2015年 12月 20日
エルトゥールル号遭難事故:紀伊大島でのトルコ人救助1890年→イラン・イラク戦争:トルコ航空による日本人救出1985年
半年ほど前、和歌山県串本町が主催された、エルトゥールル号遭難慰霊碑前での追悼式典に駐日トルコ大使が出席されたことを報じるニュースを見ました。それを思い出し、和歌山県串本町観光協会ホームページを閲覧してみました。2015年はエルトゥールル号遭難から125周年という節目の年だったそうです。串本町観光協会ホームページに、1890年9月16日のトルコ軍艦「エルトゥールル号」遭難について次のように掲載されていましたので、抜粋して紹介させてください。
>トルコ軍艦「エルトゥールル号」遭難
>明治22年オスマン帝国(中略)巡洋艦「エルトゥールル号」(中略)。翌23年6月7日横浜港に到着し熱狂的な歓迎を受けた。日本に滞在すること3ヶ月、日本帝国の国賓として扱われ、9月14日横浜港を出発し、イスタンブールへの帰路に就いた。
>明治23年9月16日、エルトゥールル号は熊野灘に差しかかった。(中略)数百年来、海の難所として知られ、(中略)同夜9時頃、船甲羅の岩礁に乗り上げ、同10時半頃には沈没してしまいました。
>地元住民の献身的な救助活動(中略)580余名が遭難、69名が救助された。かくして、トルコと旧大嶋村樫野(串本町)との友情と友好関係が現在まで続くこととなるのです。
>トルコとの友好関係
>後年になって、現在の慰霊碑が建立され、トルコと串本町の友好の印として記念館が近年建設されました。長年に渡り(中略)清掃されており、島内の小学校3校が統合された今も、大島小学校の児童達や地元の人達により、いつも綺麗に手入れされています。
>また、節目の年には、トルコ本国からトルコ海軍の艦船が訪れ、駐日トルコ大使などを招いて慰霊祭が催されます。
>日本人216名を救ったトルコ航空機
>イラン・イラク戦争が始まった、1985年3月17日、(中略)「今から48時間後に、イランの上空を飛ぶ飛行機を打ち落とす」(中略)日本人はパニックに陥った。
>そこに1機のトルコ航空の飛行機が到着した。トルコ航空の飛行機は日本人216名全員を乗せて、成田に向かって飛び立った。タイムリミットの、1時間15分前であった。(中略)元駐日トルコ大使のネジアティ・ウトカン氏は次のように語られた。「エルトゥールル号の事故に際して、日本人がなしてくださった献身的な救助活動を、今もトルコの人たちは忘れていません。私も小学生の頃、歴史教科書で学びました。トルコでは子どもたちでさえ、エルトゥールル号の事を知っています。今の日本人が知らないだけです。それで、テヘランで困っている日本人を助けようと、トルコ航空機が飛んだのです」
>※この事は、あまり日本人に知られていません。
>トルコ記念館
>エルトゥールル号の遭難の悲劇を機に犠牲者の慰霊を通じて串本町とトルコ国との交流が始まり(中略)。トルコ記念館は、トルコ国との友好の証として、今後一層、日ト親善の契りを深めると共に、国際的な友愛の精神を広く伝えることを目的として、建設されたものです。
>館内には遭難したエルトゥールル号の模型や遺品、写真などが展示されており、遭難事故当時の様子を知ることができます。
>トルコ軍艦遭難慰霊碑
(全文略)
抜粋は以上です。全文は串本町観光協会HPをご覧ください。
1890年、紀伊大島島民のみなさんによるエルトゥールル号乗組員69名の救出活動が、トルコの学校の教科書に載ったり、95年後の1985年、トルコ政府とトルコ航空機による日本人216名(イラン・イラク戦争時のテヘラン在留邦人)救出につながっていたと知らなかったこと、恥ずかしい限りです。95年の時を経た2つの出来事は、日本・トルコ合作映画「海難1890」(2015年12月5日公開)にもなりました。
公開されて間もなく映画を観に行き、涙腺がゆるゆるでした。1890年、島民総出で69名の救出活動及び多くの犠牲者の手厚い埋葬に全力をあげた紀伊大島のみなさんと、1985年、テヘラン空港で日本人216名にトルコ航空の座席を譲ってくださったトルコ人のみなさんが、手を差し伸べる真心がズーンと伝わってくる映画でした。自分ら(紀伊大島では台風で日々の暮らしの糧がぎりぎり、テヘラン空港ではトルコの人々も自国への避難がひっ迫)が大変な状況にもかかわらず・・です。
串本町では、紀伊大島にトルコ軍艦遭難慰霊碑を建立し(1891年建立、1929年拡張)5年毎に追悼式典を続けてこられたり、1974年(S49年)にトルコ記念館を開館したり、トルコの2市町(S39年からヤカケント町、H6年からメルスィン市)と姉妹提携されるなど、地道にトルコ国民のみなさんとの友好親善交流を続けてこられたのですね。国と国との友好を築く根幹を教えていただき、ありがとうございます。
また、1985年当時のイラン駐在の野村豊 日本大使の要請を受けた、イラン駐在のイスメット・ビルセル トルコ大使は次のように快諾されたとのことです。
「わかりました、ただちに本国に救援を求めて救援機を派遣させます。かつてのエルトゥールル号の事故で日本の方々がしてくださった献身的な救助活動を、今も我々は忘れてはいません」と。人を動かし、国を動かすものとは何か、を学ばせてもらいました。なお、当時のトルコ航空機乗務員のみなさんは、2006年(H18年)に、春の叙勲を受けておられます。
何よりも、串本町観光協会HPを直接ご覧になることをオススメしますし、チャンスがあれば映画「海難1890」をぜひ鑑賞なさってください。私も、いつか和歌山県串本町のトルコ記念館を訪れてみたいものです。
和歌山県串本町観光協会HP
http://www.kankou-kushimoto.jp/miryoku/torukokinenkan.html