2017年 03月 05日
教材:国際理解教育[エスキモー、アメリカ・インディアンを大切に][イヌイット、ネイティブ・アメリカンを正しく]、リンダリンダリンダ、福島にとどまる留学生、湖人、大統領の言葉
【「アメリカ・インディアン」と「ネイティブ・アメリカン」の違いを知っておきましょう】
詳しい人から教えてもらった受け売りですが、「ネイティブ・アメリカン」とは、アメリカ合衆国の先住民の総称と言われています。「ネイティブ・アメリカン」とは、行政サイドがそのサービス対象に対して使い始めた言葉です。インディアンのみなさん側から出てきた名称ではありません。「ネイティブ・アメリカン」とは、アラスカやハワイの先住民も含めた総ての先住民のことを示す行政用語なのです。単一の民族名ではありません。
アメリカのインディアンで人口の多い順は、チェロキー族、ナバホ族、チペワ族、スー族、ラムビー族、プエブロ族というふうに数えていくと、もっとたくさんあるそうです。私がかつて聞いたことがあるのは、スー族、シャイアン族、コマンチ族、アパッチ族だけでした。
今年10月に愛知県で開催された「国連地球生きもの会議」に合わせて開かれた「せかいSATO(里)フェスタ」のメイン行事「先住民族サミットinあいち2010」を紹介する新聞記事でも、アメリカからインディアン最大規模の1つであるナバホ族から参加された方の意見をのせていました。「インディアン文化 今も」というタイトルでした。
ですから、私は「アメリカ・インディアンの教え」という詩は、タイトルをそのまま使うことが大切だと考えます。当事者であるアメリカ・インディアンのみなさんの意向を、第一に尊重すべきだからです。
学校で「インディアン」を「ネイティブ・アメリカン」「アメリカ先住民」と言おうと教えるのは、人権教育の視点からも、正しいとは言えないでしょう。先生方には、少数民族の人々の思いをきちんと受けとめた呼び方を、生徒たちに教えてやってほしいと、心から願っております。
【「エスキモー」と「イヌイット」の違いを知っておきましょう】
これも詳しい人に教えてもらった受け売りですが、「エスキモー」とは、ロシア北極圏のシベリア極東部・アメリカ合衆国のアラスカ・カナダ北部・グリーンランド(デンマーク領)までの、北半球のツンドラ地帯に住む全ての先住民の総称ですから、単一の民族名ではありません。
「イヌイット」とは、カナダ北部・グリーンランド(デンマーク領)に住む先住民であるエスキモー系民族の1つであり、エスキモー最大の民族です。このカナダ北部とグリーンランドに住むエスキモーの民族のみなさんは、「エスキモー」という呼び名を拒否しておられますから「イヌイット」と呼ばれています。
理由は、アラスカでは「エスキモー」は「かんじきの網を編む」という語源だったのですが、カナダでは「生肉を食べる者」と誤って解釈され、「野蛮」という偏見差別用語になってしまったからだと聞きました。
一方、アラスカには、「ユピク」「イヌピアト」など別名のエスキモー民族が先住していて、イヌイット民族ではありません。シベリアやセントローレンス島(アメリカ合衆国)は、「ユピク」民族です。
「イヌイット」はカナダとグリーンランドのエスキモーのことで、アラスカでは「エスキモー」が公的な呼び名ですから、アラスカのエスキモーを「イヌイット」と呼ぶのは間違いだということになります。
1990年前後から、新聞や出版など一部日本のマスコミも「エスキモー」を使わず「イヌイット」を使い始めました。こうした流れで平成5(1993)年度の中学校教科書、平成6(1994)年度の高校教科書から、「エスキモー」という呼称は消えました。しかし、「エスキモー」と「イヌイット」の違いが日本でも理解された今は、「エスキモー」にもどっている教科書もあるとのことです。
今年10月に愛知県で開催された「国連地球生きもの会議」に合わせて開かれた「せかいSATO(里)フェスタ」のメイン行事「先住民族サミットinあいち2010」を紹介する新聞記事には、アラスカからは、「クリンギット」族の代表の方が参加されたと紹介していました。ちなみに、「クリンギット」族はエスキモーではなくインディアンです。日本の写真家が「クリンギット」族を訪ねた時、古老が一冊の本のページを指しながら、『この人々は一体誰なのか』と聞いた写真には、北海道のアイヌ民族の人々が写っていたそうです。
