが渡っているうちに、信号が赤になる。


寄りそうようにしていた小学4年くらいの男の子が、片手をあげ、止まってと車に会釈した。


おばあさんが渡り終えた。


男の子は野球帽をとり、ペコンとお辞儀をした。



◎カキ、モモ、ビワ、・・・・。


歩道沿いに果樹が並び、それぞれの季節、たわわに実る!


土地の持ち主のおじいさんが、学校の行き帰りに子どもたちが自由にとれるよう、植えたのだ。


木々の下の手入れされた花々も、人々を楽しませる。



どの話も、心があったかくなる話ですね。子どもたちに聞かせたら、どの話に心をひかれてくれるでしょうか。聞いてみたいですね。



私は、その場の雰囲気を一瞬にして変えた、年配の女性の「ひと言」は、ほんまに見事やなと思いました。赤ん坊の母親に語りかけているんだけど、その母親の気持ちを、さり気なく周りの人たちに聞かせています。教室でも、トラブった子に教師がこんな「ひと言」を言えたら、きっと周りの子の気持ちも、教室の空気も温かくなるでしょうね。



【詩「冬の夜道」(高学年):指導案〔発問3つ〕】



次の詩は、私が小学校高学年の頃(S45~46年)に小学校で習った詩です。たしか教科書にのっていた記憶があります。今でも暗唱できます。味わい深い冬の詩です。家族の絆を味わえる詩でもあります。しみじみ読み味わってみてください。


 冬の夜道                  津村信夫


冬の夜道を 一人の男が帰ってゆく


はげしい仕事をする人だ


その疲れきった足どりが そっくり それを表している


月夜であった


小砂利をふんで やがて 一軒の家の前に 立ちどまった


それから ゆっくり格子戸を開けた


「お帰りなさい」


土間に灯がもれて 女の人の声がした


すると それに続いて


どこか 部屋のすみから


一つの小さな声が言った


また一つ


また一つ別の小さな声がさけんだ


「お帰りなさい」


 

冬の夜道は 月が出て ずいぶんと明るかった


それにもまして


ゆきずりの私の心には


明るい一本のろうそくが 燃えていた



かつて、小学校の高学年を担任すると、必ず「冬の夜道」を子どもたちと読み味わいました。この詩の授業を、7回はしたでしょうか。それは、子どもたちに、将来、大人になった時の自分の「家族」を豊かにイメージするきっかけにしてほしかったからです。


まず、音読をしたら、意味のわからない言葉をどうにかします。「足どり」「小砂利」「「格子戸」「土間」「灯」「ゆきずり」などを、子どもたちは言うでしょう。どうにか意味がわかったところで、音読を入れます。


最初に問いたいのは、1人の男の行動の裏側にあるものです。


「この男の人は、疲れていたから、ゆっくり開けたのかなあ?」


と聞いてみたいです。子どもたちが「はげしい仕事」「疲れきった足どり」「そっくり」「やがて」「立ちどまった」「それから ゆっくり」などから、男の人の姿・状況を思い浮かべつつ、男の人の家族への温かさにまで思いをはせてくれたらいいなあ・・と思います。ある年には、「家族に、疲れきった顔を見せると心配させるので、一度立ちどまってから、深呼吸して、ゆっくり開けた」と語る子もいました。


次に問いたいのが、男の人を迎える家族の姿です。


「この家は何人家族なのかなあ?」 


と聞いてみたいです。「女の人」「1つの小さな声」「言った」「また1つ また1つ」「別の小さな声」「さけんだ」などから、迎えたのは、3人か4人か意見が分かれるでしょう。その中で、迎えた時の家の中の様子や、男の人にかけた言葉も出てくればいいなあ・・と思います。別の年には、「小さな声が言ったのは低学年ぐらいの子で、小さな声がさけんだのは、3才ぐらいの双子で、3人の子どもがお父さんの帰りがうれしくて飛びついた」と語る子もいました。


最後に問いたいのは、ゆきずりの作者の姿です。


「ゆきずりの私には、家で誰が待っているのかなあ?」


と聞いてみたいです。「それにもまして」「ゆきずり」「私の心」「明るい」「1本のろうそく」「燃えていた」などから、思い思いに、作者も男と同じような家族がいる、作者は家族のいない1人暮らし、などを語ってくれたらいいなあ・・と思います。また別の年には、「『月の明るさ』と『ろうそくの明るさ』の違い(冷たい・温かい)から、1人ぼっちの作者だから心に灯った『ぬくもり』を、北風で消したくないほど大切にしたかった」と語る子もいました。


そして、もう1度音読しながら、この温かい家族と、心を温められた作者の情景をイメージしてくれたらいいなあ・・と思います。自分も大人になったら、こんな家族をつくりたいなという、子どもたちが描けるモデルの1つに、この詩がなってくれたらなあ・・と心から願いつつ・・。


実際には、こちらの思うようには、なかなか、子どもたちは描いてくれないものですが・・。どこと、どこで、グループ学習を取り入れたらいかは、迷うところです。今の時代の、ほとんどの子どもたちは「土間」も「格子戸」も知りませんから、1校時45分でやり終える自信も、ちょっとありません。でも、ステキな詩であることは確かです。


とにかく情景を思い浮かべてほしいので「男の人はどうして立ちどまったの?」「男の人はなぜ、ゆっくり開けたの?」「この家族を見た作者の気持ちは?」「明るい1本のろうそくって、作者が言いたかったことは何?」というような問いかけは、したくありませんでした。詩という文学作品を読み味わうとは、そういうことではないと思うからです。あくまでも情景をより豊かに思い描き、イメージすることを主にした授業を展開したいものです。そうする中で子どもたちが自ら、自然体で心情にもふれてくれるのではないでしょうか。


【職場体験の発展「よのなか」科の指導案(中2)】


テーマ    「ハンバーガー屋さんの店長になってみよう」                                                                               (教科は、総合か地理・公民の発展で扱うか、迷うところです)


ねらい


◎ハンバーガー店の出店場所を考える活動を通して、通行量・稼働率など、集客を決める量的な側面から、経済的価値の差異について理解する。


◎提示された条件の中で自分なりの仮説を立て、論理的に自分の意見を述べる。


手 法


☆シミュレーション(地図からの情報の読み取り、1日の売り上げ予測)


☆プレゼンテーション(グループでは全員、クラスではグループの代表)


本時の展開


時間     10分



学習の流れ


◎ハンバーガー店の出店場所を考える。(個人で)


(どの場所が、より多い集客ができる店になるか理由も考える)



教師の支援


 ・方位(北が上)を確認。


 ・地図をじっくり見させて、お客さんが最も多く来る所を予測しよう。



補足


 ・地図は拡大して黒板に、はっておくと、よりよい。


 ・正解は一つではなく、多様にあることを強調する。


 ・自分なりの根拠を持って、自由に考えること。


 ・今回の条件は1つ(駅前は空いている土地がないこと)



時間     15分


学習の流れ


◎ハンバーガー店の出店場所を検討する(各グループで)


①全員の出した場所の、よい点もわるい点も出し合う。



②グループで検討して、最終的な出店場所を決める。



③グループの代表が発表する。



教師の支援


 ・その場所を選んだ理由も言えるとよいことを伝える。


 ・相手にわかりやすく納得・共感できるように話そう。


 ・どの場所にも必ずよい点とわるい点がある。(決してバカにしない)


 ・△さんの意見だから決めるという発想ではなく、あくまでもお客様が最も多く集まる場 所を基準に論議しよう。


 ・目的は、相手に分かりやすく伝えることだと再確認。


補足


 ・生徒と「ナナメの関係」の大人(保護者など)にも参画してもらうとよい。


 ・通行量(人やクルマ)や一日や一週間の稼働率にも目を向けさせる。


 ・多数決でも、全員一致でもかまわない。


 ・どの意見にもコメントを


 ・他のグループの発表にも、自分の意見と同じ場合もある(集中して聞く)。



時間     10分


学習の流れ


◎1日の売り上げを概算で計算する。 



教師の支援


 ・乗降客数は事前に確認。


 ・100人に対しておよそ1~2%だと伝える。


 ・ほぼ1人500円です。


 ・以上の数字を元に計算。



補足


 ・マクドナルド3800店、モスバーガー1400店、ロッテリア500店も、このようなマー  ケティングで出店していることを確認。


 ・学校の近くの駅(JRなど)に、あらかじめ問い合わせておいた「1日の乗降客数」を生 徒に教え、1日の売り上げを計算させると、出店して採算がとれるかどうかという現実 の厳しさも実感できるだろう。



時間     5分 


学習の流れ


◎この学習で自分が学んだことを書く。



教師の支援


 ・言いたい生徒に感想を発表させる。



補足


 ・生徒の気づきを評価する。


ゲスト・ティーチャー 


 ・近隣のハンバーガー店の店長


 ・コンビニ・ファースト店の店長


 ・仕事で出店担当をしたり、不動産屋をされている保護者


 ・コンビニ・ファーストフード店をされている保護者


 ・店を経営しておられる保護者(以上の該当者が、もしおられるなら、ということで)



【ワークシート】


(1,の50箇所は私のオリジナル。藤原氏は場所指定をせず自由に選ばせた)


「ハンバーガー屋さんの店長になってみよう!」


1,【個人】ハンバーガー店を、右の地図の○印の50カ所のうち、1カ所に新しく出店しようと思います。あなたなら50カ所のうち、どこに出店しますか。1カ所だけ選んでみましょう。ただし、駅前は土地が空いてないので、出店できません。


2,【グループ】メンバーは、どの場所(○印)を選びましたか。メンバーが選んだ場所のよい点とわるい点を、各班で、検討してください。そして、グループ全員で、出店する場所を1カ所にしぼってみましょう。



名前 選んだ場所の特徴 この場所のよい点 この場所のわるい点


(    )(         )(         )(          )


(    )(         )(         )(          )


(    )(         )(         )(          )


(    )(         )(         )(          )



3,【クラス】各班が出店する候補地を発表します


          (                 )



例えば、2対2の同数で意見が分かれた時は2箇所発表します。



4,【個人】JR近江八幡駅前広場に、ハンバーガー店があった場合、あなたが店長の立場になって、1日の売り上げ(おおよそ)を計算してみよう。



(1)近江八幡駅の1日の乗降客数は何人ぐらいかな?    (      人)


(2)100人の通行人のうち、何人ぐらいが店に入るかな?(      人)


(3)お客差1人で使う金額は平均何円ぐらいかな?     (      円)


(4)この店の1日の売り上げは何円ぐらいかな?      (   円)



5,【個人】どんなことが学べましたか?この授業の感想を書いてください。



【「よのなか」科とは・・・・・】



「よのなか」科は、東京都の和田中学校・藤原和博校長(リクルートから転身)が考え、生み出された、世の中とつながる教科です。おもな特徴は、身近な問題から「正解が1つでないテーマ」を取り上げていること、ロールプレイ・シミュレーション・プレゼンテーションなどを採り入れて授業の課題を自分のこととして導くこと、大人と子どもが一緒に学ぶ場となっていることなどです。


テーマも豊富です。私の手元にある資料:文部科学省委託事業「新教育システム開発プログラム」(中学校の国語・社会・数学・理科を担当する先生方の編集協力)だけでも、24テーマあります。


金融経済編では、「ハンバーガー屋さんの店長になってみよう」「流行る店、流行らない店」「ハンバーガーの原価と輸出入」「円高・円安(為替)と世界経済」「ゴムと地球とあなたの関係」「中学生は大人?まだ子ども?」「お金と人生と自分の関係」「時給と年収の関係」があります。政治・法律編では、「家の窓から日本が見える」など8テーマあります。現代社会の諸問題編では、「少子化問題について考える」など8テーマあります。


その藤原和博氏が、2009年、大阪府豊中市立第十四中学校で出前授業をされたと聞きました。それで、私も2010年に中学校の先生方の研修会で模擬授業を、2011~2012年に学生相手の教科教育法で「ハンバーガー屋さんの店長になってみよう」の授業をしてみました。


【どんな地図を使用したのか】


藤原和博氏が用意した地図は、横浜市緑区と東京都町田市の境を走る東急田園都市線の「すずかけ台駅」を中心に、北に「つくし野駅」、南に「南町田駅」があり、幹線道路の厚木街道と町田街道が交差しており、東名高速:横浜町田インターや大和バイパスも走っている地図でした。周辺には大学や高校もあり、どこに出店しようか迷いそうな地図でもありました。ただし、誰でも思いつく場所である駅前は、指導案にアンダーラインが引いてあるとおり、土地が空いてないので出店できないという条件をつけられました。


私は、出店場所を迷いそうな、手作りの地図(架空の街)を使いました。事前に、近江鉄道八日市駅とJR近江八幡駅の「1日あたりの乗降客数」を調べておきました。実際の授業では、「駅前は土地が空いていないので出店できない」という条件をつけることを、すっかり忘れていました(反省です)。中学校の校内研修で模擬授業をした時の、先生方のド真剣^^なグループ討議は、今でも目に浮かびます。協同的な学びにおける「4人グループ」も採り入れると、なおいいでしょうね。


【朝の会(朝の歌)における発声練習】


私の場合、いつも次のような流れで発声練習指導をしていました。



まず、息を吸って、息を吐く練習です。最初は「あくび」をするイメージで、私が両手を徐々に広げていく間、子どもたちは、ゆっくりと息を吸っていきます。複式呼吸の練習です。そして、一瞬止めて、私の合図で一気に息を吐きます。ときには、一気に吐かずに、ゆっくりと長く細く息を吐くこともします。


次に、ピアノのソの音を聞かせて、たっぷり息を吸った後、私の合図で「アーーーーー」と、10~15秒ほど「ソ」の高さを維持しながら発声していきます。「ソ」の次は「ファ」「ミ」「レ」「ド」と、一音ずつ下げていきます。歌う曲によって、低い「シ」まですることもあります。


また、「ソ」に戻ります。今度は「ソ」から「ラ」「シ」「ド」「レ」「ミ」と、一音ずつ上げていきます。歌う曲によって、高い「ファ」まですることもあります。


その次は、1回たっぷりと息を吸って、「ドレミファソラシドレミーーー」と音階を上がったり、逆に下がったりする発声練習をします。


最も大切にしていたことは、子どもたちが、自分の声を「あそこまで届けよう」と意識しながら発声しようと思ってくれるようになることでした。そのために、私が両手の親指同士、人差し指同士をくっつけて、丸い円をつくり、


「この丸の中に、自分の声を届けて」


と言ったり、その丸い円をつくった両手の位置を胸の前から、斜め上の後方へ移動させながら、私が1歩ずつ後退して、子どもたちが、より遠くまで、声を届けようと意識してくれるようにしたりしました。それは、指揮の合図に集中するレッスンでもありました。


「この黒板の向こう側の部屋にいる人に、みんなの声を届けよう」


「今、運動場で体育をしている人たちに、みんなの声を届けよう」


などと、より具体的・視覚的に「あそこまで声を届けよう」とイメージしてくれるような言葉がけをする発声練習も採り入れました。


頭声的発声を、子どもたちに意識してもらうためには、


「あごをやわらかく、なるべく大きく開こう」


「口の中は、力が入らない程度に、ほどよく大きく開こう」


「口よりも、のどの奥を開いて、声を上に持っていこう」


「のどの、上あごから、鼻の方向に、声をひびかせよう」


「頭の中をからっぽにして、頭の中、全体に声をひびかせよう」


「声は、下腹から、体の真ん中の『声のくだ』を通って、一気に鼻の方へ」                                     


とか、イメージしやすいことをいろいろ言ったのですが・・ちょっと忘れました。


こういったことを、合唱の練習の最初に5~10分ほどしてみるだけで、子どもたちの集中力(ピアノの音や友だちの声を聴く集中力、指揮の合図に反応する集中力)が個々バラバラじゃなく、40人なら40人の声のかたまりになります。それが、指揮者にドドーンと向かってくるから、指揮をしながらゾクゾクッとなることもあります。


腹式呼吸ができるようになれば、やわらかな大きい声で、子どもたちも気持ちよく歌えるようになるので、子どもも斉唱より二部合唱をしたがります。一度だけ音楽会で「ゆうやけこやけ」の四部合唱(アカペラ)にもチャレンジしました(やってくれました)。当然、10分を越えるオペレッタも、平気で歌いこなせるようになります。ただし、朝の歌も、帰りの歌も、毎日歌っていた1998年頃までの話です。


無理して大きな声を出そうと怒鳴り声で歌うのは、のどを痛めるだけです。やはり、大事なのは、基礎になる発声練習をていねいにやってから、合唱の練習をすることです。「もっと大きな声で」と言うのではなく、「もっと息を吸って」「おなかに息をためて」と言うほうが、結果として、やわらかく大きな声で歌えるようになると、指導者は心得るべきでしょう。もちろん、指導者自身が、その歌を好きで、心から子どもたちと一緒に歌いたいという気持ちになっているかどうかが、そのまま指揮に表れ、子どもたちの歌声にも表れると自覚しておく必要はありますが・・・。


