「協同的な学び合い(聴き合う学び)」⑨中学校のチャレンジ【静岡県の中学校:3年間の歩み】【不登校を激減させた学校】【「協同的な学び」のある教室】

「公立中学校の挑戦 授業を変える学校が変わる」佐藤雅彰・著(ぎょうせい)より


静岡県富士市(人口25万人)の16中学校のうち、3分の1以上の6中学校が「学びの共同体」の実践校になっているのは、なぜだろうと思っていました。そんな時、偶然にも図書館で平成13~15年当時、岳陽中学校(学年7クラス規模)で校長をしておられた佐藤雅彰先生の著書を見つけました。直接読まれることをオススメしたいので、その本にある岳陽中の3年間の流れの概略を紹介します。


改革の履歴1年目(抜粋)
ア 1年目の改善点
・・本校における1年目は、教職員が同じ職場で生活しただけの同僚として生きるのではなく、授業改革に向けて努力し合う、同僚性のある仲間として育つことに重点を置いた。次の3点をお願いした。                                                       
◎教師の「声」「言葉」「身体」に柔らかさがほしい。怒鳴って統制しない。                                       
◎教師が一方的にしゃべる授業を、小グループ活動を取り入れ、できるだけ子どもの「問い—探究—表現」の学びに変える。仲間で聴き合う活動を大切にする。                                         
◎教師全員が年1回は授業公開をし、研究協議会を充実させる。      


①教師の「声」「言葉」「身体」に柔らかさがほしい
・・小学校の校内研修で「小学生が中学校の先生は怖い存在と思っている」と指摘された。何が怖いのか。教科ごとに教師が代わるということで子どもとのかかわりが希薄になっているからだろうか。命令調に指導するだけで、子どもの話をじっくりと聴くことが少ない教師の構えに違和感を覚えるのだろうか。‥                         


平成14年度、日が短くなった冬、あたりが暗闇になると登校する不登校生徒がいた。陽のあるうちは仲間の目が怖いと言う。子どもが来るか来ないかわからない。それでも担任はじっと待っている。来れば担任をはじめとした数人の若手教師が、夜間中学校の始まりだとほほ笑みながら「1時間目は体育館。場所は体育館」と言って授業が始まる。彼らはバドミントンをしながら、とりとめのない会話をして授業を続ける。これに対して「そこまでする必要があるのか」と批判する声も聞く。しかし、偶然そうなったことを議論しても意味がない。それより最後まで見捨てないでかかわろうとする教師の行動力とケアの精神に頭が下がる。


②子どもの話をじっくり聴く教師
中学生の心は身体の成長に比例して、学業のこと、友だちのこと、部活動のこと、家庭のこと等、さまざまなストレスを抱えている。ごく普通の子どもであっても、その内面は複雑で不満が充満している。だから、問題が顕在化してから話を聴くのではなく、普段から子どもとの対話を重視しなければならない。                           


しかしながら教科ごとに教師が代わる中学校では、担任が子どもとかかわる時間と場は少なくなる。それだけに担任だけでなく教科担任や部活動顧問が、子どもに声をかける工夫をしたり、子どもの身体からいつもとは違う何かを感じたら、担任に知らせるなど教師の協働体制が必要である。                                                                 
それとは別に、子どもの話をとことん聴くことを心がけてみることである。それには、まず授業の中で、子どもの発言の理を聴いてやることである。自信のない子どもの声にならない声を聴いてやることである。子どものつぶやきや物言わぬ身体に注意を払うことができたら一流かもしれない。                                    


③怒鳴って統制する生活指導を捨てる
教師の心のどこかに「子どもになめられたくない」という意識がある。その考えは身構えた身体をつくる。なめられたくない裏側に、教師は教える立場、子どもは教えられる立場といった、教師は子どもより上だという感情がある。教える師としての自負は必要だが、頭ごなしに怒鳴って統制する生活指導をしても子どもは変わらない。悪い行為は悪いと注意しなければならないが、子どもにも言いぶんがある。子どもの気持ちを聴くことのできる教師は言葉も柔らかい。‥子どもとの距離が縮まるまで時間をかけて対話することである。』