中学校や高校で「エスキモー」の別名として「イヌイット」が使われることがあるようですが、正確であるとは言えません。先生方には、少数民族の人々の思い(歴史を背負った願い)をきちんと受けとめた呼び方を、生徒たちには教えてやってほしいと、心から願っております。
以上、呼び名というものは、当事者の微妙な思いを見極め、尊重することが大切だと感じた、海外の2事例の紹介と、中学校・高校の先生方へのお願いでした(いずれも詳しい人から教えてもらった受け売りです)。
【「リンダリンダリンダ」というDVDを観ました】
「ザ・ブルーハーツ」の曲「情熱のバラ」を好きなことから派生して「リンダリンダ」も気に入っています。そんなこんなで、中古のDVD『リンダ リンダ リンダ』を持っていますが、これは山下敦弘監督の邦画(2005年)です。「リンダリンダリンダ」を初めて観たのは、図書館から借りた時です。それでは、ストーリーを少々・・(ロケは群馬県内の高校)。
高校生活最後の文化祭のステージに向けて、オリジナル曲の練習を重ねてきた軽音楽部所属のガールズバンド。ところが本番まであと3日という時になって、メンバー2人がケガと口げんかで抜けてしまいます。残されたドラムの響子(前田亜希)、キーボードからギターに転向しなければならなくなった恵(香椎由宇)、ベースの望(関根史織)の3人はステージに立つことをあきらめず、ふとしたきっかけからブルーハーツのカバーをやることになります。そして、彼女たちがボーカルとして声をかけたのは、たまたま目の前を通った韓国からの留学生ソン(ペ・ドゥナ)でした。そこから、4人の寄り道だらけの猛練習が始まります・・というストーリーです。練習では「ぼくの右手」、ステージでのフィナーレは「リンダリンダ」、エンディングは「終わらない歌」(主題歌)の3曲を演奏し、歌い上げます。 このチームのバンド名は韓国語「パーランマウム(PARANMAUM)(파란 마음)」、意味は「蒼い心」、すなわち「ザ・ブルー・ハーツ」ということなのです。ここまで知っているぐらいですから、当然ながら、CD「パーランマウム」で彼女たちが演奏し歌う「リンダリンダ」「終わらない歌」「ぼくの右手」の3曲は、私のカーオーディオでお気に入りCDのひとつでもあります。そんなこんなで、今、好きな曲は「ぼくの右手」になってしまいました。「ぼくの右手」は、オススメしたい、ほんまにええ曲です。みなさん、YouTubeで一度聴いてみてください(ライブじゃない基本的なほうを)。
映画の話に戻りますが、軽音楽部顧問の小山先生役は俳優:甲本雅裕(なんと、ザ・ブルーハーツのボーカル:甲本ヒロトの弟)、留学生ソン(ペ・ドゥナ)に告白する高校生・マッキー役は俳優:松山ケンイチという、ユニークなキャスティングだということは、知る人ぞ知ると言うか・・ほとんど知られていないでしょう。今、NHK大河ドラマで平清盛を演じている松山ケンイチは、「リンダリンダリンダ」の翌年(2006年)に映画「デスノート」でL(エル)を演じました。そんなマッキー(松山ケンイチ)が片言の韓国語で告白し、ソン(ペ・ドゥナ)が片言の日本語で答えるのをくり返す場面は、ほほえましくて、ええ感じでした。そこには、ささやかな日韓交流が描かれていました。もちろん、この映画における、4人のガールズバンドそのものが日韓のあったかい文化交流の過程ではあります(敬称略)。
【福島にとどまり放送局に就職する韓国人留学生】
約半年前、2012年3月19日(月)朝日新聞2面の「ひと」欄に、「福島にとどまり放送局に就職する韓国人留学生 朱 美善(ジュ ミソン)さん」という記事が載っていました。抜粋して紹介させてください。
『(前略)気持ちは、徐々に変わる。日本人の友だちや先生、夏祭りで知り合った商店主。奨学金を出してくれた地元ロータリークラブの会員は自宅へ招き、娘のようにかわいがってくれる。放射線への不安を理由に福島を去れば、この人たちを裏切ることにならないか。震災以降、メディアが果たす役割の大きさに目を見開いてもいた。
福島放送の面接で「福島に縁もゆかりもない日本人より、縁もゆかりもある外国人の方が世界に伝えられることもある」と訴えた。「芯の通った熱意を感じた」と採用担当者。新卒採用は1人だけだ。