【朝の会で子どもたちと、ぜひ歌いたい歌】

         

釜石市にある釜石小学校の校歌(生きるための羅針盤みたいな歌)は、作詞が井上ひさし、作曲が宇野誠一郎という『ひょっこりひょうたん島』コンビの作品だと知りました。こんなに力強く心を揺さぶられる歌詞の校歌があることに、驚きました。自分の母校じゃないのに、元気が分けてもらえる校歌に、初めて出会いました。もう、とっくに知っておられる方も多いかも知れませんが、改めて紹介させてください。


【釜石小学校・校歌】


いきいき生きる いきいき生きる


ひとりで立って まっすぐ生きる


困ったときは 目をあげて


星を目あてに まっすぐ生きる


息あるうちは いきいき生きる



はっきり話す はっきり話す


びくびくせずに はっきり話す


困ったときは あわてずに


人間について よく考える


考えたなら はっきり話す



しっかりつかむ しっかりつかむ


まことの知恵を しっかりつかむ


困ったときは 手を出して


ともだちの手を しっかりつかむ


手と手をつないで しっかり生きる



この校歌を聞きたいなあと思って検索したら、次のHPに校歌のBGMが流れていました。小学生の子どもたちと歌ってみたい、みんなの歌のようなメロディー(楽譜付き)でした。さすがは、「ひょっこりひょうたん島」の作曲者です。



http://www.utagoekissa.com/utagoe.php?title=kamaishishougakkoukouka


次のYouTubeアドレスで、釜石小学校の子どもたちが歌う、正しい校歌を聴くことができます。


  釜石小学校の子どもたちの歌声(題名のない音楽会)


   http://www.youtube.com/watch?v=-qqCP-6kLzc


時々、このYouTubeの歌に合わせて、アカペラで歌えるように練習していました。同時に、この校歌をピアノで弾く伴奏をCDに録音してもらえないかと、従姉妹に頼んだところ、快く引き受けてくれ、その楽譜まで書いてくれました。感謝です。CDにはピアノ伴奏&歌入り伴奏を録音してくれたので、使わせてもらっています。


合唱は、毎日の発声練習が大切です。腹式呼吸をできるようになるためには、どの子にも「あくび」をイメージさせて息を吸わせると効果があります。頭声的発声の指導は・・うまく言葉では表現できません。発声練習について書くと、それだけで相当な量になってしまうので、またの機会に・・ということにします。当時、同僚からは「ピアノも弾けんのに、なんで子どもの声が響く指揮ができるんや?」と、よく聞かれました。それは学生の時、泊山小で、石井先生や岩脇先生の指揮を見つめ、岩脇先生のクラスで1時間「荒城の月」の指揮指導を受けたからです。優れた指導は短時間でも、必ず格段の影響を受けるということなのでしょう。ですから、みなさん、優れた文化・芸術にふれる千載一遇の機会を逃さないでください。


「ごんぎつね」ごんの兵十への思いを問いたい場面と発問


国語の物語文教材において、登場人物の心情を問うことは少なくないと思います。ところが、私は最初の転任後、ほとんど心情を問うことをしなくなりました。その代わり、登場人物の表情・言動の変化、登場人物の仕草の細やかな様子、それに関わる情景描写を問うことが、私の授業スタイルになっていました(まあ、ひねくれ者でした)。


2013年6月19日(水)朝日新聞20(教育)面に「ごんの気持ち 伝わった」という記事が載っていました。びっくりしました。記事のサブタイトルは次のとおりです。


〈南吉オリジナル版テキスト作成〉


〈(前略)オリジナル原稿に光を当てようと、私立立命館小学校(京都市)の岩下修教諭が、絵入りのテキストをつくった。〉


という一文が記事の前文の後半にありました。記事の本文も一部紹介します。教科書の「ごんぎつね」が「赤い鳥」版だということは、私も知りませんでした。


〈(前略)子どもたちが「赤い鳥」版の長所に挙げるのは、「ごんが撃たれながら『うれしくなりました』という自筆原稿だと、兵十にごんの思いが伝わらない。うなずきましたの方がいい」、「難しい言葉や漢字がなく、わかりやすい」自筆原稿の方は、「気持ちが届いて『うれしくなりました』とはっきり書いてあり、私もうれしくなる」「兵十の『おや—————— 』はすごい。驚きや後悔などいろいろな気持ちがこもっている」教科書だけを読んだ授業では「罪を償うことの大切さが主題」と受けとる子が目立った。自筆原稿の文を示すと「ごんが自分と同じように孤独な兵十につながりを求め続けた思い」を感じ取る子が増えたという。(後略)〉


「赤い鳥」掲載の「ごん狐」と、自筆原稿の「権狐」の、ラストシーンも載っていました。どちらも【旧仮名遣い】のままというのが、なんかいいですよね。記事で紹介されていた、両方の原稿は、以下のとおりです。


〈「ごん狐」(「赤い鳥」に掲載された作品)〉


〈ごんは、ばたりとたほれました。兵十はかけよつて来ました。家の中を見ると土間に栗が、かためておいてあるのが目につきました。「おや。」と兵十は、びつくりしてごんに目を落しました。「ごん、お前だつたのか。いつも栗をくれたのは。」ごんは、ぐつたりと目をつぶつたまま、うなずきました。兵十は、火縄銃をばたりと、とり落しました。青い煙が、まだ筒口から細く出てゐました。〉


〈「権狐」(新美南吉の自筆原稿)〉


〈権狐は、ばったり倒れました。兵十はかけよつて来ました。所が兵十は、背戸口に、栗の実が、いつもの様に、かためて置いてあるのに目をとめました。「おや——————。」兵十は権狐に目を落しました。「権、お前だつたのか・・・・・・。いつも栗をくれたのは———。」権は、ぐつたりなつたまま、うれしくなりました。兵十は、火縄銃をばつたり落しました。まだ、青い煙が、銃口から細く出てゐました。〉


びっくり仰天の〈新聞記事〉の紹介(抜粋)は、以上です。


ごんの心情を、最も問いたい場面


この記事を読んだ時、私は石井順治先生の講演(昨年冬2013年2月15日)を思い出しました。石井先生が言いたかったことを、ノートのメモ書きを頼りに、私なりにふり返ってみます。


『ごんぎつね【三の場面】


『兵十が、赤い井戸のところで、麦をといでいました。兵十は今まで、おっ母と二人ふたりきりで、貧しいくらしをしていたもので、おっ母が死んでしまっては、もう一人ぼっちでした。「おれと同じ一人ぼっちの兵十か」こちらの物置ものおきの後うしろから見ていたごんは、そう思いました。』


ここのところは、ごんの思いをしっかりと、子どもたちに聞くのが大切です。「どこから、そう思うの?」と、「おっ母と二人ふたりきりで」「貧しいくらし」「おっ母が死んで」「もう一人ぼっちでした」といった言葉にふれながら、「おれと同じ一人ぼっちの兵十か」とつぶやくごんの本当の思い・・・それに、子どもが気づくのをいざなうのが、教師の役割ではないでしょうか。


そこで、ごんの真意を受けとめた子どもたちは、次の行(教科書の7行目)


『ごんは物置のそばをはなれて、向うへいきかけますと、どこかで、いわしを売る声がします。「いわしのやすうりだアい。いきのいいいわしだアい」ごんは、その、いせいのいい声のする方へ走っていきました。・・・』


からは、ごんの気持ちを追求するのではなく、ごんの姿を描き合う場面になります。子どもたちが、兵十へのどんな思いを受けとめたかによって、その後の、ごんの行動の受けとめ方も大きく変わってくるでしょう。』


以上、三重県伊賀市立河合小学校:公開授業研で石井先生が講演された時に、少しふれてくださった部分の紹介です。私のいい加減なメモと、さらにあやふやな記憶を元にしておりますので、石井先生の意図とずれていたら、すみません。ただ、ほとんど物語文教材で登場人物の心情を問わなかった私が、この場面では、ごんの心情(兵十への思い)を、今、子どもたちに問いたくなりました。


せつないごんの思い・姿を、読み味わいましょう


子どもたちが、全文をていねいに読んで、個人学習で、気になる箇所に線を引いてから、この【三の場面】を読み取ると、ごんは、うなぎの償いのためだけに、ひたすら運んだわけではないことに気づいてくれる子が、少数ですが、必ずいてくれます。そういう子の考えに、うまく光をあてることができたとしたら、「償い」だけと思っていた子どもたちの視野を、グンと広げてくれる可能性が出てくるでしょう。


そもそも、何の見返りも求めない「償い」って、1,2回はできても、そうそう長続きするものではありません。それは、兵十と加助の会話を聞いたごんが


「へえ、こいつはつまらないな」「おれは引き合わないなあ」


と思うところで、子どもたちも、どうやら「償い」だけではないことに気づきます。子どもたちは


「わかってほしかった」「認めてほしかった」


と言うかも知れません。その場合、石井先生のように


「どこの文から、そう思うの?」


と問い返してみることで、


「なるほど、その文から、そう読むこともできるのか」と、クラスみんなで、自分と違う意見も認め合い、共有し合える時間にしたいものです。みんなで意見を出し合って読み味わう場合に、最も大切にしたいことのひとつですよね。


じゃあ、「償い」以外の何なのかを考えるための発問例を少し挙げてみます。


「うなぎの時のごんと、いわしの時のごん、では、どんなことが違うかな」


「兵十に次々と物を届ける、ごんの届け方には、どんな違いが出てくるかな」


「お念仏がすむまで井戸のそばでしゃがんで待って、二人のあとをついて行ったごんは、どんな話を聞きたかったのかな」


子どもたちが、ごんの求めている願いを、少しでも感じ取ってくれたら、と思って、以上の発問を、ない知恵をしぼって、ひねり出してみました。


ごんの


「つぐない=おれのせいで・・兵十のために・・してあげたい」


が、いつの間に


「つながり=兵十のために・・兵十を求めて・・認めてほしい」


に変わったのか、それとも【三の場面】から両方の思いがあったのか、教師の解釈を子どもに押しつけるわけにはいきません。ただ、【三の場面】において、石井先生が大事にしたいと言っておられた


「おれと同じ一人ぼっちの兵十か」とつぶやく、孤独なごんの胸中、


岩下先生が指摘されている「自分と同じように孤独な兵十につながりを求め続けた思い」に少しでもふれながら、子どもたちが【三の場面】を読み味わうことができたら、ごんがせっせと続ける行動の微妙な変化をも、より豊かにイメージできるのではないでしょうか。そういう意味でも、この「オリジナル版テキスト」には価値があると、私も思います。


人と人とのつながりが希薄になってきた現代社会だからこそ、兵十に伝えたい思いを不器用にしか行動できないごん、そんなごんの、思いをうまく伝えられないもどかしさ、これらに、ぜひ、子どもたちがふれてほしい(気づいてほしい)と願います。人と人が「伝え合う」ことの大切さを実感するためにもです。


なお、記事の最後には、その南吉オリジナル版テキストを、立命館小学HPのNEWS一覧からダウンロードできることも書いてありました。さっそく拝見いたしました。(以下のURLです)


http://www.ritsumei.ac.jp/file.jsp?id=95805


本文も挿絵も、実に見事なテキストで、敬意を表します。「ごんぎつね」に対して慣れっこになっていた私の心の油断を、新鮮に揺さぶってくださった石井先生には、感謝いたします。そう言えば、石井先生の年賀状には、新美南吉記念館がご自宅から近いと書いてありました。そして、貴重なオリジナル教材を発掘されて実践に生かしておられる岩下先生には、頭が下がります。こうして今、私は改めて「ごんぎつね」の奥深さを感じております。


関連ページ


教材【弁当の日】【雪とパイナップル】【アハメドくんのいのちのリレー】「人のあったかさの連鎖」「~にもかかわらず」【いのちをいただく】【おばあさんの手紙】

http://sg2takaboo.exblog.jp/24898442/



by takaboo-54p125 | 2017-03-25 08:18 | 教材

【空気は読まない】


「空気は読まない」鎌田實(みのる)Dr.著(集英社)は、心を揺さぶられ温かくなる国内外(日本、アジア、ヨーロッパなど)のエピソードがぎっしりつまっている本です。直接、本書を読まれることをオススメします。


鎌田さんは、5章で次のように語っておられます。
あったかさは、あったかさの連鎖を生む。‥あったかさは空気感染する。‥一度感染すると、人のあたたかさに敏感になる。小さなあたたかさもすかさずキャッチして、感動できるようになる。‥心をあったかくして、いい人間関係を築いていけば、ストレスが減り、体の免疫力も上がる。心と体はつながっているのだ。‥あたたかさに出会うたび、ぼくらはうれしくなる。元気になる。ほかの誰かを、うれしい気持ちにさせたくなる。元気にしてあげたくなる。・・絶滅させられない、根性のある、あきらめない「あったかさ」を広げたいと思っている。』


こうして「空気は読まない」鎌田實(みのる)Dr.著(集英社)を読んで、「『弁当の日』の奇跡」に目がくぎ付けになったのが2012年の8月でした。私は早速、お盆休みに大阪から帰省してきた弟夫妻に「『弁当の日』の奇跡」の話を教えてあげようと、上記のブログ記事をプリントアウトして、渡しました。そうしたら物々交換みたいに、義妹(弟の奥さん)がファイルにはさんだ資料を渡してくれました。ファイルから資料を出すと、「つくる!たべる!かたづける!弁当の日」というタイトルが目に入りました。なんと、同じ実践について、私は鎌田さんの著書から、義妹は「弁当の日」を始めた仕掛け人:竹下和男さんの講演から、それぞれ心を動かされ、お互いに伝え合おうとしていたのです、それも同じ日に・・です。不思議な気持ちです。


【義妹が見せてくれた「弁当の日」資料】


義妹の資料には、竹下和男校長先生が卒業生に贈った言葉も載っていました。上記の5つ以外の言葉を紹介します。
『あなたたちは、「弁当の日」を2年間経験した最初の卒業生です。・・
・手順よくできた人は、給料をもらえる仕事についた時にも、仕事の段取りのいい人です。
・食材がそろわなかったり、調理を失敗した時に献立の変更をできた人は、工夫できる人です。
・かすかな味の違いに調味料や隠し味を見ぬいた人は、自分の感性を磨ける人です。
・旬の野菜や魚の、色彩・香り・触感・味わいを楽しめた人は、心豊かな人です。
・1粒の米・1個の白菜・1本の大根の中にも「命」を感じた人は、思いやりのある人です。
・スーパーの棚に並んだ食材の値段や賞味期限(消費期限)や原材料や産地を確認した人は、賢い人です。
・食材が弁当箱に納まるまでの道のりに、たくさんの働く人を思い描けた人は、想像力のある人です。
自分の弁当を「美味しい」と感じ、「嬉しい」と思った人は、幸せな人生が送れる人です。
・シャケの切り身に、生きていた姿を想像して「ごめん」が言えた人は、情け深い人です。
・登下校の道すがら、稲や野菜が育っていくのを嬉しく感じた人は、慈しむ心のある人です。
・「弁当の日」で仲間がふえた人、友だちを見直した人は、人と共に生きていける人です。
・調理をしながら、トレイやパックのゴミの多さに驚いた人は、社会を良くしていける人です。
・自分が作った料理を喜んで食べる家族を見るのが好きな人は、人に好かれる人です。
・家族がそろって食事をすることを楽しいと感じた人は、家族の愛に包まれた人です。
先生たちは、こんな人たちに成長してほしくって2年間取り組んできました。・・』


2001年に竹下和男さんが校長を務める小学校で始めた「弁当の日」の取り組みは、2012年現在、すでに732校に広がり、1000校を越える小中学校で取り組まれるようになっているそうです。資料には、『「弁当の日」の真髄は、親子の絆、家族団らんの大切さを実感し、人の役に立つことの喜びを子どもたちが経験し、自立すること』とも、書いてありました。
この「弁当の日」のHPは以下のとおりです。
http://d.hatena.ne.jp/bentounohi/


【人は一瞬で変われる】


私は、鎌田さん(お医者さん)の著書「人は一瞬で変われる」の存在を、ブログを通じて、Eメールをやり取りしている山形県の学校のS先生から教えてもらいました。それで、「人は一瞬で変われる」を書店で予約し、図書館で、この本を見つけました。山形県から滋賀県へ温かな空気を送っていただき、元気玉までもらいました。2011年8月に滋賀県まで私のつたない話を聞きに来てくださった山形県のS先生、ありがとうございました。本書「空気は読まない」を直接読まれることをオススメします。


