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教材【釜石小学校校歌は「みんなの歌」川はだれのもの】「続・かさこじぞう」「成人の日はお祝いの祝日、敬老の日は感謝の祝日」「地球が1mの球ならば」「卒業式歌・旅立ちの日に」

「釜石小学校校歌」どの学校でも歌いたい名曲…みんなの歌「川はだれのもの?」も


下校後の子どもたちが、津波避難の3原則に沿って高台に避難した姿を浮かべると、相田みつをさんの詩「その時どう動く」と重なります。釜石市の津波避難の3原則は、私たちも学ばなければ…と強く思いました。一つ目は「想定にとらわれるな。自然の振る舞いに想定内はあり得ない。想定に頼れば、想定外の事態に対応できなくなる。ハザードマップも信じるな」。二つ目は「最善を尽くせ。どこで、どんな津波が来るか分からない。津波が襲来したら、できることをやるしかない」。三つ目は「率先避難者たれ。一生懸命逃げる姿が周囲の命も助ける」。この三つは、胸に刻んでおきたいものです。


その釜石市にある釜石小学校校歌(生きるための羅針盤みたいな歌)=作詞が井上ひさし、作曲が宇野誠一郎という『ひょっこりひょうたん島』コンビの作品だと知りました。こんなに力強く心を揺さぶられる歌詞とメロディーがあることに、驚きました。自分の母校じゃないのに、元気が分けてもらえる校歌に、初めて出会いました。「題名のない音楽会」(2回放送)で聴かれた方も多いでしょうが、ぜひ紹介させてください。(敬称略)


釜石小学校・校歌


いきいき生きる いきいき生きる
ひとりで立って まっすぐ生きる
困ったときは 目をあげて
星を目あてに まっすぐ生きる
息あるうちは いきいき生きる


はっきり話す はっきり話す
びくびくせずに はっきり話す
困ったときは あわてずに
人間について よく考える
考えたなら はっきり話す


しっかりつかむ しっかりつかむ
まことの知恵を しっかりつかむ
困ったときは 手を出して
ともだちの手を しっかりつかむ
手と手をつないで しっかり生きる


この校歌を聞きたいと思っていたら、以下のHPでBGMが流れていました。子どもたちと歌ってみたい「みんなの歌」のような曲で、「歌詞メロディー」の楽譜も載っていました。2番の「人間についーて、よーく考える」のところだけは、あれっ?(原曲とは微妙に異なる音源が全国に広まったのかも知れません)と思いました…。

http://www.utagoekissa.com/utagoe.php?title=kamaishishougakkoukouka

http://bunbun.boo.jp/okera/kako/kou_ka.htm


それで、釜石小学校校歌のピアノ伴奏CD録音を、従妹に頼むと快く引き受けてくれ、CD録音(ピアノ伴奏)+手書き伴奏譜まで書いてくれました。耳で聴いただけで、すぐ仕上げてくれた従妹には感謝します。


【2015年1月10日追加】

その後、ようやく釜石小の子どもたちが歌っている「釜石小学校校歌」を、以下のYouTubeのURLで聴くことができました。2番の「人間について、よく考える」のところは「人間についーて、よーく考える」と歌ってはりました。3番の「友だちの手を」のところは「友だちのてーーを」と歌ってはるように聞こえます。いかがでしょうか?「てーをー」なのか「てーーを」なのか微妙で、迷うところですが、やっぱり釜石小学校の子どもたちの歌声が↓一番正しいのでしょう(本格的なピアノ伴奏も聴けます)。

釜石小の子どもたちが歌う釜石小学校校歌(題名のない音楽会)
https://youtu.be/-qqCP-6kLzc

パソコンの楽譜作成ソフト「ミューズスコア」で簡易伴奏譜を作成してみましたが、私の力量不足で、釜石小の見事な伴奏の足元にも及びません。ですから、作成した簡易伴奏譜は、甲信越の音楽の先生(指導主事)にチェックしてもらいました。その簡易伴奏譜は、本記事の一番下の関連ページに載せました。