イ 学びをあきらめない子どもは生活が崩れない(当時の山田雅彦教務主任の執筆)


授業中‥叱責の大声が教室に響く。・・問いつめている。‥本校では、3年前まで様々な教科でこのような光景が見られた。‥                  


授業をまじめに受けない生徒たちに聞いてみる。異口同音に「だってつまらないんだもん」「やっても分からないから」といった言葉が返ってきた。‥このような閉塞した状況の中、平成13年、赴任してきた佐藤校長の「怒鳴って叱る指導より授業改革で生徒を変えよう」という提案で、生活指導の方向を大きく転換することにした。それは、まず生徒指導ありきの考え方を捨て、授業を変えれば自然に生徒の諸問題はなくなるといった考えで、生徒に接していこうというのであった。‥不安や反対の声が噴出した・・疑心暗鬼な状況下で我々の授業改革はスタートした。


1年目の取り組みは、協同的な学びを授業に取り入れることだった。具体的には各教科で1時間の授業の中に小グループ活動を取り入れ、生徒同士のかかわりやつながりを大切にしていこうというものだった。取り組みを始めた頃は、小グループ活動に戸惑いを見せていた生徒も、やがてグループ内のリーダー格の生徒が授業中にふさっている生徒や消極的で受け身の生徒に「どう、困っていることはない」とか「わからなかったら遠慮しないで聞いて」などの声をかけるようになった。すると、教師が授業に参加させるために、いくら躍起になって声をかけてもだめだった生徒が、仲間に声をかけられると、その時だけは授業に参加するようになった。しかしながら、この段階でも生徒指導上の諸問題は決してよい方向には変わっていなかった。すでに夏休みも過ぎていた。


ところが、このような取り組みを教師が一丸となって継続して進めていくうち、授業中の生徒たちの反応に少しずつではあるが変化が見られるようになってきた。なんと、今までリーダーの生徒に引っ張られていた生徒が、小グループ活動のときに、「俺、これ分かんないや」だとか「この問題どう解くの」といった言葉を仲間に言うようになったのである。授業中このような言葉が多くなるのに比例して、あれほど多かった生徒指導上の問題(非行問題や不登校)が不思議なことに減少してきた。


になって思えば、校長が初めに「学びをあきらめない子どもは生活が崩れない」「学校づくりは授業改革だ」と言った言葉が岳陽中再生のキーワードだったことが懐かしく思える。


今ではほとんどの先生が「学校づくりは、やはり、授業改革だよね」と言っている。


ウ 同僚性を育てる
縁あって同じ職場に働くようになった仲間が、いがみあって生活してもストレスがたまるだけである。ストレスを排し、しかも脳細胞を活性化させるのは、新しい文化にふれることも1つの効果がある。本校に赴任したとき、授業を「交わり」と「つながり」をキーワードにした学びに変え、子どもの生活を変えようと思った。しかし、こうした文化の創造は、教職員にはなかなか受け入れてもらえない。それだけ中学校の現場が、目先の生活指導で忙しかったからである。


私は、1つのことを決めたらしたたかにやり抜くことを心情としていたが、仲間が1つの方向に向かって努力するには、かなりの時間を要した。それが、1年が経過する頃には、職員室の雰囲気が変わってきた。何がよかったと問われても、私にもよく分からないが、次のようなことが目に見えて変わった。


1つは、子どもの固有名詞で話し合える教師となったことである。1人の教師の気づきを仲間で共有し、担任だけでなく全体で子どもを支えていく。そうした協働が連帯意識を生み雰囲気を変えるのだろう。


もう1つは、学年主任の学年教師や学年の子どもへのかかわり方が変わったことである。自分の学年を「小さな学校」と見立て、責任を持って教育的なリーダーシップを発揮するようになったことである。さわやかな風が吹いている学年は、子どもまでさわやかになる。