【教室の空気をかえる実践:山形県のS先生】


山形県のS先生(私よりずっと若く、子どもに共感的に向き合い、創意工夫を重ねて、温かい空気を子どもたちへ伝える実践家)の取り組みで、ぜひ先生方にも取り入れてほしいことががあります。S先生は、勤務されている学校で「関わりことば」も大切にしておられます。毎日、「関わりことば」を子ども1人ひとりの心に届けようと意識されているのでしょう。そんなS先生の温かな言葉を子どもたちも真似しながら、他の先生に接したり、友だちに接したりするようになってきたのです。そうしたら、保護者の方からも、


うちの子の言葉が柔らかくなったという、うれしい言葉をもらえるようになってきたという、なんともステキな話です。「教師から子どもたちへ『安心できる空気・心地よい空気』は伝染します」と、S先生のEメールには書いてありました。「うちの子の言葉が乱暴になった」とこぼす保護者が少なくないご時世だけに、きわめて貴重な実践だと感じました。


【感動が少年を変えた】


山形県のS先生から紹介してもらった「人は一瞬で変われる」鎌田實(みのる)Dr.著(集英社)に「感動が少年を変えた」という実話がのっていました。


鎌田實(みのる)さんが読売新聞・連載の「鎌田實の見放さない」を、茨城県:中学1年生:男子生徒の読んだ感想が、鎌田さんの手元に届いたと書いてありました。その部分だけ紹介します。


『「ぼくは引き寄せられるように本屋へ行って、この本を買いました。」
少年の言う「この本」とは、ぼく(鎌田さん)の絵本『雪とパイナップル』のことだ。日本の医師や看護師たちが、チェルノブイリ原発事故の放射能で汚染された地域に赴き、病気を救おうとしていることに感動したという。
絵本は、実話である。放射能の影響で白血病になり骨髄移植を受けたアンドレイという少年が、敗血症になって生死をさまよった。熱と口内炎のため全く食事をとれなくなった彼は、看護師のヤヨイさんに「何なら食べられる?」と聞かれ、消え入るような声で答える。「パイナップル……」。12年の人生でたった1度口にし、家族みんなで「おいしいね」と笑い合った幸せの味だった。
それを聞いて、ヤヨイさんはパイナップルを求め、降りしきる雪の中、−20℃に凍てつく町を歩き回った。・・ベラルーシ共和国の地方都市。時は2月。パイナップルなんて見つかるはずがない。どこの店に行っても首を横に振られたが、若い日本人の看護師がパイナップルを探していると、町じゅうの噂になった。
パイナップルの缶詰を持っている現地の人がいた。噂を聞いて感動し、缶詰を病院に届けてくれた。アンドレイ少年は大喜びで、パイナップルを食べた。
奇跡が起きた。熱が下がった。敗血症が治り、命をとりとめた。
その2年後、再発した白血病は手の施しようがなく、アンドレイは短い生涯を閉じる。ぼく(鎌田さん)は、お悔やみを言いたくて、彼が住んでいた町を訪れた。大歓迎を受けた。大切な息子さんの命を守ってあげられなくて申し訳ないと思っていたのに、お父さんは仕事を代わってもらい、アパートの外に出て待っていてくれた。お母さんはパンとクッキーを焼き、熱々のロシアンティーでもてなしてくれた。お母さんのエレーナが言った。
「あるはずのないパイナップルを探して雪の町を歩き回ってくれたヤヨイさんのやさしさが、私はうれしかった。缶詰を届けてくれた人の想いが、うれしかった。人間ってすごいなあって、そのとき思ったんです。 やさしい心は人から人へ伝染していくって」
絵本で紹介したエレーナ母さんの言葉を読んで、茨城に住む少年はハッとしたという。・・・・・』


本書「人は一瞬で変われる」は心を揺さぶられる多くの話が載っているので、直接読まれることをオススメしますが、鎌田さんが本の中に書いておられた茨城県:中学1年生:男子生徒の感想文の結びだけは紹介させてください。


『「・・・・・身近にいる家族や友人を大切にすることから始めようと思います。やさしさは伝染する。この言葉を胸に、あたたかい連鎖を起こしていきたいです。」』


【雪とパイナップル】


国際医療ボランティアで72回の医師団を派遣し、6億円の医薬品・医療機器を送って、子どもの命を支える支援を続けたメンバーの鎌田實(みのる)Dr.が、アンドレイ君の死後、再びベラルーシ共和国のアンドレイ君家族の元を訪れます。その時、エレーナ母さんが鎌田さんに語ってくれた言葉を、絵本「雪とパイナップル」の中から抜粋して紹介させてください。


『私には忘れることができない人がいます。日本から、移植療法の看護を指導するために来た、ヤヨイさんという看護師さんがいたでしょう。・・ヤヨイさんが、オーバーの襟を立てて、雪の町へ出て行くのが、病院の曇った窓ガラスを透かして見えました。翌日も、ヤヨイさんは、マイナス20℃に凍った町へ出かけて行った。次の日も、ヤヨイさんは、窓の外に消えた。その時、もしかしたらって、思いました。アンドレイが、わがままを言ったからかも知れない。ヤヨイさんはパイナップルを探しに、町へ行くのだと、確信しました。無理なこと言ってゴメンなさいって、心の中で謝りました。』


『ありがたい。幸せな子だと思いました。こんなに大切に思ってくれる人がいる。日本の人が最先端の治療で、うちの息子の命を救おうとしてくれている。感謝しています。でも、あるはずのない、パイナップルを探して雪の町を歩きまわってくれた彼女のことを考えると、私は人間って、あったかいなあって思いました。』


『私は、うれしかった。人間ってすごいなあって、そのとき思ったのです。やさしい心は、人から人へ伝染していくんだって。・・雪の中を、パイナップルを探して歩いてくれた、ヤヨイさんのことが忘れられません。私はアンドレイが病気になってから、なぜ、私たちだけが苦しむのかって、人生をうらみました。原子力発電所の事故のことを秘密にした国の指導者をうらみました。放射能のことを知っていたら、黒い雨の中、アンドレイを私は外に連れ出さなかった。人生は意地悪だなあって思った。私たちは、ささやかに、つつましく、生きてきました。何も悪いことをしていないのに。生きている意味が見えなくなりました。でも、ヤヨイさんのおかげで、私の中に、忘れていたものが、よみがえってきました。それは感謝する心でした。人間と人間の関係はまだこわれていない。私たち家族の内側に、新しい希望がよみがえってきました。』


『パイナップルの缶詰を缶切りでヤヨイさんが開けた時、プシューッと音がして、いろんなものが飛び出したように見えました。真心や希望が見えたような気がしました。人間のことも、命のことも、世界のことも、少し見えたような気がしました。本当にうれしかった。缶詰の中の何かから、アンドレイの命をもらったのかもしれません。パイナップルが育つ南の国の太陽が見えたような気がしました。』


『ドクターたちのことはもちろんですが、マイナス20℃の雪の町をパイナップルを探し歩いてくれた日本の女性のことを、私たち家族は、一生忘れないでしょう。パイナップルは、アンドレイにとっても、私たち家族にとっても、希望そのものでした。短い命でしたが、幸せな子だったと思います。』


以上、最愛の息子アンドレイ君を失ったエレーナ母さんが、目に涙をいっぱいためてポツリポツリと、鎌田さんへおだやかに語ってくれた言葉でした。
そして、この「雪とパイナップル」の1章「遠い旅のはじまり」に鎌田さん自身が書いておられます。
一番大切なものを失った時でも、人間は感謝することができることを知りました。言葉が違っても、歴史が違っても、文化が違っても、宗教が違っても、人間は理解しあえると・・・・・悲しみや、苦しみや、喜びを分かち合えることを、雪の中のパイナップルから教えられました。」と。
鎌田さんが「命の切なさや、大切さを考えることのできる、未来の日本を支える人たち」に贈りたくて「大人が読む絵本というカタチ」にしたかった本書「人は一瞬で変われる」は、ぜひ直接お読みください。


【アハメドくんの いのちのリレー】


医師である著者・鎌田實(みのる)さんが「あとがきにかえて」で、次のように書いておられます。抜粋しながら紹介させてください。


『5年間、ずっと気になっているパレスチナ人がいた。小さな新聞記事を読んでから、いつか会いたいと思い続けてきた人。イスラエル兵に殺された息子の臓器を、敵国の病気の子どもたちを救うために差し出したお父さん。彼の行動や想いを絵本にしたい。・・もともと、どちらかの国を一方的に責める本は書きたくなかった。・・世界中の人に、アハメドを失った悲しみを横に置いて敵国の病気の子どもたちを助けたイスマイル父さんのことを知ってもらいたい。心臓を提供してくれたイスマイルさん一家のことを、もう1つの家族として大切にし、「大人になったら自分もパレスチナの子どもの命を救い、平和の橋を架ける人間になりたい」と語るイスラエルの少女、サマハちゃんの言葉を聞いてもらいたい。・・イスマイル父さんが息子の心臓を提供してくれたことから始まった、やさしさのリレー。この「きっかけ」を忘れないために、ぼくは絵本をつくった。・・いろんな国の人たちに読んでもらいたくて、英文をつけることにした。・・紛争の絶えない憎しみの大地で見つけた希望の言葉「にもかかわらず」をキーワードにした絵本を読んだ人たちが、新しい波を起こしてくれることを祈っている。』


絵本「アハメドくんの いのちのリレー」の話のあらすじを紹介します。


『難民キャンプに住む12才のアハメド君が、狙撃兵に頭を撃たれて亡くなりました。主治医(イスラエル人)から臓器移植(提供する側は移植相手〔国籍・民族・宗教〕を選べない)の提案を受け、悩んだイスマイル父さん(パレスチナ人)は、みんなに相談し、考えぬいて、すべての臓器を提供することを決断しました。心臓、肺、肝臓、腎臓がイスラエル国籍の子どもたちに移植されました。そのことを新聞で知った鎌田さんは、自分の息子が殺された、にもかかわらず、病気の子どもたちを助けようとしたイスマイル父さんに会いたくなりました。手を尽くして、5年後、イスマイル父さん、主治医、アハメド君の心臓を移植してもらったイスラエルのサマハちゃん一家に会いに行きました。イスマイル父さんが言いました。
「臓器提供は、平和の実現を望む私たちパレスチナ人のシグナルだと思ってほしい」と。
心臓をもらったアハメド君の写真を飾っている家に住む、17才になったサマハちゃんが言いました。
「医学部を受験します。医師になって、たくさんのいのちを救いたい。イスラエルとパレスチナの平和のために働きたい」と。』


「にもかかわらず」


鎌田さんが、ここまで世界中を行動する原点(出発点)も書いてありました。
ぼくの父は、貧乏と、妻が重い心臓病という2つの困難をかかえていた。にもかかわらず、それを横に置いた。捨てられて行き場のないぼく(1才)をひろってくれた。「にもかかわらず」って生き方は、かっこいい。「にもかかわらず」ができるのが、人間のすごさなんだ。「にもかかわらず」には力がある。・・イスマイル父さんがおこなった「にもかかわらず」そこから、アハメド君のいのちのバトンが走り出した。平和のバトン、やさしさのバトンだ。・・』と。また、


『37才の時、パスポートをつくるために戸籍を取り寄せるまで、父と母の本当の子どもじゃないなんて思ってもみなかった。‥2人にひろわれたおかげで、ぼくのいのちはつながった。いのちのバトンは、いろんなところで、いろんなカタチでおこなわれている。アラビアの砂漠への旅は、そのことを確認するための旅でもあった。』とも。そして、


この愛の物語を、ぼくは絵本というバトンに変えて、世界のみんなにつなげたい。・・いのちのリレー。・・信じている』と締めくくってありました。私は図書館で読みましたが、本書を直接読まれることをオススメします。読売新聞で鎌田實さんの連載が続いていたということも、聞きました。


このページを書くことができましたのは、山形県の学校に勤務するS先生が、Eメールで鎌田實さんの著書「人は一瞬で変われる」を紹介してくださったおかげです。S先生、鎌田實さんの温かさを伝えてくださり、ありがとうございました。そして今、このページを読んでくださったあなたが、この「あったかさの連鎖」を誰かに届けてくださることが、さらなる「あったかさの連鎖」になることでしょう。これらの実話が、あなたから家族、友人、同僚、そして、子どもたちへのバトン・リレー「あったかさの連鎖」になったら、アンドレイ君やヤヨイさんやエレーナ母さんも、アハメド君やサマハちゃんやイスマイル父さんも、鎌田實Drも、竹下和男校長先生も、山形県の学校のS先生も、きっとうれしいやろなと思います。


「いのちをいただく」


当たり前なのに忘れがちなことを、感謝とともに思い出させてくれる作品です。


2014年9月5日(金)朝刊1面の「天声人語」前半は絵本の紹介でした。( )は私の補足です。


『しのぶ君はお父さんの仕事をかっこ悪いと思っていた。食肉センターで牛を「解き」、肉にする仕事だ。解くとは、殺すこと。小学校の社会科の授業で家の仕事を聞かれ(今は、親の仕事を授業で子どもに聞く学校はないはず)「普通の肉屋です」と答えた。


帰り際、しのぶ君を呼び止めて担任の先生は諭した。おまえ(しのぶ君)のお父さんが仕事をしないと、先生もおまえ(しのぶ君)も校長先生も会社の社長さんも、みんな肉を食べられないんだ。「すごか仕事ぞ」


食肉解体作業員だった熊本県の坂本義喜さんは、牛と目が合うのがつらくて、いつかやめようと思っていた(坂本さんはずっと葛藤し続けてこられたことが伝わってきます)。しかし、しのぶ君が「お父さんの仕事はすごかとやね」と報告するのを聞いて、やはり続けようと思った。


坂本さんのこうした話(牛を思う坂本さんの優しさと、牛のいのちをいただく有り難さ)に心動かされた福岡県の助産師、内田美智子さんが文章にし、5年前に「いのちをいただく」という絵本になった。私たちの命は肉や魚や野菜の命によって生かされている。当たり前なのに忘れがちなことを、感謝とともに思い出させてくれる作品だ。・・後略』


記事前半の紹介は、以上です。実は、私も、この「いのちをいただく」の紙芝居を2年ほど前に購入して持っています。「弁当の日」の小中学校の実践をあれこれ聞く中で知ったからです。絵本も売っていましたが、私は紙芝居を買いました。しかし、講義や子育て講演などで、他の絵本は読んだことはあるものの、紙芝居「いのちをいただく」は読んだことがありませんでした。しかし、チャンスがあれば私も読み聞かせをしたいという気持ちが、今、沸々と湧いてきました。


紙芝居「いのちをいただく」内田美智子:文、魚戸おさむ:絵、坂本義喜:原作(西日本新聞社)は、29枚の紙芝居です。みなさんも、機会があれば、絵本でも紙芝居でも、一度読んでみてください。坂本さんの体験・・葛藤・・決意に助産師さんが心をズシンと動かされ、そして、生まれた絵本と紙芝居・・なんともかとも、ええお話です。


「おばあさんの手紙」岩國哲人さんご自身の体験談


たしか2014年10月中旬頃の朝刊1面下の天声人語に載っていました。と書いた理由は、その記事を切り取って残しておいたので、今も手元にあるのですが、じつは日付をメモするのを忘れていたからです。


岩國哲人(いわくにてつんど)さんの著書を図書館で読んだことがあります。大阪生まれの島根育ちで、たいへん苦学されたそうです。日米の大手証券会社で活躍され、島根県出雲市長になられて取り組んだことを書かれた自叙伝「男が決断する時」だったような気がします。その後、衆議院議員もされて、米中韓の各大学客員教授などもなさったようです。国際金融界から出雲市長を経て政界まで渡り歩く大胆な人生を歩まれた方、という印象があります。しかし、この「おばあさんの新聞」というエピソードは、初耳でした。次のような記事(少年てっちゃん=岩國哲人氏)です。


『早くに父が亡くなり、家には新聞を購読する余裕がなくなった。好きなのでなんとか読み続けたい。少年は新聞配達を志願した。配った先の家を後で訪問し、読ませてもらおうと考えたのだ。


元島根県出雲市長で衆院議員を務めた岩國哲人さん(78)の思い出だ。日本新聞協会の新聞配達エッセーコンテストの大学生・社会人部門で今年、最優秀賞になった。題して「おばあさんの新聞」


小学5年の時から毎朝40軒に配った。読み終わった新聞を見せてくれるおじいさんがいた。その死後も、残されたおばあさんが読ませてくれた。中3の時、彼女も亡くなり、葬儀に出て実は彼女は字が読めなかったと知る。「てっちゃん」が毎日来るのがうれしくて(おばあさんは新聞を)とり続けていたのだ、と。涙が止まらなくなった……