この歌を朝の会で歌う教材として使うなら、あえて曲名を伏せて歌ってみてから、子どもたちに歌詞とメロディーからイメージできる「歌のタイトル」を考えてもらいたいなと、ふと思いました。それだけステキな歌詞とメロディーの歌だと感じるからです。曲名を伏せて歌って「歌のタイトル」を考える…いかがでしょうか。

【追加】「川はだれのもの?」(作詞・作曲 南らんぼう)を、子どもたちが歌っているのを聞く機会がありました。思わず足を止めて聞き入るような、歌詞とメロディーでした。NHKの「みんなの歌」で90年代に紹介された歌だそうです。この「川はだれのもの?」…歌詞もメロディーも、とてもステキな曲ですよ。(敬称略)

山に 降った 雨のしずく
岩を すべり 落ちて
やがて 細い 川となった
川は 森で 生まれた
川は だれのもの?
住んでる 魚のものかしら?
それとも 雨のものかな?
森の ものだろうか?

村を くだり 町を 流れ
川は 海を めざす
鳥が 遊ぶ 虹が かかる
人の 希望 燃えたつ
川は だれのもの?
岸辺の 緑のものかしら?
それとも 鳥のものかな?
人の ものだろうか?

いいえ どの川も
だれの ものでもありません
生きてる すべてのものです
川は みんなのもの
川は みんなのもの

次のYouTubeのURLで「川はだれのもの?」を聞くことができました。
https://youtu.be/IxdIoO9XScI

「続・かさこじぞう」(創作民話)


平成4年度(1992年度)に2年生を担任して、12月に国語の教科書(光村図書)の物語文教材「かさこじぞう」で、子どもたちといっしょに音読や読解の学習をしました。その時、「お正月が終わってしまったら、じいさまたちはまた貧乏になるのかな」と心配する子が何人もいたので、文才もないのに、冬休みに続きのお話を書いてみました。そして、3学期にクラスの子どもたちと読んでみました。じいさまとばあさまが幸せに暮らしていけそうなので、子どもたちも安心してくれました。心優しい2年生の子どもたちがいなかったら、生まれなかったお話です。


今回、その「続・かさこじぞう」を推敲・手直ししたのが、この『じぞう川』です。少子高齢化社会に生きる子どもたちと、高齢者のみなさん、とりわけ高齢者世帯のみなさんへの、ささやかなクリスマス・プレゼントです、と言うと、ちょっとカッコつけすぎですよね。