しかしながら、どこの世界でも、その輪に加わらず「私には関係ない」、仲間の提案に「無理、できない、だめ」とマイナス思考で簡単に片付ける同僚性のない同僚もいる。


エ 教師全員が年1回は授業公開をする
年1回の授業公開は拒絶されることなく行われた。中学校教師の教科指導に対する自負心の表れだろう。しかし、授業公開をしても、そう簡単に授業が変わるものではない。明日の授業につながる教師のふり返りができていないからである。1年目、全員の授業公開は果たしたものの、研究協議会は教育課程の関係で年4回程度しか実施できなかった。本来、授業公開と研究協議会はセットで実施しないと単に公開しただけになってしまう。講演や講義だけの受け身的な研修は「おもしろかった」「ためになった」だけで終わってしまうが、それで終わってしまう研修ではなく、始まる研修でなければならない。自分の授業を他人から批評されて初めて教師は変わろうとする。その意味で、批評的に授業を見直す校内研修の構築が必要だと思った。・・


①授業公開で印刷された指導案を配布しない
公開にあたって「指導案の配布なし」は校内の教師には好評であった。誤解されないように補足するが、印刷した指導案を配布しないだけであって、教材研究や指導案がいらないと言っているわけではない。授業構想を持たずに授業をするのはプロフェッショナルのする仕事ではない。むしろ最低でも8種類程度の授業構想は立てておきたいものである。その上で、授業になったら指導案は捨てて子どもの思考に寄り添うことである。印刷された指導案を配布しない主な理由は、


◎日常的な授業では簡単な略案を持っているが、正式な指導案は作っていない。指導案の書き方より、子どもの思考に基づいて教師がどう学びをデザインしたか、何が子どものためになったか、子どもの活動を見取る力を学び合うことが大事である。


◎前時までの授業の遅れや進みを調整しないですむ。子どもの「分かりたい」「学びたい」という気持ちを大事にしていると進度は遅れたり、進んだりする。指導案を事前配布しないことによって、子どもの学びが保障される。


◎指導案を書く時間を教材研究にあてられる。公開授業者は、前日まで授業構想を立てたり、モノの準備をしたりして授業公開に臨んでいる。指導案を書く、印刷する、製本するという作業は意外と時間がかかる。全精力を教具開発や教材解釈や授業構想にあてた方が子どもにとって幸せである。授業公開は、教師のためにだけやっているのではない。子どもの学びを豊かにするためにやるのである。


◎1年経てば、ゴミ箱行きである。本校で、教師全員が年1回の公開をすると指導案は40数人分となる。たいがい、授業反省会が終わると、その指導案はほとんど活用されない。されないだけでなく1年経たないうちにゴミ箱行きである。とすれば無駄な労力は省くべきである。


②指導案を配布しないことへの批判
「指導案の配布なしの研究授業」。常識をうち破るこの方法は、学校外の人には不評であった。寄せられる意見を紹介しながら反論しておこう。


1つめは「参観者に対して失礼だ」である。私はできるかぎり1日最低1回は教室を回り、先生方の授業を見せてもらっている。私は、教室に入るとき、授業のじゃまをするのだと思っている。見てやるのではない。見せてもらうのである。公開した先生に感謝こそしろ、指導案が配布されないからと目くじらを立てることではない。すでに述べたが、指導案はあくまでも指導案である。指導者も参観者も指導案は捨てて子どもの現実を見るべきである。


とはいうものの、遠方からわざわざ時間と出張旅費をかけて来られる方もいる。大まかな授業構想を記した資料は、配布した方がいいのかもしれない。


2つめは「印刷された指導案がないので授業のねらいが分からない」である。子どもの姿から見取ることができない人ほどこう言う。話し合いの文脈をつかむことができる力があれば、最初は分からなくても教師のねらいが見えてくる。もちろん授業によっては、いつまで経っても学びの文脈が見えないことがある。そういう授業は研究協議会で厳しく指摘すればよい。