岩國さんはこれまで新聞配達の経験を語ってこなかった。高校の同級生で長年連れ添った夫人にも。しかし、今回、おばあさんへの感謝の気持ちを表す好機と思い、応募した。「やっとお礼が言えて、喜んでいます」。きのう電話口で岩國さんはそう話した。(以下略)』


岩國哲人さんは、人生で忘れられない「おばあさんの新聞」の体験を、市長時代にも、衆議院議員時代にも、一切だれにも語らず、心の中にそっとしまっておられました。それだけで尊敬してしまいます。第一線から退いた今、エッセーに綴ることで、おばあさんへの感謝の気持ちを伝えられたのでしょう。60年以上、ずっと心の中で大事に大事にあたためておられた・・なんとも言えず心がじんわりと温まり、読み手までもらい泣きしそうなエピソードだと、感銘を受けました。(以下本文)


おばあさんの新聞  岩國 哲人(78歳)東京都(敬称略)


 一九四二年に父が亡くなり、大阪が大空襲を受けるという情報が飛び交う中で、母は私と妹を先に故郷の島根県出雲市の祖父母の元へ疎開させました。その後、母と二歳の弟はなんとか無事でしたが、家は空襲で全焼しました。


 小学五年生の時から、朝は牛乳配達に加えて新聞配達もさせてもらいました。日本海の風が吹きつける海浜の村で、毎朝四十軒の家への配達はつらい仕事でしたが、戦争の後の日本では、みんながつらい思いをしました。


 学校が終われば母と畑仕事。そして私の家では新聞を購読する余裕などありませんでしたから、自分が朝配達した家へ行って、縁側でおじいさんが読み終わった新聞を読ませていただきました。おじいさんが亡くなっても、その家への配達は続き、おばあさんがいつも優しくお茶まで出して、「てっちゃん、べんきょうして、えらい子になれよ」と、まだ読んでいない新聞を私に読ませてくれました。


 そのおばあさんが、三年後に亡くなられ、中学三年の私も葬儀に伺いました。隣の席のおじさんが、「てつんど、おまえは知っとったか?おばあさんはお前が毎日来るのがうれしくて、読めないのに新聞をとっておられたんだよ」と。


 もうお礼を言うこともできないおばあさんの新聞・・・。涙が止まりませんでした。


関連ページ


教材『続・かさこじぞう』など【成人の日はお祝いの祝日、敬老の日は感謝の祝日】【地球が1mの球だったら】【釜石小学校校歌】【旅立ちの日に】【被災地を忘れない人】

http://sg2takaboo.exblog.jp/24898180/

水泳で長い距離を泳げるようになるポイント:平泳ぎ・クロール【子どもがイメージしやすい教師の助言】

http://sg2takaboo.exblog.jp/24898291/




by takaboo-54p125 | 2017-03-18 05:05 | 教材

平成4年度(1992年度)に2年生を担任して、12月に国語の教科書(光村図書)の物語文教材「かさこじぞう」で、子どもたちといっしょに音読や読解の学習をしました。その時、「お正月が終わってしまったら、じいさまたちはまた貧乏になるのかな」と心配する子が何人もいたので、文才もないのに、冬休みに続きのお話を書いてみました。そして、3学期にクラスの子どもたちと読んでみました。じいさまとばあさまが幸せに暮らしていけそうなので、子どもたちも安心してくれました。心優しい2年生の子どもたちがいなかったら、生まれなかったお話です。


今回、その「続・かさこじぞう」を推敲・手直ししたのが、この『じぞう川』です。少子高齢化社会に生きる子どもたちと、高齢者のみなさん、とりわけ高齢者世帯のみなさんへの、ささやかなクリスマス・プレゼントです、と言うと、ちょっとカッコつけすぎですよね。



続・かさこじぞう(じぞう川)   タカブー・作


 あれは ゆめだったのか と思うほどに、
ほんとうに フシギで、
ほんとうに ステキな、
大みそかの 夜の できごとでした。
 しんせつで 人のよい じいさまと ばあさまは、
あの 大みそかの 真夜中の 
ありがたい いただきものを、
お正月には 村の人たちにも わけてあげました。
だから、春が やってくるまでには、
いつもの 二人の くらしに もどっていました。
 半年がすぎて 夏に なりました。
その年は 日でりつづきで、町でも 村でも 
水がなくて、みんな こまりはてていました。
 じいさまと ばあさまの うちも、
なんともいえないぐらい まずしかったので、
その日 その日を なんとか かんとか 
くらしていました。
 そんな 二人の家の うら山には、
ずっと前から 大岩がありました。
ところが、あの夜の よく日の、お正月から、
なぜか 大岩に ひとすじの ひびが入って、
わき水が ちょろちょろ 出るようになったのです。
それは それは つめたい わき水でした。
 二人は、あいかわらず どうにか こうにか 
くらしていましたが、
ばあさまが、夏かぜを こじらせて ねこんでいました。
じいさまは まい日 まい日 ばあさまのために
大岩の ところまで えっちら おっちら のぼりました。
そして、水を くむと、ゆっくり ゆっくりと 
山から おりました。
 ばあさまは、その水を だいじそうに のみました。
それでも、夏かぜは しつこくて 
なかなか なおりません。じいさまは、
「はあはあ。」
と いきをする ばあさまの くるしそうな顔を、
じいっと 見つめて 言いました。
「ああ、なんぞ ええ考えは ないかのう。そうじゃ、
町で 水が 売れたら、くすりが 買えるかもしれん。」
 じいさまは、きのうまで まいにち 水をすこしずつ 
ためておいた、おもい 水だるを せおって、
ひしゃくを もちました。
「ばあさま、まっていておくれ。
もうすこしの しんぼうやでな。」
じいさまは 水を売って、そのお金で よいくすりを 
買うため、町へ 行くことに したのです。
ばあさまは、
「じいさま、気をつけてな。」
と、じいさまの からだのほうが しんぱいで 
なりませんでした。じいさまは、
「なんの なんの、だいじょうぶじゃ。」
と、にっこり わらいながら 出かけて 行きました。
 かんかんでりの お日さまに てらされ、
じいさまは あせを ふきふき、
ようやく じぞうさまの ところまで 来ました。
 風もなし、雲のかげ 一つなし、
かさこと 手ぬぐいだけの 六人の じぞうさまは、
ひびわれた 野っぱらに、
ただ じっと 立っているのでした。 
「これは これは、お気のどくなことじゃ。 
あつくて たまらんじゃろう。
じぞうさまが ほこりまみれに なっていなさる。
せめて、水でも かけて さしあげよう。」
 じいさまは、水だるを せなかから おろして、
りょう手で しっかり かかえると、
じぞうさまの そばへ はこぼうと しました。
ところが、どうしたことか、じいさまは
足もとの 小石に つまずいて しまったのです。
たいせつな水は、水だるから こぼれて、
じめんに すいこまれてしまいました。
「ああ、たいへんじゃ。
おら、じぞうさまに もうしわけないこと してしもうた。」
 じいさまは、じぞうさまの ほこりを、
ひとりずつ ていねいに はらいました。
しかし、ばあさまのために、
町まで 売りに 行くはずだった 水は、
もう 一てきも のこっていませんでした。   
 それで、このまま 町へ行っても しかたがないので、                      じぞうさまに りょう手をあわせて、
とぼりとぼり うちへ 帰りました。
「ばあさま、帰ったぞ。それがのう、
くすりは 買えんかったんじゃ。
すまんのう、じつは とちゅうで・・・。」
 ばあさまは、もうしわけなさそうな じいさまの顔を、
じいっと 見つめて 言いました。
「じいさま、それは すまなかったのう。
じいさまが ぶじで 帰ってくれたのが、なによりじゃ。」
 その時です。
ばあさまの ねつが すうっと さがりました。
そして、ばあさまは 
みるみるうちに らくそうな顔になりました。


 その夜のことです。
大岩の わき水は さらさらと ながれ出し、
じいさまと ばあさまの 家の前まで、
いつまでも ながれつづける 
一本の 小川に なりましたと。
今でも「じぞう川」とよばれているそうな・・・・めでたしめでたし                                                      (おしまい)



 詩「20行までゴシゴシゴシ」   タカブー・作


かみの毛あらうぞ ゴシゴシゴシ
お風呂でシャンプー ゴシゴシゴシ


さんぱつ行ったぞ ゴシゴシゴシ
顔・耳・首も ゴシゴシゴシ


においがちがうぞ ゴシゴシゴシ
シャワーでジャジャッと ゴシゴシゴシ


ついでに歯みがき ゴシゴシゴシ
おまけにお風呂も ゴシゴシゴシ


父ちゃんトイレを ゴシゴシゴシ
母ちゃんマイカー ゴシゴシゴシ


じいちゃん入れ歯を ゴシゴシゴシ
ばあちゃんお茶わん ゴシゴシゴシ


兄ちゃん宿題 ゴシゴシゴシ                                       ぼくも「お直し」 ゴシゴシゴシ 


やなこと忘れろ ゴシゴシゴシ                                      頭も心も ゴシゴシゴシ


きれいになったぞ ゴシゴシゴシ
さっぱりすっきり ゴシゴシゴシ


はたちになるまで ゴシゴシゴシ                                    ゴシゴシゴシ五四 二十行


成人の日・敬老の日はお祝いの日・感謝の日なのに!


ハッピーマンデー制度の対象からはずすべきです


1月15日と言えば、昔から小正月と呼ばれ、家々でも小豆がゆをいただく日でした。昔なら大人になる元服の儀式(初めて髪を結う)があった日になります。そんなことで、成人の日(祝日)になり、成人式も行われるようになったのでしょう。


今、成人の日(祝日)は、ハッピーマンデー制度で、1月の第2月曜になりました。現実には、参加しやすいように、土日に成人式を行う市区町村も少なくないようです。こうして、本人と家族以外には、いったい何日が成人式なのか、わかりにくくなりました。つまり、ご近所で、「明日は成人式やね。おめでとう」「今日は成人式やな。おめでとう」という声をかけることが、減っていくようで残念です。地域で新成人にお祝いのひと言をかける習慣が、日本からなくなりそうな気がします。                                  


9月15日の敬老の日(祝日)も、ハッピーマンデー制度で、9月の第3月曜になりました。この日も同様で、関係者以外には、なんとなくわかりにくくなりました。年に1回、長寿をお祝いする日なのに、です。人生の先輩のみなさんに感謝することを忘れないための日なのに、です。高齢化社会なのに、その主人公のためじゃない理由で日を変更したのは、ヘンです。やっぱりこの制度は、人に優しい制度だとは、とうてい思えません。


成人の日と敬老の日は、この制度にあてはめるべきではありませんでした。どちらも、お祝いする祝日、感謝する祝日だからです。制度にあてはめた海の日や体育の日とは、意味合いが全く違う祝日だからです。要は土日月の3連休を増やすことで、経済効果が上がるのでは、という1点ねらいですよね。3連休で旅行に連れて行ってもらえる子どもは、いったい何%ぐらいなのでしょうねぇ。3連休が増えるほど、学校は連休明けの日が一番たいへんになるということを、連泊旅行でお忙しい人は全く知らないのでしょうね、たぶん。エライ人はお金持ちだから、3連休でも旅行へ行けない庶民の気持ちなんか、わからないのでしょうね、きっと。世界にあまり類を見ない日本の誇れる祝日が、成人の日と敬老の日だと聞きます。地域のみんなが新成人にも高齢者にも温かい声かけをするのが日本だと、世界に胸を張れる日でありたいと心から願います。


『地球がもし直径1mの球だったら』


3月11日を前日にして


今までの私たちの常識を覆す未曾有の日から、明日でちょうど1年たちます。今も避難生活を余儀なくされている方々の心労・過労を思うと、私など、ぜいたくは言えません。思うことは、みなさん、それぞれのお立場で、たくさんあることでしょう。2012年10月下旬の朝日新聞「天声人語」の冒頭には、以下の文がありました。


・・作家の椎名誠さんが7月の小紙に寄せていた。椎名さんは


『地球がもし100cmの球だったら』という絵本を紹介しつつ、この惑星の有限性を述べている。直径(地球)1mに縮尺すれば大気の層はわずか1mmしかないのである、と。すべての水はビール大瓶1本分。海水を除いて人が飲める水はスプーン1杯の量しかない—など、目を開かされた例えをふと思い出した。・・」


2011年3月11日の巨大地震・巨大津波の衝撃は、甚大な被害をもたらしました。それに追い打ちをかけるように、局地的豪雨、大型台風、大洪水、記録的猛暑、豪雪など、数々の自然の脅威は、私たちの経験と予知をはるかに超える地球に変貌したのではないか、と痛感させられた1年間でもありました。さらに加えるなら、気温も降水量も、観測史上初があちこちで更新されたという事実は、オゾン層を温室効果ガスが破壊することによる気象変動の始まりかと、受けとめざるを得ないのでしょうか。同時に、安全だと聞かされて大丈夫だとみんなが信じきっていた原発の、絶句してしまうほどの、測り知れないリスクは・・・言葉になりません。


CMでは「エコナビ」とか言ってますが、最も大切なのは使う人の気持ちひとつです。「東北の復興なくして日本の再生はありえない」という言葉を(聞き流さず)かみしめると、節電も、節水も、自分のできることを期間限定ではなく、日本中の誰もが行動に移さなければならない時代が始まったのかも知れません。


とりわけ福島県のみなさんの耐え難いほどの心痛を思うと、原発なしで地球温暖化を防ぐ省エネ・低炭素社会の実現のために、被災地以外の誰もが「少しずつガマンする意識を共有せなあかん時代」のスタートだと、言いかえてもいいのではないでしょうか。国が莫大な借金を増やしながら、私たち国民が快適な暮らしだけを求め続けることの矛盾を指摘する人(つつましく暮らし始めた人)は、私の周囲でも徐々に増えてきました。


原発の怖さに気づくには、あまりにも大きすぎる犠牲でした。他の場合でも、例えば、国の政策で全国の造林公社が杉の植林に走った結果、スギ花粉症が猛威をふるうようになった現実を見ても、人間が開発だけを追求すれば、予測すらできないリスクも背負うことを、私たちは自覚しなければならないのでしょう。


2012年いただいた年賀状の冒頭の挨拶も、例年とはひと味ちがう文言が多かったと感じました。増えたのは「恭賀新年」でした。四字熟語では「迎春吉祥」「笑門来福」「招運来福」が目を引きました。


ひときわ心をひかれたのは、次の3つです。


「笑顔の花咲く一年に」「希望と潤いのある一年に」「安穏平和な一年で」


私自身、あまりたいしたことはできていません。ホットカーペットの下に断熱シートを敷いたり、石油ファンヒーターを石油ストーブに換えて、やかんを置いて湯を沸かしたり、LED照明(数箇所だけ)につけかえたり、夜間は電気ポットのコンセントを抜いたり、エアコンの必要な部屋では設定温度を冬は18℃にしたり・・・ぐらいです。ただ原発依存度の高かった(あえて過去形にしたい)関西に住んでいますので、清水の舞台から飛び降りるつもりで、太陽光パネル(4,41kw)を屋根に乗せました。でも、今度の夏も扇風機をメインにしつつ、エアコンが必要な部屋も夏の目標は29~30℃です。エコライフをしていると言えるまでには、まだまだ千里の道の1歩という段階ですけど、ハッと気づいた時は、自分なりにできることを、微々たることでも日々実行していきたいと、明日を前日にして改めて思いました。


地球がもし直径1mの球だと考えて・・・つつましく暮らす意識を共有するエコライフができたら・・・ちなみに、エコライフという言葉は、小学校:家庭科の教科書にも大事な単元の1つとして載っています。


「釜石小学校校歌」どの学校・園でも歌いたい名曲


2013年3月11日、2年前(2011、3、11)の東日本大震災の津波による死者・行方不明者が1000人を超す釜石市で、2926人の小中学生のうち2921人が津波から逃れました。不利な条件が幾重にも重なったであろう5人が犠牲となったのはまことに無念で、大震災の犠牲になられた総ての方々に対して、心から哀悼の意を表します。そんな未曾有の大混乱の中で、小学校によっては事務職員の方が電話連絡役として、あえて1人職員室に残り殉職されたという尊い犠牲の上に、この釜石市内の小中学生99.8%という生存率が「釜石の奇跡」と言われたことを忘れてはいけません。下校後の子どもたちの多くが、津波避難の3原則に沿って高台に避難した姿を浮かべると、相田みつをさんの詩「その時どう動く」と重なります。そして、釜石市の津波避難の3原則は、私たちも学ばなければ・・と強く思いました。


