地球がもし直径1mの球だと考えて・・・つつましく暮らす意識を共有するエコライフができたら・・・

今までの私たちの常識を覆す未曾有の日から、明日でちょうど1年たちます。今も避難生活を余儀なくされている方々の心労・過労を思うと、私など、ぜいたくは言えません。思うことは、みなさん、それぞれのお立場で、たくさんあることでしょう。昨年10月下旬の朝日新聞「天声人語」の冒頭には、以下の文がありました。


「・・作家の椎名誠さんが7月の小紙に寄せていた。椎名さんは『地球がもし100cmの球だったら』という絵本を紹介しつつ、この惑星の有限性を述べている。直径(地球)1mに縮尺すれば大気の層はわずか1mmしかないのである、と。すべての水はビール大瓶1本分。海水を除いて人が飲める水はスプーン1杯の量しかない—など、目を開かされた例えをふと思い出した。・・」


昨年3月11日の巨大地震・巨大津波の衝撃は、甚大な被害をもたらしました。それに追い打ちをかけるように、局地的豪雨、大型台風、大洪水、記録的猛暑、豪雪など、数々の自然の脅威は、私たちの経験と予知をはるかに超える地球に変貌したのではないか、と痛感させられた1年間でもありました。さらに加えるなら、気温も降水量も、観測史上初があちこちで更新されたという事実は、オゾン層を温室効果ガスが破壊することによる気象変動の始まりかと、受けとめざるを得ないのでしょうか。同時に、安全だと聞かされて大丈夫だとみんなが信じきっていた原発の、絶句してしまうほどの、測り知れないリスクは・・・言葉になりません。


CMでは「エコナビ」とか言ってますが、最も大切なのは使う人の気持ちひとつです。「東北の復興なくして日本の再生はありえない」という言葉を(聞き流さず)かみしめると、節電も、節水も、自分のできることを期間限定ではなく、日本中の誰もが行動に移さなければならない時代が始まったのかも知れません。


とりわけ福島県のみなさんの耐え難いほどの心痛を思うと、原発なしで地球温暖化を防ぐ省エネ・低炭素社会の実現のために、被災地以外の誰もが「少しずつガマンする意識を共有せなあかん時代」のスタートだと、言いかえてもいいのではないでしょうか。国が莫大な借金を増やしながら、私たち国民が快適な暮らしだけを求め続けることの矛盾を指摘する人(つつましく暮らし始めた人)は、私の周囲でも徐々に増えてきました。


原発の怖さに気づくには、あまりにも大きすぎる犠牲でした。他の場合でも、例えば、国の政策で全国の造林公社が杉の植林に走った結果、スギ花粉症が猛威をふるうようになった現実を見ても、人間が開発だけを追求すれば、予測すらできないリスクも背負うことを、私たちは自覚しなければならないのでしょう。


今年いただいた年賀状の冒頭の挨拶も、例年とはひと味ちがう文言が多かったと感じました。増えたのは「恭賀新年」でした。
四字熟語では「迎春吉祥」「笑門来福」「招運来福」が目を引きました。                                   
印象的で、心をひかれたのは、次の3つです。
「笑顔の花咲く一年に」「希望と潤いのある一年に」「安穏平和な一年で」


私自身、あまりたいしたことはできていません。ホットカーペットの下に断熱シートを敷いたり、石油ファンヒーターを石油ストーブに換えて、やかんを置いて湯を沸かしたり、LED照明(数箇所だけ)につけかえたり、夜間は電気ポットのコンセントを抜いたり、エアコンの必要な部屋では設定温度を18℃にしたり、ぐらいです。ただ原発依存度の高かった(あえて過去形にしたい)関西に住んでいますので、清水の舞台から飛び降りるつもりで、太陽光パネル(4,41kw)を屋根に乗せました。でも、今度の夏も扇風機をメインにしつつ、エアコンが必要な部屋も目標29~30℃です。エコライフをしていると言えるまでには、まだまだ千里の道の1歩という段階ですけど、ハッと気づいた時は、自分なりにできることを、微々たることでも日々実行していきたいと、明日を前日にして改めて思いました。


地球がもし直径1mの球だと考えて・・・つつましく暮らす意識を共有するエコライフができたら・・・ちなみに、エコライフという言葉は、小学校:家庭科の教科書にも大事な単元の1つとして載っています。

関連ページ
教材『続・かさこじぞう』など【成人の日はお祝いの祝日、敬老の日は感謝の祝日】【地球が1mの球だったら】【釜石小学校校歌】【旅立ちの日に】【被災地を忘れない人】
http://sg2takaboo.exblog.jp/24898180/


by takaboo-54p125 | 2012-03-10 05:11 | 保育・教育