3つめは「印刷された指導案がないと計画のどこらあたりか分からない」である。この先生は、いつも指導案通り授業を流し、子どもの考えに寄り添っていないことを暴露しているようなものだ。ましてや研究協議会で「指導案通りの板書と流れですばらしい授業でした」と言う先生に出会うとぞっとする。子どものつぶやきを拾いながら、子ども主体の授業をすればするほど、構想とは違う方向に進んだり、思わぬ方向に学びが展開したりする。正に授業は生き物である。そう考えるとむしろ指導案は邪魔になる。事前に配布された指導案という見える部分の情報(インフォメーション)で授業を見ようとする教師より、配布されていなくても見えない部分から情報(インテリジェンス)を見ようとする教師でありたいと思う。参観者は単なる参観者ではない。ある意味、授業者になったつもりで自分ならどうするか、授業のシミュレートをしながら参観する居方でありたいと思う。                      


改革の履歴2年目(抜粋)
1年目の改革で教師全員の授業公開は100%の達成率であった。もちろん、教師全員が公開したからといっても学びが変わるまでには至っていない。それでも、授業改革に取り組む教師の姿勢のよさは評価できる。


また、教師の子どもへのかかわり方も、強圧的、強制的な指導から叱るべきことは叱った上で子どもの気持ちを聴いたり、その後のケアをきちんとしたりするように変わってきた。それによって子どもがだいぶ落ち着いてきたが、完全に落ち着くまでには至っていなかった。                          
2年目の改革は、勝ち組になるか、負け組になるかを決める年と言っても過言ではない。その意味で学習観の共有や研究協議会の充実を目指した。


①教師と子どものかかわりをさらに柔らかにする。
②仲間との対話を重視する意味から教室の机の配置をコの字型にする。
③授業公開と研究協議会をセットにした校内研修を実施する。
④1時間の中に教科書以外のモノをできるだけ準備したり、小グループ活動を取り入れたり、話の文脈をとらえて自分の言葉で語り合ったりする活動を組み込むようにする。


ア 机の配置
・・中学校の教室風景は、一斉授業を想定した講義式の机配置がほとんどである。「教える」ことに慣れきった教師にとっては、講義式の授業に何ら疑問を感じていない。私もその1人であった。講義式は子どもが教師の解説を聞いたり、板書された事項を写したりするには都合がよいからである。


かし新しい学びは子どものコミュニケーションを中心とする聴き合い学び合う授業である。本校の学びは、「対象との対話、他者との対話、自己との対話」でもある。対話中心の授業では、互いに相手の表情を見ながら語り合うことがコミュニケーションの基本となる。その意味を込めて座席を向き合う形にしたが、教師には「机の配置など、どうでもいいではないか」と反発された。


しかし、机の配置をフェイスtoフェイス型にすることで、子どもたちに変化が表れた。仲間に向かって語り自分の目と耳で集中して聴くことができるようになった。さらに、仲間と意見交流したり、分からないことを聴いたりする光景も増えてきた。学校で学ぶことは板書を写す作業ではない。未知の課題を仲間と一緒に追求したり、意見交流したりしながら既知とすることである。もちろん、1時間中「コの字型」を要求するものではないが、子どもの感想からは、聴き合うことの楽しさが読みとれる。


「学級全体を見渡すことができ、意見が言いやすい。相手の意見を聞きやすい」(この意見が圧倒的に多い)


「いろいろな人が、どんな表情で発表をしているかが分かって面白い。友だちに分からないところがあるとすぐに聞けるようになった」(この意見が多い)・・


イ 学校経営構想図づくり
2年目の実践過程で、子どもの生活態度に落ち着きが見え始めた。この応えが「学校づくり」を構想図としてまとめることになった。もっとも、作成することにはかなりの迷いがあった。