続・かさこじぞう(じぞう川)   タカブー・作


 あれは ゆめだったのか と思うほどに、
ほんとうに フシギで、
ほんとうに ステキな、
大みそかの 夜の できごとでした。
 しんせつで 人のよい じいさまと ばあさまは、
あの 大みそかの 真夜中の 
ありがたい いただきものを、
お正月には 村の人たちにも わけてあげました。
だから、春が やってくるまでには、
いつもの 二人の くらしに もどっていました。
 半年がすぎて 夏に なりました。
その年は 日でりつづきで、町でも 村でも 
水がなくて、みんな こまりはてていました。
 じいさまと ばあさまの うちも、
なんともいえないぐらい まずしかったので、
その日 その日を なんとか かんとか 
くらしていました。
 そんな 二人の家の うら山には、
ずっと前から 大岩がありました。
ところが、あの夜の よく日の、お正月から、
なぜか 大岩に ひとすじの ひびが入って、
わき水が ちょろちょろ 出るようになったのです。
それは それは つめたい わき水でした。
 二人は、あいかわらず どうにか こうにか 
くらしていましたが、
ばあさまが、夏かぜを こじらせて ねこんでいました。
じいさまは まい日 まい日 ばあさまのために
大岩の ところまで えっちら おっちら のぼりました。
そして、水を くむと、ゆっくり ゆっくりと 
山から おりました。
 ばあさまは、その水を だいじそうに のみました。
それでも、夏かぜは しつこくて 
なかなか なおりません。じいさまは、
「はあはあ。」
と いきをする ばあさまの くるしそうな顔を、
じいっと 見つめて 言いました。
「ああ、なんぞ ええ考えは ないかのう。そうじゃ、
町で 水が 売れたら、くすりが 買えるかもしれん。」
 じいさまは、きのうまで まいにち 水をすこしずつ 
ためておいた、おもい 水だるを せおって、
ひしゃくを もちました。
「ばあさま、まっていておくれ。
もうすこしの しんぼうやでな。」
じいさまは 水を売って、そのお金で よいくすりを 
買うため、町へ 行くことに したのです。
ばあさまは、
「じいさま、気をつけてな。」
と、じいさまの からだのほうが しんぱいで 
なりませんでした。じいさまは、
「なんの なんの、だいじょうぶじゃ。」
と、にっこり わらいながら 出かけて 行きました。
 かんかんでりの お日さまに てらされ、
じいさまは あせを ふきふき、
ようやく じぞうさまの ところまで 来ました。
 風もなし、雲のかげ 一つなし、
かさこと 手ぬぐいだけの 六人の じぞうさまは、
ひびわれた 野っぱらに、
ただ じっと 立っているのでした。 
「これは これは、お気のどくなことじゃ。 
あつくて たまらんじゃろう。
じぞうさまが ほこりまみれに なっていなさる。
せめて、水でも かけて さしあげよう。」
 じいさまは、水だるを せなかから おろして、
りょう手で しっかり かかえると、
じぞうさまの そばへ はこぼうと しました。
ところが、どうしたことか、じいさまは
足もとの 小石に つまずいて しまったのです。
たいせつな水は、水だるから こぼれて、
じめんに すいこまれてしまいました。
「ああ、たいへんじゃ。
おら、じぞうさまに もうしわけないこと してしもうた。」
 じいさまは、じぞうさまの ほこりを、
ひとりずつ ていねいに はらいました。
しかし、ばあさまのために、
町まで 売りに 行くはずだった 水は、
もう 一てきも のこっていませんでした。
それで、このまま 町へ行っても しかたがないので、
じぞうさまに りょう手をあわせて、
とぼりとぼり うちへ 帰りました。
「ばあさま、帰ったぞ。それがのう、
くすりは 買えんかったんじゃ。
すまんのう、じつは とちゅうで・・・。」
 ばあさまは、もうしわけなさそうな じいさまの顔を、
じいっと 見つめて 言いました。
「じいさま、それは すまなかったのう。
じいさまが ぶじで 帰ってくれたのが、なによりじゃ。」
 その時です。
ばあさまの ねつが すうっと さがりました。
そして、ばあさまは 
みるみるうちに らくそうな顔になりました。


 その夜のことです。
大岩の わき水は さらさらと ながれ出し、
じいさまと ばあさまの 家の前まで、
いつまでも ながれつづける 
一本の 小川に なりましたと。
今でも「じぞう川」とよばれているそうな・・・・めでたしめでたし(おしまい)

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成人の日はお祝いの日、敬老の日は感謝の日なのに!


1月15日と言えば、昔から小正月と呼ばれ、家々でも小豆がゆをいただく日でした。昔なら大人になる元服の儀式(初めて髪を結う)があった日になります。そんなことで、成人の日(祝日)になり、成人式も行われるようになったのでしょう。


今、成人の日(祝日)は、ハッピーマンデー制度で、1月の第2月曜になりました。現実には、参加しやすいように、土日に成人式を行う市区町村も少なくないようです。こうして、本人と家族以外には、いったい何日が成人式なのか、わかりにくくなりました。つまり、ご近所で、「明日は成人式やね。おめでとう」「今日は成人式やな。おめでとう」という声をかけることが、減っていくようで残念です。地域で新成人にお祝いのひと言をかける習慣が、日本からなくなりそうな気がします。


