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【近江神宮】百人一首・競技かるたの甲子園(京阪電鉄石坂線)

昨日2013年1月5日、

近江神宮にある近江勧学館で競技かるた日本一を決める「名人位・クイーン位決定戦」があったと、ニュースで言っていました。

それに先立ち、2012年12月31日の中日新聞に、次のような記事が載っていました。


『競技かるたを題材とした人気漫画「ちはやふる」を大津市の観光振興に役立てようと、キャンペーン実行委員会が発足してから10カ月余り。
作中に登場する近江神宮で新春1月5日、小倉百人一首の競技かるた日本一を競う「名人位・クイーン位決定戦」が開かれるのを前に、
漫画を生かした「かるたの聖地・大津」の浸透度と、今後の展望を探った。(中略)


7月には、近江神宮で開かれた「全国高校小倉百人一首かるた選手権大会」に合わせ、市内の京阪石山坂本線で、
車体や内装を漫画のキャラクターや百人一首の和歌で飾ったラッピング電車を運行した。
大会に出場した高校生は過去最高の800人を数え、競技かるた人気の高まりを感じさせた。
近江神宮では昨年ごろから遠方の漫画ファンが目立つようになり…(後略)


 <ちはやふる> 競技かるたに熱中する女子高生を主人公にした漫画で、作者は末次由紀さん。
青春の情熱や葛藤を描いた「文化系スポーツ漫画」と評される作風が人気を呼んでいる。
講談社の女性向け雑誌「BE・LOVE」で2007年から連載を始め、2009年にマンガ大賞を受賞。2011年には日本テレビ系列でアニメ化された。
作中には、全国高校かるた選手権大会の舞台となる近江神宮など、大津市内に実在する場所が多く登場する。』


記事の抜粋は以上です。


後日、たまたま京阪石坂線(紫式部「源氏物語」ゆかりの石山寺~
「三井の晩鐘(みいのばんしょう)」の三井寺(みいでら)~
「ちはやふる」の近江神宮前~
「比叡山ケーブル」のある坂本という路線)に乗りました。
そうしたら、話には聞いていたラッピング電車が来ました。
二両編成でのんびり走りますが、車体はもちろん、内装も、例えば、つり革1つひとつにも、百人一首の和歌が書いてありました。
なお、京阪膳所駅(JR膳所駅そば)から7つ目が近江神宮前駅です。
4つ目は三井寺(佐藤健さん主演の「るろうに剣心」ロケ地のひとつ)で

在原業平(ありわらのなりひら)の

ちはやぶる 神代もきかず竜田川 からくれなゐに水くゝるとは

『古今和歌集』『小倉百人一首』撰歌の「ちはやぶる」からマンガの題名をつけられたのでしょうか。

この単行本の売り上げは650万部と書いてありました。

2012年7月から「ちはやふる」のラッピング電車が京阪電鉄の石山坂本線で運行されるなど、

近江神宮が「ちはやふる」ファンの聖地になっているのは確かなのでしょう。


『小倉百人一首』第1首目の歌
秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ
を詠んだ天智天皇ゆかりの近江神宮では、1950年代から毎年冬に「名人位・クイーン位決定戦」や「全国歌かるた大会」がが行われています。

1979年から毎年夏に「全国高等学校小倉百人一首かるた選手権大会」も行われています。
団体戦で最多12回優勝を誇る富士高校をはじめ、長泉高校、大井川高校、静岡雙葉高校、浜松北高校など
静岡県勢は5校で24回の優勝校を出しています。
ここ最近は、東京の暁星高校が5連覇中です(追加:2016年は暁星高校・9連覇、2017年は福島県立安積黎明高校・初優勝)。
2012年の個人戦には800人近く出場し、前年より200人近くも増えたのは驚きです。

1993年からは「全日本かるた大学選手権大会」も行われ、2012年団体戦では、5連覇中の立命館大学にかわり京都大学が優勝しました。

「ちはやふる」が、競技かるた人口の拡大にも貢献していると言われているのも、これまた確かでしょう
(ちなみに、第2首目は天智天皇(てんじてんのう)の子である持統天皇(じとうてんのう)の歌
春過ぎて 夏来にけらし白妙の 衣干すてふ 天の香具山」、
第3首目は柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)の歌
あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の ながながし夜を ひとりかも寝む」、
第4首目は山部赤人(やまべのあかひと)の歌
田子の浦に うち出でてみれば 白妙の 富士のたかねに 雪は降りつつ」、
第5首目は猿丸大夫(せみまるだゆう)の歌
奥山に 紅葉ふみ分け 鳴く鹿の 声聞くときぞ 秋は悲しき
だそうです)。


話は変わりますが、在原業平は、紀貫之が「近き世にその名聞こえたる」と書いた「六歌仙」の一人です。


滋賀県高島市(旧マキノ町)には、福井県との県境に、在原という集落があります。
就職したての頃に、私はバイクに乗って一度だけ在原を訪れました
(テレビで在原が紹介されて、即、単独ツーリングで訪れました)。


在原の集落には、在原業平が住んでいたことがあったのではないかと言われています。


観光地化されていない在原では、かやぶき屋根の家々が集落の人々の自宅でもあります。
実際に住んでおられる茅葺き屋根の民家が点在しているのが、在原の魅力だと言えます。
そのことは、アマチュア・カメラマン(地元の方と出会ったら挨拶をするなどマナーを心得ている人)のみなさんのほうが、よくご存じのことと思います。

ところで、百人一首と言えば、すぐに「逢阪の関(おうさかのせき)」が思い浮かぶのは、なんでかなと思ったら、理由がわかりました。
じつに単純な話で、逢阪の関は、百人一首の3つの歌に、枕詞(まくらことば)として詠まれているからでした。
これやこの 行くも帰るも別れては 知るも知らぬも 逢阪の関」蝉丸太夫(せみまるだゆう)
名にし負わば 逢阪山のさねかづら 人に知られで くるよしもがな」三条右大臣(さんじょううだいじん)
夜をこめて 鳥の空音ははかるとも よに逢阪の 関はゆるさじ」清少納言(せいしょうなごん)
逢阪の関(おうさかのせき)[東海道と東山道-中山道の関]滋賀県大津市、
鈴鹿の関(すずかのせき)[東海道の関]三重県亀山市、
不破の関(ふわのせき)[東山道-中山道の関]岐阜県関ケ原町が、
古代(西暦600年代後半:壬申の乱の頃)から三関(さんかん)と呼ばれていたと聞きます。

百人一首が苦手だった私が最初に覚えたのは、次の和歌でした。
天の原 ふりさけ見れば春日なる 三笠の山に 出でし月かも」安部仲麿


by takaboo-54p125 | 2013-01-06 21:04 | 文化・スポーツ