迷った理由の1つ目は、この手の構想図は学校外の人向けで、校内では「絵に書いた餅」となりがちだからである。


2つ目の理由は、構想図は形式的で、具体的手段が分からず中身の薄いものが多いからである。分がそうした薄っぺらな構想図を作る仲間に入る気がしてならなかった。


3つ目の理由は、学校の特徴に関することであった。学校の特徴は長い時間をかけ熟成され形づくられる。しかし、現在のように短期間で校長が替わる公立学校人事システムでは、熟成されずに中途半端で転任となる可能性がある。願望で終わってしまう学校の特徴ではいかがなものだろうか。そんな思いが構想図作成を躊躇させていた。


ところが・・考えが変わった。・・「学校のことは子どもに聞くのが一番と学校訪問者に語り、子どもが学校の特徴を明確に語った」という記事であった。


自分の学校に特徴はあるのか。早速、本校の子どもに聞いてみた。人の話をしっかり聴くことができる」「あいさつがよくできる」これだけだった。この2つが子どもの口から出ただけでもいいとするかどうかは別として、「◎◎」と自信を持って語り始める言葉を持つことはすばらしいと思う。それには、子どもにも教師にも学校の特徴を共有させる必要があった。(構想図省略)


①学校教育目標「自らの学びを表現しあう」
学校教育目標は改革ビジョンを映す鏡であり、自分の願いを掘り起こすものでありたい。「自らの学び」の「自ら」は子どもというだけではない。子どもの周辺にいる大人も含めて、自立的におのずから主体的に学ぶという意味合いを込めている。


また、「表現しあう」は誤解されやすかった。どちらかといえば「明るく元気よく表現する」が重視され、仲間の表現をじっくり聴き、自分の感じたこと考えたことを「自分の言葉で伝え合う」というニュアンスで受けとめなかった。「表現しあう」の「あう(合う)」を大事にしたいと思っている。つまり、表現するには、まず人の話をしっかり聴くという行為が前提になければならない。自己主張ばかりが先行し、聴くことが疎かにされている現状がある。


②学校の特徴
◎富士市における授業研究のパイロット・スクールである。
やや大げさな表現ではある。しかし、学校生活の中心となる授業であることを思えば、教師も子どももこの気概を持って日々の学校生活を送るべきである。


◎知的なことが習慣化している。
・人の話をしっかり聴いて考える。
・仲間同士で「協同」で考える。
・「なぜ」「分からない」が言える。
・現実社会との関連を考える。
・無理・だめ・できないを言わずに挑戦する。


マイナス思考を身につけた教師ほど「無理、だめ、できない」を連発する。子どもも同じである。教育が大きく転換しようとしているのに、制度的枠組みを持ち出し「無理だ」と変わることを拒んだり、前例や事例がないから「できない」「だめ」と言ったりする。・・みんなと同じことをやっていたら教師は安心していられる。しかしながら、誰かがやったことをキャッチアップする生き方ではなく、自らがフロントランナーにならなければ、学校は地盤沈下する。


◎学校外の人など誰にでも相談できる。
教室で仲間と共に学ぶことのできない子どもがいる。他人と比較して自分には何も価値がないと決めつけている子どもがいる。そうした子どもが自分の気持ちを押し殺し、自分を否定し引きこもる。この子どもが、教師以外の人にも気軽に相談できるシステムと環境を整えておきたいと思う。本校ではスクールカウンセラーの他に、相談室で毎日待っていてくださる教育ボランティアや地域の方々がいる。人に依存できる人は必ず自立できるようになる。


◎表現教育を重視している。
本来は芸術教育とすべきである。しかし、本校の実態からすれば芸術性というより個々の思いを自由に表現できることの方が急務であった。中学校の授業では、学年が上がるにつれ発表が少なくなってしまう。今は、昔と違って、ものを言わなくても「優しさ」があれば分かり合える時代ではない。自己主張できる子どもをはぐくみ育てたいと思う。