一つ目は「想定にとらわれるな」。自然の振る舞いに想定内はあり得ない。想定に頼れば、想定外の事態に対応できなくなる。ハザードマップも信じるな。


二つ目は「最善を尽くせ」。どこで、どんな津波が来るか分からない。津波が襲来したら、できることをやるしかない。


三つ目は「率先避難者たれ」。一生懸命逃げる姿が周囲の命も助ける。


この三つは、私たちも胸に刻んでおきたいものです・・・いつまでも。


その釜石市にある、全校児童が1人残らず生き延びた釜石小学校の校歌(生きるための羅針盤みたいな歌)も有名になりました。作詞が井上ひさし、作曲が宇野誠一郎という『ひょっこりひょうたん島』コンビの作品だと知りました。こんなに力強く心を揺さぶられる歌詞の校歌があることに、驚きました。自分の母校じゃないのに、元気が分けてもらえる校歌に、初めて出会いました。もう、題名のない音楽会で聴いておられる方も多いと思いますが、紹介いたします。


釜石小学校・校歌


いきいき生きる いきいき生きる


ひとりで立って まっすぐ生きる


困ったときは 目をあげて


星を目あてに まっすぐ生きる


息あるうちは いきいき生きる



はっきり話す はっきり話す


びくびくせずに はっきり話す


困ったときは あわてずに


人間について よく考える


考えたなら はっきり話す



しっかりつかむ しっかりつかむ


まことの知恵を しっかりつかむ


困ったときは 手を出して


ともだちの手を しっかりつかむ


手と手をつないで しっかり生きる


この校歌を聞きたくて検索したら、次の2つのHPに校歌のBGMが流れていました。子どもたちと歌ってみたい、みんなの歌のようなメロディーでした。さすがは、「ひょっこりひょうたん島」の作曲者です。歌詞メロディーの楽譜ものっていました。釜石小の子どもたちは「人間についーて」と歌っていましたが・・。


http://www.utagoekissa.com/utagoe.php?title=kamaishishougakkoukouka


http://bunbun.boo.jp/okera/kako/kou_ka.htm



アカペラで歌えるように練習中です。同時に、この釜石小学校校歌をピアノで弾く伴奏をCDに録音してもらえないかと、大阪の従妹に頼んだところ、快く引き受けてくれ、CD録音(ピアノ伴奏&歌入りピアノ伴奏)+楽譜(私のリクエストで簡易伴奏)まで書いてくれました。忙しいにもかかわらず、YouTubeを聞いただけで、あっという間に楽譜もCDも仕上げてくれた従妹には感謝の気持ちでいっぱいです。


【2013年12月追加】そうしたら、県外の小学校・特別支援学校・幼稚園・保育園の先生方からブログ左側「メールを送信」で、「ピアノ伴奏用楽譜やCDを送ってほしい」というEメールが来ました。コピーして郵送しました(実費だけ250円ほど切手で頂戴しました)。全国あちこちの学校・園で、子どもたちと歌ってくださっていることでしょう(私自身も学生らと歌い始めました)。


【2015年1月10日追加】本日、楽譜作成フリーソフトMuseScore(ミューズ・スコア:英語表示)で、ピアノ伴奏譜を作成しました。ところが、従妹:手書きの伴奏をそのままパソコン入力する技術のない私(初心者)は、ごく簡単な伴奏を入力しただけです。Eメールをくださった学校の先生に送信した後になって、ようやく歌詞入力もできました。試聴してみたところ、子どもたちと歌うのに、なんとか使えるレベルでしょうか。ピアノが得意な方は自由にアレンジして弾いていただければ、と思います。というわけで、釜石小学校校歌ピアノ伴奏譜のEメール添付送信が可能になりました。簡単な伴奏譜(歌詞あり)でもかまわない方は、Eメール(ブログの左上)をくだされば伴奏譜(Word文書に貼り付け)を無償で添付送信します。ただし、営利目的や匿名や偽名の人は、固くお断りします。


【2012年5月訂正】


以前、記事の最初のほうで紹介した、四分休符が聴き取れなかった歌声は、釜石小学校の子どもたちの歌声と、2番の途中が少々違うことに気づきました(5月22日)。ちがう音源を聴きながら作成してもらったので、申し訳ありません。ピアノ伴奏楽譜にも四分休符を加筆修正しておきました。改めて紹介しますと、釜石小の子どもたちが歌っている「釜石小学校校歌」は、次のYouTubeアドレスで聴くことができました。


http://www.youtube.com/watch?v=-qqCP-6kLzc


「旅立ちの日に」


卒業式歌「旅立ちの日に」は、中学校の先生お二人が教え子たちのために作詞作曲された、すばらしい歌だと思います。

土曜日の朝日新聞には、beという別冊がついています。3月30日の場合、1つは、ページがb1~b12まである冊子で、もう1つは、ページがe1~e8まである冊子でした。そのe1とe2の2ページに「旅立ちの日に」の『歌が生まれた経緯』と『全国の中学校へ広まった経緯』が、詳しくのっていました。せっかくですので、記事の前半の『歌が生まれた経緯』だけでも紹介させてください。

『1988年春、グラウンドのかなたに山並みを望む埼玉県秩父市の市立影森中学校に2人の教員が赴任した。ひとりは、坂本さん。当時26歳。音楽の教諭だ。(中略)

一方、校長の小嶋さんはある信条を持って着任していた。「歌は心を健康にする」だ。前任校で合唱指導に力を入れ、成果を得たのだ。影森中でも「歌声の響く学校」を目標の1つに決めた。「(校舎の)あちこちには『歌声の響く学校にしよう』のスローガンが張られた」(坂本さん)。(中略)

91年2月。放課後の職員室でストーブに手をかざしていた坂本さんは、通りがかった小嶋さんに切り出した。「卒業生に歌を作って贈りたいんですけど、詞を書いていただけませんか?」答えはつれなかった。坂本さんの記憶によると「自分は英語の教員だし、そんなセンスないよ」だった。

ところが、翌朝出勤してみると、坂本さんの机の上に、きちょうめんな文字で書かれた詞がのっていた。「旅立ちの日に」。小嶋さんの字だった。「すごくいい!」。音楽室に駆け込み、ピアノに向かった。「勇気を翼にこめて・・・・・・・」の旋律がまず浮かんだ。15分ほどで全体にメロディーをつけた。

自分で弾き歌った録音テープを教職員に配り、生徒に内緒で練習した。そして、3月中旬の「3年生を送る会」で披露。1番は小嶋さんが独唱した。この時で「旅立ちの日に」は役目を終えたはずだった。(後略)』

3年間、影森中で奮闘した先生方と、それに答えて変容し成長した生徒たちと、坂本先生の熱意を、全部丸ごと受けとめた小嶋校長の思いが詰まっている「旅立ちの日に」・・・その深みのある歌詞には、生徒たちへの小嶋校長の温かさを感じました。全国の中学校で歌い継がれている理由の一端を垣間見た気がします。この歌は、影森中で3年間かけて学校づくりを進めていかれた中で作られた歌だと言ってもいいのではないでしぃうか。

記事の後半には、2004年にフジテレビで「卒業ソング」を特集したディレクター、同曲を混声3部に編曲した先生、同曲の楽譜を載せた専門誌の編集長、中1の時、送る会で「旅立ちの日に」を聴いた影森中OBのバリトン歌手、2011年に亡くなられた小嶋校長の息子さんの話などが載っていました。また、秩父市内の公園には「旅立ちの丘」ができたこと・・・武甲山を背景に「旅立ちの丘」で記念撮影する若者たちの写真も掲載されていました。

私が秩父を訪れたのは、1981~82年頃でした。88年に小嶋校長先生と教員4年目だった坂本先生(私よりお若い教員)が、その3年後に教え子たちへ贈る歌として作詞作曲された「旅立ちの日に」・・頭が下がります。

今回、このような記事を書いたのは、2013年2月3日に、以下のブログ記事を書いたからです。

卒業式で「旅立ちの日に」を歌い継ぐと、歌の苦手な子も歌えるようになります

http://sg2takaboo.exblog.jp/24898450/


被災地に移住した作家・柳美里さん&東日本大震災特集を始めて5年目に入った滋賀県立彦根東高校新聞部


どちらも2015年5月の新聞記事ですが、3、11を前にして、改めて紹介させてください。


まず、読売新聞2015年5月9日31面に「彦根東高新聞部 東日本大震災の特集を始めて5年目に入った。・・」という4段の大きな記事が載っていました。記事では、彦根東高新聞部は特集を続けることに迷い悩みながらも「先月末、4回目の震災復興支援特集号を発行した。」と書いてありました。また、「新聞の社説に当たる1面の部説には『無関心と無知は復興の最大の妨げとなる』と主張・・」と、特集を続ける主旨(現地取材で聞き取りをする中で見えてきたこと)も紹介していました。


次に、朝日新聞2015年5月9日2面の「ひと欄」では「原発事故被災地に移住した作家 柳美里さん」を紹介していました。記事には「先月・・福島県南相馬市の借家に運び込んだ。・・売れっ子の芥川賞作家がなぜここに?」とありました。そして、「祖国を捨てた祖父(弾圧を逃れて)、母の語った集落の喪失、帰郷できない原発事故被災者‥‥。在日3世の自分にとって、故郷とは何なのか。『通うのでなく暮らしながら考えたい』。鎌倉の家を売り、退路を断って。」と結んでました。


それぞれの立ち位置は違いますが、作家として、高校新聞部として、今できることを真剣に考えて実行されているという点では、一致するのではないでしょうか。偶然にも同じ日に、偶然にも2つの新聞記事を読んだだけの私にできることなどは、はるかにちっぽけで、お恥ずかしい限りですが、せめて紹介させていただけたら、と思いました。結果として置き去りにされている被災者の方々の現実に無関心・無知であってはならない、被災者の方々のお気持ちを決して忘れてはならないと、柳美里さんと彦根東高校新聞部さんから教えられました。


今、人々の暮らしの基盤を1日も早く何とかしなければならない福島県・宮城県・岩手県などでは、近い将来の人口減少というわが国の課題についても、先行する形で取り組んでおられ、私たちが具体的に学ぶことはとても多いと感じています。


また、以前、当ブログでも紹介した、チェルノブイリ原発事故で医療支援をされていたお医者さん鎌田實さんの、絵本「ほうれんそうは ないています」(ポプラ社)が、第20回絵本賞(主催 全国学校図書館協議会・毎日新聞社)で、読者賞2位に入ったことを、1年後の2016年3月、今頃になって知りました。


関連ページ


教材:国際理解教育[アメリカ・インディアン、エスキモーを大切に][ネイティブ・アメリカン、イヌイットを正しく][日韓交流:尊重し合い認め合うリンダリンダリンダ]福島にとどまる留学生、湖人(うみんど)、KAZUへの手紙、大統領の言葉

http://sg2takaboo.exblog.jp/24898160/

教材【日記の授業:指導案】【万引き・おもらし・お手伝い】【聞かせたい5話】【詩・冬の夜道:指導案・発問】【中学・職場体験授業:指導案】【発声練習:朝の会】【ごんぎつね:発問】

http://sg2takaboo.exblog.jp/24898472/




by takaboo-54p125 | 2017-03-11 05:21 | 教材

【「アメリカ・インディアン」と「ネイティブ・アメリカン」の違いを知っておきましょう】


「ネイティブ・アメリカン」とは、アメリカ合衆国の先住民の総称です。「アメリカ・インディアン」のみなさんは、この呼び方を承認しておらず、1977年にスイスの国連先住民会議に代表団を送り、「我々の民族名はインディアンである」と公式に表明しておられます。


「ネイティブ・アメリカン」は行政側が、そのサービス対象グループに対して使い始めた用語で、インディアン側から出てきた用語ではありません。しかも、インディアンだけでなく、アラスカ先住民、ハワイ先住民すべてをさす意味があり、固有の民族名ではありません。


1995年のアメリカ国勢調査局の調査では、国民の49%が「インディアン」を支持し、37%が「ネイティブ・アメリカン」を支持しました。そして、2004年にワシントンに開館した博物館の名前は、国立アメリカ・インディアン博物館となりました。


アメリカのインディアンの人口で多いのは、チェロキー族が約30万人、ナバホ族が約20万人、チペワ族が約10万人、スー族が約7万人、ラムビー族が約4,5万人、プエブロ族が約3,5万人というふうに数えていくと、もっとたくさんあるそうです。


以上、「インディアン ネイティブアメリカン」抜粋です。私が聞いたことがあるのは、スー族、シャイアン族、コマンチ族、アパッチ族だけでした。


今年10月に愛知県で開催された「国連地球生きもの会議」に合わせて開かれた「せかいSATO(里)フェスタ」のメイン行事「先住民族サミットinあいち2010」を紹介する新聞記事でも、アメリカからインディアン最大規模の1つであるナバホ族から参加された方の意見をのせていました。「インディアン文化 今も」というタイトルでした。


ですから、私は「アメリカ・インディアンの教え」という詩(10月25日のブログ:作者名までは知りません)は、タイトルをそのまま使うことが大切だと考えます。当事者であるアメリカ・インディアンのみなさんの意向を、第一に尊重すべきだからです。


学校で「インディアン」を「ネイティブ・アメリカン」「アメリカ先住民」と言おうと教えるのは、人権教育の視点からも、正しいとは言えないでしょう。先生方には、少数民族の人々の思いをきちんと受けとめた呼び方を、生徒たちに教えてやってほしいと、心から願っております。


【「エスキモー」と「イヌイット」の違いを知っておきましょう】


「エスキモー」とは、ロシア北極圏のシベリア極東部(1200人)・アメリカ合衆国のアラスカ(32000人)・カナダ北部(12000人)・グリーンランド(41000人)に至るまでの、ツンドラ地帯に住む先住民の総称ですから、単一の民族名ではありません。


「イヌイット」とは、カナダ北部・グリーンランド(デンマーク領)に住む先住民であるエスキモー系民族の1つであり、エスキモー最大の民族です。このカナダとグリーンランドに住むエスキモーの民族は、「エスキモー」という呼び名を拒否しておられますから「イヌイット」と呼ばれています。


理由は、アラスカでは「エスキモー」は「かんじきの網を編む」という語源だったのが、カナダでは「生肉を食べる者」と誤って解釈され、野蛮という偏見による蔑称(差別用語)になってしまったからです。


一方、アラスカには、「ユピク」「イヌピアト」など別名のエスキモー民族が先住していて、イヌイット民族ではありません。シベリアやセントローレンス島(アメリカ合衆国)は、「ユピク」民族です。


「イヌイット」はカナダとグリーンランドのエスキモーのことで、アラスカでは「エスキモー」が公的な呼び名ですから、アラスカのエスキモーを「イヌイット」と呼ぶのは誤りになります。


1990年前後から、新聞や出版など一部日本のマスコミも「エスキモー」を使わず「イヌイット」を使い始めました。こうした流れで平成5(1993)年度の中学校教科書、平成6(1994)年度の高校教科書から、「エスキモー」という呼称は消えました。しかし、「エスキモー」と「イヌイット」の違いが日本でも理解された今は、「エスキモー」にもどっている教科書もあるとのことです。


以上、「エスキモー イヌイット」の抜粋です。


今年10月に愛知県で開催された「国連地球生きもの会議」に合わせて開かれた「せかいSATO(里)フェスタ」のメイン行事「先住民族サミットinあいち2010」を紹介する新聞記事には、アラスカからは、「クリンギット」族の代表の方が参加されたと紹介していました。ちなみに、「クリンギット」族はエスキモーではなくインディアンです。日本の写真家が「クリンギット」族を訪ねた時、古老が一冊の本のページを指しながら、『この人々は一体誰なのか』と聞いた写真には、北海道のアイヌ民族の人々が写っていたそうです。


中学校や高校で「エスキモー」の別名として「イヌイット」が使われることがあるようですが、正確であるとは言えません。先生方には、少数民族の人々の思い(歴史を背負った願い)をきちんと受けとめた呼び方を、生徒たちには教えてやってほしいと、心から願っております。


以上、呼び名というものは、当事者の微妙な思いを見極め、尊重することが大切だと感じた、海外の2事例の紹介と、中学校・高校の先生方へのお願いでした。


【「リンダリンダリンダ」というDVDを観ました】


「ザ・ブルーハーツ」の曲「情熱のバラ」を好きなことから派生して「リンダリンダ」も気に入っています。そんなこんなで、中古のDVD『リンダ リンダ リンダ』を持っていますが、これは山下敦弘監督の邦画(2005年)です。「リンダリンダリンダ」を初めて観たのは、図書館から借りた時です。それでは、ストーリーを少々・・(ロケは群馬県内の高校)。


