2011年 05月 05日
しつけとは、ステキな親子関係づくりです
幼稚園から学んだことを紹介します。
『親はなくとも子は育つ…か?
5月の園だよりより
−子ども達の発達に必要な環境とは?−
いまも教育関係者の中で「『親はなくとも子は育つ』という言葉もあるように子どもは自分で育つ力がありますから、親が子どもに手をかけすぎないようにしてください」という方がいらっしゃいます。なるほど、親の子どもへの過干渉やお世話をしすぎてその子自身が、自らの体験から学んでいくというを摘んでしまうことへの警鐘としては、その通りだと思います。
しかし、元々のこの意味は、戦前の子育てを表しているものです。まだ日本がそんなに経済的に豊かではなく、子だくさんの時代…親の平均寿命も短かったのです。そのため、末っ子で生まれてきた子どもの幼少期に、親が亡くなってしまうことが多くありました。その時に、上の兄姉が下の子の経済的な面倒もみることができるくらいに大きくなっているので「親はなくとも子は育つ」ということになったようです。
そして、拡大解釈をすれば、3世代以上の同居という家族状況は、親が忙しくしていても、おじいさんおばあさん、おじさんおばさん、兄弟たちに囲まれていた大家族の時代には、誰かが子どもと関わって、いろんな体験を子どもにさせました。だから、親がなくとも子はいろんなことを身につけ、学び育っていったのではないでしょうか。
全部で…ってどうすること?
下のように四角いマスにおもちゃのコインを置いてみます。
□□□□ □□□□
そして、「全 部で○はいくつかな?」 と5歳になる子どもに尋ねてみます。多くの5歳になる子ども達は、「いち、に、さん、し」 と左の紙の○を数え、つづけて 「ご、ろく、ひち、はち」 と右の紙の○を数えて 「8ある」 と答えてくれます。ところが、中に 「いち、に、さん、し」 と左の紙の○を数え、また 「いち、に、さん、し」 と左の紙の○を数えてしまう子もいます。
「ぜんぶで、いくつになるのかなぁ…もう一 度数えてみようか」 と、やりますが何回聞いてもそうなってしまいます。しかし、その子は、もうすぐ5才になる子ですから、2つの集合を合わせるということが『全部』ということばのイメージがなかなかつかめないようです。(中略)
じつは、こういった子の中には、お家では、おじいちゃん、おばあちゃん、お母さんにお父さんという大人に囲まれて生活をしている子も少なくありません。ところが、この子がやるべきことをの多くを、まわりの大人がやってきてしまっています。ですから、お母さんといっしょにお菓子の数を数えたり、洗濯物をたたんだり、掃除をしたり、配膳をしたり…そんな体験がないのです。
また、4才で10までの数詞が言えないという子もいます。4才で 「10までの数が数えられるようにならなければならない」 ということではありません。お母さんやお父さんが、わが子がいろいろなことを覚えたり理解したできるように、いろいろと教えてあげようという意識があれば、親とのあそびやお手伝い、関わりの中で、子どもに身につくはずのことなのです。
このように、その年齢でそろそろできて当然なことが、できていない子ども達の背景には、親が子どものお世話をすべてしてしまい、その子が本来体験しなければならないことが、体験できなくなっているという背景があります。また、社会的に、親がわが子ができるようになるまで教えようという意識が、薄くなってきていることも確かです。
しつけの意味
そういった子ども達のお母さんに話を聞くと、
「何度言っても言うことを聞いてくれないので…」
「食べるように言うのですが、食べないので…」
「すぐに『だっこ』って言って、歩こうとしないので…」
そういった返事が返ってきます。それ以上、わが子にぶつかろうとしない姿がそこにあります。たぶん、自分の親にもそういうことでぶかってもらえたことがないのだと思います。自分の親からしてもらえなかったことは、自分の子に出来ない…ということが子育ての原則ですから仕方のないことです。が、仕方ないではすまされないこともまた事実です。
たとえばこんなことがあります。Aちゃんは、遊び食べを家でずっとしていました。ちょっと口に食べ物を入れて、少しおなかが良くなるとイスから離れてあそび始めてしまいます。幼稚園でお弁当が始まった時も、そんな家での姿になってしまいます。
そのたびに担任の先生は 「Aちゃん、食べ終わるまで椅子に座って食べるんだよ」 と優しくさとすのですが、フンとむくれて食べなくなったり、ある日は、ギャーギャーと遊び食べをしたいことが通らない状況にパニック泣きをする始末です。そして、2週間も過ぎた頃、保育活動には楽しく率先して入ってくるAちゃんの姿になったときのお弁当の時間でした。いつものように遊び食べが始まったAちゃん。Aちゃんが、イスから腰を浮かせるたびに先生が 「ダメだよ」 と注意してその5回目に、先生はとうとう別の部屋に連れて行って、いままでにない強い口調でAちゃんを叱りました。はじめは、ただ自分の思い通りにならないいらだちからギャーギャー泣いていたAちゃんでしたが、それでも、先生が 「ダメ!」 を入れて、本人がそれを受け入れるまでぶつかっていきました。すると、ギャーギャー泣きが徐々にシクシク泣きになりました。こうなるとAちゃんは 「先生の注意を受け入れた」=「先生を受け入れた」 ということになります。
その後、部屋に戻るとAちゃんはいままでにない速さでお弁当を平らげると、ニコニコ顔で先生にお弁当箱を見せに来ました。
「たべちゃったよー!」
「Aちゃん、ステキ!頑張ってえらかったね。Aちゃんお弁当終わるまでイスに座ってたね。先生、見てたよ。Aちゃん偉かった」 と、これまたニコニコ顔でAちゃんをぎっと抱きしめる先生も本当に嬉しそうでした。
すると、不思議なことに、いままでしなかったお片付けも、ノソノソやっていたお帰りのしたくも、パッパッとやり終えて先生のところへニコニコ顔で走っていきます。つまり、Aちゃんは、自分がしたいようにする(たとえば「あそびたべ」)を先生に受け入れてもらえる喜びよりも、自分が先生を受け入れる(先生の言うことを聞く)ことの喜びの方が大きくなった瞬間です。
こういった 『自分勝手をする−ぶつかられる−和解する−相手を受け入れる−自分勝手をする…』 を繰り返しながら、子どもは良好な人間関係をつくっていきます。
親子関係の意味
じつは、そういった良好な人間関係を「愛着関係」と言います。この愛着とは、相手と一緒にいることを望み、一緒にいることで大きな安心感、満足感を感じられる関係、を言います。
そして、この関係が主たる養育者であり第一愛着者である母親(多くの場合は…)と結ぶことは、子どもにとって大きな意味を持ちます。なぜなら、たとえばAちゃんが小学校に行ったときに、Aちゃんを支え受け入れてAちゃんの心の安定が保たれるように、この担任が小学校までついて行くわけにはいかないのですから。そして、何よりも 「母子で成立していることは、どんな相手でも成立する」 という法則があるからです。たとえば、子どもの嫌いなニンジンをお母さんが関わってニンジンを食べられるようになれば、おばあちゃんの家だろうがどこでも成立しますが、担任が食べられるようにさせても、家では食べないのです。良くも悪くもそれが現実なのです。さて、お母さんはどうしますか?』
以上です。
関連ページ
「愛着形成」①親子ではぐくむ絆づくり【ママを受け入れられる子になる愛着の感性の育て方】+ママの思いを代弁する詩・0~3才児の育児
http://sg2takaboo.exblog.jp/24898093/