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話を聴ける子どもは、子どもの話を聴ける教師のもとで育つ

年明けなので、くり返します。
「くり返しは力なり」で、習慣は身につきますので。
子どもの声を聴ける教師の元で、聴ける子どもは育つ・・・ですから意図的に、次のような問いかけをやめる先生方の姿を、あちこちの公開授業で数多く見かけました。
小学校でも、中学校でも、高校でも・・・。先生方の、子どもたちへの「言葉がけ」だけを、再度、拾いあげてみます。
「できた?」
「わかった?」
「できた人?」
「わかった人?」
「発表して」
と決して言わないで、
「困っていることは?」
「先生にも聞かせてくれる?」
「友だちに聞いてほしいことはないか?」
と問いかける先生方の教室では、次のような子どもたちが育っていました。


まず、
「先生、これ、なんて読むん?」
「先生、これ、どういう意味?」
と、クラスのみんなの前でも遠慮せず、先生に言える子どもたちです。
「わからない」と意思表示できる子どもたち(小学校・中学校・高校)でした。


そんな子どもたちに対して、授業の導入後、基礎の課題の時から、
「困っていることはない?」
「わからない人は隣の人に聞いてごらん」
「わかりにくかったら、周りの人と相談して」
「( )を埋められてない人は、隣の人に聞きなさいね」
「写させてもらってもいいよ」
「わからない人はいつまでも1人で考え込まず隣の人に聞くんだよ」
「先生は、もうしゃべらんからね。あなたたちで解決してね」
「自信がない時は人、前の人に、教えてもらうんやで」
「教科書と、おとなりの人の力を借りましょう」
「わからないこと、困っていることは宝物。それをみんなで考えよう」
と、声かけを惜しまない先生方がいました。(机間支援も小中高すべて)
さらに、グループ学習の後には、
「先生にも、聴かせてほしいな」
「さあ、どんなことを話し合ったのか、聞かせてくれる?」
「みんなに聴いてほしいこと、ある?」


と、やわらかく「さそい水」のような声かけをする先生方でした。


そして、その時その時における子どもの状況に応じて、多様な声を受けとめつつ、
「◎◎さんのお話、この教室のみんなで聴いてあげようよ」
「◎◎くんの言いたいこと、どういうことか、みんなも聴いてあげよ」
「友だちのお話をよく聴くと、いろんなことがわかってくるねぇ」
「先生にも友だちにも、こんなにしっかり聴いてもらうと、うれしいよね」
「今の考え、もう一度だれか言ってくれる」
「この考えを聞いて、何か気づいたことはないかな?」

「同じように考えた人がいたら、その考え聞かせてほしいな」
「ちがうこと考えた人がいたら、どんな考えか聞かせてほしいな」
「◎◎君の言いたいことの続きがうかんだ人、いるかなぁ?」
「◎◎さんの言いたいのは、たぶん、こういうことやと言える人、いるかな?」
などと、子どもの発言と子どもの発言をつなげようとする、教師の柔軟な言葉がけが、必ずあります。


思いもよらない発言に対しても、
「そういう考え方があるんやね」
「◎◎君の意見は、今まで他の人が考えつかなかったものやね」
と、どんな発言だって切り捨てない温かさ(懐の深さ)もあります。


そういった毎日の積み重ねによって、子どもたちの心の中にも、
「先生はボク(私)の言葉をちゃんと聞いてくれているんや」
「先生はボク(私)にどんなことを言うだろうな」
「この時間には、あててもらえなかったけど、今度聞いてもらえればいいや」
と、満足感・期待感や、心のゆとりが生まれます。そして、


「あ~あ、言われちゃった」
「先に言われてしもうた。せっかく言おうと思っていたのに」
という発言が減っていきます。
小中高6校30クラスを参観して、気になる子(支援を要する子)がどこにいるのか、私にはわからず、かえって、そのことが気になりました。
どう表現すればいいのか、それほど教室の空気(子ども1人ひとりの表情)がおだやかだったと言えばいいのでしょうか。
聞くと、小中高どちらの学校でも「最初はたいへんでした」という答えが返ってきました。


先生方のめざす子どもの姿として、
「ここ、なんて読むの?」
「これ、どういう意味?」
「ねえ、ここどうするの?」
と、グループの仲間に自然体で聞くことができる子どもたちの姿を見せてもらいました。
さらに、グループの仲間からそう問われたら、
「これはね・・・」
「ここがわからないんやね。ここはねぇ・・・」
「こういうふうに考えたんやね。それはね・・・」
と、さり気ない優しさで親切に教えてあげる仲間づくりでもありました。
以上、大事な鍵になる「さそい水」の言葉だけ、拾いあげてみました。


こういう「ここ教えて」と言える子どもたちに育てること、そのものが「聴き合う学び」の実践における目標なのか、と感じました。
そんな小学生・中学生・高校生たちの、自然体で安心して学び合う姿を、6校で目の当たりにしたことで、私は実践校の先生方のしなやかな取り組みに心底から共感しました。


もし今は、たとえ学校・園ぐるみで取り組めなくても、子どもへの語りかけ方の発想を転換して、自分の「引き出し」を増やすつもりで、試してみる価値は充分あると思います。
上記のキーワードを紹介した幼稚園の先生方も手応えを感じてくださったので、私自身も、ぜひ採り入れてみたいと思っています。
と言っても、『対話し合えるコミュニケーション』は、相手が子どもではなく学生とは言え、見よう見まねですんなりと出来るほど、そう簡単ではないでしょうけど。
でも、新学期は、信頼関係を築くためにも、そういう試みを始める絶好のチャンスだと思って…。

どの学級にも個別支援を要する子が複数いるので、特別支援教育とは全学年・全学級で進める教育だと心がけておられる担任が多いと思います。
まず、個別支援を認め合える(できる・できないで仲間を見ない寛容さのある)学級の仲間に育てることが、
どの子の自尊感情も低くならない(自分をダメな子だと思わない)ことの分岐点ですので、温かさのあるお手本を教室で見せることが大事でしょう。
この記事も、そういう意味を込めています。



by takaboo-54p125 | 2015-01-17 05:00 | 保育・教育