高校生活最後の文化祭のステージに向けて、オリジナル曲の練習を重ねてきた軽音楽部所属のガールズバンド。ところが本番まであと3日という時になって、メンバー2人がケガと口げんかで抜けてしまいます。残されたドラムの響子(前田亜希)、キーボードからギターに転向しなければならなくなった恵(香椎由宇)、ベースの望(関根史織)の3人はステージに立つことをあきらめず、ふとしたきっかけからブルーハーツのカバーをやることになります。そして、彼女たちがボーカルとして声をかけたのは、たまたま目の前を通った韓国からの留学生ソン(ペ・ドゥナ)でした。そこから、4人の寄り道だらけの猛練習が始まります・・というストーリーです。練習では「ぼくの右手」、ステージでのフィナーレは「リンダリンダ」、エンディングは「終わらない歌」(主題歌)の3曲を演奏し、歌い上げます。 このチームのバンド名は韓国語「パーランマウム(PARANMAUM)(파란 마음)」、意味は「蒼い心」、すなわち「ザ・ブルー・ハーツ」ということなのです。ここまで知っているぐらいですから、当然ながら、CD「パーランマウム」で彼女たちが演奏し歌う「リンダリンダ」「終わらない歌」「ぼくの右手」の3曲は、私のカーオーディオでお気に入りCDのひとつでもあります。そんなこんなで、今、好きな曲は「ぼくの右手」になってしまいました。「ぼくの右手」は、オススメしたい、ほんまにええ曲です。みなさん、YouTubeで一度聴いてみてください(ライブじゃない基本的なほうを)。


映画の話に戻りますが、軽音楽部顧問の小山先生役は俳優:甲本雅裕(なんと、ザ・ブルーハーツのボーカル:甲本ヒロトの弟)、留学生ソン(ペ・ドゥナ)に告白する高校生・マッキー役は俳優:松山ケンイチという、ユニークなキャスティングだということは、知る人ぞ知ると言うか・・ほとんど知られていないでしょう。今、NHK大河ドラマで平清盛を演じている松山ケンイチは、「リンダリンダリンダ」の翌年(2006年)に映画「デスノート」でL(エル)を演じました。そんなマッキー(松山ケンイチ)が片言の韓国語で告白し、ソン(ペ・ドゥナ)が片言の日本語で答えるのをくり返す場面は、ほほえましくて、ええ感じでした。そこには、ささやかな日韓交流が描かれていました。もちろん、この映画における、4人のガールズバンドそのものが日韓のあったかい文化交流の過程ではあります(敬称略)。


【福島にとどまり放送局に就職する韓国人留学生】


約半年前、2012年3月19日(月)朝日新聞2面の「ひと」欄に、「福島にとどまり放送局に就職する韓国人留学生  朱 美善(ジュ ミソン)さん」という記事が載っていました。抜粋して紹介させてください。


『(前略)気持ちは、徐々に変わる。日本人の友だちや先生、夏祭りで知り合った商店主。奨学金を出してくれた地元ロータリークラブの会員は自宅へ招き、娘のようにかわいがってくれる。放射線への不安を理由に福島を去れば、この人たちを裏切ることにならないか。震災以降、メディアが果たす役割の大きさに目を見開いてもいた。


福島放送の面接で「福島に縁もゆかりもない日本人より、縁もゆかりもある外国人の方が世界に伝えられることもある」と訴えた。「芯の通った熱意を感じた」と採用担当者。新卒採用は1人だけだ。


ゼミの担当教授いわく、一段高い要求にも必ず食らいついていく粘り強さが身上だ。まずは営業局に配属予定。外国人の採用も、女性の営業担当も同社では初めてとなる。「会社の利益を左右するんですよね。ドキドキします」


いわきが舞台の映画「フラガール」に憧れて大学を選んだ。「私にはここの水と空気が合っているんです」。幼い頃から悩まされてきたアトピーが治ってしまったというのだから説得力がある。』


以上です。朱 美善(ジュ ミソン)さんが大学卒業後、たとえ帰国なさったとしても、福島の人たちは、誰も「裏切った」とは思わなかったことでしょう。それでも、あえて福島に残ることを選択した朱 美善(ジュ ミソン)さんが、世界に発信する活躍をされることを、心から応援したいと思いました。(新卒は営業からのスタートだそうです)


それに先がけて2011年4月、アメリカの日本文学研究者ドナルド・キーンさん(88才:コロンビア大学名誉教授)が、日本国籍を取得して余生を日本で過ごすと発表されました。大学院生への最後の授業で「余生を日本で過ごす。日本国民と共に何かをしようと、震災で決意した」と述べられたキーンさんの心意気と合わせて、行動で福島と一緒に歩もうとしてくださるお2人には、頭が下がります。


【琵琶湖博物館と日韓交流】


琵琶湖博物館と言えば、毎年、滋賀県内の小中学校はもちろん、京都府など近隣府県の学校からの校外学習(環境学習)で、「湖と人間のよりよい共存関係」を体験的に学べる場であると言えます。1996年の開館以来、入館者数は累計800万人を超えたと聞きます。年平均40万人を超える入館者があるということになります。一応、私も、その1人になります。


先日、たまたまですが、琵琶湖博物館だより【湖人(うみんど)】の2002,11秋(第24号)を読む機会がありました。10年以上前の冊子ですが、その6ページ「研究最前線」に、「子どもと博物館~韓国との交流~」を主任学芸員さんが書いておられました。抜粋しながら紹介します。


『韓国国立中央博物館の場合・・そのご縁で、今年(2002年)5月に韓国ソウルにある国立中央博物館を訪問しました。韓国国立中央博物館は、国を代表する歴史的な遺物や文化財が納められている、韓国で最も大きな博物館です。現在(2002年)、新しい建物を建設中で、子ども向けの大規模な常設展示室を新たに設置する計画を進めています。私たちは、子ども向け展示の計画について助言を求められました。(中略)


琵琶湖博物館を参考にしようと考えたそうです。新しい博物館を準備しているミン・ビョンチャン学芸員によると、


「同じアジアで隣接しており、社会的な状況や人々の意識、学校教育制度などが似ている。また、全体が子どもを対象とした施設でなく、博物館の中の子ども向け展示室という共通点がある。そこでまずは、アメリカではなく、日本でよい事例をさがした。その時琵琶湖博物館を知った」ということでした。(中略)


その中で唯一子ども向け展示室の教育プログラム開発を担当しているのはキムヒョジュンさんです。(中略)私たちは、琵琶湖博物館でのディスカバリールームの経験や研究の成果から、子どもによる展示の受けとめ方や効果、ハンズ・オン導入の注意点、楽しさと学びを両立させるポイント、展示評価の必要性などについて意見を交換しました。(中略)


私たちが訪問した時点に比べて子ども向け展示の計画は飛躍的に進んだと、後日、キムさんから手紙が届きました。私たちが進めている子どもの博物館についての研究プロジェクトに関連して、韓国の事例を紹介しましたが、現在台湾の博物館でも同様の計画があると聞きます。博物館が子どもたちとどうつきあっていくのかは、日本を含めた東アジアの博物館にとっても、重要な項目になってきたようです。』


「研究最前線」の紹介(抜粋)は以上です。琵琶湖博物館の学芸員さんたちが、韓国国立中央博物館を訪問し、キムさんたち韓国の学芸員さんたちと意見を交換し、手紙のやりとりもされました。お互いに学び合える、こういう草の根の国際交流を、隣国と地道に続けていくことが大事なんだなあと、考えさせられました。ドイツとフランスが共通の歴史教科書を使っているという、喜ばしいニュースを聞いた日でした。


【「Dear KAZU」手紙に込められた国際交流の中身】


「Dear KAZU 僕を育てた55通の手紙」三浦知良・著(文藝春秋)を図書館で手にとった時、ふと、カズが日本代表で55得点とったことを思い出しました。第1章は「ブラジルから」、第2章は「ヨーロッパから」、第3章は「監督から」でした。第4章の「仲間から」に2人、第5章の「後輩から」に2人、合わせて4人の、興味深い手紙が載っていました。


手紙①認め合うこと


まず1人目は、韓国代表DFとして94年アメリカW杯、98年フランスW杯でも活躍したチェ・ヨンイルからの手紙です。


『親愛なるカズへ
元気ですか?僕は、2000年に引退して、今は、釜山にある大学サッカー部の監督をしています。(中略)                                                 
でも、いくら厳しく当たっても、試合後には握手を交わしたし、ロッカールームに戻る途中には健闘をたたえあった。(以下略)2004年5月     崔英一(チェ・ヨンイル) 』


カズも、
『韓国のチェ・ヨンイルほど、ストライカーとしての僕に「集中」したディフェンスはいなかった。(中略)マンツーマンでこれほど厳しくマークにつかれたのは、後にも先にも、彼だけだったと思う(以下略)』
と認めています。マンマークで90分間プレスをかけ続けたチェ・ヨンイルにとってのカズ、90分間密着されて激しく当たられ続けたカズにとってのチェ・ヨンイル、ただのライバル以上に、プライドだけでなくお互いに認め合っていたことがわかります。


手紙②尊敬し合うこと


2人目は、ベルマーレ平塚や柏レイソルでもプレーし、W杯に韓国代表DFとして4回連続で出場し、ロンドンオリンピックの韓国代表監督でもあるホン・ミョンボからの手紙です。


『親愛なるカズへ
ミウラ、その後、元気でやっているかい?本来なら昨年12月に韓国で行った慈善試合で久々の再会を果たすはずだったんだよな。僕が主催した「小児ガン撲滅チャリティーマッチ」に君が快く出場を引き受けてくれて心底、感謝している。(中略)韓国でも「ミウラ・カズ」を知らない者はいない。(以下略)
2004年9月        洪明甫(ホン・ミョンボ)』


カズから見たホン・ミョンボは、
『(前略)02年は若いチームを見事にまとめあげて韓国をベスト4に導き、オリバー・カーン、ロナウドに次いで優秀な選手としてブロンズ・ボールまで獲得している。韓国どころか世界を代表する選手といっても過言ではない。彼の活躍は、同じアジアの一員である僕たちにも勇気を与えてくれたと思う。(以下略)』
という存在なのです。カズとホン・ミョンボは代表戦だけでなく、Jリーグでも相まみえる中で、お互いを尊敬し、高め合いながら、歴史に残る偉大な選手であり続けたのではないでしょうか(カズは現在進行形)。


手紙③言葉に救われること


3人目「後輩から」は、兵庫県生まれ、京都パープルサンガでプレーした後、在日韓国人で初めて韓国Kリーグに移籍し、城南一和でプレーしていた時に韓国代表にも選ばれ、その後、ヴィッセル神戸でプレーしているパク・カンジョからの手紙です。
『親愛なるカズさんへ
カズさん、お元気ですか。1999年の京都で初めてお会いした時の衝撃を今だに覚えています。(中略)僕が悩んでいる時、カズさんはいろいろと相談にのってくれましたよね。京都をクビになった時も(以下略)
2009年11月       朴康造(パク・カンジョ)』


カズはパク・カンジョと京都パープルサンガで一緒にプレーした後、パク・カンジョの韓国行きを後押しし、パク・カンジョが途中で辞めたい時には励ましていたのですね
ましていたのですね。そして、書いています。
『2003年に神戸でまた一緒にプレーすることになったけど、Kリーグを経験したカンジョは明らかに変わっていた。(中略)半年でポジションを獲得して、その後、何度か監督が替わったけどずっとレギュラーで出ている。(以下略)』
と、パク・カンジョの成長を心から喜んでいます。別々のチームになった今も、それぞれが活躍すると、連絡をとりあう兄弟みたいな関係が続いているそうです。2012年シーズンも、パク・カンジョはヴィッセル神戸のレギュラーです。


手紙④温かさ・感謝は伝わる


4人目「後輩から」は、韓国の大学を休学して、カズがいた京都パープルサンガに入団して3年プレー、その後、オランダのPSVで3年プレーした後、マンチェスター・ユナイテッドで7年間プレー、プレミアリーグ優勝、UEFAチャンピオンズリーグ優勝、FIFAクラブワールドカップ優勝を経験し、W杯でも3大会連続ゴールも決めているパク・チソンからの手紙です。


『親愛なるカズさんへ
お久しぶりです。カズさん、お元気でしょうか。(中略)練習中は「疲れていないか」と声をかけてくれるし、練習が終わると「おいしい韓国料理屋があるから行ってみよう」と誘ってくれたり・・。単身で海外にやって来た僕のことを気づかってくれて、驚くとともに、うれしかったことを覚えています。試合はもちろん、練習でも率先してチームの先頭に立って選手たちを鼓舞するカズさんの姿を見て・・、「プロとは何か」ということを学ぶことができたような気がします。僕の原点は京都にあると今でも思っていますが、その中で一番の模範となり刺激を与えてくれたのは、間違いなくカズさんでした。(以下略)
2008年2月        朴智星(パク・チソン)』


カズも、マンチェスター・ユナイテッドで活躍中のパク・チソンから、感謝の手紙をもらったことに、
『彼の一番のすごさというのは、チームのために100%の力を常に出せること、これに尽きると思う。とにかく走り回ってどこにでも顔を出してかきまわすというスタイルは、マンチェスターの中でもまったく見劣りしていなかったし、あの運動量でむしろ目立っていた。(中略)ケガを心配していたけど、チームのみんながチソンの回復を待っていたということは、プレーはもちろん、人間的な部分でも認められているってことで、素晴らしいことだと思う。(以下略)』
とも、パク・チソンの活躍を「誇りに感じた」とも書いています。


このカズと同じ言葉を2011年女子ワールドカップでも耳にしました。決勝のアメリカ戦の延長で澤選手が神技のような同点ゴールを決め、なでしこジャパンはPK戦3:1で優勝しました。その時、アメリカのワンバック選手は澤選手に「私はあなたを誇りに思う」と讃えたことと重なりました。


京都で、飾らない気さくなカズの姿から学び、マンチェスターで活躍してもスター気取りしないパク・チソンの姿勢から、温かい心や感謝する心は、人から人へ伝わっていくことを教えられました。


他にも、中村俊輔(セルティック対マンチェスターでの2試合連続FKゴールはすごかった)、松井大輔、香川真司などからの手紙もあります。香川選手の手紙は2011年2月のものですから、ボルシア・ドルトムントでブンデス・リーガ優勝を目指していた頃になります。カズは本書で、香川選手について、2011年12月発行の本書で次のように書いています。
『韓国のパク・チソンが、マンチェスター・ユナイテッドでチャンピオンズリーグとクラブワールドカップに優勝して、中心選手として活躍したように、香川選手もそこを目指してほしい。・・その可能性を一番秘めているのは香川選手なんじゃないかな。』と。そして、香川選手はドルトムントのリーグ優勝に貢献する大活躍をします。選手を観る目も的確で鋭い、キング・カズたるゆえんを、改めて感じました。


今、教育実習事前指導のチーム・ティーチングで、ご一緒させてもらっている先生(しなやかな感性+柔軟な姿勢=期待の星:数年後には準教授になられるはず)から次の話を教えてもらいました。


『コンステレーション(constellation)は、語意そのものは星座を表しているのですが、布置という心理学の概念のひとつです。今は亡き河合隼雄先生は、「心の中の状況と外的に起こることがうまく合致して、全体として何かが星座のようにまとまることをコンステレーションと呼んで大切に考えている。」とおっしゃっています。』


2008年、マンチェスター・ユナイテッドで活躍したパク・チソンからカズにメッセージが届いたことと、2011年、ドルトムントの香川真司からカズにメッセージが届いたことは一見、つながりはなさそうでした。そして2011年、カズが香川へのメッセージで「パク・チソンのようにマンチェスター・ユナイテッドの中心選手を目指してほしい」と書き、2012年の今、香川がマンチェスター・ユナイテッドに移籍して2試合目で初得点を挙げました。パクとカズは京都での元チームメイト、カズと香川は横浜FCとセレッソ大阪で対戦、パク・チソン~カズ~香川真司という個々の星が、「マンチェスター・ユナイテッド」という名の星座としてつながっているような「コンステレーション」を感じたのは、私だけでしょうか。


また、カズは監督の意図を見抜く力も抜群なことが、本書を読んでわかりました。『トルシエの考え方は違った。「人間性こそがすべてだ」という哲学だね。小さなグループの中でコミュニケーションを取れない人間が、どうして5万人に囲まれて、プレッシャーの中で自分を出せるのか。すべては日常の延長であると。だから、挨拶などの基本的なことに始まって、規則を守るとか、人間関係を築くこと、競争すること、要求すること、流れを読むこと、といった社会を生きる上で必要なことすべてが練習に盛り込まれていた。』と、カズは本書で解説しています。他にも、他にも、ペレ、ドゥンガ、ジーコ、ロベルト・バッジョ、バレージ、ストイコビッチ、オフト監督、トルシエ監督、エムボマ、GK川口能活などからの手紙もあり、本書を直接読まれることをオススメします。