ゼミの担当教授いわく、一段高い要求にも必ず食らいついていく粘り強さが身上だ。まずは営業局に配属予定。外国人の採用も、女性の営業担当も同社では初めてとなる。「会社の利益を左右するんですよね。ドキドキします」
いわきが舞台の映画「フラガール」に憧れて大学を選んだ。「私にはここの水と空気が合っているんです」。幼い頃から悩まされてきたアトピーが治ってしまったというのだから説得力がある。』
以上です。朱 美善(ジュ ミソン)さんが大学卒業後、たとえ帰国なさったとしても、福島の人たちは、誰も「裏切った」とは思わなかったことでしょう。それでも、あえて福島に残ることを選択した朱 美善(ジュ ミソン)さんが、世界に発信する活躍をされることを、心から応援したいと思いました。(新卒は営業からのスタートだそうです)
それに先がけて2011年4月、アメリカの日本文学研究者ドナルド・キーンさん(88才:コロンビア大学名誉教授)が、日本国籍を取得して余生を日本で過ごすと発表されました。大学院生への最後の授業で「余生を日本で過ごす。日本国民と共に何かをしようと、震災で決意した」と述べられたキーンさんの心意気と合わせて、行動で福島と一緒に歩もうとしてくださるお2人には、頭が下がります。
【琵琶湖博物館と日韓交流】
琵琶湖博物館と言えば、毎年、滋賀県内の小中学校はもちろん、京都府など近隣府県の学校からの校外学習(環境学習)で、「湖と人間のよりよい共存関係」を体験的に学べる場であると言えます。1996年の開館以来、入館者数は累計800万人を超えたと聞きます。年平均40万人を超える入館者があるということになります。一応、私も、その1人になります。
先日、たまたまですが、琵琶湖博物館だより【湖人(うみんど)】の2002,11秋(第24号)を読む機会がありました。10年以上前の冊子ですが、その6ページ「研究最前線」に、「子どもと博物館~韓国との交流~」を主任学芸員さんが書いておられました。抜粋しながら紹介します。
『韓国国立中央博物館の場合・・そのご縁で、今年(2002年)5月に韓国ソウルにある国立中央博物館を訪問しました。韓国国立中央博物館は、国を代表する歴史的な遺物や文化財が納められている、韓国で最も大きな博物館です。現在(2002年)、新しい建物を建設中で、子ども向けの大規模な常設展示室を新たに設置する計画を進めています。私たちは、子ども向け展示の計画について助言を求められました。(中略)
琵琶湖博物館を参考にしようと考えたそうです。新しい博物館を準備しているミン・ビョンチャン学芸員によると、
「同じアジアで隣接しており、社会的な状況や人々の意識、学校教育制度などが似ている。また、全体が子どもを対象とした施設でなく、博物館の中の子ども向け展示室という共通点がある。そこでまずは、アメリカではなく、日本でよい事例をさがした。その時琵琶湖博物館を知った」ということでした。(中略)
その中で唯一子ども向け展示室の教育プログラム開発を担当しているのはキムヒョジュンさんです。(中略)私たちは、琵琶湖博物館でのディスカバリールームの経験や研究の成果から、子どもによる展示の受けとめ方や効果、ハンズ・オン導入の注意点、楽しさと学びを両立させるポイント、展示評価の必要性などについて意見を交換しました。(中略)
私たちが訪問した時点に比べて子ども向け展示の計画は飛躍的に進んだと、後日、キムさんから手紙が届きました。私たちが進めている子どもの博物館についての研究プロジェクトに関連して、韓国の事例を紹介しましたが、現在台湾の博物館でも同様の計画があると聞きます。博物館が子どもたちとどうつきあっていくのかは、日本を含めた東アジアの博物館にとっても、重要な項目になってきたようです。』
「研究最前線」の紹介(抜粋)は以上です。琵琶湖博物館の学芸員さんたちが、韓国国立中央博物館を訪問し、キムさんたち韓国の学芸員さんたちと意見を交換し、手紙のやりとりもされました。お互いに学び合える、こういう草の根の国際交流を、隣国と地道に続けていくことが大事なんだなあと、考えさせられました。ドイツとフランスが共通の歴史教科書を使っているという、喜ばしいニュースを聞いた日でした。
【ウルグアイ大統領からのメッセージ】