9月15日の敬老の日(祝日)も、ハッピーマンデー制度で、9月の第3月曜になりました。この日も同様で、関係者以外には、なんとなくわかりにくくなりました。年に1回、長寿をお祝いする日なのに‥です。人生の先輩のみなさんに感謝することを忘れないための日なのに‥です。高齢化社会なのに、その主人公のためじゃない理由で日を変更したのは、人に優しい制度なのでしょうか。


成人の日と敬老の日は、この制度にあてはめるのはいかがなものでしょうか。そえぞれ、お祝いする祝日、感謝する祝日だからです。制度にあてはめた海の日や体育の日とは、意味合いが全く違う祝日だと思います。要は土日月の3連休を増やすことで、経済効果が上がるのでは、という1点ねらい?かもしれません。3連休で旅行に連れて行ってもらえる子どもは、いったい何%ぐらいなのでしょうか。世界にあまり類を見ない日本の誇れる祝日が、成人の日と敬老の日だと聞きます。地域のみんなが新成人にも高齢者にも温かい声かけをするのが日本だと、世界に胸を張れる日でありたいものです(現実は過去形になってしまいましたが)。


『地球がもし直径1mの球だったら』


3月11日を前日にして


今までの私たちの常識を覆す未曾有の日から、明日でちょうど1年たちます。今も避難生活を余儀なくされている方々の心労-過労を思うと、私など、ぜいたくは言えません。思うことは、みなさん、それぞれのお立場で、たくさんあることでしょう。2012年10月下旬の朝日新聞「天声人語」の冒頭には、以下の文がありました。


‥作家の椎名誠さんが7月の小紙に寄せていた。椎名さんは


『地球がもし100㎝の球だったら』という絵本を紹介しつつ、この惑星の有限性を述べている。直径(地球)1mに縮尺すれば大気の層はわずか1㎜しかないのである、と。すべての水はビール大瓶1本分。海水を除いて人が飲める水はスプーン1杯の量しかない—など、目を開かされた例えをふと思い出した。‥」


2011年3月11日の巨大地震-巨大津波の衝撃は、甚大な被害をもたらしました。それに追い打ちをかけるように、局地的豪雨、巨大台風、大洪水、記録的猛暑、豪雪など、数々の自然の脅威は、私たちの経験と予知をはるかに超える地球へ変貌したのではないか、と痛感させられた1年間でもありました。さらに加えるなら、気温も降水量も、観測史上初があちこちで更新されたという事実は、オゾン層を温室効果ガスが破壊することによる気候変動の始まりかと、受けとめざるを得ないのでしょうか。同時に、安全だと聞かされて大丈夫だとみんなが信じきっていた原発の、絶句してしまうほどの、測り知れないリスクは‥言葉になりません。


CMでは「エコナビ」とか言ってますが、最も大切なのは使う人の気持ちひとつです。「東北の復興なくして日本の再生はありえない」という言葉を(聞き流さず)かみしめると、節電も、節水も、自分のできることを期間限定ではなく、日本中の誰もが行動に移さなければならない時代が始まったのかも知れません。


とりわけ福島県のみなさんの耐え難いほどの心痛を思うと、原発なしで地球温暖化を防ぐ省エネ・低炭素社会の実現のため、被災地以外の誰もが「少しずつガマンする意識を共有せなあかん時代」のスタートだと、言いかえてもいいのではないでしょうか。国が莫大な借金を増やしながら、私たち国民が快適な暮らしを求め続けることの矛盾を指摘する人(つつましく暮らし始めた人)は、私の周囲でも徐々に増えてきました。


原発の怖さに気づくには、あまりにも大きすぎる犠牲でした。他の場合でも、例えば、国の政策で全国の造林公社が杉の植林に走った結果、スギ花粉症が猛威をふるうようになった現実を見ても、人間が開発だけを追求すれば、予測すらできないリスクも背負うことを、私たちは自覚しなければならないのでしょう。


2012年いただいた年賀状の冒頭の挨拶も、例年とはひと味ちがう文言が多かったと感じました。増えたのは「恭賀新年」でした。四字熟語では「迎春吉祥」「笑門来福」「招運来福」が目を引きました。


