2015年 09月 26日
「上杉鷹山」公:出羽国(山形県)米沢藩主の名言「子供は親の言うことはせずに、親のするようにする」
「上杉鷹山(ようざん)」公(今の山形県:出羽国米沢藩主:江戸時代)という偉大な存在を知ったのは、今から1年ほど前‥(不勉強でした)。
産経ニュースを見たところ、2014.9.27、確かに次の記事がありました。
『 ケネディ大使が山形訪問 上杉鷹山の祭り見物
キャロライン-ケネディ駐日米大使は27日、山形県米沢市を訪問し、江戸時代の米沢藩の君主-上杉鷹山にちなんだ「なせばなる秋まつり」を見物した。
大使は昨年11月の着任直後の講演で、父ジョン-F-ケネディ元大統領が尊敬する日本人として鷹山を紹介。
大使の発言を受けた県や市が招請活動に乗り出し、送った招請状には「お祭りのときに伺いたい」との直筆の返事が届いていた。
大使はこの日のスピーチで
「鷹山に影響を受けた父は『一人でも世の中に変化をもたらすことができる』といつも言っていた。迎えてくれてありがとう」
と述べた。』
2014.9.27産経ニュースの記事は以上です。
「なせばなる秋まつり」を検索したら、次の記述がありました。
しかも、今年は、なんと、今日と明日でした(知らなかった)。
毎年開催されるみたいなので、米沢市に住む人がうらやましい‥。
「なせばなる秋まつり」は、
上杉鷹山(公)の「なせばなる」のチャレンジ精神を大切に、
今を生きる私たちが米沢市民の心(精神)を様々な催しで表現し、
後世へ伝えていくためのお祭りです。
先人が代々伝えてきた伝統の味-心を感じてもらうとともに、
実り豊かな秋の米沢を存分に楽しんでいただける 賑やかな食べ処が祭りに彩りを添えます。
なせばなる秋まつりHP
http://aki.yonezawa-matsuri.jp/about/
1961年、ジョン-F-ケネディ第35代米国大統領は、就任した時に、日本人記者の質問
「あなたが、日本で最も尊敬する政治家はだれですか」
に対して
「上杉鷹山です」
と答えたというエピソードがあります。
そのことは2013年、在日アメリカ大使館のカート-トン首席公使が公文書にも記してあると明言されたようです。
また、マーク-ラビナ エモリー大学教授は早稲田大学で
「世界史の中の上杉鷹山-『名君』の概念について-」
の特別講演をされてい/
す。
2007年に讀賣新聞が全国の地方自治体の首長(都道府県知事か市町村長)に対して行ったアンケート(回答率91,3%)でも、
「上杉鷹山」公が「理想のリーダー」1位だったそうです。
上位1~5位は、
上杉鷹山が146人、
徳川家康が66人、
坂本龍馬が55人、
吉田茂が44人、
西郷隆盛が35人‥松下幸之助と吉田松陰が25人で織田信長が23人とのことです(敬称略)。
さて、「上杉鷹山(ようざん)」公とは、どんな人物だったのでしょう。
当時の出羽国米沢藩の財政は破綻寸前であったと言われるほどひっ迫した状況だったそうですが、それを見事に立て直されたのが鷹山公です。
また、天明の大飢饉の時には、鷹山公自ら質素倹約の模範となられたことで藩士-領民も見習ったと言われています。
その鷹山公が藩主の心得としたのが「伝国の辞」‥次の3つの文は上杉家の家訓となりました。
一、国家は先祖より子孫へ伝え候国家にして我私すべき物にはこれ無く候
一、人民は国家に属したる人民にして我私すべき物にはこれ無く候
一、国家人民の為に立たる君にして君の為に立たる国家人民にはこれ無く候
おおよその意味は、次のようになるのでしょうか。
一、国(藩)は先祖から子孫へ伝えられる国(藩)ですので、自分(藩主)の私物にしてはならないものです。
一、人民(領民)は国(藩)に属している人民(領民)ですので、自分(藩主)の私物にしてはならないものです。
一、国(藩)や人民(領民)のために立っている君主(藩主)ですので、君主(藩主)のために立っている国(藩)や人民(領民)ではありません。
鷹山公が封建的な江戸時代に、これほど民主主義の礎となるような家訓を遺されたことには驚きました。また、有名な次の言葉も、後世まで語り継がれています。
「なせば成る なさねば成らぬ 何事も、成らぬは人の なさぬなりけり」
【何事でも、やろうと思えばできるはずです。
何事でも、それをできないのは、やろうと思わないからです。
やろうとすることは他人のためではなく、自分のためになるのです。】
と解釈されている人がいました。
なるほどです。
どんなことでも行動を起こし、挑戦してみなければ、成し遂げて達成することはできない、ということなのでしょうね。
「一村は互いに助け合い、互いに救い合うの頼もしきこと、 朋友のごとくなるべし」
ここには、まず、1人ひとり自らが自立しようとする「自助」を促しつつ、
1つの村における近所の人たちがお互いに助け合い救い合う「互助」があれば頼もしいことであると奨励し、
領民みんなが朋友のような関係になれるよう、米沢藩としても手助けしバックアップする「扶助」の体制を行き渡らせようとしていた、
鷹山公の藩主としての大きな愛がにじみ出ています。
町内会-自治会活動のあり方を簡潔に述べておられますが、
自然災害時の復旧速度から子どもに与える影響(社会性)まで、町内会-自治会活動の存在意義について、含蓄のある言葉だと言えるでしょう。
明治初年に、イギリスの女流探検家イザベラ-バードが訪日した際、
「米沢周辺はエデンの園、アジアのアルカディア(桃源郷)」
と語ったという言い伝えにも、上杉鷹山公の存在を思うと真実味が帯びてきます。
最後に、現代社会に生きる私たちにも、上杉鷹山公は、核心(痛いところ)をついておられると強く思ったのが、次の言葉です。
「子供は親の言うことはせずに、親のするようにする」
子どもは親の説教どおりに行動しようとはせずに、子どもは親の普段の言動と同じように(親の生活態度を真似て)行動する
・・これは今の時代にもピッタリと当てはまります。
人は、子育ても、自分がしてもらった子育てを、無意識にするものです。
親の思いどおりにすることを子どもに求める、そんな親子の姿をわりと見かけます。
親世代に対して、上杉鷹山公が
「わが子に毎日、どのような後ろ姿を見せていますか」
「わが子の顔を見ながら、話を聴き、ほめていますか」
「わが子の思いを、どれだけ共感的に受けとめていますか」
と、問いかけておられるような気がします。
学校・園における先生にも、同様のことが言えます。