ウ 朝の時間帯
落ち着いた雰囲気で1時間目を開始するため、朝の会の内容を簡単にして読書の時間を設けた。時間は15分である。子どもが黙読で集中できる限度は15分程度だろうと考えたからである。・・子どもが同じ本を読むわけではないので黙読にしただけである。(時間表は省略)・・取り組みの最初、中学生が落ち着いて読むか心配もしたが杞憂にすぎなかった。・・ 朝読書は落ち着いた学校生活の出発をつくるだけではない。子どもの集中力や心を豊かにすることを子どもの感想で知ることができた。(感想省略)


改革の履歴3年目(抜粋)
改革の2年目が終了する時点で、学びをあきらめる子どもは表面的にはほとんどいなくなった。しかも不登校生徒の数(3年前は38人)も7月の時点で6人(全校生徒数820人)となった。教師が具体的な学習観を共有し、コミュニケーションのある学びを続けることで脇道にそれる子どもも少なくなってきた。子ども同士で支え合う交わりが、学校での自分の居場所をつくり、不登校生徒や学びをあきらめる子どもを少なくしたのだろう。改革3年目、転任してきた先生方からうれしい言葉を聞くことができた。それは、本校への転任が決まると、従来は 「大変な学校で…、でもがんばって…」と慰められて赴任してきた。それが、改革3年目の春、本校への転任が決まったとき「いい学校でよかったですね。がんばって…」と励まされて転任してきたことである。長い間、本校への転任は失望と不安であった。それが、期待に満ちた学校に変わったのである。3年目、毎年のことだが3割程度の教師が異動した。(補足:静岡県の教員人事異動は平均3年だそうです)授業改革を中心とした学校づくりは常に万年初歩なのである。・・


学習観の共有(1時間の授業の中に組み込む)
ア 「活動的」であること

基本的には、問題解決を図るための思考を伴う活動や学んだことを使う活動である。
・観察する、読み返す、考えをまとめる、確かめる、操作的な活動をする、半具体物による思考、学んだことを使う等、知的な活動である。
・モノを用いて推論したり、探究したりする問題解決的思考という活動である。
・対象とじっくりかかわり、自分で何らかの考えを持つ活動である。
自分の考えを持つには、その時間を保障することが大事である。自分の考えを持つ時間をシンキング・タイムと名付けている。


イ 「協同的」であること
グループ活動を取り入れることで、人数が少ないために仲間とコミュニケーションする学びに参加しやすくなる。子どもにとっては、仲間と話し合うことが学ぶ楽しさにつながっていることもある。グループの人数構成は3~4人組、男女混合を基本としたが、この人数が一番話し合いに最適だったからである。協同的な学びのねらいは、他者の考えを聴いて、自分の考えを補強したり、発展させたりする活動が中心であって、グループで1つの考えに意見をまとめることではない。したがってグループの話し合い後「私たちの班では…」という言葉に象徴される発表はぜひやめたい。小グループで学んだとしても、最後は自分の意見として「私は…」で始まる表現をさせるべきである。


また、グループ活動は、分からなくて困った子どもが仲間に自分から「教えて」と聞くことができる機会でもある。反対に質問された子どもは、責任を持って仲間に応えることが要求される。仲間同士で学び合うことは、他者を知り、互いに支え合うかかわりをつくることでもある。


ウ 「表現の共有」


エ 学びは「つながり」と「交わり」と「戻し」
・・子どもの意見も認めているように「その考えも面白いが後で考えよう」と言って、大体は後がないのである。また、子どもの発言に「うん」「そうだね」と言いながら、もっと別の答えはないかと学びを切ってしまう。さらに子どもの意見を「◎◎さんの考えは~だから~だと考えたんだね」と自分の都合のいいようにまとめるクセが(教師には)ある。教師は、子どもの発言が誰の考えと「つながっている」かを知ることであり、1人の表現を仲間に「つなげる」ことであり、豊かな学びにするためにモノや事や仲間と「つなげる」ことである。特に、仲間とのつながりをつける手段として、本校ではグループ活動という「交わり」を重視した。                                 
また、1人の発言をみんなで共有する活動として「戻し」という活動がある。・・「戻し」ができるのは教師しかいないのである。