ひときわ心をひかれたのは、次の3つです。


「笑顔の花咲く一年に」「希望と潤いのある一年に」「安穏平和な一年で」


私自身、あまりたいしたことはできていません。ホットカーペットの下に断熱シートを敷き、石油ファンヒーターを石油ストーブに換え、やかんを置いて湯を沸かしたり、LED照明(数箇所だけ)につけかえ、夜間は電気ポットのコンセントを抜き、エアコンの必要な部屋では設定温度を冬は18℃にしたり…ぐらいです。ただ原発依存度の高かった(あえて過去形にしたい)関西圏の端っこの近畿に住んでいますので、清水の舞台から飛び降りるつもりで、太陽光パネル(4,41kw)を屋根に乗せました。でも、今度の夏も扇風機をメインにしつつ、エアコンが必要な部屋も夏の目標は28~29℃です。エコライフをしていると言えるまでには、まだまだ千里の道の1歩という段階ですけど、ハッと気づいた時は、自分なりにできることを、微々たることでも日々実行していきたいと、明日を前日にして改めて思いました。


地球がもし直径1mの球だと考えて‥つつましく暮らす意識を共有するエコライフができたら‥ちなみに、エコライフという言葉は、小学校:家庭科の教科書にも大事な単元の1つとして載っています。


卒業式歌「旅立ちの日に」


 卒業式歌「旅立ちの日に」は、中学校の先生お二人が教え子たちのために作詞作曲された、すばらしい歌だと思います。

土曜日の朝日新聞には、beという別冊がついています。3月30日の場合、1つは、ページがb1~b12まである冊子で、もう1つは、ページがe1~e8まである冊子でした。そのe1とe2の2ページに「旅立ちの日に」の『歌が生まれた経緯』と『全国の中学校へ広まった経緯』が、詳しくのっていました。せっかくですので、記事の前半の『歌が生まれた経緯』だけでも紹介させてください。

『1988年春、グラウンドのかなたに山並みを望む埼玉県秩父市の市立影森中学校に2人の教員が赴任した。ひとりは、坂本さん。音楽の教諭だ。(中略)
一方、校長の小嶋さんはある信条を持って着任していた。「歌は心を健康にする」だ。前任校で合唱指導に力を入れ、成果を得たのだ。影森中でも「歌声の響く学校」を目標の1つに決めた。「(校舎の)あちこちには『歌声の響く学校にしよう』のスローガンが張られた」(坂本さん)。(中略)

91年2月。放課後の職員室でストーブに手をかざしていた坂本さんは、通りがかった小嶋さんに切り出した。「卒業生に歌を作って贈りたいんですけど、詞を書いていただけませんか?」答えはつれなかった。坂本さんの記憶によると「自分は英語の教員だし、そんなセンスないよ」だった。

ところが、翌朝出勤してみると、坂本さんの机の上に、きちょうめんな文字で書かれた詞がのっていた。「旅立ちの日に」。小嶋さんの字だった。「すごくいい!」。音楽室に駆け込み、ピアノに向かった。「勇気を翼にこめて………」の旋律がまず浮かんだ。15分ほどで全体にメロディーをつけた。

自分で弾き歌った録音テープを教職員に配り、生徒に内緒で練習した。そして、3月中旬の「3年生を送る会」で披露。1番は小嶋さんが独唱した。この時で「旅立ちの日に」は役目を終えたはずだった。(後略)』


 3年間、影森中で奮闘した先生方と、それに応えて変容し成長した生徒たちと、坂本先生の熱意を、全部丸ごと受けとめた小嶋校長の思いが詰まっている「旅立ちの日に」‥その深みのある歌詞には、生徒たちへの小嶋校長の温かさを感じました。全国の中学校で歌い継がれている理由の一端を垣間見た気がします。この歌は、影森中で3年間かけて学校づくりを積み上げていかれた中で生まれた歌だと言ってもいいのではないでしょうか。

