2015年 01月 17日
話を聴ける子どもは、子どもの話を聴ける教師のもとで育つ
「できた?」
「わかった?」
「できた人?」
「わかった人?」
「発表して」
と決して言わないで、
「困っていることは?」
「先生にも聞かせてくれる?」
「友だちに聞いてほしいことはないか?」
と問いかける先生方の教室では、次のような子どもたちが育っていました。
まず、
「先生、これ、なんて読むん?」
「先生、これ、どういう意味?」
と、クラスのみんなの前でも遠慮せず、先生に言える子どもたちです。
「わからない」と意思表示できる子どもたち(小学校・中学校・高校)でした。
そんな子どもたちに対して、授業の導入後、基礎の課題の時から、
「困っていることはない?」
「わからない人は隣の人に聞いてごらん」
「わかりにくかったら、周りの人と相談して」
「( )を埋められてない人は、隣の人に聞きなさいね」
「写させてもらってもいいよ」
「わからない人はいつまでも1人で考え込まず隣の人に聞くんだよ」
「先生は、もうしゃべらんからね。あなたたちで解決してね」
「自信がない時は人、前の人に、教えてもらうんやで」
「教科書と、おとなりの人の力を借りましょう」
「わからないこと、困っていることは宝物。それをみんなで考えよう」
と、声かけを惜しまない先生方がいました。(机間支援も小中高すべて)
さらに、グループ学習の後には、
「先生にも、聴かせてほしいな」
「さあ、どんなことを話し合ったのか、聞かせてくれる?」
「みんなに聴いてほしいこと、ある?」
と、やわらかく「さそい水」のような声かけをする先生方でした。
そして、その時その時における子どもの状況に応じて、多様な声を受けとめつつ、
「◎◎さんのお話、この教室のみんなで聴いてあげようよ」
「◎◎くんの言いたいこと、どういうことか、みんなも聴いてあげよ」
「友だちのお話をよく聴くと、いろんなことがわかってくるねぇ」
「先生にも友だちにも、こんなにしっかり聴いてもらうと、うれしいよね」
「今の考え、もう一度だれか言ってくれる」
「この考えを聞いて、何か気づいたことはないかな?」
「同じように考えた人がいたら、その考え聞かせてほしいな」
「ちがうこと考えた人がいたら、どんな考えか聞かせてほしいな」
「◎◎君の言いたいことの続きがうかんだ人、いるかなぁ?」
「◎◎さんの言いたいのは、たぶん、こういうことやと言える人、いるかな?」
などと、子どもの発言と子どもの発言をつなげようとする、教師の柔軟な言葉がけが、必ずあります。
思いもよらない発言に対しても、
「そういう考え方があるんやね」
「◎◎君の意見は、今まで他の人が考えつかなかったものやね」
と、どんな発言だって切り捨てない温かさ(懐の深さ)もあります。
そういった毎日の積み重ねによって、子どもたちの心の中にも、
「先生はボク(私)の言葉をちゃんと聞いてくれているんや」
「先生はボク(私)にどんなことを言うだろうな」
「この時間には、あててもらえなかったけど、今度聞いてもらえればいいや」
と、満足感・期待感や、心のゆとりが生まれます。そして、
「あ~あ、言われちゃった」
「先に言われてしもうた。せっかく言おうと思っていたのに」
という発言が減っていきます。
先生方のめざす子どもの姿として、
「ここ、なんて読むの?」
「これ、どういう意味?」
「ねえ、ここどうするの?」
と、グループの仲間に自然体で聞くことができる子どもたちの姿を見せてもらいました。
「これはね・・・」
「ここがわからないんやね。ここはねぇ・・・」
「こういうふうに考えたんやね。それはね・・・」
と、さり気ない優しさで親切に教えてあげる仲間づくりでもありました。
こういう「ここ教えて」と言える子どもたちに育てること、そのものが「聴き合う学び」の実践における目標なのか、と感じました。
もし今は、たとえ学校・園ぐるみで取り組めなくても、子どもへの語りかけ方の発想を転換して、自分の「引き出し」を増やすつもりで、試してみる価値は充分あると思います。
どの学級にも個別支援を要する子が複数いるので、特別支援教育とは全学年・全学級で進める教育だと心がけておられる担任が多いと思います。