【ウルグアイ大統領からのメッセージ】


「世界でいちばん貧しい大統領のスピーチ」という絵本と文庫本を買って読みました。いつもながら不勉強な私ですので、2015年12月に人から教えてもらい初めて知りました。教えてくださったお心遣いに、心より感謝します。ウルグアイのホセ・ムヒカ前大統領(第40代大統領:2010年3月1日~2015年2月末)のことでした。


2015年12月は「国連気候変動枠組み条約 第21回締結国会議(COP21)」があり、196カ国・地域が協調して温室効果ガス削減に取り組む「パリ協定」が、1997年の「国連気象変動枠組条約 第3回締約国会議(COP3)」での「京都議定書」から、なんと18年ぶりに採択(1995年から毎年開催されるCOP:初めて全参加国に目標義務化)されました。その間、さまざまな地球温暖化対策の国際会議はありましたが、各国の利害が絡むので実効性のある具体策は、合意できていませんでした。ですから、2012年6月、「国連持続可能な開発会議(リオ+20)」がリオデジャネイロで開催された時の、ホセ・ムヒカ大統領の演説が会場の各国代表から拍手喝采を浴び、いち早く世界中に伝わり、絵本にまでなったのかなと思います。そのホセ・ムヒカ大統領のスピーチの、ごく一部だけですが、紹介させてください。


『(前半略)私たちは発展するために、生まれてきたのではありません。この地球で、幸せになるために生まれてきたのです。(中略)


古代の賢人エピクロス(古代ギリシャの哲学者 精神的快楽主義の祖)やセネカ(=小セネカ ローマ帝国の哲学者 皇帝ネロの家庭教師)、そしてアイマラ民族(南米アンデス地域の先住民族)は、次のように言いました。


「貧乏とは、少ししか持っていないことではなく、限りなく欲があり、いくらあっても満足しないことである」


この言葉は、人間にとって何が大切かを教えています。(中略)


知らなくてはなりません。水不足や環境の悪化が、今ある危機の原因ではないのです。本当の原因は、私たちがめざしてきた「幸せの中身」にあるのです。見直さなくてはならないのは、私たち自身の生き方なのです。(後半略)』


ホセ・ムヒカ大統領は、大統領公邸には住まずに首都モンテビデオ郊外の質素な農場で暮らしながら、大統領の給与の約9割を寄付し、月千ドルあまりで生計を立てておられたそうです。また、旅客機に乗る時は、エコノミークラスを利用されていたそうです。さらに、公用車を使わず、当選祝に友人から贈られた1987年製(中古の)フォルクスワーゲン・ビートルに乗り、その愛車を大富豪が大金で買い取りたいという申し出も断られたそうです。こうした数々のエピソードから、「世界でいちばん貧しい大統領」と呼ばれるようになったと聞きました。しかし、ホセ・ムヒカ大統領の言葉を借りるなら「貧乏とは、少ししか持っていないことではなく、限りなく欲があり、いくらあっても満足しないこと」ですから、ホセ・ムヒカ大統領の「貧しさの基準」は、「物」ではなく「心」に置いておられることがわかりました。


なお、ホセ・ムヒカ前大統領とは違う意味で、タバレ・バスケス現大統領(第41代大統領)も尊敬されるウルグアイ大統領であることもつけ加えておきます。医師でもあるタバレ・バスケス大統領は、旅客機に搭乗中、旅客機内の急患に対応(応急処置)されたことが、少なくとも3回あるそうです。ウルグアイは、何かしら人として魅力あふれる大統領を続けて輩出している国ですね。


さて、ホセ・ムヒカ氏が演説で警告されたとおり、2016年1月29日(金)朝日新聞10面に「イラン 進む大気汚染」という記事が載っていました。記事の冒頭には「中国、インドだけではない。中東イランも深刻な大気汚染に苦しむ。汚染の主な原因は車の排ガスだ。(以下略)」とのことです。他人事では済ませられないと感じます。


まずは、絵本「世界でいちばん貧しい大統領のスピーチ」(15万部突破)、文庫本「世界を動かすことば 世界でいちばん貧しい大統領のスピーチ」〈角川つばさ文庫〉、単行本「世界でいちばん貧しい大統領からきみへ」(日本へのメッセージ)などを直接読まれることをオススメします。絵本の前書きには、『ムヒカ大統領を、ウルグアイの人々は親しみをこめて「ぺぺ」とよんでいます。』と書いてありました。


関連ページ

教材【日記の授業:指導案】【万引き・おもらし・お手伝い】【聞かせたい5話】【詩・冬の夜道:指導案・発問】【中学・職場体験授業:指導案】【発声練習:朝の会】【ごんぎつね:発問】

http://sg2takaboo.exblog.jp/24898472/



学習指導要領「伝え合う力」【国語(小)物語文】【教科書採択】【日記・作文力を高める指導案・ワークシート】

http://sg2takaboo.exblog.jp/24898119/



by takaboo-54p125 | 2017-03-05 05:57 | 教材

昨年2015年7月19日(日)16時から17時まで、テレビの毎日放送(TBS)で、中央アメリカ州にあるコスタリカ共和国の「環境保護」について、現地からインタビューや映像を紹介する番組を見ました。


外務省HPを拝見しますと、「豊かな自然と平和を愛する国 コスタリカ」という文章で、8つの視点からコスタリカ共和国が紹介されていました。同HPによりますと、「2010年には初の女性大統領(チンチージャ大統領)が誕生。閣僚や国会議員も女性の割合が高く,女性の社会進出も活発」とのことです。


今回は、その8つの中から3つだけ紹介させてください。以下は、外務省トップページ>会見・発表・広報>広報・パンフレット・刊行物>わかる!国際情勢>中南米 Vol.84「豊かな自然と平和を愛する国 コスタリカ」からの抜粋です。


豊かな自然と平和を愛する国 コスタリカ


豊かな生態系と自然を愛する国民性による「環境立国」


>国土の42%が農牧地で,38%が熱帯雨林というコスタリカは,豊かな自然環境・生態系に恵まれており,世界全体のわずか0.03%の面積でしかない国土に,地球上の全動植物の約5%が生息しています。ウミガメの世界的産卵地でもあり,手塚治虫氏の作品『火の鳥』のモデルとも言われているケツァールなどカラフルな鳥類も多く見られます。また,世界遺産に指定されている太平洋側のココ島は,映画『ジュラシック・パーク』の舞台にもなりました。政府も伝統的に自然環境を大切にしており,2002年には憲法に「環境保障」と題する章を追加。現在,国土の約1/4が国立公園・自然保護区となっており,自然を利用したエコツーリズムが盛んな国です。また,コスタリカは,再生可能エネルギー推進国でもあり,国内電力のなんと93%を再生可能エネルギー(水力,地熱,風力他)で賄っています。国際的には環境外交にも力を入れており,気候変動問題対策にも積極的に取り組んでいます。


常備軍を持たない平和を愛する国


>1949年制定の憲法でコスタリカは常備軍保持を廃止しました。国家の非常事態の際には国会議員の2/3の賛成投票により,徴兵制実施及び軍隊の編成権限が大統領に与えられますが,憲法制定以来一度も軍隊が組織されたことはありません。1983年には「非武装中立」を宣言しています。また,長年内戦に苦しんできた中米諸国の和平プロセスに貢献したアリアス前大統領は,1987年に中米では初めてとなるノーベル平和賞を受賞しました。なお,首都サンホセには1980年に「国連平和大学」が設置されており,日本人を含む各国の留学生が学んでいます。


東日本大震災に対する国をあげての支援


>2011年3月11日の東日本大震災後,コスタリカはいち早く日本との連帯を表明した国の一つです。3月20日には,コスタリカ文化・青年省,日本大使館,日本人会が共同でチャリティ・イベント「ありがとうの日:コスタリカ人から日本へ(Dia Arigato: Ticos por Japon)」を実施し,1万人以上が参加。このイベント開催にあたって,大統領は自らツイッターで日本への募金を訴えました。コスタリカの著名ミュージシャンが被災者応援ソング「Costa Rica por Japon: Un Mar de Amor (A Sea Of Love)愛の海」を発表。全売り上げが震災被災者への義援金として寄付されます。この曲のビデオクリップは,You Tubeでも視聴できます。もちろん,多くの市民,文化団体,小学校の児童などからも日本に対する募金やメッセージが寄せられました。(以下略)


以上が外務省HPからの引用・紹介です。以下は、それらを読ませていただいた私の感想になります。


コスタリカ共和国が「環境立国」であることや、コスタリカ共和国に「国連平和大学」が設置されている理由がわかりました。「東日本大震災」の時にも、コスタリカ共和国では、こんな支援をしていてくださったのですね。密漁対策等々、近年は何かと大変だと思いますが、自然と平和を愛する国のモデルであり続けてください。コスタリカ共和国は、私たち世界各国が学ぶところの多い国であることは確かです。


以下は、おまけです。


と思っていたら、そのテレビ番組から数日後の2015年7月27日(月)に、世界最大のオンライン総合旅行会社エクスペディアが「世界ベストホテルランキング2015 」を発表した中で、コスタリカ共和国の「プミリオ マウンテン&オーシャン ホテル」が3位にランクインしてました。日本のホテルも、北海道と沖縄のホテルがトップ10に入ってましたよ。日本のホテルが同時に2施設トップ10に入るのは史上初だそうです。さらに、トップ100に入った日本の8ホテルのうち「パーク・ハイアット東京」以外は、なんと大阪の4ホテル+北海道の1ホテル+沖縄の1ホテル+兵庫の1ホテルでした(驚きました)。


新宿【パーク・ハイアット東京】結婚披露宴の『主賓』として招かれました「ドキドキです」
(前半)http://sg2takaboo.exblog.jp/24898229/
(後半)http://sg2takaboo.exblog.jp/24898230/


by takaboo-54p125 | 2016-05-21 05:17 | 教材

どちらも新聞記事ですが、3、11を前にして、改めて紹介させてください。


まず、読売新聞2015年5月9日31面に「彦根東高新聞部 東日本大震災の特集を始めて5年目に入った。・・」という4段の大きな記事が載っていました。記事では、彦根東高新聞部は特集を続けることに迷い悩みながらも「先月末、4回目の震災復興支援特集号を発行した。」と書いてありました。また、「新聞の社説に当たる1面の部説には『無関心と無知は復興の最大の妨げとなる』と主張・・」と、特集を続ける主旨(現地取材で聞き取りをする中で見えてきたこと)も紹介していました。


次に、朝日新聞2015年5月9日2面の「ひと欄」では「原発事故被災地に移住した作家 柳美里さん」を紹介していました。記事には「先月・・福島県南相馬市の借家に運び込んだ。・・売れっ子の芥川賞作家がなぜここに?」とありました。そして、「祖国を捨てた祖父(弾圧を逃れて)、母の語った集落の喪失、帰郷できない原発事故被災者‥‥。在日3世の自分にとって、故郷とは何なのか。『通うのでなく暮らしながら考えたい』。鎌倉の家を売り、退路を断って。」と結んでました。


それぞれの立ち位置は違いますが、作家として、高校新聞部として、今できることを真剣に考えて実行されているという点では、一致するのではないでしょうか。偶然にも同じ日に、偶然にも2つの新聞記事を読んだだけの私にできることなどは、はるかにちっぽけで、お恥ずかしい限りですが、せめて紹介させていただけたら、と思いました。結果として置き去りにされている被災者の方々の現実に無関心・無知であってはならない、被災者の方々のお気持ちを決して忘れてはならないと、柳美里さんと彦根東高校新聞部さんから教えられました。


今、人々の暮らしの基盤を1日も早く何とかしなければならない福島県・宮城県・岩手県などでは、近い将来の人口減少というわが国全体の課題についても、先行する形で取り組んでおられ、私たちが具体的に学ぶことはとても多いと感じています。


また、以前、当ブログでも紹介した、チェルノブイリ原発事故で医療支援をされていたお医者さん鎌田實さんの、絵本「ほうれんそうは ないています」(ポプラ社)が、2015年3月の第20回絵本賞(主催 全国学校図書館協議会・毎日新聞社)で、読者賞2位に入ったことを、1年後の今頃になって知りました。

関連ページ
元気のもとは「支え合って、つながること」「学校の実働部隊応援団コミュニティ・スクール」「福島の韓国人留学生」・北海道・東京・愛知・京都・大阪・兵庫・沖縄・トルコ・和歌山など
http://sg2takaboo.exblog.jp/24898202/


by takaboo-54p125 | 2016-03-05 05:02 | 教材

「世界でいちばん貧しい大統領のスピーチ」という絵本と文庫本を買って読みました。いつもながら不勉強な私ですので、昨年12月に人から教えてもらって初めて知りました。教えてくださったお心遣いに、心より感謝します。ウルグアイのホセ・ムヒカ前大統領(第40代大統領:2010年3月1日~2015年2月末)のことでした。


2015年12月は「国連気候変動枠組み条約 第21回締結国会議(COP21)」があり、196カ国・地域が協調して温室効果ガス削減に取り組む「パリ協定」が、1997年の「国連気象変動枠組条約 第3回締約国会議(COP3)」での「京都議定書」から、なんと18年ぶりに採択(1995年から毎年開催されるCOP:初めて全参加国に目標義務化)されました。その間、さまざまな地球温暖化対策の国際会議はありましたが、各国の利害が絡むので実効性のある具体策は、合意できていませんでした。ですから、2012年6月、「国連持続可能な開発会議(リオ+20)」がリオデジャネイロで開催された時の、ホセ・ムヒカ大統領の演説が会場の各国代表から拍手喝采を浴び、いち早く世界中に伝わり、絵本にまでなったのかなと思います。そのホセ・ムヒカ大統領のスピーチの、ごく一部だけですが、紹介させてください。


『(前半略)私たちは発展するために、生まれてきたのではありません。この地球で、幸せになるために生まれてきたのです。(中略)


古代の賢人エピクロス(古代ギリシャの哲学者 精神的快楽主義の祖)やセネカ(=小セネカ ローマ帝国の哲学者 皇帝ネロの家庭教師)、そしてアイマラ民族(南米アンデス地域の先住民族)は、次のように言いました。


貧乏とは、少ししか持っていないことではなく、限りなく欲があり、いくらあっても満足しないことである


この言葉は、人間にとって何が大切かを教えています。(中略)


知らなくてはなりません。水不足や環境の悪化が、今ある危機の原因ではないのです。本当の原因は、私たちがめざしてきた「幸せの中身」にあるのです。見直さなくてはならないのは、私たち自身の生き方なのです。(後半略)』


ホセ・ムヒカ大統領は、大統領公邸には住まずに首都モンテビデオ郊外の質素な農場で暮らしながら、大統領の給与の約9割を寄付し、月千ドルあまりで生計を立てておられたそうです。また、旅客機に乗る時は、エコノミークラスを利用されていたそうです。さらに、公用車を使わず、当選祝に友人から贈られた1987年製(中古の)フォルクスワーゲン・ビートルに乗り、その愛車を大富豪が大金で買い取りたいという申し出も断られたそうです。こうした数々のエピソードから、「世界でいちばん貧しい大統領」と呼ばれるようになったと聞きました。しかし、ホセ・ムヒカ大統領の言葉を借りるなら「貧乏とは、少ししか持っていないことではなく、限りなく欲があり、いくらあっても満足しないこと」ですから、ホセ・ムヒカ大統領の「貧しさの基準」は、「物」ではなく「心」に置いておられることがわかりました。


なお、ホセ・ムヒカ前大統領とは違う意味で、タバレ・バスケス現大統領(第41代大統領)も尊敬されるウルグアイ大統領であることもつけ加えておきます。医師でもあるタバレ・バスケス大統領は、旅客機に搭乗中、旅客機内の急患に対応(応急処置)されたことが、少なくとも3回あるそうです。ウルグアイは、何かしら人として魅力あふれる大統領を続けて輩出している国ですね。


さて、ホセ・ムヒカ氏が演説で警告されたとおり、2016年1月29日(金)朝日新聞10面に「イラン 進む大気汚染」という記事が載っていました。記事の冒頭には「中国、インドだけではない。中東イランも深刻な大気汚染に苦しむ。汚染の主な原因は車の排ガスだ。(以下略)」とのことです。他人事では済ませられないと感じます。


まずは、絵本「世界でいちばん貧しい大統領のスピーチ」(15万部突破)、文庫本「世界を動かすことば 世界でいちばん貧しい大統領のスピーチ」〈角川つばさ文庫〉、単行本「世界でいちばん貧しい大統領からきみへ」(日本へのメッセージ)などを直接読まれることをオススメします。絵本の前書きには、『ムヒカ大統領を、ウルグアイの人々は親しみをこめて「ぺぺ」とよんでいます。』と書いてありました。