 私が秩父を訪れたのは、1981~82年頃でした。1991年に教え子たちへ贈る歌として小嶋校長先生と坂本先生が作詞作曲された「旅立ちの日に」‥頭が下がります。


被災地に移住した作家・柳美里さん&東日本大震災特集を始めて5年目に入った滋賀県立彦根東高校新聞部


どちらも2015年5月の新聞記事ですが、3,11を前にして、改めて紹介させてください。


まず、読売新聞2015年5月9日31面に「彦根東高新聞部 東日本大震災の特集を始めて5年目に入った。・・」という4段の大きな記事が載っていました。記事では、彦根東高新聞部は特集を続けることに迷い悩みながらも「先月末、4回目の震災復興支援特集号を発行した。」と書いてありました。また、「新聞の社説に当たる1面の部説には『無関心と無知は復興の最大の妨げとなる』と主張・・」と、特集を続ける主旨(現地取材で聞き取りをする中で見えてきたこと)も紹介していました。


次に、朝日新聞2015年5月9日2面の「ひと欄」では「原発事故被災地に移住した作家 柳美里さん」を紹介していました。記事には「先月・・福島県南相馬市の借家に運び込んだ。・・売れっ子の芥川賞作家がなぜここに?」とありました。そして、「祖国を捨てた祖父(弾圧を逃れて)、母の語った集落の喪失、帰郷できない原発事故被災者‥‥。在日3世の自分にとって、故郷とは何なのか。『通うのでなく暮らしながら考えたい』。鎌倉の家を売り、退路を断って。」と結んでました。


それぞれの立ち位置は違いますが、作家として、高校新聞部として、今できることを真剣に考えて実行されているという点では、一致するのではないでしょうか。偶然にも同じ日に、偶然にも2つの新聞記事を読んだだけの私にできることなどは、はるかにちっぽけで、お恥ずかしい限りですが、せめて紹介させていただけたら、と思いました。結果として置き去りにされている被災者の方々の現実に無関心・無知であってはならない、被災者の方々のお気持ちを決して忘れてはならないと、柳美里さんと彦根東高校新聞部さんから教えられました。


今、人々の暮らしの基盤を1日も早く何とかしなければならない福島県・宮城県・岩手県などでは、近い将来の人口減少というわが国の課題についても、先行する形で取り組んでおられ、私たちが具体的に学ぶことはとても多いと感じています。


また、以前、当ブログでも紹介した、チェルノブイリ原発事故で医療支援をされていたお医者さん鎌田實さんの、絵本「ほうれんそうは ないています」(ポプラ社)が、第20回絵本賞(主催 全国学校図書館協議会・毎日新聞社)で、読者賞2位に入ったことを、1年後の2016年3月、今頃になって知りました。

「アメリカの日本文学・文化研究の第一人者であるドナルド・キーンさんが東日本大震災の半年後に日本国籍取得、永住されましたことに1日本人として深く感謝しつつ、今は、心よりご冥福をお祈りします。2019年3月」


「2020全米図書賞(翻訳部門)を柳美里さん(芥川賞作家)が小説『JR上野駅公園口』で受賞されました。

同賞は2018に多和田葉子さん(芥川賞作家)が小説『献灯使』で受賞されています。2020年11月」


関連ページ
「釜石小学校・校歌(簡易伴奏譜)」全国どの学校でも歌いたい名曲…みんなの歌「川はだれのもの?」
https://sg2takaboo.exblog.jp/24898463/


教材:国際理解教育[アメリカ・インディアン、エスキモーを大切に][ネイティブ・アメリカン、イヌイットを正しく][日韓交流:尊重し合い認め合うリンダリンダリンダ]福島にとどまる留学生、湖人(うみんど)、大統領の言葉

http://sg2takaboo.exblog.jp/24898160/

教材【日記の授業:指導案】【おもらし・お手伝い】【聞かせたい5話】【詩・冬の夜道:指導案・発問】【発声練習:朝の会】【ごんぎつね:発問】

http://sg2takaboo.exblog.jp/24898472/


by takaboo-54p125 | 2017-03-11 05:21 | 教材