ヘルプシーキング
援助行動・・子どもの状況を見ながら助けるという意味であろうか。私は援助が必要な子どもに必要な援助をすることがヘルプシーキングだと考えている。子どもが援助を要求市内のに教師がずかずかと入り込んでいくことは、子どもの思考のじゃまになる。子どもが援助を求めるまでドーンと構えていたい。援助の声はないけれど身体で「俺、分からない。見捨てないでくれ」とサインを出していることもある。発表をしようかどうか迷う仕草をする子どももいる。こうした子どもへ適切に対応することをヘルプシーキングと呼びたい。たとえば教師はよく「机間支援」(補足:机間巡視ではない)をする。「机間支援」で大事なことは何だろうか。いい意見を捜すことが目的ではない。援助しなければならない子どもの傍らでケアすることである。「いい先生は、ズボンにしわができる」と言われるが、その通りである。ヘルプがなく、見て回るだけのシーキングでは「机間支援」にならない。(補足:これを机間巡視と言います)


もう1つ、グループ活動での「机間支援」で注意したいことが2点ある。話し合いからはずれている子どもへのケアである。もう1つはリーダーの指導である。リーダーが自分の意見を班員に一方的に押しつけているようだったら、みんなの意見を聞くように指導しなければならない。
さらに、授業中、「分かんない」「えー」「そうかな」など、首をかしげたり、首をふったり、うなずいたり、ぶつぶつ言ったり、子どもは様々な姿や声にならない声を身体で表現する。教師は、こうした行為を観ずる豊かな感性を磨かなければならない。


(実践例があげられていたので、タイトルだけ紹介します)
卵(2年国語)
ベンチ(1年国語)
整数の性質(2年数学)
いろいろな関数(3年数学)
日常食(1年家庭)
縄文と弥生時代(1年社会)
角の二等分線(1年数学)
体脂肪(3年選択体育)
比較級(1年英語)
浮力(3年理科)』


以上、平成13~15年に校長だった佐藤雅彰先生の著書から、3年間の軌跡の一部を紹介しました。富士市内の中学校は部活動なしの日をつくっているとのことです。当時の岳陽中は、それでも、全国大会や東海大会へ出場した部も複数あったそうです。                                           
本書を直接お読みになることをおすすめします。校内の先生方が組織的に動くことのヒントがいっぱいつまっているからです。静岡県の学校が平均3年で人事異動するということは、毎年、岳陽中で実践した先生方の3分の1が他校へ行かれるということになります。このことも、富士市内で「学びの共同体」の実践を、学校ぐるみで推進する中学校が6校に増えた要因のひとつかも知れません。


学校の教職員全員で取り組めば、大規模校の中学校が3年間で不登校生徒を激減させることができたという事実から、私たちの学ぶべき点は多いのではないでしょうか。


あくまでも抜粋した紹介なので、佐藤雅彰元校長先生の本著書を、直接お読みください。佐藤雅彰元校長先生は、今、スーパーバイザーとして、全国の学校へ行っておられます。


幼稚園の先生方にも紹介したところ、園長先生から、『今までなら「できた?」「わかった?」と聞いていたのを、「困っていることはないか?」と問いかけるようにしてみたところ、子どもたちの反応に変容が見られ、いろいろ答えてきたと報告してくれる担任がいたり、別のクラスでは、「言いたい人」ではなく、「お友だちに聞いてほしいことはないか?」と問いかけたら、「うんていができるようになった」などと、次々と子どもからの発言が聞かれた』というお手紙をいただきました。


関連ページ


「協同的な学び合い(聴き合う学び)」⑩小学校【聴き合う】神奈川県の小学校→愛知県・三重県・滋賀県の小学校の授業

http://sg2takaboo.exblog.jp/24898102/



by takaboo-54p125 | 2011-07-06 04:19 | 保育・教育