余談になりますが、ウルグアイと私の接点は1度だけ、サッカーのクラブ世界一を決める第1回トヨタカップ、南米代表のナシオナル・モンテビデオの応援団席で、はるばるウルグアイから来られた方々と一緒に応援したことです。


関連ページ
教材:国際理解教育[アメリカ・インディアン、エスキモーを大切に][ネイティブ・アメリカン、イヌイットを正しく][日韓交流:尊重し合い認め合う]福島にとどまる留学生、湖人、KAZUへ、大統領の言葉
http://sg2takaboo.exblog.jp/24898160/



by takaboo-54p125 | 2016-03-01 05:11 | 教材

今から7ヶ月前になりますが、目にとまった新聞記事を切り抜いて残しておきました。先日、棚の上を整理していたら、その切り抜き記事が見つかりました(私自身、元々整理整頓が苦手で、しかも、年々忘れっぽくなっているからです)。2015年2月12日(木)朝日新聞朝刊4面(経済)の大きな記事でした。その冒頭部分だけ紹介させてください。


内視鏡 匠が磨く オリンパス、福島で世界シェア7割


胃腸の検査でおなじみの消化器内視鏡。約4千億円とされる世界市場のおよそ7割が、福島県にあるオリンパスの工場でつくられているという。最小レンズの直径は、シャープペンシルの芯の太さの半分ほど。そんな繊細なレンズ加工は、受け継がれてきた「匠」の技が支えている。 地域発 企業発(以下略)』


と、はじめに書いてありました。さらに興味深い記事は続きますが、取材をされた新聞記者さんに申し訳ないので、省略します(詳細は図書館や朝日新聞デジタルで、お読みください)。


記事の最後に、2012年から始まった「ふくしま産業復興企業立地補助金」で交付指定を受けた、沖データ、コマツ、パナソニックなどの企業が、福島県内に設備投資を進めていると書いてありました。補助金では、投資額に応じて地元からの新規採用を義務づけているそうです。


5月23日のブログ記事で紹介しました中学校の「合唱や管弦楽や声楽アンサンブル」に加えて、今回、紹介いたしました、脈々と受け継がれている「磨き抜かれた匠のわざ」・・さまざまな形で福島県のみなさんから「元気」を分けてもらっているのは、私たちのほうだと実感しております。

関連ページ
元気の力「絆の形」【こんな日本人も】ハイチ・ベラルーシ・イスラエル・パレスチナ・中東・リトアニア・極東・ミャンマー,鳥取・京都・岩手・福岡・福井・大阪・島根【こんな日本・中国・韓国の人も】東京・大阪
http://sg2takaboo.exblog.jp/24898208/


by takaboo-54p125 | 2015-09-12 05:07 | 教材

国語の物語文教材において、登場人物の心情を問うことは少なくないと思います。ところが、私は最初の転任後、ほとんど心情を問うことをしなくなりました。その代わり、登場人物の表情・言動の変化、登場人物の仕草の細やかな様子、それに関わる情景描写を問うことが、私の授業スタイルになっていました(まあ、ひねくれ者でした)。


2013年6月19日(水)朝日新聞20(教育)面に「ごんの気持ち 伝わった」という記事が載っていました。びっくりしました。記事のサブタイトルは次のとおりです。


〈南吉オリジナル版テキスト作成〉


〈(前略)オリジナル原稿に光を当てようと、私立立命館小学校(京都市)の岩下修教諭が、絵入りのテキストをつくった。〉


という一文が記事の前文の後半にありました。記事の本文も一部紹介します。教科書の「ごんぎつね」が「赤い鳥」版だということは、私も知りませんでした。


〈(前略)子どもたちが「赤い鳥」版の長所に挙げるのは、「ごんが撃たれながら『うれしくなりました』という自筆原稿だと、兵十にごんの思いが伝わらない。うなずきましたの方がいい」、「難しい言葉や漢字がなく、わかりやすい」自筆原稿の方は、「気持ちが届いて『うれしくなりました』とはっきり書いてあり、私もうれしくなる」「兵十の『おや—————— 』はすごい。驚きや後悔などいろいろな気持ちがこもっている」教科書だけを読んだ授業では「罪を償うことの大切さが主題」と受けとる子が目立った。自筆原稿の文を示すと「ごんが自分と同じように孤独な兵十につながりを求め続けた思い」を感じ取る子が増えたという。(後略)〉


「赤い鳥」掲載の「ごん狐」と、自筆原稿の「権狐」の、ラストシーンも載っていました。どちらも【旧仮名遣い】のままというのが、なんかいいですよね。記事で紹介されていた、両方の原稿は、以下のとおりです。


〈「ごん狐」(「赤い鳥」に掲載された作品)〉


〈ごんは、ばたりとたほれました。兵十はかけよつて来ました。家の中を見ると土間に栗が、かためておいてあるのが目につきました。「おや。」と兵十は、びつくりしてごんに目を落しました。「ごん、お前だつたのか。いつも栗をくれたのは。」ごんは、ぐつたりと目をつぶつたまま、うなずきました。兵十は、火縄銃をばたりと、とり落しました。青い煙が、まだ筒口から細く出てゐました。〉


〈「権狐」(新美南吉の自筆原稿)〉


〈権狐は、ばったり倒れました。兵十はかけよつて来ました。所が兵十は、背戸口に、栗の実が、いつもの様に、かためて置いてあるのに目をとめました。「おや——————。」兵十は権狐に目を落しました。「権、お前だつたのか・・・・・・。いつも栗をくれたのは———。」権は、ぐつたりなつたまま、うれしくなりました。兵十は、火縄銃をばつたり落しました。まだ、青い煙が、銃口から細く出てゐました。〉


びっくり仰天の〈新聞記事〉の紹介(抜粋)は、以上です。


ごんの心情を、最も問いたい場面


この記事を読んだ時、私は石井順治先生の講演(昨年冬2013年2月15日)を思い出しました。石井先生が言いたかったことを、ノートのメモ書きを頼りに、私なりにふり返ってみます。


『ごんぎつね【三の場面】


『兵十が、赤い井戸のところで、麦をといでいました。兵十は今まで、おっ母と二人ふたりきりで、貧しいくらしをしていたもので、おっ母が死んでしまっては、もう一人ぼっちでした。「おれと同じ一人ぼっちの兵十か」こちらの物置ものおきの後うしろから見ていたごんは、そう思いました。』


ここのところは、ごんの思いをしっかりと、子どもたちに聞くのが大切です。「どこから、そう思うの?」と、「おっ母と二人ふたりきりで」「貧しいくらし」「おっ母が死んで」「もう一人ぼっちでした」といった言葉にふれながら、「おれと同じ一人ぼっちの兵十か」とつぶやくごんの本当の思い・・・それに、子どもが気づくのをいざなうのが、教師の役割ではないでしょうか。


そこで、ごんの真意を受けとめた子どもたちは、次の行(教科書の7行目)


『ごんは物置のそばをはなれて、向うへいきかけますと、どこかで、いわしを売る声がします。「いわしのやすうりだアい。いきのいいいわしだアい」ごんは、その、いせいのいい声のする方へ走っていきました。・・・』


からは、ごんの気持ちを追求するのではなく、ごんの姿を描き合う場面になります。子どもたちが、兵十へのどんな思いを受けとめたかによって、その後の、ごんの行動の受けとめ方も大きく変わってくるでしょう。』


以上、三重県伊賀市立河合小学校:公開授業研で石井先生が講演された時に、少しふれてくださった部分の紹介です。私のいい加減なメモと、さらにあやふやな記憶を元にしておりますので、石井先生の意図とずれていたら、すみません。ただ、ほとんど物語文教材で登場人物の心情を問わなかった私が、この場面では、ごんの心情(兵十への思い)を、今、子どもたちに問いたくなりました。


せつないごんの思い・姿を、読み味わいましょう


子どもたちが、全文をていねいに読んで、個人学習で、気になる箇所に線を引いてから、この【三の場面】を読み取ると、ごんは、うなぎの償いのためだけに、ひたすら運んだわけではないことに気づいてくれる子が、少数ですが、必ずいてくれます。そういう子の考えに、うまく光をあてることができたとしたら、「償い」だけと思っていた子どもたちの視野を、グンと広げてくれる可能性が出てくるでしょう。


そもそも、何の見返りも求めない「償い」って、1,2回はできても、そうそう長続きするものではありません。それは、兵十と加助の会話を聞いたごんが


「へえ、こいつはつまらないな」「おれは引き合わないなあ」


と思うところで、子どもたちも、どうやら「償い」だけではないことに気づきます。子どもたちは


「わかってほしかった」「認めてほしかった」


と言うかも知れません。その場合、石井先生のように


「どこの文から、そう思うの?」


と問い返してみることで、


「なるほど、その文から、そう読むこともできるのか」と、クラスみんなで、自分と違う意見も認め合い、共有し合える時間にしたいものです。みんなで意見を出し合って読み味わう場合に、最も大切にしたいことのひとつですよね。


じゃあ、「償い」以外の何なのかを考えるための発問例を少し挙げてみます。


「うなぎの時のごんと、いわしの時のごん、では、どんなことが違うかな」


「兵十に次々と物を届ける、ごんの届け方には、どんな違いが出てくるかな」


「お念仏がすむまで井戸のそばでしゃがんで待って、二人のあとをついて行ったごんは、どんな話を聞きたかったのかな」


子どもたちが、ごんの求めている願いを、少しでも感じ取ってくれたら、と思って、以上の発問を、ない知恵をしぼって、ひねり出してみました。


ごんの


「つぐない=おれのせいで・・兵十のために・・してあげたい」


が、いつの間に


「つながり=兵十のために・・兵十を求めて・・認めてほしい」


に変わったのか、それとも【三の場面】から両方の思いがあったのか、教師の解釈を子どもに押しつけるわけにはいきません。ただ、【三の場面】において、石井先生が大事にしたいと言っておられた


「おれと同じ一人ぼっちの兵十か」とつぶやく、孤独なごんの胸中、


岩下先生が指摘されている「自分と同じように孤独な兵十につながりを求め続けた思い」に少しでもふれながら、子どもたちが【三の場面】を読み味わうことができたら、ごんがせっせと続ける行動の微妙な変化をも、より豊かにイメージできるのではないでしょうか。そういう意味でも、この「オリジナル版テキスト」には価値があると、私も思います。


人と人とのつながりが希薄になってきた現代社会だからこそ、兵十に伝えたい思いを不器用にしか行動できないごん、そんなごんの、思いをうまく伝えられないもどかしさ、これらに、ぜひ、子どもたちがふれてほしい(気づいてほしい)と願います。人と人が「伝え合う」ことの大切さを実感するためにもです。


なお、記事の最後には、その南吉オリジナル版テキストを、立命館小学HPのNEWS一覧からダウンロードできることも書いてありました。さっそく拝見いたしました(以下のURLです)。


http://www.ritsumei.ac.jp/file.jsp?id=95805


本文も挿絵も、実に見事なテキストで、敬意を表します。「ごんぎつね」に対して慣れっこになっていた私の心の油断を、新鮮に揺さぶってくださった石井先生には、感謝いたします。そう言えば、石井先生の年賀状には、新美南吉記念館がご自宅から近いと書いてありました。そして、貴重なオリジナル教材を発掘されて実践に生かしておられる岩下先生には、頭が下がります。こうして今、私は改めて「ごんぎつね」の奥深さを感じております。


(この記事は、EDUPEDIAへ2013年7月5日に投稿した内容です)

関連ページ
教材【日記の授業:指導案】【万引き・おもらし・お手伝い】【聞かせたい5話】【詩・冬の夜道:指導案・発問】【中学・職場体験授業:指導案】【発声練習:朝の会】【ごんぎつね:発問】
http://sg2takaboo.exblog.jp/24898472/


by takaboo-54p125 | 2015-07-25 05:14 | 教材

文部省唱歌「桃太郎」は、たしか次のような歌詞でした。


1.桃太郎さん桃太郎さん、お腰につけたきび団子、1つわたしにくださいな。


2.やりましょうやりましょう、これから鬼の征伐について行くならやりましょう。


3.行きましょう行きましょう、貴方についてどこまでも家来になって行きましょう。


この歌詞をセリフに使って、昔話「桃太郎」を思い出してみました。


『むかしむかし、あるところに、おじいさんとおばあさんが住んでいました。


おじいさんは山へしばかりに、おばあさんは川へせんたくに行きました。


おばあさんが川でせんたくをしていると、大きな桃がドンブラコ、ドンブラコと流れてきました。


おばあさんは、その大きな桃を家に持って帰りました。


桃を切ってみると、桃の中から元気な男の赤ちゃんが出てきました。


子どものいなかい、おじいさんとおばあさんは大喜びです。


桃から生まれた男の子を、桃太郎と名付けました。


桃太郎はよく食べて、よく育ち、それはそれは強い男の子になりました。


その桃太郎が言いました。


「おじいさん、おばあさん、これから鬼ヶ島へ行って、わるい鬼を退治してきます」


おじいさんは「日本一」と書いた旗を作り、おばあさんはきび団子を作りました。


桃太郎はそれをもらうと、鬼ヶ島へ出発しました。


まず、イヌに出会いました。


「桃太郎さん桃太郎さん、お腰につけたきび団子、1つわたしにくださいな」


「やりましょうやりましょう、これから鬼の征伐について行くならやりましょう」


「行きましょう行きましょう、貴方についてどこまでも家来になって行きましょう」


イヌはきび団子をもらい、桃太郎の家来になりました。


次は、サルに出会いました。


「桃太郎さん桃太郎さん、お腰につけたきび団子、1つわたしにくださいな」


「やりましょうやりましょう、これから鬼の征伐に、ついて行くならやりましょう」


「行きましょう行きましょう、貴方についてどこまでも家来になって行きましょう」


サルはきび団子をもらい、桃太郎の家来になりました。


そして、キジに出会いました。


「桃太郎さん桃太郎さん、お腰につけたきび団子、1つわたしにくださいな」


「やりましょうやりましょう、これから鬼の征伐について行くならやりましょう」


「行きましょう行きましょう、貴方についてどこまでも家来になって行きましょう」


キジはきび団子をもらい、桃太郎の家来になりました。


桃太郎はイヌ・サル・キジといっしょに、鬼ヶ島へ着きました。


イヌは鬼にかみつき、サルは鬼をひっかき、キジは鬼をつつきました。


そして桃太郎も、鬼たちをこらしめました。


とうとう、鬼の大将が、


「桃太郎さん、まいりました。宝物を渡すので助けてください」


と、宝物を出しました。


桃太郎とイヌとサルとキジは、鬼から取り上げた宝物を積んで家に持ち帰りました。


おじいさんとおばあさんは、大喜びです。


こうして、3人と3匹は、宝物のおかげでしあわせにくらしました。』


概略はこんなお話だったでしょうか。私も、桃太郎という正義の味方が、鬼という悪いやつらを懲らしめるお話・・ぐらいに思っていました。


最近の絵本では、宝物を村人たちにも分けてあげた(返してあげた)という終わり方にしている絵本もあるようです。


ところで、福沢諭吉は明治初期、自分の息子2人のために書いた「ひゞのをしへ」(日々の教え)の中で、この昔話「桃太郎」について、次のように解釈しています。 


「もゝたろふが、おにがしまにゆきしは、たからをとりにゆくといへり。


けしからぬことならずや。


たからは、おにのだいじにして、しまいおきしものにて、たからのぬしはおになり。


ぬしあるたからを、わけもなく、とりにゆくとは、もゝたろふは、ぬすびとゝもいふべき、わるものなり。


もしまたそのおにが、いつたいわろきものにて、よのなかのさまたげをなせしことあらば、


もゝたろふのゆうきにて、これをこらしむるは、はなはだよきことなれども、


たからをとりてうちにかへり、おぢいさんとおばゝさんにあげたとは、


たゞよくのためのしごとにて、ひれつせんばんなり。」


昔話「桃太郎」の行動の是非を、どう解釈するかは、お話を読んだ個人に委ねられています。ですから、1つの価値観を押しつけるのではなく、是か非かも含めて、あれこれ論議するための教材として、この福沢諭吉の文章(古い文体)を小中学校や高校で採り上げるなら、何年生で扱うといいかなと、ふと思いました。なぜこんな話題を採り上げたかと言うと、先入観から自分たちの言動を一方的に正当化しようとする子どもたちが少なからずいる、というのが気になったからです。大人も、です。

関連ページ
教材『続・かさこじぞう』など【成人の日はお祝いの祝日、敬老の日は感謝の祝日】【地球が1mの球だったら】【釜石小学校校歌】【旅立ちの日に】【被災地を忘れない人】
http://sg2takaboo.exblog.jp/24898180/


by takaboo-54p125 | 2015-06-27 05:03 | 教材