「世界でいちばん貧しい大統領のスピーチ」という絵本と文庫本を買って読みました。いつもながら不勉強な私ですので、2015年12月に人から教えてもらい初めて知りました。教えてくださったお心遣いに、心より感謝します。ウルグアイのホセ・ムヒカ前大統領(第40代大統領:2010年3月1日~2015年2月末)のことでした。
2015年12月は「国連気候変動枠組み条約 第21回締結国会議(COP21)」があり、196カ国・地域が協調して温室効果ガス削減に取り組む「パリ協定」が、1997年の「国連気象変動枠組条約 第3回締約国会議(COP3)」での「京都議定書」から、なんと18年ぶりに採択(1995年から毎年開催されるCOP:初めて全参加国に目標義務化)されました。その間、さまざまな地球温暖化対策の国際会議はありましたが、各国の利害が絡むので実効性のある具体策は、合意できていませんでした。ですから、2012年6月、「国連持続可能な開発会議(リオ+20)」がリオデジャネイロで開催された時の、ホセ・ムヒカ大統領の演説が会場の各国代表から拍手喝采を浴び、いち早く世界中に伝わり、絵本にまでなったのかなと思います。そのホセ・ムヒカ大統領のスピーチの、ごく一部だけですが、紹介させてください。
『(前半略)私たちは発展するために、生まれてきたのではありません。この地球で、幸せになるために生まれてきたのです。(中略)
古代の賢人エピクロス(古代ギリシャの哲学者 精神的快楽主義の祖)やセネカ(=小セネカ ローマ帝国の哲学者 皇帝ネロの家庭教師)、そしてアイマラ民族(南米アンデス地域の先住民族)は、次のように言いました。
「貧乏とは、少ししか持っていないことではなく、限りなく欲があり、いくらあっても満足しないことである」
この言葉は、人間にとって何が大切かを教えています。(中略)
知らなくてはなりません。水不足や環境の悪化が、今ある危機の原因ではないのです。本当の原因は、私たちがめざしてきた「幸せの中身」にあるのです。見直さなくてはならないのは、私たち自身の生き方なのです。(後半略)』
ホセ・ムヒカ大統領は、大統領公邸には住まずに首都モンテビデオ郊外の質素な農場で暮らしながら、大統領の給与の約9割を寄付し、月千ドルあまりで生計を立てておられたそうです。また、旅客機に乗る時は、エコノミークラスを利用されていたそうです。さらに、公用車を使わず、当選祝に友人から贈られた1987年製(中古の)フォルクスワーゲン・ビートルに乗り、その愛車を大富豪が大金で買い取りたいという申し出も断られたそうです。こうした数々のエピソードから、「世界でいちばん貧しい大統領」と呼ばれるようになったと聞きました。しかし、ホセ・ムヒカ大統領の言葉を借りるなら「貧乏とは、少ししか持っていないことではなく、限りなく欲があり、いくらあっても満足しないこと」ですから、ホセ・ムヒカ大統領の「貧しさの基準」は、「物」ではなく「心」に置いておられることがわかりました。
なお、ホセ・ムヒカ前大統領とは違う意味で、タバレ・バスケス現大統領(第41代大統領)も尊敬されるウルグアイ大統領であることもつけ加えておきます。医師でもあるタバレ・バスケス大統領は、旅客機に搭乗中、旅客機内の急患に対応(応急処置)されたことが、少なくとも3回あるそうです。ウルグアイは、何かしら人として魅力あふれる大統領を続けて輩出している国ですね。
さて、ホセ・ムヒカ氏が演説で警告されたとおり、2016年1月29日(金)朝日新聞10面に「イラン 進む大気汚染」という記事が載っていました。記事の冒頭には「中国、インドだけではない。中東イランも深刻な大気汚染に苦しむ。汚染の主な原因は車の排ガスだ。(以下略)」とのことです。他人事では済ませられないと感じます。
まずは、絵本「世界でいちばん貧しい大統領のスピーチ」(15万部突破)、文庫本「世界を動かすことば 世界でいちばん貧しい大統領のスピーチ」〈角川つばさ文庫〉、単行本「世界でいちばん貧しい大統領からきみへ」(日本へのメッセージ)などを直接読まれることをオススメします。絵本の前書きには、『ムヒカ大統領を、ウルグアイの人々は親しみをこめて「ぺぺ」とよんでいます。』と書いてありました。
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