2013年 04月 06日
卒業式歌「旅立ちの日に」はこうして生まれたのでした
土曜日の朝日新聞には、beという別冊があります。
3月30日の場合、1つは、ページがb1~b12まである冊子で、もう1つは、ページがe1~e8まである冊子でした。
そのe1とe2の2ページに「旅立ちの日に」の『歌が生まれた経緯』と『全国の中学校へ広まった経緯』が、詳しくのっていました。
年甲斐もなく感動してしまい‥せっかくですので、記事の前半の『歌が生まれた経緯』だけでも紹介させてください(素晴らしい取材です)。
『1988年春、グラウンドのかなたに山並みを望む埼玉県秩父市の市立影森中学校に2人の教員が赴任した。
ひとりは、坂本さん。音楽の教諭だ。(中略)
一方、校長の小嶋さんはある信条を持って着任していた。
「歌は心を健康にする」だ。
前任校で合唱指導に力を入れ、成果を得たのだ。
影森中でも「歌声の響く学校」を目標の1つに決めた。
「(校舎の)あちこちには『歌声の響く学校にしよう』のスローガンが張られた」(坂本さん)。(中略)
1991年2月。放課後の職員室でストーブに手をかざしていた坂本さんは、通りがかった小嶋さんに切り出した。
「卒業生に歌を作って贈りたいんですけど、詞を書いていただけませんか?」
答えはつれなかった。
坂本さんの記憶によると「自分は英語の教員だし、そんなセンスないよ」だった。
ところが、翌朝出勤してみると、坂本さんの机の上に、きちょうめんな文字で書かれた詞がのっていた。
「旅立ちの日に」。小嶋さんの字だった。
「すごくいい!」。音楽室に駆け込み、ピアノに向かった。
「勇気を翼にこめて………」の旋律がまず浮かんだ。
15分ほどで全体にメロディーをつけた。
自分で弾き歌った録音テープを教職員に配り、生徒に内緒で練習した。
そして、3月中旬の「3年生を送る会」で披露。
1番は小嶋さんが独唱した。
この時で「旅立ちの日に」は役目を終えたはずだった。(後略)』
3年間、影森中で奮闘した先生方と、それに応えて変容し成長した生徒たちと、坂本先生の熱意を、
全部丸ごと受けとめた小嶋校長先生の思いが詰まっている「旅立ちの日に」‥
その深みのある歌詞からは、全校生徒たちへの、小嶋校長先生の厳しくも温かいお人柄を感じました。
全国の中学校で歌い継がれている理由の一端を垣間見た気がします(中学校だけでなく、特別支援学校や高校や小学校の卒業式でも‥)。
この歌は、影森中で3年間かけて、全校生徒と全教職員が学校づくりを積み上げていかれた中で、生まれた歌だったのですね。
私が秩父を訪れたのは、1981~82年頃でした(大先輩であろう小嶋校長先生の作詞も、私よりお若い坂本先生の作曲も、見事です)。
1991年に小嶋校長先生と若手教員だった坂本先生が、教え子たちへ贈る歌として作詞-作曲された「旅立ちの日に」‥頭が下がります。
関連ページ
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