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高齢の母から聞いた昔話(昭和5年~昭和15年) その2 戦前のくらし

昭和16年までを戦前と呼びます
小学校は尋常高等小学校と呼びます
卒業すると高等科へ進む子が多数だったようです
旧制中学校や女学校へ進める子は裕福な家庭の子だけだったと思います

水は井戸水を汲むことから始まります
炊事・洗濯・お風呂など‥
すべて釣瓶で井戸水を汲み上げます
それを家まで運ぶことを何度も繰り返します
どの家でもたいていは子どもの仕事だったみたいです
風呂は五右衛門風呂です‥私が小学校に入学する頃まではそうでした
洗濯は洗濯板で手洗いです‥私の住む集落は川戸で洗う人もいたでしょう

川戸とは 湖西で川端(かばた)と呼ばれている場所とよく似ているかも‥
湧水のすぐ下流に川のそばまで石段を下りていき 洗い物 スイカを冷やす‥
宇曽川の伏流水による湧水が集落の中に5か所以上ある集落‥今もありますよ
地下水は5~6m掘れば湧いてきます 他の集落は10~20m掘るのでしょうか

田んぼの水も湧水から流れる川の水が頼りでした
母の住む集落はいくつかの集落で当番制で水を流す集落を決めていたみたい
私の祖父も 当番があたると 弁当を持って一日 水の張り番に行ったようです
私の住む集落にある「九郷川」の水源が 私んちの裏側の竹やぶの中にありました
ですから「川ざらえ作業」を九つの集落が共同でおこなう‥これは私が幼い頃まで続いてたかな
各集落の区長は紋付羽織袴姿 駐在所のお巡りさんも立ち会う 物々しい雰囲気だったそうです
まぁ それまでの雨不足による水争いは 鍬が武器になり さながら百姓一揆の様相だったらしい

卵は 各家でニワトリを飼って 産んだ卵を食べるしか 方法がなかったらしい
飯米は各家で作り 味噌も手づくり 紅ショウガも 梅干しも シソも 醤油を煮つめた山椒も らっきょうも
ご飯は 私が幼い頃は飯台を囲んでました(今はテーブルとイスです)が 母の実家は 1人ひとりが「お膳」だったみたい
 
台所と言っても 竈(おくどさん)で薪を燃やして加熱調理する方法ですから風呂と同じで火加減には火吹き竹が要った‥
ですから家電製品はラジオかな‥それ以外のテレビ-冷蔵庫-洗濯機-扇風機-エアコン-電子レンジ等々がなかった時代です
私が生まれた昭和30年代の後半から40年代にかけて‥1960年代にテレビ-冷蔵庫-洗濯機-扇風機が発明→販売されていきます
その前の時代のことです


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by takaboo-54p125 | 2024-12-13 05:02 | 在宅介護